名古屋って他の地域の方にはどう思われてるんでしょうね?
数年前まで、女性向け雑誌のファッションチェックなどの記事では、必ずと言ってもいいほど名古屋は飛ばされてました。
東京→横浜→京都→大阪→神戸 みたいな感じで名古屋は素通り。
これを名古屋人は苦々しく思いながらも諦めてました。名古屋は製造業の街、ブルーカラーの街であって、文化を発信するような街ではないとの自認があるからです。
その名古屋の製造業を代表するのがトヨタ。
多少の変動はありながらも、バブル崩壊後から一度も立ち直ることなく現在まで不況が続いていると言うのが私の実感なんですが、2005年の愛地球博の少し前あたりからでしょうか、トヨタだけが着実に業績を伸ばしているという報道が目立つようになり、そしてそれに引っ張られる形で名古屋圏が注目され、全国の中で名古屋だけが元気であるかのような印象が産み出され、雑誌にも名古屋の特集がよく組まれるようになりました。
その動きに機を同じくするかのように開催されたのが、前述の愛地球博です。
名古屋にはかねてから国際都市として名を上げたいという悲願があります。東京は東京オリンピック、大阪は大阪万博と国際的に知名度を上げる舞台になっているのに、それに比べて名古屋は・・・、という発想です。
もう覚えていらっしゃる方も少ないと思いますが、1980年、名古屋はオリンピックの開催地候補として名乗りを上げました。ところがお隣韓国のソウルに見事に惨敗。あのとき名古屋が獲得してればその後の名古屋圏の景気は大きく変わり、私の就職先も別のところになっていた可能性も大きいのに・・・・。
ま、個人的なことはさて置き、このとき名古屋が負った傷は深く、ず~っとトラウマとして残ります。
全国的に地方博がはやった1989年(平成元年)、名古屋で名古屋デザイン博(正式名称は世界デザイン博覧会)が開催されました。この博覧会を博覧会国際事務局(BIE)に何とか「国際博」として認めてもらおうと手を尽くしたようですが、結局認められませんでした。これで二度目の傷を負ったわけです。
そして三度目の正直!愛地球博! さすがに今度は失敗は許されません。事前の根回しも十分だったようで国際博覧会のお墨付きもちゃんともらって、名古屋市内ではないものの、隣接する長久手町の会場をメイン会場として2005年に開催されました。
マスコミ対策も十分だったようで、広告代理店を巻き込んで(買収して?)、批判めいた報道を押さえ込み、見事に成功しました。これで世界的に名古屋の知名度が上がったとは相変わらず思えないんですが、まあ、思いは遂げることができ、名古屋のトラウマも消えたと思いたいですね。
随分前置きが長くなりましたが、私も3度ほど、この博覧会に出かけました。いずれも狙ったわけじゃにのに、人出の記録を更新した日に当たり、とにかく長時間並んだ記憶があります。会場の近くに住む同僚はパスポートを買って、毎日のように出かけてた人もいましたっけ。
実はそのメイン会場とトヨタ博物館は道一本隔てただけのようなところにあります。この辺にもトヨタ丸抱えの博覧会であったことが見て取れると思います。
で、トヨタ博物館にはその名残の品がいくつかあります。
一人乗りの未来コンセプトビークル「i-unit(アイユニット)」です。会期中にはテレビでよく見ました。つまりこれをこの目では見たのは今回が初めて。会期中は並ぶのがアホらしくなるような待ち時間でしたから。
こんなので街中を移動できたら渋滞も減るでしょうね。一人しか乗ってない車って多いですからね。
これを展示と言っていいのかどうか? 駐車場の一角に置いてあるだけなんですけどね。つまり雨ざらし。状態を保つ気もないってこと?

会場内の移動手段として運行していた、IMTS(Intelligent Multimode Transit System)燃料電池ハイブリッドバスです。2~3台が連結せずに連なって運行され、先頭車両にだけ運転手がいましたが、乗ってるだけで、操作する必要はありませんでした。
「車両は、走行路中央に埋設された磁気マーカに沿い操舵制御され、車々間通信および地上信号装置等による自動速度制御・ブレーキ制御機能を持つことにより、高い安全性と信頼性を実現している。」なんだそうです。
一度だけ乗りましたが、極端な低床バスで、外から眺めると大型バスですが、客室内にタイヤハウスが大きくせり出し、客席数はたった十数席だったような記憶です。
運転席には懐かしいコイツが。

モリゾーですな。色褪せが、愛地球博からの歳月を感じさせます。
Posted at 2010/02/06 21:46:18 | |
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トヨタ博物館 | 日記