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成田のオッサンのブログ一覧

2013年07月15日 イイね!

こんなんも好きなんです

こんなんも好きなんですたまたまFMで耳にして、即 iTunes Store で購入。普通の50代のオジサンはこんなの聞かないと思うけど、私は面白きゃなんでもOK。
もう終わるだろうってとこを超えて続くリフレインと昭和っぽいのがいいね。


公式サイトのプロフィールによると、井上揚水を聞いてた親の影響があるらしい。昭和っぽいのはそれでか。昭和っぽいと言えば、私はきゃりー・ぱみゅぱみゅの曲にも昭和テイストを感じるんだが私だけかな?



しかし、なんちゅうー低予算PV。ギネス級じゃないか?

さて、この曲ヒットするかな? 局所的な人気で終わりか?
Posted at 2013/07/15 22:17:32 | コメント(3) | トラックバック(0) | 音楽 | 日記
2013年01月19日 イイね!

4,800円で iPod Classic が新品に

4,800円で iPod Classic が新品にiPodで音楽を聞きながら通勤しています。私の携帯はiPhoneですから、それに音楽を入れれば荷物が減って良さそうなもんですが、多分、それだと電池が一日持たない。それと、現在iPodに入っている音楽は落語を含め5,000曲弱で40GB。私のiPhoneは一番安いので16GBしかHDの容量がありませんから。それでApple製品を二つ持ち歩いています。

iPodもいろいろありますが、私のはiPod Classic 第6世代 80GB。数ヶ月前からこいつの電池の調子がおかしくなりました。持ちが悪くなっただけでなく、電池のレベルゲージは半分以上を示していたはずなのに、突然電源が落ちたり。今までこのブログでも何度か書きましたが、車の中でもカセットアダプターを介してiPodで音楽を聴いています。車の中だと充電もできるので問題ないんですが、通勤途上ではどうしようもない。買ってすぐの頃は一度充電すると3日くらいは持ったような気がしますが、最近は毎日充電しても持たないことがあるくらいです。電池の劣化ってやつですね。

iPodをお持ちの方はよくご存知かと思いますが、iPodはユーザーで電池交換ができません。アップルに送って交換してもらうことが前提になっています。ネットで調べてみると6,000円以上します。何とか安くできないか? 調べてみると、ちゃんと自分で交換するキットが通販で3,000円台で売られています。さっそく注文してトライしてみました。でも・・・・できない。
YouTubeにも交換の動画が上がっています。



みなさん最初のボディーの分解で苦労してます。真似してやってみてもできない。電池交換キットに同梱されているプラスチックの棒をボディーの隙間に差し込んでボディーをこじ開けるんですが、あれこれやってみても一向に差し込めない。その内にその棒を折ってしまいました。_| ̄|○

結局、自分での交換は断念して更に検索してみると、私の世代のiPodはボディーの上下面が金属になり、分解は超難関で、こじ開けられたとしても元に戻らない可能性があると・・・・。

アップル・ストアに持ち込むことに決めました。
こじゃれたアップル・ストアは私にはちょっと敷居が高い。ラフな格好かつ一癖ありそうな店員もちょっと近寄りにくいけど、一人を捕まえて用件を伝えると予約を取ってくれと。まさか待たされるとは。予約を取ると私のiPhoneに予約内容のメールが来るのはさすがと思いました。

予約の時間に名前を呼ばれ、用件を伝えると4,800円で交換と言われました。交換の費用を私が間違えていたようです。4,800円なら始めから自分で交換なんて考えるんじゃなかった。でも、話を進めて行くとどうも店員さんと話が噛み合わない。よく聞いてみると電池だけの交換じゃなくて本体を丸ごと新品と交換するらしい。しかも私のと同じ80GBモデルはもうないので現行モデルの一つ前のモデルである160GBのモデルに! それが4,800円で! 
確か、私が買った時は3万円くらいしたはず。それが4800円で上位モデルに・・・。
驚きました。はっきり言って美味しいと思いました。一方で、何か腑に落ちない感も・・・・。
結局、iPodの原価ってこんなもんなんじゃないの? だからこんなサービスができるんじゃないの?
ま、新しくて容量も増えたiPodが手に入ったんだから良しとしよう。

美味しい交換には幾つか条件があります。
・電池の容量が初期の50%以下であること
・機能が壊れていないこと
・ボディーがへこんだりしていないこと
などです。
Posted at 2013/01/19 17:39:16 | コメント(2) | トラックバック(0) | 音楽 | 日記
2012年10月05日 イイね!

OPUS

OPUSくどくなるけど、何度も書こう。私はフォークが嫌いだ。でも私の中学・高校時代、それしかなかったからそれを聞くしかなかった。
その頃は毎晩、ラジオの深夜放送を聞きながら、落ちこぼれの私は半分船を漕ぎながら、はかどらない勉強をしていた。
高校2年の頃、私は山下達郎のオールナイトニッポンを発見した。これも前に書いたが、この地方の民放ラジオ2局は、深夜3時からは2局とも深夜便トラック運転手向けの演歌中心の番組を流していて、オールナイトニッポンの2部は、この地方ではネットしていなかった。演歌はフォーク以上に嫌い。どっかで自分好みの曲がかかる番組はないかとチューニングダイアルをいじっているうちに、ノイズの中からその頃珍しいアメリカンポップが流れてきた。それが山下達郎のオールナイトニッポンだった。まさに発見だった。



自慢じゃないが、少なくとも私の周りでは誰よりも早く山下達郎を知っていたと自負している(自慢か)。それが徐々に知られ出し、1980年の「ライドオンタイム」で一気に知名度が上がる。今は絶滅したカセットテープのCMとのタイアップ曲で、信じてもらえないかも知れないが、小さくではあったが本人も出演していた。気持ち悪い言い方だが「俺だけの山下達郎」が一般化していくのが悔しくもあった。
考えてみれば、彼とも長い付き合いだ。NHKのFMで番組を持っていた頃は、発売したばかりの自分のアルバムを、トークもかぶせずに惜しげもなくフルコーラス流したりして、(当時はエアチェックと言って、ラジオで流れた曲をカセットテープに取って聴くのが普通のことだったので)こちらが彼のアルバムの売れ行きが落ちるんじゃないかと心配したりもした。
民放FMでは、「サンデーソングブック」という彼のお化け番組がある。ちょうど今月7日が番組放送開始20周年! 一人のアーティストが20年も番組を続けるなんて、他には絶対にない。

そして、つい最近、3枚組み(正確には初回限定版にはボーナスディスクが付いているので4枚組み)のベストアルバムが発売された。そのジャケットがタイトル画像。
彼のアルバムジャケットのデザインは、一貫性はないもののどれも凝っていた。アルバム「FOR YOU」の鈴木英人のイラストも懐かしい。



それが今回のジャケットと来たら・・・・・「ああ、ついにここまで来たか」てのが私の率直な感想。明らかに万人受け狙いのイラスト。ま、ベスト盤だし、多くの人に受け入れられているのも事実なのでそれでいいと言えばいいのだが・・・、それにしてもね。

このベストアルバム、もちろん買ったと言いたいところだが、買ってはいない。私は彼のに限らずベストアルバムと言うものが好きじゃない。いくら好きなアーティストだからといって、既に持っている曲を二重に買う必要を感じないからだ。比較的古い曲が中心だが、彼の多くの曲が既に私のiTunesに入っている。日本人アーティストで一番多いのは彼か小野リサだと思う。

私が車で移動するときはカセットアダプターを介してiPodを繋ぎ、ランダム再生で好きな曲を流している。もちろん山下達郎の曲も多い。ただ、それは私だけが車に乗っているとき。娘達が乗るときは、遠慮なく、断りも無く、曲の途中だろうが、私のiPodのケーブルを引き抜き自分達のiPodに繋ぎ替える。そしてジャニーズのヘビーローテーション。私には耳にタコ。
しかし、山下達郎はそのジャニーズとも無縁ではない。キンキキッズのデビュー曲「ガラスの少年」は彼の作品である。そして彼が歌う「ガラスの少年」が今回のアルバムのボーナス盤に収録されている。

先程、ベストアルバムは買わないと言ったが、(大きな声では言えないが)録音はした。実は娘が友達から(正確に言うと、友達のお母さんから)借りてきたのだ。(そのお母さんと友達になりたい)
車の中で彼の曲が流れると「また山下達郎」などとしか言わない娘だが、テレビ番組の主題歌になった曲が気になるらしい。持つべきものは娘か?

話はラジオの深夜放送に戻る。このベストアルバムのテレビCMをご覧になっただろうか? 鶴瓶が山下達郎に電話をかけるバージョンがある。最初にこの二人の取り合わせに驚いたが、何と二人の最初の出会いは、9月2日のブログ「山平和彦」でも触れたミッドナイト東海。山下達郎が初めての地方プロモーションで全国を回り、ミッドナイト東海に出演して意気投合して以来の付き合いだと言う。そういえば二人は同世代か。
残念ながらこのときの放送は聞き逃したんだと思う。聞いていればはっきりと覚えているはずだ。

CMは・・・・ ココ で見られます。
Posted at 2012/10/05 00:14:20 | コメント(4) | トラックバック(0) | 音楽 | 日記
2012年09月02日 イイね!

山平和彦

山平和彦巨大ショッピングセンターにはオジサンの居場所が無いってことは以前にも書いた。巨大ショッピングセンターに行くのは家族の足として仕方なく行くだけ。着けば、女房や娘達とは別行動で本屋に向かうことが多いが、それもせいぜい30分が限界。気に入った本があればそれを買って店内のベンチに座って読むか、車に戻って昼寝が定番。しかし、奴らはさしたる目的も無く、よくもまあ何時間も店内を回遊できるものだと毎回感心する。
この日もいつものように本屋へ。店内をうろついていると、一冊の本の背表紙の文字が目に飛び込んできた。「放送禁止歌手 山平和彦の生涯」。



懐かしい・・・。山平和彦の名を覚えているのは、この地方の私と同世代の人に限られるだろう。そんなマイナーな人物を取り上げた本があること自体にまず驚いたが、その装丁が立派なことが違和感を増幅させた。ちゃんとしたハードカバーの2400円もする本だった。
こんな本があるんだ・・・。本のタイトルが「放送禁止歌手 山平和彦」だけなら、手にも取らずに書架の前を通り過ぎたと思う。
「の生涯」の部分が私の手を伸ばさせた。もしかして・・・という思いでパラパラとページをめくり、内容を拾い読みした。

えっ! 2004年10月12日にひき逃げ事故で死去!?

それを知ったとき、私は確かに感じた。”喪失感”を。そんなはずはない、私にとってそんな人じゃなかったはずだ、山平和彦なんて。

私の中学・高校時代はフォーク全盛期で、私はフォークが大嫌いだったが、聞くものがそれしかなかったから仕方なく聞いていたってことも以前に書いた。山平和彦は、ある意味で私が大嫌いなフォークの象徴だった。

中学に進学して、ラジオの深夜放送を聴くようになり、友人とよくその話で盛り上がった。この時代の、この地方の若者向けの深夜放送と言えば、東海ラジオの「ミッドナイト東海」かCBCの「オールナイトニッポン」。
「オールナイトニッポン」はもちろん東京のキー局からのネットだが、「ミッドナイト東海」は地元の東海ラジオ製作の番組。このブログを書くために調べていて分かったのが、本来の系列関係であれば東海ラジオが「オールナイトニッポン」をネットすべきところだったが、東海ラジオが始めた深夜放送「ミッドナイト東海」が人気を博し、キー局の番組をネットする必要がなかった。そこでCBCがそれを引き受けたということらしい。つまり系列のねじれが起きていた。

「ミッドナイト東海」は、1968年3月にアマチン・リコタン・レオの3人のパーソナリティーで放送が始まった。この内のレオは、あの森本レオである。先輩達はこの3人の放送を聞いていたようだが、私が聴き始めた頃には3人ともいなかった。私が中学2年の年の10月からパーソナリティーとして加わったのが山平和彦だった。

今も「山平和彦って誰?」だと思うが、当時もそうだった。少なくとも全国区のフォーク歌手ではなかった。
山平和彦のミッドナイト東海が始まると、確かに少なくともこの地方では彼の人気は高まったと思う。だが、彼の番組が終わるまで、ついに彼の全国的なヒット曲は生まれなかった。いや、この地方に限定しても、せいぜい中ヒットどまりだったのではないだろうか。

彼のパーソナリティーへの抜擢の理由は、72年に出した「放送禁止歌」の話題性だったと思う。下に晩年の彼本人が歌う「放送禁止歌」の動画を貼っておくが、四文字熟語を並べただけのどうってことない曲である。挑戦的だったことがいけなかったらしい。タイトル通り、放送禁止になってしまう。同年に同タイトルのアルバムが出るが、これも、収録された「月経」と「大島節」の2曲がわいせつとされアルバムの回収が命じられる。
私はこの「放送禁止歌」も「月経」も「大島節」も番組の中で聞いたような覚えがあるのだが、記憶違いかも知れない。
「月経」は、ナチの収容所に囚われた女性が、極限の状況にあっても月に一度は血を流す自分の股間を見て”生命の重さを知る”というモチーフの野田寿々子作の現代詩に曲を付けたもので、「大島節」は春歌的な民謡がルーツであるが、どちらも性表現に挑戦しようとしたものではない。ま、当時は社会がそんな規範を持っていたってことだ。

こんなことからも分かると思うが、彼の番組の内容も決して明るくは無かった。私はフォークの何が嫌いかって、その辛気臭さ、侘しさだ。こっちは勉強の合間の息抜きとか、眠気覚ましを目的に聞いているのに、どうして暗くならなきゃいけないの? 今回、久し振りに(?)「放送禁止歌」を聴いたわけだが、それはやはり紛れも無く、私の嫌いなフォークだった。
でも、彼の死に喪失感を感じたのも事実。大げさな言い方だが、彼を当時の私の伴走者として感じていたのだと思う。それを彼が死んだ後、今頃になって気付いたってことだ。

本書を読んで初めて知ったことがいくつかあったが、その中でも驚いたのが、ミッドナイト東海をやっていた頃の彼が、岐阜の、それも私が毎日通勤で乗っているバス通りに面したところに住んでいたこと。今になって彼との縁が浅くないような気がしているのは皮肉なものだ。

この本は、フォークの歴史を簡潔にまとめていて資料的な価値もある。興味があるかたは是非。

フジテレビの深夜番組として放送された、「放送禁止歌」~唄っているのは誰? 規制するのは誰?~ 
番組制作はあの森達也。幸いなことにほぼ全編を見ることができます。(3)に山平が出てきます。

(1)


(2)


(3)


(4)


(5)


(6)
Posted at 2012/09/02 17:58:10 | コメント(4) | トラックバック(0) | 音楽 | 日記
2011年08月07日 イイね!

My Cherie Amour

Alfaは一休み。

タイトルの My Cherie Amour 、大好きな曲です。私の中でスティービーの曲で1,2位を争いますね。ソウル臭の抜けた甘くておしゃれな曲です。You Tube で集めてみました。

他のサイトによると、

スティーヴィー・ワンダー、ヘンリー・コスビー、シルヴィア・モイの共作曲。
スティーヴィー・ワンダーが19歳の1969年のアルバム『マイ・シェリー・アモール』に収録。
最初、シングル「アイ・ドント・ノウ・ホワイ」のB面の曲として発表されながら、ラジオへのリクエストが殺到して、全米ポップ・チャート、ソウル・チャートともに4位にまで昇る大ヒットになりました。


分かりやすい歌詞で、単純なことを歌っています。普通の片思い。
特に夏の曲というわけでもないと思いますが。

"My Cherie Amour Lovely As a Summer Day" の歌詞から強引に夏の曲ってことにしましょう。
でも、この曲の暖かさは春? ま、いいや。

まずはオリジナル、スティービー・ワンダー。画像が動かないのが残念。でも音はいい。
しかし、スティービー、若い。そして痩せてる。今とは大違い。



続いて、スティービーの2008年のロンドンライブ。シンプルな歌詞なので、会場の全員が口ずさんでいます。カップルが甘い雰囲気に浸って踊っています。こんなコンサートに誰かと行ってみたい(誰か≠同居人)。



日本人女性アーティストのカバーを二人連続で。
まずは、日本のボサノバシンガーと言えばこの人、小野リサ。軽い歌い方がいい。画像が小刻みに動くのは我慢してください。いつも聞いてるのより、ちょっとテンポが速いような気がしますが、気のせいかな?



検索してて初めて知ったプレイヤーですが、これはイイ! 市原ひかり。楽器はフリューゲル・ホルン。こんな女性がいたんだ! スムースな演奏がいい。バックのアコースティックギターも曲のかわいらしさを演出してて、これもいい。拾い物でした。



ジャクソン5などのカバーもありましたが、同じ黒人のこんなのはどう? Tony Thompson。オリジナルよりR&B風? バックコーラスがいいね。



最後はこの人。 ロッド・スチュアート! 渋いぜ。とろける。



お暇な方は、全部聞いてね。







Posted at 2011/08/07 23:41:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 音楽 | 日記

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何シテル?   08/06 21:31
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