
facebook、2004年にできたばかりなのに、ユーザー数が今や5億人に達する世界最大のSNS。
その誕生過程を映画にと聞いて次々と疑問が浮かんできました。
まだ最近の出来事なのにもう映画? 鑑賞に堪えるストーリーになるの? ちょうちん映画じゃないの? え、アカデミー賞にノミネート?
私なりの結論としては、面白い映画でした。決して普及促進のための宣伝映画ではありません。
この映画、いろんな見方があるとは思いますが、アメリカが階級社会であることを知る上でとても良い教材だと思います。
というのも、「
人間関係をデジタル化する――ソーシャルグラフから始まるFacebookの戦略」を観る前に読んだから。
日本のSNSユーザーは日々の出来事を共有する仲間意識が強いようにみえるが、米国の社交サイトとしてのSNSはそれとは趣が異なる。社交は、よりパブリックで外向きの顔で行う交流である。Facebookを理解するには、米国の階級社会と社交という文脈を考えなければならないだろう。
アメリカの大学、それもハーバードとなるとクラブに入るだけで大変なことらしい。その中でもボート部などは名門中の名門らしくて、運動能力が秀でているだけでは入れないようです。家柄、資産、人種など、その人物の全ての属性が条件を満たしていないと入れてもらえない。
ボート部主催のパーティーなど、部員とお近づきになりたい美女がバスでやってくる。ボート部員は選り取り見取りの、もう入れ食い状態。
主人公のマーク・ザッカーバーグは、そんなボート部の双子のマッチョなイケ面に、そのプログラミングの腕を買われて、よりいい女をより広い範囲から吊り上げるためのSNSの立ち上げを依頼されます。
それは、彼らの仲間と彼らが求める女性だけの閉鎖的で排他的なSNS。主人公は彼らが急かすのを無視して、それ以上のものを作り上げます。それがfacebookの基礎。
映画はfacebookの拡大過程と、この双子が自分達のアイデアを主人公が盗んだとして起こした裁判の二元生中継風に展開していきます。
主人公もハーバード大生。しかも天才的なプログラマー。それだけでも十分にエリートだと思いますが、ボート部員から見れば下々の者。双子にクラブハウスに呼び寄せられますが、自転車置き場より先に入ることは許されません。
主人公だって階級的な価値観の中の人。恋人をコロンビア大生だと見下し、彼女の母親がドイツ系だからと非難します。
しかし、日本ではイマイチとは言え(昨年10月13日時点で国内の登録者数は159万人。これでもみんカラよりは多いですけどね)、5億人ものユーザー数に成長させたのは、より広い範囲にこれを広げようと言う主人公の意思。それは結果的に階級的な考えを捨てたからかも知れません。ただ、映画の中で主人公の階級意識の変化が描かれているとは思えませんが。
私、mixiもやっているという話はしたような気がしますが、この映画を観ると日本のSNSとアメリカのSNSの根本的な違いにも気づきます。facebookは実名登録が基本なんです。写真も本人の写真をそのまま載せるのが基本。
そう、上で述べたようにfacebookのスタートは出会い系なんです。
facebookについて書くからにはと、試しに登録だけしてみました。するとプロフィールに面白い登録項目があるんですよ。
恋愛対象 男性/女性
宗教・信仰
交際ステータス 独身/交際中/婚約中/既婚/複雑な関係/オープンな関係/配偶者と死別/別居/離婚
これらの登録項目はもちろん何も書かずにskipすることもできますが、日本のSNSじゃ絶対に考えられない項目でしょ。日本でfacebookがイマイチな理由はこれで分かりますね。おそらく日本人が世界で一番個人情報保護にうるさい国民なんじゃないでしょうか。
SNSでも日本はガラパゴスなのかも?
Posted at 2011/01/28 01:49:57 | |
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