
Scale Aviation に戻ります。
記事を読んでるとあの紛争のいろんなことに改めて驚きますね。
フォークランド紛争は、イギリスにとってはもちろんですが、アルゼンチンにとっても距離との戦いでもありました。アルゼンチン本土を飛び立ったアルゼンチンの戦闘機にとってフォークランド諸島は航続距離から言ってギリギリの位置。戦闘時間はわずか5分程度しかなかったそうです。つまりフォークランド諸島内の空港をアルゼンチンに抑えられてしまうとイギリスにとっては大きな痛手。

アブロ・ヴァルカン爆撃機

ヴィクター空中給油機(爆撃機から改造した給油機)
そこでフォークランド諸島から7500km離れたアセンション島(ブラジルとアフリカ大陸の中間あたりにある島。これもイギリス領)からヴァルカン爆撃機を向かわせるのですが、これがもう大変な作業で、爆撃機1機を送り込むために実に15機の空中給油機が用意され、ヴァルカン爆撃機は往路に5~7回の給油を受け、復路にも1回の給油を受けて帰投するという作戦でした。往路では給油機に給油する給油機が用意されると言う、もうパズルみたいな複雑さ。その戦費を想像しただけで気が遠くなりそう。(図の赤いのが爆撃機で、青いのは空中給油機です)
この爆撃ではアメリカからシュライク対レーダーミサイルを入手して戦っていますし、イギリスの戦闘機で参戦したのはシーハリアー戦闘機だけでしたが、その戦果はこれもアメリカから急遽取り寄せたサイドワインダーAIM-9Lによるところが大きいようですね。何せAIM-9Lは全方位発射能力がありますから、わざわざ敵機の後ろに回りこむ必要がありませんからね。このおかげでシーハリアーは1機も落とされてません。

シーハリアー戦闘機
航空戦はイギリス軍に大した被害はありませんでしたが、海戦では双方に大きな被害が出ました。その海戦で一躍有名になったのがエグゾセミサイル(トビウオという意味)。アルゼンチン軍のシュペールエタンダールが発射したエグゾセはイギリス海軍の駆逐艦シェフィールドに命中し、撃沈。これが世界初の空対艦ミサイルによる大型艦撃沈となりました。
結局、イギリスは戦死者256名、アルゼンチンは746人の戦死者を出して、72日間の紛争は終結しました。イギリスは領有権を守ったわけですが、竹島、尖閣、北方4島の例を出すまでも無く、これでスッパリとアルゼンチンが諦めたわけではありません。今もブスブスと火種は残ったままです。
しかし、客観的に観てどう思います? 日本近海の領土問題のように双方の本国の間にある島じゃありませんよ。私にはどう見たってイギリスに無理があるように見えるんですが・・・・。香港やマカオの租借地も手放したことだし、フォークランドも見直す時期なんじゃないかと・・・余計なお世話かな?
Wikipediaに面白いことが書いてありました。アルゼンチンは、日本がソ連との間に北方領土問題を抱えているために、積極的にアルゼンチンを支援してくれるものと期待していたそうです。
戦争を指揮したアルゼンチンのガルチェリ大統領は、戦後二日目に失脚し、敗戦の責任を問われ懲役12年の刑に服しますが、恩赦により5年間で監獄生活を終えました。
ちゃんと最高責任者の敗戦の責任を追求し刑が執行されたことについては、どこかの国のあいまいな戦後と比べると私の目には健全に映るのですが。
Posted at 2012/10/23 00:11:31 | |
トラックバック(0) |
飛行機 | 日記