ちょっと大げさなタイトルですが、現在ある1/72のF-86Fのキットを網羅してご紹介しようと思います。
いつもは箱を開けて中のパーツのデキをご覧頂くだけですが、今回は珍しく完成品もございます。また、この度引退するスペースシャトルにまで話が繋がります。長くなりそうです。
史上初めてのジェット戦闘機同士の空中戦はどこで行われたかご存知でしょうか?
朝鮮半島上空です。そう、朝鮮戦争のときですね。朝鮮戦争が勃発すると、アメリカ軍を中心とする国連軍はジェット戦闘機を投入しますが、それらの戦闘機はソ連から供与された後退翼のジェット戦闘機MIG15(当初はパイロットもソ連軍兵士)に歯が立ちませんでした。そこでアメリカ軍があわてて投入したのが、当時最新鋭であったF-86戦闘機です。この投入によって、やっと国連軍は制空権で優位に立つことができました。
実はこのF-86とMIG15、敵同士意には違いありませんが、ある意味、兄弟のような戦闘機でした。
左がF-86F、右がMIG15です。
(どちらも私が作った1/72のキット)
大きさはF-86の方が二周りほど大きく見えますが、よく似た形であることはお分かりいただけると思います。両機ともその源はドイツにあるからです。
ドイツが敗戦すると、戦勝国は争うようにドイツの実験機や技術者を本国に持ち帰りました。ドイツは既に大戦中にジェットエンジンを実用化し戦線に投入。そして、「主翼に後退角をつけると、衝撃波の発生を遅らせることができ、高亜音速~遷音速領域での抵抗減少に役立つ。」という後退翼の効果についても知っていました。
アメリカのアポロ計画もドイツから連れ帰った、フォン・ブラウン博士がいなければ成しえなかった計画ですが、この辺の先進性はやはりドイツ。大戦中の研究がアメリカで形になったのがF-86であり、ソ連で形になったのがMIG15だったわけです。ドイツからみれば地球の裏側のような遠く離れた朝鮮半島上空で離れ離れの兄弟が敵同士になり再会したというわけです。
ここからがキットのご紹介。発売の順を追って、古いエレール(フランス)のキットから。
私が高校生の頃でしたから70年代だったと思いますが、円高が急速に進み、600円台だったこのキットが300円台に下がったのを記憶しています。それは当時、既に古すぎて誰も手を出さなくなったハセガワのF-86と同等かそれ以下の価格でした。
現在では、まず店頭にはないと思いますが、中古屋さんなら入手できると思います。ボックスアートは西ドイツ空軍の機体。アメリカ製のF-86をドイツが使う、これはある意味里帰りですね。
パネルラインは凸モールドで、全体的にやや細めの印象。脚のホイールのデキがいいと言われていましたが、主翼の後退角が強すぎるようです。
で、これが完成品。デカールの一部が欠け、余白は黄ばんでしまいました。F-86Fは主翼に小さな境界フェンスがある、6-3ウイングと呼ばれる主翼が特徴ですが、このキットではそれが再現されていません。と言っても薄いプラ板で簡単に付け足せるものですが。
お次はフジミのキット。
左がボックスアート、右が完成品。辰年の年賀状用に作ったキットで、脚を付けずに飛行状態で組みました。パネルラインは凹モールドで、よくできたキットです。
朝鮮戦争のF-86で最も派手な塗装でHUFFと呼ばれる有名な機体です。実機はこんなです。
次はアカデミー(韓国)のキット。
珍しく、後ろからの構図のボックスアート。全キットの中で、唯一機銃口が開いています。ま、ふさがっていても開けるのは簡単なことですが。また、新しいキットだけあって細部の精密感もなかなか。
最後は最新のエアフィックス(イギリス)のキット。
会社はイギリスですが、生産は東南アジアを飛び越えて、インド! リベット類の表現がなく、単調なパネルラインの表現ですが、とにかく安い! 私は1260円で買いましたが、国内メーカーではまず無理な価格設定でしょう。主翼にはF-86Fの特徴である、境界フェンスがモールドされています。
現在店頭で手に入る1/72のF-86Fはこんなもんでしょう。
ここからスペースシャトルに繋がるお話。
上のエレールのキットの機体はジョン・グレン海兵隊少佐の機体です。このグレンさん、空軍・海軍同士で優秀なパイロットを一時的に交換する「人材交流」でF-86Fに乗り、3機を撃墜していくつかの勲章を授与されました。
その後のこの人の人生はまさにアメリカ映画を見てるような人生(実際に映画になってるんですが)。
1958年にソ連に対抗する為行なわれた米国初の宇宙計画「マーキュリー計画」の一員として参加。元々、トークがうまく、TVにも朝鮮戦争のエースとして度々呼ばれ、そのキャラクターを披露し、マーキュリー計画でもインタビューに率先し答え、7人の通称「ライト・スタッフ」(後に1983年に同タイトルで映画化)の中でリーダー的なキャラでした。
1964年、実業家になり、1977年にはオハイオ州代表の上院議員となり、1984年には民主党大統領予備選挙にも立候補しましたが、「宇宙計画で得た人気を悪用している」と批判され敗退しています。
1998年には77歳という高齢にも関わらずスペースシャトルに搭乗し9日間宇宙に滞在。高齢者の宇宙旅行の可能性を証明して見せました。
その時のシャトルのクルー。右端がグレン。中央は向井千秋。
グレンさん、ご存命のようです。
老いても華やかな人生、あやかりたい。
Posted at 2011/07/17 04:08:04 | |
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