二週連続で映画を(もちろん、映画館で)観ました。図らずも2本とも実話を元にしたストーリー。観たのは名古屋・伏見のミリオン座。知ってる人は知ってるでしょうが、決して大きな映画館ではありません。(どうでもいいことですが、基本的に私は映画は一人で観ます) 今回はそれについて。
まず先週観たのは、作品賞をはじめ、3部門でアカデミー賞を受賞した「それでも夜は明ける」。原題は 12 years a slave 。訳すなら「奴隷として12年」てところでしょうか。
舞台は1841年のアメリカ。主人公のソロモン・ノーサップは、バイオリン奏者として楽団で働き、自由黒人として、妻と子供に囲まれて普通に家庭を持ち、白人が経営する店で普通に買い物もできます。ところが、1841年と言えば、南北戦争が始まる20年も前のこと。私達は(少なくとも私は)、奴隷解放宣言前のアメリカの黒人は例外なく奴隷かと思っていましたが、北部と南部ではかなり事情が異なっていたようですね。
そんなソロモンを、白人の二人組が言葉巧みにだまして南部に売り飛ばしてしまいます。それから12年間、彼は南部の農園で奴隷として、時には鞭打たれ、時には首に縄をかけられ、目立たないように読み書きができるのを隠しながら、何とか生き延びます。
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流れ大工(ブラッド・ピットがチョイ役で演じる)が彼の事を、北部で彼の事を知る白人に伝えてくれて、やっと彼は救われます。
映画としてはそこで終わりですが、エンドロールの前に字幕で後日談の説明があり、ソロモンはその後、黒人解放活動に身を投じ、彼をだまして売り飛ばした白人を相手に裁判も起こしますが、まだまだ差別の残る裁判では結局勝てなかったようです。そして不気味なのは、ソロモンがいつ・どこで死んだのかが全く不明なこと。
北部から南部に売られた黒人は大勢いたようですが、その中で生還した者はごくわずかだったようです。
そして昨日観たのが「あなたを抱きしめる日まで」。タイトル画像はそのポスター。この映画については「それでも夜は明ける」を観たときにもらったパンフレットで初めて知ったような次第。しかし、心に沁みるいい映画でした。
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「それでも夜は明ける」はリアルな表現(PG-12指定)に見所はあるものの、ストーリーの展開に大きな意外性はありません。ところが、この映画はストーリー展開の意外性が命のような映画です。
これからこの映画を観る可能性が少しでもある方は、この先は読まれないことを強くお勧めします。
主人公、フェロミナは娘に50年前の秘密を打ち明けます。
「今日はあの子の50歳の誕生日なの。」
フェロミナがまだ10代の頃、お祭りの晩、一夜の過ちで妊娠してしまい、怒った父親は彼女を修道院に預けてしまいます(事実上の勘当)。彼女は修道院で酷使されながら、やがて男の子を出産し、アンソニーと名付けます。修道院には同じような境遇の女性が大勢いて、子供も大勢いますがわが子に会えるのは一日1時間だけ。アンソニーが3歳になったある日、アンソニーはフェロミナの承諾なしに養子に出されてしまいます。
50年前の秘密を打ち明けられた娘は、あるパーティーで合った落ち目のジャーナリスト(マーティン・シックススミス)に、アンソニーを捜してくれるように頼みます。マーティンはフェロミナとアイルランドにある、かつてフェロミナが暮らした修道院を訪ねます。その時に調達した車がこれ。
我愛車でもあるBMW E39(前期型ではありますが、上の予告編にも出てるでしょ)。画像は映画のパンフからのものです。実はこれもこの映画を観る気になった理由の一つ。フェロミナは、マーティンが借りてきたこの車をLovelyと評しています。
修道院は大火にあって当時の記録は何も残っていないと冷たい反応。ところがフェロミナが修道院を出るときに書いた、子供に関する権利は全て放棄し、子供は捜さないとした宣誓書だけは残っていて、マーティンは不信感を抱きます。
修道院の近くのパブで飲んでいると、修道院が大火にあって記録が焼けたと言うのは嘘で、実際はシスターが当時の記録を焼いただけで、しかも修道院はアメリカの富豪に一人1000ポンドで子供を売っていたという事実を聞かされます。
マーティンはジャーナリスト時代のつてを頼ってアンソニーを捜すために、フェロミナと共にアメリカに渡ります。
調べて行くうちに、アンソニーはマイケル・ヘスと名を変え、レーガン政権やブッシュ政権の法律顧問として政府中枢で活躍していたエリートに出世していたことが分かります。ところが、ネットで検索している内に、既に彼が8年前に亡くなっている事実に突き当ります。泣き崩れるフェロミナ。
この映画はこれで終わり?・・・かと私も観てて思いました。いえいえ、ここからがこの映画の山場。それにしてもここら辺りからフィクション臭くなってくるでしょ。でもこれが事実だってんだから。
改めて言いますが、ここまで読んで、この映画に興味を持った方、この先は読まない方がいいですよ。
息子の死を知り、帰国を考えるフェロミナでしたが、出版社に粘るように指示されたマーティンになだめられ、フェロミナも気が変わり、アンソニーを知る人々に会ってみようということに。息子が既に死んでいることを知ったフェロミナの関心は、生前のアンソニーがアイルランドの話をしていたかどうか、つまり少しでも自分を慕う気持ちが残っていたかどうかに絞られてきます。
何人かの知り合いに会う内に、アンソニーがゲイであり、死因はエイズであることも分かって来ますが、フェロミナはそれを素直に受け止めます。ところが知り合いの誰もがアンソニーからアイルランドの話は聞いたことがないと言うばかり。
失意の内に、再び帰国を決意するフェロミナでしたが、マーティンが生前のアンソニーの写真を見て、胸にケルティックハープのバッジを付けていることに気づき、彼が生まれ故郷であるアイルランドを忘れていなかったことを確信します。
最後にアンソニーの恋人(もちろん男)に会おうとしますが、なかなか連絡が取れず、マーティンはアポなしで訪問することを決意し、彼の家を訪ねます。予想通りマーティンは門前払い。ところが母親であるフェロミナが彼の心を動かし、家に招き入れられます。そこで生前のアンソニーの写真や動画を見せてもらっていると、スクリーンには何とあのアイルランドの修道院を訪ねるアンソニーの姿が! 額には既にエイズの症状が現れています。恋人の話では、母親を探しに何度もアイルランドを訪ねたとのこと。修道院からは母親はアンソニーを捨てたとしか説明を受けていないとも・・・。そして、アンソニーは養父母の反対を押し切ってその修道院の墓地に埋葬されたことを聞かされます。
イギリスに帰国したマーティンとフェロミナは修道院を訪ね、当時を知る唯一の生き残りであるシスター・ヒルデガードに面会しようとしますが、会わせてもらえません。気持ちが納まらないマーティンは修道院の中を勝手に捜しまわってシスター・ヒルデガードを見つけ出し、どうして二人を会わせなかったのか詰問しますが、彼女は「それは過ちを犯した者の罰。禁欲のみが神に近づく道。」とまったく動じません。騒ぎを聞きつけたフェロミナもその場に駆けつけますが、フェロミナはマーティンにもうやめてくれと頼みます。マーティンがフェロミナに「じゃ、何もしないのか?」と聞き返すと、彼女はシスター・ヒルデガードに向き直って静かにこう言います。
「私はあなたを赦します。」
息子の行方の手掛かりを探すために何度も訪れた修道院、実は息子もそこを何度も訪ね、しかもそこに埋葬されていた。こんな皮肉なオチが実話なんです。息子を思う母親、母親を思う息子。互いを思う気持ちが数十年も続いていたことが胸を打ちます。
そして、二人の思いの接点であるはずの修道院が、二人の再会を妨害していたという事実。特にアンソニーが最後に修道院を訪れたときには、余命いくばくもないことが分かっていたはずなのに。
事実であるとは言え、この映画はカトリック教会にケンカを売ったと解釈され、監督は弁明に追われているようです。実は映画の前半でマーティンが、"Fuckin' Catholic" と吐き捨てる場面もあって、信者であるはずのない私までこんなセリフ大丈夫か?とハラハラする場面も。
実は最初にご紹介した「それでも夜は明ける」にも宗教的な場面はあります。
安息日には農園主が使用人の白人や奴隷の黒人を前に、聖書を手にして説教を垂れる場面が何度かあります。奴隷を鞭打ち、服従させる農園主から発せられるその言葉の白々しいこと。それでも奴隷たちも白人と同じ神を信仰してはいるのですが。
期せずして実話に基づく映画を2本連続して観たわけですが、実話であること以外にも、キリスト教に対する疑いの視点で共通したものを感じた2本でした。
Posted at 2014/03/21 20:00:48 | |
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