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成田のオッサンのブログ一覧

2016年01月24日 イイね!

カマキン

カマキンカマキンと聞いてすぐに何のことかわかる人はまれでしょうね。
オカマの金○とちゃいますよ。(すみません、品のないオヤジギャグで)

カマキンとは鎌倉近代美術館。

以前から一度行ってみたいと思ってはいたものの、ま、その内行けばいいわと悠長に構えていましたが、どうしても今月中に行かなければいけないことになってしまいました。なんと今月で閉館。
鎌倉近代美術館は鶴岡八幡宮の境内の中にあり、敷地は期限付きの借地で、今月いっぱいがその期限とのこと。現在のところ、解体はされないとのことですが、もう一般の人が気軽に中に入ることはできなくなると思われます。
設計は私が生まれ育った羽島市出身の坂倉準三。鎌倉近代美術館は彼の代表作であり、出世作です。この地方の人は羽島に千代菊と言う酒造メーカーがあるのをご存知だと思います。坂倉は1901年にその蔵元の四男として生まれました。私の高校の遠い先輩でもあります。

フランスに、20世紀最大の建築家ル・コルビジェという建築家がいました。このル・コルビジェに弟子入りした日本人が3人いました。丹下健三(代々木体育館や新旧都庁等が代表作)、前川國男(京都会館、東京文化会館等が代表作)、そして坂倉準三。
この内、前川國男だけは学生時代に講演を聞いたことがあります。

鎌倉近代美術館はもちろん坂倉準三の代表作の一つですが、他にも1937年パリ万博日本館を始めとして、東京なら新宿西口、小田急百貨店本店、名古屋だと名古屋近鉄ビル、岐阜市内だと岐阜市民会館、そして故郷である羽島市内にも市役所を始めとしていくつかの建物があります。


(人様のHPからいただいてきました)

この羽島市役所には忘れられない思い出があります。保育園から小学校卒業まで、毎年、ゴールデンウィーク中にこの羽島市役所の写生大会が催され、貴重な祭日がそれで潰されたからです。提出した絵が後日審査され、入賞作が選ばれ表彰されたりしたわけですが、幼少の頃より絵がうまかった私は、一度も入選を逃したことがありませんでした(エヘン)。
しかし、毎年描いていて、毎年思っていました。「なんでこの建物は変テコな形をしてるんだ。真四角なら描きやすいのに。」と。
ところが、大学に進学してある日図書館で「世界の建築」と題した本を手に取ってページをめくるとこの羽島市役所が載ってるじゃありませんか! 「世界の建築」ですよ! やがて授業を受け、ル・コルビジェなども知るようになって振り返ると、日本のモダニズムが地方にも広がって行く時期の象徴的な建物であると、その価値が分かるようになってきます。

そんな坂倉準三の出世作、見れなくなるのが分かっていて見ないわけには行きません。(前振りが長いなぁ)

3連休の中日、11日に家族と見に行ってきました。当日はいいお天気でした。



由比パーキングエリアから見た富士。これを期待して新東名は選ばずに東名で。
10年ほど前に鎌倉に行った時、高速を降りて茅ヶ崎辺りでスピード違反で捕まっているので、今回はスピードを控えるつもりでいたんですが、かなりの部分で渋滞していてその必要もありませんでした。
鶴岡八幡宮に着いたものの、あたりは参拝客で込み合い、渋滞も激しい。やっとことで駐車場の空きをみつけて駐車。我が家は初詣にも行っていないし、せっかく鶴岡八幡宮に来たんだからと、まずは参拝。ところが、これもすごい人出。







階段に登る人を区切って調整しなければいけないほどの混雑。

参拝を済ませて、やっと美術館へ。



ところがここも長い列。今月いっぱいで見納めと言うことで、こちらも込み合っていました。上の写真は入場を待っている間に退屈しのぎに撮ったベビーカーの孫。

そしてやっと入館。



1階からではなく、まず2階に上げて入館させるという手法です。



鎌倉近代美術館と言えばこのアングルの写真が最も代表的と言えるでしょうか。池に張り出した2階を池に置いた石に鉄骨を建てて支えています。この鉄骨が細い。今、設計しなおしたら、とてもこの細さでは済まないでしょうね。でも美しい。



その柱を見上げる。何ともシンプルな納まり。鉄骨の耐火被覆もなし。



中庭。中央やや左の白い靴跡にご注目。




この靴跡、実は1955年にル・コルビジェが日本を訪れ、坂倉が彼を案内したときに撮られた上の写真の二人の立ち位置を示したものでした。それを知った娘どもが・・・



なんて恐れ多い・・・。

現在、鎌倉近代美術館は自らの歴史を振り返る展覧会を催しています。展示品にはこんなものも。



「窓外の化粧」。私は確か以前にもどこかでこの作品を見ていますが、美術の教科書にも載っていた作品に出合えたりして、こじんまりとした美術館ですが、近代美術に的を絞っていることもあり、展示作品も見ごたえがありました。

今の一般の人の目で見ちゃうと、小さくて安普請の美術館にしか見えないでしょうね。戦後の建築物ではありますが、その価値は建築歴史の中で位置づけられる存在としての価値だと思います。

期待を上回るような建物だったかと聞かれると「う~ん」と唸ることになりますが、これを見ておけたことで、義務を果たしたような、一つ胸のつかえが取た気持ちです。

Posted at 2016/01/24 01:47:56 | コメント(5) | トラックバック(0) | 建築 | 日記
2016年01月13日 イイね!

「杉原千畝」を観てきました

「杉原千畝」を観てきました映画「杉原千畝」を観てきました。

杉原千畝は岐阜県出身。それだけでなく、10年近く前のことですが、仕事で一度だけですが、杉原千畝のお孫さんにお会いしたこともあり(まあ、孫と言っても私よりかなり年長のお爺さんでしたが)、薄っすらとですが縁のようなものも感じていますから、この映画は見逃せません。
案の定、映画館はガラガラに空いてました。



この映画は杉原千畝を単に人道的な行為をなした外交官としてだけ描こうとするものではありません。一人の情報収集能力に長けた、intelligence officer として描こうとしています。実際にドイツが独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻する兆候を早くから掴み、外務省に情報を上げていたようです。

そしてこの映画は私のいろんな思い込みを解いてくれました。
杉原千畝がビザを発行して多くのユダヤ人の命を救ったという、彼の行為の概要は知っているものの、何となく、大戦中のドイツでユダヤ人にビザを発行したものと思い込んでいました。実際には、彼はリトアニアの副領事で、ドイツに侵攻されたポーランドからリトアニアに逃れたユダヤ人を救ったんですね。そして日本行きのビザを発給してもらったユダヤ人達は、開戦前の日本の敦賀港に着くんですね。私は、戦争中の日本にたどり着いたとばかり思っていましたが、そうじゃなかった。
もう一つは、杉原に直接関係のあることではありませんが、ベルリン空襲について。イギリスや後に参戦するアメリカによって大規模なベルリン空襲があったことはもちろん承知していますが、それは大戦も末期のことだと思い込んでました。それが実は早くもドイツがポーランドに侵攻した翌年の1940年に始まっていたんですね。これは日本が真珠湾攻撃を仕掛けるより前のこと。ドイツは開戦直後から結構やばかった。

日本人がプロデュースした、日本人監督の、全編国内撮影(つまりセット多用)の、日本人観客向けの映画だと勝手に決め込んで席に座りましたが、そうでもない。
プロデューサーは確かに日本人。だから日本の資本で撮った映画であることは間違いなさそう。でも監督はアメリカ人(母親は日系アメリカ人で監督は日本語も話せる。父親はアメリカ人)のチェリン・グラック。有名な作品としては「ブラック・レイン(あの松田優作主演の映画ね)」や「トランスフォーマ―」等で助監督を務め、「ローレライ」のUSユニット等の監督を経験した人。
驚いたのは全編がポーランドで撮影されたこと。そう、日本国内のシーンすらポーランドで! 向こうで日本家屋のセットを組んだんだそうです。ですからユダヤ人やドイツ兵役の役者は現地調達で、ポーランドでは有名な俳優が結構出てるようです。安っぽいセットで海外のシーンを見せられるのではと心配していましたが、その心配は消し飛びました。小型でハリボテっぽかったけど、ちゃんとキャタピラで動く戦車も登場します。

最初に映るタイトルの下にお約束の”Based on ture story”の文字が出ますが、盛り上げるためのフィクション臭い場面もありますね。
白人女性と杉原との不倫めいた場面だったり、ゲシュタポに追われてカーチェイスだとか、ホンマかいな?

ま、内容が内容だけに私も目頭が熱くなる場面が数度あり、少人数とは言え、近くの席からもすすり泣きが。それにエンドロールが終わる前に席を立ったのは2・3人だけ。単なる娯楽映画ではこうは行きません。

杉原千畝を You Tube で検索すると、トップは上に張り付けたこの映画の予告編ですが、他にこんなのも・・・。





何もユダヤ人を救うためにビザを発行したのは杉原千畝だけではないことや、決して外務省はビザの発給を拒んでいたわけではないことなど、興味深いことが語られています。実はこの映画でも外務省の杉原への指示はちょっと曖昧に描かれていて歯切れが悪い。実際に完全拒否でもなかったのかも知れません。そして杉原は戦後に外務省を追われるように辞めさせられたと言われていますが、戦後に業務が縮小した外務省は大幅なリストラを行い、その内の一人が杉原であっただけのことだったことなどもおそらくは事実なんでしょうね。しかし、満州国にユダヤ人国家を・・・なんてのはどこまで信じてよいやら。
上の二つのビデオ、語っていらっしゃるのは、おそらくは右の方々。映画もですがこちらも吟味して観ることですね。
Posted at 2016/01/13 23:05:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | 映画 | 日記
2016年01月03日 イイね!

岐阜大学病院ドクターヘリ

岐阜大学病院ドクターヘリ明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

12月30日に、実家の隣家のおばさん(85歳だったので、客観的にはお婆さんですが、私の父母と同世代で私の幼い頃から馴染みのある人ですので私にはおばさん)が亡くなり、元日からお通夜、二日は葬儀と、今までで一番「おめでとうございます。」を言わない正月でした。

それはさておき、今年一発目のブログネタですが、鳥さんも撮り溜めてはいますが、めぼしい成果もなく、こちらも撮り溜めてアップの機会をうかがっていたドクターヘリで行くことにします。紅白の機体でめでたくて正月にふさわしい・・・?

そもそも岐阜大学病院のドクターヘリを撮り始めるきっかけは、みん友のkumi1961さんから岐阜大学と岐阜大学病院の間を流れる新堀川にカワセミがいると教えてもらったこと。この川に面してドクターヘリのヘリポートがあり、カワセミのついでに撮り始めました。



なかなかカッコいい機体です。この機体の原型のBK-117は、当時の西ドイツMBB社(メッサーシュミット・ベルコウ・ブローム社:現ユーロコプタドイツ社)と川崎重工が高性能多用途双発ヘリコプタとして共同開発し、1982年国産ヘリコプタとして初の型式証明を取得したものです。しかも最終組立工場は地元の各務原市。
そんなことから、2011年4月1日付けの岐阜大学病院の広報誌「うぶね」にはこんなことが書いてあります。

運航が開始されたドクターヘリの機種は川崎重工岐阜工場で制作された(地産地消です!)BK-117型機です。


う~ん、ちょっと普通の地産地消とは意味が違うような気がするが・・・。

そしてある日、こんなものが我家の郵便受けに。



岐阜市内の家庭に配布されるフリーペーパー「こるも」の2014年10月1日号の表紙です。
フライトナースなんて職業があるんですね。しかもかわいい。ドクターヘリになんてお世話になりたくありませんが、この人にお世話になるなら・・・。
いや、大変なお仕事をされてるわけですから、不謹慎なことを考えちゃいけませんね。



上の写真、キャビンのアップですが、何かお気づきになりませんか? そう、JAXAのロゴがありますね。JAXAと言えばあのロケットを打ち上げてるところ。JAXAとドクターヘリに何の繋がりが?
JAXAのホームページで調べてみると、このドクターヘリは、JAXAの関連企業であるナビコムアビエーション株式会社が製品化した「災害救援航空機情報共有ネットワーク(D-NET)」に対応した搭載性向上型ヘリコプター動態管理システムによって運航されているようですね。これによってヘリの位置がPCやスマホでも確認でき、航空機による救援活動が効率的かつ安全に実施できるそうです。

もう一つの「GEMITS」のロゴも気になりますね。
これも調べてみると、「特定非営利活動法人 岐阜救急災害医療研究開発機構」のホームページに説明がありました。
GEMITS(ジェミッツ)とは、Global Emergency Medical supporting Intelligence Transport System の略で、県内6市の二次・三次医療機関8拠点を「GEMITSネットワーク」で連携し、患者情報を共有することで転送等緊急判断の迅速化・適正化を図ることができるそうです。これで患者のたらい回しなどもなくせるんでしょうね。
しかし、Gがglobalの頭文字とは恐れ入りました。今のところ岐阜のGレベルとしか思えませんが。ゆくゆくは世界中を相手にってことでしょうか?

エンジン部のロゴ「セントラルヘリコプターサービス」は、県営名古屋空港を拠点とする、ドクターヘリ、防災ヘリコプターの運航、整備事業、教育事業を展開する会社のようです。
ま、病院や自治体がパイロットやヘリを抱えるよりは、外部委託の方が何かと都合がいいでしょうね。



上の写真は、2014年8月に撮ったものですが、似ていますが更に上の機体とは機首の形が違います。おそらくはいつもの機体が定期整備点検か何かで使えず、その代替機ではないかと思われます。こんなことができるのも外部委託ならではでしょうね。

どうやら、岐阜大学病院ドクターヘリはいろんな新規開発システムのプラットフォームにされてるようですね。これで成果が上がれば他のドクターヘリにも広がって行くんでしょうか?

冒頭でカッコいい機体と言いましたが、塗装のデザインもそこそこ行けてるでしょうか? でも世界には同型機でこんな塗装もあります。



スイスの山岳救助隊。



フランスの憲兵隊。

こんなの見ちゃうとドクターヘリも一気にダサく見えちゃいますね。せめてDoctor Heli のロゴが何とかなんないかなぁ。あの佐野研二郎にでも頼んでみたらどうだろう?

ドクターヘリの写真を撮り続けている私のことを知ってか知らずか(知る訳ないと思うが)、ハセガワからこのヘリのキットが発売されました。



発売元はハセガワですが、製造はドイツのレベル社。そして生産国はポーランド。3機セットと言うか抱き合わせとのキットで4000円強。ボックスアートの3種の機体が作れます。岐阜大学病院の機体は一番下(BK-117C-2)のです。キットのできはちょっと微妙です。透明プラスチックは厚くて厚みも一定とは言えず、細部の表現もイマイチと言ったところ。
しかし、これ以外にこの機種のキットが出るとは思えず、1/72で岐阜大学病院の機体を再現したければ、これしかないでしょう。(1/32でもキットは発売されています)
キットには当然デカールも用意されていますが、岐阜大学病院の機体にしようとすると、機体番号が違うことの他に、上で触れたJAXAとGEMITSのロゴマークがキットには入っていません。そうなると自作と言うことになるわけですが、ちょうど自作を考えていた頃、mixiでお友達になった 青の6号 さんが作ってくださることになり、お願いしました。出来上がりがこちら↓。



実機のロゴの寸法を測るわけには行かないので、数段階の大きさで作ってもらいました。持つべきものは友ですねぇ。

さあ、これで準備はできた。あとは重い腰がいつ上がるかだな。

細部のクローズアップを含めた同機の写真をアルバムにまとめました。そちらもどうぞ。
Posted at 2016/01/03 23:31:26 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記

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「スポーク張替え後、塗装完了。」
何シテル?   08/06 21:31
昔、メルマガで漫画のコラムを書いてました。
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