
巨大ショッピングセンターにはオジサンの居場所が無いってことは以前にも書いた。巨大ショッピングセンターに行くのは家族の足として仕方なく行くだけ。着けば、女房や娘達とは別行動で本屋に向かうことが多いが、それもせいぜい30分が限界。気に入った本があればそれを買って店内のベンチに座って読むか、車に戻って昼寝が定番。しかし、奴らはさしたる目的も無く、よくもまあ何時間も店内を回遊できるものだと毎回感心する。
この日もいつものように本屋へ。店内をうろついていると、一冊の本の背表紙の文字が目に飛び込んできた。「放送禁止歌手 山平和彦の生涯」。
懐かしい・・・。山平和彦の名を覚えているのは、この地方の私と同世代の人に限られるだろう。そんなマイナーな人物を取り上げた本があること自体にまず驚いたが、その装丁が立派なことが違和感を増幅させた。ちゃんとしたハードカバーの2400円もする本だった。
こんな本があるんだ・・・。本のタイトルが「放送禁止歌手 山平和彦」だけなら、手にも取らずに書架の前を通り過ぎたと思う。
「の生涯」の部分が私の手を伸ばさせた。もしかして・・・という思いでパラパラとページをめくり、内容を拾い読みした。
えっ! 2004年10月12日にひき逃げ事故で死去!?
それを知ったとき、私は確かに感じた。”喪失感”を。そんなはずはない、私にとってそんな人じゃなかったはずだ、山平和彦なんて。
私の中学・高校時代はフォーク全盛期で、私はフォークが大嫌いだったが、聞くものがそれしかなかったから仕方なく聞いていたってことも以前に書いた。山平和彦は、ある意味で私が大嫌いなフォークの象徴だった。
中学に進学して、ラジオの深夜放送を聴くようになり、友人とよくその話で盛り上がった。この時代の、この地方の若者向けの深夜放送と言えば、東海ラジオの「ミッドナイト東海」かCBCの「オールナイトニッポン」。
「オールナイトニッポン」はもちろん東京のキー局からのネットだが、「ミッドナイト東海」は地元の東海ラジオ製作の番組。このブログを書くために調べていて分かったのが、本来の系列関係であれば東海ラジオが「オールナイトニッポン」をネットすべきところだったが、東海ラジオが始めた深夜放送「ミッドナイト東海」が人気を博し、キー局の番組をネットする必要がなかった。そこでCBCがそれを引き受けたということらしい。つまり系列のねじれが起きていた。
「ミッドナイト東海」は、1968年3月にアマチン・リコタン・レオの3人のパーソナリティーで放送が始まった。この内のレオは、あの森本レオである。先輩達はこの3人の放送を聞いていたようだが、私が聴き始めた頃には3人ともいなかった。私が中学2年の年の10月からパーソナリティーとして加わったのが山平和彦だった。
今も「山平和彦って誰?」だと思うが、当時もそうだった。少なくとも全国区のフォーク歌手ではなかった。
山平和彦のミッドナイト東海が始まると、確かに少なくともこの地方では彼の人気は高まったと思う。だが、彼の番組が終わるまで、ついに彼の全国的なヒット曲は生まれなかった。いや、この地方に限定しても、せいぜい中ヒットどまりだったのではないだろうか。
彼のパーソナリティーへの抜擢の理由は、72年に出した「放送禁止歌」の話題性だったと思う。下に晩年の彼本人が歌う「放送禁止歌」の動画を貼っておくが、四文字熟語を並べただけのどうってことない曲である。挑戦的だったことがいけなかったらしい。タイトル通り、放送禁止になってしまう。同年に同タイトルのアルバムが出るが、これも、収録された「月経」と「大島節」の2曲がわいせつとされアルバムの回収が命じられる。
私はこの「放送禁止歌」も「月経」も「大島節」も番組の中で聞いたような覚えがあるのだが、記憶違いかも知れない。
「月経」は、ナチの収容所に囚われた女性が、極限の状況にあっても月に一度は血を流す自分の股間を見て”生命の重さを知る”というモチーフの野田寿々子作の現代詩に曲を付けたもので、「大島節」は春歌的な民謡がルーツであるが、どちらも性表現に挑戦しようとしたものではない。ま、当時は社会がそんな規範を持っていたってことだ。
こんなことからも分かると思うが、彼の番組の内容も決して明るくは無かった。私はフォークの何が嫌いかって、その辛気臭さ、侘しさだ。こっちは勉強の合間の息抜きとか、眠気覚ましを目的に聞いているのに、どうして暗くならなきゃいけないの? 今回、久し振りに(?)「放送禁止歌」を聴いたわけだが、それはやはり紛れも無く、私の嫌いなフォークだった。
でも、彼の死に喪失感を感じたのも事実。大げさな言い方だが、彼を当時の私の伴走者として感じていたのだと思う。それを彼が死んだ後、今頃になって気付いたってことだ。
本書を読んで初めて知ったことがいくつかあったが、その中でも驚いたのが、ミッドナイト東海をやっていた頃の彼が、岐阜の、それも私が毎日通勤で乗っているバス通りに面したところに住んでいたこと。今になって彼との縁が浅くないような気がしているのは皮肉なものだ。
この本は、フォークの歴史を簡潔にまとめていて資料的な価値もある。興味があるかたは是非。
フジテレビの深夜番組として放送された
、「放送禁止歌」~唄っているのは誰? 規制するのは誰?~
番組制作はあの森達也。幸いなことにほぼ全編を見ることができます。(3)に山平が出てきます。
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Posted at 2012/09/02 17:58:10 | |
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