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成田のオッサンのブログ一覧

2025年08月30日 イイね!

本のスタジアム・・・石川県立図書館

本のスタジアム・・・石川県立図書館まだまだ暑い日が続きますね。

今回のブログ、前回の続きの一面もあります。

お盆休みを二日残してどうにか退院したものの、私としては入院で休みを潰された感が強く残り、何とかして敵(かたき)を取りたいという気持ちが納まりません。
そこで、退院したその日に金沢に行くことにしました。退院は午前9時半。一旦帰宅し、そこから車で金沢へ。まあ、岐阜市からだとまっすぐ北に向かえばそれほど遠くはありません。家族からは療養していなくて大丈夫かと形ばかりの心配をしてもらいましたが、まあ、排尿以外は健康ですから。

途中の高速道路のサービスエリアでの昼食も考えましたが、どこも混んでてメニューも変わり映えしない。で、帰省していた次女がスマホで金沢市内の飲食店を検索して向かったのが「福わ家(ふくはうち)」といううどん屋さん。



お抹茶から始まりデザートで締めるうどん定食。和風の落ち着いた店舗で、外国人客もちらほらいました。ちょいと高級な飲食店を見つけることにかけては次女の嗅覚は見事! そこだけは認めてもいい。
とにかく薄味の病院食に飽きてましたし、普通の味の食事をお腹いっぱい食べたかった。満たされました。

食事を済ませて向かったのは、谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館。



谷口吉郎、谷口吉生は親子で有名な建築家なんですが、ご存じの方はどれくらいいるのかな? 息子である谷口吉生は最近亡くなりました。因みにこの建物は谷口吉郎の生家の跡地に建っています。
現在は「谷口吉生の建築―静けさと豊かさの創造―」という名の企画展が開催中でこれと後でご紹介する石川県立図書館を合わせて見たかったんですよね。
谷口吉生について知ったのは土門拳記念館が竣工し(1958年)雑誌に載った時だったと思います。



ちょうど私が就職した年で私の感性も若いし、その静謐な姿に打たれたんですよね。写真家の土門拳の出身である山形県酒田市にあり、ここもいつかは訪れたいと考えています。
比較的新しくて近くの作品としては豊田市美術館があります。



豊田市美術館は地方美術館としては日本一との評判もある建物です。土門拳記念館と類似性がありますね。
国内だけでなく、ニューヨーク近代美術館の増築工事の設計も手掛けています。



谷口吉生の作風は落ち着きがあって好きなんですが、展示はあっさりしてて、まるで病院食。すぐに見終わってメインディッシュである石川県立図書館へ。



クルマを停めて見た外観。ちょっと変わってるかな程度。



駐車場から図書館に繋がる通路の屋根。ちゃんとデザインしてあります。





エントランス付近の外観。因みに立ってるのは次女。



エントランス。そこを抜けると・・・



図書館の既成概念を覆す、まるでスタジアム!



























ダイナミックさだけでなくて小技が効いた部分もあって・・・







書架に挟まった一人用のデスクやソファが散りばめられていたりする。落ち着けそう。



画像が小さくて見にくいですが、断面図。やはり地下に閉架の図書もあるんですね。



児童用の書籍のコーナー。遊び場のように作ってあります。

実は既存の図書館のような部分もあって・・・



四角い平面に楕円形のスタジアムが納まっているわけで、楕円の外側の空間はこんなことになります。

久し振りに建築物を見て興奮しました。一緒に行った、建築に全く興味のない女房も次女も喜んでいました。
機会があれば金沢観光のついでにお立ち寄りください。新しい図書館の形が見られます。

Posted at 2025/08/30 11:12:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | 建築 | 日記
2025年08月18日 イイね!

入院記

入院記お盆休み明けの朝の風はやはり真夏とは違いますね。日中は暑いことに変わりはありませんが、それでも少しずつ秋に近づいているってことなんでしょうね。

一部のみん友さんは事前にご承知の事かと思いますが、最近まで入院してました。当初は5日間の予定でしたが、延長されて結果的には11日間。お盆休みはほぼ入院で潰れました。手術を受けたわけですが、手術前には予想もしていなかった展開が待っており、現在も完治していません。
その入院期間をブログにして記録しておこうという試みですが、排泄とか排泄器官とか血尿とか、きれいとは言えない話が続きます。それでも構わないって方はお進みください。

私は40代くらいから尿路結石で度々苦しんでおり、定期健康診断でも腎臓に多くの結石があるとの指摘を毎年受けております。その上に前立腺肥大も患っており、頻尿気味でもあります。そのため、月に一度、近所の泌尿器科クリニックに通って薬を処方してもらっています。そこで、年に一度くらいは他の病気があると心配だからMRIを撮っておきましょうかと勧められ、撮ってもらったら、左の尿管に大きめの結石が降りてきていることが分かり、クリニックの医師から手術を勧められました。躊躇が無かったわけではありませんが、尿道に降りて来た時の苦しみが想像できるだけに、手術を受ける決心をしました。

手術は市内の大きな病院に入院して受けました。手術室に入るとベッドに横になり、背中を丸めて背骨の間に何本か麻酔の注射。下半身麻酔で術中も意識はありました。麻酔注射が終わると両足をそれぞれ台の上に乗せて足を開き、分娩台の妊婦のような恰好で、両足の間に医師が座ってこちらを向いて手術を行う形ですな。もちろん開腹手術ではありません。尿道から器具を挿入して行う手術です。
大きな病院と言っても岐阜の事ですから、大した設備もあるまいと思ってましたが、これをハイテクと言っていいいのかどうか分かりませんが、見たことも無い機械がベッドに覆いかぶさるようにあって驚きました。


医療機器メーカーのHPから

器具だけだとこんな感じ。

外科用C型アームと呼ばれているようです。

ベッド下の箱からX線が照射され、上の受像機で透過画像を得てそれをモニターでリアルタイムで見ながら手術を進めるようですね。3Dでも見られるようです。意外にハイテクでした。

で、手術中は、お腹に何か入ってる感じがするくらいのことで、特に痛みも感じることもなく、「こんなもんか」てな感じで終了。医師からは左の腎臓の結石も全て取ったと言われ、一安心。ただ、その意味はよく分かりませんでしたが、ステントを入れたかったが狭くて入れることができなかったと気になる一言も。
ベッドに寝かされたまま病室に移動してから初めて気づきました。自分が尿パックと繋がっていることを。尿パックの中は赤い血尿。そのパックからは私の寝巻の中に太いパイプが。この目で確かめようとは思いませんでしたが、これが私のムスコに差し込まれているのかと思うと・・・。そして腰にはオムツ。ま、仕方ありませんよね。下半身は麻酔で無感覚なんですから。
点滴に繋がれてはいるものの、その日は朝から寝るまで飲み物も食品も全く口にすることなく就寝。ところがアソコが痛いわけですよ。管が差し込まれているムスコの先端が。夜中に巡回に来た看護師にそれを訴えると、それなら座薬をということで入れてくれました。そしたら安眠。早く言ってよ。

翌日の昼過ぎだったでしょうか、やっとムスコに差し込まれた管を看護師に抜いてもらいました。その時、術後初めて自分のムスコの姿を直視したわけですが、我が身ながら哀れでしたね。麻酔は切れていますから抜くのも痛みが無いわけじゃありません。
それ以降は足の感覚も戻っていたので自分でトイレに行くこともできます。おしっこが出たらその都度教えて欲しいと看護師に言われて排尿後にナースコールで伝えると、下腹部を超音波で調べて残尿の量を測定します。それが2回連続で残尿0。つまり完全に排出されているということで術後は順調のようです。

ところが、その晩にそれがぬか喜びであったことを思い知ることになります。排尿を促すためにたくさん水分を取るように言われたこともあって、夜中に尿意を感じ、車輪付きの点滴スタンドを伴ってトイレに駆け込み、便座に座って力みますが一滴も出ない。一時的に尿意が紛れてベッドに戻りますがすぐにまた尿意が襲ってきます。それを何度も繰り返し、途切れない強い尿意を抱え下腹はパンパンに張っていますがそれをどうすることもできません。背中にはじっとりと冷や汗。決心して躊躇していたナースコールを押して状況を伝えます。やってきた看護師は管を挿入して導尿すると言います。
「え、それって医者じゃないとできないんじゃないの?」
「いえ、これは看護師でできる範囲ですからやります。」
手袋をした看護師が私のムスコを摘まみ上げて太い管を挿入。潤滑剤は塗るものの麻酔はありません。経験者で無いと分からないとは思いますが、これ痛いですよ。「イタイ、イタイ・・・」と声を上げ、手足がピクピクと動いてしまします。同室(4人部屋)の患者さんには迷惑をかけたと思いますが、この時、本人はそれどころじゃありません。痛みをこらえながら管を見つめます。そして疼痛と共に血尿が出始めて尿瓶に流れ込むと尿意が緩和され、下腹の張りも凹んでホッとします。正直、救われた気分です。結局、400ccも出たようです。これは成人の膀胱に一杯の尿が溜まった時の量だそうです。それでどうにか寝付くわけですが、多くの水分を取っていたせいもあって、この晩は朝までにあと2回も導尿してもらいました。その都度ナースコールで看護師さんを呼ぶわけで、悪いなぁって気持ちにもなります。
てことで、入院期間延長決定。翌晩にも導尿してもらい、その翌日には再び尿パックに繋がれることに。安心は安心なんですが、逆に今後のことが心配に。
尿の色が徐々に薄くなり、尿パックは再び外すことになりましたが、退院後をにらんで自己導尿の訓練をするように言われました。
「いや、人にやってもらったってあれだけ痛いのに、自分でなんて到底無理! できっこない!」
最初はそう言いましたが、医師は相手にしてくれません。
退院前の一日はその訓練に当てられました。大体6時間ごとですから一日に4回。


長さ33㎝、直径4㎜。

上の図の管を入れるわけです。まずムスコの先端、つまり管を差し込む部分をノンアルコールのウエットティッシュで清め、管の先端付近には潤滑剤を塗って、膀胱まで差し込むわけです。自分で。
ただ、脇で若い看護師が尿の量を計るための使い捨てのコップを持ってそれを見守ってくれるわけです。
やってみて分かったんですが、おそらく看護師にしてもらった時よりも管が細いように見え、痛みはありますが自分でやった方が楽でした。ただ、どこまで差し込めば尿が出てくるのかは手探りなんですよね。で、挿入しながら二人でジーッと息子の先端を見守るわけですよ。60過ぎの爺さんと20代の娘が。
よく考えたら、いや、考えなくても、これ、間抜けな図ですよ。夫婦だって恋人同士だってこんな時間無いですよ。いや、私も真剣に出したいと思ってるし、看護師さんにとっては仕事以外の何物でもないわけですが。
でもね、尿が出始めると私だけでなく、看護師さんもホッとしたのが伝わってきます。二人で共同作業したって感じなんですよ。

あんなに怖がってた自己導尿も回数をこなせば慣れるもんです。職場にも道具一式を持って行ってトイレの個室で行ったこともあります。大きな道具でもないので人に知られずに続けることもできるでしょうね。
私は現在では自律排尿もできるようになり、快方に向かっているように感じていますが、まだ完全には出し切れていないようです。もう少しだとは思うんですが。

今回の入院で、自分の意志で排尿できるということがどれだけありがたいことかを身に沁みて感じました。当たり前のことじゃなかったんですね。看護師の話では生涯自己導尿を続ける人もいるとのこと。そういう人の存在も近くに感じられるようになりました。
また、今回のことを、自分の体を自分の意のままに動かせなくなる老化の一過程と捉えることもでき、一つの心の準備にもなった貴重な体験だったのかなとも思っています。






Posted at 2025/08/19 23:25:43 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記
2025年07月27日 イイね!

暑中お見舞い申し上げます・・・クセツヨChatGPT

暑中お見舞い申し上げます・・・クセツヨChatGPT暑中お見舞い申し上げます。
外に出ると全身にドライヤーの熱風を当てられているような気分になる今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。

前回のブログでお話したように、既に数人の方には暑中見舞いを送らせていただきました。それがタイトル画像です。よくできてるでしょ? 自分で言うな? でもね。これは完全に自分で作ったわけではなく、かなりChatGPTの助けを借りてます。今回はその辺の経緯をお伝えします。

その前に、暑中見舞い用のハガキについて。暑中見舞い用のハガキなんてすぐに入手できるだろうと思いコンビニを2軒ハシゴしましたが、入荷そのものが無いとのこと。郵便局ならあるだろうと行きましたが、かつての宝くじ番号付きの暑中見舞ハガキは廃止されていました。その代わりなのか、夏っぽい絵が印刷されたハガキはあるようでしたが、インクジェット対応ではない。結局、普通のインクジェット対応ハガキを買って帰りましたが、この辺の経過ってご存じでしたか? 恥ずかしながら私は暑中見舞い用のハガキが無くなっていることを初めて知った次第。

画像の話に戻ります。



いつものように我が家のベランダで物干し竿から釣り糸でB-25を吊り下げて撮影。数十枚撮って選んだのが上の一枚。

この機体について改めて調べてみると1944年10月まで中部太平洋戦域で運用されていたとのことで(つまり日本軍と戦っていたんですね)、空の画像のストックから背景に選んだのはこれ。



背景との合成の仕方は以前もご説明したことがありますが、まずは機体を背景から切り抜くことから始めます。で、切り抜いたのがこれ。ちゃんと釣り糸とその陰が見えなくなっていることにご注目いただきたい。



アホな私はここまで自分で作業してから思い出したんですよ。「あれ? こんなことはChatGPTにやらせればいいんじゃない?」って。
で、ChatGPTにやらせた結果がこれ。



最初はよくできてるなと思いましたが、よく見るとおかしなところも。



青矢印はアンテナですが、これを消さずに残したのはさすがでしたが、赤矢印のところは機体と影の区別がつかず、機体後部が大きく削がれています。やはりAIに任せきりと言うわけには行かないようです。仕方なく、機体は結局私が切り抜いたものを使うことに。

私の画像合成でいつも課題だったのは、背景と機体の馴染みがうまく行かず不自然さが残ったこと。これをChatGPTにやってもらおうと、機体の切り抜き画像と背景をアップロード。そして送り返してきたのがこれ。



機体の画像は全体的にフニャフニャした感じで納得できませんでしたが、感心したのは左主翼端。私がアップした画像では左主翼端は切れてますが、指示したわけでは無いのにちゃんと先端まで描かれてます。画像生成ですね。



機首のマーキングは勝手にアレンジしてます。PANCHITOとは読めないし、イラストも加工されてます。

とりあえず。機種の機銃が1本消されているので、それを復元するように頼んだら次に来たのがこれ。



頼んだのは機銃の復元だけなのに、あちこち変わってます。



・機体が画面の中で大きくなった。
・機首のイラストは更に変に。
・エンジンのカウリング先端全周に着色。
・スピナーとプロペラの残像が出現。
・背中の銃座周辺が溶けたようにうねっている。
・側面銃座窓の右下に奇妙な小窓が。
・左垂直尾翼の下の赤帯が消えた。

頼んでもいないことをあれこれとやってきます。どうしてそんなことをするのかは不明です。

プロペラの残像をもう少しハッキリと描いて欲しいのと、色味がくどいので、青みを抑えるように指示します。出来てきたのがこれ。



割といい感じですが、おかしなところも。



〇で囲んだ小窓ですが、どうしてこんなものが生成されるのか不明です。

今度は色味が落ち着きすぎたのと、エンジンのカウリングの塗り分けは私がアップした画像に忠実にするよう指示。



妙な小窓は(指示してないのに)無くなりましたが、PANCHITOは完全に別の文字に変わってますし、全体的に劣化ですね。前の方がまだ良かった。

そこで、3つ前の画像の機首のイラストを私がアップしたものに忠実にと頼んだら、ChatGPTはどうしたと思います? 
一言で言えば 匙を投げました
後はPhotoshopでやってくれと。驚きました。ChatGPTが依頼を投げ出すことがあるのかと。

機体写真に忠実では無いものの、どれも確かに背景との馴染みはいい。私ではここまでできない。
裏切られた気持ちもあるものの、ChatGPTの協力に敬意を表して途中に出てきた画像を少し加工して最終案としました。




Posted at 2025/07/27 11:47:53 | コメント(2) | トラックバック(0) | ChatGPT | 日記
2025年07月13日 イイね!

壮大な計画

壮大な計画暑いっすねぇ。

2014年あたりから、毎年、西暦の下二桁に合わせてキットを製作し、年賀状や暑中見舞いにして数名の方に送ってるって話は、前回のブログでも触れてますからもういいですよね。
で、2025年については前回のB-25Jで暑中見舞いとして間もなく発送できる予定です。で、その先を、ずっと先まで考えながら、同時に自分の老いと向き合ってみるという趣旨のブログです。

2026
まず来年、2026年はタイトル画像の”B-26K Counter Invader"と"B-26C Invader”。どちらもイタレリ製のキットです。思い入れのある機種ではありませんが、"B-26 Marauder"に比べればいくらかマシという理由で選択。
そう、同時に2機作ろうとしてます。既に手は付けてますが、過去にも2機作ろうとして挫折したことがあるだけに心配ではあります。ほぼ半年の期間はあるので、何とか来年の年賀状には間に合わせたい。 

2027
27と言ったら、ここはやはりSu-27でしょうね。東側の機体らしからぬ流麗なフォルム、一度は作っておかねば。
2018年にはイギリスでこの目で見たウクライナの機体を再現したいですね。あの時はまさかロシアとの間で戦争が起きるなんて思ってもみませんでしたが。





キットはハセガワからも出ていて持ってもいますが、ロシアのズベズダ(左)かトランぺッター(中)のどちらかでしょうね。デカールやマスキングシールはエレール(右)のを使えばウクライナのデジタル迷彩の再現も幾分楽になるはず。(でも実際は手こずるでしょうね)

2028
28は苦しい。(いや、後にもっと苦しい年もあるんですが) 22までは米軍機がありましたが、それ以降はどうしてもソ連機と言うかロシア機が該当するケースが多くなってしまいます。そしてあまり思い入れを持てない機種を選択せざるを得ないことになってしまうわけです。



候補はドラゴンのMi-28ハボック(左)かAモデルのYak-28I/IM(中)か米海軍の練習機T-28Bトロージャン(右)。ハボック、トロージャンは思い入れが薄いし、Aモデルは難物だしなぁ・・・。どれにするかはその時になって考えよう。

2029
またしてもロシア機ですが、まあ、ここはMiG-29でしょうね。



国産メーカーからも出ていますがいかにも古い。比較的新しいG.W.H(グレート・ウォール・ホビー)(左)かトランぺッター(右)のどちらかでしょうね。

29と言えば、かつて日本人を苦しめたこの機体もありますね。



B-29。確かに日本人にとっては忌まわしい記憶の機体ではありますが、その技術は戦後の旅客機にも生かされていますし、エポックメイキングな機体であることは間違いなく、作る価値はあるでしょう。その時はB-29の旅客機型とも言えるB-377も一緒に作れたら本望ですな。どちらも大物だけに実現はかなり難しいでしょう。

ところで、2029年用の年賀状用の模型は2028年に作るわけですが、その年に私は70歳になります。私が現在の勤務先に入社した時は70歳が定年とされていましたが、現在は70歳の時点で人手が不足していて本人が希望すれば73歳まで雇用を延長できる制度ができました。実はこの制度ができて以降、一人も雇用延長しなかった人がいません。70歳を迎えた人全員が73歳までの雇用延長を希望したってことです。最近、間もなく73歳を迎える先輩と話す機会がありましたが、その人は次の職場を探していました。正直、「そこまで働かなきゃいけないのか?」と思いましたね。
もちろん健康で働ける間は働いた方が経済的には安定するでしょうが、どうしても健康寿命の残りが気になりますね。最近、私は視力の衰えをヒシヒシと感じており、果たして何歳まで模型を作り続けられるのか心配しております。
この歳の私、どんな判断をしてるんだろ?

2030


ついにズバリ30に該当する機種を探し出せず、苦し紛れでズベズダのC-130Hを選択。それを右側のブルーエンジェルスのサポート機であるファットアルバートの塗装にする予定で既にそれ用のデカールも用意してあります。
私は中学1年生の時に現在の県営名古屋空港でF-4ファントムのブルーエンジェルスの曲技飛行を観ており、歴代のブルーエンジェルスの機体を作ることをライフワークの一つと考えています。ファットアルバートもその内の1機ってことですね。

2031


まあ、31はこのトランぺッターのMiG-31しか無いでしょうね。複座と単座の違いはありますが、例の函館強行着陸のMiG-25とほぼ同型の機体です。
どうでもいいことですが、今年になってから、このMiG-31と後に出てくるSu-34を二つまとめて海外通販で購入したら。1,500円の関税を取られました。

2032

32はボーイングX-32 JSF(左)か零戦32型(右)しか思いつきません。X-32はF-35と競って不採用になった機体ですね。フグみたいとかいろいろ言われてましたが、これがたくさん飛んでる空って想像したくない。てことで翼端を切った零戦32型かな。合わせてタミヤの1/72の零戦全型を作るかな。

あるいは、Z32なんて車に逃げる手もあるかな。これも作っておかないと死ねないアイテムではあるかと。



2032年の年賀状用の模型を作ってるのは2031年。この年、私は73歳を迎えるわけで、さすがにこの年には完全リタイアすると思うんですが。そうすれば毎日が日曜日? 模型、野鳥撮影、たまに登山、ちょっとした野良仕事など、毎日昼間っから好きなことだけして暮らしてるんでしょうか? いや、前提としてその時までちゃんと生きてるかってこともはっきりしてるわけじゃないし、死んでないにしても健康かどうかは分かりませんよね。視力はどうなってんのかなぁ?
生きてて、健康であれば趣味三昧の毎日を送っている・・・だといいんですが、そう簡単じゃないだろうなぁ。

2033


33と言えばかつて空自でも使われていたT-33でしょうか。古い古いハセガワのキットもありますが、新しいプラッツ(左)かソード(中)でしょうね。これのどちらかとハセガワのSu-33(右)も作っておきたいですね。Su-27の派生型ではありますが、カナードが付いてるのがカッコいい。

2034


またしてもSu-27の派生型ですが、やはりSu-34でしょうね。イタレリ(左)のは緩いキットですので、トランぺッター(右)ってことでしょうね。完成したらSu-24と並列複座機どうしで並べてみたいですね。

2035


35と言ったらF-35しかありませんね。タミヤのA,B,C(8月発売予定)型で決まりでしょうね。この頃には実質的な空母艦載機としてF-35Bも活躍してるはず。そして順調に行けば日英伊で開発中のGCAP(日本ではおそらくF-3)が実戦配備される予定なんですが、まあ、遅れるでしょうね。

この先、10年分を見通してみましたが、どうにか健康であるとしてもこの先何年模型を作り続けられるんでしょうね? どこかでストックを手放す決断にも迫られるんでしょうね。それも健康であればこそできることではありますが。










Posted at 2025/07/20 11:43:28 | コメント(6) | トラックバック(0) | 模型 | 日記
2025年06月21日 イイね!

ハセガワ 1/72 B-25J 製作記(Hasegawa 1/72 B-25J Building report)

ハセガワ 1/72 B-25J 製作記(Hasegawa 1/72 B-25J Building report)暑くなってきましたね。現場での熱中症の発生を本気で心配しなきゃいけないシーズンです。

さて、毎年、数人の方に、その年の西暦の下二桁に因んだ機体のキットを組み立て、背景とそのキットの写真を合成して年賀状としてお送りしているって話はここで何度もしてるんでいいですよね? キットの製作が遅れて年賀状に間に合わなくて、寒中見舞いや暑中見舞いになってしまうって話ももう聞き飽きましたよね。
で、今年も暑中見舞いになってしまったわけですが、残暑見舞いにはならなくて済みそうです。一応キットは完成してますから。それが今回ご紹介するハセガワの 1/72 B-25J。

25の選択肢としては、1976年に函館に強行着陸して世間を騒がせたMiG-25なんてのもありますが、MiG-23、Su-24とソ連機(ロシア機)が続いていますし、キットは持っていますがMiG-25にあまり思い入れを抱けない。ここはやはり大戦米軍機のB-25で。

まずは実機の説明からと思うわけですが、毎回こういうのはどんな人に向けて書こうか迷います。詳しい人にとっては「今更・・・」でしかありませんからね。ま、思いつくままに書きます。
B-25で最大のエピソードと言えば、やはりドーリットル空襲でしょうね。日本軍は昭和16年12月に真珠湾を奇襲攻撃して太平洋戦争が始まり、初期には日本軍が押していたわけですが、アメリカも士気高揚の作戦を考案し、開戦の翌年の4月に、初めて東京他の都市を爆撃させます。それを率いたのがドーリットル中佐で、爆撃機は空母ホーネットから飛び立った16機のB-25でした。確かにB-25は爆撃機としては小型ですが、空母から爆撃機なんて正気の沙汰じゃありません。


ホーネットから飛び立つB-25。


離艦するB-25を見送る乗組員。

16機のB-25は東京、川崎、横須賀、名古屋、神戸などに爆弾を投下しましたが、目標を正確に攻撃できたわけではなく、戦果は大したものではありませんでした(それでも日本の死者は87名)。しかし、日本軍は予期せぬ爆撃に混乱しました。



空母から離艦したからといって空母に着艦できるわけではありません。爆撃後は中国大陸の基地に着陸する予定でしたが、1機はウラジオストクに着陸、中国大陸に向かった残りの15機も不時着だったり、空中脱出だったり。乗員の内8名が日本軍の捕虜となり、その内3名が処刑され、1名が病死しています。


連行される乗員。

作戦全体を振り返れば、あまり成功とは言い難いのですが、帰国したドーリットルは英雄扱いされます。

今月1日のウクライナの”蜘蛛の巣作戦”、日本軍の真珠湾攻撃に例えた報道もありましたが、戦果はともかく、作戦の奇抜さと敵軍の指導部のメンツを潰した点で言えば、このドーリットル空襲の方がよほど近いと思うのですが、いかがでしょうか?

やっとキットの説明。

冒頭で説明した年賀状用の写真は基本的に飛行状態としているので、乗員が乗っている必要があります。このキットには乗員のパーツはありませんので調達することになります。

以前にB-17を作った時に、韓国のLEGENDというメーカーのフィギュアを使いました。今回も同じLEGENDのフィギュアですが、リニューアルされてずっとリアルなものになっていました。



この中には航法士、無線士などもいるわけですが、人生の残り時間が気になる私としては、見えないところは手を入れないと決めているので、完成後に見えそうなクルーだけ作ります。



組み立てて墨入れをした状態。機長、副機長、爆撃手、左右銃手、機尾銃手。


右半身



操縦席の計器の裏と操縦席の下の機首への通路部分にこれでもかと釣り用の重りが詰め込んでありますが、実はこれでも足りなかったことを展示会で気づくという体たらく。


右銃手。ファレホで塗ってますが、やはり食い付きが弱い。
割と出来はいいのに、完成後は見えなくなります。


機尾銃手。これも見えなくなります。


左半身。

左右接着。


赤丸で囲った部分にヒケがあり、パテで埋めました。





クリアパーツのマスキングシールを取り寄せて貼りましたが、ピッタリとは合わない箇所もあり、一部加工したりマスキングゾルを併用したりして貼っています。
国産の安くて正確なマスキングシールがあるのを早く思い出すべきでした。

写真を撮り忘れましたが、機首のノルデン爆撃照準器のパーツは残念な形状で、しかも小さすぎる気がしたので、これもアフターパーツを取り寄せて取り付けましたが、案の定、完成後はほとんど見えなくなりました。


実物のノルデン爆撃照準器。

ノルデン爆撃照準器は当時の最高機密で、先に述べたドーリットル空襲の際には撃墜される可能性も考えてこれを外していました。



クリアパーツの透け防止とシルバーの下地を兼ねて全体に黒を吹きます。

私の場合、よくあることですが、ある程度進めてからどの機体にするか決めることがよくあります。私の理想のB-25は・・・
・グラスノーズ(機首がガラスであること。J型でも機首が金属製のソリッドノーズもあります)
・全体が無塗装のシルバーであること。
・強そうなこと。機種左右側面の2丁ずつの機銃は必須。
で、この条件に合致する機体はと探すと、意外に少ない。安っぽい機首のイラストは好みではありませんが、この現存するPANCHITOにすることに。









この機首の安っぽいイラストですが、これでも戦時のものから現代風にアレンジされているようです。



有名そうな機体だし、デカールはどこかにあるだろうと探し回ってやっとアメリカのサイトで見つけましたが、注文を受けてから印刷するという無在庫、家内工業のようなところ。価格も送料を含めて4千円以上だったような記憶。我ながらアホだと思います。自分で作ればよかった。ま、良質のデカールではありましたが。

機体全体は最近の写真を意識して、普通の銀色ではなく、ミスターカラーのSM201(スーパーファインシルバー)で塗装。結構ギラギラした感じに。特に汚し塗装はしていません。

























Posted at 2025/06/22 10:34:10 | コメント(5) | トラックバック(0) | 模型 | 日記

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「スポーク張替え後、塗装完了。」
何シテル?   08/06 21:31
昔、メルマガで漫画のコラムを書いてました。
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