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成田のオッサンのブログ一覧

2025年05月23日 イイね!

「かくかくしかじか」観てきました

「かくかくしかじか」観てきましたこれを見ないわけには行きません。原作の漫画が2015年にマンガ大賞を受賞した時にブログにして皆さんにお勧めしましたが、それが映画化されたわけですからね。今回は”美大”を軸に感想を。
(ネタバレを含みますのでご注意を)

原作の漫画「かくかくしかじか」は作者である東村アキコの自伝的漫画。主人公の明子は将来は漫画家になることを夢見ていましたがそれを親に言い出せず、いくらかそれに近いであろうという理由で進学先として美大を選びます。美大は受験科目としてデッサンがあるからと、対策として宮崎の田舎にあるデッサンの教室に通うことになり、そこで出会った日高先生とのあれこれを描いたのが「かくかくしかじか」。

観ていて、自分でも忘れていた過去を思い出しました。
高校2年の時だったか、あるいは3年になってからもまだ少しは考えていたのかもう覚えていませんが、私も一時、美術系の大学への進学を考えていた時期があったんですよ。具体的に言うと九州芸工大。今調べると現在は九州大学に併合されて九州大学芸術工学部になってるんですね。
普通の受験勉強しかしていなかったし、さすがに純粋芸術の分野でどうにかなるような才能は無いことは分かっていました。だから「インダストリアルデザインとかなら何とかなるんじゃないか?」「国立だし、卒業後もそれなりの就職先はなんとかなるでしょ」なんて甘い考えを持っていたんですね。
九州芸工大も受験科目にデッサンがありました。高校の美術の授業でデッサンはやったことがありましたが、美術部に入っていたわけでもありません。おそらく九州芸工大を受験していたとしても落ちていたでしょう。
家でもその希望を親に言ったことがあり、親父は仕送りなども覚悟はしていたようですが、家の経済状況が気になっていましたし、やはりそこを卒業してちゃんと食えるんだろうか?ってことが気になり、折り合いを付けて、家から通える地元の大学の建築学科受験てことに落ち着いたわけです。

美大卒と言うと、思い浮かぶ二人がいます。

一人は実家の隣家のSさん。私より5歳ほど年長で、子供の頃はよく遊んでもらいました。東京の美大(武蔵美か多摩美?)に進学。私が中学生の頃にSさんが大学で描いたデッサンを見せてもらったことがあります。黒炭ではなく鉛筆画で、バケツのデッサンがあったことは覚えています。卒業後にどこに就職したのかはよく知りませんが、何年かして実家に戻ってきて、喫茶店をやってみたり、中古車販売をやってみたり・・・。経済的にも不安定なことがはた目にも分かりました。

もう一人はSさんとは真逆な人。日比野克彦。現東京芸大学長です。

私と日比野氏は同い年で、彼は岐阜市内の加納高校の美術科出身。ちょうど私の高校受験の時から岐阜県では学校群制度が始まり、私も加納高校に振り分けられる可能性がありました。私の中学時代の同級生で加納高校に行った友人には「体育の授業は美術科の日比野君と一緒にやったよ。」なんていう奴がいたりします。
ですから私も会ったことも無いのに、親近感だけは持っています。だけど、現東京芸大学長と言えば、あの日本画の平山郁夫の3代後のポストだし、日本の美術界の頂点と言ってもいいでしょう。とても私などが親近感を抱けるような存在ではないはず。恐れ多くて「日比野君」なんて呼べません。

そんな対極的な美大卒の二人を知っているわけですが、美大卒業生の大半はSさんのようなもんだと思っています。良くてどこかの学校の美術の先生。それだって求人がコンスタントにあるはずはありません。おそらくは美術と何の縁も無い仕事に就いている卒業生がほとんどじゃないでしょうか。

明子は先生に「高校の美術の先生の空きがあるから宮崎に帰ってこい」と言われて大学卒業後に宮崎に帰省しますが、「あ、あの話か、あれはダメになった。だからこの教室を手伝え。」と言われてプータローに。
親からは「お前をプータローにするために高い授業料払ってたんじゃない!」と叱られ、仕方なく父親の会社のコールセンターでクレーム対応の仕事に就きますが、お局様にいじめられたりしてこれが嫌で嫌でたまらない。時間がたっぷりあった大学時代には1枚も描かなかった漫画を、この仕事から抜け出すために描き始めます。
そこからの成功ストーリーは、映画では割とあっさりと描かれますが、この辺は原作漫画の方が高揚感があってよかったですね。ただ、集英社の担当の電話越しの声がだるくて面倒臭そうな声から、明子の漫画の人気と共に徐々に明るい声に変っていくのは映画ならではですね。
で、大学時代の彼(西村君)とは卒業後も交際は続きますすが、金沢と宮崎の遠距離恋愛は自然消滅。宮崎の明子と金沢の西村君の電話の場面があるんですが、(まだ携帯電話が普及する前なので)電話ボックスの中で受話器を持って話す西村君はネクタイにスーツ姿。はっきりとは描かれませんが美術とは関係のない仕事をしていることを匂わせています。

主人公明子役は絶賛お騒がせ中の永野芽都、日高先生役は大泉洋。配役が発表されたとき、永野芽都はよく知らなかったのでどうでもいいんですが、大泉洋には不安を覚えました。だって大泉洋と言えばどうしてもコミカル要素が出ちゃいますよね。でも原作の先生はそんな要素は全く無し。適役とは思えなかったんですよね。でもちゃんと先生でした。
聞けば、スケジュールがタイトで大泉洋はオファーを何度も断ったそうですが、それを原作者の東村アキコが頼み倒して引き受けてもらったそうな。



原作漫画第5集の表紙ですが、確かに大泉洋に似ていなくもない。

そしてね、永野芽都もずっと映画を観てると、「きれいだな」「色っぽいな」と思えて来ちゃうんですよね。映画はずるい。

そして、まあ、泣けますよね。泣けるように作ってあるもん。特にラストは。



こちらはメイキングを含む動画。原作者の東村アキコや西村君も登場してます。







Posted at 2025/05/24 10:59:40 | コメント(1) | トラックバック(0) | 映画 | 日記
2023年11月19日 イイね!

ゴジラー1.0 もう一度観てきました

ゴジラー1.0 もう一度観てきましたもう一度今回のゴジラの迫力を体感したかったのと、気になるところもあって、ゴジラー1.0をもう一度観てきました。
今回のブログもネタバレ全開ですので、まだご覧になっていない方はこれより先は読まれない方がいいかと。そして前回のブログに加筆修正いたします。



【ゴジラと原水爆の関係についての説明は一応ありました】
前回のブログで、「ゴジラと原水爆との結びつきが弱い」として、それについての説明が一切無かったかのように書きましたが、私が見逃してただけでした。一応ありました。
原爆のキノコ雲の映像が写り、「クロスロード作戦」とテロップが出て、その後に細胞がブクブクと泡立つような場面が挿入されてました。ほんの数秒の描写です。しかも劇中で誰もクロスロード作戦のせいでゴジラが巨大化した可能性について発言していません。そんな状況でゴジラと原水爆との因果関係を推察しろと観客に期待するのは無理ってもんじゃないでしょうか。
クロスロード作戦について調べると、1946年、つまり終戦の翌年にアメリカがビキニ環礁で2度の原爆実験を行ったことがそう呼ばれているとのこと。今作でのゴジラの東京への襲来が1947年の設定ですから、時間的なつじつまは合ってます。

【典子を探さないんじゃなくて、探せなかったのか?】
爆風で(衝撃波と言った方がふさわしいですね)吹き飛ばされた典子を敷島が探す場面がないのが不自然だと、前回のブログで書きましたが、もう一度観てみると、爆心地周辺は放射性物質で汚染されていて対入り禁止になっている描写がありました。そのために探せなかったんだろうとの推測は成り立ちます。
しかし、典子が吹き飛ばされて敷島が泣いて、そのすぐ後に典子の葬式の場面ですよ。遺体も無いのに。戦争で人の死に麻痺していたとしても、いくら何でもあっさりし過ぎ。

典子の首筋の黒いあざ
もう一度観ようと思った最大の理由はこれです。ネットではこれについて多くの人が触れていますが、ちゃんと首筋がアップになっているにも関わらず、私は1回目では見逃してました。今回は注視して確認しましたが、黒いあざが不気味に広がっていくようにも見えました。これについて、典子はゴジラの細胞に浸食されつつあるのではないかとの推測も出ています。

さて、これをどう解釈したらいいのか?

エンディングで、体が崩壊したゴジラが海中に没したものの、細胞が泡立って復活しているかのような描写があり、これは次回作に繋げるように備えてるなってことが分かります。そのくらいの伏線はいいとしても、典子がゴジラの細胞に浸食されていて、それも次回作の伏線だとしたら悲惨なストーリーしか思い浮かびません。

実は、過去に、驚異的な再生能力を持つゴジラの細胞に光を当てた作品があるにはあります。



ゴジラ対ビオランテ。(1989年、平成元年)
この作品では各国がゴジラの破片を回収して研究しようと争っているという設定で、ゴジラ細胞を研究している一人の学者が、ゴジラ細胞を元にバイオ技術でビオランテという怪獣を作り出してしまうというストーリー。しかも、しかもですよ、そのビオランテの遺伝子はゴジラ細胞の遺伝子とバラの遺伝子、そしてもう一つは沢口靖子演じる学者の娘の遺伝子まで入っているという豪華な遺伝子なんです。


(人様のHPから拝借しました)
沢口靖子かわいそう・・・。いくら何でも設定が無茶。

まず、次回作があるとして(きっとあるはずだと思いますが)、今作の監督であり脚本家でもある人物が次回作にどこまで介入してもいいのかって話だと思います。ゴジラ復活の兆しまではいいとしても、典子の異変をも前提としたら、かなりストーリーの幅は狭まりますし、悲惨なストーリー展開しか思い浮かばない。ただ、「次回作も俺にやらせろ! とりあえず他の監督に行かないように唾つけとこ。」という山崎貴の宣言かなとも解釈できますね。
ただね、スターウォーズやエイリアンとは違い、これまでのゴジラで連続した作品に同一人物が出演した例はないはず。もちろん前例を破ってもいいわけですが、観客は浜辺美波の醜い姿を見たいでしょうか? 怪獣にならないとしても未知の病魔と闘う浜辺美波を見たいでしょうか? まあ、あっさりと、次回作では典子の死後からスタートするっていう繋げ方もあるっちゃあるかな。
典子の件とは関係なく、もし次回も山崎貴が監督なら、もう一体の別の怪獣を出してきてそいつとゴジラのバトルもあり得るかなと想像しています。

今作はかなり高いハードルであり、これを超えるのは簡単では無いと思うものの、次回作は俺に!と思ってる監督もきっといるはずで、今作の伏線なんぞ無視だってこともあり得るかもね。

そんなこんなで、気の早い話ですが次回作が気になってます。

Posted at 2023/11/19 22:30:01 | コメント(4) | トラックバック(0) | 映画 | 日記
2023年11月12日 イイね!

ゴジラー1.0 俺ならこう撮る

ゴジラー1.0 俺ならこう撮る勇ましいタイトルでしょ。

ゴジラー1.0、もうご覧になりましたか? 
もうご覧になってますよね?



これから書こうとしていることは、もろにネタバレですので、まだご覧になってない方はこの先を読まないことをお勧めします。

わざわざ映画館まで足を運んで高い料金を払って観る映画は、食事に例えるなら御馳走でなければいけないと思っている私です。その意味でゴジラー1.0は大変に豪華な御馳走でした。
旧日本海軍艦や戦闘機、幻の陸軍戦車も登場したりして、その方面のファンの方も大喜びの映画だと思います。その面でも御馳走でした。

監督の山崎貴は怪獣映画の部分と人間ドラマの部分をうまくまとめたと評価されているようです。
VFXを駆使した怪獣映画の部分については日本映画もここまで来たかと私も感嘆しました。ハリウッド版ゴジラではゴジラを含む怪獣が暴れる場面は、怖さを増すためなのかアラ隠しが目的なのか夜だったり煙で薄暗くなった場面が多い印象ですが、本作は晴天下の場面が多く、ごまかしがきかないVFXの作業が大変だっただろうなと想像します。
シン・ゴジラ、ゴジラー1.0とフルCGのゴジラが続きましたから、これ以降の日本製ゴジラを誰かが作るとしても、さすがにもう着ぐるみが模型の街を壊すなんてところには戻れなくなってしまったでしょう。

でも人間ドラマの部分では、私は納得できない部分が、特に前半でいくつかありました。

【主人公の戦争の背負い方が薄い】
本作のオープニングは、単機の零戦が大戸島の凸凹の滑走路に着陸するところから始まります。主人公の敷島(神木隆之介)は特攻隊として出撃したものの、単におじけづいただけのことなのに、母に言われた「生きて帰って来て」の言葉を言い訳にして機体が不調だと嘘をついて編隊を離脱して整備隊がいる大戸島に着陸します。
その晩、大戸島の伝説として語られているゴジラが上陸してきます。整備隊の隊長から零戦の機銃でゴジラ(この時のゴジラはまだ体長10m程度)を撃てと命じられますが、敷島はこの時も手が震えるだけでゴジラを撃つことができず、整備隊は全滅。敷島と隊長以外全員がゴジラに殺されます。


整備隊の隊長 橘(青木崇高)

戦争が終わり、東京の実家に戻ると周辺は焼け野原で両親は亡くなっていました。復員した敷島を隣家の婦人(太田澄子:安藤サクラ)が見つけ、
「あんた、特攻に行ったんじゃないのかい! よくもおめおめと帰って来れたね! あんたらが不甲斐ないせいで、うちの子3人が死んじゃったじゃないか!」
と敷島を突き飛ばしてなじります。


隣家のおばちゃん太田澄子(安藤サクラ)

主人公の敷島はこうした後ろめたさを背負っているという設定ですが、私にはこれでは説得力が弱いと感じます。これでは敷島のせいで死んだのは整備隊員だけのようにも感じられ、背負うものがまだ軽い。それに急ぎ過ぎでしょう。
まずここまでの冒頭を私ならこうする。

敷島が出征する日。玄関で敷島の母親が涙をぬぐって敷島の手を握り、「生きて帰って来て」と声を掛けます。玄関を出ると外には大勢の見送りの人々。最前列には隣家の太田澄子と3人の子が並んでいて、幼い手に日の丸の旗を握ってしきりに振っている。背後から「万歳!」の声。

→ 敷島が盃を受けて特攻の出撃前の場面 → 洋上を飛行する編隊を俯瞰した場面、徐々に1機だけが編隊の後方に遅れていく → 機内の敷島のアップ、編隊長から敷島に「どうした」との通信、「エンジンの調子が・・・」と苦しい言い訳

この後は本作通り。
これだけの場面を冒頭に挿入すれば、戦友を見捨てて自分だけ生き残った後ろめたさと3人の子を失った澄子の悲しみが実感されるのではないでしょうか。時間にして5分もかからないようにできると思うんですがどうでしょう?

【ゴジラと原水爆の関係は?】
最初のゴジラ(第1作)は1954年11月3日の封切りで、アメリカによるビキニ環礁の水爆実験が同年の3月1日ですから、その影響で古代生物が巨大化して出現したとの説明が成り立ちますが、今作は時代設定が1947年ですから、それより前のこと。ゴジラー1.0の中でゴジラと原水爆との関係の説明ってちゃんとあったかな? 私の記憶が飛んでるだけかもしれませんが、はっきりした説明はなかったような・・・? 単に戦争の申し子としてのゴジラ? でもゴジラの通った後には放射線が検出されてるし、吐くのは放射熱線だし。分からん。とにかく原水爆との結びつきが弱い。これを無理なく結びつけるのは難しそう。

【どうして典子を探さない?】
東京に上陸したゴジラは銀座を襲います(予告編でよく見る場面)。銀座で働く典子(浜辺美波:タイトル画像)が心配になった敷島は銀座に駆けつけ、逃げ惑う群衆の中に典子を見つけて一緒に逃げますが、ゴジラが吐いた放射熱線の強烈な爆風が敷島たちに向かってきます。振り返って迫りくる爆風に気づいた典子はビルとビルの隙間に敷島を突き飛ばし、自分は爆風に飛ばされてしまいます。爆風が納まった後に、典子が見当たらないことに気づいた敷島は、やっと見つけた生きる希望を失って悲嘆にくれます。

この後に敷島が典子を探す場面が無いんですよ。もう生きていないと思ったとしても普通は探すでしょう。その場面が無いのがいかにも不自然。
泥まみれになって必死にがれきをどかしながら典子を探して、見つからずに呆然と立ち尽くす場面を挿入。2分もあればいいでしょ。

【ゴジラ対策は誰が仕切ってるの?】
実際にゴジラのような巨大生物が今の日本を襲ったら、政府や官僚はどう動くかに重点を置いて、家族だとか恋愛だとかの人間ドラマが見えなかったのがシン・ゴジラであり、それゆえに海外で評価されなかったようですが、今回のゴジラー1.0はその辺うまく作ってあって海外でも受け入れられそうです。ですが、今度は逆に誰がゴジラ対策を仕切ってるのか、だれがその権限を与えてるのかがさっぱり見えてこない。
今作の設定は1947年。戦争が終わって2年。ですからまだ進駐軍がいた時代ですが、在日米軍はソ連を刺激したくないので動かない。自衛隊の前身である警察予備隊もまだ設立されていない時代です。ですから民間有志でゴジラと戦ったという設定なんですが、無理がある。シンガポールでイギリスに接収された重巡高雄が対ゴジラ戦に戻って来るとか民間だけじゃ無理。少しはGHQなり日本政府なりの拠り所を示す場面が欲しいですよねぇ。
とは言え、国会議事堂跡は巨大なクレーターになっているので、政府は機能していないという裏設定があるのかも知れません。

【エンディング】
典子も重症を負いながらも生きていてハッピーエンド。まさかゴジラ映画のエンディングで泣かされるとは思ってもみませんでした。
話は変わりますが、私は演技がうまい子役が気持ち悪くて嫌いなんですが、今作の子役はわざとらしさが無くて自然でいい(まあ、ぎこちなさも感じたが)。典子に拾われて敷島との間にできた子のような役柄で、劇中では典子とのことを「お母ちゃん」と呼んでいます。
ゴジラを退治して敷島とその子が入院中の典子の元に駆けつける場面。泣ける場面なんですが、その子が敷島の後ろでじっとしてるんですよ。ここは「お母ちゃん!」と言って典子に飛びつかなきゃ嘘だろ! それが日本映画の常道だし、泣かせには必須だ。


あきこ(永谷咲笑)

長々と勝手なことを語りましたが、脚本だけで3年かかってるそうなので、私が考えるようなことは選択肢の一つとしてあったことかも知れませんが、切り捨てられたことなんでしょう。
現在の日本映画の一つの頂点を示す映画であることは多くの人が認めるところだと思います。おそらく後に続く作品が出てくると思います。それにも期待したいですね。
Posted at 2023/11/12 10:58:20 | コメント(3) | トラックバック(0) | 映画 | 日記
2022年06月04日 イイね!

映画と本でソ連とウクライナのお勉強

映画と本でソ連とウクライナのお勉強ロシアがウクライナに進行してから既に100日が経過したとのこと。目下のところ、戦争が終わるなり停戦するなりの兆候は見えませんね。戦死者や負傷者の数が積み上がり、どちらか、あるいは双方が国家として疲弊して音を上げるまで続けるしかないのでしょうか。

我が国もウクライナに支援物資を送っており、国民の多くがウクライナに肩入れしていて戦争の情報量も多いものの、やはり遠い国の出来事。私としても二つの国の歴史や国民性を知るために、これまでに見てきた映画や戦争が始まってから慌てて読んだ本を私の体験の古い順にご紹介しつつ、雑多な知識を整理・統合しようと思います。

まずはこれですかね。映画「ひまわり



観たのは高校生の時です。封切りは1970年とのことですから、私が観た時は既にリバイバル上映。(2本立てだったんですが、もう1本は何だったと思います? 実は「エマニュエル夫人」。こっちが目的だったことは言うまでもありません。)

第二次大戦中のイタリア。ジョバンナ(ソフィア・ローレン)とアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)はナポリの海岸で出会い恋に落ちます。しかし、アントニオは最も過酷なロシア戦線に送られることになりました。ドイツが独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻したために、イタリアもそれに付き合わされることになったんですね。
戦争が終わってもアントニオは帰ってきません。諦めきれないジョバンナは苦労してどうにかソ連に行き、アントニオの手がかりを探します。やっとの思いでアントニオを探し出したものの、彼は現地の女性と結婚して子供までいることが分かり・・・。

ジョバンナが行方不明となった夫を、一面に咲き誇るひまわり畑の中で必死に探しているこの映画のタイトルにもつながる印象的なシーンがありますが、今回のロシアによるウクライナ侵攻が起きてから、実はこのシーンはウクライナでの撮影であることが話題になりました。撮影現場はキエフから南へ500kmほど行ったヘルソン州と言われています。(ウクライナ大使館のHPより)

この映画を観た当時は、ウクライナはソ連の中の一地域でしかなく、私はその存在を知っていたかな? 今でこそヘルソンも耳に馴染んだ地名になってしまいましたが、当時は知るはずもありません。

お次はずっと下って2001年の映画「スターリングラード



ヴァシリ・ザイツェフという257人の敵兵を殺害した実在の狙撃兵を主人公とした、実話に基づいた作品になっています。(原題は Enemy at the Gate 。史実と映画は結構異なるように思います)

祖父に狩猟の銃の扱いを仕込まれた主人公は徴兵され、貨車に詰め込まれてスターリングラードに送られます。列車が停車し扉が開くとそこは既に戦場。二人に1丁の銃しかなく、銃を持つ者が倒れたらもう一人がその銃で戦えと命令を受けて突撃。ドイツ軍の攻撃に恐れをなして引き返すと、待ち構えていた味方がそれを容赦なく撃ち殺します。
やがて主人公はその狙撃の才能で国家的英雄となり、ドイツの狙撃兵と一騎打ちに・・・。

この映画にはウクライナは全く出て来ませんが・・・ザイツェフは戦後にキエフ(現:キーウ)の工場の管理職を歴任した。1991年12月15日死去。彼は生前ヴォルゴグラードに埋葬されることを希望していたが、キエフ(現:キーウ)に埋葬された。(Wikipediaより)・・・ということで、モデルになった当人はウクライナに埋葬されたようです。

これ以降はロシアによるウクライナ侵攻以降に読んだ本、観た映画についてです。
比較的新しい映画と本ばかりですが、ネタバレを含みますので、これらの作品をこれから読んだり観たりしようとお考えの方はこれより先に進まない方がよろしいかと。
また、気分を害されることが予想される記述があります。読まなきゃよかったと後悔しても私は知りません。みんカラ事務局による削除の可能性も考慮し、一部で伏字を使いますのでご了解ください。伏字にしたところで事実には変わりないのですが。

本題に戻ります。
ロシアの侵攻直後に様々な媒体で様々な記事が発信されましたが、私は偶然にこの映画の紹介を二度目にする機会があり、ぜひとも観ておかねばという気持ちになりました。

2019年「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」(原題は Mr.Jones)



古い映画じゃありません。つい最近の映画です。日本でも2020年に上映されたはずですが、全く私のアンテナには引っ掛かりませんでした。
新しい映画だし、レンタルショップに行けばあるだろうと近所のGEOに行って店員に検索してもらいましたが、置いて無いとのこと。仕方なく、ネットのレンタルで観ました。金額はレンタルショップでDVDを借りるのとさして変わりません。

ホロドモールという言葉をご存じでしょうか? 恥ずかしながら私はこの映画の紹介を読むまで、知りませんでしたし、過去にウクライナにこんな悲劇があった事実も知りませんでした。「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」はホロドモールを告発したイギリス人ジャーナリスト、ガレス・ジョーンズを主人公とした事実を基にした映画です。

1929年の世界恐慌のあおりを受けて世界中がまだ不況に喘ぐ中、ソ連だけは5か年計画を順調に進め経済発展していた。ジョーンズはこれを不審に思い、ソ連に向かう。ソ連に発つ前に、モスクワに着いたらピューリッツァー賞受賞ジャーナリストで、ニューヨークタイムズ支局長のウォルター・デュランティを頼るようにアドバイスを受けていた。ところが、彼を訪ねてみると彼は酒と女とドラッグに溺れる生活を送っており、完全にソ連の意のままだった。
ジョーンズはソ連の経済成長の秘密はウクライナにあるとの情報を得たが、モスクワから出ることを許されなかった。彼はウクライナにある戦車工場の工場長をだまして列車でウクライナに向かい、その道中の駅で一人降りてウクライナに潜入する。
駅から出てすぐ、雪の上に倒れて動かない人がいるのに誰一人振り向きもしない光景を目にする。そしてウクライナ中に飢餓が広がっている事実を知る。
ジョーンズはウクライナ生まれの母親の生家を探しあてて訪ねると、幼い兄弟だけがそこで生活していた。
食料が乏しい中、一杯のスープが出された。

「この肉は誰が獲ってきたの?」
兄の名前を言う長女。
「あ、お兄さんが猟師なんだ。それで何の肉なの? そう言えばお兄さんはどこに?」
沈黙の間

沈黙の意味を悟ったジョーンズが、慌てて口の中の物を吐き出そうと扉を開けると、雪の上には・・・。

ジョーンズはウクライナで逮捕され、イギリスに送り返されます。ウクライナの現実を記事にしますがジョーンズが務めるローカル紙では反響が乏しい上に、ウォルター・デュランティらの大物ジャーナリストがそれを否定します。偶然に知り合った大手新聞社の関係者のつてを利用して、改めてウクライナの現実を報道して、やっと世間がこれを認知するようになります。

彼のウクライナに関する告発はこれで終わるわけですが、映画のエンドロールで彼の最期について触れており、それを読んで愕然とします。
‎ジョーンズは1935年に日本占領下のモンゴルで捜査中に誘拐され殺害された。彼の殺害は、ソ連の秘密警察‎‎NKVD‎‎によって行われた可能性がある。(英語版Wikipediaより)
ソ連は恨みを忘れない国です。

ホロドモールの情報を補強しようとWikipediaで調べると、この映画よりもっと悲惨な情報にぶち当たります。
当時のウクライナでは餓〇者の肉を食べるだけではなく、家族間で〇し合いが起きて、中には「親が子供を〇してその肉を食べたあと、その後やはり餓〇したり」
引用が辛すぎます。極限状態の人間てこういうことするんですね。
そこに追い込んだのは言うまでもなく、スターリン率いるソ連政府です。ホロドモールは外貨獲得を目的とした人為的な飢餓でした。
ソ連政府は1980年になってようやくこの事実を認めました。ただ、当時の飢餓はウクライナだけでなくロシア領内でも起きていたため、ウクライナ人に対するジェノサイドと見なすことはできないとの見解を示しています。

更に恐ろしいのは、このホロドモールを語り継げなかったこと。一番恐ろしいのはこれなのかも知れません。
「1991年のソビエト連邦の崩壊にともなうウクライナの独立まで、飢饉について多くのウクライナ人は知らないままであったと、当時の飢饉を体験した生存者は語っている」
500万人が死んだ事実が闇に葬られようとしていたわけです。

次は書籍「独ソ戦



ロシアによるウクライナ侵攻が始まってから、大きな本屋ではどこもそれに関する特設コーナーを設け、この本も次にご紹介する「同志少女よ、敵を撃て」も
平積みで置いてあります。ま、便乗商法ってことですね。
初版は2019年7月ですから、ウクライナ侵攻のずっと前。当時から話題にもなってましたし、いずれは読まねばと気になっていた本でしたが、この機会に手に取りました。私のは第14刷。人気があるようですね。

日本の敗戦も確かに悲惨であることには違いありませんが、軍人と民間人を合わせた犠牲者数は 2,620,000 〜 3,120,000 人。
ソ連のそれは 21,800,000 〜 28,000,000 人。(いずれも出典はWikipedia)
ざっと10倍!
独ソ戦は地獄だったとはよく聞きますが、どれくらい地獄だったのか? 残念ながら私の要望に応えようとした本ではありませんでした。ですが、やはり得られるものはありました。
まず、スターリンは側近からドイツの侵攻が近いと聞きながらもそれに耳を貸さず、備えようとしなかった。そして備えようがなかった。なぜならスターリンがそれまでの軍のベテランをほとんど粛清しちゃったから。つまりドイツが攻め込んだ時の軍の指揮部門は素人の集まりだった。そんなソ連も多大な犠牲を払いながらも最終的にはドイツに勝てたわけですから、やはりソ連軍は強かった。
そして、上で触れたホロドモールが終息した後もスターリンの恐怖政治に怯えていたウクライナ国民は、ドイツが侵攻してきたときに、最初は解放者だと思って歓迎したらしい。ま、すぐにそれは勘違いだったと気づくわけですが。
ウクライナだってソ連の一部だったわけですが、ソ連中枢部とはそれくらい気持ちが離れた地方だったということなんでしょう。

同志少女よ、敵を撃て



あえて、帯付きの画像にしてみました。この本に賭ける本屋の意気込みが伝わるでしょうか? 初版が2021年11月ですからロシアの侵攻前ですね。その直後に、侵攻が起きたわけですが、こんな巡り合わせでこの本を売り込めるチャンスが来るとは思ってもみなかったでしょうね。
しかし、残念ながら私には何も響かない本でした。帯には直木賞候補作なんて書いてありますが、ウソでしょ。本屋大賞受賞自体が”大人の事情臭”がしてならない。

主人公セラフィマは母親について猟銃の扱いを学び腕は確か。ある日狩りから戻ってみると自分の村の村民は侵攻したドイツ軍によって皆殺しにされており、母親も狙撃兵によって殺されてしまう。その後、セラフィマは女性狙撃兵の指導者であるイリーナに助けられてそのまま女性狙撃隊の訓練校に入り・・・。

上の方でご紹介した映画「スターリングラード」とよく似ている部分があります。
・どちらも家族から猟銃の扱いを学んでいて兵役に就く前から狙撃兵としての素質を備えている。
・スターリンラード攻防戦での活躍がある。
・ドイツ軍の狙撃兵が子どもを囮に使って主人公らをおびき出そうとする。

映画「スターリングラード」を意識していることは間違いないと思います。

ただ、当然のことですが映画「スターリングラード」には見られなかった部分もあり、訓練学校の授業の様子(期間は1年間で弾道学などの座学もある)などは割と詳細に描かれています。
そして主人公が女性であるということで、女性の視点での記述も特徴でしょう。
ソ連には他国では見られない女性狙撃兵が実際にいて活躍したし、戦闘機の女性パイロットも実在した。戦後ですが宇宙飛行士の分野でもソ連は早くから女性を起用していました。この辺はお飾りの看板としてではなく、ソ連独特の女性の起用感覚があるようで、それを思い出させてくれました。
また、緒戦ではドイツ兵がソ連女性を、反対に終戦近くではソ連兵がドイツ女性を暴行する場面の両方が描かれています。前提として欲望はもちろんあるのでしょうが、それは仲間の連帯感を深めるためだったとも説明されています。どの国の軍隊も紳士ばかりの軍隊は無いってことを言いたかったのかな? 書いてるのは日本人男性ですから、当然日本軍の従軍慰安婦のことも頭の片隅に置きながら書いてたのかな?なんてことも思います。

この本の中のウクライナですが、同じ訓練学校の仲間の女性がコサックの末裔だということくらいかな? 
私なんぞは、コサックと言えばあのコサックダンスを思い浮かべ、単純にソ連もしくはロシアと結びつけて考えていましたが、ウクライナおよび南ロシアに存在した軍事共同体のことなんだそうです。

雑多な知識は、相変わらず雑多なままで格納しておきます。
Posted at 2022/06/05 22:28:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | 映画 | 日記
2021年10月09日 イイね!

今なぜMINAMATA? しかもジョニー・デップで

今なぜMINAMATA? しかもジョニー・デップで今の若い人、例えば40代以下の人は代表的な公害病ってそらで言えるんだろうか? この辺はたとえ子供の頃であってもリアルタイムにその報道を耳にしてきた世代と、公害病の報道が途絶えた後に物心ついた世代とでは、公害病との距離感が違うのかも知れませんね。私達の頃には教科書にも載ってましたが、今の社会、あるいは公民(日本史か?)の教科書にも公害病に関する記述はあるんでしょうか? 

映画「MINAMATA」を観てきました。平日の午後6時45分からの上映とはいえ、名古屋駅付近の広い劇場に、観客は7人。しかし、このテーマだと、まあ、こんなもんかな?

最初にこの映画について知ったときに驚いたのは「どうして今?」ってことですね。そして主人公を演ずるのがあのジョニー・デップ。観ないわけにはいかない。
髭面で飲んだくれのカメラマン、ユージン・スミスを演じる彼は、言われなければあのパイレーツ・オブ・カリビアンのジャック・スパローと同一人物だとは思えません。しかし、よく引き受けたなぁ。

この手の映画の通例通り based on true story で始まりますが、やはり盛ってあるようですね。映画の中でチッソの社長がユージン・スミスにネガと引き換えに5万ドルが入った封筒を渡そうとする場面があったり、彼の現像小屋が放火されたりする場面がありますが、この辺は史実とは違うようです。
ただ、ユージン・スミスがチッソの工場で従業員らと揉みあいになり重傷を負って入院する場面があり、映画のエンドロールでその時の怪我が遠因で亡くなったことが知らされますが、このあたりをWikipediaで調べてみると、この時の怪我は「脊椎を折られ片目を失明」するほどの大怪我だったとのこと。逆に映画では怪我の程度については史実よりは軽く受け止められるように描写されています。

あまりに有名な下の写真を撮る場面では、傷の癒えない彼が他の人にシャッターを押させています。



水俣病の写真と言えばこれと言うくらいに有名な写真(入浴する智子と母)で、水俣病はこの写真によって光が当たったと言ってもいいくらいですが、ここに貼るのにはいささかのためらいもあります。と言うのは、当時の通訳であり後のユージン・スミスの妻であり現在はユージン・スミスの写真を管理するアイリーンと智子の両親との間の話し合いによって、この写真の使用を許諾しないとしたからです。
でも映画にはこの写真の撮影場面がクライマックスとして描かれます。私も久しぶりに映画で涙しました。

おそらく史実ではないと思いますが、こんなセリフもありました。(うろ覚えなので正確ではありません)

アメリカ先住民は写真に撮られると魂が抜かれると言ったが、魂を抜かれるのは被写体じゃない。撮影者の魂の一部も撮った写真と一緒に抜かれるんだ。

これくらいの気持ちを込めて撮ればいい写真が撮れるんでしょうね。



水俣で撮影当時のユージン・スミスと通訳のアイリーン(彼女は日米のハーフ)。この後二人は結婚、そして離婚。



ベルリン国際映画祭のレッドカーペット上の真田広之、ジョニー・デップ、そして現在のアイリーン。




Posted at 2021/10/09 19:06:06 | コメント(1) | トラックバック(0) | 映画 | 日記

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