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惰眠のブログ一覧

2002年08月25日 イイね!

この鉄屑はもしかして

この鉄屑はもしかしてカレスト座間の近辺で見つけたのだが、これ(写真参照)はもしかして史上最初の「ダットサン」のなれの果てなのではなかろうか。手元にあるニ玄社の図鑑を参照してみると、リアのランプが上下に2つあるところが1958年10月登場の211型の特徴と合致する。他にも、まだ直せそうなミゼット(画面右端)や410型ブルーバードのバンもこれから朽ち果てるのを待つかのように置かれていた。レストアする意思があるとしても、ここまで傷んでしまうと困難を極めるだろうが、言ってみれば日本の自動車産業の黎明期の生き証人(ほとんど錆の塊だけど)を黙って土に返しちゃっていいものなんだろうか?
Posted at 2002/08/25 19:18:35 | コメント(0) | 日本の車 | 日記
2002年08月25日 イイね!

それは流石に言いすぎでしょ…

それは流石に言いすぎでしょ…「ロードスターのハンドリングを受け継いだ」ってのは、幾らなんでもちょっと自画自賛が過ぎるんじゃないだろうか。Z33を動かして見た余勢を駆って、ユーノス500の面倒を見てもらっているディーラーへ行き、新型デミオに乗ってみて思った。たしかに1300~1500ccクラスのコンパクトカーの中では足はしっかりしていると思うし、ブレーキのタッチも比較的カッチリ決まっていいと思う。でも、幾らなんでもロードスターはないでしょうに。

ぶっちゃけた話、アテンザのようなペースで交差点を曲がろうとしても、デミオには出来ない。ブレーキの絶対的な利きがアテンザほどではないし、なにより鼻面がターンインしてくれないでズルズルーっと円周の外側に向けて滑っていく。何かに懐かしいぞ、この感じと思って考えてみたら、昔乗っていた年式で言うと20年近く前の中型FFセダンに似ているのだった。まあ、そういう乗り方をする車ではないのだろうけど。

ところでこの店舗の試乗車、右フロントに擦過痕がある。バンパーの塗装が部分的にはげて下地が見え、ヘッドライトカバーが少し白濁していた。担当営業のYさんに聞くと余り運転の上手くない新人営業マンが入ってきて「こいつ、いつかぶつけるぞ」と思っていたら選りに選ってデミオをっぶっつけたとのこと。修理代は給料から引かれるのだろうか。
Posted at 2002/08/25 17:36:46 | コメント(0) | 日本の車 | 日記
2002年08月25日 イイね!

新しいZカーは…

新しいZカーは…前回のモーターショーでコンセプトモデルを見たとき、そして正式発表されたZ33の写真を見たとき、一企業のイメージリーダーになる車が他社製品をモロに連想させるなんて情けないと、僕は半ば憤りに近い感想まで抱いていた。それも、Zカーと言うビッグネームを戴くクルマが他社の製品に似てるなんて屈辱だと、そう思っていた。
とは言え、立体モノはやはり現物を見ないことには始まらない。そこでカレスト座間まで足を延ばし、実際に新型のZを見て、ついでにカレ座間名物チョイ乗り試乗をしてきた。

心配だったデザインは、二次元で見るのと現物を見るのではやはり違うのだった。自分で取った写真を改めてみると、やはり独某社の某車や別の某車に似て見える(添付画像参照)のだが、実際のZはそれらとは全くの別物で、ちゃんと日産独自のクルマになっているのだった。ただまあ、カタログで謳うほど美しいとは僕には思えなかったが。

で、乗ってどうかと言うことなのだが…パワーはある。トルクもある。シャシもしっかりしているし、ハンドリングも正確。ブレーキだって強力に利く。こいつは確かに速い車に違いない。気難しいところも全然なくて、車体の横幅が1800ミリを越えることにさえ気をつければ、多分、さっき免許を取ったばかりの人でも難なく動かせるんじゃないかと思う。ひとことで言って、凄くよく出来ている。

でも、運転していて全然ワクワクしなかった。少しもときめかない。昔にホンダのS2000に乗ったときも、凄くよく出来ているのに全然楽しくないクルマだなあと思った覚えがあるが、そんな感じだった。少なくとも僕に関する限り、「こんなのスポーツカーじゃないやい!」と言うのが本音。僕としてはもっと、運転してるだけで無性に楽しく嬉しくなっちゃうような躁状態メーカーなクルマをスポーツカーと呼びたい。

それはともかく、カレスト座間の試乗コースにあの車幅はキビシイ。カレ座間が「事故多発ポイント」と注意喚起する90度コーナーなんか、イン側を縁石に引っ掛けそうで恐い。
Posted at 2002/08/25 17:04:01 | コメント(0) | 日本の車 | 日記
2002年08月19日 イイね!

デザインせずにはいられない!

デザインせずにはいられない!リンク先の「サイコドクター暴れ旅」の日記にちょっと触発されて、先に国立民俗博物館に行ったときに見た磨製石器のことを思い出した。初期の磨製石器は、単なる石の剥離片と区別するのも困難な「薄べったい石のかけら」に過ぎないのだが、時代が下がっていくと、一体どういう情熱を傾けて態々こんな形に成型したのだろうと思うくらい、見事にナイフの形をした石器が現れる。

そこまで執拗に一定の造型をしようとした背景には、おそらくその石のナイフを祭器として扱うと言う側面もあったのだろうが、それにしても、そこに現れる美意識と言うか、造型意図というか、とにかく人間とは有史以来、デザインせずにはいられない生き物だったのだとつくづく感心した。

石のナイフだけではない。土器、金属器、武器、衣装。ありとあらゆるものが、なにがしかの美意識に支えられてデザインされている。造型の根本にあった思想が失われたために、その道具がナニであるかさえ判らなくなってしまった銅鐸のようなものもある。余談ながら博物館では、再現製作した銅鐸を定価40万円の正札を下げて土産物屋で売っていた(写真)が、本当に買う人がいるのだろうか?

それは兎も角、モノを作ると言うのは非常に貴い仕事である、と言うことも同時に感じた。例えば布。ファブリック。機械に任せておけば幾らでも織物の出来る近現代とは違い、平安やそれに遡る昔に布なるものを製造する手間と技術に思いすると、殆んど眩暈すら覚える。だって、自分で手織り布が作れますか?日々の衣料にするくらいの布を。
だとすれば、平安貴族の十二単に留まらず、布と言う高度の労働の集積体を数多く持つのは巨万の富の証であるし、また布作りのみに専従する(専従しなければ衣服にするほどの布は作れないだろう)、つまり食糧生産に携わらない生産者を養いうる財力を持つ階層が存在したことを示す。また、そのような職工が生活を維持できる社会構造が形作られていたということも意味している。

一体、こうした社会的な分業と言うのはいつの時代からどのようにして発生したのだろうか。そして、どのような社会意識が、こうした食糧生産に直結しない職業層の存在を維持せしめたのだろう。僕らが受けてきた学校教育で、それらの理由を教わった覚えは無い。僕らが遊びに行った日も、夏休み自由研究の課題を抱えた親子連れが何組も来ていたが、こういう「不思議」について考えることは端から放棄しているように見えた。今の日本の教育体系ではそれでいいのかも知れないけれど、こんなにも人類史の不思議が具体的な姿として展示されているのに、そこに思いが及んでいかないのは余りに寂しい気がした。
Posted at 2002/08/19 15:49:40 | コメント(1) | ふと思ったこと | 日記
2002年08月12日 イイね!

その後の「わたしの知らない世界」

その後の「わたしの知らない世界」過日の日記に記した、米国就労ビザ申請のその後の顛末である。代行業者に書類の作成や申請実務を依頼したはいいが、その後待てど暮らせどビザが下りない。代行業者のほうでも気にしていて、ルートを通じて状況確認などしてくれたのだけれど、留学ビザ申請の季節的ピークにかかっている上に、その留学ビザに関わる法定書式の扱いが8月1日から急に変更になったとかで、米大使館もてんやわんやらしい、との状況が聞こえてくるだけだった。僕は5日から夏休みに入ってしまっていたのだが、それは代行業者が直前に請け負った他社の申請が通った期日から見て6日には下りるだろうとの見通しが立ったからだ。

だがその見通しは、結局のところ楽天的に過ぎた。今日出社して初めて知ったのだが、結局6日にもビザは下りなかったのだ。

社業で赴任する関係上、いつまでも口をあいて待っているわけにも行かず、7日には個人的に米公使と付き合いのある社員が状況を確認することになった。そして明らかになったこと。大使館サイドのいわく、「ビザを出さないつもりは全くありません。ただ、あなた方の会社はこれまでEビザの申請をせずにL、H、その他のビザで通してきている(同業他社は2年程前からすでにEに乗り換えている)ので、一体どういういきさつなのか、過去の発給記録をほじくり返して確認しているのだ。それが揃わない関係で、今回の発給が遅れている」云々。

例の同時多発テロ以来、ビザ申請に非常に神経質になっているとは聞いていたが、これは聞きしに勝る慎重振りである。
僕の勤め先は一応、世間にもそれなりに知られた会社で、なおかつ米政府ともコンタクトのあるセクションがあるお陰で(前出の職員の「個人的に付き合い」もそれで築いた)、まあ一種のバイパスルート的な口利きをすることになった。7日にこれをやったところ、8日にはあっさり発給されたと言うのだから、これまで一月、ジリジリしながら待っていたのは何だったんだろうと思ってしまう。

とか言いつつ、この手の「会社の信用をバックにした個人的関係に基く便宜供与」と言う奴は、実を言うと「わたしのよく知っている世界」なのだが、正規ルートで逼迫状況にあったものが、こうもあっさりと通ってしまうと流石に「なんだかなぁ」と嘆息したくもなる。
Posted at 2002/08/12 14:23:29 | コメント(0) | 身の回りの出来事 | 日記

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「フェアレデーって本当に呼ばれてたの? http://cvw.jp/b/9433/47108671/
何シテル?   07/24 21:51
曲面の綺麗な旧い車が好き、エレガンスのある車が好き。そんなこんなでユーノス500に乗りつづけ、もう……何年だ?  気がつけば屋根のない車まで併有。いつまで乗り...
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