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惰眠のブログ一覧

2003年07月20日 イイね!

父と子のガンダム

父と子のガンダム昔、ガンプラブームというものがあった。僕や弟は、その真っ只中に少年期を過ごした世代なのだが、甥と話をしていると、いまやガンダムというのは親子二世代に渡る作品に成長したのだと実感させられる。パパに貰ったのだと甥が自慢げに出してきたガンダムのカードは、なんと弟が小学生だった頃に親(つまり甥から見れば祖父)に買ってもらった年代ものだった。

 三つ子の魂百までもと言うが、子供の頃に熱中したものは(特に男の子の場合)大人になっても簡単には忘れられないようで、今発売されているガンプラのうちでも高額な商品は、第1次ガンプラブームを経験した僕らの世代の財布を当てこんでいるのだと以前ユーノス500仲間で模型業界の内部に詳しい「すすす」さんから教えてもらった。

 僕もまぁこの年になって幾つか買い込んでいるので弟のことを笑えないのだが、甥や両親から話を聞くと思わず吹き出してしまうようなことも多い。
 先に触れたガンダムのカードの話もそうで、甥は「パパに貰った」と言っていたけれど、弟は最初「これはパパのだから貸してあげるだけ」などと言っていたらしい。
 いつぞやの日記にも一度書いたが、この甥がちょっと入院することになって可哀想だからと弟夫婦がガンダムのおもちゃを見繕いに出かけたところ、弟はレジに一抱えも持ってきてしまい、義妹に「それは教育に良くない」と咎められたそうだ。このとき弟は「いや、ほとんど僕のだから」などと抗弁したと言う。
結局そのときは「僕の分」は買わなかったらしいのだけれど、頑固で強情な弟があきらめるはずはあるまいと思っていたら案の定。
 甥がコレクションを見せてくれたので「パパのもあるの?」と尋ねると「うん、これとこれ」と2種類のザクがパパの持ち物だと言うことを屈託なく教えてくれた。

 面白いな、と思う。親子と言っても無条件に果てしなく打ち解けていられるものではない。僕自身のことを考えてみても、父のことを「この人はまったく度し難い」と思っていた時期だってある。子供の頃を別にすれば、打ち解けてきたと言えるのは或いは父が僕ら兄弟に遅れて免許を取り、クルマ趣味が共通項になったころからかも知れない。
 昭和年代の中ごろまでならば、もしかしたら鬼ごっこや缶蹴りのノウハウ伝授なんかが果たしたかもしれない役目を、今は「ガンダム」という共通体験が負っている。そこまで言うとオーバーかもしれないけれど、弟一家を傍から見ているとそんな気さえしてくる。
 まぁ、バンダイの商売があざといまでに上手だと言うこともできるのだけれども。
Posted at 2003/07/22 14:59:18 | コメント(2) | 芸能・文化 | 日記
2003年07月20日 イイね!

増えた甥を見に行った

増えた甥を見に行った弟夫婦に第二子が生まれてから早くもふた月になろうとしている。足の手術を終えて退院した母の見舞いがてら、弟一家を訪問してきた。

 実家に立ち寄ると、母は手術の予後がよいらしく、杖の助けは必要ながらも基本的には自分の足だけで立って歩ける由。手術で切ったり縫ったりした筋肉が快復してくれば、さらに状態はよくなるらしい。
 ところで人工股関節というものは、足を組むような動作をするといとも簡単に脱臼してしまうのだそうで、手術の傷が癒えてからも、周囲の人へのアピールのために杖は手放さない方がよろしかろう、とドクターからアドバイスされたそうだ。人工股関節の耐用は(使い方にもよるが)概ね15~20年だという。70年も80年も使いつづけられるとは、まこと人体は良くできている。ヒーローものの特撮だとかアニメではいとも簡単に改造手術なんてものが行われているが、現実は厳しい。

 弟一家の家へは父の運転するレガシィB4で移動した。のだけれど、親父殿、運転に悪馴れしたのか何とシートベルトをしないではないか!
全損廃車2回、全損寸止めまで含めると片手では足りない回数の事故を経験している長男としては、こういう態度は看過できない。短距離だから構わないと思って…などとしきりに弁解するが、事故が起こるのは運転距離の長短には関わりない。まして、もらい事故ともなれば自分がスピードを出していなくても相手方がえらいスピードで突っ込んでくることだってありうるのだ。
 弟の長男(父にとっては初孫)も「じぃじ」に注意することしきりだというが、こればっかりはきちんと習慣付けて貰いたい。
 まあ、僕や弟の場合はベルトをしてないと遠心力で体が振り回されて運転しづらい…というスタイルの走らせ方をするから、ベルトをしていないと落ち着かないという理由もあるだろう。しかしまさか自分のこれほど身近に「ベルトをしないドライバー」がいるとは思わなかった。

 そんな小言を言いつつ車で数分移動すると、弟の家に到着。玄関先には今年の正月に見たフィアットのハッチバックが、随分と薄汚れて鎮座しているのだが、見ると駐車スペースは幅も奥行きもギリギリのギリ。これ以上は5ミリたりとも大きい車は停められない。「大きいことはいいことだぁ」というのはウソである。

 生まれたばかりの甥っ子と対面していると、どうも微妙に「お兄ちゃん」の視線を感じる。僕も長男なので、なんとなく彼の気持ちはわかる。大きくなったとは言え、まだ小学1年生。弟ができて嬉しいのもあるけれど、周りの大人の注意・注目が自分から離れて弟ばかりに行ってしまうのは、面白くないというよりも寂しくて居たたまれない。
 それが判っちゃった以上、そして「じぃじ」や「ばぁば」もパパもママも弟の方にかかりっきりになってる以上、僕くらいはお兄ちゃんの方の専属になってやるしかない。それがまぁ、大人の努めと言うものだ。しかしまぁ、親というのは大変だ。子供のどっちかだけに愛情を偏らせるわけにはいかないのだから。そしてその愛情というのは、精神論じゃなくて(特に小さい子供の場合)物理的に一緒に過ごす時間のことなのだから。

 そんなこんなで、小一時間新しい家族の一員を拝見してそそくさと引き上げる算段は消え去り、ともかくお兄ちゃんの方がひとまず満足するまでお付き合いすることにした。子供のスタミナは、身体的にも気力の持続の点でも大人など全く歯が立たないものであるからして、当方は汗みずくである。父に遊んで貰った子供時代、父が簡単に音を上げた理由というか気持ちというか、そういうものが一遍に理解できた。ただこういうとき、いつも一緒にいる家族と違ってフォローの機会がない僕みたいな立場の者は、大人のほうから「飽きた」とか「疲れた」というのを顔に出しちゃいけない。やりすぎたかな、まずったかな、と思わせちゃったら、気の回る聡い子だから可哀想だ。

 ともあれ増えた方の甥もそれなりに見物し、実に表情豊かでなにか話し掛けたげにするのを面白く眺めて帰宅した。
父の兄弟の半分、母の兄弟の半分が結婚せずにいるように、多分僕もこの先家族を持つことはないだろうけれど、ごくたまに、こうやって「親」を疑似体験すると、家族を持つのもいいかなと思う。尤も、すぐに「でもこりゃ、僕にはとても勤まらないな」と考え直すのだけれど。
Posted at 2003/07/22 14:16:11 | コメント(0) | 身の回りの出来事 | 日記
2003年07月18日 イイね!

「あると便利」か「ないと不便」か

「あると便利」か「ないと不便」か「携帯電話、持っていないんですよ」
今の時代、こう打ち明けると100人のうち90人くらいまでは「え~!」とか「嘘でしょ~!」といった反応を返してくる。持ってないなんて信じられない、持っているのが当たり前、というくらい普及しているわけだ。
僕がそう打ち明けて驚かない残り10人のうちでも、僕のように携帯電話を持っていないのは多分半分くらい。ここまでマイノリティになってくると、見ようによっては、携帯電話を持たないのは余程の偏屈者と言えなくもない。

 僕の場合、偏屈で携帯電話を持っていなかったわけではない…と過去形で言ってしまうのは、とうとう自前の携帯電話を(初めて)導入してしまったからだ。水曜日から社内で出張販売が行われていて「機種を選んだり手続きするのが面倒くさいから」という、これまで導入を見送ってきた大きな理由(笑)が崩れたからなのだが、自宅の加入電話がほとんど常時PCにつなぎっぱなしで電話としての用を成してない以上、いずれ買わなければならないことは自覚していた。

 買ったには買ったが、僕は携帯電話が嫌いだ。自前の携帯電話を持つのはこれが初めてだが、3年程前までは仕事用に会社から支給された電話を四六時中持っていて、これが昼夜祝祭日を問わず緊急事態を告げてくれるもので、いつの間にやら呼び出しの電子音はどんな目覚し時計よりも強力・確実に僕をたたき起こしてくれるようになった。
 携帯電話が鳴る、と言うのは90%以上の確率で「ロクでもないことが起きていて、お仕事しに行かなきゃいけない」ことを意味していた(単に仕事に行かなきゃいけないではなく、まず間違いなく「ロクでもないこと」が枕詞につく)のだから、携帯電話が嫌いになるのも無理ないだろう。

 憎き携帯電話に愛着が湧いてしまうと困るので、できるだけ何の機能もついていないものを選んだ。夜中にメール受信などして叩き起こされると辛抱たまらないので、iモードも契約しなかった。
 それじゃ不便だろうとの声もあろうが、不便とか便利とかの問題ではなく精神衛生の観点から僕はノーサンキューなのである。
 会社に支給されていた頃には、午前3時半ごろに突然呼び出しが鳴り、熟睡していたはずなのに跳ね起きて電話に出ると、呼び出しが鳴ったのは「出会い系」の広告メールの着信だったという怒り心頭を通り越し送信者にほとんど殺意さえ抱いた経験もあるので、電話以外の機能はむしろ付いていちゃ困るのだ。

 そういえば、所謂「あると(凄く)便利」なものには、意外と僕は保守的な反応をする傾向がある。電子レンジ、カーナビ、車のオートマ…たしかパソコンの導入も、Win95の大ブームが一段落した後になってからだった。「ないと不便」だと深刻に感じない限り、僕の物欲の虫は動き出さないらしい。
Posted at 2003/07/22 12:10:31 | コメント(2) | 身の回りの出来事 | 日記
2003年07月14日 イイね!

いつか撮りたい写真

いつか撮りたい写真ここ暫らく、バタバタと気忙しい日々が続いて日記の更新も侭ならなかったのだが、日曜日にふと思い立って僕が最初に手にした「自分のカメラ(添付画像)」を机の引出しの奥から引っ張り出してみた。
小学6年生の頃、小遣いやお年玉を貯め、足りない分は父の資金援助を受けて手に入れたもので、その後10年以上普段使いのカメラとして現役だった。

 このカメラが退役した理由は二つ。フィルム巻上げレバーを破損してしまったことが大きいが、その後修理せずにいるのはデジタルカメラの簡便性に流されてしまったからである。
それを何で今ごろ引っ張り出してきたか(ニコンの一眼レフも持っているのに)というと、それが表題の「いつか撮りたい写真」と関係がある。

 蕉門の俳人に其角という人がいる。この人の句に、
「此木戸や鎖(ぢゃう)のさされて冬の月」
と言うものがある。
 僕は俳句というものは、極めて映像的な文学形式だ(特に蕉門にその傾向が強い)と考えているのだけれど、平家物語・巻5を下敷きにしたとされるこの句について、去来抄での読み解きを見たとき脳裏に浮かんだ映像は、「風情あはれに物すごく、いふばかりなし」との去来の言葉以外に形容しがたいものだった。
 固く錠を閉ざされた見上げるばかりの城門、その上に透明感のある真っ黒な夜空に煌々と輝く満月、冷たく透き通った月光に照らし出された情景を思い浮かべたとき、「いつかそんな景色を写真に撮ってみたい」と思った。

 その「いつか」がいつ来るのか(或いは永遠に来ないのか)は判らないが、こういう月夜の情景を写真にしようと思うと、デジタルカメラでは原理的に不可能だということを最近、知った。どうしてデジカメに長時間露光がないのか訝しく思っていたのだが、装置そのものが発する熱による電気的なノイズが避けられなくなってしまうのが理由なのだそうだ。
 となれば35ミリフィルムに回帰するより他ないのだが、そこでなぜ一眼レフではなくコンパクトカメラかと言うと…要するに露出時間の計算をしないですむからだ(笑)。

 カメラ少年だった頃の僕が知ったらあまりの堕落振りに憤慨するに違いないけれど、所詮は素人。機械任せにしたほうが上手くいくのなら、そっちの方がいいことだってある。(車の場合はちょっと別。僕にとって、カメラは写真をとることが目的であって、カメラを操作すること自体に楽しみを見出すわけではないが、車は、その運転動作一つ一つにも楽しさや気持ちよさを感じられるのだから。)
Posted at 2003/07/14 12:38:10 | コメント(1) | ふと思ったこと | 日記
2003年07月01日 イイね!

5カートン50日間のささやかな抵抗

5カートン50日間のささやかな抵抗きょうから増税の影響でタバコが値上げになった。
僕はこれまで足掛け20年強のあいだ喫煙者で来たわけで、いまさら俄かにタバコを止めようという気にはならない。(途中で1年とか2年の禁煙期間を挟んだ実績があるとしても、だ)
それにしてもこれまで販売価格250円だったものがいきなり1割前後値上げになるなんて、酷いやり口だと思う。所得税や住民税だったら、こんな大幅な割増にはならないだろう。
つくづく税務当局と言うところは、弱く大人しく取り易いところから税金を巻き上げるのがお好きらしい。

 とは言え、羊のように大人しい僕であっても(見解の相違はあるにせよ)かつて220円で買えたタバコがついに270円だか80円だかになるとなれば、黙って増税分を払う言う気にはならない。250円になったときにはやらなかった「買いだめ」という奴を、今回はじめて試みることにした。

 会社の先輩には20カートンも買いだめした剛の者もいるのだが、僕にはそこまでの根性はないので、ひとまず5カートン、約50日分のストックを確保しておいた。これで50×20円~30円で、おおむね千円がところ(タバコ日数に換算して4日分:旧価格)の節約である。ま、羊の抵抗なんて所詮その程度に過ぎない。

 それはともかくとして、このところの喫煙者に対する世間のありようという奴は、ちょっとばかりどうかと思わされるものもある。僕の勤め先でも全館禁煙となり、もちろんそれには反対しないのだけれど、喫煙区画が作られ喫煙者の隔離が行われると、今度は「それじゃ不十分だ、壁を作れ」「エアカーテンを入れろ」「喫煙場所自体無くしてしまえ」の大合唱。
喫煙区画に置かれていたテーブルのうち、吸煙装置から遠い2脚にはいつの間にやら禁煙シールまで張られている始末。
 もちろん僕だって吸わない人、タバコの嫌いな人の立場を尊重するに吝かではないが、ここまで来ると人権蹂躙とか差別って言うんじゃないの?と言いたくもなってくる。
 なんだか、相手が喫煙者であればその言い分には一切耳を傾けず、どんなに酷い仕打ちをしても許されると思っているような空気があって、それが非常に不愉快だ。
 お国も「健康増進法」とかいうモンを成立させてしまったが、僕が喫煙者だと言う部分を割り引いても、こりゃあ集団ヒステリーじゃあないかと思わずにいられない。

 ことがまだ「対・喫煙者」だからいいようなものの、こうした風潮の矛先の向かう先が別のもの…例えば外国人だとか障碍者だとか失業者(ホームレス)、高齢者だったらどうだろうな、と考えてみるとうそ寒いものを感じる。実のところ、そういう類の「弱者」に牙を向こうとする底流は、既に存在しているんじゃないだろうか。
Posted at 2003/07/01 13:42:04 | コメント(3) | 身の回りの出来事 | 日記

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何シテル?   07/24 21:51
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