シュツットガルトのミュージアムにぶら下がってる
908は1968年。当時最先端だったのかと言われるとコルベットは1953年から今に至るまでFRP。
その後すぐ、日本では日本のFRPボディの租といわれている浜素紀氏がワンオフのレース車両ボディを製作。大学でファイバーグラス実習を受け持ったこともあり教え子さんたちが居る。
著作のうち一つが最近再販になったようです。ロールスロイスのはオールドタイマー誌で連載されていたので知っています。
戦前ロールスロイスはすべてボディレスで販売し、コーチビルダーがカスタマーと相談の上で仕様を決め、上屋を製作しラジエータ上に支給のマスコットを据えて納車という流れだったそうです。
日本の自動車レースの創始紀に爪跡を残した浜氏は「古い時代のクルマデザインなら私」という自負をお持ちだったことでしょう。しかしFRPの技術をロールスロイスのコーチビルドに応用したのは失敗だったと思います。当時のメーカーがボディを作ってなかったから自由とはいえ…FRPは戦前のロールスには新しすぎる技術ですし、シートメタルフォーミング技術をもたないのに本のタイトルに「レストアのすべて」というのは違う。父の遺したシャーシに自分のFRP技術で作ったボディを合体させたってのが現実。ウッドバック(木型)まではFRPもシートメタルもほぼ同じ、板金で作れる人に依頼する手段もあったでしょうけど請ける人は外国にしか居ないでしょうね。
ああこれはみんカラの先輩方に怒られるかもしれませんw
レストアされていない分解もされたことがないという戦前のロールス。木工や内装など総合力が高いコーチビルダーがあったから作れたわけで、レストアとなるとなおさら。日本にそのころのロールスロイスが戦後まで生き残ったとしても、誰も上屋の修復などできずに捨てられシャーシとエンジンだけ残存することになりやすいでしょう。高温多湿で保存環境が劣悪だったというより、復元できる人材が居らずレストアできる見込みが減るのに従いだんだんと屋外に近い環境に移されていったのでは。
日本には超高額車コーチビルドも無かったし、軽合金ボディのプロト方面のレースカーを作る経験を積んだ人材が蓄積していく暇もなくFRPがレースカーコンストラクターに普及という流れで今に続いたのだろう。
BMWのV12のホットロッドボディ(
こちらの記事の一番下)を
作ってた人、節操なくすごい。SW20やJZA80も鉄フェンダー鉄バンパー。やはりといっていいのかADHDと自称、ですが
上の記事中ほどの深絞りホイールハウスを作っていた人が一人で運営してるのと違い、人を雇っています。過集中ができなければ彼らの域には達しないのでしょう。
原形留めた(といってもRIPSのRB30搭載)してるS30も持っててバーフェン程度で留めそうなのはそれ以上いじると妖怪に化けがちなのを分かってて、それはS30が好きだから。ボディいじるのが動機でS30を持ってきていじるホットロッドビルダーのはヒドイのがあった。
Posted at 2023/10/14 14:23:06 | |
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ボディ・シャーシ | 日記