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2002年09月11日

アメリカ大使館に半旗たなびく

アメリカ大使館に半旗たなびく アメリカ大使館の脇を通ると、大きな星条旗が半旗掲揚されていた。あれから丸一年になる。
去年の9月11日にアメリカで起きた同時多発テロについては同時代人の一人としてどこかで一度、文字にすることで考えをまとめておきたいと思ってきた。国際社会に留まらず国内においても、この事件は恐らく今世紀の政治・経済・社会全般の流れを決める上で、かならず何がしかのプレッシャーをかけ続けることになるだろうから。

情緒的な話をすれば、あの日ハイジャックされた民航機にたまたま乗り合わせた人々や、いつものように世界貿易センターやペンタゴンに出勤し、ただそれだけがために理不尽に命を奪われた人々、あるいは避難者の「危険だから上には行かないほうがいい」との言葉に「だが、これが我々の職務なんだ」と答えてWTCビルの上層階に向かい、二度と戻らなかった消防士の話を思うと、およそ言語に尽くしがたい痛みを感じる。

しかし。僕は敢えて、ここで「しかし」と言いたい。
そうした感情の問題と、アメリカの唱える「正義」の問題は峻別しなくてはならないと思うのだ。だってアメリカはこれまで、9月11日のニューヨークとまったく同じ事を中東でしてきたではないか。
乗員乗客が乗った旅客機の代わりに電子制御されたトマホークミサイルで。
我々が知らないだけで、NYの消防士同様に職務に殉じたイラクやアフガニスタンの消防士だっているかもしれない。
僕には、WTCのツインタワーに突入する旅客機の姿が、トマホークを他国の市街地に撃ち込むアメリカの軍事行動に対する強烈なアイロニーに感じられてならなかった。

前世紀まで、戦争とは国家と国家の相克の末に起こる、皮肉な言い方をするならば外交手段の延長線上に起こる事象と解釈しうるものだった。だからこそ戦後処理は常に当事者能力をもった相手側政府との外交交渉によって決着してきた。
では今回、アメリカが宣言した「戦争」を終結させる交渉相手は存在するのか?
特定の人物を捕らえ、その組織を壊滅すれば一応の決着を見るとしても、それは戦争終結と言うよりは敵対勢力の「殲滅」であり、一種のジェノサイドではないのか。
ましてやアメリカが言うのは「テロとの戦争」である。アル・カイーダとの戦争では、ないのだ。
これは言葉を換えて言えば、アメリカの、アメリカによる、アメリカのための平和が全世界を支配するまで、アメリカに仇なす敵に武力行使を続けると宣言しているに等しい。
僕はこれを、恐ろしいと感じる。

いかなる国家であれ、あの9月11日のような攻撃を甘受することはありえない。その限りにおいて、アメリカがあの事件を引き起こした敵対当事者に戦いを挑み、脅威を排除しようとすることは当然である。一独立国家としての「正義」は、そこでは正しい。たしかF.ベーコンの言葉だったと思うが、「復讐は、一種の野蛮な正義である」の通りだ。
しかし一独立国の報復攻撃を戦争と称し、ましてやそれを人類全体の「聖戦(ジハード)」であるかのごとく粉飾したロジックが絶対の真理であるかのように扱われる現状を、僕は恐ろしいと思わずにいられない。

最後に、Site Felixと言う個人サイトに書かれている「和解の政治学」の話を一部引用したい。
『現代思想』誌の2000年11月号の特集を受けた内容だ。

『E.モランは「犠牲者には、自分を苦しめた者以上に、賢明かつ人道的であらねばならないという義務があります」と言う。
「復讐と憎しみの論理から逃れるために、あらゆる手を尽くしてみることです」と言う。
そしてそれは(相手のことに関する)「理解」から始まると説く。
「無理解に抵抗すること」「私達自身の内での悪の蔓延に屈しないこと」だと強調する。
そう、どこかで、「殺されたから殺す」「殺されそうだから殺す」という憎悪の輪廻を断ち切らない限り悲劇は繰り返すのだ。
まず「殺す心」を殺さねばならない。

モランは最後にこのようにまとめている。

倫理とは、私にとって、世界の残酷さに抵抗すること、つまり、生の、社会の、そして、人間という存在の残酷さに抵抗することなのですが、それは理解や寛大さや人徳なしには成り立ち得ないのです。』

Site FelixのURLはこちら。http://www.mahoroba.ne.jp/~felix/index.html


補記:文中にあるフランシス・ベーコンの言葉は、より正しくは
「Revenge is a kind of wild justice,which the more man's nature runs to, the more ought law to weed it out.」である。この意味するところは「復讐とは、多くの人がごく自然に行なわんとする正義の一形態である。ゆえに、斯様な想念を根こそぎすべく法によって律するようより多大なる努力が払われるべきである」であり、直情的な正義の実現=復讐(「報復」とすべきか)を戒め法による支配の重要性を指摘した言葉である。
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Posted at 2002/09/11 14:24:32

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