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2015年02月23日

ミスターK逝く…

ミスターK逝く… 訃報 「ミスターK」、フェアレディZの生みの親、片山豊氏が逝去

2015年2月21日、元ニッサンの片山豊氏が逝去された。享年105歳。片山氏はニッサンUSAの初代社長。1954年に開催された第1回自動車モーターショー(会場:日比谷公園)の開催に尽力。ニッサンだけでなく日本の自動車産業に貢献し、アメリカでもミスターK、フェアレディZの生みの親として知られ、1998年にアメリカの自動車殿堂入りも果たしている。

片山豊氏は1909年(明治42年)に現在の浜松市に生まれた。慶應義塾大学を卒業後、1935年、3年前に発足したばかりの日産自動車に入社。総務部配属となり宣伝を担当した。松竹少女歌劇の舞台上に10台のダットサンを登場させたり、三越百貨店の商品搬送用にニッサン・バンの採用を促進するなど斬新なPRを行なった。

戦後、1954年に日本の自動車メーカーが集合して初開催された「第1回 全日本自動車ショウ」(東京モーターショーの前身)は、そもそも片山氏が企画・提案し、各自動車メーカーに呼びかけ、開催の実現に尽力したものだ。

1958年には1.0L・OHV、34psの「富士号」、「桜号」ダットサン(210型)で豪州一周ラリーに挑むラリーチームの監督となり、クラス優勝を遂げ、当時の大きなニュースとなった。

その後日産の本格的な対米輸出がはじまり、1960年に片山氏は新設されたニッサンUSAの社長としてロサンゼルスに赴任し、市場にダットサンのブランドを知らしめた。そのフランクな性格から、「ミスターK」として敬愛された。

そして1969年発売のフェアレディZのプロジェクト推進役としても貢献。片山氏は米国日産を設立してからも多くの人に受け入れられるスポーツカーの企画を頭の中で企画していたという。それがフェアレディZのコンセプトとして結実する。

すでに商品化されていた他の日産車のコンポーネントも活用し、ロングノーズ・ショートデッキのスポーティなボディを載せた、誰でも気軽に、爽快にドライブできるスポーツカーである。それがフェアレディZだった。アメリカ市場を中心にヒットし、月産4000台のペースで販売され、スポーツカーでは異例の専用生産ラインまで作るまでに至った歴史がある。

アメリカのフェアレディZクラブでも「Zの父」として知られ、1998年には「自動車先進国の米国で、多大な偉業を成し遂げられたのは、自動車への強い情熱と長期的な経営視野と豊富な経験、そして何よりも国境を越えて異郷の人々を愛し、理解し、協力と支援を惜しまなかった高潔なパーソナリティによる賜物」との賛辞とともに、米国自動車殿堂入り果たしている。



【新聞ウォッチ】“ミスターK” 片山豊さん105歳で死去…「フェアレディZの父」東京モーターショー“仕掛け人”

気になるニュース・気になる内幕---今日の朝刊(朝日、読売、毎日、産経、東京、日経の各紙・東京本社発行最終版)から注目の自動車関連記事をピックアップし、その内幕を分析するマスコミパトロール。


2015年2月23日付

●厳戒首都疾走3万6000人(読売・1面)

●片山豊さん死去「Zの父」日米奔走(読売・7面)

●生活道路にもガードレール、重大事故の減少期待(毎日・3面)

●景気回復「実感ない」81%、内閣支持率、横ばい50%、本社世論調査(日経・1面)


ひとくちコメント

“ミスターK”のニックネームで親しまれていた北米日産(元米国日産)の初代社長の片山豊さんが2月19日、105歳で亡くなった。今日の読売などが報じている。

紺ブレにストライプのネクタイがよく似合う典型的な「慶應ボーイ」という風貌が印象的だったが、スポーツカーの『フェアレディZ』の父としても知られており、北米日産時代にダットサンZカーを米国市場に持ち込んで100万台以上も売り込んだ。

提携先のルノーから派遣されたカルロス・ゴーン社長には、再建の目玉としてフェアレディZの復活を懇願するなど、生涯にわたりブランドの維持に努めてきた。

1998年には、本田宗一郎氏や豊田英二氏らに次ぎ、日本人としては4人目の米国の自動車殿堂入りを果たした。

片山さんの偉業のもう一つは、「東京モーターショー」の“仕掛け人”でもあったことである。戦後の復興期の1954年には、当時日産の宣伝部に配属していた片山さんは、各社の宣伝担当者に声をかけて、まだ日本には自動車が少なかった時代に東京の日比谷公園に自動車を一堂に集めた。日頃、自動車に接することができない人たちにも身近に見て触れてもらう機会を考案した。

当初は自動車業界紙が主催していたが、「1社の主催では他の新聞社が取材に行かない。業界として一括したパブリックリレーションをする時代だ」として、業界団体が主催する自動車ショーに切り替えたのも片山さんのアイデアだったという。

その東京モーターショーが50周年を迎えた2005年には、50年の歩みを綴った記念の冊子が発行されたが、その座談会で片山さんが忘れられない思い出の1台にスバル『360』をあげていた。「リアエンジンとか、機構的にも面白い。アメリカの坂道でもよく走った。国民車の見本になるべき実用車だった」と。合掌。


105歳だったんですね
北米日産の社長をやられていたんですね…
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Posted at 2015/02/23 10:57:27

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