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2018年08月29日

予定は未定だったって事ですね…残念ながら

予定は未定だったって事ですね…残念ながら 発表前に開発中止になった21台のクルマ 前編

1950年代の“小ベンツ”(1953年)

W201、すなわち1982年12月発売の190まで、メルセデス・ベンツはエントリーモデルの導入で失敗を続けていた。1953年、経営陣は170Vよりコストを15~20%削減したモデルの開発を承認する。しかし、ダイムラーが1958年にアウトウニオンを傘下に収めると、このプロジェクトはキャンセルされた。当時のとある重役は、この小さなメルセデスがDKWの大型モデルと競合するため、不要なオーバーラップを避けたいのだと語っている。

フォルクスワーゲンEA-48(1953年)

今日のシティカーの基礎となるレイアウトは、1959年に登場したオースチン・ミニにあると見なされるのは当然のことだ。しかし、この英国の小さな巨人を、フォルクスワーゲンが打倒していた可能性があった。1953年、ビートルの売れ行きが停滞していたのを受けて、このドイツの新興メーカーは600との仮称を与えたコンパクトモデルに着手した。それはランニングコストを抑え、小さなボディサイズながら室内を広く取る必要がある。プロトタイプのテストは1954年に始まった。

社内コードEA-48こと600(仮)は、ビートルとの共用パーツが極めて少なかった。モノコック構造で、フロントサスペンションはマクファーソン式。エンジンはフロントに積まれ、前輪を駆動する。エンジンは600cc水平対向2気筒・18psだが、これだけはビートル由来で、基本的にそのフラット4を半分に切ったものだ。

ハインツ・ノルトホフ社長がエンジニアに開発中止を命じたのは、1956年のこと。ビートルのセールスがいよいよ好調に転じ、今後を左右する大切な時期に、第2のモデルが水を差すことを恐れたためだ。

アルファ・ロメオ・ティーポ103(1959年)

アルファ・ロメオは、1958年にルノー・ドーフィンのライセンス生産を開始。しかし一方で、自社開発のエントリーモデル導入によるラインナップ拡大も検討していた。1960年に製作された前輪駆動のボクシーなティーポ103は、ラインナップ的にはジュリアのすぐ下にあたるモデルだ。

アルファの前輪駆動へのシフトは、ミニに着想を得たものらしい。ティーポ103は50psの直4ツインカムをフロントに横置きし、4段MTを組み合わせる。それなら成功間違いなしと思えたが、首脳陣はルノー車の生産継続し、自社モデルについては既存車種の改良に注力することを決める。FFアルファのアイデアが具現化するのは、1971年のアルファスッドまで待つこととなった。

メルセデス・ベンツ600クーペ(1965年)

メルセデスの600は、通常版もロングホイールベース版もショーファードリブンが一般的だった。しかしシュトゥットガルトでは、個人向け高級車のトップエンドとして、このリムジンの2ドア仕様導入を計画。その姿はほぼサルーン仕様と変わらず、明確な違いはドアの数と、前輪後方に追加されたエアベントくらいだ。

ところがメルセデスは、600クーペはプロトタイプ段階で打ち切り、そのリソースをこのクルマではないプロジェクトに投入することとした。現在、たった一台のみ製作された試作車は個人のコレクションに収まっているが、その価値は計り知れない。

シトロエン2CVシュペール(1974年)

1974年、2CVは26周年を迎えた。シトロエンが、さらなるモデル追加を図ろうとしたのは当然のことと言えるだろう。しかし、2CVをベースに、トラクシオン・アヴァンのデザイン要素を大幅に採り入れたレトロデザインのモデルを、新型車として投入しようとしたのはいかがなものか。2CVシュペールと銘打ったそれは、ルーフを金属パネルの固定式とし、伸ばしたノーズにGS譲りのフラット4を積んだ。プロジェクトは着々と進行したが、シトロエンがこれをキャンセルしたのは賢明な判断だっただろう。

フォルクスワーゲン・パサートGTI(1977年)

1977年、フォルクスワーゲンはアウディ80GTEの112psを発生する1.6ℓ直4を、パサートのエンジンルームに押し込んだ。さらに、前後ともブレーキを大型化し、ワイドなタイヤを履かせ、ゴルフGTIとのビジュアル的な関連性を感じさせるスポーティなボディキットを装着した。パサートGTIと銘打たれた2ドアのプロトタイプは、ウォルフスブルグ周辺の一般道でもテストドライブが行われ、満足のいく結果を収めた。

ところが、時のCEOであるトニ・シュマッカーはプロジェクト中止を決定する。彼には、パサートがパフォーマンスカーへ姿を変えるとは、どうしても信じられなかったのだ。

ポルシェ984(1984年)

もし市販化されていたら、時系列的に914とボクスターをつなぐこととなっただろうミッシングリンクが、この984だ。ミドシップのロードスターで、プロトタイプに積まれたのは、137psの2.0ℓフラット4だ。

開発の目的は、ポルシェのショールームに若い顧客を呼び寄せることと、特にアメリカでのセールスとイメージを大きく引き上げることだった。そのため、1987年にアメリカの新車市場が急激な落ち込みを見せたのを受けて、突如として中止されてしまった。

BMW 767iL(1987年)

1980年代終盤、BMWは7シリーズより上位に位置するモデルの導入機会をうかがっていた。目指したのは、ラグジュアリーな装備を満載し、強力な16気筒エンジンを積む堂々たるフラッグシップ。1987年7月、技術陣は開発に着手した。

アドルフ・フィッシャー指揮の下、5.0ℓV12に4気筒を加えるかたちで産み出された6.7ℓV16は、最もベーシックな仕様で414psを発生した。12気筒より30cmほど長いパワーユニットを収めるべく、ラジエーターはフロントから排除され、代わりにボディ後端のトランクルームを潰して小型のものが2基装着。そこへ外気を導くべく、左右のリアフェンダーにエアダクトが穿たれ、GFRPのスクープが取り付けられた。

BMWはこのプロトタイプに767iLの名を与え、テストも行なったが、首脳陣のプロジェクト継続に対する結論はノー。V12を上回るエンジンは不要とみなされたのだ。これとほぼ同時期に、ダイムラー・ベンツはメルセデスのW18エンジンを、同じ理由で葬り去っている。

ランボルギーニP140(1980年代終盤)

ジャルパに代わり、ランボルギーニのボトムエンドを支えることになる、はずだったP140。開発のスタートは1980年代終盤、クライスラー傘下入りしたすぐ後のことだ。マルチェロ・ガンディーにが描いたウェッジシェイプデザインの下には、375psの4.0ℓV10をリヤミドシップに積み、後輪を駆動するメカニズムが秘められている。4WDの導入も検討されたが、最終的に見送られたのは、コスト的な理由からのようだ。

製作されたプロトタイプは4台程度で、ナルドの周回路での高速走行など、実走テストに供された。この本格的な開発ぶりこそ、真剣に市販化を目指していたと思わせる材料だ。ランボルギーニのアーカイブ部門によれば、まっとうに行けば1992~1993年に正式デビューするはずだった。価格は当時にして12万5000ドル程度というから、2018年の貨幣価値に換算すれば約2500万円といったところ。金額的に見れば、ポルシェ911カレラ4とディアブロの間といったところか。

しかし、P140は1990年代初頭にお蔵入りとされた。これを市場に投入するに足るリソースがなかったことに加え、スーパーカーの世界的な需要が落ち込んだことも原因だ。

フォード・スポーツカー(1995年)

フォードは1995年にGT90コンセプトを製作し、いまなおスーパーカー造りのノウハウを有していることを欧州のライバルたちに見せつけた。アメリカ製ランボルギーニといった風情のスタイリングは、かつて1960年代のル・マンでフェラーリを震え上がらせたGT40の後継車を示唆するものだ。ただ、このクーペの市販化計画は、まったく表に出てこなかった。というのも、フォードはコンセプトカーの域を出ることを望まなかったからだ。少ないながらも、ショールームに並んでしかるべきクルマだったのに。

GT90のプロジェクト・マネージャーを務めたフレッド・グッドニューは、彼ら開発ティームがこのクルマから多くを学んだと語る。フォードは、1998年にスポーツカーを開発する予定で、そこではGT90のコンポーネンツを活用することをほのめかした。そこでメディアは、これがコルベットとフェラーリのギャップを埋めるものになるだろうと、こぞって書きたてたのだが、フォードがマスタングを上回るスポーツモデルを発売したのは、自社の100周年事業の一環としてGTを限定生産した2004年のことだった。


発表前に開発中止になった21台のクルマ 後編

BMW M3コンパクト(1990年代)

1990年代のBMWは、新規セグメントの開拓を望んでいた。そこにはMディビジョンの業務拡大も含まれ、3シリーズ・コンパクトのMモデルが試作されている。このクルマには、若い顧客を呼び込み、彼らを固定客とする足がかりになることが期待されたのだ。鼻先に搭載したのは、321psの3.2ℓ直6だ。しかしミュンヘンの面々は、型落ちのE30シャシーを用いたコンパクトには、直6を積むにしてももっと非力なユニットにすべきだということに気づかされたのである。

ダイムラーへ売却寸前だったフィアット(2003年)

フィアット・グループの自動車生産部門は、2000年代初頭にどん底を見た。慢性的な過少投資が災いし、2000年には9.4%を数えた欧州の新車市場におけるシェアも、2004年には5.8%にまで落ち込んだ。1899年の創業以来、経営の実権を握り続けてきたアニエリ一族が、2000年にフィアット・アウトの1.4兆円規模の身売り話をダイムラークライスラーへ持ちかけたと、オートモーティブ・ニュースは報じている。つまり、フィアットとクライスラーがダイムラーの傘下に入るということで、そうなればバッジエンジニアリングの横行にうんざりさせられる羽目になったのは確実だ。

創業者の孫にして当時の会長だったかのジャンニ・アニエリはしかし、売却を取りやめる。代わって、フィアット株の20%を、GMへ約2700億円で譲渡し提携関係を結ぶが、フィアットの経営悪化を受け2005年に提携解消を求めたGMから、2300億円以上の違約金をせしめることに成功。これを元手に図ったラインナップ拡大が、再生のきっかけとなった。

スズキ車ベースのランチア版クロスオーバー(2005年)

訃報の衝撃覚めやらぬセルジオ・マルキオーネ。フィアット・グループにおける肩書が単にCEOだった2005年、ランチア再生にはスズキSX4ベースの小型クロスオーバーを用意すべきだという商品プランを発表した。そのモデルの詳細には触れられなかったが、それはコストを抑えつつブランドに活気を与えるモデル群の一翼を担うはずだった。仮称ながらパンゲアという車名まで取り沙汰されたものの、結局は実現しなかった。同時に言及されていたフィアット版のセディチは2005年にデビューするのだが、ランチア版が登場しなかった明確な理由は語られていない。

スバル製のサーブ版クロスオーバー(2006年)

1999年から2005年まで、GMはスバルを一ブランドとして擁した当時の富士重工業の株式を20.4%所有していたが、経営陣はこのパートナーシップを、スバルの生産台数増加と、サーブのラインナップ拡充を同時に叶えるチャンスだと考えた。サーブは2004年にインプレッサ・スポーツワゴンをベースとした9-2Xを発売したが、これに続いてB9トライベッカからSUVの9-6Xを編み出そうと考えた。そのプロトタイプは、今もサーブのミュージアムに展示されている。

サーブ調のマスクを与えられたそれは、背後に隠したボクサー6ともども、ベース車の特徴を明らかに示すもの。このプロジェクトが中止されたのは、GMが2005年に富士重株を手放したためだ。その後、トライベッカは2008年にマイナーチェンジを図るが、その顔立ちには9-6Xの要素が多く見て取れる。

キアのアメリカ向けピックアップトラック(2008年)

キアは2008年に、モノコックボディを用いた街乗りピックアップの開発を承認する。当時の報道によれば、車名こそ未定ながら、主要構造は2009年発売の2代目ソレントと共用し、ジョージア州ウエストポイントの工場で生産される予定だった。想定される競合は、ホンダの初代リッジラインである。

しかしキアは、原油価格の高騰に伴ってトラック市場は縮小しているとして、計画中止を決める。「今はトラックを造るべきときではない」というのが彼らの言い分だった。それ以来、キアはトラック市場参入を再考することはないが、親会社のヒュンダイはサンタクルーズ・コンセプトの市販バージョンというべきトラックを2020年に発売しようとしている。今度こそ、リッジラインに挑もうというのだ。

リンカーンの後輪駆動フラッグシップ(2009年)

フォードの高級車部門であるリンカーンは、2000年代終盤に後輪駆動の旗艦モデル開発に着手。フレームシャシーのタウンカーに代わる車種と想定されたものだが、プランは2011年に凍結される。自動車誌などでは、プラットフォームはフォードのオーストラリア部門の手による、多くのモデルでシェアする予定の新開発品だと報じられた。しかし、北米市場は突如として燃費効率に優れる車種へと需要がシフトし、しかも2009年ごろまで続いた大不況の間は新車販売が急落。これが、開発中止の引き金となった。

デザイナーのJ.メイズは、オートモーティブ・ニュースの取材に答え、フォードはモデルチェンジ計画から後輪駆動モデルを排除したと語った。「わが社は、燃費効率追求の道を進んでおり、そのためにやるべきことは山積みです。ですから、後輪駆動車については話し合っていません。非常に楽しみにしていたんですがね」。2007年に公開されたこのMKRコンセプトは、翌年の市販化が一度は決定されたが、残念ながらそれが実行されることはなかったのである。

ポンティアックG8 ST(2009年)

この乗用車ベースのピックアップは、現代版のシボレー・エルカミーノといった成り立ちに、ハイパフォーマンスを盛り込んだモデル。366psの6.0ℓV8の搭載が予定されたG8 STはオーストラリアのホールデンが生産し、GM幹部は年間5000台程度を販売する予定だと語った。しかし2009年1月、GMは経営破綻目前となり、この強力なセダン・ピックアップが市販されないことがディーラーに通達された。

2009年4月には、ポンティアック・ディビジョンの廃止を発表したGM。翌年いっぱいで全てのモデルが生涯を終え、高名なネイティブ・アメリカンの名を戴いた老舗ブランドは84年の歴史に幕を下ろした。

ジャガーC-X75(2010年)

ジャガーは75周年を迎えた2010年に、C-X75と銘打った未来的なコンセプトカーを発表した。パワーソースは、ガスタービンと電気モーターのハイブリッドで、エンスージアストたちの反応はポジティブなものが圧倒的に多かったため、ジャガーは250台限定での市販化をアナウンスする。ところが、プランは直後にキャンセル。世界的な不況が、ハイエンドモデルのマーケットに大打撃を与えたためだ。

2015年、AUTOCARはジャガーが80周年にあたり、C-X75プロジェクトを再考していると伝えたが、残念ながら量産に結びつくことはなかった。7台のみが製作されたが、これは映画『007スペクター』の劇中車で、うち5台はカースタントに用いられた。

モーガン・エヴァGT(2010年)

2010年のペブルビーチ・コンクール・デレガンスで、モーガンはエヴァGTと銘打った4座の高級GTを披露した。それはモーガンの他のモデルに比べ、古臭さをだいぶ払拭していた。シャシーはエアロマックスやエアロ・スーパースポーツと共用し、BMW製の直6ツインターボを搭載する。

モーガンは2012年のデリバリー開始を見据え、前金の受付を始めたが、AUTOCARでは2011年に、先進的なマグネシウム合金に関するテクノロジーを導入するべく、発売が2年遅れることをお伝えした。発表は2014年のジュネーブ・ショーで、それからまもなくデリバリーが始まると、モーガンは請け合った。

しかし2013年、ディーラーにはエヴァGTのキャンセルが通達される。5000ポンド(約70万円)のデポジットについては、全額返金か、他モデル購入資金の一部に組み込むこととされた。

21世紀版ルノー4(2013年)

ルノーは、自社の象徴的モデルのひとつであるキャトルのリバイバルを、2013年ごろに実現するはずだった。このプロジェクトは当時のCOOであるパトリック・ペラタの肝いりで、文句なしの青信号となったのだが、2011年にスパイ冤罪事件の絡みでペラタは辞任。後任のカルロス・タバレスは、現代版ルノー4を凍結し、キャプチャーの発売へ集中することを決定した。

ルノーのフラッグシップ(2013年)

ルノーは、メルセデス・ベンツを擁するダイムラーとの提携を、4ドア・セダンの最上級モデル開発に生かそうと画策した。2013年、当時のCOOで、現在はプジョーのCEOに収まっているカルロス・タバレスは、ウォール・ストリート・ジャーナルに開発作業が止まったことを明かした。その理由は、ビジネスケースが見出せなかったという単純なもの。もしも話が進んでいたら、W212型Eクラスのプラットフォームを利用することになったはずだ。
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Posted at 2018/08/29 23:43:12

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この記事へのコメント

2018年8月30日 4:43
当時のサーブ版インプやトライベッカのデザインがいい。
同じ車なんだけどと首を傾げてた頃を思い出します
コメントへの返答
2018年8月30日 20:38
GGAな9-2Xとトライベッカがなる予定だった9-6Xねぇ~

時代ですかね…
2020年5月19日 21:57
3代目インプレッサは5ドアを2代目サーブ・9-2、4ドアを2代目サターン・アイオンとしてそれぞれGMに供給する予定だったという裏話があったのでは…と思えるくらいバタ臭い印象が強いんです。
3代目フォレスターのSUV色が強まったのも、アウトバックとの棲み分けのほかに2代目サターン・ヴューとして出す予定もあったからなのでは…?
コメントへの返答
2020年5月19日 22:00
2代目のワゴンは9−2Xの名前で出しましたが、その後トライベッカを導入しようかしている頃にGMとの関係がゴタゴタしていた気がするので3代目の頃ってどうなんでしょうかね?

う〜む、そのへんは私は聞いたこと無いので初耳ですね

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「@うーさー トランクに切れ込み入っていて車体にウイングの足を残しながら外れてくれます(開くって表現はしなくなります)」
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