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2018年10月26日

零がダメでもP-2のかたちで市販化出来れていれば…ね

零がダメでもP-2のかたちで市販化出来れていれば…ね 市販化は幻に! 惜しまれつつもお蔵入りとなった国産スーパーカー4選

 販売されていれば日本車の歴史が変わった可能性も

 スポーツカーの中でもひときわハイパフォーマンスで、エレガントかつスタイリッシュなボディを持ち、けっこう高価なクルマたち。スーパーカーの定理はざっとこんなものではないだろうか。

 この分野は長年、イタリアやイギリス、そしてドイツなどのヨーロッパ系のメーカーに半ば独占されてきたが、どっこい、わずかながら日本製のスーパーカーも存在する。そんなジャパニーズ・スーパーカーをピックアップしてみよう。

 1)童夢-零

 ジャパニーズ・スーパーカーの代表格といえば、なんといっても童夢-零。レーシングコンストラクターの童夢が、市販化を目指して開発した渾身の一台。童夢の御大、林みのるがデザインしたボディは、ウェッジシェイプ+リトラクタブルライトという、「Theスーパーカー」のスタイリングだ。

「世界一全高が低いクルマ」という触れ込みで、全高は980mm。シャシーはスチールモノコック、ボディはFRPのセミモノコックという仕様だった。パワーユニットは国産にこだわり、日産の2.8リッター直列6気筒エンジン(L28型 145馬力)をミッドシップに搭載。

 1978年の第48回ジュネーブモーターショーに出展し、世界的にも大反響となったが、当時の運輸省(現 国交省)と車両認定に関しての交渉が門前払い同然で進まず、市販化は幻に……。プラモデルなど模型・玩具類は大ヒットし、スーパーカー少年たちを魅了した。

 2)日産 MID4

 1985年のフランクフルトモーターショー、そして同年の第26回東京モーターショーにも出展された日産のMID4。開発を託されたのは、”スカイラインの父”として有名な故・櫻井眞一郎。V型6気筒SOHC(VG30型)をDOHC化したVG30DE型(最高出力は230馬力)を横置きに搭載し、シュタイヤープフ社(オーストリア)が供給するプラネタリーギアのセンターデフ+ビスカスを組み合わせた4WDシステムと4WS(HICAS)まで備えた、最先端のクルマだった。

 一方でマーチなど、量産車の部品を多数流用し、コストを抑えることも検討されたが、量産化を目指したMID4IIは、いろいろ盛り込み予価2000万円と高価なクルマになった。ゆえに、プロジェクトは消滅。のちにGT-RのアテーサE-TSにつながるようなスポーツカーの4WD化、ハイキャス、ツインターボ、マルチリンクサスなどは、MID4にルーツがあっただけに残念な一台だった。

 3)マツダRX500

 元祖ジャパニーズ・スーパーカーといえるのは、1970年の東京モーターショーに登場したマツダのRX500。マツダ創立50周年を記念に開発されたこのクルマは、カウンタックよりも早くガルウイングドア(正式には「バタフライウィングドア」)を採用した画期的な一台。エンジンはレース用にチューニングされた、10Aロータリー(250馬力)で、それをミッドシップに搭載。

 コスモスポーツの後継モデルという計画で、風洞実験を繰り返し、マツダ社内デザイナーの福田成徳さんが担当。ブレーキも4ポットキャリパー&4輪ベンチレーテッド・ディスクというハイスペックで、本気で高性能車を追求していたが、この一台の試作車だけで終わってしまった。

 4)ヤマハOX99-11

 1991年に発表されたヤマハ初の四輪車になる予定だったクルマ。ヤマハは1989年からF1にエンジンを供給しており、「OX99」はブラバムBT59Yが搭載していた3.5リッターV型12気筒DOHC60バルブエンジンの名称だ。そのOX99を公道向けにデチューン(それでも450馬力!)し、ミッドシップに搭載。「ロードゴーイングF1」という触れ込みで登場した。

 ムーンクラフトの由良拓也がデザインを担当し、車体センターに運転席、その真後ろに後部座席というタンデムの二人乗りで、シャシーはCFRPモノコック。販売価格は、100万ドル(約1億3000万円)と言われていたが、バブルが崩壊こともあり、1993年に計画は消滅してしまった。



そういう意味で言えばスーパーGTにも出ていたガライヤの流れでムーンクラフトの紫電を市販化に出来ても面白かったんだけどなぁ




【旧車・童夢】市販が期待された幻のスーパーカー-日本のスーパーカー 第5回

欧州のスーパーカーがスゴいのは誰でも知っている。だが日本のメーカーも、日本人のためのスーパーカーを作るべく努力をしてきた。そんな歴史を振りかえる企画、今回は、日本のカロッツェリアが生み出したスーパーカー「童夢」だ。(ホリデーオート2018年11月号より)

レーシングコンストラクターが世に問う寸前まで行ったが…。

レース界で名を馳せていた日本のコンストラクター、童夢が1978年のジュネーブ・ショーで「童夢 零」(タイトル写真奥のシルバーのクルマ)を発表した。

ミッドに搭載されたエンジンは日産のL28型 直6SOHC。スーパーカーのエンジンとしてはスーパーとは言い難かったが、当時の国産エンジンとしては最強と言えるものだった。フレームはスチールモノコックでFRP製のボディを架装するという、当時では先進的な構造と言えた。

翌年の1979年、童夢 P-2が発表される。このモデルは零をベースに北米の保安基準に合わせて改良されたもので、バンパーの大型化やヘッドランプの高さ変更が行われた。

だが、童夢はル・マン24時間レース参戦のためレーシングカー製作に傾注することになり、P-2の市販化計画は立ち消えになってしまった。
(解説:飯嶋洋治)

■童夢 P-2主要諸元 
●全長×全幅×全高:4235×1775×990mm ●ホイールベース:2450mm ●重量:950kg ●エンジン型式・種類・排気量:L28E・直6 SOHC・2753cc ●最高出力:145ps/5200rpm ●最大トルク:23.0kgm/4000rpm ●トランスミッション:5速MT ●タイヤサイズ(前・後):185/60HR13・225/60HR14
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Posted at 2018/10/26 23:14:29

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