• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+
イイね!
2020年01月15日

グループ5やグループ6の後継としてより過激に

グループ5やグループ6の後継としてより過激に 【グループCの時代】ポルシェ956はひとつのお手本として高い完成度を誇った【その1】

1980年代から90年代にかけて、超ド級のレーシングカーが壮絶なバトルを繰り広げていた。最高出力1000ps、最高速400km/h、決められた燃料使用量でレースをいかに速く走り切るか、メーカーが知恵を絞ったことで様々なマシンが誕生したことでレースを面白くした。この短期集中連載では、そんなグループCカーの時代を振り返ってみよう。第1回は「ポルシェ956」だ。

エンジンはどんな形式でもOK、規制されたのは燃料使用量だけ
1982年から始まったグループC規定の最大の特徴は、レース距離に応じて燃料使用量が決められていたことだった。速くなければ勝てなかったが、速いだけでは勝てなかった。エンジン形式、気筒数、排気量、過給器に制限はなく、マシンのサイズも全長4800mm、全幅2000mm以内という自由なもので、メイカーのクルマ作りの思想や個性が現れていたのも興味深かった。

オイルショックの影響でレース活動を控えてていた自動車メーカーにとって、この「速さと燃費の両立」という課題は理想的な大義名分となり、名だたる自動車メーカーが参戦。王者ポルシェを打倒するというシナリオも、メーカーにとって魅力的で挑戦しがいのあるものだった。

また、ポルシェがグループCカーのお手本となった956/962Cをカスタマー向けに量産したことで、その気になればプライベーターも優勝争いに加わることも可能となり、参加台数は安定し、全体のレベルもぐんぐん上がっていった。

しかし、1991年、F1が新規定NA3.5Lに移行する同時にグループCカーもこれと同一化、これにより急速に支持を失い、1992年限りで世界スポーツカー選手権は一時消滅することになる。それから30年、グループCカー時代を凌ぐスポーツカーレースをまだに実現できていない。

耐久レースを知り尽くしたポルシェが生んだ名車
すでに1970年代に917や936でル・マン24時間を始めとする耐久レースの王者となっていたポルシェは、1982年から施行された新規定に沿った完全新設計の「956」を送り出す。

それまでのポルシェのプロトタイプスポーツカーと大きく違っていたのは、ポルシェのレーシングカーの特徴だったスペースフレームにようやく見切りをつけ、初めてアルミモノコック製のシャシを使用したこと。流麗なFRP製ボディはドイツ・バイザッハの風洞で磨き上げられ、その下面、フロント車軸下にはフラットボトム規定下で効率的にダウンフォースを生み出すための「ポルシェ・ハンプ」と呼ばれる独特のくぼみが設けられていた。

1982年デビュー当初のエンジンは、前年のル・マン24時間優勝車である936-81にも使われていた2650ccの強制空冷(シリンダーヘッド水冷)式水平対向6気筒+ツインターボ。5速のトランスミッションは信頼性やドライバーの疲労を考慮してシンクロメッシュ式となっているのが、耐久レースを知り尽くしたポルシェらしい選択だった。

デビュー戦となった1982年WEC第2戦シルバーストンでは、規定の違う(燃費規制のない旧規定グループ6)ランチアLC1に敗れたポルシェ956だったが、この敗戦のデータをもとにさらに熟成を進め、本番のル・マンでは見事1-2-3フィニッシュを達成。WEC(世界耐久選手権)シリーズでもランチアとの死闘を制して、マニュファクチャラーズ/ドライバーズのダブルタイトルを獲得する。

翌1983年からはカスタマーチームにも市販を開始するとともに、エンジンを機械式燃料インジェクションからボッシュ製電子制御燃料インジェクションに変更するなどして燃費パフォーマンスを改善。その後もWECを席巻し、ル・マンでも1983年にワークス、1984、1985年にヨーストレーシング(独自モディファイの3Lエンジンを搭載)が制して4連覇を達成。後継の962Cを含めた前人未到のル・マン6連覇(1981年の936-81から数えるとポルシェは7連覇)の礎となった。

ポルシェ956(1982年)主要諸元
●全長×全幅×全高:4770×1900×1080mm
●ホイールベース:2650mm
●車両重量:820kg
●エンジン型式:935/78
●エンジン:水平対向6気筒DOHCツインターボ
●ターボチャージャー:KKK
●排気量:2650cc
●最高出力:620ps以上/8200rpm
●トランスミッション:5速MT
●駆動方式:MR


【グループCの時代】ランチアLC1/LC2はグループC導入時、唯一ポルシェに対抗できる存在だった【その2】

1980年-90年代、超ド級のレーシングカーが壮絶なバトルを繰り広げていた。最高出力1000ps、最高速400km/h、決められた燃料使用量でレースをいかに速く走り切るか、メーカーが知恵を絞ったことで様々なマシンが誕生したこともレースを面白くした。この短期集中連載では、そんなグループCカーの時代を振り返ってみよう。第2回はグループC規定初期の名車、「ランチアLC1/LC2」だ。(タイトル写真はランチアLC1)

何度もポールポジションを獲得、ポルシェを焦らせた
グループC黎明期に、ポルシェのライバルとなったのがランチアだった。ただし、規定初年度の1982年のWEC及びル・マンに出場したLC1はグループCではなく、旧規定のグループ6マシン。新設のグループCだけでは多くの参戦台数が見込めないと考えたFISAは、1982年に限ってグループ6の参加を認めており(ただしポイントが獲得できるのはドライバーズ選手権のみ)、参戦決定が遅れて開発期間が短く、予算も潤沢ではなかったランチアはあえてグループ6規定でニューマシンを製造するという奇策でドライバーズ選手権を狙ったのだった。

同時期のランチアのラリー037によるWRCのマシン開発をアバルトが担当したのに対し、LC1開発の主導はランチア・コルセ本体が行なっていた。

エンジンは前年1981年まで使用していたグループ5のチャンピオンマシン、ベータ・モンテカルロの1.4L、直列4気筒ターボ。アルミモノコックのシャシ設計はダラーラが担当した。

グループ6にはグループCより軽量(LC1は956に比べて約200kg軽かった)で、しかもオープンプロトタイプというボディ構造に加えて、燃費制限もなく、若手F1ドライバーたちの積極的起用もあって、LC1のパフォーマンスは956と拮抗していた。惜しくも敗れたものの、全8戦中3勝を挙げ、最終戦までタイトルを争う健闘を見せたのだった。

そして翌1983年、ランチアはいよいよ本格的なグループCマシン、LC2を投入する。LC1と同様の体制で開発されたLC2のエンジンはフェラーリ308系の2.6L V8ユニットを参考にした専用設計で、ツインターボとしていた(1984年から排気量は3Lに)。

車体は規定一杯の全幅2000mmではなく1800mmのナローボディが特徴だった。これは前面投影面積を減らすことで燃費向上=エンジンパワーの効率的な活用を狙ってのことで、ナロートレッドの弱点であるコーナリングの不安定さは、レーキ(前傾角度)を利用してのダウンフォース増大などの先進のエアロダイナミクスで補った(1985年仕様から全幅2000mmに)。

空力重視のコンセプトは的中し、LC2は3年あまりのワークス活動期間で、予選ではポールポジションを何度も獲得するなど、ポルシェに拮抗するパフォーマンスを披露。

しかしレースでは耐久性不足や適切なワークスタイヤが見つからなかったこと(ピレリ→ダンロップ→ミシュランと変遷)もあって、ポルシェにトラブルが起きたときしか勝つことはできなかった。

結局1986年のシーズン開幕戦終了後に親会社フィアットが撤退を決め、ランチアはWRCに集中することとなったが、グループC活動で培った電子制御技術や空力理論はラリーで活かされたという。

ランチアLC1(1982年)主要諸元
●全長:4700mm
●ホイールベース:2500mm
●車両重量:640kg
●エンジン型式:14.81T
●エンジン:直列4気筒DOHCターボ
●排気量:1425cc
●最高出力:450ps/8500rpm
●最大トルク:400Nm/7300rpm
●トランスミッション:5速MT
●駆動方式:MR

ランチアLC2(1983年)主要諸元
●全長:4800mm
●全幅:1800mm
●全高:1065mm
●ホイールベース:2665mm
●車両重量:640kg
●エンジン型式:308C(フェラーリ)
●エンジン:V型8気筒DOHCツインターボ
●排気量:3015cc
●最高出力:720ps/8800rpm
●駆動方式:MR


【グループCの時代】ポルシェ962Cは安全基準変更に伴って登場し盤石の地位を築き上げた【その3】

1980年-90年代、超ド級のレーシングカーが壮絶なバトルを繰り広げていた。最高出力1000ps、最高速400km/h、決められた燃料使用量でレースをいかに速く走り切るか、メーカーが知恵を絞ったことで様々なマシンが誕生したこともレースを面白くした。この短期集中連載では、そんなグループCカー時代を振り返ってみよう。第3回は「ポルシェ962C」だ。

最強を誇った1985-86年にはプライベーターも大挙参戦
1985年、ワークスポルシェは962Cにアップデートする。まだ充分なポテンシャルを発揮していた956を代替えしたのは、FISA(当時の国際モータースポーツ連盟)がドライバーの足先を前輪車軸より後ろに置く新しい安全規定を導入したためだった。

ポルシェはこの安全規定を先行して導入していた北米のIMSAシリーズに参戦するため、956をIMSA・GTP規定に合わせた962(956がツインターボなのに対し、こちらはシングルターボ)を開発、1984年から出場させており、この962をグループC仕様に仕立て直したのが962Cというわけだ。

956と962Cの大きな違いは、ドライバーの足元を後退させたことによるホイールベースの延長で、外観上ではフロントのホイールハウスからドアまでの長さの違い(962Cの方が150mm長い)となって現れている。そのほかにもフロントカウルの変更やリヤタイヤ大径化などのモディファイが施されていた。

エンジンは当初は956の2.65Lエンジンを引き継いでいたが、その後、ポルシェ独特のモジュラー型のシリンダー構造を利用して2.8L、3Lと排気量を拡大。最終的には3.2L仕様まで登場している。

戦績面では1985~86年までは最強を誇ったものの、次第にジャガー&メルセデスの新世代グループCマシンを相手に防戦一方となり、1987年にWSPC(前年にWECから名称変更)のタイトルをジャガーに奪われ、1988年にはついにル・マンの王座からも陥落。この年をもってワークス活動は終焉し、以降はヨーストレーシングにワークスマシンを託し、1993年まで製造が続けられた。

後期にはプライベーター用マシンのモノコック製作を請け負う外部会社も登場して、夥しい数の962Cが誕生し、IMSA用の962を含めその総数は約150台近くになると言われている。

ポルシェ962C(1988年)主要諸元
●全長×全幅×全高:4770×1990×1015mm
●ホイールベース:2770mm
●車両重量:900kg
●エンジン型式:935/83
●エンジン:水平対向6気筒DOHCツインターボ
●ターボチャージャー:KKK
●排気量:2994cc
●最高出力:850ps
●駆動方式:MR


【グループCの時代】ジャガーXJR9 LMがついにポルシェの連勝を阻止、新時代の到来を告げた【その4】

1980年-90年代、超ド級のレーシングカーが壮絶なバトルを繰り広げていた。最高出力1000ps、最高速400km/h、決められた燃料使用量でレースをいかに速く走り切るか、メーカーが知恵を絞ったことで様々なマシンが誕生したこともレースを面白くした。この短期集中連載では、そんなグループCカー時代を振り返ってみよう。第4回は「ジャガーXJR9 LM」だ。

ブランドイメージを象徴するV型12気筒エンジンを搭載
1988年6月12日、ついにポルシェが耐久王の看板を降ろす時がやってきた。この日、TWR(トム・ウォーキンショー・レーシング)のジャガーXJR9LMが、ポルシェワークスの962Cを下し、ポルシェのル・マンでの連勝記録を止めたのだ。

ジャガーにとっては前年のXJR8によるWSPCシリーズ制覇に続く快挙は、956/962C最強時代の終焉を告げ、ここからグループCはジャガーvsメルセデスの2強に日本車が絡む混戦時代に入っていく。

TWRによるジャガー・グループC活動は、北米IMSA・GTPで5.3L V12エンジン搭載のグプロトタイプ、XJR-5を走らせていたグループ4の活動を引き継ぐ形で1985年からスタート。瞬く間にポルシェをキャッチアップして王座から引きずり降ろした最大の要因は、世界最先端のイギリス流マシン作りを徹底したことにあった。

チーム代表のトム・ウォーキンショーのもとでマシン製作を指揮したのは、F1経験の豊富なトニー・サウスゲート。1985年登場のXJR6(6.2L V12エンジン搭載)、1986年からのXJR8(7Lエンジン搭載)、その発展型で1988年デビューのXJR9へと続く歴代のTWRジャガーは、当時のF1ではすでに常識となっていたカーボンコンポジット製モノコックを持ち、すでにひと世代もふた世代も前の技術であるアルミモノコックのポルシェ962Cを車体剛性の面ではるかにリードしていた。

さらに空力面でもジャガーは最先端のエアロボディを備えており、高剛性のシャシとともに優れたロードホールディングを実現。モータースポーツ予算の削減で962Cに変わるブランニューマシンを投入できないポルシェとは潜在的能力の点で大きな差があった。

ネックだったのは、ブランドイメージを維持するため使用しなければならなかった重厚長大なV12エンジンと5速ドッグミッションの信頼性不足だったが、これも時を経るごとに徐々に解決。

ついに1987年のシリーズ制覇と1988年ル・マンでのXJR9 LMの殊勲に至る。翌1989年のル・マンではメルセデス=ザウバーC9の前に一敗地に塗れたが、1990年にはXJR9の発展型であるXJR12が再びル・マンを制覇し、その後も1993年初頭まで活躍。サウスゲートが確立した初期コンセプトの優秀性を証明している。

ジャガーXJR-9 LM(1987年)主要諸元
●全長:4800mm
●全幅:2000mm
●全高:1030mm
●ホイールベース:2710mm
●車両重量:894kg以上
●エンジン型式:M119HL
●エンジン:V型12気筒SOHC
●排気量:6995cc
●最高出力:760ps
●駆動方式:MR



【グループCの時代】シルバーアローのザウバーC9/メルセデスには強烈なインパクトがあった【その5】

1980年-90年代、超ド級のレーシングカーが壮絶なバトルを繰り広げていた。最高出力1000ps、最高速400km/h、決められた燃料使用量でレースをいかに速く走り切るか、メーカーが知恵を絞ったことで様々なマシンが誕生したこともレースを面白くした。この短期集中連載では、そんなグループCカー時代を振り返ってみよう。第5回は「ザウバーC9/メルセデス」だ。

1989年ル・マンとWSPCシリーズを制覇、メルセデス黄金時代の礎を築く
1955年ル・マンでの観客83名が死亡する大惨事の影響で、長らくサーキットでのレース活動を停止していたメルセデスが、スイスのプライベートチーム、ザウバーにエンジン供給という形で耐久レースの場に戻ってきたのは1985年。「ザウバーC8・メルセデス」は1986年にはWSPCで1勝を挙げ、1987年にマシンをC9へとアップグレード、TWRジャガーと並ぶ打倒ポルシェの急先鋒となっていく。

C9の搭載エンジンはC8と同様に5L V型8気筒+ツインターボ。シャシはアルミモノコック+カーボンコンポジット補強で、空力はC8に比べてアンダーボディでのグラウンドエフェクト獲得に進化があった。

1988年にザウバーはメルセデスの正式なワークスチームとなり、この年のWSPCでは11戦中5戦で優勝。最終戦までエースのジャン-ルイ・シュレッサーがジャガーのマーティン・ブランドルとドライバーズタイトルを争った。

翌1989年のC9はエンジンを4バルブ化するとともにボッシュの燃料制御システムを最新仕様にアップグレード。カラーリングもジャーマン・シルバー一色のワークス・カラーに一新された。

迎えたル・マンは前年にタイヤトラブルで決勝レース出場を見合わせたというC9にとって因縁の一戦だったが、見事メルセデスにとって1952年以来となる優勝を1-2フィニッシュで達成。WSPCでもメイクス/ドライバーズ選手権を制覇するという圧倒的な強さを見せつける。

1990年はフルカーボンモノコックの新型マシンをC11を導入。マシン名はザウバーではなく正式に「メルセデス」となった。C11はWSPCから外れたル・マンには参加しなかったが、難なくシリーズ連覇を達成。加えてこの年から、将来のF1進出を見据えて若きミハエル・シューマッハらを擁したジュニア・チームプログラムをスタートさせ、これが紆余曲折を経て現在最強のF1チーム、メルセデスAMGの活動につながっている。

ザウバーC9/メルセデス(1989年)主要諸元
●全長:4800mm
●全幅:1980mm
●全高:1069mm
●ホイールベース:2700mm
●車両重量:905kg
●エンジン型式:M119HL
●エンジン:V型8気筒DOHCツインターボ
●排気量:4973cc
●最高出力:700ps/7000rpm
●駆動方式:MR


【グループCの時代】プジョー905はグループC時代の掉尾を飾るマシンとなった【その6】

1980年-90年代、超ド級のレーシングカーが壮絶なバトルを繰り広げていた。最高出力1000ps、最高速400km/h、決められた燃料使用量でレースをいかに速く走り切るか、メーカーが知恵を絞ったことで様々なマシンが誕生したこともレースを面白くした。この短期集中連載では、そんなグループCカー時代を振り返ってみよう。第6回は「プジョー905」だ。

3.5L NAの新しいグループC規定として登場
1988年秋、FISAは1991年からグループC規定を改定し、搭載エンジンを当時のF1と同様の3.5L NAに限定すると発表した。

この新規定(カテゴリー1)にはポルシェは参加しなかったが、ジャガー、メルセデス・ベンツ、トヨタ、日産の既存グループC参戦メーカーがプロジェクトスタートのタイミングの差こそあれ新規定車を開発。唯一の新参入メーカーとなったのがプジョーだった。

現FIA(国際自動車連盟会長)であるジャン・トッドが率いていた当時のプジョーのモータースポーツ部門プジョー・タルボ・スポールは、205T16でのWRC活動とそれに続くラリーレイドで大成功を収めた後、新たな挑戦の場としてサーキットレースに狙いを定めており、完全新規定で各メーカーが横一線で開発をスタートする3.5L NAの新グループCはうってつけのカテゴリーだった。

いち早く1990年に完成した905は、80度V型10気筒エンジンを最新のカーボンコンポジットモノコックに搭載し、F1マシン並みのサスペンション構成と市販車のイメージを残した流麗なボディが特徴だった。

だが、1990年のテスト参戦2戦とTWRジャガーの新規定マシンXJR14に完敗した1991年のSWC(WSPCから名称変更)前半戦で空力デザインの不備に気づいたプジョーはシーズン途中でのボディの大幅なモディファイに着手。第5戦にXJR14風のボディをまとった905エボ1bisを登場させることになる。

翌1992年、ジャガーとメルセデスはSWCから撤退。プジョーは新たに新グループC、TS010を投入してきたトヨタと一騎打ちで対峙することになったが、905エボ1bisは、シリーズ、ル・マン24時間ともに圧倒的な強さで勝利。参戦メーカーの少なさからSWCが消滅した1993年も、ル・マンで発展型のエボ1Cが1-2-3フィニッシュで再度トヨタを一蹴してグループC時代の掉尾を飾った。

殊勲の将トッドはこの大勝利を手土産にスクーデリア・フェラーリの監督の就任。F1でミハエル・シューマーハとともに黄金時代を築いたのち、2009年からFIA会長となり2012年に新生のプロトタイプカーによる世界選手権としてWECの名を復活させている。

プジョー905 エボ1 bis(1991年)主要諸元
●全長:4800mm
●全幅:1960mm
●全高:1080mm
●ホイールベース:2800mm
●エンジン型式:SA35 A2
●エンジン:V型10気筒DOHC
●排気量:3499cc
●最高出力:700ps
●駆動方式:MR

ブログ一覧 | 自動車業界あれこれ | 日記
Posted at 2020/01/15 22:38:37

イイね!0件



今、あなたにおすすめ

ブログ人気記事

【スズキ GT125】 レストアが ...
エイジングさん

なか卯 親子丼‼️
まーぶーさん

キリ番Get^_^
tatuchi(タッチです)さん

飯テロ(ↀДↀ)✧
zx11momoさん

AKG 北関東TRG 参加してきま ...
RA272さん

最近の生成AIはよく出来てる
Dober.manさん

この記事へのコメント

コメントはありません。

プロフィール

「@まなひろ エアバルブ側でダブルナットとかにして固定は難しそうですかね🤔」
何シテル?   04/12 09:49
初めまして。 インプレッサG4に代替を致しました~ 自分色に染めて行こうと思います 燃費を気にする割にアクセル踏んじゃうんですよ~ バトンに関し...

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/4 >>

  12345
6 789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   

リンク・クリップ

FrogDrive S660用リアダクトフレーム取り付けその1 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2021/11/29 15:26:19
ポケモンGO攻略まとめ  
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2018/08/12 02:23:37
 
マギレコ攻略Wiki 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2018/08/12 02:22:57
 

愛車一覧

スバル インプレッサ G4 スバル インプレッサ G4
初の新車に代替をいたしました~ ターボからNAになりましたが、インプレッサはインプレッサ ...
スバル インプレッサハードトップセダン スバル インプレッサハードトップセダン
GC6を自らの事故で失った後、次の愛機を探している所コイツが浮上しました。 車重は10 ...
スバル インプレッサハードトップセダン スバル インプレッサハードトップセダン
初のマイカーです。NAという事とコズミックブルーマイカって色なのであまり回りにいない車な ...
スバル BRZ スバル BRZ
兄貴の増車なんですが、いじる許可を貰っているので気ままに弄り回します。
ヘルプ利用規約サイトマップ

あなたの愛車、今いくら?

複数社の査定額を比較して愛車の最高額を調べよう!

あなたの愛車、今いくら?
メーカー
モデル
年式
走行距離(km)
© LY Corporation