2020年01月24日
20年以上前の話なんだよね…
【グループCの時代】マツダ787Bのル・マン制覇には大いなる必然性があった【その7】
1980年-90年代、超ド級のレーシングカーが壮絶なバトルを繰り広げていた。最高出力1000ps、最高速400km/h、決められた燃料使用量でレースをいかに速く走り切るか、メーカーが知恵を絞ったことで様々なマシンが誕生したこともレースを面白くした。この短期集中連載では、そんなグループCカー時代を振り返ってみよう。第7回は「マツダ787B」だ。
ロータリー最後のチャンスで見事にル・マンを制覇
日本メーカーのグループCカーと言えば、まずはこの1台。1991年のル・マン優勝車マツダ787Bである。
マツダのル・マン挑戦は1973年のシグマへのロータリーエンジンの供給に始まり、マツダ・オート東京(のちのマツダスピード)によるIMSA仕様RX7での挑戦(1979~82年)、グループCの下位クラスであるCジュニア及びC2クラスでの参戦を経て、1986年からいよいよマツダ本社も関与を深めての総合優勝を狙っての戦いに入った(クラスは重量面で有利だったIMSA-GTP)。
その間にマツダ渾身のレーシングロータリーは2ローターから3ローター、そして4ローターへと進化。シャシーも1986年からイギリスのナイジェル・ストラウド設計になってから急速に洗練され、1990年に期待の787が登場。だが、この年のル・マンは2台揃ってリタイアの惨敗に終わる。
翌1991年のル・マンは従来のグループCと3.5L NAの新規定グループCが入り混じる過渡期で、ロータリーエンジンにとっては最後の挑戦機会だった。マツダはこの一戦に向け、787のシャシー/エンジンに徹底改良を施したグループCカー、787Bを送り出す。
200項目以上に及んだという改善項目をマツダ/マツダスピードの総力体制でクリアしたこのニューマシンは、抜群の信頼性を誇り、巧みな事前ネゴシエーションでIMSA-GTP時代と同様にライバルに対してマイナス100kgの最低重量も維持できた。さらには当時の最新レーシングテクノロジーだったカーボンブレーキも採用していた。
迎えた本番、パワーで勝るライバルのメルセデスC11やジャガーXJR-12に対し、重量・燃費で優位に立つ787Bは一歩も引かない争いを展開。ついに残り3時間を切ったところでメルセデスのトラブルに乗じて首位を奪取。そのまま栄光の24時間目を迎えた。
もちろん日本車にとっては初優勝。大殊勲のカーナンバー55=シャシーNo.002の787Bはその後、完璧にレストアされて現在もマツダに保管されている。
マツダ787B(1991年)主要諸元
●全長:4782mm
●全幅:1994mm
●全高:1003mm
●ホイールベース:2662mm
●車両重量:845kg
●エンジン型式:R26B
●エンジン:4ロータリー
●排気量:654cc×4
●最高出力:700ps以上/9000rpm
●最大トルク:620Nm以上/6500rpm
●トランスミッション:5速MT
●駆動方式:MR
【グループCの時代】ニッサンR91CPはグループC時代終盤、デイトナ24時間制覇の偉業【その8】
1980年-90年代、超ド級のレーシングカーが壮絶なバトルを繰り広げていた。最高出力1000ps、最高速400km/h、決められた燃料使用量でレースをいかに速く走り切るか、メーカーが知恵を絞ったことで様々なマシンが誕生したこともレースを面白くした。この短期集中連載では、そんなグループCカー時代を振り返ってみよう。第8回は「ニッサンR91CP」だ。
ル・マンに参加できていたら、おそらく優勝していた
ニッサンのグループCでの活動はモータースポーツ専門会社ニスモ設立(1984年)の前年、1983年から開始され、多くのマシンと異なる型式のエンジンが投入されたが、その中から1台を選ぶとすると、グループC晩年期の1992年のデイトナ24時間を制したR91CPとなるだろう。
前年のマツダ787Bのル・マン優勝同様、長い伝統を誇るこのアメリカの耐久レースで日本車が優勝したのは初のことであり、しかもその快挙は3人の日本人ドライバー(長谷見昌弘、星野一義、鈴木利男)によって達成されたのだ。
苦難が多かったニッサンのグループC活動に最後にして最大の栄光をもたらしたR91CPの開発プロジェクトを指揮したのは、その後開発主管としてR35 GT-Rを産み出すことになる水野和敏。水野は1989年からニスモに出向し、JSPC(日本国内でのグループCによる選手権)でのチーム監督を務めた他、チーフエンジニアとして車体開発も担当していた。
その水野をニスモへと誘ったのはR91CPの3.5L V8ツインターボエンジンの開発者でのちにニッサンのグループCプロジェクト全体の責任者となる林義正だった。カーボンモノコックを持つR91CPの車体は1990年のル・マンで予選3位・決勝5位の成績を挙げたR90CPの発展改良型で、ローラのシャシの影響があったR90シリーズとは違い、水野と林のコンビで設計された完全にニッサン自製のマシン。その中の示す通り、91年のル・マン制覇にターゲットを絞ったマシンだった。
だが、その1991年は新旧グループC規定の端境期。ル・マンに出場するためにはSWCへのシリーズ出場が義務付けられていたが、これをニッサン本社が承認せず、R91CPのル・マン出場への道は閉ざされてしまった。
それでも開発は続けられ、翌1992年のJSPC用R92CPの開発テストの一環として同年1月のIMSA開幕戦デイトナ24時間への参戦が新たな目標として定められたのだった。
ライバルはIMSAの王者として君臨していた北米ニッサンのワークスチーム、NPTIのR90Cに、ジャガー、イーグル・トヨタ、ヨースト・ポルシェなど。予選3位からのスタートとなったニスモのR91CPは、圧倒的なパフォーマンスで終始優位にレースを展開。結局当時の新記録となる762周を走り切って、見事に優勝を果たしたのだった。
ニッサンR91CP(1991年)主要諸元
●全長:4800mm
●全幅:1990mm
●全高:1100mm
●ホイールベース:2795mm
●車両重量:930kg以上
●エンジン型式:VRH35Z
●エンジン:V型8気筒DOHCツインターボ
●排気量:3496cc
●最高出力:680ps以上/7200rpm
●最大トルク:800Nm以上/5200rpm
●トランスミッション:5速MT
●駆動方式:MR
【グループCの時代】トヨタ91C-Vから進化した94C-Vはトヨタ最後のグループCカー【その9】
1980年-90年代、超ド級のレーシングカーが壮絶なバトルを繰り広げていた。最高出力1000ps、最高速400km/h、決められた燃料使用量でレースをいかに速く走り切るか、メーカーが知恵を絞ったことで様々なマシンが誕生したこともレースを面白くした。この連載企画では、そんなCカー時代を振り返ってみよう。最終回は「トヨタ91C-V」、そしてその直系で、トヨタ最後のグループCカーとなる「トヨタ94C-V」だ。
Cカー時代の残り火で激闘、しかしル・マン制覇はならず
トヨタのグループCの代表格として取り上げる94C-Vは、正確に言えばグループCではなく、1994年のル・マン24時間レースの参戦車両規定のひとつ、LMP規定のマシンである。
トヨタがワークスとして初めてル・マン24時間に参加したのは1989年。本格的なグループCカー用にV8エンジンを開発、トヨタのモータースポーツ関連会社TRDがグループCマシン89C-Vを製作した。そしてそのマシンは、1991年には3.6L V型8気筒+ツインターボを搭載する名車「91C-V」に進化していた。
しかし、1991年にはグループC規定は3.5L NAの新規定カテゴリー1に移行することになり、排気量無制限の旧規定は消滅することになる。それでも新規定移行への混乱、旧規定の参加容認などもあり、新規定の「TS010」と並行して、「91C-V」はその後も、進化を続けていくことなる。
1994年のル・マン24時間に参加した「94C-V」はその直系の後継車であり、エンジンも91C-Vと同じ3.6L V型8気筒+ツインターボを搭載していた。1994年時点ではすでにスポーツプロトタイプカーによる世界選手権は姿を消し、旧規定グループC及び新規定グループC(3.5L NA)の命運はともに尽きていたが、ル・マンだけは生き残り、参戦台数確保のために旧規定グループCカーに重量や吸気制限、燃料タンク容量制限などのハンデを加えてLMP(ル・マン プロトタイプ)としての参戦を認めていた。
迎え撃ったのはもうひとつのル・マンの車両規定であるLMGT1規定に合致させるために無理やり市販GTバージョンを1台のみ製作して登場してきた、ドイツ・ダウワーレーシングの962LM。つまりはかつての耐久王ポルシェ962Cそのものだった。
レースは予想通り、重量の軽いLMPの94C-Vと燃料タンク容量の大きい962LMの一騎打ちとなり、サードの94C-Vが終始リードする形で残り90分を迎えた。誰もが1991年のマツダに次ぐ優勝を期待したが、突然シフトリンケージにトラブルが発生。土壇場で勝利を逃してしまう。
トヨタの「最後のグループCカー」は2位でル・マンを終えた。優勝こそ叶わなかったが、プライベート体制で快挙まであと一歩まで迫ったサードの代表は、1970年代前半までのトヨタのモータースポーツ部門第7技術部出身で、その後シグマ・オートモーティブを興し1973年にマツダを誘って日本人として初めてル・マンへ挑戦した加藤眞だった。
トヨタが悲願を達成するのはこれから24年後、2018年のことになる。
トヨタ 91C-V(1991年)主要諸元
●全長:4795mm
●全幅:1995mm
●全高:1000mm
●ホイールベース:2775mm
●車両重量:850kg以上
●エンジン型式:M119HL
●エンジン:V8DOHCツインターボ
●排気量:3576cc
●最高出力:800ps/7000rpm
●最大トルク:85.0kgm/4000rp
●駆動方式:MR
トヨタ 94C-V(1994年)主要諸元
●全長:4800mm
●全幅:1995mm
●全高:1000mm
●ホイールベース:2775mm
●車両重量:967kg
●エンジン型式:M119HL
●エンジン:V8DOHCツインターボ
●排気量:3576cc
●最高出力:800ps/7000rpm
●駆動方式:MR
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Posted at
2020/01/24 22:19:10
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