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2020年04月26日

ステンのボディも個性的だよ

ステンのボディも個性的だよ 【麻薬と不正利用 ロータスの関与】デロリアンDMC-12 開発と倒産の裏話 前編

バック・トゥ・ザ・フューチャーで一躍有名に

text:Richard Bremner(リチャード・ブレンナー)

translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)


タイムトラベルのアドベンチャー映画が上映されていなければ、ステンレス製のボディにガルウイング・ドアを備えたデロリアンDMC-12は、今ほどの知名度は得ていなかっただろう。

デロリアンのデザインは、フラックス・キャパシターがなくても充分に個性的。それだけでなく、クルマが備える欠陥や、開発者が犯した犯罪は、ちょっとした物語級の面白さがある。

世界中で好まれているバック・トゥ・ザ・フューチャーは、御存知の通り3部作。テーマパークのアトラクションにもなっている。だが、DMC-12の開発ストーリーも同じくらい興味深いと思う。実際、映画にもなった。

DMC-12の開発が行われたのは、1981年から1983年という短期間。もっとも、映画の存在がなければ、開発の裏話も旧車マニアや北アイルランドの歴史好きに受けた程度だったかもしれないけれど。

1979年、英国政府はデロリアン・プロジェクトを進めるため、5,300万ポンド(71億5500万円)という資金援助を行った。失業者対策として。しかしすぐに、数百万ポンド(数億円)に及ぶ資金の使途不明利用が発覚する。

ロータスの関与や、タイミングの良いコーリン・チャップマンの死去。創設者、ジョンZデロリアンによる180万ドル(2億円)のコカイン取引など、逸話やスキャンダルも絶えないのが、デロリアンでもある。

GM最年少のスピード出世からの起業

創設者のジョンZデロリアンは、1960年代、最も華やかに自動車業界で活躍した人物の1人だった。40歳でゼネラル・モータースとして最年少の部門マネージャーに昇格。GM内でもトップ級の仕事をこなした。

マネージャーにしてはカジュアルな風貌に、少なくないテレビ出演など、お硬い幹部の間での評判は良いわけではなかった。1973年にはマネージャーを降り、フロリダのGMディーラーで働くようになった。

その後、ジョンZデロリアンは新たな事業に乗り出す。デロリアン・モーター・カンパニーを立ち上げ、彼の名を冠したスポーツカーを計画。英国政府は北アイルランドに、製造工場を準備した。

当時の政府は、経済的に厳しかった北アイルランドでの雇用拡大の手段として、デロリアンに大きな期待を寄せていた。創業後しばらくは、政府の期待通りの成果を挙げていた。

新しいスポーツカーは、バックボーン・シャシーを備え、ボディはステンレスを用いたコンポジット・パネルが採用された。レイアウトはリアエンジン・リアドライブ。ルノー製のV型6気筒エンジンが動力源だった。

イタリアのカーデザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロのドラマチックなスタイリングは、ガルウイング・ドアが最大の目印。だが、会社の運命も負けじとドラマチックだ。

創業者の信用失墜とともに会社も倒産

180万ドル(2億円)のコカイン取引容疑により、ジョンZデロリアンはFBIの捜査を受け、デロリアン社は望まぬ注目を集めた。当時の英国首相、マーガレット・サッチャー首相が決定した資金援助に対しても、不信感は高まった。

ジョンZデロリアンは最終的に無罪となるが、彼の弁護士は、警察がしかけた罠にはまった、と主張した。しかしデロリアン・モーター・カンパニーは、創業者の信用失墜と合わせるように、1984年に倒産してしまう。

その翌年、1985年に公開された映画、バック・トゥ・ザ・フューチャーはDMC-12を銀幕の世界へと押し上げた。ハリウッド出演がもう少し早ければ、もしかすればデロリアン社は立ち直れたかもしれない。

工場へ大きく依存していた当時の北アイルランドでは、数千人が大きな影響を受けた。デロリアンの開発から製造に関わった、多くの努力は忘れ去られつつあるが、クルマ自体は今も高い注目を集めているのが対照的だ。

このDMC-12は、現在は未来の自律運転技術の開発用車両としても選ばれている。アメリカ・スタンフォード大学では、EVのデロリアンを開発し、事故を回避するために意図的にドリフトさせるアイデアを研究している。

テスト車両はテールスライドのマルチ・アクチュエーターのベース車両となっている。フラックス・キャパシターの研究だけではない。

デロリアン工場の施工に携わった内装職人

熱い期待を集めていたクルマを実現するために、全力を投じた人々。工場の建設に関わった人。潰れかかったデロリアン社を、画期的な計画で立て直そうとした人。今回は、ジョンZデロリアンの背後にいた人物を、インタビュー形式で紹介したい。

ジョー・マレー 内装職人

内相職人のジョー・マレーは振り返る。「わたしは室内装飾を担当していました、つまり、社内のあらゆる場所に立ち入れました」 豪華なカーペットが敷かれた、ジョンZデロリアンのオフィスも施工したという。

「ユニークだと思ったのが、個人用のバスルームがあったことと、トイレにも電話が設置されていたこと。とても印象に残ったことの1つです」 と話すマレー。

ジョンZデロリアンはアメリカの芸能界とも人脈があり、テレビ司会者のジョニー・カーソンが工場を訪れたこともあったという。現地、アイルランドのコメディアンではなく。

デロリアン社は、マレーにとって重要な仕事先だった。多くの従業員も同様だろう。マレーの妻は、DMC-12のシートを製造していたそうだ。

デロリアン社へ対する献身的な気持ちは今も変わらない。今でも彼は、かなりの量のカタログや写真、記念品や資料を収集している。デロリアン・プロジェクトに対する強い思いと、失敗に終わった悲しみもが伝わってきた。

後編では、開発に関わったロータスのCEOを務めていた人物と、デロリアン社の従業員から話を聞いてみたい。


【麻薬と不正利用 ロータスの関与】デロリアンDMC-12 開発と倒産の裏話 後編

コーリン・チャップマンと試作車を運転

text:Richard Bremner(リチャード・ブレンナー)

translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

マイク・キンバリー ロータスCEO

当時のロータス・カーズは、デロリアンDMC-12の量産モデルの開発検討を依頼された。「夜のアリゾナで、エンジニアリングに関与できるかどうか、コーリン・チャップマンと試作車を運転しました」 と前ロータス社CEOのマイク・キンバリーが思い返す。

「フェニックス試験場での運転は、とても疲れました。サーキットに留めて走らせることも大変でした。車内は暑く息苦しく、基本的な形状としてはクルマでしたが、完成したモデルではありませんでした」

「エンジンは正しいものでしたが、パワー不足。とてもプロトタイプと呼べる状態ではなかったですね。かなり失望しました。自動車試験場という条件は、このクルマには適していないと判断しました。そこで翌日、高速道路を走らせました」

「ところが追い越し車線を走行中、燃料系統で故障しストップ。不名誉にも、警察車両に押して救援してもらったんです」

そんな経験にも関わらず、チャップマンとキンバリーは、ロータスでデロリアンの開発を進めることを決定。しかも、英国政府がジョンZデロリアンとが結んだ条件を満たすには、残り18カ月でクルマを完成させる必要があった。

「当時のロータスには、2つの技術者チームが存在していました。 VARI(真空補助樹脂注入)ボディとバックボーン・シャシーの開発に、382名が関わっています」 と話すキンバリー。

ロータスが望んだ、ガルウイングの不採用

チャップマンとキンバリーは、クルマの基本構造の一部を変更するため、ジョンZデロリアンを説得した。ハンドリングを向上させ、開発も容易にすることが目的だった。

最も強くロータスが望んだ内容は、ガルウイング・ドアを採用しないことだった。「代替案を提案しましたが、話が通じませんでした」 結果、リアエンジンとステンレス製のボデイのスポーツカーが完成した。

一方でキンバリーは、デロリアンの開発期間の短さを強調する。「まったく白紙の状態から、2年2カ月から4カ月の期間で、生産へと移行しています。これは自動車業界としては最速で、今も記録は破られていないと思います」

「プログラムとしては、ロータスにとっては大きな成果にもなりました。今まで目にしたクルマでベストといえるモデルでした。悪くない、妥当なクルマだったと思います」 と言葉を選ぶキンバリー。

「始めは好調でした。ですが1982年には、1台も売ることができませんでした。2度目のオイルショックです。トヨタですら、6億ドル(648億円)も失ったのです。アメリカではガソリンが手に入りませんでした」

しかも、オイルショック以前の1981年の半ばには、ディーラーは充分な新車を用意できずにいた。そこで工場はシフト体制を組んでボディと組み立てを進めていた。

ところが一気に景気は後退。ロータスとデロリアン社との関係も悪化し、1982年の8月には、英国政府からの資金も途絶えたのだった。

トライアンフを用いた2台目の計画

バリー・ウィルズ 購買部門ディレクター/破産管財人責任者

バリー・ウィルズは、デロリアン・モーター・カンパニー創業当初からの従業員。そして最後にデロリアン社を退職した人物でもある。ちなみに彼は、ジョンZデロリアンとわたし、と題した本を出版したばかりだ。

1978年10月に購買部門のディレクターとして入社し、1982年5月には、破産手続きに伴う最高責任者となった。それと前後するように彼は、成功する可能性が高かった、救済計画を立案している。

ウィルズのビジネス計画の1つは、2台目のモデルを投入することだった。ブリティッシュ・レイランド(BL)カーズが、トライアンフTR7とTR8の生産終了を1981年に発表。それを利用し、低コストで2台目を実現する機会が訪れたのだ。

「わたしたちはオースチン・ローバーと、TR7とTR8コンバーチブルの買収に関する協議を進めていました。西ミッドランズの支援も受けていました。2台のクルマを組み合わせることで、デロリアンを救えると考えたのです」 と話すウィルズ。

既存スポーツカーのボディを、低コストに一新したモデルの計画だった。「BLカーズはトライアンフやTRの名称利用は認めなかったため、ジェフリー・ヒーリーの承認を得て、ヒーレー・ブランドに改める計画でした」

事業に対するサッチャー首相との亀裂

「ヒーレー3500にはV8エンジン、ヒーレー2000は2.0Lエンジンが搭載されたでしょう。デロリアン・モーター・カンパニーの名称は、ダンマリー・モーター・カンパニー、DMCへと改名されました」

「この事業には、2000万ポンド(27億円)の資金が必要でした」 多くは投資銀行や、外部の投資家からの資金だったが、北アイルランド庁を通じて政府からも8万ポンド(1080万円)を得た。

「当時のジム・プライアー大臣は計画に協力的でしたが、サッチャーと対立していたトリー・ウェットは異なりました。プライアー大臣は、サッチャー首相と一度、問題をクリアにする必要性を理解していました。

「状況を検討する閣議も開かれず、とてもスピーディに話が進んでいました。しかしサッチャー首相は、DMCが組む英国コンソーシアム計画には資金が不足しているという印象を受け、混乱していたようです」

「首相は、DMCがより多くの資金提供を求めていると勘違いしたのです。プライアー大臣が、首相へのプレゼンテーションに失敗したと聞きました」

「求めていたのは承認だけでしたが、首相はプライアー大臣の質問に耳を傾けることはありませんでした。もっとDMCには仕事に取り組んで欲しいし、もう政府の資金はない、と首相は計画を跳ね返したのです」 
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Posted at 2020/04/26 23:52:12

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