2020年05月04日
L型とRB型にどうしても隠れがちだけど一時代を支えたエンジンなんだけどな〜
【昭和の名機(5)】排出ガス規制で牙を抜かれたスカイラインに喝を入れたFJ20(前編)
名機なくして名車なし。今回は「闘うために生まれた」タフなユニット、モータースポーツへの投入を前提に開発された日産FJ20型にスポットをあてて2回連続で紹介しよう。今回はその前編として、8年ぶりに復活した本格的な4バルブDOHCの詳細についてだ。
DOHCの本質を追究した日産のエンジニア
「DOHCエンジンはレースにも使えるものでなければならない」。FJ20Eの開発に際して、日産のエンジニアはそう考えていた。当時はトヨタが「ツインカム」をスポーティカーや上級車に続々搭載してその普及が加速していた時代。FJ20Eはそれとは真逆のアプローチで開発された硬派なユニットだった。その背景には、あの栄光のS20型の影響が少なからずあった。S20は純レーシングエンジンのR8型をベースに開発された日産初の量産DOHCであり、レーシングメカニズムであった4バルブを採用していた。スカイラインGT-R(PGC10/KPGC10、KPGC110)とフェアレディZ432に搭載され、今も名機として語り継がれる伝説的な存在だ。
8年のブランクを経て次期スポーツツインカムを開発しようというとき、その栄光が脳裏をよぎったとしても不思議はない。日産は、トヨタが量産していた「ボルトオンツインカム」とは対極にある、頑固なまでに本格派路線を突き進んだ。
FJ20Eの開発に際しては、日産モータースポーツ部隊から以下の要望が寄せられたという。
(1)WRCラリー用の次期主力エンジンとして2.4Lまで排気量を拡大できること。
(2)モータースポーツ用途に最適化するため4気筒とすること。
(3)レースやラリーでの使用に耐えうる高い耐久性と信頼性を確保すること。
こうした要望を満たすスペックが固められていった。
まず、2.4L化しても十分な耐久性を確保するため、シリンダーブロックは専用設計とした(ここが量産エンジンベースのトヨタと異なる)。ちなみに、この強度を確保するために参考にされたのが、当時トラックやタクシー用として作られていたH20型エンジン。これとボアピッチを共通として、工作機械も同じものが用いられた。
シリンダーヘッドはアルミ合金製で、ペントルーフ型の燃焼室を持つ。バルブ挟み角は60度ゆえヘッドは幅広だ。カムシャフトの駆動にはS20型と同じく2ステージ式のダブルローラーチェーンを、バルブまわりは直動式リフターにインナー式調整シムを採用した。生産性やコスト、騒音などは二の次とされた本格派である。のちに主流となっていく、狭角ヘッド、コックドベルト駆動カム、アウターシムなどを使ったDOHCとは別モノの、ラスト・サムライなエンジンとなっていく。当時のカタログを見ると「DOHCは誰にでも扱える必要はない」という挑発的なコピーが躍っている。これはDOHCの大衆化を進めていたトヨタを揶揄したものだろう。
S110型シルビア/ガゼールにも搭載
こうして完成したFJ20Eは、まず1981年10月にR30型に追加設定された「RS(レーシングスポーツの略)」に搭載される。デビュー時のスペックは、最高出力150ps/6000rpm、最大トルク18.5kgm/4800rpm。本格派として設計された割にはいささか物足りないスペックだったかもしれないが、これは当時の排出ガス浄化装置(とくに触媒)の性能に起因するものだった。ちなみに当時のモーターマガジン誌によるスカイラインRSの実測テストでは、最高速は192km/h、ゼロヨンは16.0秒を記録している。
翌1982年4月には、3代目シルビア/ガゼール(S110型)にもFJ20Eを搭載したRSおよびその上級グレードのRSエクストラが追加された。さらに同年10月には、WRCホモロゲーションモデルとしてボア×ストロークともに拡張(92.0×88.0mm)して2.4L化されたFJ24を搭載する240RSが限定200台で発売される。
もっともFJ20Eとの共通点は非常に少なく、競技車専用エンジンと位置付けるべきという意見もある。ちなみにFJ24のスペック(標準車)は、ソレックスキャブ仕様で最高出力240ps/7200rpm、最大トルク24.0kgm/6000rpm。この数字を見ればわかるように、そのままラリーに出場できる仕様だ。一般の使用には適さないため、ほとんどが海外のラリーチームやプライベーター向けに販売されたが、日本でも少ないながらも販売され、そのうちの何台かは現存していることが確認されている。(以下、後編に続く)
【昭和の名機(6)】ターボ化でさらに過激になったFJ20型エンジン、そして史上最強のスカイラインが誕生(後編)
名機なくして名車なし。今回は「闘うために生まれた」タフなユニット、モータースポーツへの投入を前提に開発された日産FJ20E型の後編をお届けしよう。FJ20E型エンジンおよびスカイライン&シルビア/ガゼールのRSが登場したのは、まさに国産メーカーのパワー競争が始まりかけていた時代。FJ20Eは短時間で目覚ましい進化を遂げていき、ついに“史上最強のスカイライン”が誕生する。
ターボ装着で40psアップ
まずは1983年2月、ターボ化され一挙に40psもアップしたFJ20E・Tを搭載したスカイラインRSターボが発売された。ギャレット社製T3タービンを採用し、最高出力は190ps/6400rpm、最大トルクは23.0kgm/4800rpmと一足飛びに進化した。当時の日産は、排出ガス規制後のスポーツエンジンとしてターボに全力投球していた時代だけに、そのフラッグシップ的な意味合いも持たせたかったのだろう。T3型タービンは当時のL20型ターボにも用いられていたが、セドリックなど上級車にも搭載されたそれとは根本的な考え方が異なり、T3のセッティングはA/R=0.63という高速型になっていた。
ターボ化により圧縮比は8.0まで下げられていたこともあり、低回転域でのトルクはFJ20Eよりも薄く感じられたものだったが、3500rpmあたりから本格的な過給が始まると、暴力的な加速がドライバーを襲った。当時のシャシがこのパワー特性に耐えられるはずもなく、ハンドリングはシビアで、意のままに操るには相当なテクニックが要求された。ジャジャ馬ながら、刺激的でもあった。
同年8月にはマイナーチェンジを実施し、RS系はグリルレスのいわゆる「鉄仮面」へとフェイスリフトされた。同時期にはシルビア/ガゼールがフルモデルチェンジしてS12型となり、こちらにもFJ20E・T 搭載車が設定された。もっともエンジンルームがR30と異なるため、インテーマニフォールドが短縮され、サージタンクも小型化されるなど細部が変更されている。
さらにインタークーラーを組み合わせ205psに
さらにFJ20の快進撃は続く。1984年2月、世界で初めて4バルブDOHCターボにインタークーラーを組み合わせ、その最高出力はついにリッター100psを超える205ps/6400rpm、最大トルク25.0kgm/4400rpmに達した。「史上最強のスカイライン」を謳ったこのスカイラインRSターボは、当時人気のあったレースカテゴリーにちなんで“ターボC”と呼ばれている。最高出力がクラス最高にアップする一方で、エンジンの圧縮比は8.5に上げられ、ターボのA/Rも0.48に変更、中低速トルク域のトルク特性や過渡特性はマイルドになり、RSターボで感じられたピーキーさは影を潜めた。そのぶん刺激が少なくなったと言われればそれまでだが、いずれにせよ当時の若者が熱狂し「強いスカイラインの復活」を強く印象付けた格別の存在であった。1984年8月の小改良で、プラズマスパークを採用して低回転時の燃焼を安定させる世界初のシステムを採用した。
まさに一世を風靡したFJ20だが、1985年にスカイラインが7代目(R31型)にフルモデルチェンジしてラインアップから消滅、翌1896年2月にはシルビアもマイナーチェンジして、FJ20Eから新世代4気筒のCA18DETに換装。FJ20Eはわずか5年余の短い期間しか生産されなかった。
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Posted at
2020/05/04 21:32:20
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