2020年06月01日
変化に富んでいるよな〜
【秘蔵私的写真で振り返るGTの進化/第1回】2003年JGTC前後パイプフレーム化されたニッサンGT-R(R34)
7月に予定される2020年のスーパーGT開幕戦まで、なかなか待ちきれないGTファンのみなさまに、今まで諸事情で掲載できなかった(正確には掲載できたけど当時はいろいろな関係者に迷惑を掛けてしまう可能性があるので編集部で自主規制していたなどの)写真を、どどーんと公開させて頂きます。
「この部分はライバルに見られたくないんです」「この画期的なアイデア、まだ出せないんですよ」「一生懸命開発して見てもらいたいけど上がダメって言うので……」などなど、当時の開発者、担当者、さまざまな方たちの想いがしのばれます。
初の公開となるものを含め、写真はオートスポーツweb/本誌でもお馴染みのメカもの変態カメラマン、鈴木紳平氏(通称シンペー)の撮影。シンペー氏の極めて私的な当時の思い出と、偏り気味の個人的興味で取材した内容と合わせて、みなさま、寛大なお気持ちでお楽しみください。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
日本のモータースポーツファンのみなさま、いかがお過ごしでしょうか。
この度、始まりましたJGTC(全日本GT選手権)/スーパーGTメカもの振り返り企画。7月予定の今季開幕戦に向けて、今こそちょっぴり昔を振り返って日本が世界に誇るGTレースのマニアックな知識をつけてみませんか? そうすれば、来たる今季の開幕がより楽しく迎えられはず。
JGTC時代 2003年技術規則(通称:03規定)から2013年頃までのスーパーGT技術規則(通称:09規定)までの、メカニカルなものをみなさまとともに振り返りたいと想います。当時は自主規制でNGとした写真も、もはや時効(!?)バンバン出しちゃいます!
それでは世界に誇る『ニッポンGTマシン進化の旅』、行ってみましょう!
まずは2003年のGT500ニッサン・スカイラインGT-Rからいってみましょう。まずはクルマ全体を見てみましょう。
この年は市販車のGT-R R34の生産終了に合わせGT500でもR34 GT-Rが最後の年。つまりニッサン陣営にとっては必勝の年。キャビン以外のパイプフレーム化によって前年よりボンネット高を極端に下げ、空力性能の大幅な向上を狙ってきました。
残念ながらシリーズ中の勝利はなりませんでしたが、それでも安定して上位フィニッシュを重ねて見事、ドライバー、チームともにタイトルを獲得。有終の美を飾りました。今見ても美しいクルマですね。
エンジンルームを見てみましょう。
エンジンはVQ30DETT 3リッターツインターボ。中央の白いタンクはパワステのリザーブタンク。今見るとステアリングラックも大きく見えます。パワステラックの両脇にスペーサーを入れ、センター出しをしているようです。
この頃だったかは不明ですが、本山哲選手はパワステラックのギア1枚分のズレを感じ取り、ハンドルのセンターがでていない(通称:本山センサー)と言ったことがあるそう。その時にはデータでも認知できなかった些細な変化をドライバーはしっかりと感じていたという、ドライバーの感覚のすごさを知りました。
右フロントのタイヤハウス内部。右下、ケプラー地がフロントアンダーのアップスイーブ。エンジン搭載位置ギリギリまで延ばされていると思われます。ボンネット位置の最適化も含め、この車両はGT500における空力開発の本格的なはじまりだったと言えるかもしれません。
ただ、ホイールハウス内部の細かいところまで空力処理は及んでおらず、まだ手探りの感が読み取れます。市販車ベースのV6ツインターボエンジン搭載でスペースがないという弊害でしょうか、アーム長は短く見えます。
富士の予選ではリヤホイールにホイールカバーが登場。ドライカーボン製ではなく、アルミ製というところに時代を感じます。
当時テストで何種類か試してその中からこの形状を選んだ、という話を聞いたような気がします。ホイールのリム部とカバーの距離感が難しかったと思われます。それにしても給油中のガソリンの漏れ方、気になりますね・・・。
ここからは03規定の目玉、キャビン前後のパイプフレーム化を見ていきましょう。キャビンは残っていますが隔壁を貫通し内部のロールケージとリヤのフレームが一体となっていることが読み取れます。
また、リヤトランク部に設置された、ミッション、デフクーラー冷却のための空気の通り道をリヤディフューザー真上に設置し、車体下部に流れる空気の引き抜き効果(ダウンフォース増)を狙っているようにも見えます。上下アームは流線形、マフラーには耐熱セラミックコーティング処理がされています。
このアングルだとキャビン内部のロールケージとリヤのパイプフレームが一体になっているのがよくわかります。リヤサスペンションユニットは隔壁側に設置のロッカーを介して機能。スタビライザーはサスペンションユニット下方に設置されています。
サードダンパーはまだ存在していない時代でしょうか。サスペンションユニット下の銀色の筒はジャッキアップユニットかもしれません。
だとするとこの当時は前2本、後1本でジャッキアップしていたのかもしれません。なおこの頃にはプロペラシャフトはドライカーボン化されていたと思われます(1本約300万と聞いた気がします)。
車両左側です。キャビン内部、Bピラーに溶接されたロールケージの取り付けポイントが見えます。前後がパイプフレーム化されたとはいえ、まだまだ市販車のキャビンを使用していることが分かります。
真ん中の銀色の物体はエンジンのドライサンプユニットのオイルタンク。ホイールハウス車体側のアームが貫通する場所のシーリングなどにはまだ手が付けられておらず時代を感じさせます。
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みなさま、『秘蔵写真で振り返るGTの進化』、第1回目はいかがでしたでしょうか。
やはり随所に試行錯誤が見て取れる時代。ここからニッポンGTは09規定まで急速に進化し、世界最高峰カテゴリーへと昇華していきます。その先駆けとなったターニングポイントとも言える2003年。第2回はその2003年のJGTCから、GT500トヨタ・スープラ編をお送りしたいと思います。
【秘蔵私的写真で振り返るGT進化の旅/第2回】2003年JGTC、エンジン大排気量化したトヨタ・スープラ(A80系)
日本のモータースポーツファンのみなさま、いかがお過ごしでしょうか。
この度、始まりましたJGTC(全日本GT選手権)/スーパーGTメカもの振り返り企画。7月予定の今季開幕戦に向けて、今こそちょっぴり昔を振り返って、日本が世界に誇るGTレースのマニアックな知識をつけてみませんか? そうすれば、来たる今季の開幕がより楽しく迎えられはず。
JGTC時代 2003年技術規則(通称:03規定)から2013年頃までのスーパーGT技術規則(通称:09規定)までの、メカニカルなものをみなさまとともに振り返りたいと思います。当時は自主規制でNGとした写真も、もはや時効(!?)。バンバン出しちゃいます!
それでは世界に誇る『GTの進化の旅/第2回』2003年トヨタ・スープラ編、いってみましょう!
みんな大好き『エッソウルトラフロースープラ』であります。03規定がスタートした2003年、当時の文献を調べるとGT500に参戦する3メーカー、やはり並々ならぬ意欲をもって車両開発に臨んだようです。TRDも一年を費やし03仕様スープラを開発。
車体はもちろんのこと、エンジンの大排気量化(セルシオやソアラで使われていた市販の4.3リッターから5.2リッターへ変更)、そしてフラットボトム規定によって失われたダウンフォースを取り戻すべく空力開発にも力を入れたようです。
改めて見ると、ボンネット上、後端の左右にエンジンルーム内の負圧を逃がすアウトレットの形状、ラジエターのエアアウトレットの配置とデザインなどを見ると、スープラ特有のキャビンからリヤウイングまで上手く空気の流れが導けているように見えます。
エンジンルームを見てみましょう。中央にバルクヘッドギリギリめでまで後退させた5.2リッターV型8気筒エンジン(なんてレーシーな響きなんでしょうか)の3UZ-FEが鎮座。エアボックスから延びる2本の棒状の先にエアリストリクターが装着されています(エアリスとか懐かしいですね)。
その棒状の下にある『TOYOTA motorsports』の白いステッカーが貼られている部分が03規定(前後パイプフレーム化)で装着が義務付けられたクラッシャブルストラクチャーになります。やはりNAだからでしょうか、スッキリ、整備性良さそうな印象です。
03スープラはラジエターを含むフロントバンパー部がカセット式のようになっています。中央に見える配管はラジエター用配管とリザーバータンクでしょうか。やはり整備性が良さそうに見えます。
ラジエターを含むフロントバンパーが外れたエンジンルームを見ます。中央のファーストバルクヘッドが目を引きます。左右のパイプフレームおよびファーストバルクヘッドによってエンジンルームの主要コンポーネンツを形成しキャビンから前部の剛性を構成していると思われます。ニッサンGT-Rと比べるとフロントのアーム、長いですね。
左フロントフェンダーを見てみましょう。タイヤハウス内にサスペンションのサブタンクが設置されているなど、まだまだ洗練されている印象ではありません。ただ、フロントフェンダー後端などは今後への空力処理の先駆けとなっている造形に見えます。
リヤウイングには下面が凸凹形状をした通称『モコちゃん』が登場。このモコちゃんのリヤウイング、後々GT300のトヨタ系JAF-GT車両(セリカ、IS、プリウス等)に使用され、長年愛用されるパーツになります。25号車にはウイングステーの横ブレを防ぐオリジナルの補強バーが追加されています。
リヤハッチ内部です。パイプフレーム化されているのがよくわかります。ミッションの一部はキャビンに食い込んでいるようにも見えます。サスペンションへのアクセスも良さそうです。
この時代はまだサードダンパーは存在しません。中央から後方に延びるクラッシャブルストラクチャーにリヤウイングをマウント。画面下にキャビンのフレームとカーボン部の継ぎ目が見えます。
王座防衛を目指す1号車エッソ・スープラのダッシュボードにはポイント早見表が設置されています。このあたりから決勝中の順位調整が激化しました。
第7戦オートポリス戦の予選2回目、1号車は脇阪寿一選手がアタック。ウエイトハンデがもっとも重い90kgながら「ポールを狙いにいって調子に乗りすぎた」(寿一)と、シケイン通過後の16コーナーでスピン。後にこの場面を振り返り、「魔法をかけられた」と表現していました。
それでもエッソウルトラフロースープラは予選4番手で決勝でも4位フィニッシュ。ポイントランキングトップで最終戦に挑みました。
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みなさま『GTの進化の旅/第2回』第2回2003年トヨタ・スープラ編、いかがだったでしょうか。
この年のタイトルは結局、最終戦の大逆転でザナヴィ・ニスモGT-Rが獲得しましたが、当時の写真を見返していくと03規定にもっとも上手く適した車両はスープラだったように思えます。
トヨタ・スープラ勢は1号車エッソウルトラフロースープラがシーズン2勝、39号車デンソーサードスープラGTが1勝の計3勝を挙げましたが、タイトルには届かず。このあたり、大人の事情が絡んでいそうな感じもします。
さて次回はいよいよホンダNSXが登場。エンジン、ミッション逆転の写真も登場します。ご期待ください!
(5/21 15:07 誤記訂正させていただきました)
突き抜けた排気量で“1年勝負”。秘密裏に進められたトヨタ・スープラV8NA化計画【スーパーGT驚愕メカ大全】
1994年に始まった全日本GT選手権(JGTC。現スーパーGT)では、幾多のテクノロジーが投入され、磨かれてきた。ライバルに打ち勝つため、ときには血の滲むような努力で新技術をものにし、またあるときには規定の裏をかきながら、さまざまな工夫を凝らしてきた歴史は、日本のGTレースにおけるひとつの醍醐味でもある。
そんな創意工夫の数々を、ライター大串信氏の選定により不定期連載という形で振り返っていく。第4回となる今回は、あまりにも有名な「規定の穴」をついたエンジンについて。そこにはしたたかさに加えて、「覚悟」もあった。
連載第1回はこちら
連載第2回はこちら
連載第3回はこちら
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初期のJGTC、スーパーGTの車両規則は、生産メーカーが同一である限りエンジンをベースモデルと関わりがない型式のものに換装することを許していた。できる限り改造コストを抑制して競技車両の高性能化を実現する「緩和特則」であり、世界のGTレースを見ても特に珍しい規定ではなかった。
たとえばトヨタは、A80型スープラでJGTCを本格的に戦い始めるとき、市販モデルが搭載していた直列6気筒エンジンではなく、量産ラインアップには存在しなかった3S-GTE型直列4気筒ターボ過給エンジンに換装している。
たしかに3S-GTEは軽量コンパクトでしかもレーシングエンジンとして長年にわたり熟成されてきただけに競技車両に適してはいたが、使われたエンジン自体はグループC時代に使用していた個体そのもので、TRDアメリカの倉庫からホコリを払って引っ張り出したものだったというから、あえていうならば「廃物再利用」によるコスト削減策でもあった。
レーシングテクノロジーに関わる技術者たちは、改造範囲を規定する車両規則を隅から隅まで読み、そこにヒントが隠れていないか考える人々である。場合によっては明文化されていない、いわゆるグレーゾーンを見つけ出し、そこへ突撃してライバルを出し抜こうとさえする。傍観者にとってはこの、ちょっとひねくれた知恵比べが楽しくてしかたがない。
3S-GTEを持ち出したスープラ開発陣は2003年にも結構な荒技を繰り出している。それがスープラV8化作戦だった。後から聞けばじつは1996年、JGTCにマクラーレンF1 GTRが登場してシリーズチャンピオンをさらったときから、当時の車両規則では大排気量エンジンが有利であることに気づいていたのだという。
当時の車両規則では排気量によって吸気リストリクター径が決められており、排気量が増すに従って吸気量が制限されて最大出力が抑制される仕組みになっていた。
競技専用のレーシングエンジンは、まず排気量規定があってそれに合わせて開発されるものだが、GTで用いられるのはすでに量産車用に開発されたさまざまな排気量の既存エンジンである。これらの性能をそろえ、広く流用しながらデッドヒートを実現するために考えられたのが、排気量区分で吸気を制限する当時の規定だった。
基本的には、排気量をいくら増やしても制限が厳しくなって決して有利にはならないように定めてあるはずだった。
ところが開発陣がよくよく排気量区分とリストリクター径を規定するテーブルを読み込んでみると、3.5リッター以上の自然吸気エンジンについては吸気リストリクター径が一定となり、排気量が増せば増すほどエンジンの単体性能という面では有利、つまり自然吸気大排気量エンジンが有利な設定になっていることが見えてきた。
なぜエンジン規制にある意味こうした抜け道があったのかは不明だが、おそらくは自然吸気大排気量エンジンを搭載するアメリカ車を日本のシリーズへ誘致するための措置だったのではないか。アメリカの市販エンジンならどんなものが来てもそれほど脅威にはなるまい、いろんなのが来たらレースがおもしろくなるはずだよね、という読みもあったに違いない。
だが、スープラの開発陣はこの規定に正面から突撃した。
■パイプフレーム化もきっかけに
それまで使ってきた3S-GTEは長年にわたってチューニングが積み重ねられた結果開発の余地がなくなる一方、コスト抑制のためにエンジンライフを延長しなければならなくなって苦しい状況に陥っていた。
それならば、思い切って大排気量の自然吸気エンジンを投入しよう、と思い立った開発陣が白羽の矢を立てたのが、セルシオ用の排気量5.2リッター自然吸気V型8気筒エンジン3UZ-FEだった。大排気量自然吸気エンジンならば最大パワーだけではなく3S-GTEが課題としていた低回転時のトルクも充分ある。
発想自体は以前からあったという。しかし直列エンジン用に開発されたスープラのエンジンルームにV型エンジンを詰め込むには無理があって、実現には踏み切れないでいた。
ところが、以前にこの連載でも触れたように、2003年は車両規則が改定されキャビン前後のフレームは自由に設計したパイプフレームに置き換えて良いことになる。つまりV型エンジン用のフレームを作ればスープラにV型エンジンを組み合わせられる。機は熟したのである。
しかも、ライバルのホンダもニッサンも、5リッターを超える領域でレーシングチューンを施せる大排気量エンジンを持っていなかった。スープラ開発陣の発想は、周囲の意表を突くものだった。
もっとも、規定の上に書かれた数字を改定して大排気量自然吸気エンジンの利点を潰すことは容易である。規定改定の際、多数決になれば勝ち目はない。
興味深いのはスープラ開発陣自身、このアイデアを明らかにすれば吸気リストリクターの規定が見直されてせっかくの利点は失われてしまうだろうと予測し、せめて1年はこの抜け道を確保して戦いたい、勝負は1年限りだと覚悟していた点だ。
規定を定めるJAFテクニカル部会が会議を開いて翌年のリストリクターテーブルを決めるのは8月。スープラ開発陣は2002年初めから極秘のうちにV型8気筒エンジンを搭載したスープラのテスト走行を重ねてパフォーマンスの目処をつけながら8月を切り抜け、2003年シーズンにマシンを投入した。
V8スープラは期待通りの性能を発揮し、シリーズチャンピオンを獲得することはできなかったが、シーズン3勝を挙げた。
そして当然ながら2004年のリストリクタテーブルは書き換えられ、2003年ほど大排気量自然吸気エンジンの利点はなくなってしまった。
だが、スープラ開発陣は新しいリストリクタテーブルを解析、最適化のため排気量を5.2リッターから4.5リッターへ縮小して新しい条件に備え、改めて大排気量自然吸気エンジンの戦いが始まることとなった。文字で書かれた規定の抜け道を通り抜けた驚愕の裏技は、こうして“表技”となったのだった。
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Posted at
2020/06/01 20:59:06
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