2021年02月25日
ある意味スズキらしさってこの人がいたからなのかもね…今後のスズキがどうなるか?あまりにも様変わりしたらあぁ〜ってなるかもしれないし、ちゃんと継承されていくかもしれないし
偉大なる経営者、ひとり去る──スズキ・鈴木修会長退任へ
2月24日、スズキは、鈴木修・代表取締役会長が退任し、相談役に就くことを発表した。長きにわたりスズキを牽引した偉大な経営者に、大谷達也がことばを寄せる。
エイジレスという概念
最近はジェンダーレスに対する意識が高まっているが、今後はエイジレスという概念も必要になるんじゃないか。鈴木修さんが退任すると聞いて、私はそんなことを考えている。
鈴木さんは、いま91歳だ。普通に考えれば経営の第一線からとっくに退いていてもおかしくない年齢である。でも、年齢によって判断するというのは、女性とか男性とかの性別によって資格能力を判断するのと、おなじじゃなかろうか?
「年齢を重ねても能力が優れている人はいる」
そういう考えに立てば、エイジレスという概念は成立すると思う。
若き日の鈴木さんは本当にチャレンジャーだった。ホープ自動車という名もなき自動車メーカーから「ジムニー」の元になる知的所有権を買い取り、いまに至る大ヒットに導いたのは鈴木さんの功績である。いまから40年以上も前に全国統一47万円の価格で「アルト」を売り出して、これまた大成功を収めたのも鈴木さんの手柄だ。
でも、鈴木さんの手腕を物語るのは、そんな過去の栄光ばかりではない。スズキがインドで大成功を収めていることはたびたび報道されているけれど、ハンガリーでも1991年に現地生産を立ち上げていて、いまも年平均10万台ほどのコンパクトカーを世に送り出している。フォルクスワーゲンとの提携は不幸な行き違いで頓挫したが、スズキは驚くほど国際的な企業でもあるのだ。そしてそれは、流暢な英語を話す鈴木さんの鋭敏な国際感覚によるところが大きいとされる。
若い人たちがときとして抱く“頑固ジジィ”というイメージと鈴木さんはかけ離れた存在だ。
失敗をはるかに上まわる成功
40年以上もスズキのかじ取りをしてきた鈴木さんであるが、役職にしがみつくようなところは一切なく、これまでに何度もトップの座を手放そうとしていた。
実際、2000年に長男の俊宏さんに社長のイスを譲ったものの、2008年に会長兼社長となって経営の最前線に返り咲いた。この辺の事情を鈴木さんは詳しく語っていないが、「やっぱりトップの座が恋しかった」というよりは「見るに見かねてトップに戻った」ように私の目には映る。俊宏さんのバイタリティが、鈴木さんには物足りなく映ったのだろう。
そのくらい、鈴木さんは活力に溢れた人だ。挑戦の人といってもいい。
創業家の鈴木姓は名乗っているものの、実は2代目社長の婿養子だったことは広く知られている。つまり、シンプルな世襲で企業のトップに立ったのではなく、競争にもまれて社長の座を手に入れたのだ。「経営は待っているだけではダメ。攻めの姿勢が必要」という主旨のことを以前、語っていたが、チャレンジの人なのである。
もちろん、失敗もあった。1970年代には排ガス規制の対応が遅れて経営危機に陥っている。当時、鈴木さんはまだ専務取締役で社長にはなっていなかったけれど、それでも経営責任はあったというべきだろう。完成検査不正だって、鈴木さんがトップのときに起きた。
でも、鈴木さんは失敗をはるかに上まわる成功を収めてきた。それも過去の栄光ばかりではなく、鈴木さんの経営哲学は現在のスズキの繁栄にも大きく貢献している。
失敗を恐れずにチャレンジし続ける姿勢
「1gでも軽く作れ」は原材料費がクルマのコストに重くのしかかることから発した言葉であるが、実際にはこれがスズキ車の省燃費性、つまり環境性能の向上に役立っている。しかも、最近のスズキの軽自動車は、乗ってみると驚くほど走行性能が優れているし、安っぽくもない。つまり、とてもバランスの優れたクルマに仕上がっているのだ。これについては現場で働く技術者たちの努力も賞賛すべきだが、鈴木さんが「1gでも軽く作れ」と発言したことで開発現場が活性化し、効率的なクルマ作りを実現できたのは事実だろう。こういうわかりやすい指針を示せることは経営者として非常に重要な能力だと思う。
最近では大変革期に差し掛かった自動車産業界に対して改革の必要性を説いている。柔軟な発想でこの難局を乗り切らなければいけないとも訴えている。いずれも“頑固ジジィ”の発言とは思えない。
失敗を恐れずにチャレンジし続ける姿勢。ゼロの状態から新たな価値を作り出す創造力……そういったものを持ち合わせている人は少ない。自動車メーカーにかぎらないが、手堅い経営判断だけを下していると確実に没落する。攻めの姿勢、豊かな発想力が必要不可欠なのだ。通常、年齢の若い人のほうがそういった能力を多く持ち合わせているケースは多いが、年齢だけで人を判断すると大切なことを見誤る。だからエイジレスという概念が必要なのだ。
鈴木さんは、エイジレスで評価されるべき人だ。その退任を、私は心から残念に思う。
文・大谷達也
スズキ、鈴木修会長が6月退任へ
スズキは2月24日、鈴木修会長が6月開催予定の定時株主総会後に退任する役員人事を発表した。
鈴木修会長は1958年、スズキの鈴木俊三社長の娘婿となり、同年4月にスズキ入社。1978年6月に同社社長、2000年6月からは会長(CEO)に就任。42年に渡りスズキの陣頭指揮を取り続けてきた。
鈴木修会長は現在91歳。会長退任後は相談役に就任する予定。
スズキの鈴木 修会長が退任。40年以上に渡って経営を指揮。新中期経営計画も策定
スズキは2月24日、鈴木 修会長が6月の株主総会で会長職から退くと正式に発表。
同日、新たな中期経営計画(2021年4月~2026年3月)を発表。テーマは「小・少・軽・短・美」。
新中期経営計画では、2025年までに電動化技術を整え、2025年から電動化技術を製品に全面展開。2030年からは電動化製品の量的拡大を図っていくという。
トヨタとのアライアンスについては、電動車の協業、アフリカでの協業、商品ユニット補完など提携を深化させていく。
〈文=ドライバーWeb編集部〉
スズキ、鈴木修会長が退任 インド開拓など40年以上にわたり成長をけん引
スズキは2月24日、鈴木修会長(91)が6月に退任する人事を発表した。持前のカリスマ性で40年以上にわたってスズキの成長をけん引してきたが、「100周年の峠を越えたことや(同日発表した新中期経営計画で)電動化とリコールの対策という今後の方針が絞られた」ことで退任する意向を固めた。会長退任後は相談役として経営層をサポートする。
1958年に鈴木自動車工業(スズキ)に入社した修氏は、2代目社長の鈴木俊三氏の娘婿として1978年に4代目社長に就任。2000年に会長になるものの、08年に当時社長の津田紘氏の体調不良を理由に再び社長に就いた。15年には長男の鈴木俊宏氏にトップを譲ったが、その影響力は変わらず、事実上、その後も最終経営判断者の役割を担ってきた。
最大の功績は同社最大の主力市場に成長したインドの開拓だ。修氏が社長に就いたばかりの1980年代初頭、インドは国民車構想のもと世界の自動車メーカーに協力を呼び掛けていたが、スズキは初動が遅く、競合他社と比べて出遅れていた。修氏はそこから大使館へのアプローチなどを進めるだけではなく、来日した現地の調査団に社長自ら技術力を猛アピール。事務方に対応を任せていた他社と比べて好印象を得たことをきっかけにマルチ社の提携先に選ばれた。
日本国内でも軽自動車の販売を拡大し、初めに社長に就任した時に約3000億円だった売上高を3兆円以上に引き上げた。日本国内では企業のトップとしてだけではなく、業界内での存在感も大きかった。
修氏は6月の定時株主総会で会長職から退任する。今後は名実ともに鈴木俊宏社長がスズキを引っ張っていくことになる。修会長はインド市場を開拓した経験を踏まえ、俊宏社長に「歩けども歩け行動しろ。そこにマーケットはある」と言葉を残した。
すずき・おさむ
中央大学法学部卒業後、銀行勤務を経て1958年に鈴木自動車工業(現スズキ)に入社。63年に取締役に昇格し、67年常務、73年専務を経て78年に社長に就任。2000年に会長となった後、08年から社長を兼務し、15年に社長職を俊宏氏に譲った。1930年1月生まれ、91歳。岐阜県出身。
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自動車業界あれこれ | 日記
Posted at
2021/02/25 21:48:13
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