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2022年08月29日

50周年の記念としてM1の再来を求めてしまうのはダメなのだろうか…

50周年の記念としてM1の再来を求めてしまうのはダメなのだろうか… M誕生50周年 BMW M5 CSでニュルブルクリンクへ 創設者と開発本部を尋ねて 前編

BMWモータースポーツ社を立ち上げた人物

9月に開催された、1968年のル・マン24時間レース。シャルル・ド・ゴール政権に対する若者の不満が爆発した五月革命の混乱で、その年は6月から延期されていた。

9月のル・マンは、世界スポーツカー選手権の最終戦も兼ねることになった。ポルシェとフォードによる激しい争いに決着がつく、重要な1戦でもあった。

勝利を掴んだのは、V8エンジンのフォードGT40。興味深いことに、本来はレース後にフォードのモータースポーツ部門チーフへ就任予定だったヨッヘン・ニアパッシュ氏は、ポルシェ908のステアリングホイールを握り3位でゴールしている。

それから20年後、ニアパッシュはメルセデス・ベンツのモータースポーツ復帰を担った。生み出されたザウバー・メルセデスC9は、圧倒的な強さで1989年の世界スポーツ・プロトタイプカー選手権を制している。

彼の業績はレースでの勝利だけではない。メルセデス・ベンツのための、新しいジュニア・ドライバー・プログラムの確立も外せない。最初の育成メンバーだったのが、ミハエル・シューマッハ氏の弟、ラルフ・シューマッハ氏だった。

振り返り始めると、話題に事欠かない経歴を持つニアパッシュ。1972年にフォードを離れ、BMWモータースポーツ社、現在のBMW M社を立ち上げたことでご存じの読者もいらっしゃると思う。

2022年は、その設立50周年。快音を響かせながら思い切り振り回せる、実用的で現実的な価格のMモデルにとって記念すべき年だ。テールスライド自在の、稀代のスポーツ・サルーンが生まれることになったのだから。

メカニック5名で構成されていた当初のM

ハッピーバースデー、M。英国編集部としては、ドイツ・ミュンヘン郊外、ガルヒングにある開発拠点を訪れてお祝いしたいところ。ニュルブルクリンクを経由するロードトリップを通じて、一緒に記念日を喜びたい。

現在は、サーキット・パドックに豪華なトレーラーを並べる規模へ成長したBMW M社だが、最初は小さなチームだった。50年前は、5名のメカニックが属するに過ぎなかったという。キーパーソンのニアパッシュへ振り返っていただこう。

「予想していませんでした。フォードのモータースポーツ部門にいた1971年の末に、自宅へ電話がかかってきたんです。その頃、BMWに在籍していたボブ・ラッツさんからで、BMWのモータースポーツ活動を再編したいという相談でした」

BMWへ移った彼は、CEOのエバーハート・フォン・クーンハイム氏へ、レーシング部門の設立を打診したという。「会社は人間のようなものです」。当時副社長だったラッツは、BMWモータースポーツ社の誕生時に言葉を残している。

「スポーツに力を入れれば、引き締まりパフォーマンスに長けた面白い姿へ変わります」。ルッツは、丁度その時期だと理解していたのだろう。1960年代に発売した新モデル、ノイエ・クラッセがヒットし収益は5倍に伸び、資金には余裕があった。

1968年に発売されたE9型の2800 CSは、欧州ツーリングカー選手権に向けてグループ2マシンへの改良が試みられていた。しかし、エレガントなグランドツアラーを軽量化し、不足ない戦闘力を与えることは簡単ではなかった。

フォード・カプリを破ったBMW 3.0 CSL

モータースポーツと関係の深いモデルが、ショールームに並ぶメリットは明らかだった。ツーリングカー選手権は、欧州では人気のイベントになっていた。

ラッツは、ニアパッシュに実権を握って欲しいと考えていた。一方のニアパッシュは、フォード・カプリRSをレーシング・マシンへ仕立て、欧州ツーリングカー選手権で圧倒的な強さを披露させていた。

「将来性あるプロジェクトに関わる、チャンスになる可能性がありました」。とニアパッシュが振り返る。現在のMというブランドを考えると随分控えめな動機付けに聞こえるが、実際、慎重だったようだ。

フォード・カプリに勝つため、E9型のホモロゲーション・マシン、3.0 CSLを1000台製造するという約束を取り付けるまで、BMWとの契約には応じなかった。危険な賭けだったという。

CSLを作ることは、BMWにとって難しい問題ではなかった。ドイツのカルマン社に委託された。だが、それを売り切ることは別問題だった。

サーキットでの活躍がなければ、安くない3.0 CSLへドライバーは興味を抱かない。価格は、極めて高価なフェラーリ・デイトナの3分の2に届いていた。BMWの経営に加えて、BMWモータースポーツ社の意義へ、打撃が及ぶ可能性はゼロではなかった。

ウイングなどで武装したエアロダイナミクス・アップグレード・パッケージの認可が降りたのは、1973年シーズンの途中。それをまとったマシンは、ニュルブルクリンク6時間耐久レースでデビュー。バットモービルと呼ばれた3.0 CSLは、見事な勝利を飾った。

7シリーズのエンジンを5シリーズに

BMWモータースポーツ社としても、この年が本当の始まりといえた。ところが1974年に第1次オイルショックが世界を襲う。

資金を得るため、技術者のポール・ロッシュ氏が設計したF2用エンジンは、レーシングチーム、マーチ・エンジニアリングのマックス・モズレー氏に売却された。BMWを支えるための、避けられない対応だった。

危機を乗り切ったBMWとともに、BMWモータースポーツ社も生き残った。そして、Mブランドを確立する、公道用の特別なモデルへと展開していく。

1980年には、当時の5シリーズ、E12型をベースにしたM535iを発売。パワフルな7シリーズに負けないサルーンとして開発されていた。

「私たちは柔軟でした。5シリーズに、1クラス大きい735i用のエンジンを搭載し、ダンパーやブレーキ、ホイールなどを改良しました。でも、見た目が速いクルマではありません」。と話すニアパッシュ。

それより先に、1978年にはスーパーカーのM1も誕生している。このクルマへは、彼も後悔が残っているようだ。ジョルジェット・ジウジアーロ氏が描き出したミドシップモデルだが、公道用としては453台だけが製造された。

BMWモータースポーツ社が抱いた、野心の表れといえた。欧州ツーリングカー選手権でフォードへ圧勝した次に挑むことに決めたのは、グループ5カテゴリーを935で暴れまわるポルシェだった。だが、直接対決は叶わなかった。

この続きは中編にて。



M誕生50周年 BMW M5 CSでニュルブルクリンクへ 創設者と開発本部を尋ねて 中編


BMW M1の後継モデルは実現するのか

BMW M1の開発では、経営に苦しむランボルギーニとパートナーを組んだものの、上手く進まず、ドイツのバウア社と再調整。BMWはM88型と呼ばれる直列6気筒エンジンを設計するが、生産は遅れ、ワンメイクのプロカー・レース開催に留まっている。

ヨッヘン・ニアパッシュ氏は1981年にBMWモータースポーツ社を去るが、彼のアイデアにはやり残しがあったようだ。「わたしがBMWを離れた時点で、優先されていたのはF1。M1の存在を忘れたかのようで、間違いだったと考えています」

現在のBMWにも、M1は存在しない。ポルシェ911に対抗できるミドシップのMモデルは、多くの関心を集めるだろう。実際、同社は何度か後継モデルに取り組んではいる。

1993年、BMWモータースポーツ社はBMW M社へ名称が改められる。その後トップに就任したアルバート・ビアマン氏は、2009年にメルセデス・ベンツが発表したSLS AMGに対峙するモデルを切望していた。

「技術的な観点からは、充分なモノを持っています。可能なら取り組みたいですね」。2011年、AUTOCARの取材でビアマン本人も語っている。後任のカルステン・プライス氏も、その可能性を否定はしていない。

M1の復活には、アルピナも取り組んでいた。ドイツ・ブーフローの倉庫には、プラグイン・ハイブリッドだったi8の、アルピナ仕様の部品が残されている。エンジンも3気筒より大きいものが検討されていた。お披露目されることはなかったが。

モータースポーツとMは切り離せない

BMW M社は、50周年の節目に新モデルを発表した。「これまでで最もパワフルなMモデル」で「BMW M1以来となる、記念すべき独立モデル」だと主張された。

「彫刻的な面構成」「華やかなボディライン」「ハイパフォーマンス・セグメントを刷新」といった、意欲的な言葉が並ぶ。スーパーカーのように聞こえるものの、実際は750psを発揮するXM。バッテリーEV(BEV)のSUVだった。

BMW M社の舵取りは、2021年にオランダ出身のフランク・ヴァン・ミール氏へ託されている。技術者として経験を積だ彼は興味深い人物で、クロスオーバーに対して肯定的といえる。恐らく、現実的な考えのうえで。

責任ある自動車メーカーの経営者として、彼はXMを論理的なモデルだと説明する。現在のBMW M社は、多様化してもいる。今後、ラインナップはすべてハイブリッド化される。どこかの時点で、BEVへ切り替わるはずだ。

BEVサルーンのi4 M50は速く、テールスライドも可能。だが、本物のMモデルではない。従来のアグレッシブさや、流れるように軽快な敏捷性は備わっていない。BEVのM3は、どんなモデルになるのだろう。

「2030年代が始まろうとする頃に、ハイブリッドは正しい答えでしょうか。レースを戦えるほど高性能な、BEVパワートレインの登場を期待するのでは?」。とヴァン・ミール氏は答える。

モータースポーツとMは切り離せない。「レースが不必要だと考えるのは、間違いです。高性能モデルを生み出すには、レースでの戦い方を知らなければ難しい。単なるロゴになってしまいます」

往年の3.0 CSLと重なるM4 GTSの姿

彼は、ブランドのピラミッドについても説明する。頂点にレーシングカーが位置し、その下に公道用のMモデル、そしてMパフォーマンスと呼ばれるライトなM。底辺には、一般的な量産モデルが属する、と。

1970年から1980年代は、ピラミッドの上層部は大きい存在だったが、縮小した現在でも考え方としては頂点に据えられている。2.3tの車重を持つX6 Mがレーシングカーの次の層にあると考えるのは不自然だが、多様化した現在、論理的にはそういうことだ。

ニュルブルクリンクを攻めるBMW M4 GT3マシン

2021年、Mモデルは16万台以上が売れている。その大部分が、クロスオーバーだったという。

そんな事実もあって、ニュルブルクリンク24時間レースに向けて準備を整えた、M4 GTSは一層魅力的に映る。今年で50回目の戦いとなるが、これが本来のMらしい姿だ。

2022年は、前年までのM6 GT3から交代する、新しいレーシック・マシンのデビューシーズン。公道用のM4より全幅は150mmも広く、アグレッシブなエアロキットと低い車高で、野性的な勇ましさに溢れている。

往年の3.0 CSL、バットモービルのシルエットとも重なって見える。アウディR8やポルシェ911 GT3、メルセデスAMG GTなどと伍するBMWのMモデルは、やはり特別。タイムレスな興奮がある。

ニュルブルクリンクは、1973年にBMWモータースポーツ社として初勝利を掴んだ場所。夜を向かえると、各チームの熱気は一層高まった。走り疲れたマシンは、ピットインの度に準備が整えられ、送り出される。

サウンドでも特別さを実感できるM5 CS

カラフルなロゴが闇夜に浮かび上がり、ブレーキとガソリンの焼けた匂いが周囲を包む。多気筒の内燃ユニットが放つ轟音で満たされ、スプリッターがアスファルトに削られる。ニュルブルクリンク24時間は、格別だ。

BMWモータースポーツ社の創設に関わった、ニアパッシュにとっても特別。83歳を迎えた彼ですら、昨晩は午前3時までM4 GT3マシンの様子を見ていた。BMWジュニア・チームに属する若者への、アドバイザーを努めている。

ニュルブルクリンクを攻めるBMW M4 GT3マシン

レースでは、M4 GT3の99号車が上位タイムで予選を通過。ところが夜間にリタイア。最終的に完走できたのは、1台だったようだ。新マシンでの初シーズンには、トラブルがつきもの。少なくとも、速かったことは間違いない。

今回、ノルドシュライフェまでの相方に選んだのが、BMW M5 CSだ。アルカンターラで仕立てられたステアリングホイールと、低い位置にセットされたカーボンファイバー製シェルのバケットシートが、筆者を満たしてくれる。

放たれるサウンドによって、特別なクルマの中にいることを目を閉じても実感できる。クリアなターボチャージャーの悲鳴と、リアルなエンジンサウンド。コンポジット素材のボンネットは、多くの音をドライバーに届けてくれる。

世界中から熱心なクルマ好きが集結する、ドイツ北部。Mのトリコロール・ロゴは、多くの人の気持ちを高ぶらせているはず。最初は下り坂のブリュンヘン・コーナーで観戦し、夜には激しいバンクコーナーが待ち構えるカルーセルへ移動した。

この続きは後編にて。



M誕生50周年 BMW M5 CSでニュルブルクリンクへ 創設者と開発本部を尋ねて 後編

ハードコアさを高めつつ、しなやかなM5 CS

翌日を迎え、ニュルブルクリンクからBMW M社の開発センターが位置するミュンヘン郊外のガルヒングへも、BMW M5 CSで移動する。約515kmのドライブとなる。

ノーマルのM5も、優れたグランドツアラーだ。フェラーリ812 スーパーファストやアストン マーティンDBS スーパーレッジェーラにも勝るほど。大きいボディで、悪びれた見た目のサルーンは、長距離走行にうってつけ。

加速性、操縦性、快適性だけでなく、パワートレインやインテリアの仕立ても、すべてが素晴らしい。ゴールドに塗られたホイールや、ボンネットに開けられたエアアウトレットなど、CSの見た目はよりハードコアだ。

だが、ラップタイムをわずかに削る、サーキットでの動的能力が追求されているわけではない。635psの最高出力も、公道のために与えられている。

詳しい内容は以前の試乗レポートをお読みいただきたいが、M5 コンペティションからCSへ仕立てるに当たり、車重は70kgも軽くなった。カーボンファイバーの積極登用のほか、遮音材も削られている。

アンチロールバーも専用品。コイルスプリングが短く、車高は7mm落とされた。この内容で、通常のM5以上にコーナーを機敏に駆け抜けられないわけがない。

アルファ・ロメオ・ジュリアGTAにも通じる、路面と呼吸を合わせるようなしなやかさがある。どこか、ドイツ車的ではない。だが、姿勢制御とステアリングの精度には、揺るがない芯の確かさがある。

BMW M社の未来を予感させる仕上がり

フロントに載るのは、熟成された4.4L V型8気筒。アウトバーンなら290km/h以上も許容範囲で、安定性は凄まじい。郊外の一般道でリアドライブ・モードに入れれば、落ち着き払って流暢に路面を縫っていく。

ポルシェ・パナメーラとも味わいが違う。どんなライバルを持ってきても、M5 CSの完成度が劣ることはないだろう。疑いようのない傑作だ。多面的な能力を知るほど、世界最高のクルマとまとめて良いように思える。ありきたりな表現でも。

CSの意義は大きい。勢いを増す動力性能争いに加えて、車重は増える一方。安全性と快適性を高めるため、クルマには多くの技術が搭載され、サイズは拡大していく。今後は駆動用バッテリーという重りも必要になる。

最新のM3は、20年前のE39型M5より車重がかさむ。ヴァン・ミールは「逆行するという選択肢はありません」。と認めている。

ターボに四輪駆動、オートマティック。必要に応じて、様々なデバイスをMモデルは獲得してきた。そして、多くの人が惹かれるクルマに仕上げてきた。だとしても、軽い方がベターだ。

1800kgあるM4を運転すると、質量を実感する。まだM2は公道で試していないが、M240iが軽いとは感じなかった。今後のハイブリッド化が、さらに重さを呼ぶだろう。

ところが、M5 CSを知ると、重さという課題も克服できなくはないと感じる。1950kgを包み隠す、乗り心地や操縦性のまとまりは、将来のMモデルの新基準として機能するはず。今後のBEVでも。

BMW M5 CSは、驚きが詰まったスーパーサルーンだ。BMW M社の未来を予感させるといっていい。

E60型のM5 CSLも検討していたM社

今回のロードトリップは、ミュンヘン北部にある、ガルヒングが最終目的地。1986年にBMWモータースポーツ社が、グループAマシン開発の拡充を目的に、より広い場所を求めて移ってきた場所だ。

そこで待ってくれていたハンス・ラーン氏は、BMW M社でプロトタイプ開発を取り仕切る人物。M3のGT4とGT3マシンだけでなく、多くの公道用Mモデルも監修している。

これまで、多くのMモデルがこの場所から生み出されてきた。マイナーチェンジ版も。近年の開発では3Dプリンターで試作部品を成形し、通常のモデルに試着することもあるという。

ただし、量産車の生産はしていない。この場所では賄うことができない。M3やM8、X5 Mも、通常の製造ラインに混ざって作られている。過去を振り返ると、E34型M5だけが例外。1987年から1996年に作られたすべてのM5が、ガルヒングから旅立った。

この場所にあるのは、M4 CSLやM3 CS、2025年に発売予定のV8ツインターボ・ハイブリッドのM5まで、開発段階のプロトタイプ。多くの極秘プロジェクトも進められてきた。E46型M3 CSLは、2005年の発表時点で、まだ開発が終わっていなかったそうだ。

E60型のM5 CSLも検討された。レブリミットが8250rpmから9000rpmに設定し直され、E92型M3と同じ、ゲトラグ社製のデュアルクラッチATを採用予定だったらしい。DOHCのV型10気筒が奏でる、F1マシンのようなサウンドを想像してしまう。

50年前に引けを取らないエネルギー

クリス・バングル氏が描き出したM6では、アクティブエアロと軽量化対策が練られていた。彼らの実験は、今も終わることはない。われわれの知らないところで、膨大な開発時間が費やされている。

M1の後継モデルも同様だが、素晴らしいプロジェクトでも、ワークショップから公道へ降り立つことができないモノは多い。それでも、うなるほどカッコいいモデルのために、BMW M社の熱意が静まることはない。

M4 GT3マシンの製作スタジオの壁面には、イエーガーマイスター社がスポンサーだった、プロカーのM1がサーキットを攻める写真が貼られていた。モチベーションを保つため、ロックミュージックがBGMに流れていた。

フロアはきれいで、宝石のように輝くサスペンションを、スタッフが丁寧に組んでいく。前日の、ニュルブルクリンクの雑踏とした雰囲気とは大違い。この場所も魅力的。居心地が良い。

BMW M社を生み出したヨッヘン・ニアパッシュ氏と、50年前に勝利を飾ったニュルブルクリンクでお会いでき、素晴らしいロードトリップになった。さらに、拠点は変わっても、当時に引けを取らないエネルギーが開発本部には満ちていたと思う。

スリムとはいいにくいクロスオーバーが増え、キドニーグリルは大型化し、排気音の規制は強化されていく。本来のMらしさを保つことは、簡単ではない時代といえる。

だが、論理的な思考を乗り越えて、Mというブランドは今後も生き続けるはず。2027年にも、同じように55周年を祝えることを祈りたい。まず今年は、50歳をお祝いしよう。

BMW M5 CS(英国仕様)のスペック

英国価格:14万780ポンド(2351万円)
全長:4956mm
全幅:1903mm
全高:1473mm
最高速度:305km/h
0-100km/h加速:3.0秒
燃費:8.9km/L
CO2排出量:256g/km
車両重量:1825kg
パワートレイン:V型8気筒4395ccツイン・ターボチャージャー
使用燃料:ガソリン
最高出力:635ps/6000rpm
最大トルク:76.3kg-m/1800rpm
ギアボックス:8速オートマティック





あの電動スーパーカーはどうなった? BMWビジョンMネクスト 市販化の可能性消えず

発表から3年 プロジェクトはどうなった?

BMWは、1978年に発表されたスーパーカーM1の流れを汲む、電動スーパーカーを発売する可能性を示唆した。

高性能車を手掛ける同社のM部門(M GmbH)は現在、ラインナップの電動化に向けた準備を進めており、M5のハイブリッド車やM3のEV、そして電動SUVなどが計画されている。

2019年、BMWはハイブリッド・スーパーカーのコンセプト「ビジョンMネクスト」を公開した。当時は市販化への期待も高まっていたが、やがて研究開発コストの懸念からプロジェクトが中止されたという報道が流れ始める。

その後、BMWはSUVのM専用モデルとして「コンセプトXM」を公開。ビジョンMネクストの話はいつの間にか聞かれなくなった。しかし、電動スーパーカー発売の可能性は、今も否定されていない。

BMW Mのフランク・ヴァン・ミールCEOは、AUTOCARにこう語った。「クルマ好きとして、常にこのようなクルマを作ることを夢見ています。作ると決まったではありませんが、このようなアイデアを探求し続けています」

ヴァン・ミールCEOは、ビジョンMネクストが実現しなかったからといっても、「スーパー・スポーツカーを考えていないということではありません」と話す。

極端に言えば、スーパーカーはMにとって絶対不可欠なものではないという。なぜなら、「Mがスポーティな会社であることを証明する必要はない」からだ。

しかし、「最優先のプロジェクトではありませんでしたが、心の中では常に高い優先順位にあります」と締めくくっている。


電動化は避けられないにしてもなにかもう一手を投じてくれることを期待したいですね。
ブログ一覧 | BMW | 日記
Posted at 2022/08/29 23:08:46

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