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2022年09月28日 イイね!

ワークスチューニングでもこの三台だとFD2だけがちょっと時期がズレるね

ワークスチューニングでもこの三台だとFD2だけがちょっと時期がズレるね幻の「S14シルビア」「カローラ」「シビック」のワークスコンプリートとは? 過激すぎて保証が付かなかった!?

新車開発時から情報共有できるのが強み

自動車メーカーのモータースポーツ活動と密接な関わりを持ち、コンプリートカーの開発も行う通称「ワークス」たち。一般的なアフターパーツのメーカーは車両が発表されてから開発を始めるが、ワークスは自動車メーカーの子会社であったり深い資本関係があることが多い。そのため事前に詳細な情報やデータを共有することができ、新型車と並行して開発を進められるのが大きなアドバンテージだ。

そんな利点を活かして世に送り出されたワークスのコンプリートカーで、とくに過激なスペックを誇り伝説と化しているマシンを何台か紹介したい。

270馬力を発揮するニスモ「270R」

まずは日産のワークスであるニスモ(NISMO)。初のストリート向けコンプリートカーと言われるのは、S14「シルビア」をベースにした「270R」だ。エンジンは名称から想像できるとおり270psで、タービンこそ通常のS14と同一ながら専用インタークーラーとハイカム、燃料ポンプやインジェクターも大容量タイプに交換された。

さらにファイナルギヤを変更し加速力をアップさせると同時に、機械式LSD/強化クラッチ/強化ドライブシャフトも投入。足まわりこそ車高調ではなくノーマル形状だが、ブレーキもキャリパーとローターをサイズアップし、外装は専用のエアロパーツという力の入れようだ。

生産された台数はわずか30台で当然ながら抽選となり、価格はBNR32 GT-Rとほぼ変わらない450万円だった。のちにニスモはR33 GT-Rで限定99台の「400R」や、R34 GT-Rで限定19台の「Z-tune」といった、伝説と呼ぶに相応しいコンプリートカーを製作する。

レースカーをオマージュした「TRD2000」

次はトヨタのワークスである「TRD」。1990年代の後半に行われていたレース「JTCC(全日本ツーリングカー選手権)」は、2L以下で同じメーカーのエンジンであれば載せ替えが可能なレギュレーションだった。そこで戦うために作られたのが、AE101の「カローラ」に、「セリカ」などの3S-GEを搭載する「TRD2000」だ。

生産は99台と少なく、しかも購入できるのは25歳以上に限られており、全額を先払いすることや保証が一切ないこともあり、実際は10台ほどしか売れなかったと言われている。

なお、ベース車両であるAE101のGTもエンジンは4A-GEで、160ps/16.5k-gmとパワフルだったが、TRD2000は180ps/19.5kg-mとさらに上で、プラス400ccの排気量の恩恵も大きい。ちなみに外観の違いは若干のローダウンとステッカー類と地味で、いわゆる「羊の皮を被った狼」なところに惚れ込んだ人も多いだろう。

レースのノウハウも投入した「無限シビックRR」

ホンダのワークスである「無限」が初めて販売したコンプリートカーは、FD2型「シビックタイプR」をベースにした「無限シビックRR」だ。吸排気系のレイアウトや設計を見直しつつカムのプロフィールを変更、エンジンはノーマルから15psアップの240psを絞り出していた。

さらに減衰力調整式ダンパーやスリット入りブレーキローターとステンメッシュ製ブレーキホース、カーボン製シェルでのセミバケットシートやカーボンとアルミのエアロパーツによる軽量化まで施されている。価格は477万7500円とベース車より200万円ほど高いにもかかわらず、販売スタートから10分も経たずに限定300台が完売したという。

※ ※ ※

アフターパーツメーカーやショップではできない領域まで踏み込んだ車両開発ができるのが、ワークスコンプリートの魅力。基本的にはどのようなオーナーの手に渡るかわからないため、オールマイティに仕立てられることが多いものの、今回紹介した3台は超本格派だ。今後はどのようなモデルが登場するのか、期待したい。
Posted at 2022/09/28 22:18:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2022年09月27日 イイね!

スーパーカーとかが率先して色々試してくれると技術の発展には良いよね

スーパーカーとかが率先して色々試してくれると技術の発展には良いよねランボルギーニが使う新技術「フォージドカーボン」! 多くのクルマへの普及の鍵となる可能性アリ

この記事をまとめると

■フォージドカーボンと呼ばれる新しいカーボンファイバーコンポジットが注目されている

■フォージドカーボンではこれまでの製法よりも短時間での製造が可能になっている

■まだ新しい技術のフォージドカーボンは製造工程の整備で爆発的に普及する可能性を秘めている

フォージドカーボンで業界をリードするランボルギーニ

フォージドカーボンという新しいカーボンファイバーコンポジット(炭素繊維成形品)が、イタリアのランボルギーニで採用された。

カーボンファイバーをあらかじめ繊維状に織った材料をプリプレグという。繊維状の材料は、長さや方向で力の掛り方に違いが出る。これまでのカーボンファイバーを使う製品は、長い繊維を織り込んだプリプレグを型に張り込み、加熱しながら圧力をかけ、成形した。

これに対し、フォージドカーボンは、短い繊維のプリプレグを型に張り込み、あとは同じように加熱しながら圧力を掛け成形する。繊維の長さが短いため、同じ部品での比較では弱さが出かねないが、そこはフォージドカーボンにあった成型方法を当てはめれば、逆にフォージドカーボンの特徴である短時間での製造や、これまでのカーボン・ファイバー製品とは違った見栄えという魅力で特徴を出していくことができるだろう。ランボルギーニでは、車両骨格、外板、内装に至るまで、フォージドカーボンで仕上げた例があるという。

一方、フォージドカーボンは、これからの技術ということでまだ採用例は限られる。なにごとも新技術は、それをいかに性能に活かすか、さらには商品性に反映させるかによって需要は異なる。

製造工程の整備次第で一般車への普及もありうる

これまで、カーボンファイバーコンポジットの利点は、軽量高剛性にあり、性能追求が第一であった。その性能がとてつもなく高いことによって、カーボンファイバーコンポジットへの憧れが高まり、高額で高性能なクルマに採用されるようになり、さらにはカーボン風といった見栄えだけを真似る装飾にも使われるようになった。

そもそもカーボンファイバーコンポジットは、軽量化が何より求められる航空機で使われるようになり、次にF1をはじめとしたレーシングカーで採用されるようになった。1980年初頭のマクラーレンF1(MP4)が最初だ。それからすでに40年以上も経つ。

それに対し、フォージドカーボンは、まだ新しい技術領域となる。先駆的なランボルギーニは知見を持つだろうが、ほかはこれからいかに製品に活かせるか、いかに製造工程を整備するかという準備から入ることになるだろう。また、これまでのカーボンファイバーコンポジットのような画一的な見栄えではなくなるので、そこを独創性や個性として位置づける価値観の構築も必要ではないだろうか。

新しい物好きの需要段階から、多くの消費者を惹きつける時代へ、いまは転換点にあるのではないか。

カーボンファイバーコンポジットは、素材へ戻すリサイクルがまだ確立していない。一方で、永く利用できれば、廃棄物を減らす意味での持続可能性を見出せる期待もある。次々に目新しさを求める消費ではなく、よいもの、気に入ったものを、永く使い続けることの幸せを感じられる生き様の浸透とともに、こうした新技術は花開くのではないか。
Posted at 2022/09/27 23:47:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2022年09月22日 イイね!

A PITの2号店がまさか京都に出来たのか〜

A PITの2号店がまさか京都に出来たのか〜オートバックスのフラッグシップ店「A PIT」の2号店が京都にオープン。カーライフスタイルを発信する新業態店舗として西日本に初出店

オートバックスグループのフラッグシップ店舗スーパーオートバックス京都ワウワンダーシティが「A PIT AUTOBACS KYOTO SHIJO(以下A PITオートバックス京都四条)」として2022年9⽉16⽇にリニューアルオープンした。

2018年11⽉にオープンした東京のA PIT AUTOBACS SHINONOMEと同じく、”お客様1⼈ひとりに「あなた」にとっての「PIT」サービスの提供を⽬指す”という思いを込めた、「A PIT AUTOBACS」ブランドの2号店⽬にあたる。新業態としては西日本初出店となる。

A PITオートバックス京都四条は、1階と2階(一部)には33台分のピットが用意され、整備やカー用品の取り付けなどさまざまなサービスに対応する。また、現在普及が進む先進の運転支援技術を備えた車両のセンサー類の校正を行うキャリブレーションエリアも導入するなど次世代整備にも対応する点もトピックだ。

2階には各ブランドのカスタム・ドレスアップパーツやスポーツパーツ、タイヤ・ホイールなどのほか、キャンプなどのアウトドアギアやアパレル、雑貨などが豊富なラインアップでカテゴリー別に陳列される。


3階にはメンテナンス用品や便利・快適カーグッズのほか、同社オリジナルライフスタイルブランドであるゴードンミラー(GORDON MILLER)の商品も豊富に取りそろえており、カスタムスタイルからアウトドアライフまでさまざまなカーライフスタイルを楽しむことができる。


建物内にはカーライフ(=クルマがあることでもっと楽しく・豊かになる生活)を提案する「BOOK & CAFE」スタイルの書店「TSUTAYA BOOKSTORE 京都四条」もオープン。


アウトドア、ヴィンテージ、カスタム、ガレージライフなど、専⾨書籍から、⼦供たちが楽しくクルマへの好奇⼼を刺激する絵本や児童書などを豊富に取りそろえている。


また、「TSUTAYA BOOKSTORE 四条京都」にはスターバックスを併設し、3階まで吹き抜けになった開放感あふれる空間で本を読みながらコーヒーやドリンクを楽しめる。愛⾞の整備待ちの時間をくつろぎながら、クルマへの愛着を深めたり、家族と楽しく過ごせる場所となっている。


A PITオートバックス京都四条店⻑の岩⾕孝治さんは「クルマ好きの⽅だけでなく、⼀般のお客様が普段は味わうことのできない、この異空間のような世界で楽しいひとときを過ごしていただきたい」と語ってくれた。

[A PIT AUTOBACS KYOTO SHIJO店舗情報]
所在地:京都府京都市右京区西院安塚町1
営業時間:10:00~20:00
定休日:不定休

〈文と写真=ドライバーWeb編集部〉
Posted at 2022/09/22 23:30:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2022年09月19日 イイね!

なんだろうこのサイバーパンク感のあるテイザーは

なんだろうこのサイバーパンク感のあるテイザーはルノー 5 ターボ、再来か…9月22日コンセプトEV発表へ

ルノーは9月14日、ルノー『5』(Renault 5)の50周年を祝う新たなコンセプトEVを9月22日、初公開すると発表した。このコンセプトEVは、当時のルノー5の最も伝説的なスポーツバージョンに対するオマージュになるという。

ルノー5は、フランス乗用車史上最多の生産台数を記録し、「クルマのジーンズ」と呼ばれるルノー『4』(1961年発売)の後継モデルとして、1972年に誕生した。機能性とデザイン性を兼ね備えた車として、ルノー4同様に多くの人々に受け入れられ、ルノーを販売台数で欧州首位の自動車メーカーに押し上げた。

ルノー5には、高性能モデルの『5ターボ』(サンクターボ)も用意されていた。5ターボはルノー5をベースに、エンジンをミッドシップマウントに変更。WRC(世界ラリー選手権)のグループ4 参戦のホモロゲーションモデルとして開発されたモンスターマシンだった。

ルノーは、ルノー5の50周年を祝う新たなコンセプトEVを9月22日に初公開する予定だ。このコンセプトEVは、当時のルノー5の最も伝説的なスポーツバージョンに対するオマージュ、というから、5ターボの再来になる可能性がある。

ティザー写真からは、大きく張り出したフェンダーや、大型リアウィングが確認できる。
Posted at 2022/09/19 20:35:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2022年09月19日 イイね!

8.5LのV8とか獰猛だろな〜

8.5LのV8とか獰猛だろな〜ジャガーEタイプxフォード・ギャラクシー 8.5L V8エンジンのイーガル 忘れられない衝撃 前編

ジャガーのシャシーにフォードのエンジン

この記事上では、衝撃的なサウンドをお伝えできないのが残念。ジャガーEタイプに期待する、滑らかで上品なエグゾーストノートは聞こえない。アメリカンV8らしい、バリバリという轟音が周囲を包む。アイドリング状態でも野蛮極まりない。

膨らんだフェンダーがグラマラス。ナンバーは付いているから、完全なロードリーガルらしい。グレートブリテン島の南部、サセックス州の田園地帯に流れる平穏を著しく乱している。

見た目やうるささと比較して、想像ほど運転が難しくないことにも驚く。クラッチペダルは重く反応は鋭いものの、急に繋がるような扱いにくさはない。ギアの回転数を調整してくれるシンクロメッシュが備わった、4速MTも変速しやすい。

サーボレスのブレーキは、温度が上昇すれば良く効く。すべての操作系が調和していて、ドライバーに優しい。

唯一、質実剛健なステアリングホイールはしっかり握っている必要がある。ワイドなフロントタイヤが、ワダチに沿って右往左往しようとする。

このワイルドなEタイプは、イーガル(Egal)と呼ばれている。EタイプのEに、ギャラクシー(エンジン名)のガルを組み合わせた造語だ。1960年代に、レーシングカーとして制作されている。

ジャガーのシャシーに、フォードのV型8気筒エンジンが搭載されている。排気量は本来7.0Lだったが、近年にアメリカで受けたレストア時に、8.5Lへボアアップされている。ダイナモテストでは、608psと82.8kg-mを発揮したという。

素晴らしく病みつきになるほど速い

他の道路利用者がいなくなるのを見計らって、アクセルペダルを僅かに傾ける。イーガルが勢いよくダッシュする。選んでいるギアは関係ない。反応は即時的で、あっという間に遠くでぼやけていた先行車両へ追いつく。思わず大笑いしてしまう。

車内は轟音で満たされ、低回転域に沈んでいない限り会話は難しい。信じられないほど素晴らしく、病みつきになるほど速い。公道では上澄みしか味わえない。解き放つには利用されなくなった飛行場と、狂気じみた勇気が必要そうだ。

イーガルを発案したのは、ロブ・ベック氏とジェフ・リチャードソン氏という2人。ベックは第二次大戦時にパイロットを務め、退役後に絵画の額縁を制作するビジネスを立ち上げた。世界的な評判を獲得し、英国王室御用達にもなったという。

事業で成功を掴んだベックは、以前から好きだったジャガーへの情熱を思う存分発揮させた。彼の叔父に、英国ミッドランド自動車クラブのメンバーだった、レスリー・ウィルソン氏がいたことも影響を与えた。

「叔父のベックはジャガー・オーナーとして、ちょっとした記録保持者でしょうね。公道用とサーキット用、沢山のクルマを所有していました。ある人物のコレクションを、丸ごと買い取るほど」。と、甥のアラン・ブルックス氏が笑う。

「投資になると考え、ガレージにコレクションを保管していました。でも、価格が上昇する前に手放してしまったようです。仕事を引退したタイミングで」

476psの6997ccビッグブロックを選択

一方のリチャードソンは、スキルのあるレーシングドライバーだった。1948年にはシルバーストーン・サーキットで開かれたレースで、ERAライレーというマシンをドライブしている。

1949年からはRRA(リチャードソン・レーシング・オートモービル)チームを立ち上げ、レーシングカーを開発。エンジニアとしても高い評判を獲得した。

彼のスキルは多彩で、作るものを選ばなかった。1970年代には、第二次大戦中の怪我が悪化し片方の膝下を切断する手術を受けた。依頼していた義足工場がストライキで停止すると、彼は自ら義足を2本作ったという。

1本は日常的な歩行用。もう1本はクラッチペダルを踏みやすく改良を加えた、運転用だった。

イーガルを着想する以前、ベックとリチャードソンはジャガーXK120のチューニングを手掛けていた。その経験を活かし、EタイプのシャシーへアメリカンV8をドッキングするという手法に帰着したようだ。

選ばれたのは、427cu.in(6997cc)のビッグブロック。フォード・ギャラクシー・ユニットだった。1964年後半の記録では、デイトナ仕様のチューニングで476psを発揮していた。

このエンジンは、ジャガー製の直列6気筒より59kg重かった。そこで2人は鋳鉄製のマニフォールドやベルハウジングを交換し、340kgまで軽くした。それを迎えるボディとシャシーは、1962年式のジャガーEタイプ・ロードスターだった。

フェラーリ 250GTOを引き離す加速力

フロントサブフレームは、大きなエンジンを搭載する都合上、幅を広げる必要があった。トランスミッションはオリジナルのジャガー社製。フォードのエンジンと結合させるためフライホイールとクラッチは専用品で、アダプタープレートを介している。

スターターモーターの位置を上にずらしたり、ステアリングコラムの構造を再設計するなど、伴う変更か所は少なくない。ジャガーの4HU型ディファレンシャルやドライブシャフト、ユニバーサル・ジョイントが、巨大なトルクを受け止めた。

サスペンションとブレーキは、レース用アイテムにアップグレード。ラジエーターとオイルクーラーも強化された。ボンネットは軽量なものへ交換され、フェラーリ250 GTO風の3つ並んだエアインテークが見た目の特徴となった。

記録では、リチャードソンはイーガルの凄まじい可能性に驚いたようだ。同時に、ノーマルのEタイプのように操縦できるものの、特にインボード構造のリア側でブレーキが過熱気味だという問題も発覚したらしい。

初戦となったのは、1964年6月20日のシルバーストーン・サーキット。ベックは10周のスポーツレーシングカー・イベントで優勝を掴んだ。続く8月には、グレートブリテン島の西、カッスルクーム・サーキットへ舞台を移した。

そこには、レーシングドライバーのロン・フライ氏とピーター・クラーク氏がドライブする、フェラーリ 250 GTOが待っていた。それでも、圧倒的な加速力でイタリアン・サラブレットを大きく引き離し勝利している。

この続きは後編にて。




ジャガーEタイプxフォード・ギャラクシー 8.5L V8エンジンのイーガル 忘れられない衝撃 後編

1965年のカッスルクームで大クラッシュ

1964年10月には、南中部のチャーチ・ローフォードで開かれたスプリント・レースにイーガルは参戦。ロジャー・マック氏が駆る軽量なEタイプ・ロードスターを凌駕し、44.5秒というベストタイムを記録している。

シーズン最後となった中東部のオウルトンパークでは、最後にトランスミッションが破損してしまうものの、1964年全体では好成績を残した。

イーガルを製作したロブ・ベック氏とジェフ・リチャードソン氏は、純正トランスミッションがシーズン終了まで耐えることを願っていた。見事にそれは叶ったようだ。

1965年はボルグワーナー社製のトランスミッションに換装されるが、カッスルクーム・サーキットでのテスト走行中、高速コーナーでギアが抜けコースアウト。大クラッシュに見舞われるなかで、ベックは一命をとりとめた。

彼はその事故をきっかけに、勝利を追い求めなくなったらしい。甥のアラン・ブルックス氏が振り返る。

「ベックおじさんはそれ以来、穏やかになりました。叔父の母、わたしの祖母はまだ生きていて、レースで命を危険に晒していることへ不安を抱いていました。考えて、レースを諦めたようです」

1966年は、F1も戦ったレーシングドライバーのクリス・サマーズ氏が、リビルドされたイーガルを運転した。ベックとリチャードソンも、サーキットへ足は運んでいた。

ベックは、ブライトン・スピードトライアルに参戦。時速146マイル(234.9km/h)でフィニッシュし、クラス2位を奪取している。スピードに対する熱意は、完全には消えていなかったのだろう。

ドライバーを思わず笑顔にさせる個性

1967年になると、2人はバリー・ウィリアムズ氏をドライバーとして採用。「パワーが高すぎてグリップ力が足りず、運転は恐ろしいものでした。それでも第1コーナーの侵入には有利で、多くのレースで勝利しましたが」。と、後にウィリアムズが話している。

それ以降、ベックとリチャードソンはイーガルを売却。複数のオーナーを介して、1970年代半ばにトム・マッカラム氏が購入した。幼い頃からモータースポーツ・ファンで、自身もチューニングされたジャガーXK120やEタイプでの参戦経験を有していた。

「わたしもイーガルを思う存分楽しみました。ボブ・カーという人物と北部のドゥーン・ヒルクライム・サーキットのパドックで、自分のEタイプと交換したんですよ」。とマッカラムが振り返る。

「そのイベントでは、ヒルクライムへ参戦しました。ドゥーンのコースは手強いのですが、それでもイーガルはドライバーを思わず笑顔にさせる個性がありましたね。優勝もできました」

「別のクラシックカー・イベントでは、予選でポールポジションを獲得しています。2位はライトウエイトEタイプで、スポーツカーやオープンホイールのマシンが混戦するレースでした」

「本番が始まると路面はウェット状態になり、イーガルには適さないコンディションに。最終的には僅差の2位を掴んでいます」。とマッカラムが回想する。

アメリカのレストアで当初と違う姿に

彼が購入した時点で、イーガルはネイビーブルーに塗装されていた。ホイールはボラーニ社製のワイヤータイプから、現在も履いているJAピアース社製のアルミホイールに交換されていたという。

「グリップを強めるため、ダンロップのスリックタイヤに自ら溝を切って履かせていました。車高が低く、ヒルクライムでボディがバウンドしてもエグゾーストに当たらないよう、スキッドプレートも溶接しました」

「激しく走ると、火花が散るんです。楽しかったですよ。何よりトルクが凄かった。ちょっとやりすぎなクルマが大好きでしたからね」

1980年にマッカラムはスティーブ・モース氏という人物から電話をもらう。英国車用の部品製造業をロサンゼルスで営む人物で、単刀直入にイーガルを購入したいと希望を伝えてきたという。

「大切に乗っていたので、想定した価格を2倍にして提案しました。それでも彼はイーガルを諦めませんでした。住宅ローンと2人の子供を理由に、売却を決めたんです。ちょっと馬鹿げた考えでしたね。モースさんは25年ほど所有したようです」

さらに別のアメリカ人コレクターへ渡ったイーガルは、最近になって英国のジャガー専門家、クリス・キース-ルーカス氏のもとへやって来た。レストアされたばかりだったが、久しぶりに再会したマッカラムは仕上がりへ納得できなかった。

クルマを作ったベックとリチャードソンの頃とは、異なる見た目になっていた。キース-ルーカスも疑問を抱き、マッカラムへ相談したようだ。

ジャガーとフォードが融合したEタイプ

フロントノーズのエアインテークも、当時の画像と形状が違っていた。ボンネットが交換された可能性があった。記録写真をさかのぼり、1968年にエアインテークの形状が変えられていたことを発見したそうだ。恐らく、修復が目的だったのだろう。

キース-ルーカスは、クルマを調べるほど独創性の高い内容に関心を強めていった。1960年代にリチャードソンが手掛けた、ガス溶接の跡などにも惹かれたという。

結果的に、ボディシェルとフロント・サブフレームはオリジナルのままだった。シャシーには、2人が試行錯誤したトランスミッション用のブラケットが残っていた。見た目的には大幅に手が加えられていたが、内側ではイーガルは健在といえた。

キース-ルーカスが内容に納得すると、イーガルは新しい所有者のもとへ引き渡された。2021年の夏に開催された、英国のジャガーEタイプ・クラブの60周年記念イベントで、華々しく披露されている。

現在は違っているが、1960年代当時の姿へ戻す計画が立てられている。このクルマに関わった多くの人物が、過去を共有するために協力を申し出ているらしい。

1台限りといえる、ジャガーとフォードが融合したEタイプ。V8エンジンの響きには、1度体験すれば忘れることのできない衝撃がある。イーガルが人々へ与える興味や関心は、サウンドに負けないくらい大きなもののようだ。

協力:CKLデベロップメンツ社、クリス・キース-ルーカス氏、ジェームズ・フレイザー氏、アラン・ブルックス氏、トム・マッカラム氏、ピート・ストウ氏
Posted at 2022/09/19 20:24:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記

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「@うーさー トランクに切れ込み入っていて車体にウイングの足を残しながら外れてくれます(開くって表現はしなくなります)」
何シテル?   06/22 22:42
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