2022年03月21日
アルピナ、BMWグループの傘下に…戦略的再編へ
BMWグループは3月10日、アルピナ(ALPINA)の商標権を取得すると発表した。BMWをベースにした高性能モデルを手がけたきたアルピナが、BMWグループの下で新たな戦略的再編に取り組む。
アルピナは1965年1月1日、正式に設立された。BMWのチューニングを行う小さな会社だったが、その実力がBMW本社に認められ、BMW公認チューナーに。そして、1983年には、ドイツ政府から自動車メーカーとしての認証も受けた。アルピナの新車には、BMWのメーカー保証が適用される。
BMWグループは、このアルピナブランドを傘下に収める。アルピナブランドの商標権を取得することにより、自社の高級車のラインナップにさらなる多様性をもたらすのが狙いだ。一方、EVへの転換と世界中での排出ガス規制の強化、ソフトウェアの検証、先進運転支援システム(ADAS)の開発などにかかるコストは、小規模自動車メーカーの存続リスクを高めている。アルピナは事業を長期的に実行していくために、BMWグループの下で戦略的な再編に取り組む。
アルピナは2025年末まで、BMWグループとの既存の契約に基づき、アルピナ車の開発、製造、販売にエンジニアリングの専門知識を投入する。アルピナの車両は、BMWグループの生産ラインで事前に組み立てられてから、アルピナのワークショップで最終組み立てが行われる。
BMW、アルピナをグループの一員に 商標権取得でグループ再編 60年の関係に新たな一歩
アルピナの業務を内製化 新たな協力関係に発展
BMWは、自動車メーカーのアルピナを、高級車ラインナップの一員として加えることにした。
アルピナは、ドイツ・ブッフローエに本社を置くブランド。BMWの市販モデルをベースとした独自モデルやパーツなどを生産している。
両社は、1964年にBMWがアルピナ製コンポーネントを装着した車両に純正保証を適用して以来、密接な関係にあるが、アルピナはこれまで独立した企業として運営されてきた。
アルピナは、BMWに商標権を譲渡することで「高級車ラインナップにさらなる多様性をもたらす」とコメント。アルピナのモデルがいずれBMWのモデルとともにショールームに並ぶ可能性がある。
両社はすでに公式な協力協定を結んでいるが、この協定は2025年12月31日に失効する。それまでは、アルピナがBMWのベースモデルを譲り受け、ブッフローエのワークショップで機械的/デザイン的にモディファイするという、ほぼ現在と同じ業務を継続する。
この買収は、まだ「さまざまな停止条件」があるが、BMWの機械的アップグレードに追いつく投資をする必要がないため、「アルピナの長期的な将来を確保する」ことにもなると言われている。
譲渡の金銭的条件は明らかにされていないが、BMWはアルピナの株式を一切取得しないことを認めている。
BMWは、アルピナの単独事業の廃止が「ブッフローエ工場の雇用に影響を与える」としているが、該当する従業員を2025年末までにBMWグループ内、またはサプライヤーやパートナー企業で雇用することを約束した。
現在、ブッフローエの施設では約300名が働いている。
BMWの販売担当責任者であるピーテル・ノータは、次のように述べている。
「自動車業界は、持続可能なモビリティに向けた大規模な変革の真っ只中にあります。そのため、既存のビジネスモデルは定期的に見直す必要があります。アルピナは50年以上にわたり、細部への細心の注意を払うことで最高品質のクルマを提供してきました」
「BMWグループもまた、想像力をかきたてるクルマに対する情熱によって動かされているのです。だからこそ、わたし達は長年のパートナーシップに新たな一歩を踏み出すことになりました」
「商標権を取得することで、伝統に彩られたこのブランドの長期的な方向性を形作ることができます」
アルピナ・ブルカルト・ボーフェンジーペン有限/合資会社CEOフローリアン・ボーフェンジーペンは、次のように述べている。
「私たちの家族と従業員は、今まで同様に最高水準のエンジニアリングクオリティを提供し続けるでしょう」
「そして、われわれの事業は、やがてエンジニアリングサービスへとシフトしていくでしょう」
「この戦略的な事業再編によって、ブッフローエは、将来にわたり安定するはずです」
また、
「アルピナの持つブランド力と魅力は、皆さんよくご存知のことだと思います。私たちは、BMW以外の自動車メーカーにアルピナを譲渡するつもりは毛頭ありませんでした。なぜなら、何十年にもわたり、私たちはお互いに信頼関係を築き、協力しあってきたからです」
「ですから、今回の戦略的決断により、この先、BMWグループがアルピナブランドを運営していくことはとても自然なことだと捉えています」
ともコメントしている。
アルピナのモデルは、パワーやスピードといった性能の面ではBMWとMの中間に位置している。昨年は、過去最高の販売台数を記録し、日本/欧州/米国/中東向けに2000台を生産した。
アルピナ、BMWグループの一員へ──素晴らしき個性は保たれるのか?
アルピナ・ブランドならでなの魅力は保たれるのか!? 小川フミオが考えた。
驚きのニュース
BMWアルピナといえば、BMW車をベースにすばらしいスポーティモデルを仕立てあげることで、日本でも人気の高いブランドだ。ファンには衝撃的なニュースが、2022年3月10日に発表された。BMWグループ(本社)が、アルピナの商標権を獲得したのだ。
「車両開発と生産は、今まで同様、2025年末までドイツのブッフローエで継続される」と、日本でアルピナの代理店を務めているニコルオートモビルズは、アルピナ本社が発表したニュースを紹介。べつの言い方をすると、2025年をもって、現在のアルピナ車の生産と供給は中止される。
BMW・3シリーズをベースにした「B3」「D3S」、5シリーズの「B5」「D5S」、SUVではX3ベースの「XD3」、X4の「XD4」、また8シリーズをチューンナップした「B8」など、このところ私が乗るチャンスを得たアルピナ車はどれも、まさに目がさめるほど素晴らしいドライビング体験を提供してくれた。
BMW車に輪をかけたようにウルトラ的にスムーズにまわるエンジン、しっかりとしたコーナリング性能をもっているいっぽう空とぶじゅうたんに乗ったらこうかなと思えるぐらい快適な乗り心地。アルピナは、自動車好きにとって高い存在価値を感じられるメーカーなのだ。
アルピナの歴史
アルピナのスタートは、1962年。当時のBMW「1500」というセダンのために、自分たちでチューニングしたウェバー社のカーブレターを開発した。その性能ぶりにすぐに着目したBMWでは、たんなるアウトソーシングのチューナー(市販車に自分たちで開発した部品などを装着するのを生業とする会社)でなく、本社の性能を与えたのだった。
ブルカルト、アンドレアスおよびフロリアン・ボーフェンジーペンの家族所有となるアルピナ・ブルカルト・ボーフェンジーペン有限&合資会社が設立されたのは、ビジネスが軌道に乗るのをみてとった1965年。
当初は、レースをはじめより速いBMWを求めるひとたちのために、チューニングを施したカーブレターとクランクシャフトを販売。それがアルピナ社の社標にいまも描かれている。私は、1970年代、ボンネットとトランクリッドとショルダー部分だけ黒く塗り分けたアルピナチューンのBMW「2002」がレースで走っている写真を雑誌で見ては、なんだかカッコいいなぁと思ったものだ。
そののちは、いまに続く車体側面を飾るサイドストライプがアルピナ車の目印に。派手だと敬遠する向きもあるようだけれど、グリーンとブルーなど、車体色に合わせたストライプは、アルピナ車の高品質ぶりの象徴のようで、私ももし買ったら、オプションのストライプを注文しそうだ。
アルピナらしさは残るのか?
「(アルピナの買収は)ラグジュアリー・セグメントにおける多様性をより拡大します」
BMW本社はホームページで、今回の商標権獲得について言及。EVのiシリーズのラインナップを拡張していくいっぽう、内燃機関搭載で洗練された走りを持つスポーツモデルもまた、当面は同社にとって必要なのだろう。
すぐに思い浮かぶのは、AMGを吸収したメルセデス・ベンツだ。当初はチューナーとしてスタートしたAMGは、1999年にメルセデス・ベンツ傘下に入り、2014年にメルセデスAMGというブランドがスタート。「GT」などの高性能車を手がけている。
ファンとして気になるのは、クルマづくりのポリシーの変更についてだ。AMGをみると、当初は“ワンマン・ワンエンジン”のポリシーを守り、ひとりのクラフツマンが1基のエンジンを組み上げる方針を守ってきた。
そのあと、メルセデスAMGブランドが拡大するにつれ、比較的排気量の小さなエンジンは、手づくりでなく工場のラインで生産されるように。だからよくなくなったというわけではないけれど、アルピナも同様だ。
熟練職人が組み上げていくのをセリングポイントにしてきたアルピナ車が、同様のわだちを踏んだら、その結果、いままでの芸術的ともいえるドライブフィールが薄まったらもったいないなぁと、はやくも危惧してしまう。杞憂に終わることを祈るが。
「内燃機関と電気自動車の両分野において、数十年もの年月で培われたエンジニアリングと開発ノウハウは、BMWグループ以外の自動車メーカーへも提供される予定です」と、アルピナ。
電気自動車の自動車を迎えてからも、アルピナチューンが残るとしたら、どんなクルマが出来るのだろう? それはそれで楽しみである。
現在まで、そしてこのあともしばらく販売されるアルピナ車に関しては、純正交換部品やアクセサリーといったものの提供は保証されているとのことだ。
文・小川フミオ
「アルピナ」BMWグループにブランド売却
ドイツ・バイエルンに所在するBMWのチューニング・コンプリートカー「アルピナ」のオーナー会社である「アルピナ・ブルカルト・ボーフェンジーペン GmbH」は2022年3月10日、BMWグループに「アルピナ」ブランドを売却したと発表した。
アルピナ・オートモビル本社ボーフェンジーペン家が創立した「アルピナ」は、BMWが製造したボディやコンポーネンツをベースに、独自のチューニングや艤装を行ない、よりハイパフォーマンスでラグジュアリーなクルマに仕上げて販売しており、BMWマニアの間では有名なブランドとなっていた。BMW社がボディやコンポーネンツをアルピナ社に供給して生産されるなど、57年間にわたるBMWとの協力関係にあり、BMWの公認コンプリートカーというべき存在だ。
すべて手作業でチューニング、組み立てされており、2021年の年間販売台数は約2000台で、その25%は日本で販売されている。発表によれば2025年までは、現在のアルピナ社が従来通りの生産を継続することになっている。
BMWは、現在のハイパフォーマンスモデルの開発、生産を担当するM社以外に、新たなサブブランドとしてアルピナを位置付けている。
今回のブランド売却に至った背景には、クルマは大きな変革期を迎えており、電気自動車への移行、世界的な排気ガス規制の強化、ソフトウェア・セキュリティや運転支援システムの要件などの高まりなどは、少量生産メーカーにとっては負担が過大になっており、将来を見据えてBMW社にバトンタッチすることが決断されている。
なお、アルピナ純正スペアパーツ、アクセサリー、サービス提供は今後も継続されることになっている。
同族会社の「アルピナ・ブルカルト・ボーフェンジーペン GmbH」は、今後はクルマの製造からクルマのサービス事業へとビジネス形態を移行させ、さらに新たな事業を開拓するとしている。
Posted at 2022/03/21 00:18:55 | |
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BMW | 日記
2022年03月16日
BMW M3 、歴代初の「ツーリング」のティザー…2022年内にモデル発表予定
BMWは3月8日、現在開発中の『M3ツーリング』(BMW M3 Touring)のプロトタイプが登場する映像『ICONIC PACK』を公開した。
新型『M3セダン』のワゴン版として、M3ツーリングは2022年に発表される予定だ。BMWは、新型M3にツーリングを設定することにより、高性能なプレミアムミッドレンジクラスのモデルラインナップを拡大する。BMWは2000年、3代目M3をベースにM3ツーリングのプロトタイプを製作したが、量産化には至らなかった。BMW Mの歴史において、M3ツーリングが市販されるのは、今回が初めてになる。
M3ツーリングには、新型M3セダン同様、ボンネットの下に3.0リットル直列6気筒の「M ツインパワーターボ」エンジンの最新版を搭載する。M3ツーリングでは、ベース車両の新型『3シリーズ・ツーリング』に対して、トレッドの拡大、フロントエアインテークの大幅な拡大、4本のエキゾーストテールパイプにより、MのDNAを表現するという。
なお、BMWは、M3ツーリングとベース車両の3シリーズ・ツーリング新型との違いについて、エンジンとパフォーマンスをはじめ、トレッドの拡大、リアの4本出しテールパイプなどを挙げる。フロントマスクについては、「エアインテークが著しく大きくなる」と公表しており、プロトタイプの写真からは、新型M3セダン同様、縦長デザインのキドニーグリルが採用されているのが確認できる。
BMWは、M3ツーリングのプロトタイプが登場する映像、『ICONIC PACK』を公開した。雪の残るワインディングロードで、新型M3セダンと新型『M4クーペ』のパフォーマンスを紹介している。映像の2分19秒付近から、M3ツーリングのプロトタイプが登場する。
Posted at 2022/03/16 22:06:14 | |
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BMW | 日記
2022年02月12日
車名は「CSL」で確定!最強のBMW M4クーペは、後部座席なしの超スパルタン仕様
BMWは現在、2ドアスポーツカー『M4クーペ』のさらなる高性能モデルの開発を進めている。その最新プロトタイプをカメラが捉えた。
BMWは昨年末、元BMW MディビジョンCEOのマーカス・フラシュ氏が「M4 CSL」の存在を示唆していたが、公式発表はなく、その正式な車名も断定的ではなかった。
給油中の姿を捉えた最新スパイショットでは、ドアが開いたインテリアにズームイン。そこには標準モデルと少し異なる、より多くのカーボンファイバーで強化された軽量バケットシートを見ることができた。またその後ろには「CSL」のロゴを発見。CSLの名が確定したと言って良いだろう。また、後部座席が排除された完全な2シーターとなるもようだ。
エクステリアでは、エアロコンポーネントとバンパー、グリル、ホイールなどすべて新設計されている。後部には、際立つリアスポイラーを装備。テールライトの変化を見つけるのは難しいが、ディフューザーは若干変更されているようだ。
パワートレインは、3.0リットル直列6気筒エンジンを搭載。「M4コンペティション」では最高出力503ps、最大トルク650Nmを発揮するが、M4 CSLでは550psまで向上するという。また動力性能は、0-100km/h加速3.4秒のM4コンペティションに対し、CSLでは3.3秒以下となる。
後輪駆動で、オートマチックギアボックスの設定のみか、マニュアルと両方提供されるのかは不明だ。最新情報では、Mディビジョン50周年に向け、マニュアルギアボックスのみが搭載される別の限定バージョンが用意される可能性があるといい、その場合はオートマチックのみになるはずだ。
M4 CLSのワールドプレミアは、2022年夏のイベントが有力だという。
Posted at 2022/02/12 22:32:12 | |
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BMW | 日記
2022年01月24日
BMW、V12エンジンの生産を終了へ…最終限定車を 7シリーズ に
BMWは1月18日、BMWブランド向けのV12エンジンの生産を6月に終了すると発表した。最終モデルとして、『7シリーズ』に「M760iファイナルV12」を設定し、限定発売する計画だ。
◆V12エンジンは1987年に登場以来35年の歴史に幕
BMWは1987年、市販車に初めてV型12気筒ガソリンエンジンを搭載した。自然吸気の「M70」型と呼ばれる5.0リットル V型12気筒ガソリンエンジンは、当時の7シリーズのフラッグシップグレード、「750iL」 に搭載された。
M70型V12エンジンは、シングルオーバーヘッドカムシャフト、1シリンダーに2つのバルブ、電子スロットルのドライブバイワイヤーを備えていた。最大出力は295 hpを発生し、当時の競合ラグジュアリーセダンの新基準を標榜していた。
なお、BMWのV12エンジンは、BMWグループ傘下のロールスロイスモーターカーズの車両にも搭載されている。ロールスロイス向けのV12エンジンに関しては、継続生産される予定だ。
◆V12搭載の最終モデル「M760iファイナルV12」
BMWブランドのV12エンジン搭載の最終モデルのM760iファイナルV12は、「M760i xDrive」グレードがベースだ。米国市場向けには、12台が限定生産される。
「Mパフォーマンス」が、このV型12気筒エンジンをチューニングした。排気量6592ccのV型12気筒ガソリンエンジンは、2個のターボ「BMW Mツインターボ」で過給され、最大出力601hp/5500~6500rpmを引き出す。トランスミッションは8速ATの「ステップトロニック」で、。駆動方式は4WDの「xDrive」。動力性能は、0-96km/h加速3.6秒と、大型サルーン屈指の性能を発揮する。
パワフルなエンジンに合わせて、サスペンションやブレーキは強化されている。
◆リアに太文字の「V12」エンブレム
M760iファイナルV12には、専用のエンブレムやアルミホイールが装備される。「BMWインディビジュアル」によるボディカラーや内装トリムの選択肢も、豊富に用意されている。
エクステリアには、リアにシンプルで太文字の「V12」エンブレムが装備され、他の7シリーズと識別できるようにする。特別な20インチの「スタイル760M」ダブルスポークアルミホイールは、ウィンドウグレーまたはジェットブラックが選択でき、ダークシルバーのグロス加工が表面に施される。Mスポーツブレーキは、ブルーまたはブラックのキャリパーが選択できる。
インテリアは、ドアシルプレートに「THE FINAL V12」の文字が刻印される。BMWインディビジュアルのピアノブラックフィニッシュトリムが採用され、コンソールには「1OF12」のシリアルナンバープレートが添えられる。
◆V12最終モデルにふさわしい装備内容
BMWの運転支援プロフェッショナルパッケージ、ラグジュアリーな後席パッケージ、パノラマスカイラウンジLEDルーフ、レーザーライト付きアイコンアダプティブLEDヘッドライト、「Bowers&Wilkins」ダイヤモンドサラウンドサウンドオーディオシステムが装備される。BMWインディビジュアルの80以上のエクステリアカラーと、複数の仕上げのフルメリノレザーから選択できる。
M760iファイナルV12の生産は2022年6月に開始され、米国では7月に納車される予定だ。米国では今後数日のうちに、V12エンジン搭載の7シリーズを長年所有してきた顧客に招待状が送られる。顧客はこの招待状を持って、最寄りのBMWディーラーにアクセスする。
BMWは、M760iファイナルV12によって、究極のラグジュアリースポーツセダンに長年の情熱を示してきた顧客に、感謝するまたとない機会を得ることができる、としている。
Posted at 2022/01/24 22:44:33 | |
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BMW | 日記
2021年12月15日
ランボルギーニに振り回された悲運のスーパーカーBMW M1とは
この記事をまとめると
■モータースポーツでの優位性を得るべくBMW M1は開発された
■開発・生産を委託したランボルギーニの財政難で複雑な行程の生産を余儀なくされた
■ホモロゲ獲得時には参戦カテゴリーがなくなっていたという悲運のスーパーカーだ
ランボルギーニが開発したBMWのミッドシップスーパーカー
1970年代初頭、BMWはそのスポーツ性を最大のセールスポイントとすることを、プロダクションモデルの販売戦略の核としていた。そのためにもっとも有効な手段は、もちろんモータースポーツでの活躍ということになるのだが、当時、BMWがサーキットに投じていたスポーツカーは、3.0CSL、あるいはその排気量拡大版ともいえる3.5CSL系のモデルで、それらは最大のライバルであるポルシェ934/935に対して、残念ながら十分な対抗力を持つものではなかった。
そこで考えられたのが、E26の開発コードを与えられた、対ポルシェを直接の目的としたミッドシップ・スポーツであり、それには後に現在にまで続く「M」の血統の始祖にあたる「M1」の車名が与えられた。
実際にM1は、1978年秋に開催されたパリ・サロンで正式に発表されるが、それは当時のグループ4の認定を目的としたホモロゲーションモデルだった。BMWは、ここから1980年の末までに800台のM1を生産し、途中でホモロゲーションを得ることを計画していたのだが、それはある事情によって大きな遅れを生じてしまうことになる。
BMWにとってM1のようなミッドシップのスーパースポーツは、これまでほとんど未知の分野だった。そこでその開発と生産を他社に委託する計画が新たに立ち上がり、その相手先として選ばれたのが、かのランボルギーニだったのである。当時のランボルギーニといえば、すでに創業者のフェルッチオ・ランボルギーニはその経営から撤退し、新たなオーナー、ジョルジョ・アンリ・ロセッティの支配下に置かれていた時代。カウンタックやウラッコまでを生み出した天才的エンジニアのパオロ・スタンツァーニもランボルギーニを去り、さらにジャン・パオロ・ダラーラはそれ以前にデ・トマソへと転職、その後はランチアや道路建設機械の製造会社に籍を置いていた。
ロセッティは新たなチーフ・エンジニアとしてフランコ・バラルディーニを指名し、さらにコンサルタントとしてダラーラを起用。一方ボディデザインはジョルジョト・ジウジアーロ率いるイタルデザインへと委託。M1の開発はこうした体制で始まったのである。M1が現在でも非常に魅力的なアピアランスとパフォーマンスを感じさせるモデルであるのも、この事情を知れば理解できよう。
だが、この頃のランボルギーニには、同時にアメリカの軍用車メーカー、MTI(モビリティ・テクノロジー・インターナショナル)がコンセプトを決定した不整地用の4輪駆動車を設計、生産するというビジネスの打診もあった。しかしながら、この計画は軍から正式採用されることはなく、ランボルギーニの経営はここで一気に窮地に追い込まれることになってしまう。その影響が、今度はBMWのM1プロジェクトにも波及してしまったのだ。
生産の遅れにより活躍の場を失ったBMW M1
そのような中でも、M1の基本設計は着実にその歩みを進めていった。高剛性な鉄管スチールフレームのミッドには3.5リッター仕様の直列6気筒DOHC24バルブエンジンを搭載。これはもちろん3.0CSLのレーシングエンジンが基本で、圧縮比は9.0に、さらにクーゲルフィッシャー製の機械式フューエルインジェクションの装備などによって、ロード仕様でも272馬力の最高出力が得られていた。
実際に限られた舞台ではあったものの、ル・マン24時間などのレース仕様車では、500馬力級の最高出力が得られていたという。サスペンションは前後ともにダブルウイッシュボーン。M1はサーキットの新たなヒーローになるはずだった。
だが、すでに企業としては経営破綻の状態に近かったランボルギーニでは、このM1の開発のみならず、生産も含めたBMWのリクエストに応えることはできなかった。BMWは、一時ランボルギーニの買収も考えるが、従業員の組合や下請け業者はそれに反対。ランボルギーニは、このM1プロジェクトも手放すほかはなかったのだ。
結局、M1の生産はイタルデザインの下請け工場でボディパネルの製作を行ったあと、シャシーコンポーネンツを装着、その後ドイツのバウアー社でBMWモータースポーツ社から送られてくるエンジンなどのメカニカル・コンポーネンツを搭載し、再度それをBMWに送り返し最終検査を受けるという複雑なプロセスを強いられることになってしまう。1978年のパリサロンで発表されたM1は、こうして誕生したモデルだった。
1980年末までに800台をセールスするという計画も、高価だった影響もあり、実際にはその半分程度(450台前後が一般的に語られる数字とされる)にとどまり、グループ4のホモロゲートが完了したのは、皮肉にもFIAがそれまでのグループ分けを全廃し、グループA/B/Cに再編した1981年のことだった。行き場を失ったM1は、ワンメークレースのプロカー・アソシエーション・シリーズなど、ごく限られた舞台でのみ、その雄姿を披露するにとどまったのである。
とはいえこのM1の苦難のヒストリーは、決してM1の価値を貶めるものではない。コレクターズ・カーとしての大きな価値は、これからも一切変わることはないだろう。
Posted at 2021/12/15 23:06:50 | |
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