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2018年10月26日 イイね!

ホント色んなものが2020年は節目の年になりそうだね

ホント色んなものが2020年は節目の年になりそうだね2020年、電動ツーリングカー選手権『ETCR』がスタート。「ツーリングカー・レースの未来を開く」

 TCRシリーズのプロモーターを務めるWSCは、多数のマニュファクチャラーが参戦する初のフル電動ツーリングカー・シリーズ『ETCR』を2020年にスタートさせると発表した。またそのラウンチイベントが開催されたスペイン・バルセロナでは『セアト・クプラ e-Racer』が初の公式デモンストレーション走行を披露した。

 TCRヨーロッパ・シリーズの最終戦が開催されたスペイン・バルセロナのパドックで開催されたETCRのラウンチイベントで、WSC代表であるマルチェロ・ロッティは「ETCRはツーリングカー・レーシングの未来を開く」と、この新たな電動シリーズの成功に意欲を示した。同時に、この選手権はFIA公認サーキットのみで開催されることもアナウンスした。

 ロッティ代表は「TCR規定の世界的な成功を受け、我々は2年ほど前から自動車市場の動向と新たなモビリティ時代への対応として、この野心的なプロジェクトに着手した。将来、必ず具現化するはずの新しい技術やテクノロジーに触れることで、モータースポーツ・コミュニティの教育や発展を目指している」と、プロジェクトの狙いを語っている。

「ETCRの車両は、ほぼTCR規定に準じたツーリングカーのシャシーに電動コンポーネントを組み込んだマシンになっている。これにより、これまでの技術的蓄積が活かせる車体側に、革新的な技術研究のプラットフォームの役割が加わることになり、モータースポーツがふたたびモビリティ研究開発の新たなパートを担う」

「これこそが、すでに数多くのマニュファクチャラーの興味を引きつける重要な要素となっているのだ」

 クプラ・レーシングの開発ドライバーを務める元WTCC世界ツーリングカー選手権ドライバーのジョルディ・ジェネは、このバルセロナのラウンチイベント当日に初の公式デモンストレーション走行を担当。最初のETCR車両として基礎研究が続けられてきたフル電動の後輪駆動『セアト・クプラ e-Racer』のパフォーマンスを披露した。

「ご想像のとおり、このマシンのトルクはこれまでのどんなレーシングカーとも違う異次元の加速力を味わわせてくれる。WTCCでドライブしたTDI(ディーゼル)のセアト・レオンなんかと比べてもね」とジェネ。

「サウンドに関しても、コクピットに収まってドライビングをしている限り、これまで乗ったツーリングカーともそれほど変わらない環境だと言える」

■「最終的な目標はEVレースが内燃機関レースと変わらない面白さがあることを示すこと」


 このETCR用クプラは、リヤアクスルに2基のモーターを搭載するツインモーター仕様となっており、最大出力500kW(680PS)を発生。さらにモータージェネレーターを活用した回生ブレーキシステムも備えている。

 このEVマシンはベースとなったTCRスペックの『セアト・クプラTCR』に比べて現状で400kg程度車重が増えているものの、この強大なアウトプットのおかげで0-100km/h加速3.2秒、0-200km/h加速8.2秒というパフォーマンスを誇っている。

 ロッティはすでにいくつかの世界的な自動車メーカーの幹部と「真剣な話し合いを行った」としており、ETCRはヨーロッパやアジアなどの地域選手権を開催する前に、インターナショナル格式の国際選手権からスタートさせることを目指している。

 クプラ・レーシングは約2年前からこの電動ツーリングカーの開発をスタートさせており、TCRシリーズの創設時にワンメイク車両の『セアト・レオン カップレーサー』がTCR規定の“メートル原器”になったときと同様に、このEVツーリングカーが新たなETCR規定のスタンダードを担うことを示唆した。

「我々の最終的な目標は、電気自動車のツーリングカー・レースが現在の内燃機関モデルのレースと変わらない面白さがあることをファンに示すことだと考えている。技術的な観点からは、クプラがこのプロジェクトと新シリーズの創設に大きな役割を果たしてくれていることを強調しておきたいと思う」

 2020年の本格的シリーズ開始までの18カ月間、クプラ・レーシングは引き続きエネルギー回生やマネジメントの分野を中心に、研究開発を続けていくとしている。



エンジン音がしなくてもモーター独特の駆動音や疾走している様子は良いんではないだろうか
Posted at 2018/10/26 23:35:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2018年10月26日 イイね!

零がダメでもP-2のかたちで市販化出来れていれば…ね

零がダメでもP-2のかたちで市販化出来れていれば…ね市販化は幻に! 惜しまれつつもお蔵入りとなった国産スーパーカー4選

 販売されていれば日本車の歴史が変わった可能性も

 スポーツカーの中でもひときわハイパフォーマンスで、エレガントかつスタイリッシュなボディを持ち、けっこう高価なクルマたち。スーパーカーの定理はざっとこんなものではないだろうか。

 この分野は長年、イタリアやイギリス、そしてドイツなどのヨーロッパ系のメーカーに半ば独占されてきたが、どっこい、わずかながら日本製のスーパーカーも存在する。そんなジャパニーズ・スーパーカーをピックアップしてみよう。

 1)童夢-零

 ジャパニーズ・スーパーカーの代表格といえば、なんといっても童夢-零。レーシングコンストラクターの童夢が、市販化を目指して開発した渾身の一台。童夢の御大、林みのるがデザインしたボディは、ウェッジシェイプ+リトラクタブルライトという、「Theスーパーカー」のスタイリングだ。

「世界一全高が低いクルマ」という触れ込みで、全高は980mm。シャシーはスチールモノコック、ボディはFRPのセミモノコックという仕様だった。パワーユニットは国産にこだわり、日産の2.8リッター直列6気筒エンジン(L28型 145馬力)をミッドシップに搭載。

 1978年の第48回ジュネーブモーターショーに出展し、世界的にも大反響となったが、当時の運輸省(現 国交省)と車両認定に関しての交渉が門前払い同然で進まず、市販化は幻に……。プラモデルなど模型・玩具類は大ヒットし、スーパーカー少年たちを魅了した。

 2)日産 MID4

 1985年のフランクフルトモーターショー、そして同年の第26回東京モーターショーにも出展された日産のMID4。開発を託されたのは、”スカイラインの父”として有名な故・櫻井眞一郎。V型6気筒SOHC(VG30型)をDOHC化したVG30DE型(最高出力は230馬力)を横置きに搭載し、シュタイヤープフ社(オーストリア)が供給するプラネタリーギアのセンターデフ+ビスカスを組み合わせた4WDシステムと4WS(HICAS)まで備えた、最先端のクルマだった。

 一方でマーチなど、量産車の部品を多数流用し、コストを抑えることも検討されたが、量産化を目指したMID4IIは、いろいろ盛り込み予価2000万円と高価なクルマになった。ゆえに、プロジェクトは消滅。のちにGT-RのアテーサE-TSにつながるようなスポーツカーの4WD化、ハイキャス、ツインターボ、マルチリンクサスなどは、MID4にルーツがあっただけに残念な一台だった。

 3)マツダRX500

 元祖ジャパニーズ・スーパーカーといえるのは、1970年の東京モーターショーに登場したマツダのRX500。マツダ創立50周年を記念に開発されたこのクルマは、カウンタックよりも早くガルウイングドア(正式には「バタフライウィングドア」)を採用した画期的な一台。エンジンはレース用にチューニングされた、10Aロータリー(250馬力)で、それをミッドシップに搭載。

 コスモスポーツの後継モデルという計画で、風洞実験を繰り返し、マツダ社内デザイナーの福田成徳さんが担当。ブレーキも4ポットキャリパー&4輪ベンチレーテッド・ディスクというハイスペックで、本気で高性能車を追求していたが、この一台の試作車だけで終わってしまった。

 4)ヤマハOX99-11

 1991年に発表されたヤマハ初の四輪車になる予定だったクルマ。ヤマハは1989年からF1にエンジンを供給しており、「OX99」はブラバムBT59Yが搭載していた3.5リッターV型12気筒DOHC60バルブエンジンの名称だ。そのOX99を公道向けにデチューン(それでも450馬力!)し、ミッドシップに搭載。「ロードゴーイングF1」という触れ込みで登場した。

 ムーンクラフトの由良拓也がデザインを担当し、車体センターに運転席、その真後ろに後部座席というタンデムの二人乗りで、シャシーはCFRPモノコック。販売価格は、100万ドル(約1億3000万円)と言われていたが、バブルが崩壊こともあり、1993年に計画は消滅してしまった。



そういう意味で言えばスーパーGTにも出ていたガライヤの流れでムーンクラフトの紫電を市販化に出来ても面白かったんだけどなぁ




【旧車・童夢】市販が期待された幻のスーパーカー-日本のスーパーカー 第5回

欧州のスーパーカーがスゴいのは誰でも知っている。だが日本のメーカーも、日本人のためのスーパーカーを作るべく努力をしてきた。そんな歴史を振りかえる企画、今回は、日本のカロッツェリアが生み出したスーパーカー「童夢」だ。(ホリデーオート2018年11月号より)

レーシングコンストラクターが世に問う寸前まで行ったが…。

レース界で名を馳せていた日本のコンストラクター、童夢が1978年のジュネーブ・ショーで「童夢 零」(タイトル写真奥のシルバーのクルマ)を発表した。

ミッドに搭載されたエンジンは日産のL28型 直6SOHC。スーパーカーのエンジンとしてはスーパーとは言い難かったが、当時の国産エンジンとしては最強と言えるものだった。フレームはスチールモノコックでFRP製のボディを架装するという、当時では先進的な構造と言えた。

翌年の1979年、童夢 P-2が発表される。このモデルは零をベースに北米の保安基準に合わせて改良されたもので、バンパーの大型化やヘッドランプの高さ変更が行われた。

だが、童夢はル・マン24時間レース参戦のためレーシングカー製作に傾注することになり、P-2の市販化計画は立ち消えになってしまった。
(解説:飯嶋洋治)

■童夢 P-2主要諸元 
●全長×全幅×全高:4235×1775×990mm ●ホイールベース:2450mm ●重量:950kg ●エンジン型式・種類・排気量:L28E・直6 SOHC・2753cc ●最高出力:145ps/5200rpm ●最大トルク:23.0kgm/4000rpm ●トランスミッション:5速MT ●タイヤサイズ(前・後):185/60HR13・225/60HR14
Posted at 2018/10/26 23:14:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2018年10月26日 イイね!

終わりがあれば…そのまま消滅しなければね

終わりがあれば…そのまま消滅しなければね自動車史で最後を飾ったクルマ 前編 MTのフェラーリ、空冷ポルシェ ほか

われわれが目にする数多くのクルマは、舞台裏で改良を重ねモデルチェンジを行い、少しでも多くの支持を得られるように奮闘した結果だといえる。例えば7代目フォルクスワーゲン・ゴルフは、いずれ8代目に交代するだろう。レンジローバーも、モデルを増やしながら連綿と進化を続けている。

その一方で、自動車の歴史の中に刻まれつつ、生産を終えるモデルも少なくない。どんなものでも生き残れるほど、自動車はシンプルなものではないのだ。今回はそんな、生産終了に追い込まれたクルマや技術などを紹介してみたい。どんなに忘れられなくても、もう新品では手に入れることができない、愛すべきものたち。

インターナショナル・ハーベスター・パッセンジャー・ビークル(IH):スカウトII(1980年)

財政難と、不景気による雇用者との闘争で悩まされたインターナショナル・ハーベスター社。1980年にはトラクターなどの農業用機械とバスに生産を絞る目的で、ピックアップやSUVなど、乗用車の製造部門を廃止してしまう。

経営者は業績が急速に悪化することを想定しておらず、3代目スカウトを含む、SUVなどの乗用車の計画を立てていたほど。スカウトIIIを目指して、1979年にひっそりと登場したSSVコンセプトは、スカウトIIのオフロード性能を向上させつつ、1980年代の流行に合わせて、ボクシーなエクステリアデザインをまとっていた。

インターナショナル・ハーベスター社は、テネコ・ナビスター社の一部として現在も残っている。

写真は、スカウトII

米国で販売されたキャブレター車:いすゞ・ピックアップ(1994年)

1990年前後にかけて、米国で販売されていたクルマの殆どが、キャブレターからフュエルインジェクション(燃料噴射)に切り替えられた。新しい環境規制に対応させるためには、変更が不可欠だったといえる。ジープ・グランドワゴニアとフォード・クラウン・ビクトリアは1991年までキャブレター式のV8エンジンを積んでいたが、いすゞはさらに粘った。

エントリーグレードのピックアップトラックにフュエルインジェクションを採用したのは、1995年になってからだった。

V型4気筒を搭載したクルマ:ZAZ 968M(1994年)

V型4気筒エンジンを積んだモデルを生産していたメーカーは数少ない。ランチアとフォード、サーブ、ZAZ、そしてAMCだけだと思う。

サーブはフォードが設計したV4をサーブ96に搭載し、1980年まで生産していたが、ウクライナのメーカーZAZ(ザポリージャ自動車工場)は、さらに長く生産を続けていた。V4エンジンを搭載した968Mは、1994年まで生産されていた。ドイツのNSUプリンスにも似たこのモデルは、とうの昔に賞味期限切れになっていたが、安価で丈夫、修理もしやすかったこともあり、最後まで人気は高かったようだ。

2018年現在では、V4エンジンはバイクと、レーシングカーで見ることができる。ポルシェはルマン24時間レースで優勝した919ハイブリッドに、V4エンジンを搭載。レース専用のプロトタイプ・カテゴリーだが、後にニュルブルクリンクでも驚異的なラップタイムを出している。しかしポルシェは、量産車にV4エンジンを採用する予定はないようだ。

空冷式ポルシェ:993(1998年)

993型のポルシェ911は、ポルシェフリークにとっては夢のクルマかもしれない。空冷式の水平対向6気筒エンジンを搭載したモデルだからだ。丸いヘッドライトと、テールが下がったシルエットは、ポルシェ911の家系に属することが一目瞭然。1960年代、エンジンの位置が間違い(ロング・エンド)と批評されたクルマは、今でもポルシェファンに愛されている。

1997年に登場した996型の911は、水冷式の水平対向6気筒になったうえ、自動車評論家からも市場からも批判を受けることになった、ボクスターに似たフロント周りのデザインをまとっていた。最後の空冷モデルとなった993型は、2018年の今ではコレクター・アイテムになっている。

AUTOCAR JAPANの編集部にも、すっかり空冷ポルシェの虜になったひとがいることは、熱心な読者ならご存知だろう。

米国でカセットデッキを搭載していたクルマ:レクサスSC(2010年)

米国で販売されていた中で、最後までカセットテープ・デッキが選べたクルマは、プラスチック製のホイールキャップに布製のシートが付くような、安価なモデルではなかった。 それは、2010年のレクサスSC430。日本のメーカーがメルセデス・ベンツSLに対抗するために生み出した、高価で堂々としたコンバーチブルだ。

レクサスは2010年以降、カセットテープ・デッキの供給も止めている。ニューヨーク・タイムズは2011年に、もはやカセットテープ・デッキを搭載するクルマが、オプションとしてもなくなったと、報じたほど。

サーブ:9-4X(2010年)

サーブは生き残ろうと、限られた環境の中で最後まで奮闘していた。2010年、ロサンゼルス・モーターショーで、新しいモデル9-4Xを発表したのだ。生産は翌年、ジェネラル・モータースのメキシコにあるラモス・アリスペ工場で開始されたものの、同2011年末に、サーブは倒産してしまう。サーブの博物館によれば、800台以上がすでに生産されていたそうだ。

ポンティアック:G6(2010年)

深刻な経営難に堕ちいていたジェネラル・モータース(GM)は、2008年にいくつかのブランドを消滅させることを発表した。翌年、サターンをなくし、サーブは売却。ハマーも消えることとなった。しかし、当時のプレスリリースによれば、ポンティアックはニッチブランドとして生き残るとされていた。

しかしその後、ジェネラル・モータースは再生計画を立てたものの、ポンティアックは採算が合わないとされ、サターンと同様に消滅されることとなる。ポンティアックとして最後に生産されたクルマは、2010年1月、白のG6だったそうだ。

シャシーとボディが独立したアメリカ車:フォード・クラウン・ビクトリア(2011年)

1970年のはじめ、米国の自動車メーカーは、フレームとボディとが別々のセパレートフレーム構造から、軽量なモノコック構造(ユニボディ構造)へと変更をはじめる。1990年半ばには、ほとんどのモデルがモノコック構造となっていたが、フォードは粘った。可能な限り、既存モデルを活かしたかったのだろう。

最後まで残ったのはクラウン・ビクトリア。米国のパトロールカーやタクシーとして愛用されたモデルで、2011年まで生産された。

V8エンジンを積んだボルボ:XC90(2011年)

V8エンジンをボルボとヤマハが共同で開発し、XC90やS80などの大型モデルに搭載していたことをご存知だろうか。日本製の4.4ℓエンジンは、当初315psと44.1kg-m発生した。2005年に生産が開始され、ガソリン価格が安く大排気量のエンジンの人気が根強かった米国では好評だった。

中国のジーリーがボルボを買収し、小排気量化が進められる中で、V8エンジンを搭載したS80は2010年まで続いた。さらにXC90には、ヤマハが生産を終了する2011年まで搭載されていた。現在、ハイパフォーマンスモデルを生産していないボルボだが、もし社外製のV8エンジンを搭載したモデルが発表されたら、相当の衝撃が走るに違いない。

マニュアル・トランスミッションのフェラーリ:カリフォルニア(2012年)

フェラーリでマニュアル・トランスミッションを選択できたのは、エントリーグレードの2011年式カリフォルニアが最後。7速デュアルクラッチATに代わって、美しくシフトゲートが切られた6速マニュアルが選べた。しかし、実際に選択したひとは極めて少なかった。メーカーも定かではないようだが、マニュアルを搭載したカリフォルニアは3~5台のみだったらしい。

既存モデルとしては、もはやマニュアル・トランスミッションを搭載したフェラーリを注文することはできない。しかし、充分なお金があれば、話は別。開発に必要な資金を提供すれさえすれば、ペダルがみっつ並んだマニュアルモデルも、喜んで製造してくれるだろう。

後編へ続く。


自動車史で最後を飾ったクルマ 後編 FFのアルファ・ロメオ、ランエボX ほか

ボルボのコンバーチブル:C70(2013年)

ボルボは、C70が同社最後のコンバーチブルだとは明言していないが、新しいモデルを目にできる可能性は、BMW i3のフロントタイヤ並みに、薄い。2ドアクーペは、欧米での人気の陰りに加えて、中国でも盛り上がりに欠けており、ボルボとしては積極的にリリースする動きは今のところない。

この市場の動きと企業の戦略は、ひとを振り向かせる魅力的なコンセプトクーペを、スポーティでラグジュアリーなS90の対ではなく、ポールスター部門から発表したことにも表れている。

マニュアル・トランスミッションのランボルギーニ:ガヤルドLP560-2(2013年)

ランボルギーニがマニュアル・トランスミッションの搭載をやめたのは、フェラーリがやめた翌年だったが、世界中に衝撃を与えての終焉だった。ランボルギーニ50周年を記念し、余分な装備を省きシンプルな構成としたガヤルドの派生モデルは、LP560-2と呼ばれた。100台の限定生産で、V型10気筒は560psを発生し、6速マニュアルを介して後輪を駆動した。

ランボルギーニによれば、需要の大きな落ち込みが、マニュアル廃止となった理由とのこと。ランボルギーニのCEO、ステファン・ヴィンケルマンの話では、マニュアル車のオーダーがない年も何度かあったそうだ。

写真はガヤルド 570-4スクアドラ・コルセ

リアエンジンのフォルクスワーゲン:コンビ・ラストエディション(2013年)

欧米では、1970年代からリアエンジン・モデルを製造していないフォルクスワーゲン。ゴルフやシロッコ、パサートなど、現在のモデルはすべてフロントエンジン・レイアウトとなっているのは説明不要だろう。その一方で、南アフリカやメキシコ、ブラジルなどでは、何十年にも渡ってビートルやバス(タイプII)が製造され続けてきた。

フォルクスワーゲンのブラジル部門がリアエンジンのミニバン、コンビの製造を終了したのは2013年。その最後には、ラストエディションと呼ばれる、1200台の限定バージョンも登場した。

コンビは、通称レイトバスのボディに水冷エンジンを搭載したモデル。メーカーによれば、コンビの売れ行きは最後まで良かったようだが、ブラジルの新しい自動車規制に盛り込まれた、前席のエアバックとABSの義務化に沿うことができなかったことが、生産終了の理由とのこと。

シャシーとボディが独立したランドローバー:ディフェンダー(2016年)

これは、まだ確定事項ではない。

ランドローバーに詳しい内部関係者によれば、2019年に発表予定の次世代ディフェンダーは、ディスカバリーやレンジローバーと同じ、アルミニウム製のモノコックボディを採用すると見込まれている。

この情報が確かなら、2016年で製造を終えたオリジナルのディフェンダーが、英国で最後に製造されたセパレートフレーム構造のクルマとなる。

三菱ランサー・エボリューション:ファイナル・エディション(2016年)

三菱は、ランサー・エボリューションの最後を、ファイナル・エディションと呼ばれる限定仕様車で飾った。2015年に発表されたこのモデルは、2.0ℓの直列4気筒ターボエンジンにチューニングを加え、307psを発生。サスペンションとブレーキは強化品に変更され、エクステリアでは限定モデルの特徴として、ブラック・アウトされたルーフパネルを備えていた。

三菱は2016年、1600台生産されたランサー・エボリューション・ファイナル・エディションの最後の1台を、オークションに掛けて販売した。落札額は、7万6400ドル(865万円)だったという。三菱はこの売上を、飢餓で苦しむひとたちのために活動する米国の慈善団体へ寄付している。意外と知られていない事実だ。

ハイドロ・サスペンションを搭載したシトロエン:C5(2017年)

数十年に渡りハイドロニューマチック・サスペンションは、シトロエンを最も快適な乗り心地を備えたクルマとして、価格帯を超えて位置づける役目を果たしてきた。それから時代は過ぎ、電子制御サスペンションの進化に伴い、2010年代には緑色のスフェアは時代遅れの技術となってしまった。2017年のC5を最後に、シトロエンはハイドロ・サスペンションの製造をやめてしまう。

オーストラリア製のクルマ:ホールデン・コモドア(2017年)

オーストラリアの自動車製造業は、2013年にフォードが経営合理化に伴う出口戦略を立てたことを発端に、終焉へと向かう。2016年、フォードがオーストラリア工場を閉鎖したことに続き、トヨタも2017年10月にアルトナ工場の終了を決める。

そしてホールデンのエリザベス工場が、最後となるV8エンジンを搭載したコモドアをラインオフしたのは、トヨタが工場を閉鎖した数週間後。2018年現在、オーストラリアで販売されているクルマのすべては海外からの輸入車となる。フォードやホールデン、トヨタも、オーストラリアでは輸入貿易の会社なのだ。

ハイブリッド不採用のV12気筒ランボルギーニ:アヴェンタドールSVJ(2018年)

「SVJ」は、ランボルギーニ・アヴェンタドールSのサーキットにフォーカスした仕様。ランボルギーニの研究開発部門のボス、マウリツィオ・レッジャーニによれば、このモデルが最後の、ハイブリッドを組み合わせない、自然吸気のV型12気筒エンジンを搭載したランボルギーニになるという。

2020年代に登場するであろうアヴェンタドールの後継モデルは、燃費を向上させるためにも、ハイブリッド化させる必要があるのだろう。SVJの12気筒は770psと73.2kg-mを発生させる。AUTOCARのテスター、マット・プライヤーは試乗後に「スピードとドラマ性、柔軟性とサウンドは、他のモデルでは得られないもの」だとまとめている。

前輪駆動のアルファ・ロメオ:ジュリエッタ(2019年)

伝統のブランド、アルファ・ロメオが生み出した前輪駆動モデルは、概して高い評価を得ていない。アルファ・ロメオの経営者は、イタリア版BMWとしての地位を確立し、富裕層向けとしてブランドを立て直すためにも、運転がしやすい後輪駆動モデルの必要性を理解していた。この決定は何度か見送られてきたが、ジュリアの仕上がりを見る限り、われわれは待った甲斐があったといえる。

アルファ・ロメオの攻めの姿勢はまだ終わっていない。詳細は明らかなっていないが、2020年に発表予定の次期ジュリエッタは、ジュリアやステルヴィオと共通の、ジョルジオ・アーキテクチャを採用すると見込まれている。

その場合、現行のジュリエッタが最後の前輪駆動モデルとなるはず。BMWが3代目となる1シリーズを前輪駆動のアーキテクチャで開発する中で、アルファ・ロメオにとってはベストといえるタイミングでの後輪駆動化といえるだろう。

フォルクスワーゲン・ビートル:ニュー・ビートル・ファイナル・エディション(2019年)

われわれの読みは正解だった。フォルクスワーゲンは、伝統ともいえるニュー・ビートルの生産を2019年に終了することとなった。最後の1台が工場をラインオフすると、ドイツ・ヴォルフスブルクに本社をおく企業が初めて、初代から続いてきたビートルの生産を終了させることになる。ちなみにリアエンジンの初代ビートルの生産が始まったのは、第2次世界大戦が始まる前年の、1938年となる。

フォルクスワーゲンは、生産を終了する前に2種類の限定モデルを発売する予定。それは、ファイナル・エディションSEとファイナル・エディションSELと呼ばれ、標準モデルの幅広いオプションリストに加え、特別色を含む特別装備が用意されるだろう。

終わりがあれば始まりもある。自動車の歴史は、次々に積み重ねられていくものなのだ。



生き残ろうことが出来れば次につながりますからね
Posted at 2018/10/26 23:09:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記

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