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2020年03月18日 イイね!

まだまだターボエンジンは進化を続けるかな

まだまだターボエンジンは進化を続けるかなターボ装着はパワーアップ目的だけじゃない!? 初期の日産ターボ車5選

■国産ターボ車の歴史は日産から始まった

 現在、高性能エンジンやダウンサイジングエンジンに欠かせないパーツといえば、ターボチャージャー(以下、ターボ)です。

 ターボはコンプレッサーの一種で、排気ガスの流れでタービンブレードを回して空気を圧縮し、エンジンに送り込むことで大きなパワーを得ることができます。

 その歴史は古く、第二次大戦では航空機に使われましたが、クルマに搭載されたのは1970年代初頭からで、国産車では日産が初めて搭載し、その後は急激に普及しました。

 そこで、黎明期に登場した日産のターボ車を、5車種ピックアップして紹介します。

●セドリック/グロリア

 乗用車で日本初となる直列6気筒ディーゼルエンジン、さらに日本初のターボエンジン搭載車として記念すべきモデルが、1979年に登場した「セドリック/グロリア」です。なお、セドリックは5代目、グロリアはプリンス時代から6代目にあたります。

 セドリック/グロリアに搭載された2リッター直列6気筒ターボエンジンの「L20ET型」は、最高出力145馬力、最大トルク21.0kgmを誇り、2.8リッター自然吸気エンジンと同等の走行性能を実現。

 一方で、アクセルを踏み込んでからパワーが出るまでに時間が掛かる「ターボラグ」が顕著だったことや、異常燃焼を防止するためにガソリンを濃く噴射する必要があり、市街地での燃費の悪化は避けられませんでした。

 技術的に改良の余地がありましたが、このセドリック/グロリアが登場したことで、ターボの急激な普及が始まることになります。

●スカイライン

 1980年、日産はセドリック/グロリアとまったく同じスペックのL20ET型ターボエンジンを、マイナーチェンジのタイミングで5代目「スカイライン」にも搭載。

 スカイラインにターボエンジンを搭載した意義としては、初のスポーティモデルということが挙げられます。

 スカイラインよりも先にラグジュアリーセダンのセドリック/グロリアへターボエンジンが搭載されたのは、パワーよりも熱効率向上を目的として、運輸省(現在の国土交通省)の認可をスムーズに得るためといわれ、本命はスカイラインだったのかもしれません。

 一方で、セドリックに較べて軽量なスカイラインセダンであっても、L20ET型では十分なパワーとはいえず、本格的なスポーツモデルとなるのは、次世代の6代目スカイラインに追加された「RSターボ」の登場まで待たなければなりませんでした。

●シルビア/ガゼール

 1979年に、競合するトヨタ「セリカ」に対して、日産は3代目「シルビア」を発売します。先代は曲線を多用したデザインの2ドアファストバッククーペでしたが、国内では人気が無く、3代目では一転して直線基調のシャープなデザインとしてヒット作となりました。

 ボティタイプは2ドアハードトップと3ハッチバックで、この世代から日産モーター店の取扱車として兄弟車の「ガゼール」が加わります。

 発売当初に搭載されたエンジンは1.8リッター直列4気筒の「Z18型」と2リッターの「Z20型」で、それぞれにキャブ仕様と電子制御燃料噴射装置仕様を設定。

 そして、1981年にマイナーチェンジされ、内外装の変更とともに直列4気筒ターボエンジンの「Z18ET型」を搭載した「ターボZSE/ZSE-X」が追加ラインアップされました。

 Z18ET型は最高出力135馬力、最大トルク20.0kgmを発揮して、トヨタのDOHCエンジンに対抗します。

 なお、このエンジンはシルビア、ガゼールのほかに6代目「ブルーバード」にも搭載され、大ヒットしました。

■平成の始まりとともに凄いコンパクトカーが誕生!

●サニー

 1980年代になると、日産のターボ戦略はコンパクトカーにもおよびます。1966年に初代が発売された日産を代表する大衆車の「サニー」は、代を重ねて1981年には5代目が登場。

 5代目サニーで最大のトピックスは、シリーズ初のFFとなったことです。コンパクトカーのライバルたちがFF化するなか、日産もその流れに追従しました。

 発売当初のボディタイプは4ドアセダン、3ドアハッチバッククーペ、そしてステーションワゴンの「カリフォルニア」をラインアップ。

 そして1982年に、4ドアセダンと3ドアハッチバッククーペに、1.5リッター直列4気筒ターボの「E15ET型」を搭載した「ターボルプリ」が発売され、最高出力115馬力、最大トルク17.0kgmを発揮し、ひとクラス上の動力性能を獲得します。

 なお、このE15ET型は、1.5リッターエンジンで日本初のターボエンジンという記念すべきモデルです。

 外観でもターボ車をアピールするため、フロントグリルに鏡文字で「TURBO」ロゴが入っており、前走車のルームミラーで見ると正しくTURBOに見えるという演出で、スカイラインもバンパーに同様なステッカーを貼ることができました。

●マーチターボ

 1982年に発売された次世代のコンパクトカー「マーチ」は、イタリア人デザイナーの巨匠ジウジアーロによってデザインされ、日本のみならず欧州でも販売された世界戦略車です。

 1リッターエンジンを搭載するFF車で、いわゆるリッターカーにカテゴライズされ、発売当初は3ドアハッチバックのみでしたが、後に5ドアハッチバックが加わります。

 また、宣伝活動がユニークで、車名は一般公募で決定され、CMやカタログのキャラクターに当時人気絶頂だったアイドルの近藤真彦さんを起用。「マッチのマーチ」のキャッチコピーで大ヒットにつながりましまた。

 そして、1985年のマイナーチェンジで3ドアハッチバックに、最高出力85馬力、最大トルク12.0kgmを発揮する1リッター直列4気筒ターボの「MA10ET型」エンジンを搭載した「マーチターボ」を追加。

 外観にはフォグランプを内蔵するエアロバンパーやリアスポイラーを装備し、2本出しのマフラーとするなど、高性能さをアピールします。

 さらに、1988年にターボとスーパーチャージャーを搭載したレースベース車の「マーチR」を発売し、翌1989年にはストリートバージョンの「マーチスーパーターボ」が登場。どちらも最高出力110馬力、最大トルク13.3kgmを絞り出し、乗り手を選ぶじゃじゃ馬モデルとして、いまも語り継がれています。

※ ※ ※

 ターボはエンジンのパワーを飛躍的に向上させました。1980年代後半のF1では、1.5リッターエンジンで1000馬力を誇り、現在のF1ではモーターのパワーも合わせると、1.6リッターエンジンながら1000馬力近くを発揮するといわれています。

 このように簡単にパワーアップできるターボが、急速に普及した1980年代前半から、三菱はすべての車種にターボエンジンを設定することを推し進め、単にパワーアップだけでなく利益の向上を狙いました。

 それは、ターボを装着するだけで、掛かるコスト以上の金額を車両価格に上乗せでき、高い利益を生むことになるからです。

 現在もターボによるコスト削減がおこなわれており、同一排気量でもターボのセッティングだけで最高出力が設定できるため、排気量の異なる複数のエンジンを用意する必要も無くなってきました。

 また、ダウンサイジングターボエンジンでは、排気量を小さくして気筒数を減らすことでコストダウンが図られるとともに、軽量化によって走行性能の向上も見込めるという、まさに一石二鳥です。

 さらに、日本では排気量が小さくなれば自動車税額が安くなるケースもあるので、ユーザーにもメリットがあります。
Posted at 2020/03/18 21:31:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2020年03月18日 イイね!

リヤガラスの開閉が左右開きっていう斬新だよな~

リヤガラスの開閉が左右開きっていう斬新だよな~【スーパーカー年代記 022】デ・トマソ マングスタはジウジアーロの手がけたボディとアメリカンV8をコラボ

クルマ好きなら一度は憧れたことがあるだろうスーパーカー。その黎明期から現代までをたどる連載企画。第22回は「デ・トマソ マングスタ」だ。

デ・トマソ マングスタ(1967-1971年)
デ・トマソは、1960年代から80年代に隆盛をきわめたイタリアのスポーツカー メーカーだ。一時はマセラティを傘下に収めるほどだったが、2003年に創業者のアレハンドロ・デ・トマソが亡くなった後に会社は解散。その後、何度か復活の動きはあるが、現在は実質的にブランドは消滅している。

そんなデ・トマソが、小型ミッドシップスポーツカーのバレルンガに続き、2作目の市販車として発表したのが、今回紹介するマングスタだ。その名はイタリア語でマングースを意味する。車名的にはアメリカン マッスルスポーツカーのACコブラの天敵となるわけだが、その背景にはACコブラの生みの親であるキャロル・シェルビーとアレハンドロ・デ・トマソの間に何か確執があったという説もあるが、定かではない。

マングスタは、1966年のトリノ モーターショーで市販プロトタイプが展示され、翌年から生産が開始された。これにより、デ・トマソはスーパーカー メーカーとして世に認められることになる。ミッドシップ2シーターのボディをデザインしたのは、当時カロッツェリア ギアに在籍していたジョルジェット・ジウジアーロ。ロー&ワイドで、いかにもスーパーカー的なスタイリングに、リアのエンジンフードはガルウイング式ドアのようにV字型に開くのがユニークだった。

シャシはバックボーンフレームと前後のサブメンバーから構成される。リアセクションにミッドシップ搭載されたパワーユニットはフォード製の4.7L V8で、OHVながら305psと56.8kgmを発生し、1185kgのボディを250km/hの最高速度まで引っ張った。排出ガス規制の厳しかった北米向けには、306ps仕様の4.9Lエンジンが搭載された。

自社製エンジンにこだわったフェラーリやランボルギーニのスーパーカーとは異なり、アメリカンV8エンジンを搭載したことでマングスタはライバルより安い価格が設定でき、しかもエンジンは扱いやすくメンテナンス性も優れていた。この、スーパーカーに対するデ・トマソの考え方は後継モデルとなるパンテーラに引き継がれることになる。1971年に生産終了するまでに、マングスタは約400台が生産された。

デ・トマソ マングスタ 主要諸元
●全長×全幅×全高:4275×1830×1100mm
●ホイールベース:2500mm
●車両重量:1322kg
●エンジン種類:90度V8 OHV
●排気量:4728cc
●最高出力:305ps/5000rpm
●最大トルク:56.8kgm
●駆動方式:縦置きミッドシップRWD
●トランスミッション:5速MT
Posted at 2020/03/18 21:24:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2020年03月18日 イイね!

年式考えれば2万キロは少ないけど、そんなに極上な車両なんだね

年式考えれば2万キロは少ないけど、そんなに極上な車両なんだね【走行2.7万km】新車に近い初代VWゴルフGTIがオークションへ 予想落札価格410万~560万円

最も新車に近いゴルフGTI Mk1

text:Lizzie Pope(リジー・ポープ)

photo:The Market

初代フォルクスワーゲン・ゴルフGTIは、ホットハッチの元祖と言えるモデルだ。しかし、多くのオーナーが活発な走りを楽しんでから数十年が経った今、良い状態で残っている個体は少ない。今回ご紹介する1979年製の初期モデルは、ひょっとしたら世界で最も素晴らしいコンディションを維持した初代ゴルフGTIかもしれない。

製造から40年の間に刻まれた走行距離はわずか1万6897マイル(約2万7193km)。このクルマをオークションに出品する予定のザ・マーケットは、「博物館に展示できるコンディション」と記述している。

オークションは3月19日に始まり、それから1週間、入札を受け付ける予定だ。予想落札価格は3万1000~4万2000ポンド(約410万~560万円)とされている。

果たしてこのゴルフは、売り手の野心を満足させる金額になるだろうか?

新車当時の価格は5132ポンド39ペンス

このVWゴルフの物語は、1979年9月1日にトーマス・ハッチンソンが最初のオーナーとなった日から始まる。英国スタッフォードシャー州ダッフィールドに住むハッチンソンは、ケニングス・シュルーズベリー・モーターズからこのゴルフGTIを諸費用込み5132ポンド39ペンスで購入した。

ハッチンソンは1990年に死去するまで、このゴルフを所有していた。ハッチンソン亡き後、それまであまり乗られず大事に保管されていたゴルフを、彼の妻は家族ぐるみで付き合っていた親しい友人に譲り渡すことに決めた。その人物とは、2輪レースの英国選手権を6度も制したライダーでガレージ・オーナーでもあるジョン・クーパーだった。

1998年7月3日、ダービーに住むニック・ハドソンがクーパーからこのゴルフを7500ポンドで買い取った。クーパーもハドソンも、自身の名前でこのクルマを登録しなかった。

VWミュージアム所蔵車を超える「基準品質レベル」

そして実質的な4人目のオーナーとなったのが、初代ゴルフのコレクターであるラジャン・ペイマスターだ。彼は2003年から2015年まで、このクルマをコレクションの1台として保管し、一度も公道で走らせることはなかった。何度かショーで展示することはあったが、その場合はトレーラーに積載して会場まで運んでいた。

それから現在まで、ほとんど新車同然の状態を維持しているこのゴルフは、ドイツ・ヴォルフスブルクのフォルクスワーゲン・ミュージアムが所蔵する個体を超える「基準品質レベル」にあると言われている。

最初期型ならではの特徴も

ブラックの外装ペイントはオリジナルで、跳ね石によるキズはていねいにタッチアップで補修されている。インテリアはシルバーとブラックのチェック柄。さらにこのクルマには、初期モデルのみの特徴もいくつか見られる。

サンルーフやリアのフォグランプ、ラジオ、そして助手席側ドアミラーも装備されていない。しかも、完全なゴルフボール型シフトノブを持つ4速マニュアル・ギアボックスのゴルフGTIは、英国では3か月しか販売されなかった(5速マニュアルは、シフトノブの上面にシフトポジションが書かれている)。

ヴォルフスブルクの紋章入りマッドフラップや、オリジナルのカーペットも残っており、運転席側のヒールマットは破けたり磨り減ったりしていない。バックルのないトリック製T-76シートベルトが採用されていたのも短い期間だけだ。フロントガラスには慣らし運転の注意書きが書かれたステッカーが貼られたまま。ディーラーのステッカーも残っている。

コーギーの限定モデルカーが付属

2015年に現在のオーナーが手に入れたとき、約7400ポンドを費やして整備が施された。その際、「短い試運転」をしただけで現在まで保管されている。

エンスージアストにとって、まさに理想的な状態のクルマだろう。このGTIは2度ほどTVに出演したこともある。「ザ・カーズ・ザ・スター」(1995年5月)と「クラークソンズ・カー・イヤーズ」(2000年6月)だ。

「まったく非の打ち所のないクルマだと思います。すべてが完璧に作動します」と、現在のオーナーは語る。「乗り心地もしっかりしています。運転すると、母のために新車で購入した1981年モデルに乗った時のことを思い出します」

さらに、このクルマを購入する次のオーナーには、予想外の嬉しいプレゼントもある。限定生産のコーギー製ヴァンガーズ・クラシック1/43モデルカーが付いているのだ。実車と同じ初期型の初代ゴルフGTIで、ボディ・カラーも同じブラック。しかも箱に入ったままの新品である。

2度と巡り会うことのない極上車

「一度もレストアされたことがなく、ほぼ新車同然で、基準品質レベルの初代ゴルフGTIを手入れることができるのは、おそらくこれが最後のチャンスでしょう。単なるGTIではありません。その後、多くのフォロワーを輩出し、ホットハッチの流行に火を付けた、最も純粋で最も初期のモデルです」と、ザ・マーケットのディレクターを務めるトリスタン・ジャッジはコメントしている。

「本物のコレクターズカーであり、まさに2度と巡り会うことのない極上車です。しかも、このまますぐに路上へ走り出すこともできます」

極上の初代ゴルフGTIを手に入れたいなら、3月19日から25日まで入札を受け付けるザ・マーケットのオンライン・オークションをお見逃しなく。
Posted at 2020/03/18 20:18:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | フォルクスワーゲン | 日記
2020年03月18日 イイね!

やはりラリーフィールドでの911カッコイイな

やはりラリーフィールドでの911カッコイイなラリー参戦用マシン「ハイゴ-ポルシェ 911」、40年という時を経て蘇ったディーター・ロッシュアイゼンの夢【動画】

Heigo-Porsche 911

ハイゴ–ポルシェ 911

一堂に会した4台のラリー仕様「ハイゴ–ポルシェ」

ハイゴ-ポルシェは、イギリスで発見されるまでほぼ30年間姿を消していた。このラリー参戦用ポルシェは、約40年前にディーター・ロッシュアイゼンによって作られている。その後、ヴァルター・ロールらによってセットアップされたレプリカモデルが3台製作され、今回初めて一堂に会することになった。

ロッシュアイゼンの子供の頃から描いていた夢は、輝くペトロール・ブルー・メタリックとグランプリ・ホワイトのカラーリングだった。それは1979年に彼と友人たちで組み上げられた、ハイゴ-ポルシェ 911 SCとして実現する。

1976年、ロッシュアイゼンはテスト部門のメカニックとしてポルシェに入社する。そして1980年にクラウス・ヘッセとコンビを組んで、国内ラリーや国際ラリーへの参戦をスタートした。

「このシーズン、残念なことに我々は資金を使い果たしてしまいました。そこでレーゲンスブルクで行われた国際ラリー参戦の祝勝会で、ハイゴ-ポルシェを売ることに決めたのです」

当時、まだ20代半ばだったロッシュアイゼンは、ドイツを代表するラリードライバーのヴァルター・ロールから、ある英国のバイヤーを紹介されたという。

30年の月日を経て、再び果たされた愛車との邂逅

それから30年の月日が経った2009年11月、ロッシュアイゼンに1本の電話が掛かってきた。電話の主はイングランドのストーク=オン=トレントに住むスティーブン・デイビス。税務コンサルタントの彼は、最近シェフィールドで1台のクルマを購入したというのだ。

「ボロボロの布で覆われたあのクルマを、私は裏通りにある自動車修理工場で発見したんです」と、デイビス。現在69歳の彼は今回のミーティングのために、ドイツのバイエルン州シュトラウビングまで1800kmをドライブしてきた。

デイビスが購入したポルシェ 911 SCは、ラリーでお馴染みのロスマンズ・タバコのカラーリングが施されていた。「ガレージに放置されていたため、工場の汚れがこびりついていましたよ」と、デイビスは笑う。

このクルマでデイビスは、様々なイベントやラリーに参加した。そしてある日、ワークショップにおいてロスマンズ・カラーの下にある別のカラーリングについて尋ねられた。もちろん彼は過去の姿を知らなかった。その後資料をあたり、かつてこの911 SCには別のカラーリングが施され、ヴァルター・ロールのドライブでラリーに参戦していたことを突き止める。

ヴァルター・ロールによって繋げられた“縁”

ラリーファンならば、ロールの名前を知らない者はいない。デイビスはつてを頼って彼に連絡を取り、ロールから彼の友人であるロッシュアイゼンの電話番号を教えてもらったという訳である。

「最初、このクルマがまだ存在しているなんて信じられませんでしたよ」と、ロッシュアイゼンは振り返る。デイビスがロールケージ用に開けられた穴を当時の写真と比較したことで、ロッシュアイゼンの疑念は晴れた。

「我々のマシンは、特にロールケージのウインドウフレームへの溶接方法が独特でした。1979年、私たちはこのハイゴ-ポルシェをジャンプによるねじれにも負けないよう、ラリー専用に作り上げたのです」

カラーリングのアイデアは、当時のポルシェのデザインスタジオで働いていたジンジャー・オステルによるものだった。

「ジンジャーは911を照明の下に置いて、ペトロール・ブルー・メタリックとグランプリ・ホワイトをクルマに照射しました。マルクトレドヴィッツ・ラリーが開催されたとき、クルマをチェックするためにパルクフェルメに向かっていると雪が激しく降ってきました。降り続く雪の光跡とグランプリホワイトのボディが完璧に調和して、信じられないほど美しかったことを覚えています」と、ロッシュアイゼンは目を細める。

より美しく素晴らしい、2台目のハイゴ-ポルシェ

デイビスは、写真をもとに911 SCを当時のコンディションへと戻すことを決める。30年近く放置されていたポルシェのレストア作業は2010年に完成。その年、英国・バーミンガムのストーンリーパークで開催された、国際的なヒストリックモータースポーツショー「レースレトロ(Race Retro)」で公開された。

「スティーブは電話で私に『あたなのレーシングスーツもパッキングしたから、一緒に特別なコースを走ろう』と言ってくれました。あれは非常に心に迫る瞬間でした。私は自分のクルマとはもう二度と会えないと思っていましたから・・・」と、ロッシュアイゼン。

ドイツに戻ると、ロッシュアイゼンはレストア・ワークショップのオーナーである友人のラファエル・デュエスを訪ねた。そこで彼は白い911 Gモデルと出会う。彼はデュエスにこのクルマをどうする予定なのか質問した。すると「特に何もないね。この2年間はずっとリフトの上に置かれっぱなしだよ」と、答えたという。

やることはひとつしかなかった。彼らは2台目のハイゴ-ポルシェを作ろうと思いついたのだ。

ロッシュアイゼンとデュエスに、以前のスポンサーである「ハイゴ・オートテクニック(Heigo Autotechnik GmbH)」のマネージングディレクターであるヘルムート・ヘイルマンが加わり、プロジェクトを立ち上げる。彼らの目標は以前のラリーカーよりも、さらに美しく素晴らしく仕上げることだった。

1年半後、プロジェクト「ハイゴ–ポルシェ II」が完成。そして、セットアップテストの担当ドライバーとして白羽の矢が立ったのが、彼らの旧友ヴァルター・ロール。その後も彼はチャンスがあるたびに、ヒストリックラリーやイベントでハイゴ–ポルシェのステアリングを握っている。

1台のミニカーがつないだ3台目のハイゴ-ポルシェ

時をさらに進めよう。

ロッシュアイゼンはレストアしたハイゴ-ポルシェのミニチュアカーを友人たちに配っていた。そして、そのミニカーを偶然手に入れた男がいた。

「2005年、ディーターがこのミニカーをプレゼントしてくれたとき、『私もこのポルシェが欲しい!』と、すぐに思ったのです。すごくかっこよかったですから」と、語るのはクラウス-ヨルゲン・オースだ。フランクフルトで通信会社を経営する彼は、ビジネスパートナーのウド・ミュラーと共同でこの夢を実現することにした。

2013年、ふたりはデュエスにハイゴ–ポルシェ 911 SC RS Evo IIIの製作をオーダーした。このクルマもまた、ロッシュアイゼンとヴァルター・ロールによってセットアップされている。このEvo IIIには最高出力340psを発揮する3.4リッター水平対向6気筒エンジンを搭載。1979年のオリジナル仕様より62psもパワフルだ。

「ダックテール型エンジンカバーとターボエクステンションは、FIAグループ4公認パーツが取り付けられています」と、ロッシュアイゼンは自慢気に語る。

今もラリーフィールドを疾走する、色褪せない夢

「ラファエル、ディーター、そして私は、いろいろな足まわりを試し少しずつ開発作業を進めました」。ドイツ選手権の一戦であり、ヨーロッパ最大級のヒストリックラリーイベントを併催するエイフェル・ラリーで、ゼロカーとしてハイゴ-ポルシェのレプリカをドライブしたロールは振り返る。

「エイフェルでは、最新のラリーカーとの良い比較ができました。Evo IIIは余計な装飾もなく、正しい目標に向かっていると実感できました。シートに座れば、誰もが『自分はなんでもできる』と感じるでしょう。完璧なドライブを披露できるか、そうではないか。そのふたつにひとつなのです」

「この911をドライブすると、自分とクルマが一体になるんです」とウド・ミュラー。 「このクルマは私にいろいろな物を与えてくれます。限界を超えてドライブすることは何にも代えがたい体験ですから」と、クラウス・ユルゲン・オースは笑顔で付け加えた。

最初のアイデアから40年。完璧なドリフトを披露するために生まれたロッシュアイゼンの夢は、再びラリーフィールドを駆け抜けることになった。そう、ラリーという言葉の意味どおり「その場所に帰ってきた」のである。


Posted at 2020/03/18 20:15:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | ポルシェ | 日記
2020年03月18日 イイね!

ドライで4速にもかかわらずホイールスピンするって凄いな

ドライで4速にもかかわらずホイールスピンするって凄いな【一昔前ならスーパーカー級】フォーカスRS マウンチューンM520へ試乗 520ps

520psを繰り出すCセグのホットハッチ

text:Richard Lane(リチャード・レーン)

translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)


マウンチューン社の手によるフォード・フォーカスRS マウンチューンM520。2000psを叩き出す無名のスーパーEVが登場する前の、一世代昔ならどんな見られ方をされただろう。

人間の限界の3割も発揮すれば、スーパーカーを操れた時代があった。ジュネーブ・モーターショーで、カレラGTのコンセプトカーが発表された2000年。その頃なら、とんでもない性能をフォード・フォーカスRSが獲得していると実感できたはず。

ポルシェがV10エンジンのスーパーカーを計画していた頃、マウンチューン社はフォーカスWRC用の4気筒ワークスエンジンを手掛けていた。実力派が作った520psを繰り出すCセグメントのホットハッチは、只者ではない。

M520にも4気筒ターボエンジンを搭載するが、ベースとするのは2.3Lのエコブースト・ユニット。最新のフォーカスSTが採用するものと同じだ。

ほかにM375と、M400rというチューニング・キットが用意されており、M520は最も過激なパッケージ。低抵抗のセラミックベアリングと低慣性タービンでアップデートされた、ボルグワーナー製ターボが主役となる。

カムシャフトやバルブトレインも専用品で、燃料ポンプも強化品。ガスケットやホース類、ボルトやナットまでもが、変更を受けている。

このエンジンを搭載するため、車体にはマウンチューン社製のインタークーラーとエアインテーク、エグゾーストなどが組み付けられる。フロントのドライブシャフトは強化品となり、デフもクワイフ製のLSDに交換。一方で、リアアスクル周りは標準のままだ。

2600rpm以下なら走りは穏やか

フォーカスRSをM520へ仕立てるのに必要なキット代は、1万5000ポンド(214万円)。日産GT-Rを脅かすような、マウントチューン社ならではのドライバビリティのための費用と考えれば、高くはない。

M520はどこか実験的でもあり、反道徳的でもある。多くの人が怖がる動力性能ながら、一部のドライバーは強いアピール力を感じ取るだろう。

クルマをスタートさせても、2600rpm以下なら穏やか。適切にシフトアップしていれば、マナーはマイルドといって良い。ミシュラン・カップ2タイヤとジオメトリー変更を受けたサスペンションを装備し、ステアリングも悪くない。

操舵感には少しゴムっぽさがあるが、レスポンスは良好。フィーリングは豊かで、フォーカスSTにはない本物の重みを感じる。

試乗車には、開発で5万6000kmもの距離を走破したという、KW製の2ウェイ調整式ダンパーを装備する。M520のキットには含まれないが、追加しておく価値はある。

BMW M2コンペティションと同じような、引き締まりながらもしなやかな姿勢制御を実現している。路面にうねりや深い轍があっても、フロントタイヤはしっかりと地面を掴んでくれる。

燃費は普通に走っていても、10.6km/L前後へ悪化している。郊外の道で激しく攻め立てれば、2.8km/Lくらいは覚悟した方がいい。

だが、燃やしたガソリン分だけ、M520は激しく走る。2800rpm前後でターボが目覚めると、トルクカーブが急激に盛り上がる。1000rpm増えるだけで、34.5kg-mが加算される。

ドライで4速でもホイールスピン

トルクステアも強力。だが冷静を保っていれば、生け垣に突っ込むようなことはないだろう。慣れるまでは、かなりの脅威を感じるかもしれないが。

滑らかで乾燥した直線でも、フルスロットルを与えれば、4本ともにタイヤは耐えきれずスピンする。4速でも。電子制御システムはオフの方がクルマは幸せかもしれないが、タイヤは常に回転過剰。ラリードライバー級のスキルが必要だ。

適切にシフトアップしてパワーを掛けていけば、猛烈な勢いでスピードを高めていく。追い越したフォルクスワーゲン・ゴルフRが、普通のクルマのように見えるかもしれない。

爆発的なトルクに慣れてくると、シャシーの許容量の高さも理解できてくる。ターボラグに悩まされないブーストアップされたエンジンと、4輪駆動にマニュアルが組み合わされた、M520の体験を満喫できるようになる。

ブローオフのホイッスルと、ターボの唸りがエグゾーストノートとともに響いてくる。アクセルオフにすると、ターボラグを解消するアンチラグシステムの破裂音も、劇場的に楽しめる。

マウントチューンM520のドライビング体験は、楽しむというより、スピードのスリルを味わう、といった方が近い。パワースライドもできるが、しばしば息が合わないこともある。敬意を払い、学んでいく必要がある。

完璧ではない。それでもフォード・エスコート・コスワースの後継モデルを探していた重度のフォード信者にとって、フォーカスRS マウンチューンM520は待ち望んでいた1台だと思う。

最もスリリングなフォーカスRS

個人的には、少し穏やかなマウンチューンM400rを試してみたい。依然として凄まじく速く、M520ほどキットの値段も高くないから、シャシーへお金を回すこと可能だ。

車高の下がる、KW社製のサスペンションは手に入れたい。車重的に必要だと思うし、リアタイヤの安定性は高まり、自由に振り回せるようにもなる。

お金で解決できる最もスリリングなフォーカスRSを探しているなら、M520の備える二面性は、特に心に響くだろう。

ターボが目覚める前のパワートレインは扱いやすく、標準のフォーカスRSと遜色ない乗りやすさを残している。スイッチを入れた時の520psと71.2kg-mというスペックを考えれば、驚くほどの振り幅だ。

フォーカスにこだわらないのなら、中古のベース車両と合わせて最低でも3万7000ポンド(529万円)ほど掛かる費用を考えると、疑問も湧くはず。三菱・ランサー・エボリューションXなどに目移りしても当然。

ランエボXも、グループAラリーマシンのような雰囲気を漂わせている。M520に匹敵するスピードを持ち、走行時の質感やインテリアの仕立ても、負けてはいない。フロントタイヤに頼りすぎない、甘美なハンドリングも備えている。

パフォーマンスでいえば、メルセデスAMG A45Sという選択肢もあるが、高価でカリスマ性はそれほどでもない。直接のライバルとはならないだろう。

フォード・フォーカスRS マウンチューンM520のスペック

価格:3万7000ポンド(529万円・ベース車両込み)
全長:4378mm(標準フォーカス)
全幅:1825mm(標準フォーカス)
全高:1454mm(標準フォーカス)
最高速度:281km/h(予想)
0-100km/h加速:4.0秒(予想)
燃費:-
CO2排出量:-
乾燥重量:1599kg
パワートレイン:直列4気筒2261ccターボチャージャー
使用燃料:ガソリン
最高出力:520ps/5550rpm
最大トルク:71.2kg-m/4000-4700rpm
ギアボックス:6速マニュアル
Posted at 2020/03/18 19:14:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記

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「@うーさー トランクに切れ込み入っていて車体にウイングの足を残しながら外れてくれます(開くって表現はしなくなります)」
何シテル?   06/22 22:42
初めまして。 インプレッサG4に代替を致しました~ 自分色に染めて行こうと思います 燃費を気にする割にアクセル踏んじゃうんですよ~ バトンに関し...

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