2020年05月25日
マイナーチェンジで変わりすぎじゃない!? デザインが迷走した車5選
■マイナーチェンジで変わりすぎたクルマを振り返る
クルマがヒットするかしないかを左右する、もっとも重要な要素のひとつに外観のデザインがあり、見た目に惚れてクルマを購入するユーザーは、かなり多いと思います。
しかし、すべてのクルマのデザインが優れているとは限らず、なかにはデザインが不評でマイナーチェンジを機に外観が刷新されたケースも存在。
そこで、デザインが迷走したクルマを5車種ピックアップして紹介します。
●トヨタ「プリウス」
現行モデルのトヨタ「プリウス」は、2015年に発売された4代目にあたり、先代からボディサイズを大きくしたにも関わらず、世界トップクラスの燃費を実現するなど、歴代モデルのコンセプトを継承しています。
しかし、販売台数は先代までの勢いがなく失速感は否めませんでした。とくに北米市場での評価で顕著だったのがデザインです。
後に発売された「プリウスPHV」が前後のデザインを専用の意匠としたことが好評だったこともあり、余計にプリウスのデザインは酷評されることになります。
そこで、2018年11月に前後のデザインを変更したモデルを、ロサンゼルスモーターショーで発表。これまで縦基調だったヘッドライトとテールライトを横基調に変え、それに伴いバンパーなども改修されて大きく印象を変えました。
日本では2018年12月に発売されると2019年暦年の登録車販売台数トップに返り咲き、見事なV字回復を果たしています。
●スズキ「SX4クロス」
2015年に発売されたスズキ「SX4 Sクロス」は、力強い外観のデザインや広い居住・荷室スペースが特徴のクロスオーバーSUVです。
スズキのハンガリーの子会社であるマジャールスズキで生産され、日本では輸入車として販売しています。
4WD車には、スズキ独自の4WDシステム「ALLGRIP(オールグリップ)」が採用されており、さまざまなシーンで優れた走破性と走行安定性を実現しています。
同社の「エスクード」よりもひと回り大型ながら価格は30万円ほど安く設定されていますが、販売は好調とは程遠いものでした、
そこで、発売からわずか2年後の2017年に、フロントフェイスの大幅変更がおこなわれ、ヘッドランプ、フロントバンパー、フロントグリル、ボンネットフードの意匠を刷新するなど、まったく別のモデルへと変貌。
さらに、2019年4月のマイナーチェンジでは、ミリ波レーダー方式の衝突被害軽減ブレーキが搭載されるなど、安全装備が充実しましたが、現在も販売台数は大きく伸びていません。
●スバル「インプレッサ」
スバル「インプレッサ」は1992年に発売されたセダン/ステーションワゴン(後に2ドアクーペが追加)で、高性能な「WRX」が世界ラリー選手権に代表されるモータースポーツで活躍したことで、たちまち人気を博します。
そして、2000年に登場した第2世代では、最大のライバルである三菱「ランサーエボリューション」シリーズと競うように、エンジンや駆動系のアップデートが短期間で繰り返され、それと同時に大規模なデザイン変更がおこなわれました。
2000年のデビュー時は円形のヘッドライト(通称:丸目)でしたが、2002年には横長型(通称:涙目)のヘッドライトに変わり、2005年に精悍な印象(通称:鷹目)のフロントフェイスに一新。
これだけ短期間にフロントフェイスの変更を繰り返したモデルは珍しく、まさにデザインが迷走していたモデルといえます。
■デザインが不評過ぎて「普通」になったクルマがある!?
●三菱「ミラージュディンゴ」
1999年に発売された三菱のトールワゴン「ミラージュディンゴ」は、同社のコンパクトカー「ミラージュ」の名を冠していますが、派生車ではなく独立した車種として登場しました。
外観のデザインで特徴的だったのがフロントフェイスで、ターンシグナルを内蔵した縦型ヘッドライトを採用し、テールライトもヘッドライトと同様に縦基調となっています。
発売当初は新開発の1.5リッター直列4気筒直噴エンジン「GDI」を搭載し、技術的には意欲作でしたが、販売はそれほど順調ではなく、むしろ発売年が販売台数のピークで年々下がる状況でした。
そこで、三菱は2001年にミラージュディンゴのマイナーチェンジをおこない、フロントとリアのデザインを刷新します。
とくにフロントフェイスはまったくの別物となり、ヘッドライトは縦基調から一般的な横基調となるなど、個性的とはいいがたいオーソドックスなデザインになりました。
初期のデザインを完全に否定することで販売台数の好転が期待されましたが、マイナーチェンジ後も販売台数は伸び悩み、2002年に生産を終了。
後継車はなく、ミラージュディンゴの名は一代で消えてしまいました。
●フィアット「ムルティプラ」
1956年に発売されたフィアット初代「ムルティプラ」は、リアにエンジンを搭載したコンパクトカー「600」をベースにした3列シート6人乗りで、コンパクトミニバンの先祖といえるモデルです。
このムルティプラの名前を受け継ぎ、1998年に発売された6人乗りミドルサイズミニバンが、大いに物議を醸します。
その原因がデザインで、爬虫類のようなフロントマスクに、キャビンはクルマの上にクルマが重なっているようにも見える奇抜すぎるルックスでした。
また、ムルティプラは2列シートながら、前席に3人、後席に3人乗車できる独立したシートレイアウトを採用。そのため全長3995mmに対して全幅1870mmと極端に幅が広くなっており、このバランスの悪さも不評の一因となります。
ムルティプラのデザインはとくに欧州で酷評されたことから、フィアットは2004年のマイナーチェンジでフロントウインドウから前のデザインを一新して発売。
しかし、今度は後期型のデザインがあまりにも普通すぎて、前期型の奇抜さを好む声が大きくなるという皮肉な結果となりました。
なお、日本には2003年から正規輸入されましたが、5速MTのみの設定だったためか販売は低迷。やはり前期型の方が人気のようで、現在販売されている中古車も前期型が多い状況です。
※ ※ ※
ムルティプラのように、奇抜なデザインはあまりにも好みが分かれ、不評となるケースが散見されます。
一方で、近年の軽トールワゴンやハイトワゴンのように、画一的なデザインで個性的とはいえないモデルもありますが、むしろそれを好む層も存在します。
メーカーは車種によって個性的か没個性かを選択しなければならず、これらの迷走モデルの存在からは、デザインの難しさが垣間見えます。
Posted at 2020/05/25 21:46:20 | |
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2020年05月25日
クルマの改造はマニアのものという時代は終わった! いま続々登場するメーカー公式「ワークスモデル」が買いな理由
万能なワークスモデルという選択
愛車をコツコツと自分好みのスタイルにカスタマイズしていくという行為。クルマに興味のない人からしてみれば理解しがたいものかもしれないが、クルマ好きであればその気持ちは共感できるものに違いない。自分の思うようにドレスアップやチューニングをして理想の一台に仕上げる楽しみは、単にクルマを購入して乗っているだけでは決して味わえないこと。
しかしクルマのカスタマイズは必ずしも1+1が2になるわけではなく、パーツ同士の組み合わせによってはノーマル状態よりも性能が低下してしまう可能性のある非常に難しいものである。それがまたカスタマイズの醍醐味でもあるのだが…。
もちろんカスタマイズ自体は自己満足の世界であるから、違法改造にならない限りはどんな組み合わせをしたとしても自由であることは間違いない。が、つい価格だけに釣られて粗悪品を選んでしまったり、そのクルマに適切でないパーツを取り付けてしまった場合は、ポテンシャルアップどころか時間とお金の両方を浪費してしまうことも有り得るということを頭に入れておいたほうが良いだろう。
そんなとき選択肢のひとつとして考えられるのが、いわゆる“ワークスモデル”というものだ。ここでいうワークスモデルとは、メーカーが最初からベース車両にカスタマイズを加えてリリースしたものを指す。
各自動車メーカーがワークスモデルを設定
ワークスモデルとひと口で言っても、トヨタのGR(ジーアール)や、ニッサンのNISMO(ニスモ)、ホンダのModulo X(モデューロエックス)のように、カタログモデルとして設定されているものから、スバルのSシリーズや、トヨタのGRMN(ジーアールエムエヌ)のように台数限定でリリースされたものまで幅広く設定されている。なかには中古車市場でプレミアが付いているものも少なくないが、果たしてこれらは“買い”なのだろうか?
結論から言ってしまえば、新車で買うのであれば大いに“買い”である。メーカーが考えに考え抜いたカスタマイズが施されているワークスモデルであれば、完成度は言うまでもないが、すべてにおいて通常の新車と同等の保証が付いているという点も見逃せない。
そしてコスト面でもワークスモデルは群を抜いて優れている。例えばニッサン・マーチNISMO Sでは、ノーマルモデルには存在しない1.5リッターエンジンと5速MTが搭載されているが、もし通常のマーチを買ってきてエンジンとミッションを載せ替えて、その他の専用パーツを組み込むと考えるとその交換費用だけでマーチNISMO Sが買えるほどの費用がかかって可能性も大いにある(もちろん載せ替えではメーカー保証外となる)。
そう考えると、完成度もコストパフォーマンスも保証の面でもワークスモデルは“買い”と言えるのである。
中古のワークスモデル購入時は価格に注意
しかし中古車の場合は、限定車などで当時の新車価格を上回る価格で取引されている個体は判断が難しい。
例えば2019年に350台限定で販売されたトヨタ・マークX GRMN(販売終了)は新車価格513万円に対し、編集部が調べた中古車相場だと走行距離1000kmの個体で629万円、走行距離690kmの個体だと649万9000円(いずれも車両本体価格・消費税込み)となっている。低走行の新古車とはいえ、新車よりも2~3割増しのプレミア価格で売られているのだ。
基本的な完成度は中古車でも劣ることはないが、あまりにプレミア価格が乗っているようだとコストパフォーマンスの面ではオススメとは言いにくくなってしまう。
もちろんそこまでプレミア価格が付いているものであれば、大切に維持していくことで資産となる、という考え方もある。
ただ、単純にワークスモデルならではのポテンシャルを満喫しようと考えているのであれば、あまりに高値となっているものは避けた方が賢明だ。
本来、走るために生み出されたはずのワークスモデルにも関わらず、投機目的で塩漬けされてしまうのではあまりにも悲しすぎる。できることなら本当に欲しいと思うユーザーに適正な価格で渡るようになれば最高なのだが、現実はかくも厳しく難しいものである。
Posted at 2020/05/25 21:37:40 | |
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2020年05月25日
【WRC】復活のラリー・ジャパン、新型コロナで中止の危機? コストと物流問題に
2020年のFIA世界ラリー選手権(WRC)は、新型コロナウイルスのパンデミックを受けて当初予定されていた13ラウンドのうち、3ラウンドのみを実施した段階で中断されている。
今後数ヵ月以内にチャンピオンシップを再開するために、多くの努力が行なわれているが、当初の開催スケジュールからはいくつかのイベントが中止され、ヨーロッパを中心としたチャンピオンシップに再編されることが予想されている。
既にキャンセルされたイベントとしてはラリー・ポルトガル、サファリ・ラリーがある。
そしてmotorsport.comの取材によると、ラリー・ニュージーランド、及びラリー・ジャパンのフライアウェイ戦が中止の危機に直面しているようだ。WRCはコストと物流の観点から、両イベントを中止にする予定だという。
ラリー・ニュージーランドは2012年以来の復活が予定されていたが、参戦するチームは遠く太平洋に位置するこの国に、パンデミック中の渡航を望んでいないと理解されている。
そして日本のケースも似ている。ラリー・ジャパンは2010年以来10年ぶりの復活となる予定で愛知県と岐阜県を舞台に準備が進められてきた。しかしニュージーランドと同じく、フライアウェイ戦であるため物流面での問題が生じる可能性がある。
WRCは5月末までにラリー・ニュージーランドの実現可能性の調査を終える見込みだ。しかし最終戦となる予定だったラリー・ジャパン開催可否の判断期日は明らかとなっていない。
その他にも、WRCは8月に予定されているラリー・フィンランドを9月もしくは10月に延期し、シーズン再開を遅らせる可能性もあるようだ。
Posted at 2020/05/25 21:33:46 | |
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2020年05月25日
ラリーで大活躍! 懐かしのホモロゲーション・モデル5選
国際的なラリー競技に出場すべく、開発・生産されたホモロゲーション(認証)用モデルのなかでも、とくに印象的なモデルをモータージャーナリストの小川フミオが振り返る。
レアで高性能なホモロゲ・モデル!
“ホモロゲ車”はクルマ好きの憧れだ。ホモロゲーション用のクルマってなに? という向きに説明すると、プロダクション・カー(量産車)を使った競技に出走するため、定められた(最小)生産台数をクリアするべく、作られたクルマのことである。
魅力をごく端的に解説すると、レア、高性能、そして(見方によるけれど)スタイリッシュさであると思う。
ラリーの場合、モンテカルロでラリーが始まったのは1911年のこと。そのときはまだホモロゲ車の決まりはなかったものの、ラリーで勝つことは、クルマ好きのなかでおおいに評価された。
モンテカルロ・ラリーは、かつて王の召集に応じて騎士が各国から集まった時代をなぞり、欧州各地から参戦車両がモナコをめざすという、なかなかドラマチックな形式だった。そののち、モンテカルロの雪山を舞台に、苛酷なラリーが繰り広げられるようになった。
モータースポーツでの好成績は、いつの時代でもブランドイメージを押し上げ、量産車の販促にも役立った。そのため、とりわけ量産車にちかい姿の車両のほうが望ましく、その意味で、d公道を走るラリー競技のホモロゲ車は、いまにいたるまで人気なのだ。
最新の例では、トヨタ・ガズーレーシングが限定発売した「GRヤリス」がそういうクルマだ。世界ラリー選手権(WRC)に出走するために作られたもので、量産型ヤリスと似たスタイルではあるものの、中身は別だ。たとえばシャシーは、フロントは新型ヤリスと共用の「GA-B」であるいっぽう、リアは「GA-C」といいうように専用設計である。3気筒エンジン、6段マニュアル変速のトランスミッション、そして4WDシステムからなるドライブトレインは専用で、やはり専用の、アルミニウムとカーボンファイバーによる軽量ボディを載せる。
話を世界ラリー選手権にもどすと、メーカー間の競争が熾烈化した1970年代から1980年代にかけては、“ラリー専用車種”ともいえるモデルがいろいろ作られた。当時存在したレース用カテゴリーでは「グループ4」そしてのちの「グループB」に属するモデルがそうだ。
1980年まで続いた「グループ4」では、連続する12カ月に400台以上の生産が求められた。現在の2500台からするとだいぶ少ない。1981年に規約が改定されて誕生した「グループB」では、それがわずか200台になった。レアになるわけだ。
というわけで、ここでは、あまたあるラリーマシンのなかから、とりわけ思い出ぶかい車両を選んでみた。
ランチア・ストラトス
あまたあるクルマのなかで、五指に入るほど好きなモデルだ。ラリーがなかったら、生まれなかっただろう。500台の生産(予定)だったが、発売された1974年はオイルショックの只中だったため、思うように売れなかったのは残念だ。
ストラトスは、ラリーで勝つために開発された車両である。小まわりが効くようにホイールベースは軽自動車より短い2184mm。いっぽうハンドリングのためのトレッドはフロントで1430mmと、たとえるなら1980年代のポルシェ「911ターボ」と同等のワイドさだった。
最大の魅力は超がつくほど個性的なスタイリングだ。ホイールリム径は14インチであるものの、タイヤの扁平率は70パーセントあるので(つまり35サイズに18インチ径の組み合わせに相当する)ボディのコンパクトさに対して4輪の存在感が大きい。
前後のオーバーハングが短いボディは、スタイルのためというより整備のため。コクピット背後に、2418ccのV型6気筒エンジンを横置きに収めたフードは大きく開くばかりか簡単に取り外せる。競技中の整備性を向上させるとともに破損したとき、交換を容易にするためだ。
私はこのクルマに乗り込んだとき、ドアの内側のポケットにヘルメットが入れられるスペースがあったのにびっくりした。クラッチペダルは鬼のように重く、間違って床を踏んでいるのでは? と、思ったほどだった。
ストラトスは、日常で使うには不便だ。機能面含めて、別の星の価値観でデザインされたみたいだ。デザインを担当したベルトーネ/マルチェロ・ガンディーニの天才はすごい。いまでもほれぼれする。
アウディ・スポーツクワトロ
Audi quattro最近、自宅近所の中古輸入車専門店で、アウディ「オールロードクワトロ」(1999年)が売りに出ている。100万円を切る価格でもあり、かなり魅力的だ。“クワトロ”という響きに惹かれるあたり、自身は、1980年代から1990年代にかけてのクワトロシリーズが本当に好きなんだなぁ、と、思う。
アウディとモータースポーツのイメージをがっちりと結びつけた立役者が、1980年にデビューした「クワトロ」だ。別名「ウルクワトロ(Ur-Quattro)」。“Ur”はオリジナルを意味するドイツ語の接頭辞である。
全長4.4m、量産車の車重は1.3t。くわえて全輪駆動システムで話題になった。アウディでは当初よりラリー選手権に投入する計画だったものの、世間では、ラリー車としては重くて戦闘力が劣るのでは? と、言われたものだ。
結果は、ものすごい成績をしめした。雪上を含む悪路で、競合車を大きく引き離す高性能ぶりで、立て続けに優勝を記録。以降ラリーでは「4WDでないと勝てない」と、他社も悟ることになったほど。
The start: First Audi quattro was presented at the Geneva Motorshow in march 1980スタイリングは、同じ年に発表された「アウディクーペ」をベースにしている。ウルクワトロの特徴は、ホイールアーチの部分がフェンダーごとふくらんでいる、いわゆるブリスターフェンダーを採用している点。当時、ブリスターフェンダーは稀少で、この点でも目立っていた。
アウディではこのあと、1983年にショートホイールベースの「スポーツクワトロ」を市販化する。その後、ラリー規則の変更に伴い、いまに続く「S」ラインを1990年に発表した。そののち、よりスポーティな「RS」ラインを設けて、レースと関連づけたイメージを大事にしている。
ランチア・デルタ・インテグラーレ(初代)
ここまで長く”愛される”とは思わなかった。ランチアが「デルタHFインテグラーレ」という名で、ラリー選手権用のホモロゲーションモデルを本格的に開発、発表したのが、1987年のこと。だいぶ前だ。
どこが魅力かというと、「ラリーで勝ちたい」という開発陣の思いがカタチになっている点だろう。工業製品なのにどこか人間くさい。ラリーのホモロゲーション・モデルの魅力は、そこにつきる。このクルマはその代表格だ。
ベース・モデルを、徹底的にラリー用に改造したのがいわゆるインテグラーレ・モデル。さらにその源泉をさぐれば、ゴルフの対抗馬として、フィアット「リトモ」のフロアパンを使い、ジョルジェット・ジュジャーロ(ジウジアーロ)のイタルデザインにデザインをまかせたランチア「デルタ」(1979年)にまでいきつく。
思い起こすと、ランチアではこのデルタに、年を追うごとにスポーツモデルを追加していった。「GT」(1982年)、「HFターボ」(1983年)、さきに触れた「HF 4WD」(1986年)といったぐあいで、そのたびに、私はけっこう興奮したものだ。どんどん高性能化していくのをみているのはおもしろかった。
初代のインテグラーレは1995cc直列4気筒2バルブエンジンだったが、1989年に4バルブ化し、181psの最高出力は、196psに向上した。1992年には210psの「HFインテグラーレ16vエボルツィオーネ」、そして1993年には215psの「HFインテグラーレ16vエボルツィオーネII」にまで”進化”した。
ラリーでは、アウディ「クワトロ」やプジョー「205ターボ16」などすさまじいマシンが投入されたグループBカテゴリーが廃止になったため、インテグラーレはグループAでめざましい活躍をしたものだ。1987年から1992年まで連続してメイクス選手権を獲得している。
日本では、バブル経済まっただなか。アルマーニなどのファッション、料理、ルネサンスブーム、そしてエンツォ・フェラーリ死去によるフェラーリ車の価格急騰など、イタリアにまつわるものが常に話題になっていた。インテグラーレのカッコよさはそんな時代背景といつも背中合わせにあったように思うのだ。
もちろん軽量ボディにハイパワーエンジン。4WDだけれどアウディのような安定性よりも、とにかく運転の楽しさを主眼にしたような挙動を示す運転特性……と、インテグラーレは熱かった。
内装はけっこうシャレていた。ミッソーニと共同開発したシート地なども採用されていた。そもそもデルタと4ドア版のプリズマにはゼニアのファブリックが使われていた。
「耐久性なんて考えたことがない。速くって、競技車両の評判に傷がつかないことこそが大事なんだ!」
これはランチア(デルタ)インテグラーレがWRCで優秀な成績を収めていた1990年代に、ランチアの車両開発者が、市販のホモロゲモデルについて語ったことばだ。
当時は「なんておそろしい!」と、思ったものの、いまでも、元気に公道を走っているインテグラーレを見かけるから、ちょっと安心する。
スバル・インプレッサ・WRX(初代)
ひとことで言うと、嬉しくなるようなクルマだった。モータースポーツ部門であるSTI(スバルテクニカインターナショナル/当時の表記はSTi)と組み、「インプレッサ・WRX」をベースにパワーアップした「WRX STi」はいまも刺激的ではないか。
インプレッサはセダンが1992年に、スポーツワゴンは1993年に発表された。1989年登場の「レガシィ」(全長4545mm)よりひとまわりコンパクトな4350mmのボディを持ち、スポーティなイメージを前面に押しだすという割り切りのいい製品戦略が奏功して、すぐにスバルの金看板になった。
そのイメージの牽引役が「WRX」であり「WRX STi」なのだ。標準モデルでもっとも排気量の大きな仕様が115psの1820ccエンジンだったのに対して、WRXは1994ccで240ps。ケタちがいだった。
「WRX STi」ではさらに280psにパワーアップ。くわえて、機械式LSD(リミテッドスリップディフ)や、前後輪のトルク配分調整機構など、スポーツ走行のための装備も豊富だった。
しかも初代は、車重が1100kg少々に抑えられている。これこそ、運動性能における大きなメリットだ。軽快なハンドリングと加速感には、いま乗っても、いや、いまだからこそシビれるはずだ。
WRC参戦も、インプレッサの人気に拍車をかけてきた。1995年にはコリン・マクレーの操縦で、メイクスとドライバーズ、ふたつの選手権を獲得したのだ。1996年と1997年も、メイクス選手権を手中におさめている。
三菱ランサー エボリューション(初代)
三菱自動車のモータースポーツを象徴するモデルが、「ランサー・エボリューション」だ。
1992年に初代が登場。以降、「II」(1994年)、「III」(1995年)、「IV」(1996年)、「V」(1998年)、「VI」(1999年)、「VII」(2001年)、「VIII」(2003年)、「IX」(2005年)、そして最終となった「X」(2007年)と続いた。
共通するのは、2.0リッターガソリンターボエンジン、全輪駆動、モータースポーツのホモロゲーションをとるための限定生産、そしてベース車両とおなじタイミングでのモデルチェンジだ。
モータースポーツのために開発された、と、鳴り物入りで登場したのを、昨日のことのようにおぼえている。「I」は2500台の限定で売り出されると3日で完売した。ランエボはつねにそういうモデルだった。
Iは、先代「ランサー」のシャシーを受け継いではいたものの、250psの最高出力を誇る1997ccの直列4気筒ガソリンターボ・エンジンを搭載し、車重は、公道を走る「GSR」で1240kg、競技用の「RS」にいたっては1170kgと、“超”をつけたくなるぐらい軽量だった。これも大きな魅力である。
ランエボは、溶接のスポット増しなどで剛性を高め、かつ補強パーツも装着。外観上は、大型のエアダム一体型バンパーや、やはり大きなリア・スポイラーなども派手派手しく目をひいた。
マイナーチェンジを重ねるごとに外観はどんどんレーシーになった。トミ・マキネンのドライブで、1996年のWRCでドライバー選手権を獲得した「III」は、クルマとしても、非常にダイレクトな運転フィールや、空力パーツ類による高速安定性などが強く印象に残っている。
個人的にランエボを代表するモデルは、第2世代の「IV」ではないか? と、思っている。左右輪の駆動差を電子制御で最適化し、ハイスピードでのコーナリングを可能とする「アクティブヨーコントロール(AYC)」の採用は衝撃的だった。
改良を受けるたびに、どんな装備が盛り込まれるのかを確認するのが、ランエボ最大の楽しみだったといってもいい。
一般的には、第3世代最後の「IX MR」が、スポーツセダンとしての完成度ゆえ、もっとも人気が高い。AYCをさらに進化させた「スーパーAYC」をはじめ、アイバッハと共同開発したスポーツ・ダンパー、効率があがったターボチャージャー、そしてエンジンのファインチューニング……。こういうスペックを知るのも楽しい。
WRCにおけるランエボの活躍は、1996年以降、1997年にふたたびドライバーズ選手権、1998年にドライバーズとメイクスふたつの選手権、1999年にドライバーズ選手権獲得と、かなりなものである。
文・小川フミオ
Posted at 2020/05/25 21:31:10 | |
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自動車業界あれこれ | 日記
2020年05月25日
VLNニュル耐久シリーズ再開へ向け主催者が衛生・安全管理のプランを提出。ピット不使用の方向へ
依然として世界中に影響を及ぼしている新型コロナウイルス感染症。各自が感染拡大予防を念頭におきながら、コロナウイルスと“共存”する生活へとフェーズが移行しつつあるドイツでは、6週間以上にもわたるロックダウンが少しずつ緩和され、日常生活を取り戻しつつある。そんななか、ニュルブルクリンクで開催されているVLNニュルブルクリンク耐久シリーズの主催者が地区行政機関に対し、6月27日の開幕戦開催へ向けた衛生・安全管理のプランを提出し、その内容が注目を集めている。
VLNは世界各国の自動車メーカーもテストに使用するニュルブルクリンクのグランプリコースと北コース(ノルドシュライフェ)を組み合わせたコースを舞台に争われるシリーズ戦。例年シーズン序盤は、ニュルブルクリンク24時間レースに向けたテスト等でエントリーがにぎわうが、2020年は24時間レースが9月に延期されており、6月のVLN開催を目指している。
VLN事務局では、協議を重ねたうえで必要最低人数での参加や、衛生・安全管理面の徹底を厳守する旨はもちろんのこと、DMSBドイツモータースポーツ協会とDOSBドイツオリンピック連盟が推奨事項とする10のガイドラインを元にプランを作成し、地区行政機関へ提出したという。
VLN VV GmbH&Co. KGのマネージングディレクターのクリスチャン・シュテファニは「この数週間、新型コロナウイルスの感染拡大防止策において、厳しい制限を受け入れる必要があり、これまでのところ予定されているレースを実施することができなかった。ファン、参加者、そして主催者が結束し、理解と譲歩策を承知したうえで再びレースの開催へ向けて協力しながら構築する必要がある」と、VLNに関わる全員の協力が不可欠なことを述べた。
VLN主催者側が打ち出した新型コロナウイルスの感染拡大防止をしながらのVLN開催プランでは、グランプリコースすべての観客席とパドックの観客の立ち入りを禁止する一方、ノルドシュライフェにおいても駐車場と一般的なギャラリーポイントは、セキュリティスタッフによって閉鎖および監視されるというものだ。
また、ニュルブルクリンク24時間レース前のVLNとあり、開幕戦から数多くのチームの参戦が予想されることから、各チームともにパドックに入場できる人数は最小限に制限され、車両ごとに作業に携われる人数もオフィシャルが決めた規定人数のみとなるほか、マスク着用が義務づけられる。書類提出には各チーム1名のみがオフィシャルへ出向くことが許可され、ドライバーズミーティング等はデジタルメディアを駆使して行われる。通常レース後に行われるメディアセンターでの記者会見は中止される。
一方で、レースコントロールやオフィシャルの関係者もレースの安全対策に支障をきたさないギリギリの人数まで絞るほか、ノルドシュライフェに立つオフィシャルらもマスクの着用が義務となる。セキュリティや清掃員を増員して、安全や感染拡大防止の衛生面にも配慮する予定だという。
また、最も“密”が問題視されるピットは、通常ならば最大6台の車両が入るとあり使用せず、58,000平方メートルのパドックをチームごとに個別のエリアを割り当てて、その場所で作業を行う。レーシングカーがフリープラクティスや予選・レース中に、コースから各チームの『オープンエアピット』へのピットインをする際のアクセスは、ピットロードを通り抜け、1コーナー寄り2番目のピット(32番ピット)から入り、パドックへ進入してチームテントへピットイン。ふたたびコースインをするには順路に従って1コーナー寄りピット(33番ピット)を抜けてGPコースへ入るという手順を踏むというものだ。なお、2002年に現在のピットビルが建設中の際にも、これに似た解決策でVLNを開催したこともあり、大きな混乱もなく行えるものと思われる。
VLNは独自の安全・衛生管理対策案作成と並行して、すでに国立ボン大学病院の公衆衛生研究所に相談し、VLNが計画した対策の精査を依頼していた。同研究所のマルティン・エクスナー教授とユルゲン・ゲベル博士がニュルでの現地視察を行ったうえで、研究所は5月12日に専門家レポートを作成し「衛生面の安全対策の条件が厳守され、規定が満たされるのならば、公衆衛生医学の観点から保健当局との協議のうえで、開催に関しての基準は推奨できるだろう」との見解を出している。
VLNの主催者側はアーヴァイラー地区行政に対して、地区管理者のユルゲン・ペーラー博士に、レース開催への認証に必要なすべての書類を先週提出した。「行政からの開催許可に期待している。それはレース主催者だけの問題ではなく、ニュルブルクリンク近辺の経済活動のほか、チーム、関連する多数の企業の財政状態に関わる」とVLNマネージングディレクターのシュテファニはコメントしているように、ドイツ国内のロックダウンからさまざまな業種が徐々に経済復興が行われるなかで、モータースポーツに関わる者のいち早い復興を必要としていることを強調する。
予定している6月27日のVLN開幕戦が迫っているため、近日中に開催できるかどうか発表がなされる模様だ。ロックダウンからの緩和で、欧州各地のサーキットでは徐々にチームがテストを開始し、レースへの準備が再開されているものの、いくつかの国の国境通過にはまだ制限があるため、ドライバーやメカニックやエンジニア等が自由にテストに参加できないのも現実だ。6月16日からはドイツに面するオーストリア・フランス・スイス等複数国の出入国が緩和されるとあり、27日のレース参加に希望を持つチームやドライバーも多いのではないのだろうか。
DTMドイツ・ツーリングカー選手権が開幕前にニュルブルクリンクで4日間のテストを開催へ
5月20日、DTMドイツ・ツーリングカー選手権を運営するITR e.Vは、2020年開幕を前にニュルブルクリンクのグランプリコースで4日間のオフィシャルテストを行うと発表した。テストの際にはソーシャル・ディスタンシングの維持など感染防止対策がなされる。
DTMはシーズン開幕を前に公式テストが行われているが、2020年に向けては新型コロナウイルス感染拡大の影響で、当初予定されていたイタリア・モンツァでのテストが開催不可能となり、ホッケンハイムに開催地を移したものの、これも3月14日に中止が決まった。
すでにDTMでは、改訂版のカレンダーを発表しているが、2020年に向けてさらなるカレンダー改訂や無観客やメディアなしの開催も模索している。そしてこれに先立ち6月上旬に、ニュルブルクリンクで4日間のテストを行うことを明らかにした。
また開催にあたっては、ソーシャル・ディスタンシングの徹底や参加者の制限、衛生に関する規則が定められる。また、すべてのチームスタッフは毎日新型コロナウイルスの症状がないかチェックされるという。
「多くの忍耐とハードワークによって、DTMの新シーズンへの準備は全速力で進められ、6月のニュルブルクリンクでのテストで公式テストが行われる」と語るのは、ITRのマネージングディレクターを務めるマルセル・モーハウプト。
「我々はすべてのサーキット関係者に感謝している。彼らはテストを安全にできるよう、距離のルールを設定してくれた。テストは我々を次のステップに導いてくれるだろうし、2020年もスリリングなレースを開催できること、そしてモータースポーツの『新しい常識』の要件も考慮した新しいカレンダーが、もうじき発表できるだろうと確信している」
DTM、ドイツ国外でのレースに黄色信号! "1会場4レース開催”でシーズンを成立へ?
新型コロナウイルス流行の影響でレースはおろかプレシーズンテストも開催できていなかったDTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)は先日、6月にニュルブルクリンクで無観客テストを行なうことを発表。シーズン再開に向けて少しずつ前進している。
しかしながら、シリーズのプロモーターであるITRは2020年シーズンのレースカレンダーを未だ確定しかねている状況だ。情報筋によると、ITRの代表であるゲルハルト・ベルガーは、メインの市場であるドイツでの開催に焦点を当てているとされている。
パーマネントサーキットでは2週連続でレースが開催されることになりそうだ。DTMの1ラウンド2レース開催というフォーマットは維持されるため、つまりはひとつのサーキットで4レースが開催されることになる。
この計画によりITRは、新型コロナウイルスの感染予防プログラムを確実に実施していきつつ、コストを抑えることを目指している。
2週連続開催が現実的な会場としては、ニュルブルクリンク、ホッケンハイム、ラウジッツリンクが挙げられている。
ITRはオッシャースレーベンとも連絡を取り、5年ぶりのDTMレース開催の可能性を探ったようだが、オッシャースレーベン側にレース開催可能な空き週末があるのかどうかは不明だ。またザクセンリンクは既に、日程上の問題でDTMのレース開催依頼を拒否している。
DTMは依然としてドイツ以外のサーキットでも2週連続開催を検討しているが、ヨーロッパでは今後も厳しい渡航制限が敷かれることが予想されるため、ドイツ国外でDTMのレースを行なう可能性は低いと言わざるを得ない。ロシア、そしてイギリスでのレースは新型コロナウイルス感染者数が増加していることから開催が難しいと考えられており、スウェーデン・アンデルストープでの初レースも実施できそうにない。
またオランダのアッセンのプロモーターは、出来るならばスケジュール通り9月に観客を入れてレースをしたいと考えているが、オランダ当局からの許可を得られるかどうかは不透明であり、それはベルギーのゾルダーも同じ状況にあると言える。
■レッドブルリンクで開催の噂も、サーキット側は否定
7月にF1を開催する予定となっているオーストリアのレッドブルリンクは、オリジナルのDTMカレンダーには名前がないものの、カレンダーに追加されるのではないかとの噂がある。
というのも、ベルガーはレッドブルのオーナーであるディートリッヒ・マシテッツと強固な協力関係を結んでいる。そのため、DTMを開催する可能性が高まっているという見方があるのだ。
しかしながらレッドブルリンクの広報担当者はmotorsport.comに対し『2020年のDTMをレッドブルリンクで開催する計画はない』と噂を否定した。
Posted at 2020/05/25 21:28:40 | |
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