2020年05月29日
「ミスタースカイラインの素顔」天才ドライバー『長谷見昌弘』の生き様
74歳になった現在もモータースポーツ現役!
長谷見昌弘は一度も「練習」をしたことがない!?
2輪から4輪に転向し、フォーミュラ、スーパーシルエット、Cカー等あらゆるカテゴリーで輝かしい戦績を残してきた、国内屈指の天才ドライバー“長谷見昌弘”。日産モータースポーツ界のレジェンドと呼ばれる男の生き様に迫る。
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―どんな少年でしたか?
あまり大きな声じゃ言えないけど、勉強しないでバイクばっかり乗っていましたよ(笑)。
僕の実家は、青梅の織物業だったんです。商売の都合もあって、家には自動車とバイクが必ず何台かあったんですよ。自動車は、ずいぶん小さい時から乗せてくれました。子供なんで脚が届かないから、親父がペダルを踏んで僕がハンドルを持ってね。
今じゃ信じられないでしょうが、中学校の時には自動車部があったんですよ。
ある人がクルマを寄付してくれて「自動車部を作ったら?」ってね。それで校庭に白線引いて、先生が教えてくれました。クルマはダットサンの小さいトラックだったかな。今じゃ、クルマで校庭走ったら大騒ぎになりますよ。良い時代でしたね。
―モータースポーツとの出会いは?
僕の地元に、青梅ファントムクラブという2輪のツーリング+レースをやろうというクラブができました。まだ鈴鹿も富士も無い時代、僕の兄貴がそこに入ってね。兄貴はレースはやらなかったけど、その仲間がレースに出る時にはついて行って見ていたんですよ。
当時はサーキットなんか無いから、米軍基地とかでやってましたね。横田基地とか所沢のジョンソン基地(現・入間基地)、青森の三沢、九州の雁ノ巣とかね。あと、宇都宮に旧日本軍の飛行場跡があった。凄い荒れた路面だったけど、そこでもレースやったなぁ。
まだ日本にモータースポーツって言葉すらなかった時代。とにかく、みんなで集まってやろうとね。僕は中学生だったから自分は乗らなかった。でも、眺めているうちに「アレだったら俺の方が速く走れるわ」って。で、はじめてみたわけ(笑)。
それで、やってみたら勝ちまくった。最初は自分のバイクだったけど、半年後には東京発動機からワークスマシンを借りて全日本選手権に出場。いきなり出て勝てたから、それからお金は一切かからなかったですね。
僕のモータースポーツの入り方は、とにかく見て、「あれだったらできるわ」っていうのがあります。2輪も4輪もそう。鈴鹿の第1回ロードレースも見て、「あれならできる」と思った。「あっ、あれなら俺の方が速いな」って、意外と簡単にモータースポーツの世界に入ったんですよね。
―日産レーシングとの出会いとは?
僕は16歳からバイクのレースをやっていたんですが、日産が第3回日本グランプリに向けてレースドライバーを探していた。そのオーディションが、鈴鹿サーキットであったんです。それこそ、ロードレースからモトクロスから4輪の人たちも大勢受けにきていた。
オーディションは2回あったけど、僕だけ1回で受かっちゃって。他の人はみんな2回やったのに。その時に受かったのは僕と黒澤(元治)さん、津々見(友彦)さん、九州の髙武富久美(こうたけふくみ)、それと都平健二が同期。それで、19歳の時に日産と契約しました。鈴木誠一さんがリーダー的存在の大森ワークスでしたね。
あの当時、日産には追浜ワークスもあって、同じ時期に田中健次郎さん、北野元さん、高橋国光さんが追浜ワークスのドライバーとして契約していたんです。追浜と大森のふたつのワークスがあって、大森は通称:二軍。次代のドライバーを集めて育てるという感じだった。僕は大森と契約したんです。
―オーディションの時の話をもう少し詳しく教えて下さい
先ほどもお話したように日産のドライバーオーディションに1発合格したわけですが、それにはちょっとした秘密があるんです。実を言うと僕はオーディションの前からフェアレディで鈴鹿サーキットをガンガン走っていたんですよ。
というのも、僕はホンダの2輪チームにいたので、あの頃は勝手に鈴鹿サーキットをいくらでも走れた。加えて、田中健次郎さんがホンダの2輪チームのリーダーで先に追浜ワークスと契約していたでしょ、それで日産からレース仕様のフェアレディを田中さんが借りてきて、鈴鹿サーキットを随分と走り込んでいたんです(笑)。
とはいえ、実際に走った感想も「まぁ、4輪っていうのは簡単なもんなんだな」ってところ。タイヤがふたつ増えただけだし、なんたって当時の4輪のレベルは凄い低かったですから。それに比べて、2輪は高橋国光さんが世界選手権に出るなど、凄くレベルは高かったんですよ。
―何か特別な練習とかしたのか?
当時は、4輪のドライビングテクニックなんて無の状態。ヒール&トゥなんてみんな知らなかった。パワステも無かったし、タイヤも違うし、ハンドルの回し方も今とは違う。勇気のあるヤツが速い時代だったのかな。ハコスカのドリフトだって自然発生的に生まれたテクニックだったしね。スカイラインにしてもフェアレディにしてもオーバーステアだから。
僕ね、今の人が聞いたらバカにされちゃうかもしれないけど、これまで40~50年ほどモータースポーツをやってきて、練習とかトレーニングは1回もしたことないんです。日産ワークス時代もそうだった。練習とかトレーニングは嫌いなんです。だって順位がつかないもん(キッパリ)。
今でもバイクのレースに出てるけど、練習ナシで即本番。モータースポーツって楽しいですよ。練習とかトレーニングって苦じゃないですか。そういうのが無いから。でも、ドライバーに聞かれるとマズイよね(笑)。だから最近はあまり言わないけど。
モータースポーツといえば、福島県の二本松にあるエビスサーキットを使ってラリー車の開発を15年くらいやって、本当に楽しかった。できればサファリラリーとかRACに出たかったけど、国内のレースがあったから行けなかった。あっ、パリダカやモンゴルのラリーレイドには出ましたよ。
パリダカだと5~6時間、全く知らないコースを全開できるじゃないですか。こんな楽しいことはない。しかも15日間も走れるんだけど、ゴールの3日前ぐらいになると「あー、あと3日か」って残念な気持ちになっちゃう。後もう1週間、走れないかなって思うんです。
―疲れないんですか?
僕はね。走っている時はほとんど力を入れない。ラリーのテストでも1週間、それも1日中走っても手にマメを作ったことがないんです。バイクでもクルマでも、とにかく柔らかくハンドル持って、柔らかく走るんです。だからトレーニングもいらない。
世の中には、そういう人間もいるということを知っておいて欲しいな。でもさ、星野も高橋国光さんもトレーニングをやったことないんじゃないかな。
昔のF1とかフォーミュラって、シートベルトが無いんですよ。だから自分に合ったシートを造るんです。自分なりに1時間でも2時間でも走って疲れないシートを工夫して造る。疲れない姿勢と、それを維持するシートを造るんです。トレーニングセンター行ってどうのこうのじゃないんですよ。それを見出せば年を取ってもやれるんです。
―思い出のマシンは?
やっぱり、2ドアハードトップのハコスカGT-Rかな。クルマとしてのバランスが良かったですよ。
その前の4ドアセダンのGT-Rはフレーム剛性悪いし、超オーバーステアだった。横にばっかり流れて前に進まないんですよ。それがハードトップになってショートホイールベース化されてフレーム剛性も良くなって。だから、横になっても楽しかったですね。あれは傑作ですよ。
―伝説のスーパーシルエットについて
スーパーシルエット(グループ5)は最初、僕がレースやろうということで計画したんですよ。最初は、追浜でバイオレットなどに使っていた570psのエンジンを借り受けてやる予定だったんです。
日産プリンスの宣伝部も乗り気で、スポンサーしてくれることになっていた。でも、それだけでは資金が足りなかったのでNPDC(ニッサン・プリンス・ディーラーズ・クラブ)というクラブを作って、全国のお店でカンパを募ったんです。
それで、体制もできていよいよ正式に日産自動車の広報に許可を取りに行った。そうしたら、スカイラインだけでなく、シルビアやブルーバードもやらなくてはダメだという話になりましてね。それで3台体制になったってわけ。
クルマはねぇ、アンダーは出る、オーバーは出るで、あんなエアロになった。ストレートは凄く速かった。
それとお客さんはスカイラインがサーキットに帰ってくるのを待ってたんですよね。筑波でお披露目して、次に富士で走った。スタートして1周目でトップになって最終コーナーからストレートに帰ってきたら、スタンドのお客さんが総立ちになってました。
僕はコクピットからそれを見て本当に感動しました。お客さんが総立ちになるなんてレースはこれまで無かった。それだけスカイラインを待ってたんですね。
―駆動方式について
僕は世界で1番FFが嫌いなドライバー。アンダーステアで意思通りに動かない。昔のチェリーもLSDは入っていたけど、効かせ具合が難しかった。強いとアンダーだし、弱いと空転しちゃうしね。
4WDも基本的にアンダーだから嫌でした。やっぱり、クルマはFRかミドシップに限ります。だってF1はミッドシップでしょ。あれが最高ですよ。
グループAは4WD。GTはFR。JTCC(グループAの後に行なわれたツーリングカーレースで、プリメーラやサニーなどFFセダンで行なわれたレースシリーズ)はFF。
プリメーラも最後の頃は改造がエスカレートして、一番前にミッションがあって、そしてエンジン、ドライバーの順番。そんなレイアウトのFFは世の中には存在しないでしょ。けれど、あそこまでやると乗りやすくなるし、速かったですよ。でも世の中にないものでやってもねぇ…。操るという意味ではやっぱりFRが楽しいですよ。今でもね。
●取材協力:ハセミモータースポーツ 神奈川県愛甲郡愛川町中津6758 2F TEL:046-286-3801
Posted at 2020/05/29 22:30:58 | |
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自動車業界あれこれ | 日記
2020年05月29日
ワゴン絶滅寸前!! 苛烈なジャンル生存競争のなかレヴォーグはなぜ生き残れたのか?
昨年開催された東京モーターショー2019で、次期型のコンセプトモデルが発表されていた「スバル レヴォーグ」。
そのレヴォーグが、ほぼ、コンセプトモデルのデザインのまま、早ければ今年中にもモデルチェンジとなる、との情報がある。
レヴォーグは、2014年4月にデビューした、日本国内専売のステーションワゴンだ。ステーションワゴンは、欧州市場での需要が高く、海外メーカーではラインナップも豊富にそろえられているが、ここ日本では、1990年代のステーションワゴンブーム以降は、めっきり人気が落ち込んでいる。
国産メーカーからは、今や、このレヴォーグのほかにカローラツーリングなど数車種あるのみという、まさに絶滅危惧種である。
そんな、ステーションワゴンが全く売れない日本で、国内専売モデルであるレヴォーグがモデルチェンジまでする、というのだから驚きだ。レヴォーグは、なぜ、ここまで生き残ることができているのであろうか。
文:吉川賢一、写真:スバル
【画像ギャラリー】超名門レガシィからレヴォーグへ… 華麗な継投の系譜
スバルレヴォーグの魅力とは?
レヴォーグSTI Sport EyeSight(2019年改良)
レヴォーグは、全長4690mm、全幅1780mm、全高1490mm、ホイールベース2650mmという小柄なボディをもつ。
1.6Lのダウンサイジングターボを搭載した1.6GTシリーズ、もしくは、ハイパワーな2.0Lターボの2.0GTシリーズに、スバルこだわりの電子制御式4WDをかけあわせる。
1.6Lターボには油圧多板クラッチによって前後輪の駆動力を配分するアクティブトルクスプリットAWD、2Lターボには高出力に対応するセンターデフ式のVTD-AWDを搭載。
フルタイムAWDの性能をフルに生かす自慢のシステムは、オンロード、オフロードを問わず頼もしい走りをする。
少し引き締まった印象の足回りによって、フワフワとした上下動は少なく、ダンピングに優れた乗り心地だ。インテリアの質感も十分だし、大人4名が快適に乗車できるだけの広さを持つクルマだ。
アイサイト使用イメージ画像
またアイサイト(Ver.3)も、年次改良によって最新の「ツーリングアシスト」へと進化している。
先行車を追いかけるようにステアリングホイールを操舵する機能と、追従機能付クルーズコントロールとを組み合わせることで、高速道路での0km/h~約120km/hの幅広い車速で、アクセル、ブレーキ、ステアリング操作を自動制御し、ドライバーをアシストしてくれる。ロングドライブにはもってこいのアイテムといえる。
このように、レヴォーグは、比較的コンパクトなサイズで走行性能も高く、また先進支援技術も豊富に備えた、完成度の高いステーションワゴンだ。
ステーションワゴンの教祖!レガシィはサイズアップの道を選んだ
初代レガシィツーリングワゴン
ステーションワゴンは、同じくスバルの「レガシィツーリングワゴン」なくしては語れない。90年代のステーションワゴンブームは、初代レガシィツーリングワゴンの登場によって火が付けられた。
全長4600mm、全幅1690mm、全高1470mmという、取り回ししやすい適切なボディサイズで登場した初代レガシィであったが、日本のステーションワゴンブームが下火となったことで、4代目以降は海外市場、特に北米の顧客からの要望を取り入れ、どんどんボディを肥大化させていった。
5代目レガシィツーリングワゴン(日本最終モデル)
そして、日本国内ではツーリングワゴンが廃止となった6代目では、全幅は遂に1840mmにまで広がり、全長も4800mmと、ミディアムクラスの上限にまで拡大された。走行性能の高さ、安全性能の高さに加えて、居住性も大幅に向上させたレガシィは、こうしてグローバルで成功した。
レヴォーグはなぜ生き残れたのか?
レヴォーグ(2014年)
レガシィのツーリングワゴンが廃止となった2014年に、レヴォーグはデビューしている。
レガシィは、海外でヒットしたため、サイズアップを受け入れていったが、一方でスバルは、往年の日本のスバルファンの期待に応えるため、レヴォーグを昔のレガシィツーリングワゴンに近いサイズで世に送り出した。
そしてそれは、吉とでた。現行レヴォーグは登場から7年目に突入しているが、昨今のSUVブームをよそに、いまだに売れ続けている。
表1.スバルレヴォーグの年間販売台数一覧
さらに、レヴォーグが日本専売である、というところにも、レヴォーグがここまで生き残ってきた理由がある。自動車メーカーが新型車を開発する場合、そのクルマが最も売れるマーケットに合わせ、クルマを作りこむ。
具体的には、パッケージング検討に用いる人体モデルの腕の長さ、足の長さ、座高などの体格データを、その国(地方)に合わせる、といった感じだ。
例えば、北米市場メインのクルマだと「AM50」という基準に合わせる。成人アメリカ人(A)の男性(M)の、身長、体重などの分布の中央値(50パーセント)がもつ体型に合わせて設計しています、ということだ。
もちろん、これはシート設計に限った話ではなく、例えば日本で売るクルマの場合、アクセルレスポンスやブレーキを、信号機の多い日本の道路環境に合わせていたり、サスペンション特性も、メンテナンスが行き届いた、日本のきれいな舗装路に合わせた設定にされていたりもする。
軽自動車やミニバンが、どこか馴染むのは、まさに日本向けに作りこまれているからなのだ。
東京モーターショー2019で次期型レヴォーグプロトタイプが発表された。次期型はどんなモデルになるのだろうか?
レヴォーグはクルマとしての出来が素晴らしいだけではなく、何より、日本のエンジニアが、日本人のために考え、日本人にとって馴染むように作られている、というところにも魅力があり、レヴォーグは、日本専売だからこそ、生き残ってきたのだ。
まとめ
国内専売といえば、この6月に登場するハリアーも当てはまる。大きなボディに見せながらも、車幅1850mmに抑え、日本の道路事情に合わせて作りこまれており、デビューが待ち遠しい一台だ。
一昔前だと、「海外で売れています!」というのも、売り文句になっていた時代があったが、輸入車の垣根も下がった昨今、むしろ国内専売で作られた車にこそ、魅力がある。クルマにも地産地消の思考が必要なのかも知れない。
Posted at 2020/05/29 22:21:10 | |
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富士重工 | 日記
2020年05月29日
【スバルよ、なぜアメリカを向いた?】大英断ともいえるワケ 販売台数、アメリカ>日本に逆転した背景
スバルの売上高 10年間で2.3倍
text:Kenji Momota(桃田健史)
いまや、SUBARU(スバル)は大企業である。
そうした認識を持っている日本人は、あまり多くないのではないだろうか。
スバルの2020年3月期、売上高は3兆3441億円。
日系メーカーの売上高ランキングで見ると、トヨタ、ホンダ、日産、スズキに次ぐ第5位であり、6位のマツダを僅差で抑え、7位の三菱とは1兆円以上の差がある。
スバルの売り上げが大きく伸びたのは2010年代に入ってからと、歴史が浅い。
いまから10年前の2010年3月期の売上高は1兆4287億円。なんと、過去10年間で2.3倍に伸びているのだ。
なぜ、ここまで一気に成長したのか?
「尖った会社」のイメージかもしれない
スバルのイメージと言えば、WRC(世界ラリー選手権)であり、STI(スバル・テクニカ・インターナショナル)という方が多いかもしれない。
また、いわゆる生活四駆として強靭かつ走行安定性の良い、水平対向エンジンによるシンメトリカル4WDが広く利用されている。
近年では、高度な運転支援システムのハシリともいえる、アイサイトがある。
こうした技術屋集団っぽいところから「尖った会社」として、こじんまりしているようなイメージを持つ人が多いはずだ。
それが、まさかマツダ越えするほどの大企業になっていたとは!?
なぜ、スバルはここまで大きくなったのか?
背景にあるのは、アメリカ市場での大成功だ。
急成長の基盤 グローバル視点へ
スバル急成長の基盤となったのは、2007年2月28日に公開された、2007~2010中期経営計画だ。
副題は「すべてのお客様のために」。当時、富士重工業だったスバルは、大きくアメリカへ舵を切ることを決断した。
背景にあるのは、日本市場での個人消費の伸び悩み、少子高齢化、さらに顕著になり始めてきた軽自動車シフトだ。
それまでのスバル商品群では日本市場でのさらなる成長が難しい状況だった。
一方、海外に目を向けると、BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)と呼ばれる経済新興国の成長が著しい。
またアメリカで90年代後半から定着したSUV市場がさらなる拡大傾向を見せていた。
そこで、アメリカを最重点市場に位置付け、アメリカで売れることを大前提としたグローバルモデル開発に注力した。
そうした中、まずは「インプレッサ」と「フォレスター」をイメージチェンジ。
当時、スバル上層部は「インプレッサを、カローラのようなボリューム(販売量)を稼げるモデルにする」と目標を掲げていた。
「フォレスター」については、アメリカでのコンパクトSUVとしての必要条件を十分に加味したクルマとなった。
さらに、「レガシィ」については、「アウトバック」を優先するイメージでサイズアップを図ったことで、自動車メディアから日本軽視という厳しい声も挙がった。
米ディーラー網の大幅見直し
アメリカで売れる商品揃えを進めると同時に、販売店についても大きな変更を施した。
2010年までに、全米625店舗構想を掲げた。その中では、市街中心部にあるパパママショップと呼ばれる小規模ディーラーを見直し、郊外型の中大規模ディーラーを強化した。
また、当時のアメリカでは、スバルに限らずマルチブランドを同じ店舗内で扱う併売スタイルが多かった。
スバルの場合、韓国ヒュンダイなどとの併売が多く、ディーラーマンとしては販売奨励金が多いスバル以外のブランドを優先して売るようなこともあった。
そうした販売体制を改め、スバル専売店を増やした。
テキサス州の筆者の自宅近くの店舗が、全米に向けたスバル専売店のモデル店になったこともあり、当時のスバル営業戦略の動向を定常的に見ることができた。
こうして、アメリカで売れるクルマと売れる場所の整備が徐々に進んだ。
ただ、2007~2010年といえば、2008年のリーマンショックでGM、クライスラー(当時)が経営破綻し、アメリカ経済の回復がスローペースだった時期だ。
ところが、GMがアメリカでオールズモビル、ビュイック、サターン、ハマーブランドを廃止した。
これらの中での優良ディーラーがスバル専売を始めたことも、その後のスバル成長の布石となった。
重要な手がかり「LOVEキャンペーン」
商品と場所を整えながら、マーケティング戦略も新たに作成した。
アメリカの現地法人、SOA(スバル・オブ・アメリカ)は、新規に契約した広告代理店と共に、全米でのスバルユーザーの実態調査を行った。
そこからわかったのが、スバルユーザーは教育水準が高く、車両の所有年数が長く、スバルというブランドに対する忠誠心が高い、ということだった。
その上で、スバルはユーザーに対するキャンペーンに「LOVE」という言葉を使った。
LOVEキャンペーンは、スバルが当初考えていたより何倍もの効果を生む。
ちょうどスマートフォンの普及が本格化したこともあり、SNS効果によってスバルの評判が全米に着実に届いた。
さらに驚いたことに、LOVEキャンペーンはユーザー側からの提案で福祉など社会活動へも広がりを見せ、結果的にスバルのブランド価値が上がったのだ。
こうした自動車史上で極めて特殊なユーザー主導型のブランド普及活動によって、スバル車の売り上げが一気に上昇。結果的にアメリカ偏重の経営構造となった。
2006年度、グローバル販売台数は58万4000台。このうち、日本が24万4000台、アメリカが17万8000台だった。
それから13年後の2019年度、グローバルで103万3900台(06年比1.8倍)、日本が12万5800台(0.5倍)、アメリカが70万1600台(3.9倍)となっている。
Posted at 2020/05/29 22:16:12 | |
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富士重工 | 日記
2020年05月29日
SUBARU BRZ GT300 敵を知り何を補うか その裏側 見える化シリーズ第1弾【スーパーGT2020】
スーパーGT2020に向けて、SUBARU BRZ GT300がレベルアップを図るためにやってきたことは、すでに数回に分け当サイトでレポートしている。今回はそうした戦闘力アップのために、STIが取り組んだ先端技術について、その裏側をお伝えしよう。
より高みを目指して
2018年シーズンからSTIチームに加わったエンジニアの野村章氏と、そして渋谷総監督にインタビューした。野村氏によると、現在のBRZ GT300の持っている戦闘能力でGT3勢に勝っていくためには、何をすべきかを考えた時、まず敵を知ることから始めたという。
そしてBRZ GT300には得意コース、不得手コースがある中で、より細かく分析を行ない、コーナーごとにタイヤの負荷、ダウンフォース、空気抵抗、といったデータがどういう数値なのかを計測しBRZ自身を分析した。敵を知り己をデータ分析することから、データ比較ができ「差分の見える化」が可能になる。そして勝つレース、ラップタイムを上げる効率的な走り方とは?に取り組んでいた。
ディスカッションと改題解決のための定量的評価
重要なことはチームスタッフのSTI、R&D SPORT、そしてドライバーたちと課題を共有することであり、それには、定量的に評価することで、微妙な理解のズレをなくすことだと渋谷総監督は言う。
つまり、ドライバーの走行フィールでマシンのセットアップを調整する際、理解の微妙な違いが各スタッフに起きないようにするため、定量的評価をし、最適解をだれもが理解できるようにすることだという。そして、そこで得たデータによって課題が「見える化」できるというわけだ。スバルで量産車を造ってきた野村氏も渋谷総監督も、量産車では定量的に評価することは常識であり、そうしたノウハウをレースの現場に持ち込んで、より高みを目指して行こうという手法でもある。
FIAパフォーマンスウインドウ
ライバルのGT3はFIAが定める「GT3マシン規定」で製造され、世界各地で開催されるレースごとにレギュレーションは調整されてレースは行なわれる。日本でのスーパーGTはJAF規則で造られたマシンとマザーシャシーと呼ばれるマシンが混在しているレースのため、そのFIA GT3規則をベースにして、独自のスーパーGT用レギュレーションになっている。
GT3マシンの基本性能は、FIAが公開しているパフォーマンスウインドウという性能表があり、その定める範囲内にマシンの性能を治めなくてはならない。例えば60km/hから250km/hまでの加速時の出力は車両重量とエンジンの平均出力の制限範囲が決められている。つまり、マシンはパワーウエイトレシオが小さいほど速くなるが、際限なく小さくできるということではなく、決められた範囲内にする必要があるわけだ。
他にも最小空力ドラッグとエンジン最高出力の制限範囲(前面投影面積)や、最大ダウンフォースと空力効率(ダウンフォース×前面投影面積、ダウンフォース/空気抵抗(Cd))なども範囲が決められ、メーカーが異なっていてもその性能幅の中に納められている。
敵と自分を定量的に知る
そのためGT3マシンは過度な性能競争をする必要がないため、余裕をもったマシン造りが可能だという言い方もできる。例えるなら100km/hしかでないクルマが100km/hで走行するのと150km/h出るクルマが100km/hで走行するのとでは、マシン負荷が違うことは容易に理解できる。
BRZ GT300はまさに、そうした状況の中でGT3とガチ対決しているわけだ。だが、そもそも目一杯のパフォーマンスで戦っていることには変わりはなく、BRZ GT300が得意とするコースで優勝するためには、完璧なレース運びでなければ勝てないことになる。したがってSUBARU BRZ GT300は常に完璧を目指さなければならず、その完璧とは何かを数値で表せれば、目標が明確になり、実行しやすくなるということだ。さらに、エラーが起きたとしても原因の特定がしやすいというメリットもある。
GT3には過去シリーズチャンピオンを獲得しているメルセデス・ベンツAMG GT3や、BMW6シリーズGT3、GT-Rなどがいて、他にもNSXやランボルギーニ、アストンマーティンなどが参戦している。こうしたライバルたちがFIAパフォーマンスウインドウの中で、どのあたりのスペックでレースをしているのかがわかれば、BRZ GT300が勝つにはそのポテンシャルをどこまで上げる必要があるかが見えてくる。
映像解析で立ち位置を明確に
そこで野村氏は2017年のツインリンクもてぎでの最終戦に注目した。最終戦はウエイトを全車搭載しておらず、また、ゴーストップの多いコースレイアウトということもあり、加速度の計測もしやすいなどの理由があるからだという。
野村氏はビデオ撮影をし、映像解析からマシン性能を推測することができるという。車両重量は分かっているので、どれくらいの加速度なのか。そこから計算して出力を求めていく手法だという。走行抵抗、空気抵抗を補正して推定したデータを野村氏は算出した。
またマシンはシフトアップするが、そこは排気音の爆発周波数を分析することで、エンジン回転数やギヤ比がわかるという。すべて4サイクルエンジンであること、6気筒、8気筒など使用エンジンの気筒数がわかっていること、そしてドップラー効果を踏まえて解析できるのだと。
そうすることで、エンジン回転数や加速度などからアルゴリズムにあてはめ、出力が推定でき、ライバルマシンの性能を想定することができることになる。
映像解析から得たデータによれば、パワーウエイトレシオはパフォーマンスウインドウの2.3~2.5kg/psの範囲に収められており、BRZ GT300とは大きな乖離があることがわかったという。仮にBRZ GT300のスペックをFIA GT3のパフォーマンスウインドウに当てはめてみると、スペックの低い方の欄外に位置しているということが改めてわかったというのだ。
課題のあぶり出し
このことに対して、どう対策していくかが次のステップになる。パワーウエイトレシオの数値が小さい方が速い。それは実戦でも一致していて、これは当たり前であるが、それをBRZ GT300であてはめてみると、加速度を求める運動方程式のF(力)=m(質量kg)a(加速度)m/s2で算出される数値の近似値でBRZが不利であることは間違いない。噛み砕けば、レギュレーションで決められたスペックのBRZ GT300の加速力はGT3に対して遅いのが明確だということだ。
そこでやらなければならないことを考えた。エンジン出力やコーナリングスピード、トップスピードなどを上げるといった項目が出てくる。だが、エンジンパワーはレギュレーション上変更できない。したがってエンジンパワー以外でマシンを速くする必要という結論になる。
野村氏は、ライバルマシンの性能を持つバーチャルコンペティターをシミュレーション上で作り、各サーキットで走らせた。すると、GT3勢の数値に対して、縮めるタイムの目標値が見えてくるという。さらに、差を縮めるためには、どこで稼ぐかという目標設定もあぶり出されてくるという。
項目の洗い出しは次のようになった。タイヤのコーナリンググリップ、シャシー等価コーナリングパワー(サスでタイヤのグリップを上げる)、Cd値(低ドラッグ)、ダウンフォース(コースごとに最適化)でそれぞれ性能向上をさせ、パワーウエイトレシオで劣るマシンを速く走らせるということになる。これをラップタイムシミュレーションで検討していった。
課題への対応策
まず、コーナリングスピードを上げること。それには旋回中のダウンフォースとドラッグの最適化が課題になる。旋回中にダウンフォースを出すにはどうするか。CFD(数値流体解析)では内輪側のCL(揚力係数)が乱れているのでダウンフォースが不足していることがわかった。反対に外側は正しいCL値になっている。
そこを解決するには、二律背反の部分なので難しいが、フロントの形状を変えることで対応できるという答えが出た。当然、タイヤにかかる荷重を変えて摩擦を増やすと力が出るという理屈ではあるが、その荷重は空力で制御できるというわけだ。こうした空力の制御によって内輪荷重を減らさないように、いや増やしたいという狙いの改良ができた。
そのフロントの形状変更とは、リヤへの流れを改善するのが狙いだが、ボディサイドの流速を抑えて圧力を下げ、空気の流れを引っ張る効果を狙う。そうすることで結果的にCd値を下げることになると。それが2019年仕様のフロントフェンダー、カウルの形状というわけだ。WECマシンのフロントフェイスに似たバルジがあるデザインがそれだ。
本番への期待
こうしてラップタイムシミュレーションやCFDで最適解を算出しているが、リアルに走行してみるとシミュレーションどおりに走れない、ということが起こった。
富士スピードウェイでは低ドラッグにすると2、3周のラップタイムは速いタイムを計測できるが、レースになるとタイヤへの負担が増え、タイヤ摩耗が早くなるデメリットが発生した。また、鈴鹿など他のサーキットでも追加の空力アイテムでいけるとCFD上では出ていたが、実践では違っていた。
そうしないためにどうするか。空力ではセットアップの適値がデータで出てきているので、その先の手段として、タイヤの負荷が高い場所を「見える化」した。どのコーナーを速く走るとラップタイム向上に一番効果的かというグラフと、ラップタイムを縮めるための寄与度をグラフ化した。
すると効率の悪いコーナーはタイヤへの負荷が高い割にタイムは縮まないというコーナーが露呈し、反対に、タイヤの負荷が小さい(摩耗が少ない)わりに、ラップタイムへの寄与度が高いところが見つかった。グラフは富士スピードウェイのデータだが、これをスーパーGTが開催される全てのサーキットで、全てのコーナーで解析をしている。
富士スピードウェイの場合、100Rはタイヤの仕事量が多いがラップタイムへの寄与度は他のコーナーに比べると低いことが分かる。1コーナーが最も寄与度が高く、ヘアピンや第3セクター、最終コンコーナーも寄与度が高いことがわかった。
これをレースの実戦に置き換えると、1コーナーは頑張れば頑張るほどタイムが縮まり、100Rはレース中、単独走行となった場合などは、タイヤの負荷を小さくして走ればタイヤの摩耗は少なくラップタイムにも大きな影響がないということになる。
レース本番になれば、100Rをゆっくり走るわけにはいかないだろうが、ドライバーもピットもその部分を理解しているかいないかで大きく変わってくる。100RはBRZ GT300にとってポイントになるコーナーだ。100Rで前車との距離を詰め、ヘアピンでインを刺すことができる。また後続に追いつかれた場合、100Rで抜かれることはまずない。だから、前車がいなければタイヤに負荷をかけないで走り抜ける戦略もとれることになる。
しかし定性的に評価すると、ドライバーは100Rをいつも速く駆け抜けたい気持ちになるのは当然だ。実際2018年、19年の富士でのレースの時、ドライバーからは100Rでのダウンフォースが足りない指摘があった。
チームはダウンフォースを増やすセットアップへ変更するが、タイヤの摩耗が結果的に起きる現象があったわけだ。つまり定性的に評価するとマシンの改善策を間違ってしまう可能性もあったというわけだ。そうしたミスが起こらないために全部のサーキット、全部のコーナーで「見える化」しているのが2020年仕様のBRZ GT300というわけだ。<レポート:高橋明/Akira Takahashi>
Posted at 2020/05/29 22:12:05 | |
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富士重工 | 日記
2020年05月29日
SUBARUが、後付け「ペダル踏み間違い時加速抑制装置」を発売
2020/5/29(金)配信
SUBARUは、2020年5月29日、全国のSUBARU販売店で既販車を対象にした後付け「ペダル踏み間違い時加速抑制装置」の販売を開始すると発表した。
後付け「ペダル踏み間違い時加速抑制装置」は、アイサイトおよびスマートアシストが装着されていない車に乗っているユーザーに、より一層の「安心と愉しさ」を提供するSUBARU純正用品。
適用車種により、(1)「ペダル踏み間違い時加速抑制装置」と(2)「ペダル踏み間違い時加速抑制装置 『つくつく防止』」の2種類がある。
(1)ペダル踏み間違い時加速抑制装置(消費税込みメーカー希望小売価格 56,100円。※取付工賃別)
【適用車種】
・インプレッサ(GP/GJ型)
・SUBARU XV(GP型)
●時速約10km以下での前進/後退時に、前後に装着したソナーセンサーで前/後方約3m以内にある壁などの障害物を検知した場合、ランプとブザーで警告。それでもアクセルを強く踏み込んだ場合には、加速を抑制。
●後退時には、障害物の検知にかかわらず、時速約5km以上でアクセルを強く踏んだ場合や、アクセルを踏んだまま時速約5kmを超えた場合に、警告と加速抑制を行う。
(2)ペダル踏み間違い時加速抑制装置 「つくつく防止」(消費税込みメーカー希望小売価格 35,200円。※取付工賃別)
【適用車種】
・ルクラ(RF型)
・ステラ(RK型)
・プレオ(RD型)
・プレオ+(RE型)
●時速約10km以下での前進/後退時に、前後に装着したソナーセンサーで前/後方約3m以内にある壁などの障害物を検知した場合、ランプとブザーで警告。それでもアクセルを強く踏み込んだ場合には、加速を抑制。
※車種によって一部装着できないモデルがあるため、詳細はSUBARUウェブサイト内のアクセサリーページに後日開設予定の「ペダル踏み間違い時加速抑制装置」のページで確認してほしい。
SUBARUが、後付け「ペダル踏み間違い時加速抑制装置」を発売はBelieve - ビリーヴ ジャパンで公開された投稿です。
ダイハツが設定したのが
後付って事を考慮しても思いのほか安上がりかな?
去年の2月
スバル、後付け「ペダル踏み間違い時加速抑制装置」発売…4代目インプレッサなどに対応
SUBARU(スバル)は、全国のスバル販売店を通じて、既販車を対象にした後付けの「ペダル踏み間違い時加速抑制装置」の販売を5月29日より開始した。
近年、高齢運転者を中心に、駐車場等におけるアクセルとブレーキペダルの踏み間違いによる事故が増加。スバルでは運転支援システム「アイサイト」および「スマートアシスト」を搭載したモデルのラインアップを拡充することで、より多くのユーザーに安心を提供してきた。
今回発売する「ペダル踏み間違い時加速抑制装置」は、アイサイトやスマートアシスト非装着モデルのユーザーにもより一層の「安心と愉しさ」を提供するもの。適用車種により「ペダル踏み間違い時加速抑制装置」と「ペダル踏み間違い時加速抑制装置 『つくつく防止』」の2種類を用意する。
ペダル踏み間違い時加速抑制装置は、約10km/h以下での前進/後退時に、前後に装着したソナーセンサーで前/後方約3m以内にある壁などの障害物を検知した場合、ランプとブザーで警告。それでもアクセルを強く踏み込んだ場合には加速を抑制する。また、後退時には障害物の検知にかかわらず、時速約5km以上でアクセルを強く踏んだ場合や、アクセルを踏んだまま時速約5kmを超えた場合に、警告と加速抑制を行う。
適用車種は『インプレッサ』(GP/GJ型)および『XV』(GP型)。価格は5万6100円。
ペダル踏み間違い時加速抑制装置「つくつく防止」は、時速約10km以下での前進/後退時に、前後に装着したソナーセンサーで前/後方約3m以内にある壁などの障害物を検知し、アクセルを強く踏み込んでしまった場合、ランプとブザーで警告するとともに、加速を抑制する。
適用車種は『ルクラ』(RF型)、『ステラ』(RK型)、『プレオ』(RD型)、『プレオ+』(RE型)。価格は3万5200円。
警告を発して加速を抑制 スバル、既存車に後付けできる「ペダル踏み間違い」対策装置を発売
SUBARU(スバル)は2020年5月29日、アクセルとブレーキの踏み間違いに対応した、既存の車両に後付けタイプの加速抑制装置を発売しました。
「ペダル踏み間違い時加速抑制装置」は、時速約10キロ以下で前後約3メートル以内に障害物を検知すると、ランプとブザーで警告を発します。それでもアクセルを強く踏み込んだ場合、加速を抑制をしてくれるという機能です。
装置を適用できるのは計6車種のスバル車。「ペダル踏み間違い時加速抑制装置」と「ペダル踏み間違い時加速抑制装置 つくつく防止」の2種類があります。
インプレッサ、SUBARU XVの2車種に対応する「ペダル踏み間違い時加速抑制装置」では、後退時に、時速約5キロ以上でアクセルを強く踏んだ時や、アクセルを踏んだまま時速約5キロを超えた時にも警告と加速抑制を行います。
スバルの運転支援システム「アイサイト」および「スマートアシスト」を装着していない車に限られ、価格は「ペダル踏み間違い時加速抑制装置」で5万6100円(税込、以下同)、「ペダル踏み間違い時加速抑制装置 つくつく防止」で3万5200円です。
Posted at 2020/05/29 22:07:26 | |
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