• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ウッkeyのブログ一覧

2020年06月06日 イイね!

マスタングでマッハワンって言ったら特別な存在だよ

マスタングでマッハワンって言ったら特別な存在だよマッハ1が蘇る! フォード、マスタングの2021年モデルにV8搭載の高性能仕様を限定投入

Ford Mustang Mach 1

フォード マスタング マッハ1

もっともハードコアなエンスージアスト向け

フォードは、マスタングの2021年モデルイヤーに限定仕様の「Mustang Mach 1(マスタング マッハ ワン)」を投入すると本国で発表した。年内にはその姿が明らかになりそうだ。

詳細は公表されていないが、心臓部には自然吸気の5.0リッターV8エンジンを搭載し、サーキット走行も見据えたハイパフォーマンスクーペとなる様子。フォードのアイコン的モデルを担当するIcons部門のディレクター、デイヴ・ペリカックは語る。

「マスタングの歴史の中で、マッハ1は特別な存在です。我々が投じようとしている5.0リッターV8の最高峰に君臨する特別仕様は、さらなるパワーや精度、そして稀少性を求めるもっともハードコアなエンスージアストに向けたモデルとなるでしょう。オリジナルと同様、最新のマスタング マッハ1は堂々たる勇姿とサーキットに相応しいポテンシャルを誇ります」

51年前に初代が登場したマッハ1

2代目マスタングの高性能仕様としてマッハ1が誕生したのは1969年のこと。ショーン・コネリーがジェームズ・ボンドを演じた最終作『007 ダイヤモンドは永遠に』や、迫力のカーチェイスシーンが未だに語り草になっている『バニシング in 60”』に登場。日本では栃木県警高速道路交通警察隊のパトロールカーとして活躍したことでも知られている。

ちなみにマッハ1のパトロールカーは1973年6月18日に栃木県共済農業共同組合連合会(JA栃木共済連)から県警へ寄贈され、1984年1月26日まで使用された。

フォード アーカイブスのヘリテージ ブランド マネージャー、テッド・ライアンは説明する。

「マッハ1はマスタングの標準モデルとシェルビーモデルとを繋ぐブリッジのような存在でした。スタイリングもハンドリングも群を抜いて個性的な仕上りだったし、なにより、その名の通り素晴らしく速かった」

マッハ1は1971年にフェイスリフト。コンペティション仕様のサスペンションを採用するとともに、エンジンのバリエーションを拡大した。1974年には2世代目へと移行するが、1978年にマスタングが3代目にフルモデルチェンジした時点でその名は一時歴史上から消滅する。

17年の空白を乗り越えて蘇るネーミング

2003年には、4代目マスタングの特別仕様として「マッハ1」の名が復帰。1970年代のデザイン要素を取り入れた懐古的な佇まいを特徴とし、マットブラックのスポイラーやボンネット上のストライプが個性を主張、ブレンボ製ブレーキなども備えていた。

それから17年の空白期間を経て、いよいよ伝説の名前が帰ってくる。第6世代のマスタングのパフォーマンスをベースに、走りとパワーにさらなる磨きをかけた新生マッハ1。生産台数や性能数値などはこれから随時発表される模様だ。
Posted at 2020/06/06 11:51:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2020年06月06日 イイね!

いっくら上位ランカーでも実車は違うから運転出来るんかね

いっくら上位ランカーでも実車は違うから運転出来るんかねランボルギーニ、eスポーツに初参戦…上位プレーヤーは実車をドライブ

ランボルギーニ(Lamborghini)は5月29日、世界的なeスポーツ競技大会の「リアルレーシング」と提携し、eスポーツに初参戦すると発表した。

eスポーツとは、電子機器を使用したスポーツ全般を指す言葉だ。コンピューターゲーム、ビデオゲームを使った対戦を、スポーツ競技として捉える際の名称として使われている。Eスポーツは、ここ数年で急速に成長したエンターテインメントプラットフォームだ。

今回の発表は、eスポーツへのランボルギーニの最初の公式エントリーとなる。ランボルギーニは、レースの現実世界と仮想世界が交差する新しいシミュレーションレース選手権に参戦する。このゲームは、ランボルギーニのレースドライバーが、実際にレースに準備する際にも使用されている。

予選は5月29日から8月2日までの期間に、5回行われる。各予選の上位2~3名のプレーヤーは、9月18日にランボルギーニが開催するライブファイナルに進出し、ベストドライバーを決定する。

参加者は、仮想サーキットから、現実のサーキットに進むことができる。ポールポジションを獲得した3名のプレーヤーは、ランボルギーニのイタリア本社において、3日間の特別な体験に招待される。プレーヤーは、ランボルギーニの公式ドライバーに直接会って、トレーニングを受けられる。そして、世界に名前が知られたサーキットにおいて、実際のランボルギーニのレーシングカーを運転する機会が設けられる。優勝者には、ゲーム内と同じカラーリングが施された限定版のダイキャストモデルが贈られる、としている。
Posted at 2020/06/06 11:27:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2020年06月06日 イイね!

有名な外国人を起用するって以前は多かったね

有名な外国人を起用するって以前は多かったねあの人も出演! CM出演者が話題になった90年代のクルマ5選

1990年代に登場したクルマのCMにも、1980年代同様に印象的な出演者が多かった。前回に続き、モータージャーナリストの小川フミオがセレクトした5台のクルマと、そのCMを振り返る。

【今見ても斬新! CM出演者が話題になった80’sのクルマ5選】
クルマの広告は、1990年代までわかりやすく、元気があった。その証拠が、スターの起用だ。自動車メーカーは、映画や楽曲などで人気が出れば、大物だろうと、どんどん登場させた。

1990年代の広告でまっさきに思いつくのは、SUBARU(当時は富士重工業)である。キラ星のごとく、海外のスターたちが広告に登場した。

ロッド・スチュワート(1993年)をはじめ、ブルース・ウィリス(1991年と2005年)、カイル・マクラクラン(1994年)、メル・ギブスン(1996年)、ケビン・コスナー(1998年)、ジェニファー・ロペス(2001年)、そしてロバート・デニーロ(2009年)と枚挙にいとまないほどだ。

「あるイメージを持った有名人が『(お客様が)レガシィを買って始まる新しい素敵な生き方』を表現することは、(顧客にとってそのクルマの)コンセプトがわかりやすく伝わると思います」

当時、富士重工業の宣伝課勤務だった岡田貴浩氏が、広告に外国人を多く起用してきた理由について述べた。じっさい、たとえば、ロッド・スチュワートとレガシィ・ツーリングワゴンの組み合わせは、大きな話題を呼んだ。

「普段、スポーツカーとか高級車に乗っていそうな人がカッコよくレガシィ・ツーリングワゴンに乗ってホテルに乗りつけるのは、ありだよね? と。ロックスターのロッドの起用は、きっと市場でもサプライズになり、ワゴンのイメージを変えてくれるのに“パワー”がありそうだ、ということで踏み切りました」

ハリウッドスターの起用については、ギャラが高額になるケースが多く、費用対効果の面で疑問視する向きもある。しかし岡田氏は、「(ロッドを起用した)2代目レガシィからスバルのイメージは飛躍的に向上しましたから、費用対効果はありましたし、思い切ったキャスティングは成功したと思います」と、話す。

いまでは「海外セレブはネットで私生活が晒されていますし、海外タレントへの憧れ、インパクトがかつてほどではなくなっていて、費用対効果が期待できない」(大手広告代理店のプランナー)と、言われ、少なくともクルマの広告でハリウッドスターを見ることはほぼなくなった。

しかも広告媒体が変化しており、テレビコマーシャルでなく動画配信に力を入れ始めたメーカーも多い。たとえばロールス・ロイス。2019年に「ファントム」のコマーシャル動画を作成したさい、英語圏でメガヒットしたドラマシリーズ『ゲームオブスローンズ』の主演女優グウェンドリン・クリスティを起用。これが大きな話題となったのは記憶に新しい。コマーシャルのかたちが変わってきているのだ。

ここでは、現実をしばし忘れ、1990年代にテレビコマーシャルでも話題を呼んだ日本車をとりあげてみよう。広告も印象的だったが、クルマにもそれなりにキャラクターがあったのも、また、たしかである。

【今見ても斬新! CM出演者が話題になった80’sのクルマ5選】

スバル・レガシィ・ツーリングワゴン(2代目)×ロッド・スチュワート

昨今はドイツ車を買おうか、スバル車を買おうか、と、迷うひとも少なくない。でも1980年代まではスバルは地味なイメージだった。軽自動車の「レックス」、3気筒エンジン搭載のリッターカー「ジャスティ」、それに「レオーネ」でラインナップが構成されていた。

スバルのイメージを劇的に変えたのが、1989年発表の初代「レガシィ」だ。実直で機能主義的なイメージのレオーネから、グラマラスともいえる張りのある面を持つボディと、凝ったドライブトレインなどで”武装”したレガシィへのバトンタッチは衝撃的だった。

操縦すると、加速がよく、とにかく速い。ボクサーエンジンとか、4WDとか、スポーツワゴンとか、コンセプトもわかりやすい。それゆえ、クルマ好きにおおいにウケた。レガシィを買う理由を訊ねられたとき、購買動機は山ほどあげられた。ヒットの要因だ。

なぜスバル車は一夜にして大変身をとげられたのか。レオーネの時代までは、メインバンクである興銀(日本興業銀行)の存在がさまたげになっていたようだ。

「興銀は、(同様に同行をメインバンクとしている業務提携先の)日産自動車の邪魔をしないラインナップと規模で商売してくれればよいと考えていたようで、開発に積極的な融資を受けるのが難しかった」

SUBARUの関係者は話している。それを変えたのは、1985年に代表取締役社長に就いた故・田島敏弘氏の尽力だった、という。

興銀出身ながら田島社長(当時)はスバルを、マツダや三菱自動車を超えるメーカーに成長させようとしたそうだ。そこで、テストコースを建設し、SIA(いすゞ自動車と共同出資の生産会社)を設立、さらに、レガシィの開発と、積極的な投資を決断したのだった。

1993年発表の2代目レガシィは、ツインステージターボを装着した2.0リッター水平対向4気筒エンジンをはじめ豊富なエンジン機種、アクティブ・トルク・スプリット式4WDシステム、電子制御サスペンションなど、頭がくらくらするぐらい豊かな技術内容を誇った。

乗るたびパワーに圧倒されたものだ。なかでも足まわりなどに専用チューニングを施した「RS」は速かった。さらに、2.5リッターエンジン搭載モデルや、いまでいうクロスオーバースタイルの先駆でもある「グランドワゴン」も設定され、車種展開も大胆で、興味ぶかかった。

2代目のテレビCMに、ロッド・スチュワートが起用されたのは、さきに触れたとおり、ワゴンに高級感が欲しかったから。ひとりの視聴者として見ても、その狙いは間違っていなかったように思う。

【今見ても斬新! CM出演者が話題になった80’sのクルマ5選】

日産ティーノ×ローワン・アトキンソン

今でも海外航空会社の短距離フライトで、たまにビデオが流れている英国製コメディ『Mr.ビーン』。セリフなしで世界中の笑いをとるというみごとな試みはエバーグリーンだ。

いっぽうこちらは説明なしでいいクルマと世界中に認められたか? と、いえば微妙かもしれないのが、Mr.ビーンを起用した日産「ティーノ」だ。

1998年に発売されたティーノはユニークな試みのあったクルマである。「サニー」のプラットフォームを使い、4270mmと短い全長に対して、全高は1510mmと高め。ちょっと変わったプロポーションだ。

室内幅を広くとったパッケージが斬新な試みで、くわえてリアシートは脱着可能だった。リアシートは通常3人がけだが、中央のシートを取り外すことで、空間的な余裕が生まれた。

おもしろいアイディアだったが、シート・デザインを含めてインテリアはもっさりしており、レジャー用に開発されたのか、それとも新世代のリムジンなのか(それはなさそうだったが)、コンセプトが明確でないのは最大の欠点。

2.0リッターエンジンを搭載していたが、走りはパッっとしていない。くわえて、乗り心地もよいとは言えなかった。ようするに、中途半端。

【今見ても斬新! CM出演者が話題になった80’sのクルマ5選】

当時の日産には、いろいろ迷いがあったようだ。セダンとステーションワゴンを揃えたものの床が妙に高くて快適でなかった「ルネッサ」(1997年)や、ミニバンクルーザーというコンセプトで登場したが室内は期待より狭くて使い勝手がいまひとつだった「プレサージュ」(1998年)も、例として思いつく。

新しい自動車を作りたい、という心意気のようなものは伝わってきたが、クルマとしての完成度はいまひとつ。1999年から日産自動車の筆頭株主になるルノーはアイディアをひねったミニバン(たとえば1996年発表の「セニック」)を得意としていたので、どうせなら提携を待ってじっくり練られたコンセプトでティーノを作ってくれたほうがよかったかもしれない。

で、このクルマとMr.ビーンの組み合わせに整合性があるかどうかはよくわからない。

「新規導入車種だったので、人気の高かったMr.ビーンの起用で大きなインパクトを与え、話題を喚起することを期待しました。また、コメディアンによる大げさな表現で特徴を分かりやすく表現したかったのす」と、起用の理由について、日産自動車の広報は説明した。

なるほど、たしかにMr.ビーンのあの独特の表情がコマーシャルで大写しになったことも、さらに、英国のラウンドアバウト(ロータリ−)をぐるぐるまわる映像も、おもしろかった。あのシーンは、クルマ好きで知られるMr.ビーン役のローワン・アトキンソンも、ティーノのドライバビリティに感心したということだったのだろうか。

でも、きっと本来は、街中をぐるぐる走るのでなく、快適なグランドツーリングができるミニバンっていうのがティーノにぴったりのコンセプトのはず。そんな整合性のなさというか、企画のあいまいさが、いろいろな意味でティーノらしさだった。

ダイハツ・パイザー×アグネス・ラム

「セダンより使いやすく、ワゴンより楽しい」。ダイハツが1996年に「パイザー」を発表したときのキャッチフレーズだった。

ベースは4ドアセダンの「シャレード・ソシアル」。ホイールベースは55mm延ばして2395mmだったが、それでもミニバンというには、短かった。

「お、パイザー」と、今だったらセクハラとしてやり玉にあげられそうなダジャレの合いの手が入るテレビCMでは、ハワイ出身のグラビアアイドル、アグネス・ラムが登場。彼女のグラマラスな肢体に魅せられていたファンは、このオヤジギャグににやにやしたものだ。

コマーシャルでは、アグネス・ラムがひとりで、パイナップル畑の細い道を運転している映像が流れた。

はっきりいって、クルマとしてはほとんど印象に残っていない。外寸はコンパクトに抑えながら、室内空間をなるべく広くとり、フルフラットシートを装着するなど機能性をもたせたパッケージングが特徴であるものの、趣味性はない。

いまじっくり画像を眺めていて思うのは、バンパーガードなどでオフロード的なイメージを強調した「4WD」の路線をさらに追求するとよかったのでは、ということだ。

クロームパーツを増やしたり2トーンの塗色にしたりしたスポーツイメージの「エアロダウン(99年からはエアロダウンカスタム)」のような仕様は、パッケージングのよさで売るべきこのクルマのコンセプトを、市場が見誤る原因になったのではないだろうか。

トヨタ・キャバリエ×所ジョージ

「トヨタってたいへんだなぁ」と、当時、思わされたのが、「キャバリエ」だ。アメリカ合衆国市場において日本車のシェアが伸びていく代償を、キャバリエというかたちで支払うことになったからだ。

キャバリエは、ゼネラルモーターズがシボレーブランドで開発したコンパクトクラスの乗用車だ。社内ではJカーと呼ばれ、姉妹車としては、キャデラック「シマロン」、ビュイック「スカイホーク」、オールズモビル「フィレンザ」などがあった。

こうやってGMのJカーをずらずら挙げてみても、どれひとつとしてほとんど知られていない。この時代の米国車は日本人にとって興味の対象外だったのだ。キャバリエは、4ドアセダンにくわえて、クーペとワゴンも設定されていた。それも誰もよくは知らなかった。

【今見ても斬新! CM出演者が話題になった80’sのクルマ5選】

トヨタがキャバリエをOEM(相手先ブランド製造)で手がけるようになった背景には、1960年代に端を発する日米間のいわゆる貿易摩擦がある。繊維製品に続いて、石油ショックで揺れる米国市場に燃費のいい日本車がどっと輸出され、1975年には米国市場における約半分のシェアを占めるまでになった。

それについてクレームをつけてきた米国政府を納得させるために、現地工場の設立や現地部品調達など、日本の自動車メーカーはさまざまな貢献をすることに。その一貫が、キャバリエだった。

トヨタ・キャバリエの名で1995年から売られるようになったのは、本国でも同年にデビューした第3世代。全長4595mmのボディに搭載されるエンジンは、本国では2.2リッターOHVにはじまり、2.5リッターV6までと豊富なラインナップだった。

トヨタが選択した仕様は、セダンとクーペ。ともに、2392cc直列4気筒DOHC。4段オートマチック変速機を組み合わせた前輪駆動車だ。エンジンは日本の道路事情にかんがみてチューニングがほどこされていた。サスペンションの設定も同様だ。

印象は……というと、こちらも印象に残りにくいクルマ、というものである。GMの4気筒エンジンは低回転域のトルクが厚くて扱いやすいが、いっぽうで、上の回転までさっとまわるかというと、それは不得意だった。

ハンドリングも特筆するほどのものはなく、同様のことが乗り心地にもいえた。米国の大衆車ってこんなものか、というのが学べたが、それはけっしてメリットとはいえない。

価格は180万円台からで、カローラの上級仕様よりも安かった。トヨタ自動車はここでもたいへんな貢献をしたといえる。それでも売れ行きはぱっとせず、当初の計画より早く生産中止となった。

テレビCMには所ジョージ氏が、ハスキー犬と出演。シボレーだったら、納得いく組み合わせだ。しかしキャバリエは、トヨタ車でないが、トヨタ車である。米国のサブカルチャー好きで知られる所氏を起用したものの、露骨に米国的なものは訴求できない。

そんな二律背反したような状況が、あらゆるところに露呈していたのがキャバリエなのだ。CMでは、キャバリエに乗っかっている犬に向かって「動物的楽チン、キャバリエ」って。ちょっと意味が……。そして最後は価格がセリングポイントに。トヨタもたいへんだったのだ。

キャデラック・セビル×桑田佳祐

最後はホントの「ガイシャ」のテレビCMである。ゼネラルモーターズの輸入元だったヤナセが1996年に制作したキャデラック「セビル」のコマーシャルには、サザンオールスターズの桑田佳祐氏が出演していた。

CMのセビルは1992年登場の第4世代。ディテールを積みかさねてデザインを構成していくような従来の米国車と一線を画し、美しいシルエットで特徴を出すという欧州的なデザイン手法を採用し、それが米国市場でも評価された。

1993年に4バルブ化されたアルミニウムブロックのV型8気筒エンジン「ノーススター」を搭載し、270psの「SLS(Seville Luxury Sedan)」と295psの「STS(Seville Touring Sedan)」の2本立てだった。STSはサスペンションシステムも専用だった。

スタイリングはとりわけプロファイル(サイドビュー)が特徴的だった。Aピラーからリアクオーターピラーまで、すべてのピラーが上の仮想点で結ばれるという、欧州車や一時期のトヨタ車によく見られた軽快感のあるものだ。

スタイルからのイメージにふさわしく、操縦性も、従来のセビルとは一線を画していた。走らせると、欧州車的にスポーティで、小さなコーナーではさすがにV8をぶらさげたノーズは重く感じられたものの、足はしっかりしていたし、操舵への車体の反応もよかった。

思えばこのあたりから、現在にまで続く、操縦して楽しいクルマをつくるというキャデラックのエンジニアリング精神が発揮されるようになったのだ。スタイリングも、シャープなエッジを強調した独自なものとなっていく。

ということで、セビルの内容を知ってコマーシャルを観ると、野原の草の上に腰をおろし、アクースティックギターをかき鳴らす桑田佳祐氏のイメージは(いい曲ではあるけれど)前の時代のキャデラック的である。私が選ぶなら、ケミカル・ブラザーズとかスマッシング・パンプキンズだろうか。ようするに、元気のいい新しい世代のクルマだったのだ。

とはいえ、日本人のクラウン・ユーザーなどにも訴求するのであれば、わかりやすい桑田佳祐氏の起用はアリだったのかもしれない。

文・小川フミオ
Posted at 2020/06/06 01:52:49 | コメント(1) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2020年06月06日 イイね!

F40と959はわかるけど…テスタロッサはあの2台に比べると少し弱い気がするな〜マクラーレンF1かな?って思ったけどバブルの時期じゃないし

F40と959はわかるけど…テスタロッサはあの2台に比べると少し弱い気がするな〜マクラーレンF1かな?って思ったけどバブルの時期じゃないしバブル景気に躍った「テスタロッサ」「F40」「959」が残したものは何だったのか?

■バブル景気とともに復活したスーパーカーブーム

 1970年代中盤、日本での第一次スーパーカー・ブームは、ブームの始まりがそうであったように、ある日突然沈静化してしまった。

 そもそも日本で第一次スーパーカー・ブームの波に巻き込まれていた頃、世界の自動車メーカー、とりわけスーパーカーを生み出すメーカーは、アメリカから端を発した環境汚染問題、石油ショック、経済不況と、さまざまな問題に対応するために、きわめて厳しい時代を生き続けなければならなかった。

 1970年代中盤から1980年代にかけては、スーパーカーにとっては、まさに苦難の時代であったといえたのだ。

 それでもスーパーカーを生み出すメーカーは、環境性能への対応とともに、スーパーカーとしての正常進化を止めることはなかった。

 例えば1980年代を迎えた段階で、フェラーリの12気筒モデルはBBシリーズの最終進化型である「512BBi」の誕生が目前であったし、8気筒の「308」シリーズも、次世代においてはクワトロバルブ(4バルブ)化という方向性は決定していた。

 対するランボルギーニには12気筒の「カウンタック」と、オフローダーの「LM002」、8気筒の「ジャルパ」があるのみだったが、カウンタックは1980年代に「LP400S」、「LP500S」、「5000QV」、「アニバーサリー」と進化を続け、フェラーリ・BBシリーズのライバルとして存在感を主張し続けた。

 第二次スーパーカー・ブームで大きな転機となったのは、1884年にデビューした2台のフェラーリ、BBの後継車となった12気筒ミッドシップの「テスタロッサ」と、発表時にはグループBのホモロゲーションモデルとも説明された「288GTO」の両車だろう。

 これらはいずれも完全なニューモデルで、フェラーリに新しい時代が訪れたことを、一時スーパーカーの存在を忘れていた、世界のカーマニアに知らしめてくれたのである。

■主役はフェラーリ「F40」とポルシェ「959」

 1987年になると、フェラーリ対ポルシェの新しい対戦の構図がさらに明確になる。

 そのキャストは「F40」対「959」。F40は、最高出力478psの3リッターV型8気筒ツインターボエンジンをリアミッドに搭載し、その一方で当時の最先端技術を用いた軽量化を徹底した。

 わずかに1104kgという車重から、最高速度は324km/hと主張している。参考までにF40は1311台が生産された。

 この時代になると最高速が実測値であることを試そうというカスタマーも多く現れ、おそらくフェラーリの公称最高速度は、実際に達成した数値であると考えるのが妥当だろう。

 一方ポルシェの959は、当時のポルシェがグループBへのホモロゲーションを目的に開発、限定生産したモデルで、デビューは1986年である。

 そのボディ・シルエットこそ911に似ているが、実際に搭載されたメカニズムは、当時のポルシェが持つ最先端技術だった。

 搭載された新技術は、フルタイム4WD機構を始め、6速MT、ダブルウイッシュボーン・サスペンション、可変式ダンパー、複合素材によるエアロダイナミクスに富むボディパネル、水平対向6気筒エンジンの水冷ヘッド等々となる。

 200台の生産計画は最終的に283台となり、メカニズム的にシンプルな構成のF40との戦いは、仮にあの『サーキットの狼』がこの時代にまで存在したとするのならば、必ずや主役級の扱いを受けたに違いない。

 このフェラーリとポルシェの成功例は、ほかのメーカーにも新時代のスーパーカーを生み出そうという意欲を呼び起こした。

 イタリアにおけるスーパーカーの聖地、モデナには新興勢力のチゼタが誕生し、リアミッドに6リッターのV型16気筒エンジンを横置き搭載し、独特なフォルムと威圧感、そして336km/hの最高速でライバルを威圧した。

 イギリスでは1988年に、ジャガーが「XJ220」の開発をスタート。1991年には仮想敵たるフェラーリF40に迫る322km/hの最高速を掲げ、3.5リッターV型6気筒ツインターボエンジンを採用して市場へと投じられた。

 第二次スーパーカー・ブームと、第一次ブームが大きく異なったのは、そのブームを牽引した主役が子供ではなく、実際にそれを購入できる財力を持つ大人であったということだろう。

 時にスーパーカーは不動産のように扱われ、大人の間ではどのクルマが将来値上がりするかという話ばかりが聞かれるようになった。とくにバブル景気が1991年に終焉を迎えるまえの日本では、スーパーカーはおよそ大人のマネーゲームの駒にも等しかったのだ。
Posted at 2020/06/06 01:47:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2020年06月06日 イイね!

このタイミングで中国とって大丈夫かよ

このタイミングで中国とって大丈夫かよVWグループ、電動化を加速…中国EV合弁への出資比率を75%に引き上げ

フォルクスワーゲングループ(Volkswagen Group)は5月29日、eモビリティを推進する目的で、中国のJAC(安徽江淮汽車)との合弁会社、JACフォルクスワーゲンへの出資比率を、50%から75%に引き上げると発表した。

JACは、中国安徽省に本社を置く乗用車および商用車メーカー。主に重、中、軽トラック、多機能商用車、SUV、セダン、バス、シャシー、トランスミッション、エンジン、アクスルユニットなどの主要コンポーネントを手がける。JACは2つの自動車ブランドを擁する。

フォルクスワーゲングループとJACは2017年、合弁契約を締結し、EVを共同開発・生産するJACフォルクスワーゲンを設立した。フォルクスワーゲングループは中国において、第一汽車(FAW)と上海汽車(SAIC)に続いて、JACとも協力し、電動車攻勢に乗り出している。

フォルクスワーゲングループは今回、JACフォルクスワーゲンへの出資比率を、50%から75%に引き上げると発表した。2025年までに、JACフォルクスワーゲンのEVのラインナップを、最大5車種に拡大する計画だ。

なお、フォルクスワーゲングループは、合弁パートナーのJACの株式の50%を取得する予定。同時に、リチウムイオンバッテリーを手がけるGotion High-Tech(国軒高科)の株式の26%も取得し、電動化を加速させる。
Posted at 2020/06/06 01:40:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | フォルクスワーゲン | 日記

プロフィール

「ようやくひと段落💦
着る予定のシャツを忘れた( ̄▽ ̄;)」
何シテル?   09/28 06:20
初めまして。 インプレッサG4に代替を致しました~ 自分色に染めて行こうと思います 燃費を気にする割にアクセル踏んじゃうんですよ~ バトンに関し...

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

リンク・クリップ

FrogDrive S660用リアダクトフレーム取り付けその1 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2021/11/29 15:26:19
ポケモンGO攻略まとめ  
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2018/08/12 02:23:37
 
マギレコ攻略Wiki 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2018/08/12 02:22:57
 

愛車一覧

スバル インプレッサ G4 スバル インプレッサ G4
初の新車に代替をいたしました~ ターボからNAになりましたが、インプレッサはインプレッサ ...
スバル インプレッサハードトップセダン スバル インプレッサハードトップセダン
GC6を自らの事故で失った後、次の愛機を探している所コイツが浮上しました。 車重は10 ...
スバル インプレッサハードトップセダン スバル インプレッサハードトップセダン
初のマイカーです。NAという事とコズミックブルーマイカって色なのであまり回りにいない車な ...
スバル BRZ スバル BRZ
兄貴の増車なんですが、いじる許可を貰っているので気ままに弄り回します。
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation