2020年06月14日
開発ストーリーダイジェスト:スバル・レガシィ「新しいメカニズムに対するユーザーの期待を考えると中途半端なものは出せない」
これまで数多くのクルマが世に送り出されてきたが、その1台1台に様々な苦労や葛藤があったはず。今回は「ニューモデル速報 第68弾 スバル・レガシィのすべて」から、開発時の苦労を振り返ってみよう。
富士重工業の中心的な乗用車は当時レオーネだったが、レオーネに欠けていたいくつかの要素を込めたワンランク上の乗用車として開発されたのがレガシィだ。開発を率いた中村孝雄(商品企画室・担当部長)は、これまでの富士重工業の乗用車について次のように分析した。
スバル1000、1300の時代は、まず走行安定性と居住性を確保する段階だった。当時はFFという駆動軸形式は特異な存在であり、それだけでも十分に高い存在価値を持つ時代だった。だが、やがてFFでは飽き足らず4WDの乗用車を提案した。これは主として走破性の範囲を広げていくことに焦点が置かれていた。そしてレオーネの後に来るべきものとしてレガシィの開発が始まった。一連の流れを振り返ると、他社に先駆けて“走り”の先端技術を製品化してきた。だから次は、それらを引き継ぎつつ、90年代の世界戦略も考慮する必要がある。
そのためには、レガシィにはパワフルなエンジンが必要だったという。これまでは開発に時間が掛かるため、スバル1000以来のEK型にこだわっていた。しかし、4バルブやDOHCが数多く登場する時代ではエンジンを新たに開発する必要があった。しかも、アコードやギャラン、ブルーバードといった強力なライバル車が登場してきたことと、新しいメカニズムに対するユーザーの期待を考えると中途半端なものは出せない。新エンジンに合わせた足回りも含めて、じっくりと時間を掛ける以外に方法はなかったという。
エンジンの開発にあたって、直4に切り替えるという意見もあったという。しかし、90年代は“質”の時代になるという見立てと、他社が長年手掛けたものよりも、すでにメリットや設計・生産におけるノウハウが万全な水平対向エンジンで行くことが決まった。ただ、バルブ駆動系の複雑化に伴うエンジン横幅の増加やアルミ製ブロックやバルブ駆動系の伸びが課題だった。アルシオーネのエンジンで駆動にベルトを使用しても信頼性は充分だと知っていたが、アルミ合金のブロックの方が伸びてしまってタイミングを狂わせてしまうのだ。そのため、ベルトの張りを調節するテンショナーを工夫したほか、200km/hアップの最高速まで回せるように3ベアリングから5ベアリングが採用された。
足回りについては、コンピューターのおかげでサスペンションジオメトリーの計算などは省略できたものの、その中から試作したサスペンションを実際にテストして味付けを決めていくプロセスには、やはり膨大な時間が掛かった。レガシィでは、単なる居心地の良い居間といった感じのキャビンにしたのではなく、ゆったり走りたいとか思い切って攻めたいといった極端なシチュエーションにも対応できるレベルを実現させたかったという。そのため、ヨーロッパにおける200km/h以上の高速走行を目標に振動・騒音レベルを考え、ピラーの根元部分の補強や、箱型断面の部材にしたサイドシル、メンバー構造の見直しなど新発想でボディ構造そのものを見直すとともに、足回りの剛性を高めることで4WDで課題だったヨー変化の収まりを重点的に対処。公道を舞台にプロドライバーのテストを繰り返し、路面からの力による動きに忠実に反応する足がつくり出された。
Posted at 2020/06/14 21:02:24 | |
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富士重工 | 日記
2020年06月14日
GTカー開発、規則とエンジニアの攻防史。補強と裏技で辿り着いた“シルエット・フォーミュラ化”【スーパーGT驚愕メカ大全】
1994年に始まった全日本GT選手権(JGTC。現スーパーGT)では、幾多のテクノロジーが投入され、磨かれてきた。ライバルに打ち勝つため、ときには血の滲むような努力で新技術をものにし、またあるときには規定の裏をかきながら、さまざまな工夫を凝らしてきた歴史は、日本のGTレースにおけるひとつの醍醐味でもある。
そんな創意工夫の数々を、ライター大串信氏の選定により不定期連載という形で振り返っていく。第6回となる今回のテーマは「補強」。一見地味ながら、その「解釈」が奥深さを生み、ある意味ではGTカーの未来をも決定づけた裏技である。
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改めて確認すれば、モータースポーツにおける「GTカー」とは、量産乗用車をベースに改良を加えて仕上げた競技車両を言い、レース専用に開発されたフォーミュラカーとは一線を画す位置づけにある。この位置づけのため、GTカーについてはベースになった量産乗用車のイメージを失わないよう車両規則でさまざまな改良制限がかかっている。
だが競技車両を開発する技術者たちは制限の中でできる限りパフォーマンスを向上させようと知恵を絞ってきた。パフォーマンスを高めるためには大きく分けてふたつの方法がある。技術と正面から向かい合い性能を引き上げる方法と、車両規則で定められた制限をかいくぐる方法である。
たとえば初代NSXは、それまでのGTカーが見過ごしていたモノコック下面に手を加えた。通常乗用車のモノコック下面は応力を受け止めたりさざままなコンポーネントを固定したりするため複雑な凹凸で構成されている。
NSXの開発陣は、空力性能を追求するため路面と床面の間に空気を流そうと考えていたが、下面に凹凸があれば空気がうまく流れない。しかし当時の車両規則ではベース車両のモノコックをそのまま使用することが義務づけられており、モノコックの形状を改変することは許されていなかった。
そこで開発陣が着目したのが「モノコックに補強を加えることは許す」という車両規則の文言だった。この文言に基づき開発陣は凹凸のある床面にカーボンを積層し、凹凸を埋めたうえで、第3回で紹介した燃料タンクガードを組み合わせ床面にきれいな平面を作り出した。
当時開発陣は「補強のためにカーボンを積層したら結果的に平面になってしまった」と語っていたものだが、平面になった結果床面の空気の流れが改善されて空力性能が一気に向上したのは明らかだった。車両規則の文言を逆手にとった巧妙な改良である。以降、この種の「補強」はごく当たり前の手法となっていった。
この種の「規則で禁じられていないことはやってもよい」という解釈は古今東西、競技車両を開発する技術者たちがさまざまな形で繰り出してきたものだ。技術者たちは、規則の行間にライバルが気づいていない抜け穴を見つけ出そうと年中規則書を読みふけるという。
その後も、スーパーGTではサイドシル部分にカーボンコンポジット構造の構造体を追加するなどの、ある意味「裏技」が登場した。これも「側面衝突に対するプロテクター」という位置づけで、実際にその効果はあっただろうが通常は車体剛性向上のために働いていたことは想像に難くない。
こうした構造体の追加は年を追うごとにエスカレートし、本来のオリジナルモノコック内部にカーボンコンポジット構造の「第2フレーム」が存在するも同然の状況に至った。
■「09規定」ではついにカーボンモノコックへ
たとえば2004年のZは、キャビン背後にフューエルタンクコンテナと称するカーボンコンポジット構造体を設け、そこにトランスアクスルを締結するというアイデアを繰り出した。
本連載第2回で解説したフレームの改変同様、本来は改造範囲を制限するはずだった車両規則を充たしながら高性能化するため、かえって改造にコストと手間がかかるようになってしまったのである。
これを受けてGTAは車両規則の大改定に踏み切って2009年以降はオリジナルのモノコックの使用義務を撤廃し、全面的に自由設計のカーボンコンポジット構造モノコックに置き換えてよいことにした。とうとうスーパーGT車両は、レーシングカーに市販車の皮をかぶせた形の、シルエット・フォーミュラ的車両となったのである。
興味深いのは、2008年にニッサン陣営がベース車両をR35型GT-Rへ切り替える際、一年前倒しで2009年規定に基づきカーボンモノコックを投入したことだ。
営業上R35発売とタイミングを合わせてベース車両を切り替える必要があったが車両規定改定は2009年度からだったので、新型車両開発コストを削減するため特例として車両規定の前倒しが認められたのだった。したがってこの年のGT-Rは本来の車両規則には合致しない特認車両としてシリーズに参戦し、結果的にチャンピオンカーとなった。
ニッサンの開発陣は、新型車両投入のタイミングと車両規定改定のタイミングがズレるという苦境を、結果的に最新の車両規格を単独で導入し特認車両として戦うという、ある意味で裏技を使って好転させたのだった。
Posted at 2020/06/14 20:58:42 | |
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