2020年12月08日
激レア車発見!! デ・トマソの野望を背負ったランチア試作車とは?
■ベースはランチア「フルヴィア」だった
2020年10月26日から31日まで、RMサザビーズ英国本社が再びオンライン限定でおこなった「LONDON」オークションにおいて、長らく世間から忘れ去られていた1台のコンセプトカーが出品され、世界的な話題を呼ぶことになった。
その名はランチア「HFコンペティツィオーネ」。カロッツェリア「ギア(Ghia)」が1969年に一品製作したプロトティーポ(試作車)であるとともに、ある大きな目的も与えられていたという。
今回は、この数奇な運命をたどった1台のストーリーを中核として、「LONDON」オークションのレビューをお届けしよう。
●生粋のラリーカーがコンセプトカーに変身
このコンセプトカーのデザインを担当したスタイリストは、ピニンファリーナでフィアット「124スパイダー」などを手掛けたのち、ジョルジェット・ジウジアーロの後任としてカロッツェリア・ギアに迎えられたトム・チャーダである。ギア時代には、デ・トマソとともに「パンテーラ」や「ロンシャン」などの作品を残し、日本国内のスーパーカー通の間でも信奉者の多い人物である。
ベースモデルとされたのは、ランチア「フルヴィア・ラリー1.6HF」。1965年からフルヴィアに設定されたクーペ版をベースに、ランチアの実質的なワークスチーム「HFスクアドラ・コルセ」とその総帥、チェーザレ・フィオリオが製作させた一連のラリー用エボリューションモデルの最終進化形である。
このラリー用フルヴィアのファーストモデルである「フルヴィア・クーペHF」は、1966年1月に発売された。
1.2リッターの挟角V型4気筒エンジンは、標準型クーペから8?増の88psに強化される一方、各開口部のアルミ置き換えや、サイド/リアウインドウの樹脂化、さらに前後バンパーを廃することで、135kgものダイエットに成功。車両重量は825kgという軽量を誇っていた。
クーペHFは、デビュー早々からヨーロッパ各地のラリー競技で大活躍を見せるが、翌1967年春には1.3リッターに拡大した進化版「ラリー1.3HF」が登場。排気量アップにより101psのパワーを得て、戦闘力をさらに高めた。
そして1969年に登場した最終進化形「ラリー1.6HF」は、1584ccのV型4気筒エンジンを搭載。115psに達したパワーも相まって、現在のWRC(世界ラリー選手権)の前身にあたる「ヨーロッパ・ラリー選手権(ERC)」にて、1969年シーズンおよび1973年シーズンに年間タイトルを獲得するなど、1970年前後における世界最強のラリーカーの1台として君臨したのだ。
この名作をベースとするHFコンペティツィオーネについて、製作社であるギアでは「GTとして完全に適する一方でそのままサーキットに乗り込むことのできる、ふたつの個性を持つクルマ」とアピールしていたという。
11度20分00秒という特異なバンク角を持つV型4気筒エンジンは、フロントセクションを大幅に改造することでマウント位置を低め、ボンネットはスーパーカー的な低いものとされるとともに、ウェッジシェイプのプロポーションに重要な寄与を果たした。そして当時大流行していたリトラクタブル・ヘッドライトで、その印象はより鮮明なものとされた。
さらに、オリジナルのフルヴィアHFではリジッド式だったリアアクスルは、ふたつのウィッシュボーンによる後輪独立懸架へと置き換えられるなど、原則的にボディの架装を専業とする、この時代のイタリアのカロッツェリアが手がけたコンセプトカーとしては、かなり大掛かりな1台となっていたのだ。
しかし、それには深い理由があった。実は、のちにイタリア自動車業界のフィクサーとして君臨したレジェンドが、このプロトティーポには深く関与していたのである。
■フォードがランチアを買収しようとしていた! その真相は?
ランチアHFコンペティツィオーネのプロジェクトを発案したとされるのは、この時代にカロッツェリア・ギアの社主であったアレハンドロ・デ・トマソその人だったという。
当時のデ・トマソ生産車といえば、レーシングカーやスーパースポーツ、GTカーともに、密接なかかわりを持ちつつあったフォード社製のコンポーネンツを流用するのが常道だった。
ところがこのプロトティーポのみは、当時のデ・トマソに深い関わりがあったわけではないはずのランチア市販車をベースに製作されているのだが、そこにはデ・トマソの野望が大きく影響していたようだ。
●アレハンドロ・デ・トマソの野望の遺産?
1960年代後半、イタリア自動車業界の再編成に乗り出そうとしていた彼は、フェラーリとの「婚約破棄」およびその後のレース界で大リベンジを果たしている真っただ中だったフォードに、ランチア社を買収させようと目論んでいた。この時代のランチアは、慢性的な財政危機にあったのだ。
そして、提携関係を通じて親友ともいえる間柄なっていたフォード・モーター・カンパニーのCEO、リー・アイアコッカは、ランチアのCEOとしてデ・トマソを指名する……、というのが彼の描いた計画であったという。
ところが、イタリアの良識ともいわれた名門ランチアのトップになる、というアレハンドロの夢は、はかなくも崩れ去った。1969年9月にフィアット・グループがランチアを傘下に収めたことで、フォードによる買収計画はキャンセルとなってしまったのだ。
しかし、デ・トマソが「ハニートラップ」として計画したコンセプトだけは現実のものとなり、1969年のジュネーヴ・ショーおよびトリノ・ショーにて大きな注目を集めるに至った。
さらにデ・トマソは、このプロトティーポの終幕を飾るべく、1970年のル・マン24時間レースに参加を期したモディファイを指示。ボンネットにはエアスクープを取り入れたパワーバルジが設けられるとともに、リアには巨大なウィングスポイラーを設置した。
また、当時のFIAレギュレーションに準拠した大容量のアルミニウムタンクがリアコンパートメントに追加されるとともに、ガソリンの給油口もクイックリリース型に変更。ウィンドスクリーンは、ベルギーのグラヴァーベル社がオーダーメイドした軽量タイプに換装。サイド/リアウインドウもプレクシグラスとされ、レース仕様のロールバーも取り付けられた。
しかし、レーシングカーに改装され、名実ともに「コンペティツィオーネ(レースカー)」となったプロトティーポは、テストのみでル・マンの実戦に登場することなく終わり、歴史の表舞台から姿を消すことになったのだ。
こうして役目を終えたランチアHFコンペティツィオーネは、ギアと同じくデ・トマソ傘下となっていたカロッツェリア、「ヴィニャーレ(Vignale)」の創始者であるアルフレッド・ヴィニャーレの甥のもとで、約20年にわたって所蔵されたといわれている。
今世紀を迎えたのちに現在の所有者に譲渡され、2014年にはフルレストアを受けることになった。また北米「アメリア・アイランド・コンクール・デレガンス」にも出品され、複数のエンスージアスト向けメディアで大きく取り上げられた。
「ギア」と「ランチア」、そして「デ・トマソ」の歴史のうねりを物語るユニークな1台。「ランチア・クラシケ(現FCAヘリテージ)」が真正を証明したCertificato(チェルティフィカート:証明書)も添付されているというランチアHFコンペティツィオーネに、RMサザビーズ社は14万ー18万ポンド、日本円換算にして約1955万円ー2515万円というエスティメート(推定落札価格)を設定していた。
ところが、実際のオンライン競売ではビッド(入札)が振るわなかったのか、残念ながら流札。現在では上記のエスティメートを提示したまま「Still For Sale(継続販売)」となっているようだ。
この価格について、様々な意見が出てくることは容易に想像ができる。
しかし、アニバーサリーイヤーやブランド別/コーチビルダー別などのテーマを上手くキャッチできれば、伊「コンコルソ・ヴィラ・デステ」や北米「ペブルビーチ」など、一流どころのコンクール・デレガンスの招待資格も狙えそうな1台であることを勘案すれば、決して高くないとも思われるのだが、いかがなところであろうか……?
Posted at 2020/12/08 21:57:22 | |
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自動車業界あれこれ | 日記
2020年12月08日
【10年ひと昔の国産車 30】インプレッサ WRX STI スペックCは軽量化をはじめ走りに徹したモデルだった
「10年ひと昔」とはよく言うが、およそ10年前の国産車は環境や安全を重視する傾向が強まっていた。そんな時代のニューモデル試乗記を当時の記事と写真で紹介していこう。今回は「インプレッサ WRX STI スペックC」だ。
スバル インプレッサ WRX STI スペックC(2009年)
インプレッサSTIシリーズに、ファン待望の「スペックC」が復活した。今回試乗したのはツインリンクもてぎの南コース。スペックCだけでなく、ベース車のSTIも持ち出して比較してみることにした。
スペックCにもエンジン制御を3つのモードで変えられる「Si ドライブ」が備わるが、もちろん「S#」で試す。コースに進入しアクセルを全開にすると、エンジンは軽やかに反応してトップエンドの8000rpmまで吹け上っていく。そのあっけなさは、逆に凄さを感じないほどだ。
この後STIに乗り換えたら、あれほどスムーズに感じたエンジンが、スペックCに比べるとちょっと鈍く感じられたほど。ちなみに最高出力308ps/最大トルク43kgmのスペックは同じだが、アクセルのツキが良いぶんスペックCの方がパワフルに感じられる。また、STIにはないインタークーラー ウオータースプレーが装備され、常に冷却された空気が吸気されるので、スペックCはエンジンのタレが圧倒的に少ない。
さらに、薄板ガラス、遮音材の排除、バッテリーの小型化、フロントフードのアルミ化などで50kgほど軽量化されている。これにより、とくにコーナーの切り返しなどでノーズがスッと向きを変えてくれて収束が早い。そして軽量化はブレーキの持久力に大きな効果をもたらし、連続したハードな走行でもSTIに比べると安定した効きを示す時間がはるかに長かった。
サスペンションとタイヤの違いは、コーナリングで際立った違いを見せる。STIもけっこう軽い身のこなしで、インプレッサの伝統を受け継いだ回頭性の良さを誇っているが、スペックCはさらに余計な動きを封じ込めた感じで、締め上げられたダンパーとSタイヤ並みのポテンザRE070で強固なグリップを見せる。STIは同じ245/40R18サイズのポテンザRE050Aを装着するが、RE070のグリップ力にはかなわない。このままでちょっとしたモータースポーツイベントなら十分に戦えそうだ。
走行フィールでは、とくにフロントまわりの剛性が上がっているのに加えて、ダンパーの伸び側がグンと上げられている感じでロールも小さい。そしてバネ/ダンパーの組み合わせの妙でステアリング転舵時のフロントの入りがいい。また前後のロールバランスは、サーキット走行によりマッチしている。とくにコーナーでリアの安定性が高く、旋回性能が高いのが印象的だ。
乗り心地は、これだけ締め上げられたサスペンションとSタイヤ並みのタイヤで快適なわけはないが、それでも予想以上に許容範囲に収まっていた。もともとSTIもタイヤの硬さを感じるほどなので、むしろ潔い硬さがスペックCらしくて良い。とはいえノイズはかなり大きく、ロードノイズ、パターンノイズ、風切り音、メカノイズ、あらゆる音が平均してSTIよりは大きくなって室内に入ってくるのはやむを得ないところ。
今回のテストでは、1周約1分弱のコースで1秒の差があった。これはけっこう大きな差だ。実際にステアリングを握れば、数字以上にそれを体感させられるだろう。
■インプレッサ WRX STI スペックC 主要諸元
●全長×全幅×全高:4415×1795×1475mm
●ホイールベース:2625mm
●車両重量:1450kg
●エンジン種類:水平対向4 DOHCターボ
●排気量:1994cc
●最高出力:227kW<308ps>/6400rpm
●最大トルク:422Nm<43.0kgm>/4400rpm
●トランスミッション:6速MT
●駆動方式:フロント横置き4WD
●10・15モード燃費:10.4km/L
●タイヤ:245/40R18
●当時の車両価格<税込み>:368万5500円
Posted at 2020/12/08 21:52:31 | |
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富士重工 | 日記
2020年12月08日
1秒でも早く鎮火せよ! 1万Lの水槽付き 戦車よりデカい「ストライカー」救難消防車
圧倒的な加速性&大量放水を両立する巨漢
飛行機やヘリコプターは、空を飛ぶために大出力のエンジンを搭載し、自動車などとは比べ物にならないほど多量の燃料を搭載しています。そのため、ひとたび炎上し始めると大惨事になりかねません。そのような航空機火災に対処すべく、日本各地の空港のほとんどには専用の消防車が配備されています。
それは自衛隊の飛行場も同じことです。自衛隊ではいったいどのような消防車が運用されているのか、航空自衛隊入間基地の航空機火災用消防車を取材してきました。
入間基地で消防車を運用するのは、中部航空警戒管制団基地業務群施設隊消防小隊という部隊です。この部隊には各種の消防車が配備されており、そのなかでも航空機火災に対応可能な車両が「救難消防車」と呼ばれるものです。
航空機火災の場合、炎上する航空機内に人員が取り残されるケースも想定されるため、消火はもちろん、人命救助のために1秒でも早く火災現場に駆け付ける速達性が必須です。そのため圧倒的な加速性、継続して消火活動が可能な大容量の水と薬剤の積載、耐熱性に優れたボディという3拍子がそろっているのが特徴。とくに入間基地は輸送機を始めとした大型機が多数配備されていることから、戦車に匹敵するほどの大きなボディと大排気量のエンジンを兼ね備えた「ストライカー」という外国製の消防車両が配備されています。
右でも左でもない「中央ハンドル車」 そのワケは
「ストライカー」消防車は、アメリカのオシュコシュ社が開発した6輪駆動の救難消防車です。全長約12m、全幅約3.1m、全高約3.7mあり、総重量は約31tあります。陸上自衛隊の74式戦車が全長9.41m、全幅3.18m、全高2.25m、重量38tのため、車体サイズだけなら上回っていることがわかります。
この大きなボディに水1万500リットル、消火薬液880リットル(重量920kg)を搭載しており、水や消火薬液を噴射するためのターレット(放水銃)を屋根上と車体前面バンパーに1基ずつ計2つ備えています。なお前者のターレットは放水距離が約90m、後者は約45mという話でした。
このほか車体側面には、左右それぞれ「ハンドライン」と呼ばれるホースを備えています。これは火災現場に到着したのち、車両から下車した防護服着用の隊員が手で操作しながら扱うものです。
「ストライカー」消防車を取材するなかで不思議に感じたのが、運転席が真ん中にあること。なぜこのような配置になっているのか消防小隊の隊員に聞いたところ、この方がハンドラインを操る隊員がキャビンから左右に迅速に下車できるからとのことでした。
運転席に乗せてもらいハンドルを握ってみると、その感覚はとても新鮮。乗用車を含む一般的な自動車は右ハンドルもしくは左ハンドルのため、「中央ハンドル」での運転は慣れないと難しそうですが、ガラス面が多く視界は非常に良好なため、火災現場で運転しながらターレットを操作するには、この配置の方がやりやすいのかもしれません。
なぜか屋根上にも消火装置の操作盤が
今回は車両の屋根に上がらせてもらいました。車両後部にあるラダーから上がってみると、上部にはエンジンの排気口や内蔵タンク用の給水口、薬液タンクの上蓋等が並んでいました。車体上面の一番前には放水用のターレットがあるものの、その傍らに、下から見たら気づかなかった操作盤がありました。
ターレットは車内から操作できるのに、なぜ屋根の上にも操作盤があるのか、隊員に聞いてみると、万一、何らかの不具合で車内からターレットを操れなくなった際、ここで直接操作するためのものだそうです。このようなバックアップ設備が備わっているのも、初めて知りました。
入間基地では、幸いにして航空機の炎上事故は近年、起きていないものの、油断は禁物です。そのために毎年、基地の一角で実際に炎を燃やして消火を行う「ピットファイヤー訓練」を実施しています。
飛行機の運航というと、パイロットや管制官、整備員などに目が行きがちですが、消防小隊のようなサポートがあってこそというのを改めて認識することができました。
Posted at 2020/12/08 21:49:40 | |
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自動車業界あれこれ | 日記
2020年12月08日
進化するヘッドライト技術…アウディが提案するインテリジェントライティング
自動車の灯火(ヘッドライト)は、カーバイトから始まり、電球・シールドビーム電球、ハロゲンヘッドライト、HID(キセノンランプ)へと進化し、現在はLEDが車両内外装の照明・灯火に広がっている。
ハロゲンランプそのものは1960年代には実用化されていたが、車のヘッドライトとして普及し始めたのは1980年代だろう。90年代にはHIDやHIDを利用したプロジェクターヘッドライトがブームとなる。LEDヘッドライトは、2010年12月にグローバルデビューした日産リーフから市場に広がりだした。ヘッドライトの光源に関しては、アウディがレーザー方式の長距離ハイビームを2014年にR8 LMXに採用している。
LEDがヘッドライトに利用できるようになると、レンズやリフレクターといった配光を制御する方法にも変革をもたらした。ハロゲンやキセノンは、フィラメントの発熱や電極の放電火花が光源の元だが、ランプを構成するガラス電球が必要となる。LEDは小さいチップが面で発光するので、光源の大きさ、形がデザインしやすい。
LEDヘッドランプはチップの形状や配置で配光パターンの自由度を各段に向上させる。単純にはLEDマトリックスで文字や絵を表現するように、配光パターンをマトリックスセルごとのON/OFFで任意の光の形状が作れる。もちろん細かいパターン生成には、プロジェクターの技術を応用した物理的なシャッターや液晶シャッターを利用することもある。
現在、アダプティブヘッドライトと総称されるしくみは、LEDヘッドライトによって実現されている。以前は、機械的にランプやリフレクターの向きを変えて光軸をずらすだけだったものが、カメラ画像やセンサー情報を利用して、自動的にハイビーム/ロービームの切り替えを行ったり、対向車・先行車、歩行者だけを避けた配光を作ったり、進行方向に自動的に配光エリアを広げたりが可能になっている。
アウディは2013年にフルLEDヘッドライトをA3に搭載し、A8にはマトリックスLEDによるアダプティブヘッドライト(ハイビーム)を実用化している。2019年にはデジタルマトリックスLED(DML)のヘッドライトをe-tronおよびe-tronスポーツバックに採用した。DMLはヘッドライトで壁に記号や特定の形状を投影できる(ほとんどプロジェクターである)ほど、プログラマブルかつインテリジェントなヘッドライトだ。
このようなヘッドライトは、これまでのクルマでは見えなかったところ、照射できなかったエリアを見やすくし、安全性を向上させるのはもちろん、周囲に自車の存在を気づかせる、自車の操作や挙動を知らしめる機能もある。一種のコミュニケーション機能といってよいだろう。たとえば、隣車線から自分の車線に配光が広がってきたら車線変更をしようとしている合図にもなる。簡単な文字や記号を路面に投影できれば、横断歩行者に合図やガイダンスを与えることができる。
アウディは2020年にDMLの技術をOLED(有機LED)に応用したライトをQ5に採用した。OLEDを使ったリアコンビは2016年のTT RSで実用化されているが、アウディは、DMLやデジタルOLEDをストップランプやターンシグナルランプ、ヘッドライトの意匠(アイコン)にも利用している。これらは、流れるウインカーやストップランプの点滅パターンにオリジナリティを出したり、ヘッドライト部分のデザインを特徴づけるだけではない。
点灯シーケンスやヘッドライトの意匠を変えることに、メッセージや意味を持たせることができる。ストップランプの点滅パターンで急ブレーキを知せるという応用が考えられる。
OLEDは、半導体チップを使う通常のLEDと違い、極めて薄いフィルムで面発光させることができる。そのため、テールランプ本体を薄く作ることができる。発光素子がフィルム状なので、折り曲げや立体的な形状にも適合しやすい。フェンダーやリアクォーターに回り込むようなデザインも可能で、ターンシグナルの視認性向上にもつながる。
設計の自由度も上がるが、さらにデザインと開発や製造技術との距離も縮める。複雑な形状や限られたスペースでも、ランプやリフレクターを埋め込む位置を気にせず車体設計・製造ラインの構築ができる。
Posted at 2020/12/08 21:46:56 | |
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AUDI | 日記
2020年12月08日
世界の舞台で両雄激突!! 1990年代に繰り広げられたランエボ対インプレッサの死闘
本来ならば、2020年11月に開催予定だったWRCラリージャパン2020は、新型コロナウイルスの影響により、ラリージャパン実行委員会が自ら開催断念を発表、残念ながら中止となってしまった。
来年2021年のFIA暫定カレンダーには、ラリージャパンが据えられているそうで、来年こそはヤリスWRCの雄姿を、生まれ故郷であるここ日本で見ることができそうだ。
WRCといえば、日本人としては、90年代後半のスバルインプレッサWRXと三菱ランサーエボリューションシリーズの争いをなくしては語れない。筆者を含め、当時のスポーツカーファン達を大いに沸かせてくれた当時を振り返りつつ、来年は開催されるであろうラリージャパン2021でのヤリスWRCの活躍に思いを馳せようと思う。
文:吉川賢一
写真:TOYOTA、NISSAN、SUBARU、MITSUBISHI、ベストカー編集部
【画像ギャラリー】WRCを賑わせた日本メーカーのラリーカーを写真で振り返る
日本から来たサムライマシン「インプレッサ」
スバルが、WRCに本格的なワークス参戦を開始したのは90年シーズンのこと。マシンはレガシィRSであった。その年のスバルは5つのラリーに出て最高順位は1000湖ラリー(現・ラリーフィンランド)の4位にとどまり、マニュファクチャラーズランキングは4位。その後、91年シーズンは6位、92年シーズンは4位という結果におわっていた。
インプレッサが初投入されたのは93年シーズン途中の1000湖ラリーだ。デビュー戦で早速、アリ・バタネンが2位入賞し、その年のスバルのマニファクチャラーズランキングは3位、翌94年シーズンは2位(ドライバーランキングでもスバルのサインツが2位)にまで上昇した。
そして、95年シーズン、インプレッサ555に乗るコリン・マクレーとカルロス・サインツの2台が圧倒的な強さを示し、マニファクチャラーズタイトルをスバルにもたらした。ドライバーズタイトルもマクレーが獲得、「無敵のスバル」のイメージを世界中へと印象付けるシーズンとなった。
1992年登場の初代インプレッサにWRCを含めたモータースポーツ参戦ベース車として設定されたWRX ランエボとの死闘もあり、STIバージョンはVIまで進化 WRCで1995年のダブルタイトル獲得など、輝かしい成績を残した
続く96年シーズンもスバルの強さが目立ち、マニファクチャラーズタイトル2連覇を達成。ドライバーズラインキングはその年5勝をした三菱のマキネン(マシンはエボIII)に奪われたが、マクレーの一発の速さは、見る者を魅了した。
97年シーズンからは、インプレッサWRカーを投入。全14戦中8勝を挙げ、スバルは日本車メーカーとしては初となる3年連続(1995~1997年)のマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。
インプレッサの人気は、ワークスドライバーのコリン・マクレーの人気があってこそだ。スピードは速いがすぐにクラッシュをする、「勝つか壊すか」のマクレーの走りは「マクラッシュ(壊し屋マクレー)」とも言われたが、多くの人に愛されていた。正確無比で冷静なイメージのあるマキネンとは対照的だった。
Hパターンのシフトでマシンをコントロールするマクレーを、筆者はただただ感動して見ていた記憶がある。マシンが超絶進化をして、信頼性が増した現代のWRカーと比べると、危険なにおいがしたと思うが、だからこそ、余計に熱くなったファンが多かったのかもしれない。
自らハンデを背負って戦っていた「ランサーエボリューション」
コリン・マクレーに対抗する三菱ワークスの最強ドライバーといえば、トミ・マキネンだ。1996年から1999年まで、4年連続ドライバーズタイトルを成し遂げた三菱ワークスとトミ・マキネン。それを支えたマシン「ランサーエボリューション」が始めてWRCに登場したのは、その快挙から遡ること3シーズンの、1993年シーズンのことだ。
ランサーエボリューションは、それまで参戦していた「ギャランVR-4」の後継車としてデビューし、熟成した4G63ターボエンジンと、ワンウェイクラッチの機構を取り入れた独自の4WDシステムを武器に、スポット参戦を開始した。
そして、94年シーズンには「エボリューションII」へ、95年シーズンには「エボリューションIII」へと着実にマシンは進化し、速さと信頼性を磨いた。
スポット的に参戦していたマキネン(当時30歳)は、この年から三菱へと正式加入。前年に投入した電気式アクティブデフをはじめとしたマシンの改良が活き、95年シーズン第2戦のスウェーデンにて、1位にケネス・エリクソン、2位にマキネンと、三菱のワンツーフィニッシュを達成した。
その強さは、1996年シーズンで大爆発することになる。エボリューションIIIに乗ったマキネンは9戦中5勝という圧倒的速さを見せつけ、その年のドライバーズタイトルを獲得した。
ランサーエボリューションIII エボIIから大幅な変更はないものの、エンジンの冷却性能や空力性能の向上を果たした マキネンは9戦中5勝という圧倒的速さを見せつけ、その年のドライバーズタイトルを獲得した
翌97年シーズンでは、エボリューションIVへと進化、この年も4勝を記録したマキネンは、ランキング2位のコリン・マクレーと1ポイント差ではあったが(4戦連続リタイアのあと3連勝して猛追したマクレーも凄いが)、2年連続のドライバーズチャンピオンを獲得。
98年シーズン中にデビューしたランサーエボリューションVでも4勝を挙げ、ドライバーズタイトル3連覇と、三菱初のマニュファクチャラーズタイトルをもたらした。そして99年シーズン、ランサーエボリューションVIとなり、この年もマキネンがドライバーズタイトルを獲得、遂に4年連続ドライバーズチャンピオンという快挙を成し遂げたのだ。
インプレッサWRCを含め、他のライバルチームが、改修の自由度が大きい「WRカー規定」のマシンで参戦していた中で、三菱だけは、グループA規定(市販車としての生産台数規定があり、競技レベルの市販部品も量産する必要があった)で戦う道を選んでいた。
「リアウィングやフロントマスクがガンダムのようにド派手だ」など冷やかされてもいたが、憧れたWRCマシンとほぼ同じデザインのランエボが手に入る、という喜びは格別であり、ファンはこぞって購入していた。
ラリージャパン2021は、若者にこそみてもらいたい!!
WRCを見ていて思うことは、公道を使ったレースの場合、突然コース上に現れた牛を避けたり、道端で見物するギャラリー(マシンに触れようと手を伸ばすギャラリーも多かった)のすぐ真横を走り抜けたりと、マシンの速さはもちろんのこと、ドライバーの腕の凄さと、運の強さも必要なモータースポーツだな、ということだ。
また、ボロボロに壊れたマシンを30分で復元して送り出す凄腕メカニックや、ミリ以下の単位で最速マシンを作りこむ車両開発のエキスパートエンジニア、それを陰から支えるスタッフなど、一人のドライバーを勝たせるために動くチームメンバーとの一体感を、筆者もできることなら体験してみたかった。
「スバルと三菱、どちらが最強か!?」と問われたら、筆者は「速さは三菱、強さはスバル」と答える。モータースポーツが盛んな欧州で、遠い日本から送り出したマシンが大活躍したWRCを目にしたことがきっかけで、筆者はクルマ好きになり、そして、自動車の開発エンジニアにもなった。
来年、ラリージャパン2021が開催されることにより、モータースポーツに憧れる若者が多く誕生してくれることを期待している。
いまトヨタWRCチームは、2020年シーズンのマニュファクチャラーズランキングにて、わずか8ポイント差で2位につけている(1位はヒュンダイ)。12月4~6日の最終戦、ラリー・イタリアの結果次第で、逆転する可能性は大いにある。
WRカー規定に合わせ、1.6Lターボ+4WDで開発したヤリスWRCにて、2017年からWRCに復帰。2018年にはマニュファクチャラーズタイトルを獲得している 2020年はダブルチャンピオンをとる可能性大だ
ドライバーズ&マニュファクチャラーズチャンピオンを獲得し、来年のラリージャパン2021に向けて、勢いをつけられるか、最終戦が非常に楽しみだ。日本人ドライバー、勝田選手の活躍にも期待している。
かつてのように、他の日本車メーカーのワークス参戦も期待したいところではあるが、まずはトヨタに、日本車メーカーが世界一になるところを、再び見せてほしい、と思っている。
Posted at 2020/12/08 21:43:29 | |
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自動車業界あれこれ | 日記