2021年03月10日
4WDの先駆者アウディが威信をかけて開発した幻のWRカー「アウディ スポーツクワトロ RS002」
SUBARUが先鞭をつけた4WDを必須アイテムに引き上げたアウディ
この秋ひさびさに、日本ラウンドとなるラリー・ジャパン2021が復活することで、再び人気が上昇する気配を見せている世界ラリー選手権(WRC)。近年は、WR(ワールド・ラリー)カーと呼ばれるカテゴリーの競技車両がその最高峰に位置していますが、メカニズム的に4輪駆動(4WD)を取り入れることは世界一になるためには必須となっています。ラリー競技車にこの4WDシステムの必要性を決定的に知らしめたのは1980年代のアウディでした。
そのアウディが、過激化してきたWRCのグループB末期、次なる時代の最終ウエポンとして4WDの威厳を示すべく開発していたマシンがあります。それが幻のグループS車両「アウディスポーツクワトロ RS002」。ここではそこに至るまでのアウディを振り返ってみましょう。
ラフロード先駆車レオーネから氷結ウエットターマックを牛耳るクワトロへ
4WDマシンの流れが出てきたのは1980年代のこと。当時のWRCで主役を務めていたのはグループBカーでしたが、このころから4WDが見逃すことのできない技術トレンドとなっていきました。その4WDを最初にWRCに持ち込んだのはSUBARU(当時は富士重工業)でした。1980年のサファリ・ラリーがその舞台でしたが、レオーネ・スイングバックのグループ1仕様で、エンジン排気量も1.6ℓと小排気量にもかかわらずグループ優勝に輝き、総合でも18位につける快挙を成し遂げ、ここからSUBARUのWRCチャレンジがヒートアップしていきます。
ただし、4WDを一気にメジャーな存在にしたのはアウディ・クワトロでした。市販モデルが80年のジュネーブ・ショーでお披露目された後にグループ4仕様の競技車両の製作が進み、81年のWRC開幕戦となったモンテカルロ・ラリーでデビューを果たしています。
このシーズン、アウディのワークスチームであるアウディ・シュポルトからはエースのハヌー・ミッコラと女性ドライバーのミッシェル・ムートンが参戦していましたが、デビュー戦ではミッコラが、ライバルを圧倒する速さを見せつけます。
結果こそリタイアに終わったものの、それまでは2位以下を大きく引き離してトップを独走して見せたのです。そして続く第2戦のスウェディッシュ・ラリーではミッコラのドライブであっさりと初優勝を飾っています。
このスウェディッシュは雪路を駆け抜けるラリーとして知られていて、当然のように4WDのアドバンテージが予想されていましたが、それ以降もアウディ・クワトロの速さは衰えることもなく、シーズン終盤、グラベルとターマックが混在するミックスラリーとして知られるサンレモ・ラリーではムートンが優勝。ちなみにこれは、女性ドライバーとして初めてWRCを制する快挙でした。
そして最終戦のRACではミッコラがシーズン2勝目を挙げ、シリーズランキング(ドライバーズポイント)で3位にポジションアップしてシーズンを終えることになりました。
82年アウディ圧勝でマニュファクチャラーチャンピオン
翌82年シーズンはアウディの、そして4WDのアドバンテージが大きくクローズアップされることになりました。ドライバーのラインナップにスティグ・ブロンクビストが加わったこともあってアウディは全12戦中半数以上の7勝をマーク。ムートンが3勝を挙げ、ミッコラとブロンクビストが2勝ずつ、と星を分け合ったことでドライバーランキングでは2~4位に留まりオペルのロールにタイトルを譲ったものの、マニュファクチャラータイトルを獲得。
4WD車両として初のチャンピオンマシンに輝いています。翌83年はミッコラがドライバーズチャンピオンに輝いたものの、前年チャンピオンのロールが移籍し、マルク・アレンとのツートップ体制で臨んだランチアにマニュファクチャラーのタイトルを奪われてしまいます。このランチアが強敵でした。
81年シーズンにオリジナルのアウディ・クワトロがデビューして以来、クワトロA2、スポーツ・クワトロと着実に進化を遂げていたクワトロでしたが、4WDのアドバンテージはあったものの、フロントヘビーなパッケージングからハンドリングには難を抱えていて、ミッドシップの後輪駆動であるランチア・ラリー037に後れを取ってしまったのです。
さらにアウディの4WDとランチアのミッドシップという、両車の“良いとこ取り”をしたプジョー206T16が登場するに至っては、フロントエンジンのクワトロでは対抗し得ませんでした。
期待のミッドシップ対抗モデルは700馬力だったが…
そこでアウディは、グループBをより先鋭化させたグループS車両を開発するプロジェクトを立ち上げました。プロトタイプとしてアウディ・クワトロをベースにエンジンをボディ後半部に載せた“ミッド・エンジン・クワトロ”も施策されていましたが、本命として完成したモデルがスポーツ・クワトロRS002でした。
その風貌は、ラリーカーというよりもコンパクトなレーシングマシンに似たもので、リアの巨大なウィングが目立っていました。コクピットの後部に、アウディの得意としてきた直列5気筒エンジンを縦置きに搭載、パワーを前後に配分して4輪を駆動するというレイアウトとなっていました。
ターボ・チューンを施されたエンジンは700馬力を絞り出しており、約1tの車両重量に対しては十分なパフォーマンスが期待されていました。ただし、グループSのプロジェクトの前提となっていたグループBでのアクシデントが続出したことでグループBとグループSは、カテゴリーそのものが姿を消すことになり、この究極のラリーマシンが実戦で鎬を削ることは敵わなくなってしまいました。
もちろん安全は尊重されるべきですが、この究極のマシンが戦う様を見たかった、というファンも少なくなかったと思われます。ちなみに、僅かに1台のみが製作されたRS002は、インゴルシュタットのアウディ本社に併設されたAudi Museum Mobile(アウディ自動車博物館)に収蔵され、企画展などで展示されているようですが、何度か訪れた際には展示されてなく、出会いは果たせていません。
Posted at 2021/03/10 22:25:47 | |
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AUDI | 日記
2021年03月10日
抜け道で闘うライバルに対し正攻法で誕生した超絶マシン! グループAのために作られたBMW M3とは
生産車の段階でレース対策が施されたモデル
ツーリングカーによるサーキットレース、あるいはツーリングカーに準じた車両によるラリーの規定で「グループA」という言葉を耳にしたことはないだろうか? ひと口で言えば、生産車の基本構造、基本メカニズムで戦うことを規定した車両規格のことで、生産車からの改造、チューニングを大幅に制限した規定である。
このグループA規定は、1982年から1997年まで適用された車両規格で、正確にはレースとラリーで適用期間が異なっていた。サーキットレースは1982~1988年まで(例外的に日本だけが1993年まで)、ラリーが1982~1997年までとなっていた。
なぜ大幅に改造を制限した規定が設けられたのか、ということになるが、それまでの車両規定であるグループ2/4規定が、メーカーを挙げてのチューニング合戦に陥り、最終的にこの車両規定に追従できるメーカーがなくなったことから、競技の成立が危ぶまれる事態となっていたからだ。
まさにグループAレースのために作られた車両だった
グループA規定は、これへの対応策として事後の改造、チューニングを大幅に制限し、生産車両の基本構造、基本メカニズムで戦うカテゴリーとすれば、参戦門戸を幅広く構えられ、多くのメーカーが参画することでレースの隆盛化が図られると考えた結果である。
実際、この考え方は正解かと思われたが、レース向きでない車両を生産するメーカーへの救済策として用意された使用パーツの追加公認申請制度が逆手にとられ、より多くの競技用パーツの申請を行ったメーカーの車両が戦闘力を上げる結果となつていた。ボルボ240T、ジャガーXJ-S、ローバー・ビテスといった車両が主導権を握る流れとなったのは、このためである。
こうしたなかで、創業以来ツーリングカーレースを自社の身上としてきたBMWは、当時、世界最高位と目されていたヨーロッパツーリングカー選手権(ETC)に継続して参戦。グループA規定が適用された1982年以降も528iや635CSi、325iで活動を続けていたが、レースを有利に戦うためホモロゲーションシート(パーツの追加公認申請書)を山と積み上げる戦略で臨むボルボやジャガーに対し、同じ手法で相手をするにはどうにも非合理的と判断。
生産車の状態で、レースに対応できるメカニズムや構造を備えた車両を準備すれば、手間のかかるパーツの追加公認申請の手間は不要で、なおかつ想定した戦闘力の車両で戦えることから、グループAレースに対応した車両を開発、これの市販に踏み切った。
その車両が、初代BMW M3(E30)だった。車体構造をレース使用に耐える剛性、強度で仕上げ、エンジンはレース使用を見越したものを搭載。後付けが一切禁止された空力パーツも、量産車の段階からレースで使えるものを設計して装着。手間、コストはかかるが最初からグループAに対応した車両を生産すれば、レースに投入した場合、圧倒的優位に立てることは間違いない。M3は、まさにグループAレースのために作られた車両だった。
E30型M3の優れた着眼点は、最大排気量クラスとなる2500cc以上を選ばず、グループA2クラス、すなわち1600~2500ccの中間クラスで車両を選定したことにあった。グループA戦は、個別レースに総合優勝制を採らず、クラス制が採られていたからだ。こうした意味で、コンパクトでハンドリングに優れた3シリーズのレースカーは、有力チューナーのリンダーが325iを走らせていたが、この車両は6気筒エンジン搭載車で、レースカーとして必ずしも最高の条件を備える車両ではなかった。
ライバルのフォード・シエラRSとタイトルを争う高性能ぶりを発揮
6気筒エンジンは、車両の絶対重量、前後バランス、さらにはハンドリングで不利になることを承知していたBMWは、M3用のエンジンとして、M1で使われていた3.5リッター直列6気筒4バルブDOHCのM88型から2気筒分を切り落とした2.3リッターの4気筒S14型エンジン(初期型195ps、最終型220ps)を開発、搭載。M88型エンジンは、安定した高出力性、壊れないことから、グループC2カー用として需要の高い人気のエンジンだった。
BMWの選択肢としては、純レーシング仕様のM12系エンジンを使う手もあったが、M3が量産高性能ツーリングカーという点を考慮し、M88系からの派生となるS14型を新たに開発するという事情があった。
M3は1986年に市販され、ETCには1987年からの投入となったが、狙いどおりに2クラスで圧勝。白地に青/紫/赤のストライプを配したワークスカー(シュニッツァー)の戦闘力は圧巻で、最大排気量クラスのフォード・シエラRSとタイトルを争う高性能ぶりを示していた。
また、日本のプライベーターも積極的にM3を入手。まっ先に投入したオートテックM3の快走ぶり、好成績は印象的だった。なお、市販のM3は1989年にスポーツエボリューションに発展し、排気量を2.3リッターから2.5リッター(238ps)に引き上げていた。
その後M3は、次世代モデルのE36型以降も企画され続けたが、生産車の段階でレース対策が施されたモデルは初代E30型のみ。言ってみれば、サーキットレースのDNAで作られた車両だけに、現在その付加価値が見直され、車両人気が高騰中という状態である。
Posted at 2021/03/10 22:21:49 | |
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BMW | 日記
2021年03月10日
スバルの4車種、最も残存価値の高いモデルに認定…米『ケリー・ブルー・ブック』
SUBARU(スバル)の米国部門は3月2日、『ケリー・ブルー・ブック』の「2021年ベストリセールバリューアワード」において、スバルの4車種が最も残存価値の高いモデルに認定された、と発表した。
『ケリー・ブルー・ブック』は、米国の有力自動車総合サイトだ。とくに、米国の中古車相場情報の提供に関しては、豊富なノウハウを持つ。その『ケリー・ブルー・ブック』が毎年発表しているのが、ベストリセールバリューアワードだ。
ベストリセールバリューアワードは、今年で19回目。新車登録から5年後、最も高い残存価値を持つと予想されるブランドを、豊富なデータを基に選出する。なお、EV、高級車、スポーツカーなど、少量販売車は賞の対象から除外される。
スバルは以下の4つの車両セグメントにおいて、最高のリセールバリューを持つと認定された。
●コンパクトカー部門:インプレッサ
●サブコンパクトSUV部門:クロストレック
●コンパクトSUV部門:フォレスター
●中型2列シートSUV部門:アウトバック
なお、『インプレッサ』は7回目、『アウトバック』は6回目、『フォレスター』は2回目のベストリセールバリューの認定となる。
Posted at 2021/03/10 22:19:06 | |
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富士重工 | 日記
2021年03月10日
【ゴルフのアプローチ 18】6代目ゴルフで登場したRやGTIなどスポーツモデル。W12エンジン搭載車も
1974年にデビュー以来、コンパクトFF車のベンチマークであり続けるフォルクスワーゲン ゴルフ。日本でも間もなく8代目となる新型が発表されるが、その前に初代から現行型までのゴルフを振り返ってみたい。今回は、6代目ゴルフのスポーツモデルについて語ろう。
R32は4気筒エンジンに換装して「ゴルフR」に
ゴルフのスポーツ指向は、ゴルフ6の時代にまた目立ち始めた感があった。まだゴルフ7の時代ほどでないが、コンセプトモデルがつくられたり、レース参戦も行なった。
まずカタログモデルでは、GTIの上に来るゴルフの最速モデルとして、ゴルフ4および5にはV6エンジンを積むR32があったが、ゴルフ6ではそれが4気筒に載せ換えられて、名前も新たに「ゴルフR」となった。4気筒化したことで、ゴルフ(フォルクスワーゲン)が進める、エンジンのダウンサイジングを、高出力モデルでも実践した形である。
さすがに6気筒にあった特別感はやや薄れたが、2Lまで縮小しながらも、ターボ化したこともあり、出力はR32の250psから256ps(日本仕様)まで増強された。このエンジンは、ゴルフ6 GTIが採用した新しいEA888ではなく、ゴルフ5 GTIと同じEA113系統のブロックを使っていた。また外観についても、先代のR32では特別なワッペングリルを付けていたのが、ノーマルと同じグリル形状になり、ゴルフらしく自己主張は抑えめになっていた。
ゴルフ6で気を吐いたのは、GTIの一族である。まずカタログモデルのGTIそのものは、「GTI is back」を掲げて存在感を強めていたゴルフ5 GTIの、順当な進化版として2009年に登場した。
ゴルフ6 GTIの外観は、ゴルフ5 GTIと同じ程度の仕立てで、フロントのGTIのロゴや、グリル内の赤ライン、グリルのハニカムパターンなどで、GTIらしさ、スポーツモデルらしさをアピールした。これらはゴルフ5以来、ゴルフ8まで続くGTIの定番仕立てとなっている。
ただゴルフ5 GTIと違うのは、グリル形状がRと同様に、特別なワッペングリルではなく、ノーマルモデルと同じ形状になったことである。これによってゴルフ6 GTIは特別感をやや失ったかもしれないが、ゴルフとしての統一感は強まり、ゴルフの基本的デザインの求心力のようなものが示された形である。ふり返るとゴルフ4 GTIは特別感をなくされていたから、ゴルフ6 GTIはほどよい特別感になった感じで、やはりスポーツモデルでも自己主張しすぎないのが、ゴルフらしさなのであった。
エンジンは、ゴルフ5 GTIが200psだったところ、211psまで出力を向上。11psの差ではあるが、2L TSIのエンジンは大きく変わって、ボア×ストロークを含めて排気量こそ変わらないものの、ブロックは新しいEA888となっており、出力を高めながら、燃費(CO2排出量)も改善していた。
W12エンジンを搭載したスーパー ゴルフも登場
足まわりでのトピックスは、電子制御ディファレンシャルロック システムのXDSを搭載したことで、これは従来からある低ミュー路用システムEDSの機能を拡張したもので、高速コーナリングでのアンダーステアを軽減させた。
ゴルフ6 GTIは、特別仕立てのモデルもいくつかつくられた。2011年に販売されたのは、GTIの35周年を記念するGTIエディション35。過去にもエディション25や30などがあったが、今回の35は235psまで強化されたエンジンを積んだ。このエンジンは、ゴルフ5 GTIやゴルフ6 Rと同じEA113系統のブロックを使用しており、すでにゴルフ5のGTIピレリやGTIエディション30で230psまでチューンした実績があったので、使いやすかったようである。
そのほか、アディダスとコラボした限定モデルのGTIアディダスがあったほか、オーストリアのヴェルターゼで毎年開催されるGTIミーティングで、ワイドトレッドを持つGTIエクセッシブが発表されている。
カタログモデルとしては、日本では馴染みがないが、ディーゼルのGTDもあり、出力はやや落ちるがGTIと同じボディを持ち、いわばディーゼル版GTI的存在となっていた。
さらに、正確にはGTIとは言えないが、6のGTIはまだほかに、過激な装いのモデルが2つあった。
ゴルフ24は、GTI35周年を記念して2011年のニュルブルクリンク24時間レースに参戦するために開発されたレーシングカーで、3台がレースに参戦した。さすがにGTIとは名乗っておらず、基本ボディこそGTIがベースになっているようだが、アウディ由来の2.5L 直列5気筒エンジンを搭載しており、駆動は4WDだった。最大出力は450ps程度である。
もう1台はW12エンジンを搭載した、GTI W12-650(タイトル写真のモデル)。これはゴルフ6のデビュー前に発表され、ボディ形状はゴルフ5をベースとしていた。そのためエクステリアデザインは一見してゴルフ5のように見えるが、実はゴルフ6の要素も含められていた。グリルはゴルフ6と共通する横一文字のシンプルなもので、これは新型のデザインを予告するコンセプトでもあった。6LのW型12気筒はグループが持つエンジンであることはあきらかだが、これはリアミッドに搭載され、名称の「650」は最高出力を示していた。(文:武田 隆)
Posted at 2021/03/10 22:16:19 | |
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フォルクスワーゲン | 日記