2021年05月09日
「ランボルギーニBMW」といわれた悲運のスーパーカー「M1」とは【THE CAR】
■遅れてやってきたスーパーカー「M1」
Writer:西川淳
Photographer:神村聖
1979年、モナコGP。
F1きっての晴れ舞台がおこなわれる前に、異様な集団がレースを始めた。
M1プロカー。
しかも集団を引っ張るのは、エマーソン・フィッティパルディやパトリック・デパイエといったF1界のスタードライバーたち。そして、勝者は、ニキ・ラウダ……。
この年、そして翌1980年と綺羅星の如きスタードライバーたちが、このクルマを駆って、真剣勝負を繰り広げた。同一マシンによるドライバー勝負は、子供心にも夢のようなイベントだと心ときめかせたと同時に、ブームに遅れてやってきたベースのスーパーカーにも、強烈な印象を持つに至る。
●打倒ポルシェ! のはずが……
BMW「M1」。
その名が物語るとおり、今をときめくBMW Mモデルの始祖というべき存在であり、BMWが作った唯一のスーパーカー。リアミドにはマニア垂涎のM88ストレート6が積まれて……。
と、M1物語は、必ずといっていいほど、こんな趣旨のフレーズで始まるものだが、スーパーカーファンにとっては、少しだけ様子が違うはずだ。
なぜなら、M1は悲運のミドシップロードカーである、という説明の方が、しっくりくるからだった。
何が悲運だったというのか。
なぜなら、M1というクルマは、BMWから独立したてのBMW モータースポーツ社(今のM社とは組織体制が異なり、あくまでもモータースポーツが中心)が、あのランボルギーニと組んで、世に送り出すはずのスーパーカーだったのに、現実にはそうはならなかったからである。
バーバリアンとサンタアガタ・ボロネーゼ、夢の競演になるはずだった。
BMWおよびモータースポーツ社(以下、便宜的にM社)は、当時、メイクス選手権のかかったグループ5レースなどでポルシェ勢に遅れをとっていた。箱形乗用車がベースの「3.0&3.5CSL」では、いろんな意味で戦闘力に限界があり、「935系」レースカーの後塵を浴びていたのだ。
そこで、シルエットフォーミュラシリーズでも勝てるレース用ベースカーが必要であるとM社は判断した。そして当時、苦境に陥っていたサンタアガタの経験と設備に目をつけたのだ。
一方のランボルギーニはといえば、倒産寸前の青息吐息な状況において、それは喉から手が出るほど嬉しい提案だった。BMWの申し出に、復活をかけた一筋の光明を見いだした。
計画は、こうだった。
グループ5への転用可能なミドシップマシンを、「ミウラ」や「パンテーラ」で名をあげたジャン・パオロ・ダラーラを中心としたランボルギーニチームが設計。イタリアのボディスペシャリスト・マルケージが生産した鋼管フレームのリアミドに、BMW製ドライサンプM88ユニットを詰め込んで、ジウジアーロデザインのFRPパネルエクステリアで覆う。
それは、今でいうところのアウディ&ランボルギーニ生産方式(「ガヤルド」&「ウラカン」のパワートレインとボディフレームはドイツから送られサンタアガタで組み立て)であった。
独伊コラボによるリアルスーパーカーが、ひと足先に実現していたはず、だったのだ。
■「NSX」よりも遥か以前に生まれた実用的スーパーカー「M1」
ところが……。
数台の試作車が走り出したのも束の間、ランボルギーニの財務環境が一段と悪化してしまう。
結果、当初スケジューリングされていた1978年ジュネーブでの発表が事実上困難となってしまい、また、BMWからのランボルギーニ救済案もイタリア側に拒否されたこともあって、同年、ランボルギーニはあえなく破綻してしまう。
●「M1」は、完成度の高さが光る
BMWはやむなく、プロジェクトをドイツ側に引き上げて、組み立てを独バウア社に委託。翌1979年春のM1正式発表に漕ぎつけた。
しかし。一年の遅延はレース活動を念頭においたマシンにとって致命的な遅れであった。プロジェクト変更によって引き上がってしまった生産コストは販売価格の上昇も招いた。
参加カテゴリーの変更や販売不振などが重なって、最早、M1は行き場を失ってしまったかに思われた。
が、そこで編み出された起死回生のアイデアこそが、マックス・モズレーと組んだ、冒頭の“プロカー”シリーズだったのだ。これを足がかりに、ニキ・ラウダとロン・デニスのMP4プロジェクトが本格稼働し……、という歴史ストーリーはまた別のところで。
今となってみれば、M社がサプライヤーの力を借りつつも、ほぼ独力でMモデルの始祖というべきスーパーカーを生産したことは、ランボルギーニに全てを託したよりも、実り多き経験だったように思う(この事件の主人公であるランボルギーニやジウジアーロが今揃って独VWアウディの傘下にあることは、歴史の皮肉であろう)。
あまり知られていないことだけれども、特筆すべきは、M1に与えられた、ミドシップスーパーカーとしてのポテンシャルの高さである。
ダラーラという経験豊富なレース好きエンジニアが基本設計を担当したというだけはある。
そのことは、M1ロードカーをちょっとでも転ばしてみれば分かることだ。マシンのハンドリングレスポンスは、無駄な遊びなく、ソリッドに徹したもので、反応速度はシャープすぎず、常に適正内、手応えはいかにも自然で、まるでフロントアクスルを両手で抱え込んでいるかのようだ。
前後の重量バランスに優れ、ひらりひらりとコーナーをこなす様子も、ミドシップカーならではのパフォーマンスだ。M1に乗ってみると、なるほど、12気筒ミドシップなんてものはロードカーとして規格外=不合理なのだな、と痛感する。
それでいて、室内は実にシンプルで機能的、快適な空間を保っている。十分なラゲッジスペースまでリアに備わる。イタリアンエキゾチックとは一線を画すパッケージ思想を垣間みることができるだろう。いわば、モダンスーパースポーツの始祖、である。
BMWは、ホンダ「NSX」に遡ること10年以上も前に、実用スーパーカーを世に問うていたというわけだ。
このパッケージで、M88に倍の馬力(ノーマルが277bhpでグループ4は470bhp)を与えてくれていれば、小躍りしたくなるほどに楽しいスポーツカーになるはず。
生産台数、市販400台弱、レースカー60台前後。その価値、高騰中だ。
* * *
●BMW M1
ビー・エム・ダブリューM1
・全長×全幅×全高:4360mm×1824mm×1140mm
・エンジン:水冷直列6気筒DOHC
・総排気量:3453cc
・最高出力:277ps/6500rpm
・最大トルク:33.0kgm/5000rpm
・トランスミッション:5速MT
BMWの高性能モデル「M3」などのMモデルをつくる“M社”ってどんな会社? その歴史とは
■BMW新型M3&M4などはBMWの子会社 BMW M社が開発している
BMW新型「M3」とクーペモデルの新型「M4」が、日本で納車がはじまった。
このM3・M4など、BMWのMモデルをプロデュースしているのは、「BMW M GmbH(BMW M有限会社=以降M社)」という会社で、BMW AG(BMW株式会社=以降BMW)の100%子会社である。
BMWの本社はドイツ・ミュンヘン市内にあるが、M社の現在の本社は、ミュンヘン市内からミュンヘン空港に向かうアウトバーンの途中にあるガルヒングという場所にある。
BMW M社の設立は1972年で、当時は「BMWモータースポーツGmbH」という社名だった。そもそもはBMWのモータースポーツ部門を担当していたからだ。その後、レース用のエンジンの開発部門をイギリスに拠点を移したことから、1993年に現在の社名に変えた。もちろんM社のMにはモータースポーツの意味も含まれている。
M社の事業は5つの柱から成り立っている。
まずはMモデルの製作だ。M社が最初に手がけたスーパースポーツカー「M1」は1978年に誕生した。次のMモデルは、3シリーズ2ドアをブリスターフェンダーにして4気筒2.3リッターエンジンを搭載し、「M3」として1986年に登場した。
今では「M2」「M3」「M4」「M5」「M8」「X5M」「X6M」が揃い、サーキットを走るマシンで一般道も走れる、ということをコンセプトとしてそのイメージは定着している。これらは「M ハイパフォーマンスモデル」と呼ばれる。
これらは以前はM社の社内工場で作られていたが、いまはBMWの工場でノーマルのBMWと同じラインで流れている。これにより、多くの台数をこなせるようになった。
通常のBMWとMモデルの中間に位置するスポーティカーとして「M パフォーマンスモデル」も人気が高い。「M760Li」「X3M40d」など、各シリーズに用意されている。
ボディ、シート、カーボンパーツ、計器、エンジン、タイヤなど、Mモデル専用パーツが組み込まれていく。工場で製造する前の開発段階の企画、デザイン、テストなどはM社で独自開発される。BMWのデザイナーとは別に、M社のデザイナーもいる。
Mモデルの製作に付随して、1985年からMスポーツパッケージが始まった。これが2本目の柱になる。
ノーマルのBMW車でもっとスポーティな雰囲気を味わいたいという要望に応えて、車高を6mmから10mm下げたサスペンションを設定したり、Mデザインのホイールを用意したり、スポイラー類も用意している。薄い青色と濃い青色と赤色の斜めの3色カラー目印になっている。じつはこの3色の設定も途中で色が変わっていて、昔は青色、紫色、赤色だった。
■世界各国でドライバートレーニングも開催している
3つ目の柱は、1978年から始まったBMWドライバー・トレーニングで、今はBMWドライビング・エクスペリエンスと名称を変えている。
1970年代のドイツでは交通事故が多く、BMWはカーメーカーの立場から、安全なクルマの扱い方を広めるために開催した。
警察や軍隊などもこのトレーニングを採用し、保険会社もその効果を認め、受講者には保険料を割り引くなどの特典を設けた。半日コース、若者向けコース、ニュルブルクリンクのノルドシュライフェなどのレーストラックコース、スウェーデンやオーストリアのウインターコース、アフリカの砂漠を走破するコースなど、バラエティに富んだメニューを用意している。
またインストラクターのための高度なトレーニングも用意している。ちなみに日本では1987年11月と1988年3月にラウノ・アルトーネン氏が来日して試験開校し、1988年5月に筆者はインストラクター研修のために2週間ドイツに行った。1989年から一般のドライバーが参加できる正式開校したから、すでに30年以上の歴史がある。このように各国のBMWのインポーターが自国でBMWドライビング・エクスペリエンスを開催している。
4つ目の柱は1991年から始めたBMW Individual(BMWインディビデュアル)である。
オプションパーツでは対応しきれない、ユーザーの難しいオーダーを一手に引き受けてくれるのがインディビジュアルである。スペシャルオーダーのボディカラーを塗装してくれるのはもちろん、シートも革の種類や色、ステッチのカラー、刺繍も施すことができる。納車する国のレギュレーションに違反しない限りは対応してくれる。
ただし、オーダーにより半年から1年くらい待つ覚悟は必要になってくる。
5つ目の柱は、あまり知られていないが特殊車両の製作だ。
テロに巻き込まれても中の人が安全にいられるようにするためのセキュリティカーなどがその一例だ。分厚い窓ガラス、床下で爆弾が爆発しても耐えられるようにした丈夫なフロア板を張り、ボタンひとつで外部からの攻撃に耐えられるようにするスイッチもつく。ランフラットタイヤよりも強力な、パンクしないタイヤを履いている。「7シリーズ」が4トン車ほどの重量になるという。
* * *
こうしてM社の事業を見てみると、単にスポーティなクルマ、サーキットを走ることが得意なクルマだけを作っているだけではないということがわかる。
M社と立場が似ているのが、アウディのクワトロ社やメルセデス・ベンツのメルセデスAMG社である。クワトロ社はアウディ「RS」モデルや「R8」などを開発、AMG社はメルセデスAMGの各モデルを開発しているから、BMWのM社と同じ位置にいるようにみえる。ただしMモデルは、専用エンジンをつくるなどMモデル専用パーツを多数採用し、ノーマルモデルとはかけ離れた尖ったポジションにいるところが特徴になっている。
Posted at 2021/05/09 22:16:20 | |
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BMW | 日記
2021年05月09日
WRCが100%持続可能な燃料を採用。ハイブリッド導入の2022年に切り替えへ
WRC世界ラリー選手権は、ハイブリッドシステムを搭載したラリー1規定のクルマがデビューする2022年に合わせて、来シーズンから100%サスティナブル(持続可能)な燃料を採用することを発表した。この燃料はP1レーシング・フューエルズが独占供給する。
この発表に先立ちWMSC世界モータースポーツ評議会は4月19日に行われた電子投票で、同社が2022年からの3年間契約でシリーズの独占プロバイダーとなることを承認している。
WTCR世界ツーリングカー・カップにおいても今季から15%のバイオ燃料を供給するP1レーシング・フューエルズの専門家たちは、合成燃料とバイオ燃料の成分をブレンドした、化石を含まない炭化水素ベース燃料の製造に取り組んできた。この燃料はFIA国際自動車連盟が統括する世界選手権シリーズで使用される、高性能エンジンの動力源としては初めて登場するものだ。
WRCコミッションとFIAスポーティング・デパートメントは、地球環境に配慮した燃料を供給できる問題の回答者を徹底的に分析。その結果選ばれたのが、以下の主要な要素において総合的にもっとも優れた提案をしたとの評価を受けたP1レーシング・フューエルズだった。
・提案された燃料に含まれる、FIA基準に準拠した持続可能な要素の割合
・新しい燃料と既存のWRC技術仕様との“ドロップイン”互換性
・競技者にとっての1リットルあたりのコスト
・技術力
P1のチームは深い技術的知識、研究開発への取り組み、およびレースにおける30年の経験を結集させ、複数のモータースポーツシリーズに最先端のパフォーマンス燃料を提供している。
「FIAはモータースポーツとモビリティを低炭素の未来に導くことに力を注いでいる。ラリー1規定のハイブリッド技術とともに持続可能な燃料を導入することにより、2022年のWRC新時代に向けて大きな一歩を踏み出した」と語るのはFIAのジャン・トッド会長だ。
「環境はFIA目的主導型運動の重要な柱だ。今後もエネルギーパートナーと協力し、最高の技術的パフォーマンスと環境パフォーマンスを両立させていく」
P1レーシング・フューエルズのマーティン・ポピリカCEOは「モータースポーツは、モビリティの未来を形作るイノベーションが生まれる場であり続けた。これが、P1レーシング・フューエルズが完全に再生可能な最初の燃料をWRCのステージにもたらすことをとくに誇りに思っている理由だ」とコメント。
「当社独自の配合は、4年間の研究と革新の成果であり、レーシングテクノロジーの世界で初めてのことであると同時に、持続可能なモビリティの未来の一部としてカーボンニュートラルエンジンに向けた重要な一歩でもある」
WRCプロモーターのCEOであるヨナ・シーベルは次のように述べている。
「持続可能な燃料の背後にある技術は急速に変化している。したがって利用可能な最善のソリューションを見つけるために多くの努力が払われた。我々はその結果を誇りに思うことができる」
「高度なバイオ燃料と革新的な電子燃料コンポーネントの選択されたブレンドによって、WRCは日常生活にあるクルマと、持続可能なモータースポーツの真のリーダーとなる」
「WRCはこの革新的な燃料を生産車で実際の道路やあらゆる状況下で開発、および検証するためには非常に優れたプラットフォームだ。WRCのステージでこの燃料を使用することで学べるものは、最終的には世界中の道路利用者に利益をもたらすことができるだろう」
WRC、ハイブリッド導入の来季から100%持続可能な燃料を使用。FIAのチャンピオンシップでは初
世界ラリー選手権(WRC)は、来る2022年シーズンから100%持続可能な燃料を導入することを決定した。FIA管轄下のシリーズでは初の試みとなる。
今回の発表は、先月行なわれたFIAの世界モータースポーツ評議会における電子投票を受けてのことだ。
これによりP1レーシング・フューエルズが2024年末までの3年間にわたり、WRCに「最先端のパフォーマンス燃料」を独占提供することになる。
イギリス・ゴールウェイに本拠地を置く同社は、1リットルあたりのコストや、新燃料に含まれる持続可能性のある要素の割合など、「主要な要素を総合的に考慮し、競合他社と比較しても1番優れた提案をしていた」とFIAに評価された。
持続可能燃料の導入は、昨年11月に開始された3段階の入札手続きのうちの第1段階であり、他2つの要素としては、「2022年からWRCに導入される『ラリー1』規定のハイブリッドカー用プラグイン充電システムのブランド化」と、「サービスパーク用のクリーンエネルギーによる電力生成と供給」が残されている。
ラリー1規定では、1.6リッターのガソリンエンジンと電気モーターを組み合わせて使用する。二酸化炭素排出量を削減すると同時に、すでに市販車に搭載されている技術を使い、WRC参入を目指す自動車メーカーにアピールするといった狙いもある。
「FIAは、モータースポーツとモビリティを低炭素の未来へと導くことを約束する」とジャン・トッド代表は語る。
「ラリー1にハイブリッド技術と共に持続可能な燃料を導入することで、2022年から始まる世界ラリー選手権の新時代に向けて、大きな一歩を踏み出すことができる」
P1レーシング・フューエルズは、FIAヨーロッパラリー選手権からFIAワールドツーリングカーカップまで、様々な国際シリーズとすでに契約を結んでいる。同社のCEOマーティン・ポピルカは、WRCの新燃料開発は2017年から始まっていたと明かした。
「4年に及ぶ研究と革新の成果である独自の燃料配合は、レーステクノロジーの世界では初めての試みであり、持続可能なモビリティの未来の一部として、二酸化炭素を排出しないエンジンに向けた重要なステップでもある。」とポピルカは語る。
「革新的かつ持続可能なコスト効率の高い燃料を大規模に提供することは、モータースポーツ界だけでなく、自動車産業にとってもエキサイティングなことであり、二酸化炭素を排出しないクルマの量産化が現実に一歩近づいたことを意味している」
WRCプロモーターのCEOであるジョナ・シーベルは、化石燃料を使わない炭化水素ベースの燃料の実現に関わった関係者は「この結果を誇りに思うに違いない」と述べている。
「WRCは、この革新的な燃料を量産車で、実際の道路などあらゆる状況下で開発、検証するための非常に優れたプラットフォームになる。この燃料をWRCで使用することから得られる学びは、最終的に世界中の道路を使う人々の為に活かされるだろう」
Posted at 2021/05/09 22:05:30 | |
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自動車業界あれこれ | 日記