2021年08月03日
悲劇のスーパーカー「BMW M1」! イタリア+ドイツの最強コラボだったのに失敗した理由とは
BMWがスーパーカーに乗り出した驚異的マシン
戦後は高性能ツーリングカーメーカーとしての印象が強かったBMWが、突如スポーツカー(GTカー)の開発に乗り出したのは1976年のことだった。ただし、企画を手掛けたのは量産車部門ではなく、ヨッヘン・ニーアパッシュが率いるモータースポーツ部門だった。この車両こそ、現在はBMWのスーパースポーツカーとしてその名を残すM1(E26)である。
艶やかなシルエットフォーミュラに注力
モータースポーツ部門が開発を手掛けた量産車という点で興味深い車両だが、当時はツーリングカーの雄として自他共に認める存在だったBMWが、新たなフィールドとして目指したカテゴリーがスポーツプロトタイプカーによるメイクス選手権だった。当時のメイクス選手権は、1972年に制定された3Lプロトのグループ6規定で推移していたが、シリーズ自体の流れは衰退傾向にあり、心機一転を図ったFIA(国際自動車連盟)が、内容を一新したグループ5規定(シルエットフォーミュラ)を導入。こちらを冠タイトルの対象とすることでメイクス選手権の活性化を図る状態にあった。
M1が企画されたのはちょうどこうした時期のことで、グループ5カーとして勝てる内容、性能を盛り込む車両として計画は進められた。正確には、グループ4車両(連続した24カ月に最低400台以上の生産台数)として生産し、それをベースにグループ5化するという手順がBMWが意図した青写真だった。
実際のところ、量産車の生産には手慣れたBMWだったが、レーシングベースの少量生産車両は設計も量産車とは異なる視点となることから、車両設計は後にレーシングカーの設計で名を残すことになるジャンパオロ・ダラーラに、ボディデザインは付加価値の高いスーパースポーツカーらしくイタリアンカロッツェリアのイタルデザイン(ジョルジエット・ジウジアーロ)に、車両の組み立てはランボルギーニ社に、それぞれ依頼する体制でM1プロジェクトはスタートし、1977年に試作車が完成した。
日本レース界でもくさびを刺す猛威のM1
M1は、鋼板を組み上げたセミスペースフレームにFRP成形の外皮を被せ、直列6気筒エンジンをミッドシップマウントする構造が採られていた。 エンジンは直列6気筒4バルブDOHCのM88型を新規に開発。設計はポール・ロッシュで排気量は3453cc。クーゲルフィッシャー製のメカニカルインジェクションを装備し、277ps(量産仕様)、470ps(グループ4仕様)を発生する内容を備えていた。 しかし、生産を担当するランボルギーニ社での作業が大幅に遅延。BMWは7台のプロトタイプが完成した1978年4月の段階でランボルギーニ社との関係を解消。自社生産する体制に変更したが、すでにFIAがメイクス選手権の方針変更を決定した後で、M1によるグループ5カープロジェクトは行き場を失うカタチとなっていた。というのは、メイクス選手権の冠タイトルをグループ5にしたいというFIAの思惑は、あまりに強いグループ5カー、ポルシェ935の出現によって頓挫し、再び3Lプロトのグループ6規定に戻される経緯をたどっていたからだ。
実際、メイクス選手権から外れるかたちとなったグループ5規定は、ヨーロッパのレースフィールドからも姿を消す流れとなり、DRM(ドイツレーシングスポーツ選手権)が唯一の活動の場として残る程度だった。しかし、ここでもポルシェ935の優位は変わらず、M1は主導権を握れぬままレース活動を続ける状態だった。
意外に思われる方がいるかもしれないが、レース車両のM1が最も成功した国は日本で、オートビューレックが導入したM1は、スーパーシルエットレースや富士ロングディスタンスシリーズで好成績を収め、数少ないM1の成功例としてレース史にその名を残している。
堅牢NAエンジンが見せたターボ勢との死闘の数々
また、M1の心臓部となった直列6気筒3.5LのM88型エンジンは、性能が高く安定していること、壊れないこと、メンテナンスが容易であることなどから、その後耐久レース(WEC、WSPC)のグループC2カー用エンジンとして重宝がられ、フォード系V8エンジンと争いながらタイトルを掌中に収める成功を見せていた。 さらにM88型で培われた技術は、グループAレース(ETC、BTCC、JTCなど)の最終兵器として開発されたM3(E30)のエンジンに活かされることになる。
3453ccのM88型直列6気筒エンジンから2気筒分を切り落とすと排気量2302ccの直列4気筒となり、このエンジンがM3に搭載されたS14型エンジンそのものとなる。
自然吸気エンジンを使うことで、絶対パワーこそターボカーに及ばなかったが、バランスに優れたミッドシップシャーシはハンドリングで優位に立ち、ともするとターボラグの処理に手を焼くパワー第一主義のグループ5カーにひと泡吹かせる場面も多々あった。 今となっては、ジウジアーロデザインの流麗なクーペボディをまとい、レスポンスに優れたM88型エンジンと高剛性シャーシが生み出す次元の高い走りは、歴史に残る名車の1台であることは疑いようもない。
5000万円を切った! 悲運のスーパーカーBMW「M1」の北米での評価とは
■「512BB」ばりに高価だったBMW「M1」
クラシックカー/コレクターズカーを対象とするオークションの業界最大手「RMサザビーズ」が開催した、23回目を迎える恒例の「AMELIA ISLAND」オークションでの成約率は95.28%、総売り上げは4200万ドル(約43億円)を超える盛況ぶりを見せた。
このオークションでは、その成果を納得させるような素晴らしいクルマたちが出品されたのだが、今回VAGUEが注目した出品車両はBMWエンスージアスト垂涎の1台、1980年型の「BMW M1」である。
2020年春をもって生産を終えたプラグインハイブリッド・スーパーカー「i8」の登場までは、BMW史上唯一のミッドシップスポーツカーだった伝説のモデルBMW「M1」。
ドイツ製の量産スポーツカーのなかではもっとも美しく、もっとも速いクルマとなることが期待されたスーパーカーは、もともとランボルギーニと共同で開発し、FIAグループ5規約による世界スポーツカー耐久選手権において覇権を握っていたポルシェ「935」の牙城に挑戦しようとしていた。
この理知的ながら魅惑的なスーパースポーツは、高性能車に関するランボルギーニとBMWのノウハウを結集したものとされた。ボディデザインを担当したのは、イタルデザインのジョルジェット・ジウジアーロ。FRP製ボディパネルはイタリア・モデナの「イタリアーナ・レジーナ(Italiana Resina)」社。鋼管フレームは、同じくモデナの「マルケージ(Marchesi)」社。そしてアッセンブルは、サンタアガタ・ボロネーゼのランボルギーニ本社にゆだねられる予定だった。
ところが、このM1のプロジェクト推進に手間どり、投資を回収できなかったことが大きな一因となってランボルギーニは経営破綻。紆余曲折の末、生産はBMWとは縁の深い旧西ドイツの「バウア(Baur)」社に委託されることになってしまう。
また、パワーユニットも当初はBMW M社による新開発の4.5リッターV10を想定していたそうだが、こちらも方針を変更。同じBMW M社がツーリングカーレースに出場する「3.0CSL」のために開発した「M88」型3.5リッター直列6気筒DOHC24バルブエンジンを搭載することになった。
これらの混乱の収拾のため、M1のワールドプレミアは当初予定されていた1978年春のジュネーヴ・ショーから遅延となり、結局同年10月のパリ・サロンまでもつれ込むことになる。そして、最初の1台が顧客に納められたのは1979年の春。そして最後の1台の納車は、当初の予定から大幅に遅れた1981年7月までもつれ込むことになったのだ。
生産開始が遅れた上に、実に10万マルクという当時のフェラーリ「512BB」にも匹敵する高価格も相まって、総生産数はBMWの目論見を大きく下回る、ロードカー399台と、後述するレーシングバージョン56台の、総計455台(ほかに454台説、460台説、477台説などが存在する)に終わったという。
また生産スケジュールの遅れによって、生来の目的であったグループ5レギュレーションによる世界スポーツカー選手権参戦に必要なホモロゲートをようやく取得したころには、すでにグループ5規約は終焉を迎えつつあった。
こうして、悲運のもとに歴史の幕を閉じることになったBMW M1ながら、思わぬかたちでスポットライトを浴びることになる。1979年-1980年シーズンに、主にF1GPの前座レースとして、グループ4仕様に仕立て直したM1によるワンメイクレース「プロカー選手権」に供用されることになったのだ。
現在のF1GPでは考えられないことだが、このプロカー選手権ではF1を走るドライバーの多くがM1プロカー仕様に乗って参戦。1979年シーズンはニキ・ラウダ、1980年シーズンはネルソン・ピケが年間タイトルを獲得し、BMWが予想していた以上の成果を得た。
この輝かしいヒストリーに生産車両の希少性が相まって、いまなおBMW M1をして「レジェンド」としているであろう。
■「M1」に下された予想外の落札価格とは
RMサザビーズ「AMELIA ISLAND」オークションに出品されたBMW M1は、まばゆく輝くホワイトのボディに、ブラックのレザー/ファブリックのコンビ内装の組み合わせ。1980年5月27日にラインオフし、当初は西ドイツ(当時)国内フランクフルトのBMWディーラーに販売されたとのこと。
車両に添付された登録証のコピーによると、1980年9月16日に最初のオーナーが経営するエレクトロニクス関連企業の名義で登録されたことが示されている。
●極上コンディションながら、安価な約4572万円で落札
1984年11月、このM1はアメリカ合衆国に上陸を果たす。カリフォルニア州サンタアナの専門業者によって、合衆国での登録と排出ガスの変更が完了した。アメリカでの使用に合わせたマイル表示の速度計を含むメータークラスターは、この時点で交換されたと考えられているようだ。
それから3年後となる1987年、このM1はカリフォルニア州ロサンゼルス在住のエンスージアストから、今回のオークション委託者である現オーナーに譲渡されたのち、入念なメンテナンスを受けつつ、時おりのドライブに供されてきたようだ。
そして2018年以来、現オーナーは愛車のリフレッシュを決意した。北米ノースカロライナ州グリーンズボロのクラシックBMWスペシャリスト「コーマン・オートワークス(Korman Autoworks)」社によってコンプリートされた注目すべき作業には、オリジナルの燃料タンクの取り外しと改装、調整の難しさで知られるクーゲルフィッシャー機械式燃料噴射システムのオーバーホールなども含まれ、5万ドル以上の費用が贅沢に投下されたという。
また追加のサービスとして、ブレーキシステムと電気系にも同様のレベルのケアが施されている。もちろんクーラントや油脂類もフラッシングののちに交換し、フィルター類もすべて取り替えられた。インテリアでもスピーカーの新調を含むリフレッシュが図られるとともに、細心の注意を払って再調整が施されたとのことである。
さらに2019年10月、コーマン・オートワークス社は自社ファクトリーにてBMW純正カラーのホワイトでリペイント。ジウジアーロのデザインによる独特かつ魅力的なスタイルのアロイホイールもレストアし、ミシュラン社製パイロットスポーツと組み合わせた。
そして現在、30余年ぶりにマーケットに現れることになったこのM1は、ナンバーマッチングのエンジンと、新車時から残されたマッチングのスペアホイールにサービス請求書、ヒストリーを示すドキュメントの存在を確認する「BMWクラシック」発行の証明書が添付されている。
また、委託者のコレクション内で追加されたマイレージ(走行距離)は、3075マイルに満たないとのことである。
RMサザビーズ社の調査によると、アメリカに輸出されたM1はかなり少数とのこと。それゆえ北米のBMWエンスージアストの間では、常に渇望されるアイコン的な1台なのだ。
そんなM1ゆえに、2010年代中盤の最盛期には、100万ドル(約1億円)越えも散見され、新型コロナウイルス禍の現在にあっても、高級クラシックカー・ディーラーなどでは6000万-7000万円の正札が付けられるのが通例となっている。
ところが、今回のアメリア・アイランド・オークションでは41万7500ドル、日本円に換算すれば約4572万円で落札されることになった。
この落札価格は近年の各オークションにおける結果、あるいは現在の国際マーケットに流通しているM1たちと比べても相当にリーズナブルといえる。また、来歴・コンディションともに申し分のない人気モデルでありながらも、時には予想外に安価な価格で入手できることもあるオークションの面白さを、図らずも提示する結果となったともいえるだろう。
Posted at 2021/08/03 21:52:19 | |
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BMW | 日記
2021年08月03日
BRX、プロドライブ・ハンターを再設計。“T1+”として2022年ダカールラリーに投入
バーレーン・レイド・エクストリーム(BRX)は7月29日、FIA国際自動車連盟が最近発表したT1+新レギュレーションに対応するため、同チームが用いるラリーレイドカー『プロドライブ・ハンター』の再設計を行ったとアナウンスした。
ダカールラリーの新しい規則であるT1+は、T1-Eと並ぶトップクラスに該当。この新レギュレーションは、T1クラス内の4輪駆動車と2輪駆動車のパフォーマンスのバランスをとるために導入されたもの。
T1+に対応する新しいマシン『プロドライブ・ハンターT1+』はより大きなタイヤを履き、サスペンションのストローク量が増え、さらに全福が拡大される。
具体的には、四駆のハンターはこれまで16インチリムに32インチのタイヤが装着されていたが、17インチに37インチタイヤを履くことに。また、サスペショントラベルは280mmから350mmに拡大され、ボディの全幅も2000mmから2300mmへとボリュームを増した。
これらの変更にともない、ハンターではドライブトレインやサスペンション、ボディワークにいくつかの重要な改修を行う必要が出てきた。サスペンションのジオメトリーは延長したウィッシュボーンとダンパーで再構成され、17インチホイールにはより大きなブレーキが装着された。
また、タイヤが大きくなるとドライブトレインの負荷が大きくなるため、ドライブシャフトやプロペラシャフトに加えてデフも変更されている。さらにワイドトラック化にともない、ボディワークのほぼ半分がハンターのオリジナルの外観を維持しながら新しい規則に合うように再設計された。
この他、プロドライブはフロントスクリーンサイズを拡大し、この機会にドライバーの視界を改善する新しいプログラムを組み込んだワイパーモーターを採用。搭載するジャッキも軽量化と高強度化を図るだけでなく、クルマをより早く持ち上げられるよう改良され、これには信頼性を高めるために電動ポンプが採用されている。
「(2WDの)バギーと4輪駆動のT1車とのレギュレーションの違いによって、大きなタイヤを装着する側が不整地での走行が有利になっていたが、主催者がこれを解決してくれたことを非常にうれしく思っている」と語るのは、BRXのチーム代表であるガス・ベテリ。
「我々は今年のデビュー戦で多くのことを学んだ。これらすべての学習をクルマの改良に活かし、新しいハンターT1+は大きく前進したと信じている」
「(来年)1月にサウジアラビアに戻り、ダカールラリーでの勝利に挑戦することを楽しみにしているんだ」
その新型ハンターT1+の最初のクルマは現在、イギリスのプロドライブ本社で製造されており、9月に初走行が実施される予定だ。同マシンは世界選手権化が発表されているFIAクロスカントリーイベントや、その開幕ラウンドとなる2022年のダカールラリーに参戦するためのマシンとして、カスタマー向け販売も行われる。
なお、現行型のハンターは先週末、バハ・アラゴンで最後のラリーを戦い、全11セクター中8つのセクターでベストタイムを記録するなどそのスピードを発揮。終盤のパンクとサスペンショントラブルによって勝利を逃したセバスチャン・ローブが総合7位、チームメイトのナニ・ロマが総合5位でフィニッシュした。
アウディが電動マシン「RS Q e-tron」で2022年1月ダカールラリーに挑戦
7月23日(現地時間)、アウディは、最初のコンセプトが発表されてから1年に満たない異例の早さでRS Q e-tronの走行テストを開始し、このモデルで、2022年1月に開催される国際的なラリーイベントである、ダカールラリーに参戦することを発表した。
アウディは、電動ドライブトレインと効率的なエネルギーコンバーターというユニークな組み合せを使用し、世界でもっとも過酷なラリーで内燃エンジン搭載モデルと競い、総合優勝を目指す世界初の自動車メーカーになりたいと考えている。
Audi Sport GmbHマネージングディレクター 兼 Audi Motorsport責任者のユリウス シーバッハ氏は、次のように述べている。
「アウディはquattroで、世界ラリー選手権に一大革命をもたらしました。また、電動化したドライブトレインでル・マン24時間レースを制した最初のブランドとなりました。今回、アウディはダカールラリーに参戦して、新しい時代の到来を告げたいと考えています。その一方で、ダカールラリーへの参戦は、過酷な条件下で私たちのe-tronテクノロジーをテストし、さらなる開発を推進する舞台にもなるでしょう。Audi RS Q e-tronは、アウディのスローガンである“Vorsprung durch Technik”(技術による先進)に基づき、まったく白紙の状態から記録的に短い時間で製作されました」
ダカールラリーへの参戦は、アウディのエンジニアにとって、大きな挑戦となる。このイベントは2週間続き、毎日のステージの走行距離は最大800kmにも及ぶ。
Audi Sportダカールプロジェクト責任者のアンドレアス ルース氏は次のように語っている。
「ダカールラリーは、非常に長い距離で争われます。私たちがやろうとしていることは、まだ誰も挑戦したことがありません。これは、電動ドライブトレインにおける究極の挑戦といえるでしょう」
砂漠には充電ステーションはないため、アウディは革新的な充電コンセプトを選択した。RS Q e-tronは、ドイツツーリングカー選手権(DTM)で採用されている非常に効率的なTFSIエンジンを搭載。これは、走行中に高電圧バッテリーを充電するエネルギーコンバーターの一部を構成している。この内燃エンジンは、もっとも効率的な4,500~6,000rpmの範囲で作動するため、その燃料消費量はkWhあたり200グラムをはるかに下回る。
RS Q e-tronは、電気モーターで駆動するため前後アクスルには、それぞれ最新のAudi e-tron FE07 フォーミュラEマシンのモータージェネレーターユニット(MGU)が搭載されている。これは、2021年シーズンを戦うために、Audi Sportが開発したものである。このMGUは、わずかな変更を加えるだけで、ダカールラリーで使用することが可能になった。
まったく同じ設計の3番目のMGUは、エネルギーコンバーターの一部として、走行中に高電圧バッテリーを充電するために使用する。さらに、制動時にもエネルギーを回生する。バッテリー重量は約370kgで、容量は約50kWh。
Audi Sportモータースポーツプロジェクト開発担当責任者のステファン ドライヤー氏は次のようにコメントしている。
「バッテリーは、パートナー企業と共同で独自に開発しました。私たちエンジニアは、基本的にすべてのコンポーネントに開発の余地が残されていると考えています。しかし、ドライブトレインシステムに関しては、フォーミュラEですでに97%を超えるシステム効率を達成していますので、これ以上の改善の余地はありません。しかし、バッテリーとエネルギーの管理では状況がまったく異なります。これは、eモビリティの開発において、最大の可能性が秘めている分野です。極めて過酷なダカールラリープロジェクトから得られたノウハウは、将来の市販モデルへとフィードバックされます。いつものように、私たちはこのプロジェクトでも、市販モデルの開発スタッフと緊密に協力しています」
電動ドライブトレインの最大システム出力は500kW。ダカールラリーで、どの程度の出力が認められるのかは、現在主催者が最終調整を行っている。電動ドライブトレインには、数多くの利点があり、電気モーターは非常に正確に制御できるため、優れたドライバビリティを実現。さらに、制動エネルギーを回生することもできる。
RS Q e-tronには、1速の前進ギアが搭載されている。一般的な電気自動車と同様、フロントアクスルとリヤアクスルは機械的に接続されていない。そのため、アウディは、前後アクスル間のトルク配分を制御し、自由に設定可能なバーチャル センターディファレンシャルとして機能するソフトウェアを開発した。これによって、プロペラシャフトや機械的なディファレンシャルを搭載する必要がなくなり、重量とスペースを削減できるという2次的なメリットが生み出されている。
RS Q e-tronは、視覚的にも、従来の内燃エンジンを搭載したダカールプロトタイプと大きく異なっている。アウディ モータースポーツデザイン チームリーダーのフアン マヌエル ディアス氏は、次のように語っている。
「このクルマは、未来的な外観を備え、アウディならではの多くのデザインエレメントが採用されています。私たちの目的は、“Vorsprung durch Technik”および未来のアウディブランドを象徴するデザインを生み出すことです」
ダカールラリーへの参戦は、「Q Motorsport」と協力して行なわれる。チーム代表のスヴェン クヴァント氏は、次のように述べている。
「アウディは、常にレースで新しい大胆な道を選んできました。今回のクルマは、私がこれまで見た中でもっとも高度なクルマの1台だと思います。電動ドライブトレインは、多くの異なるシステムが相互に通信する必要があります。ダカールラリーでもっとも重要な信頼性に加えて、これは今後数ヶ月における私たちの最大の課題となるでしょう」
クヴァント氏は、アウディのダカールプロジェクトを、最初の月面着陸と比較して次のように続けた。
「その当時のエンジニアは、何が起こるのか、まったく予想がつきませんでした。今回も同様です。最初のダカールラリーで完走することができれば、私たちのプロジェクトは成功したと言えるでしょう」
RS Q e-tronプロトタイプは、7月初旬にノイブルクで最初の走行テストが行なわれた。今後、年末までの間に、集中的なテストプログラムとクロスカントリーラリーへの最初のテスト参戦が計画されている。
アンドレアス ルースは、次のように付け加えている。
「このプロジェクトのスケジュールは非常にタイトですが、その分やりがいがあります。プロジェクトが正式に開始されてから、まだ1年も経過していません。私たちは、代替エネルギー車に関するレギュレーションがまだ確定していない段階から開発を始めなければなりませんでした。そして、開発の途中で新型コロナウイルス感染症のパンデミックが発生しました。この影響を過小評価してはなりません。私たちのチームは、類まれな開発作業を達成したのです。そのため、このクルマで走行テストを開始できたことは、チーム全員にとって特別な瞬間でした」
関連情報:https://www.audi.co.jp/jp/web/ja.html
構成/土屋嘉久(ADVOX株式会社 代表)
【未来の技術の実験室】アウディRS Q eトロン ダカールラリー参戦 内燃車へ挑む
RS Q eトロンでダカールラリー参戦
text:AUTOCAR JAPAN編集部
アウディ・スポーツは、RS Q eトロンの走行テストを開始。このモデルで、2022年1月に開催される国際的なラリーイベントのダカールラリーに参戦に挑むと発表した。
アウディは、世界でもっとも過酷なラリーで内燃エンジン搭載モデルと競い、総合優勝を目指す。
アウディ・スポーツGmbHマネージングディレクター兼アウディ・モータースポーツ責任者のユリウス・シーバッハ氏は、次のように述べた。
「アウディはクワトロで、世界ラリー選手権に一大革命をもたらしました。電動化したドライブトレインでル・マン24時間レースを制した最初のブランドともなりました」
「今回、アウディはダカールラリーに参戦して、新しい時代の到来を告げたいと考えています」
走行中に高電圧バッテリー充電可能
ダカールラリーは2週間続き、毎日のステージの走行距離は最大800kmにも及ぶ。この過酷なレースに挑むマシンは、最初のコンセプトが発表されてから1年に満たない異例の早さで走行テストをクリアした。
砂漠には充電ステーションはないため、アウディは充電コンセプトを選択したという。
アウディRS Q eトロンは、ドイツツーリングカー選手権(DTM)で採用されている非常に効率的なTFSIエンジンを搭載。走行中に高電圧バッテリーを充電するエネルギーコンバーターの一部となる。
この内燃エンジンは、もっとも効率的な4500-6000rpmの範囲で作動するため、その燃料消費量はkWhあたり200gをはるかに下回るという。
RS Q eトロンは、電気モーターで駆動される。前後アクスルには、それぞれ最新のeトロンFE07フォーミュラEマシンのモータージェネレーターユニット(MGU)が搭載されている。
2021年シーズンを戦うために開発されたMGUにわずかな変更を加えるだけで、ダカールラリーで使用することが可能になったという。
これらとまったく同じ設計の3番目のMGUは、エネルギーコンバーターの一部として、走行中に高電圧バッテリーを充電するために使用される。制動時にもエネルギーを回生する。
バッテリー重量は約370kg、容量は約50kWh。電動ドライブトレインの最大システム出力は500kW。
ダカールラリーで、どの程度の出力が認められるのかは、現在主催者が最終調整をおこなっているという。
アウディ 未来の技術で先頭を走る
ダカールラリーへの参戦は、「Qモータースポーツ」と協力しておこなわれる。
チーム代表のスヴェン・クヴァント氏は、次のように述べた。
「アウディは、常にレースで新しい大胆な道を選んできました。今回のクルマは、わたしがこれまで見た中でもっとも高度なクルマの1台だと思います」
「電動ドライブトレインは、多くの異なるシステムが相互に通信する必要があります。ダカールラリーでもっとも重要な信頼性に加えて、これは今後数か月におけるわたし達の最大の課題となるでしょう」
RS Q eトロン・プロトタイプは、7月初旬にノイブルクで最初の走行テストがおこなわれ、今後、年末までの間に、集中的なテストプログラムとクロスカントリーラリーへのテスト参戦が計画されているという。
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