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2021年09月17日 イイね!

ニュルの女王って異名は伊達ではないね…

ニュルの女王って異名は伊達ではないね…ニュルブルクリンクが3月に亡くなったザビーネ・シュミッツに敬意を表しT13コーナーに命名

 2021年3月21日、2017年からがんと闘病し、51歳の若さで亡くなったレーシングドライバーであり、フリカデッリ・レーシングの共同オーナーでもあったザビーネ・シュミッツ。名実ともに『ニュルの女王』として君臨した彼女に敬意を表し、ニュルブルクリンクはグランプリコースからノルドシュライフェに入るトリビューン13を『Sabine-Schmitz-Kurve(ザビーネ・シュミッツ・カーブ)』と名づけた。

 ザビーネ・シュミッツは、ニュルブルク近郊の町アーデナウで生まれ、母がニュルブルクでホテルを経営していることもあり、幼少からニュルは彼女にとってまるで2つ目のリビングルームのような存在だった。

 そんなザビーネは、若い頃からツーリスト走行枠で毎日のようにノルドシュライフェを走り、やがて乗客を乗せて走る『リンクタクシー』のドライバーとして数多くのツーリストを載せ、迫力ある走りで乗客たちを楽しませた。

 さらに1996年にはBMW M3を駆り、ニュルブルクリンク24時間史上初となる女性ドライバーの総合優勝に輝き、その翌年には連覇を成し遂げ、名実ともに『ニュルの女王』として君臨。その記録はまだ他の女性ドライバーの誰にも破られていない。

 その愛くるしい笑顔と気さくな人柄で、世界中のファンから愛され、ニュルブルクリンクに長年貢献した彼女だったが、2017年からがんを患い、3月21日に51歳の若さで亡くなったザビーネ。彼女に敬意を表し、ニュルブルクリンクはグランプリコースからノルドシュライフェに入る左コーナーのトリビューン13を、『ザビーネ・シュミッツ・カーブ』と命名することになった。

 NLSニュルブルクリンク耐久シリーズ第7戦前日の9月10日には、ニュルブルクでホテル『ティアガルテン』を経営するザビーネの母と、ザビーネの夫でありフリカデッリ・レーシングのオーナー兼ジェントルマンドライバーとして活躍するクラウス・アッベレンら家族とニュルブルクリンクの関係者が集い、新設されたザビーネ・シュミッツ・カーブの看板の序幕式が行われた。

 新型コロナウイルス感染拡大防止のために事前告知は行わず、ファンやレース関係者の出席は見送られ、近親者のみの参列となったが、「このような素晴らしい栄誉と機会にニュルブルクリンクに心から感謝するとともに、彼女は私たちみんなの心の中だけではなく、まるで彼女のリビングルームでもあるニュルのノルドシュライフェにしっかりと根づき、この地で生き続けているだろう」と遺族は感謝の言葉を述べている。
Posted at 2021/09/17 23:20:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2021年09月17日 イイね!

エンジンが4G63だったり左ハンドルだったりと特別な車だったんだな〜

エンジンが4G63だったり左ハンドルだったりと特別な車だったんだな〜『ミツビシFTO』異色のFF+ターボエンジンで強烈な印象を残したGTマシン【忘れがたき銘車たち】

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、全日本GT選手権に参戦した『ミツビシ FTO』です。

* * * * * *

 多彩な車種がバトルを繰り広げるのが魅力のスーパーGT GT300クラス。現在、ランボルギーニやフェラーリなどのスーパーカーから、トヨタ・プリウスといったハイブリッドカーまで、バラエティ豊富なマシンがGT300には出走している。

 遡ること1990年代、全日本GT選手権(JGTC)黎明期からGT300は、現在に負けず劣らずのバリエーションの豊かさを誇っていた。今回は、そんな1990年代のGT300クラスを彩った異色の1台、ミツビシ FTOを紹介する。

 ミツビシ FTOと聞くと、世代によってはギャランクーペFTOのほうを思い浮かべてしまう方もいるかもしれないが、JGTCに参戦したのは無論、ギャランFTOはなく、その名を受け継ぎ、1994年に登場したモデルのことだ。そんなFTOがJGTCのGT300クラスに参戦したのは、市販車のデビューから約4年後、1998年のことであった。

 このFTOの参戦にあたって、企画・統括をラリーアートが担当した。マシンの製作・メンテナンスは、かつてグループA時代にスタリオンを手がけていたノバ・エンジニアリングが務め、エンジンメンテナンスはF3などでミツビシのエンジンを多数チューンしてきたHKSが担うなど、かなり豪華な体制でのエントリーとなった。

 さらに、マシンが纏うエアロを市販車のFTOをデザインしたデザイナーが手がけるなど、三菱自動車自体の息がかかったプロジェクトでもあった。

 そんなGT仕様のFTOは、大きくふたつの特徴があった。まず、左ハンドルを採用していたこと。これはエンジンが若干右側にオフセットされているために重量バランスを考えての選択であった。

 そして、もうひとつがエンジン。市販車では2.0リッターV6の6A12型を積んでいたが、GTではランサー・エボリューションなどに採用されている2.0リッター直4ターボの4G63型を搭載した。

 4G63型の大きなパワーとトルクは“武器”と言えたが、それを前輪2輪だけで伝えるというのは、不利になるのではとも思われた。しかし、装着するトーヨータイヤの開発もあり、FTOはデビュー戦からいきなり速さを見せる。

 1998年のJGTC開幕戦。鈴鹿サーキットで開催されたこのラウンドでFTOは、予選2番手を獲得。決勝で他車との接触があったものの、見事3位表彰台に登壇し、デビュー戦からそのポテンシャルの高さをアピールした。

 その後も第3戦、第6戦をポイントをゲットし、最終戦SUGOではシーズン最上位となる2位でフィニッシュ。最終的にドライバーズランキング5位という上々のリザルトで初年度を終えた。

 続く1999年。開幕戦の舞台は、昨年に引き続き鈴鹿。レースはウエットとなったものの、昨年同様の速さを発揮して、2位でチェッカーを受け、幸先のいいスタートを切る。

 その翌戦、第2戦富士ではフラットボトムとなったニューボディを投入。投入初戦こそ結果が残らなかったが、第3戦SUGO以降は第4戦を除いてすべてのレースでポイントを獲得した。だが、ドライバーズランキングは前年よりひとつ順位を落とし、6位という結果に終わった。

 こうして2年連続で好調な走りを見せていたFTOだったが、1999年いっぱいで活動を終了。わずか2年間という参戦期間であったが、他車に比べて不利なFF、そしてターボエンジンという異色のパッケージングながら見せた速さで、強烈な印象を残したGTマシンであった。



GT300よりもJGTCの頃の方が異種格闘技って感じの方が個人的には好きかもw
Posted at 2021/09/17 23:18:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記

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