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2021年12月04日 イイね!

34歳の若さで亡くなってしまったんだもんな…完治して2004年シーズンにスバルで復活してくれるのを楽しみしていたのだけど

34歳の若さで亡くなってしまったんだもんな…完治して2004年シーズンにスバルで復活してくれるのを楽しみしていたのだけど元WRC王者、リチャード・バーンズへの想い 友人が語る素顔 世間との「ギャップ」も

写真家コリン・マクマスターが語る「特別な存在」

リチャード・アレクサンダー・バーンズ。バーンジー。RB。リチャード。新進気鋭のラリードライバーだった1994年に初めて会ったときから、2005年に亡くなるときまで、世界チャンピオンであり、またそれ以上の存在でもあった彼のことを、わたしは光栄にもそのように呼んでいた。

わたしは彼の追悼式でスピーチをした。できれば、彼がわたしにしてくれたことへの恩返しとして、最愛の女性であるゾーイとの結婚式でスピーチをしたかった。

しかし、それは叶わず、リチャードはわずか34歳で脳腫瘍のために亡くなった。いつものように、リチャードは素晴らしい闘いを見せていたが、彼でさえ病に勝つことはできなかった。亡くなった日は、4年前にタイトルを獲得した日と同じ11月25日であった。

この残酷な皮肉は、彼とコ・ドライバーのロバート・リード、そしてスバル・チーム全員が2001年に達成した幸せな思い出に暗い影を落としている。リチャードはパーティーが大好きで、その気になれば誰も彼を止めることはできなかった。ここではその思い出に敬意を表して、彼を正当に評価し、本人が少し恥ずかしがるであろう話をいくつか紹介したいと思う。

誰よりも努力して掴んだシルクのような走り

世界タイトルの獲得は、リチャードの夢の集大成だった。わたしは、この夢は他の誰よりも努力したことで実現したものだと強く信じている。彼が費やした多くの時間と努力を、わたしは目の当たりにしてきたからだ。

出会って間もなく、わたしと当時のガールフレンドは、リチャードと彼のガールフレンドと一緒に、コッツウォルズの端にあるオディントンという村の、美しい納屋を改装したシェアハウスで暮らし始めた。その後、オックスフォード郊外のキドリントンに移り、リチャードとわたし(当時は独り身同士)の2人で住むようになった。レースやラリーのドライバーたちと過ごす機会が多かったのだが、そのおかげで、彼らの間にある大きな違いを知ることができた。

競技ドライバーはひたむきな人が多いが、リチャードは絶対的に熱心で、向上のためには何でもした。例えば、ペースノートをもっと速くするために常に改良を加えようとしており、テレビ制作会社からすべてのオンボード映像のテープを取り寄せ、かなりの時間を費やして研究していた。リチャードと同じような才能を持っている人は少ないかもしれないが、彼をトップに押し上げたのは純粋な努力だった。彼は誰よりも努力し、自分のドライビングや走行したステージを詳細に分析し、ひたむきに上を目指した。

そして、満足したときだけ、大好きなテレビ番組「ザ・シンプソンズ」を観ていた。その努力の一例が、独自の分割ペースノート・システムだ。彼とコ・ドライバーのロバート・リードは、すべてのコーナーを「入口」「頂点」「出口」の3つの部分に分解した。ここまで細かく処理するのは非常に難しいことだったが、彼らは見事にそれを実現した。

彼らはそのようなチームであり、霧の中でライバルが視界を奪われる走る中、まるで目が見えるかのようにタイムを出し続けた。無敵だった。ロバートはルートを正確に描写することができた。リチャードも彼を全面的に信頼していたし、言われたことをすべて受け入れる能力があったからこそ、タイムを更新することができたのだ。知性、スピード、勇敢さ……すべてを兼ね備えたパートナーシップだ。

しかし、その速さに見合う評価を得られないこともあった。彼をレンズ越しに見てきたわたしは、とんでもなく速かったと確信している。キャリアにおけるステージ最速タイムの統計がそれを物語っている。ハンドルを握る彼の芸術性を真に評価するには、多少の理解があれば十分だ。彼のスタイルはシルクのように滑らかで、コーナー出口ではライバルよりもはるかに高いスピードを出していた。フィンランドのような、超高速で正確さが求められるラリーでは、それがよくわかる。ここ数年は、リチャードだけが地元の人たちと互角に戦えていた。

もちろん、そのスタイルはコリン・マクレーとほぼすべての点で対照的だった。1990年代後半から2000年代前半にかけての世界ラリー選手権は、英国人にとって素晴らしい時代だった。わたしのカメラのレンズを通すと、コリンは常に華々しく大胆に見えたが、リチャードはそうではなかった。彼は自分なりの速い走り方を持っていて、効果的ではあるが、必ずしも目を見張るものではない。

その対決はメディアにも及び、コリンはクルマを降りると自発的に自分の意見を述べた。けれど、2人とも根っからのシャイな性格で、数年後にはお互いに頂点に立っており、わたしは最高の友人だと感じていた。悩みの種は、初期の頃、出世街道を歩んでいたコリンの弟アリスターがリチャードに押されて苦戦していたことだ。困ったことに、コリンは自分を抑えることができずにメディアを巻き込み、その過程でリチャードを巻き込んでしまったのだ。わたしも、メディアではコリンに負けていたと思うが、ステージでは別の話である。

コリンとリチャードの仲の良さは、何度も自分の目で確かめた。2002年に南アフリカで行われたスコットランド人ラリードライバー、ロビー・ヘッドの結婚式での2人の様子は、わたしにとって最も幸せな思い出の1つだ。彼らはケープタウンの巨大な賃貸住宅を共有しており、結婚式の1週間前からパーティーの拠点となっていた。お互いの尊敬と友情は誰の目にも明らかだった。

世間には見せなかった王者の素顔とは

リチャードはとてもポジティブで、一緒にいるととても楽しい人だったので、このような一面が世間に知られることがなかったのは残念だ。しかし、彼の周りには常に仲間や友人、そして少数の取り巻きがいて、それが彼をよそよそしく、飄々とした難物に見せていることもあった。

ラリーで厳しい状況に陥ったときは、ネガティブな印象を与えることがあった。彼は世界チャンピオンになりたいという前向きな気持ちと決意を持っていたが、人々は彼の性格を気分屋だと捉え、それが報道されるとリチャードを苛立たせ、さらに引きこもろうとしてしまう。あれは本当のリチャードではない。

本当のリチャードは、初期の頃、レース終了後に「The Fox」というパブに顔を出して、地元の人たちに最新の成功体験を語って楽しませていた男だ。あるいは、パーティーの中心にいて、みんなが自分と同じように楽しんでいるかどうか確認していた男だ。

男性としても魅力的であった。寝室が彼の部屋の下だった人だけが自信を持って言えることだ。やがて彼は落ち着くようになったが、暇さえあればスパナを持ってラリーカーの下に潜り込んでいたレディング出身の少年は、最初の数年間で女性について多くのことを学んだと言っていいだろう。

彼は量産車にも造詣が深く、996世代のポルシェ911 GT3や1967年式のシボレー・カマロSSなどがお気に入りだったと記憶している。

慎重なところもあり、お酒を飲むときは自分の限界を知っていた。路上で誰かに煽られたとしても、模範的なドライバーであった。「リンフォード・クリスティ(陸上競技選手)は店まで走らない」といつも言っていた。でも、彼がチャールベリー近郊で事故を起こした後、近所の人たちに砂利道に浮いた油膜を掃除させられたことはよく覚えている。

それから、わたしの結婚式のときのことも忘れられない。南アフリカに24人の友人を連れて出かけ、観光用にクルマを手配したのだが、リチャードが喜んで運転手を務めてくれた。ある大きな自然保護区で砂利道を走っていると、仲間の1人であるアマチュアのラリードライバー、リチャード・ストードリーが、もう1台のクルマで彼と競争しようとしたのだ。そのせいで砂埃が舞い上がり、動物はちっとも見られなかった。

リチャードは気遣いもできる人だった。お隣さんが白血病と診断されたときも、12歳の娘さんの学校の送り迎えを申し出た。辛い時に娘さんが笑顔になってくれるということで、彼はとても喜んでいた。それがリチャードだった。

あと気前がいい。モンテカルロ・ラリーはいつも彼の誕生日と重なっており、前日にお祝いのディナーを抜くことはなかったが、彼がお金を払ってくれるのだ。カメラマンの目の前でそんな姿を見せるのはリスキーだが。

いつまでも大切にしたい友人との思い出

気前は良かったが、時々、初期の頃の節約癖が出てしまうことがあった。1998年頃、キャリアは飛躍的に伸び、彼は自分の家を買った(わたしの家から約30mのところだ)。そして信じられないことに、自分で家具を運ぶことにしたのだ。これが大失敗。彼をマットレスごとBTCCレーサーのジェイソン・プラートのワゴン車に乗せ、縛って固定するハメになった。

そして何より、彼が愛してやまない家族がいた。彼の一番のファンだった祖母にはラリーのたびに話をしていたし、祖父が亡くなってからは結婚指輪をネックレスにして身につけていた。実はこれ、2000年にフィンランドでクラッシュしたときに外れて窓の外に飛んでいってしまったのだが、とても大切なものだったので、見つけるまで下草や倒木をかき分けて探した。

父アレックス・バーンズとの関係も極めて親密なものだった。アレックスの存在は、リチャードの下積み時代の原動力であり、WRCでもよくそばにいた。リチャードがマーガムパークで世界チャンピオンになってクルマから降りたとき、最初に抱きしめたのが父親だった。

その週末には、仲間が世界チャンピオンの写真を何枚も撮っていた。当時、わたしはまだフィルムで撮影していたので、道具を持ってナイトクラブに行く前にかなりの準備が必要だった。ダリオとマリーノのフランキッティ兄弟も来ていて、盛大なパーティーが開かれていた。リチャードはロープで囲まれたVIPエリアに陣取っていたので、わたしは彼と2、3杯飲んでから、満員のダンスフロアに繰り出した。

不在が目立ったのはコリンで、彼は序盤で帰ってしまったのだが、リチャードに電話でお祝いを伝えていた。また、リチャードがカルロス・サインツからのメールを見せてくれたのも覚えている。「Welcome to the club」とだけ書かれていたが、それだけで十分だった。

これが、わたしが大切にしている思い出だ。リチャードが若くして亡くなっていなかったら、そのキャリアがどうなっていたかはわからない。WRCの競争が激化し、スバルの競争力が弱まりつつある2004年にスバルに復帰する予定だった。彼の心はダカールやラリーレイドに向いていたと思うし、若手ドライバーのマネージャーやアドバイザーとしても活躍していただろう。

彼はアリ・バタネンのような思想家だったので、コ・ドライバーがチームマネージャーやFIAの幹部になるという流れに逆らっていたかもしれない。自然を愛する彼は、気候変動に焦点を当てた活動に参加し、さまざま場所を訪れていただろう。

最愛のゾーイとも結婚して、わたしは本当は結婚式のスピーチをすることができたはずだった。ところがわたしは、ロンドンのチェルシーにある教会の大きな納屋に立っていた。追悼式でのスピーチを承諾したのだが、わたしの他にプロの放送作家であるスティーブ・ライダーとジェレミー・クラークソンがスピーチに立つとは知らなかった。

緊張すると同時に、本当に光栄なことだった。10分はあっという間に過ぎてしまったが、今でもその時の録音を持っていて、時々苦笑いしながら聞いている。あの時、わたしは友人のリチャードをきちんと評価できたと思っているし、ここでもそうありたいと思っている。

スバルからプジョーへ

2001年のWRCでタイトルを獲得した翌日、リチャードはスバルのPRのためにロンドンに滞在していた。その日の夜、彼の家に行くと、明日はウェールズに一緒に行かないかと誘われた。彼は、「万が一、二度と運転できなくなったときのために」と、プジョー206 WRCをテストするつもりだったのだ。

2001年にリチャードが世界チャンピオンになれば、スバルは彼を残留させることができるという奇妙な契約状況であった。その2日後、リチャードはスバルとの契約を解除するための協議を行うことになったのだ。

11月の朝、わたし達はヘリコプターでウェールズに向かった。彼は有名なヒギンズ・ラリー・スクールでプジョーを走らせ、その日の夜にはパブでのディナーに間に合うように帰宅した。

その日に撮った写真は、リチャードのためだけに撮ったもので、今でも未発表のままだ。彼は本当に、もう二度とクルマを運転することが許されないのではないかと思っていた。しかし、その2日後、彼はプジョーに移籍した。

筆:ラリー写真家コリン・マクマスター
Posted at 2021/12/04 01:00:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2021年12月04日 イイね!

STI出たとして羽根が付くだけって事もないだろうけどどんな感じになるのかな〜

STI出たとして羽根が付くだけって事もないだろうけどどんな感じになるのかな〜スバル新型「WRX S4」がSTIカスタムで戦闘力アップ! チェリーレッドが鮮やかなスポーツパーツ登場

■デザイン性と機能性を両立した新型WRX S4専用のスポーツパーツ

 スバルのパフォーマンスセダン「WRX S4」がフルモデルチェンジし、5代目となる新型モデルが2021年11月25日に発表されました。

 新型WRX S4はデザインを一新。スバルのデザインフィロソフィー「DYNAMIC x SOLID」を進化させた「BOLDER」を新型WRX S4に適応させ、アグレッシブなスタイルへと進化しています。

 そんな新型WRX S4のスポーティさをより高めるアクセサリーの数々が用意されました。

 スバルのモータースポーツ部門を担う「STI(スバルテクニカインターナショナル)」は、エクステリアの「STIスポーツパーツ」として、「STIフロントアンダースポイラー」や「STIサイドアンダースポイラー」「STIリアサイドアンダースポイラー」を設定。

 デザイン性はもちろん、これらのアンダースポイラーにより空気の流れをコントロールし、コーナリング性能や操縦安定性を高める効果が期待できます。

 カラーは艶やかなクリスタルブラックシリカと鮮やかなチェリーレッドの2色が用意されており、新型WRX STIを精悍でスポーティな印象に演出します。

 また、「リアアンダーディフューザー」は、ニュルブルクリンク24時間レース参戦車両のデュフューザーのコンセプトを取り入れており、床下後方の空気の流れを整えてステアリングを切り始めたときの車両のレスポンスを向上させます。

 このリアアンダーディフューザーも、クリスタルブラックシリカをベースに、チェリーレッドのアクセントが施された仕様もラインナップされました。

 ほかにも、「フレキシブルタワーバー」や「フレキシブルドロースティフナー(フロント/リア)」といったパフォーマンスパーツも設定されています。

 さらに、スバルの純正アクセサリーにおいても多様なドレスアップパーツをインナップ。

 ガーニッシュとの親和性が高い、「フロントバンパースカート」や「サイドストレーキ」「エアロスプラッシュ」は六角形の空力テクスチャーも施されました。

 また、ワイド&ローを強調する六角形メッシュタイプの「フロントグリル」とダックテール風「トランクスポイラー」、「ドアミラーカバー」はいずれも艶のあるブラックカラーを採用し、新型WRX S4の存在感を際立たせています。

※ ※ ※

 新型WRX S4は新たに2.4リッター水平対向直噴ターボエンジンと、進化したCVT「スバルパフォーマンストランスミッション」を搭載。

 エンジンとCVTのきめ細かな協調制御がもたらす素早い変速や操作に対する応答性の良さにより、ドライバーの意思に忠実な走りを可能にしました。

 プラットフォームはWRX初となる「スバルグローバルプラットフォーム」とインナーフレーム構造を採用し、高い安全性やドライバーの意思に忠実なハンドリングや、快適な乗り心地を実現しています。



新型WRX S4のデザインとスペックに批判集まる! 新開発2.4リッターエンジンは「350馬力ぐらい出してほしい」の声【みんなの声を聞いてみた】

スバルは2021年11月25日(木)、新型WRX S4(日本仕様)を発表した。価格(税込)は400万4000円~477万4000円。新型WRX S4では、新開発の2.4リッター直噴ターボ“DIT”エンジンを搭載し、先進安全装備では「新世代アイサイト」や高度運転支援システム「アイサイト X(エックス)」を用意する。卓越した走行性能と4ドアセダンの実用性を兼ね備えたスバルのAWD性能を象徴する新型WRX S4に対し、購入検討者、クルマファンなどはどう捉えているのか? ここではSNS上で挙げられているみんなの声を紹介していく。

樹脂製パーツに対する非難の声

新型WRX S4の外観は、立体的で彫りの深い造形やワイド&ローを強調したフロントバンパー、力強く張り出したフェンダーや勢いのあるキャラクターライン、スポーツサイドガーニッシュで躍動する走りを表現している。

そんな新型WRX S4のデザインについてSNS上では、



「とにかくカッコ悪い…」

「ごちゃごちゃしている変なデザイン」

「フェンダーの黒い樹脂製モールがあり得ない」

「中身は良くなっているかもしれないけど、いかんせんカッコ悪い」

など、北米モデル発表時から言われていたネガティブな声が少なくない。とくに目立つ樹脂製のパーツに対する非難の声は多く、日本仕様では変更されるのでは? と期待していた層からは残念がる声が挙がっている。

排気量が上がって馬力が落ちたエンジンに注目が集まる

新型WRX S4では、新たに最高出力は202kW(275PS)/5600rpm、最大トルクは375Nm(38.2kgfm)/2000-4800rpmを発揮する新開発の2.4リッター直噴ターボ“DIT”エンジンを搭載する。さらに、エンジンとのきめ細かな協調制御を実現する「スバルパフォーマンストランスミッション」を新採用し、滑らかな加速とリニアなレスポンスを可能にしている。WLTCモード燃費は10.8km/L。

パワートレインに関しては、

「燃費に振っているのかな? 新しい2.4ターボは興味がある」

「CVTが新型になって、どれだけ進化したのか気になる」

「先代が2リッターで300馬力出てたのに新型は2.4リッターで275馬力なの…?」

「2.4リッターなら350馬力ぐらい出してほしい」

など、関心を集めている。とりわけ先代モデルが2.0リッターターボで300馬力を発揮していたのに対し、新型では排気量が2.4リッターへ拡大したのに馬力は275馬力にダウンしているところに引っかかっているようだ。その分、スバルパフォーマンストランスミッションが組み合わさり、燃費や走りの進化に振られているのかと予測している様子。この辺り、実際の購入検討者は1日も早い実車での確認を行いところだろう。

「この価格なら他のスポーツカーを買う」の声

さらに、400万4000円~477万4000円という価格(税込)に関しても声が集まっている。



「先代に比べてだいぶ高くなった」

「STIならまだしも、S4では高すぎでは?」

「もう一般人が買える価格のクルマではなくなってしまった」

「この価格なら他のスポーツカーを買う」

これらその多くが、新型WRX S4は「高い」とする声が少なくない数で見受けられた。また、新型WRX S4でこの価格ならハイパフォーマンスモデルのWRX STIではどうなってしまうのかといった不安の声も挙がっている。

そんなデザインや価格に不満が集まる中、



「北米で頑張ろう。もはや日本では難しい」

「元々日本に目を向けて作られたわけじゃないし、仕方ないのかもしれない」

と諦めとも取れる嘆きの声も。これらポジティブな声が少ない新型WRX S4だが、

「街中で見かけるようになれば見慣れるかも」

「乗ってみたら良い印象を与えてくれることに期待」

といった声も一部で見かけられた。果たして、新型WRX S4は良い意味で多くの人々の期待を裏切ってくれるのか。まずは、販売店への試乗車の配備などで世間の反応が変化するのか、今後の展開に注目していきたい。

[筆者:望月 達也(MOTA編集部)]



スバル新型「WRX S4」走りもデザインもアグレッシブに進化! 従来型と何が違う? 新旧モデルを徹底比較

■エンジンの排気量拡大でスペックはどうなった?

 スバルのスポーツセダン「WRX S4」がフルモデルチェンジし、2021年11月25日に詳細が発表されました。

 約7年ぶりの全面刷新で5代目となる新型モデルですが、従来モデル(4代目)からどのようなところが進化したのでしょうか。新旧WRX S4を比較してみます。

 従来モデルが2014年にデビューしたとき、それまでの「インプレッサWRX」から「WRX」として独立したモデルとなりましたが、新型でも「WRX S4」を名乗るところは同じです。

 新型WRX S4が進化したひとつめのポイントはパワートレインです。従来モデルの2リッター水平対向4気筒ターボエンジンに代わり、新型モデルは2.4リッター水平対向4気筒ターボエンジンを搭載します。

 スペックとしては、従来モデルが300馬力/400Nmだったのに対し、新型の2.4リッターターボは275馬力/375Nmへとダウン。しかし、排気量のアップによる低速トルクの豊かさを活かし、出足は新型WRX S4のほうが速いというデータもあるようです。

 2.4リッターターボエンジンでは、ターボをコントロールするエアバイパスバルブ、ウェストゲートバルブの制御を電子化することで、アクセルを踏むとすぐに加速し、離すとすぐに減速する、優れた応答性を発揮。ステアリングやブレーキのレスポンスの良さとともに、思いのままにクルマを操ることができる「一体感」が楽しめるといいます。

 また、燃費性能は向上しており、JC08モードは11.8km/L(従来モデル)から12.7km/Lへと上がっています。

 トランスミッションにCVTを搭載することは新型モデルでも同じですが、従来モデルの「リニアトロニックCVT」から、新型モデルは新開発の「スバルパフォーマンストランスミッション」へと進化しました。

 従来モデのスポーツリニアトロニックからレシオカバレージを拡大して加速性能を高めるとともに、振動と騒音の低減により動的質感を向上させました。

 また、新開発の変速制御を採用し、滑らかな加速とリニアなレスポンスを実現。従来モデルと比較して30%の高速化を実現し、DCT(デュアルクラッチトランスミッション)と同等の変速速度を可能にしています。

 新型WRX S4ではプラットフォームも刷新され、2020年にフルモデルチェンジしたステーションワゴン「レヴォーグ」と同様の「スバルグローバルプラットフォーム」と「インナーフレーム構造」を採用し、総合安全性能のレベルを引き上げるとともに、ドライバーの意思に忠実なハンドリングや快適な乗り心地を実現しました。

 さらに、クルマの走行特性が変更できる「ドライブモードセレクト」を搭載(STIスポーツおよびSTIスポーツEX)。

 従来モデルにも「SIドライブ」でモードを切り替えられましたが、新型WRX S4のドライブモードセレクトは、高級車のような快適な乗り心地の「コンフォート」からスポーツカーのような走りを楽しめる「スポーツ/スポーツ+」などをスイッチひとつで“キャラ変”させることが可能です。

 なお、走行特性だけでなく、AWDシステムや電子制御ダンパー、パワーステアリング、アイサイトの追従加速度、エアコンなど、さまざまな設定を好みに応じて変更することができます。

■走りを予感させるアグレッシブな新デザイン採用

 デザインの面では、従来モデルも高性能セダンとしてスポーティなスタイルでしたが、新型WRX S4は、スバル車に共通する「ダイナミック×ソリッド」というデザインテーマを進化させた「BOLDER」を採用。さらに「アグレッシブ」をコンセプトとし、走りの良さを期待させるスタイルを実現しました。

 フロントビューは、六角形のヘキサゴングリルを中心に彫の深い造形やワイド&ローを強調したフロントバンパー、張り出したフェンダーなどでアグレッシブなデザインとしました。

 ヘッドライトとテールライトは、ほかのスバル車と共通する「コの字」のデザインとするとともに、テールライトは溶けたマグマのように光る新形状のライトを採用しています。

 サイドビューはキャラクターラインや新たに追加されたスポーツサイドガーニッシュで前傾姿勢を表現し、勢いのあるスタイルが特徴的です。

 このスポーツサイドガーニッシュは樹脂パーツを使用。このパーツは新型WRX S4のコンセプトモデル「ヴィジヴパフォーマンスコンセプト」を忠実に再現するデザインとしての役割と、表面に施された空力テクスチャーが空気の流れを制御して直進安定性を高めるといった機能パーツとしての役割があります。

 内装については、新型WRX S4はより一層スポーティなインテリアに一新しました。目を引くのはインパネ中央に配置された大型の11.6インチセンターインフォメーションディスプレイ&インフォテインメントシステムです。

 従来モデルではナビなどのディスプレイと、車両の状態などを表示するマルチファンクションディスプレイが分かれていましたが、新型モデルではそれらが統合され、車両情報やナビはもちろん、エンターテインメント機能、エアコンや各種設定操作などを、タブレットのように直感的に操作することが可能になりました。

 さらに、12.3インチのフル液晶メーターを採用。視線の移動を最小限に抑え、運転操作に必要な情報やアイサイトXの車両情報を運転中に確認することができます。また、ブースト計の表示機能が設定されました。

 スバルの運転支援システム「アイサイト」は、従来モデルが高速道路などでのすべての車速域で、アクセル、ブレーキ、ステアリング操作を自動でアシストする「アイサイトツーリングアシスト」を搭載したのに対し、新型モデルは新世代アイサイトを搭載。

 大幅に広角化した新型ステレオカメラおよび画像認識ソフト、制御ソフトの性能を向上により、ブレーキアシスト性能をさらに進化させ、衝突回避をサポートする領域を拡大するとともに、より幅広いシチュエーションで運転支援を実現しました。

 このアイサイトと高度運転支援システムを組み合わせた「アイサイトX」搭載グレードも設定。

 自動車専用道路で渋滞時(約50km/h以下)に手放し運転ができる「渋滞時ハンズオフアシスト」や渋滞時に車両が停止してもスイッチ操作なしに発進する「渋滞時発進アシスト」、カーブに合わせて適切な速度まで減速する「カーブ前速度制限」、ウインカーを操作するだけでシステムが車線変更をアシストする「アクティブレーンチェンジアシスト」など、長距離運転時のストレスと軽減する先進機能を採用しています。

※ ※ ※

 新型WRX S4のグレード構成は「GT-H」とドライブモードセレクトでキャラ変が楽しめる「STIスポーツR」の2グレードで、それぞれにアイサイトXが搭載される「EX」グレードが設定されます。

 なお、新型WRX S4と同じ2.4リッター水平対向4気筒ターボエンジンを搭載したレヴォーグも同時に発表。セダンとステーションワゴンの高性能モデルが揃った形になりました。



個人的にはナビがアイサイトXを搭載しないGT-Hの時にパネルの下に降りてしまうインパネをレヴォーグに限らないんだけど(というかGT/GKからの)ものを一新してほしかったんだけどな〜
Posted at 2021/12/04 00:51:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | 富士重工 | 日記
2021年12月04日 イイね!

この辺が走っていたら今頃セダンやクーペの市場ももう少しは活気があったかな…そうもならないか

この辺が走っていたら今頃セダンやクーペの市場ももう少しは活気があったかな…そうもならないか幻の400馬力ツインターボFR「チェイサー」クーペ!「スーパーシルエット」は何故開催されなかったのか

実現しなかったシリーズと幻のレーシング・チェイサー

 1994年から5年間に亘って開催された、全日本ツーリングカー選手権(JTCC=Japan Touring Car Championship)が1998年限りで終焉を迎えるのを受け、1999年から、これに代わる全日本選手権シリーズとして企画されていたのが全日本スーパー シルエットカー選手権(SSCC=Super Silhouette Car Championship)でした。残念ながらシリーズは開催されず、チェイサー“似の”プロトタイプもお蔵入りとなってしまいました。今回は、国内ツーリングカーレースにおけるチェイサーの、レーシングヒストリーをクローズアップしましょう。

JTCCで有終の美を飾ったチェイサー

 チェイサーが初めてレースに参戦したのは1997年、JTCCの第4シーズンでした。1985年から1993年まで9年間にわたって開催された全日本ツーリングカー選手権(JTC=Japan Touring-car Championship)は、FIAで定められたグループA車両によるセミ耐久レース。対してJTCCは約100kmのスプリントを2レース行うフォーマットに代わっていました。

 参戦車両も2Lクラスの4ドアセダンをベースにチューニングしたものですが、2L以下で同じメーカー製なら別のモデルのエンジンを換装することも認められていて、トヨタと日産、ホンダに加えてマツダやBMW、ボクスホール/オペルといった内外のメーカーがワークス(格の)チームを擁して参戦し、技術開発で鎬を削っていました。しかし過当な開発競争が災いし、1998年限りで終焉を迎えています。

 そんなJTCCにトヨタは、トムスやセルモなどワークス(格の)チームを介して1994年にコロナ、1995年からはコロナ・エクシヴと、前輪駆動の車両で参戦してきました。そして1997年からは『FRの可能性を探る』ことをテーマに、後輪駆動のチェイサーのJTCC仕様を開発。

 翌1998年、JTCCの最終シーズンには関谷正徳選手がドライバーチャンピオンに輝いています。ちなみに関谷選手は、JTCCの開幕シーズンである1994年シーズンにもコロナでドライバーチャンピオンを獲得。駆動方式を問わないハコ遣いであると証明したのです。

 このJTCCは当初、1999年限りでシリーズが終了する予定でした。そのために考え出された後継のシリーズがSSCC、スーパーシルエットカーチャンピオンシップでした。

シリーズが実現せず幻に終わったチェイサー・スーパーシルエット

 SSCCとはその名の通り、スーパーシルエットカーによるレース。というと80年代に世界的に盛況を見せていたグループ5、通称“シルエット・フォーミュラ”と呼ばれていた市販車ベースのレーシングカーが思い起こされます。2ドアのクーペ・ボディにエアロカウルを装着していましたが、モノコックフレームのキャビン部分はベースモデルのそれを利用していましたから、市販車“ベース”を謳うこともできました。

 これに対しSSCCのスーパーシルエットは、外観こそ市販されているツーリングカー似のシルエットを持っていますが、カウルを剥がせば400psまでチューンした3Lエンジンをパイプ製のフレームのフロントに搭載。ヒューランド製のミッションを介して後輪を駆動するというもので、中身はベースモデル(と呼んでいいかにも疑問が残りますが)とはまったく別物の、完全なレーシングカーでした。

 当初の計画ではSSCCは、1999年が最終シーズンとなるJTCCと同時開催として、台数を集めるプレシーズンと位置付けられ、2000年からの本格開催となる予定でした。しかし1999年のJTCCにはエントラントが集まらず、JTCCは1998年シーズンで終焉。SSCCは1999年からメインレースとなることが急遽決定しました。そこでJTCCをプロモートし、SSCCを企画していたTCCA(Touring Car Championship Association)では、1年繰り上げられたシリーズの立ち上げの対応を急ぎました。クルマ的にはトヨタのチェイサーを模したカウルを纏ったプロトタイプが製作され、1998年JTCC最終戦でデモランにまで漕ぎつけています。

 今回紹介するチェイサー・スーパーシルエットは、そのデモランで走った個体そのものです。東京R&Dで設計したシャーシと、ムーンクラフトで設計したカウルを含めたボディを、ファーストモールディングで組み立てたもので、エンジンはトヨタ製のハリヤー用3L V6ツインターボを使用。トムスでチューニングし、400ps以上を絞り出していました。

 急拵えで仕上げたこともあって、デモランでドライブを担当した関谷選手は、「マシンの開発はこれから」とコメントしたと伝えられていますが、その分、伸びしろ(期待値)も高かったと判断した記憶が蘇ります。しかし、残念ながら参加台数を集めることが難しかったことからレース・シリーズは開催されることなく終わり、チェイサー・スーパーシルエットも幻のクルマに終わってしまいました。
Posted at 2021/12/04 00:45:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記

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「@うーさー トランクに切れ込み入っていて車体にウイングの足を残しながら外れてくれます(開くって表現はしなくなります)」
何シテル?   06/22 22:42
初めまして。 インプレッサG4に代替を致しました~ 自分色に染めて行こうと思います 燃費を気にする割にアクセル踏んじゃうんですよ~ バトンに関し...

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2018/08/12 02:22:57
 

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兄貴の増車なんですが、いじる許可を貰っているので気ままに弄り回します。
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