2022年04月26日
時代の最高速モデル 1980年代 フェラーリF40 エンツォが遺した323.4km/h
過去にない速さを求めた徹底的な設計
自社の記念日を祝したF40は、綿密に練られたマーケティング主導の新モデルではなく、純粋に最高を求めた結果といえた。販売に陰りが見えていた1980年代、親会社のフィアットのもとで、ブランドが軟化することをフェラーリは恐れていた。
その流れを変えるため、不足なく高性能なモデルが求められていた。同社の技術者、ニコラ・マテラッツィ氏は、そのソリューションを実現できるのは自分だと信じていた。
彼の計画は、グループB用ラリーマシンを公道用モデルへ展開すること。マラネロの承認を得ると精鋭技術者を集め、2855ccのV8ツインターボ・エンジンを搭載した288 GTOを開発。さらに性能を追求した、288 GTOエボルツィオーネへと発展させた。
しかし、過激さを増したグループBカテゴリーは、1986年で終了。288 GTOはフェラーリの技術力を誇示することにつながったが、さらにそれ以上を披露する必要性が残された。
そして1987年、288 GTOと入れ替わるように誕生したのが、F40だ。V8ツインターボ・エンジンは288 GTOのものがベースだったが、排気量は2936ccへ拡大。過去にないほどハイテクで速いモデルになるべく、徹底的な設計が施された。
開発当初からキーワードになっていたのが、軽量化と空気力学。ピニンファリーナ社のレオナルド・フィオラヴァンティ氏の滑らかでシャープなスタイリングが、チューブラー・スペースフレームと接着された複合素材パネルで構成されたシャシーを包んだ。
エンツォ・フェラーリ氏が指揮を取った最後
スタイリングは風洞実験を重ね、空気抵抗を示すCd値は0.34。イタリア・ナルドにある高速周回コースで2万4000km以上のテスト走行を重ね、高速安定性が煮詰められた。そのうち、300km/hでの走行にも48時間を費やしている。
ボディは、ドアやボンネット、エンジンカバーなどが軽いカーボンファイバー製。その中心部へ、パワフルなV8ツインターボ・エンジンが搭載された。
1984年の288 GTOから大幅に性能向上を果たし、最高出力は485ps/7000rpmを獲得。高回転型ながら、最大トルクは比較的低めの4000rpmから58.7kg-mを発揮した。優れたアクセルレスポンスと、鋭い加速力を生み出している。
オイルサンプやシリンダーヘッドカバー、インテークマニホールド、ギアボックスのベルハウジングなどは、非常に高価なマグネシウム鋳造。軽さを追い求めた選択だった。
キャビンには走りに不必要なものは一切与えられず、備わるのは軽量なバケットシートと簡素なフェルトで覆われたダッシュボード、ドアハンドル代わりの細いベルト程度。その結果、車重は1235kgに仕上がっている。
開発の指揮を取ったのは、創業者のエンツォ・フェラーリ氏。自社の40周年に間に合うよう、生産体制の準備を要求したという。
F40が発売された1987年には、エンツォの健康状態が悪いことは知られていた。そして惜しくも、1988年にこの世を去ってしまう。
それを受け、彼の息が直接かかった最後のモデルとして、予定数の400台を超える需要が発生。1992年まで生産が続けられ、1315台のF40がマラネロを旅立った。
公道走行できる装備が付いたレーシングカー
今回ご登場いただいたのは、1990年式のフェラーリF40。ウォルフレース・ホイール社を創業したバリー・トレイシー氏がオーナーで、ラインオフして間もない頃から大切にしているという。
F40の象徴ともいえる、巨大なクラムシェルのエンジンカバーを持ち上げると、2基のインタークーラーが目に飛び込んでくる。公道走行できる装備が追加されたレーシングカーであることが、まじまじと伝わってくる。
長さの異なるアッパーとロワーのウイッシュボーンの先で構える、幅335の17インチ・タイヤの存在感が半端ない。バンク角90度のV8エンジンは、キャビンを仕切るバルクヘッドへ寄り添うように低い位置へマウントされている。
クルマ好きなら、永遠に眺めていられそうな機能美だ。でも、今回は実際に走らせるためにサーキットへ持ち込んでいる。
当時最先端だったカーボン製のサイドシルをまたぎ、サベルト社製の深いバケットシートに腰を落とす。穴開き加工されたアルミニウムのペダルは、わずかに右側へオフセットしている。
F40は、すべて左ハンドル。若干腕を伸ばす必要があるものの、ドライビングポジションは概ね快適といっていい。
小さなメーターパネルには、スピードとタコメーターのほかに、水温計とターボブースト計が秩序正しく並ぶ。ダッシュボード側には、油温と油圧、燃料計。運転の集中を邪魔するものは、基本的に一切ない。
最も鮮烈な体験を与えてくれるクルマ
キーをひねると、V8ツインターボ・エンジンはすぐに目覚める。予想以上に洗練されている。クラッチペダルは重く、突然つながる。充分な加速力を得るには、高めの回転数が求められる。
パワーステアリングは備わらず、スピードが上昇してもステアリングホイールはさほど軽くならない。しかし、操ることが楽しい。ハイレシオで、生々しい感触が気持ちいい。
コーナーを探りながら、徐々に通過速度を高めていく。ドライバーの自信も徐々に高まっていく。
安全そうな場所で485psを解き放つ。ターボラグは、想像していたものより遥かに小さい。日本のIHI社製ターボが2基、3000rpmを超えた辺りからブースト圧を高めていく。
3800rpm前後から最大1.1barで過給されるようになり、呆れるほどの加速力が放たれる。サウンドは、V8エンジンを積んでいた時代のF1のようでもあり、アクセルオフではランサー・エボリューションより大きいウェイストゲートの悲鳴が響く。
筆者の印象では、今回の10台で最も鮮烈な体験を与えてくれるクルマがこれだ。マクラーレンF1を除いて。
フェラーリF40を運転するには、それなりの勇気が求められる。1980年代のマラネロは、間違いなく軟化なんてしていなかった。
協力:ウィル・ブラウン、英国フェラーリ・オーナーズクラブ
フェラーリF40(1987~1992年/欧州仕様)のスペック
英国価格:19万3000ポンド(1987年時)/175万ポンド(約2億8000万円)以下(現在)
生産台数:1315台
最高速度:323.0km/h
0-97km/h加速:4.1秒
車両重量:1235kg
パワートレイン:V型8気筒2936ccツイン・ターボチャージャー
使用燃料:ガソリン
最高出力:485ps/7000rpm
最大トルク:58.7kg-m/4000rpm
ギアボックス:5速マニュアル
Posted at 2022/04/26 21:11:48 | |
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自動車業界あれこれ | 日記
2022年04月26日
自動車アセスメント、スバル「レガシィアウトバック」に最高評価「ファイブスター賞」
国土交通省は19日、自動車事故対策機構(NASVA、中村晃一郎理事長)と実施している2021年度の安全性能評価「自動車アセスメント」で、スバルの「レガシィアウトバック」を最高評価「ファイブスター賞」に選定したと発表した。
同車は、衝突安全性能評価、予防安全性能評価ともに最高の「Aランク」を獲得。事故発生時にエアバッグ展開と連動し、専門のオペレーターを通じて警察や救急に自動通報する「事故自動通報装置」を装備する点も評価された。
Posted at 2022/04/26 21:08:22 | |
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富士重工 | 日記
2022年04月26日
本山哲のスーパーGT“契約解除”について、Team MOTOYAMAがコメント発表「現状を受け入れ、新たな道を模索する」
先日、2022スーパーGT第2戦富士のエントリーリストが発表され、6号車Team LeMans Audi R8 LMSのドライバーとして本山哲の名前がなく、大きな話題となった。これについて、Team MOTOYAMAがプレスリリースを発表した。
本山は昨年より、Team LeMans with MOTOYAMA RacingとしてスーパーGTにカムバック。片山義章と共にGT300クラスを戦った。今季はエントラント名をMOTOYAMA Racing with Team LeMansに変更し、本山がチーム運営にもこれまで以上に参画していくと明らかにされていた。
そして迎えた開幕戦岡山では、本山と片山が力強い走りで5位フィニッシュ。しかしその数日後、富士戦には片山、ロベルト・メルヒ、川端伸太朗の3名でエントリーすることが明らかとなり、エントラント名からもMOTOYAMA Racingの名前が抜け、『Team LeMans』に変更されていた。またメルヒに関しては、このまま最終戦までドライブするのでは、という情報もmotorsport.comに入ってきている。
この動きに関しては様々な憶測が飛び交っているが、Team MOTOYAMAはプレスリリースを通して本山本人のコメントを掲載した。そのリリースの中には詳細な経緯は書かれていないものの、第2戦欠場の理由は「チーム側からの契約解除」とされている。
以下は本山のコメント全文である。
「昨年、GT300 クラスに新たなチームを立ち上げ、若手ドライバーの片山義章選手と共に『Team LeMans with MOTOYAMA Racing』として戦った初シーズンは様々なトライ&エラーを繰り返しながらも着実に成長した1年間だったと思います。GT300クラス特有の難しさや、マシンやBOPの違い、タイヤの違いなど多くのファクターが複雑に絡み合うカテゴリーだけに、なかなか期待していた結果が出せず、苦しい日々を過ごしたことも事実です」
「そして迎えた2022年シーズンは、新たに『MOTOYAMA Racing with Team LeMans』として組織構成を変更し、マシンのアップデートをし、可能な限りのプライベートテストで様々なセットアップを試し、ベストな体制で臨みました」
「そして自らに課したハードルで、開幕戦では予選Q1突破、そして昨年のベストリザルト以上を掲げて不退転の決意でレースに臨み、チームが一丸となってそれを達成、5位入賞で初ポイントを獲得するベストレースとなりました」
「1シーズンと1レースかかりましたが、念願の初ポイント獲得を果たし、若手ドライバー、片山義章選手がプロとして自信を持って攻めきってくれたことで、当初の目的は達成できたと思います。支えてくださった多くファンやスポンサーの方々、そして一緒に戦い続けたチームスタッフの全員に心から感謝の意を捧げます」
「今回、自分が第2戦に参加することができなくなったことは、結果として応援してくださっているファンの皆さまやスポンサーの皆さまの期待に沿えないことかもしれませんが、自分がプロフェッショナルドライバーである以上、現状を受け入れ、新たな道を模索することとさせていただきます」
「今回の一件で、関係各位にご心配をおかけしたことをお詫びすると共に、新たな状況が決まり次第、ご報告させていただくことをお約束いたします」
「もちろん自らのチーム『TEAM MOTOYAMA』として参戦するTCRジャパンシリーズには、これまで同様にチームと協力しながらモータースポーツの楽しさを伝えつつ、新たなドライバー育成をテーマに監督として参戦し続けますので、引き続き応援よろしくお願いいたします」
Posted at 2022/04/26 21:06:33 | |
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自動車業界あれこれ | 日記