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2017年12月19日 イイね!

シロンのシートが走行中に倒れたら確かに死ぬかもね(速度的な意味で)

シロンのシートが走行中に倒れたら確かに死ぬかもね(速度的な意味で)ブガッティ シロン、全世界で全車リコール…フライング・ドクターが行く

ブガッティは、全世界で納車された『シロン』の全車をリコール(回収・無償修理)すると発表した。

今回のリコールは、シートのリクライニング機構のブラケットの溶接に不具合の可能性があるために行われるもの。走行中にシートの背もたれが突然動き、事故につながるおそれがある。

リコールの対象になるのは、現時点までに全世界で納車されたシロンの全車で、47台が該当。

なお、ブガッティは、「フライング・ドクター」制度を導入。顧客に連絡した上で、ブガッティの技術者が全世界の顧客の元に出向き、車両の点検を行う。異常が見つかった場合、車両を引き取り、リコール作業を実施する。


ブガッティの技術者は2か国語以上の言語が使えるのかね…全世界のってすげぇなぁ~
Posted at 2017/12/19 07:20:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | リコールなど | 日記
2017年12月19日 イイね!

何が違うのか?ってちゃんと内容を読めば誰だってわかるでしょ?あとは事後の対応でしょ??

何が違うのか?ってちゃんと内容を読めば誰だってわかるでしょ?あとは事後の対応でしょ??スバルと日産の完成検査不正問題は何が違う? 日産だけ風当たりが強い理由とは

 両社とも自動車型式指定制度の根幹を揺るがす重大なルール違反

 自動車メーカーが生産するクルマであっても、ときおり「持ち込み登録」という注意書きが記してあるカスタマイズ仕様があることは、ご存知だろうか。持ち込み登録というのは、新車を初めて新規登録する際に、運輸支局で検査を受けてナンバーを受け取ること。

 車検の仕組みを知っていれば、このフローに驚くことはないが、通常の新車において一台ごとに「持ち込み登録」していたのでは運輸支局のキャパシティをオーバーしてしまう。そこで、国内向けに生産されるクルマにおいては、自動車メーカーが国土交通省から型式指定を受けることで運輸支局へ持ち込むことなく、書類だけで登録できるようになっている。そのために届出した通りに作られているかを確認する作業が「完成検査」と呼ばれるもの。

 日産とスバル(SUBARU)がおかした不正とは、この完成検査において検査員として認められていないスタッフが検査を行っていたというもの。石井国土交通大臣がコメントしたように、まさしく「自動車型式指定制度の根幹を揺るがす重大なルール違反」である。

 その点においては、どちらが悪いという比較はナンセンス。両社ともユーザーや監督官庁の信頼を裏切る不適切な行為をしていたことは間違いない。

 両社が発表した内容を整理すれば、いずれも数十年単位で続けられてきたものであり、また両社ともに正規の検査員の印鑑を使っていたという。検査の資格を持たないスタッフが検査をすることがNGであることは理解した上で続けられてきた行為というわけだ。仮にOJT的な意味で非正規検査員が関わるとしても、本来であれば正規の検査員が確認して印鑑を押すべきであろう。

 つまり、正当な理由で不適切行為がなされていたと理解することはできない。いずれもコンプライアンス意識に問題があったと考えざるを得ないのだ。

 しかしながら、この問題における日産とスバルのブランド毀損には差があるように見える。日産は厳しく糾弾されている一方、スバルはそこまで批判されていないように感じられる。

 2017年11月の登録車(乗用車)販売における前年同月比を見ても、日産が65.1%と大幅に減っているのに対して、スバルは91.2%と影響は少ない。もっとも、ブランド価値の影響を測るには長期的視野で数字を見ていく必要はあるが、それでもスバルについては完成検査の問題がブランド価値を大きく損なっていないといえるだろう。

 その理由として考えられるのは、初期の対応におけるスタンスの違いがある。日産は、商品自体には問題がないという立場だった。それ自体は、ユーザーの不安をいたずらに煽らないという配慮だったのかもしれないが、結果として違反行為に対する反省を感じさせず、無責任であるという印象を与えてしまったキライはある。一方でスバルは真摯に反省の姿勢を示した。こうした初動に違いがブランド価値への影響を変えた可能性はある。

 ただし、スバルは2番手の立場だったため報道で目立たなかったという面もあるだろう。もし、完成検査の不正についてスバルのほうが先に判明していたとしたら、どうなっていただろうか……。



まぁ、こういうことを言うとなんでスバルはageで日産はsageなのか?って言われそうだけどさ
Posted at 2017/12/19 07:13:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2017年12月19日 イイね!

まぁ~ココで名前が挙がっているクルマは良い方なんじゃないか?

まぁ~ココで名前が挙がっているクルマは良い方なんじゃないか?AUTOCARが選ぶ、ダメだけど愛してしまう18台のクルマたち 前編

アルファ・ロメオ166(1998年)

この企画、やろうと思えばアルファ・ロメオだけで埋めることもできる。例外なく不備を抱えながら、しばしば走りに優れ、マゾヒスティックな悦びをオーナーに与えるのがアルファだ、と言ってもいい。166もまた、そんなクルマだ。

ライバルたちには決して歯が立たず、結果として販売規模は小さいが、コレがたまらん! というひとも、特にAUTOCAR派であれば少なくないだろう。


デロリアンDMC-12(1981年)


ポテンシャルの低さという点で、デロリアンほどガッカリさせてくれるクルマにもそうそうお目にかかれない。V6ミドシップ、ステンレスボディ、未来的なガルウイング・ドア。どうやっても間違えようのなさそうな要素が揃っているのに、たったひとつの欠陥のせいですべてが台無しになった。

製造クオリティが絶望的に低いのだ。ドアは正確に開閉することを拒み、ハンドリングはあからさまに精彩を欠き、パフォーマンスは平凡そのものだ。事業そのものもたった1年で終わった。人気の源はひとえに、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズで主役級の活躍をしたことにある。ともかく、クルマとしての実力以上の支持を集め続けるモデルだ。

フォード・エコスポーツ(2013年)


近年のフォードには珍しい失敗作。昨今、ブルーオーバルの商品は軒並み購買意欲をそそるもので、どれも万能性を備えたクルマばかりだが、これだけが異端児だった。しかし、なかなか茶目っ気のあるルックスで、特に内装方面に力を入れて改良された最新モデルは、ようやくあるべき姿を手に入れたといえそうな仕上がりになった。

フォード・エスコート(Mk5 1990年)


1993年にモンデオが登場するまで、フォード車はどれも、クルマ自体の魅力より競争力のある価格で売れていたといえる。1990年に登場した5代目エスコートは、運動性能のひどさや洗練性の欠如、古臭いスタイリング、貧相な装備内容などをメディアに酷評された。

それでもユーザーは、安価さによってこのクルマを支持したのだ。その後、素晴らしいゼテック16vツインカムが追加され、ダッシュボードが刷新されると、グッと興味が湧くクルマになり、1991年に登場したRS2000仕様でそれはさらに高まった。

いすゞピアッツァ(1981年)


ジウジアーロのコンセプトカー、アッソ・デ・フィオーリ(クラブのエース)として1979年に登場し、81年に市販化されたピアッツァは、その4年後に英国でも販売を開始。しかし、70年代のオペル・カデット由来のシャシーも、ベッドフォードのバンから拝借したエンジンも、いずれも時代遅れのメカニズムで、しかも高価。低調なセールスは当然の結果だった。

1987年のフェイスリフトで、ロータスがチューンしたサスペンションを得たが、それも延命策たりえなかったのである。今やレア車だが、改めて見るとそのキッチュさがなかなか魅力的に思えてくる。

ジャガーEタイプS3(1971年)


1961年に登場した原初のEタイプは、目を見張るボディラインと強力なパフォーマンス、卓越した走りを併せ持つ、まさしく自動車史に残る名作。それだけに、71年にV12を積むシリーズ3が登場した際には、ジャガーがこのクルマで失敗するはずなどない、と誰もが思ったものだ。

ところがそれは鈍重なクルマで、あの魅惑的なデリカシーがどこかへ消え失せていた。ただし、これがアメリカ市場にはドンピシャでハマり、人気を博したのだ。そして現在、これをスポーツカーではなくGTカーなのだと考えてみれば、われわれも歓迎したい気持ちになる。

キア・プライド(1991年)


フォード・フェスティバと聞いて、青春を思い出す世代もおいでだろう。開発と生産を手掛けたマツダでは、121と銘打ったコンパクトカーだ。製造は韓国のキアでも行われ、自社ブランドではプライドの車名で販売。1991年にマツダ版が2代目へ移行した後も、初代プライドはそのまま継続した。登場した時点ですでに時代遅れのクルマだったが、売れ行きはキアが足場を固めるに十分なほど好調だった。

現時点で2017年の販売台数が、マツダの約130万台に対し、キアは230万台に達していることを考えると、初代プライドの功績の大きさを実感させられる。クルマそのものとしては、見返すとボディサイドのプレスラインが新鮮に思える。

ラーダ・サマラ(1984年)


はっきり言って、価格が安い以外にとりえのないクルマだ。絶望的なガラクタ、と呼んでもいい。特徴のないスタイリング、光るところのない走り、あきれ返るほどのひどい造り。洗練性? そんなもの、かけらもない。

欠点を数え上げればキリがないが、排ガス規制に引っかかって販売終了になるまで英国で売り続けられた程度には、購入者がいたようだ。ベーシックカーにあるべき装備がとりあえず揃っていれば、とにかく安く買いたいというひとも少なくないのだろう。

メルセデス・ベンツML(1997年)


初代Mクラスは、メルセデスの製造クオリティがどん底にあった時期に登場した。結果として、予想される問題点をすべて予想通りに備えたクルマとなった。

塗装は剥がれ、パネルは落ち、電装系も機械系も故障は当たり前。それでも、Mクラスのセールスは衰えなかった。スリーポインテッド・スターの威光もあるが、見慣れるほどに、そして改良されるごとに、スタイリングがユーザーに受け入れられていったともいえる。

また、これはアメリカで生産された初のメルセデスでもある。良くも悪くも、歴史に名を遺すクルマだ。




AUTOCARが選ぶ、ダメだけど愛してしまう18台のクルマたち 後編

MGマエストロ・ターボ(1989年)


マエストロが超速ホットハッチの出発点というわけではないが、このターボモデルは実に魅惑的なマシンだ。154psのターボ版Oシリーズ・エンジンを得て、0-97km/h加速は6.9秒、最高速度209km/hが可能となった。

しかし、実際に走らせると、トルクステアへ抗うタイヤの摩耗ぶりの方が実感しやすいはずだ。現存する個体は、マニア垂涎の存在、のようなものになっている。

リライアント・ロビン(1973年)


リライアントが60年以上にわたり、非力で不安定なクルマを売り続けられたのは、これが英国では二輪免許で乗れることによるところが大きい。ランニングコストが低いのも、支持される一因だ。

現在では、70年代の多くのブリティッシュ・レイランド系モデルと並ぶ、アンチスタイルの主張ツールとなっているという側面もある。ちょっと見直してもいいかもしれない、とは思う。ほんのちょっと、ではあるが。

ルノー・トゥイジー(2012年)


四輪とはいえ、一般的な自動車と同列には扱えない。車体の小ささはもちろんだが、実用性は全般的に乏しい。航続距離は短く、50km以上走れないというのが、どうにも致命的ではある。

それを考えればコストは割高だが、手頃な価格でスーパーカー以上に注目されたいなら、これ以上の選択肢はない。販売面でいえばルノー屈指の失敗作だが、興味深さにおいてもルノー屈指の存在だ。

ローバー・ストリートワイズ(2003年)


編集部の面々が手に入れたくてウズウズするようなクルマ、と言ったらもちろんウソになるが、まったく琴線に触れないとも言い難い。結局、これはよくある4WD風モデルだが、発売当時はMGローバーをこきおろすネタにされたものだ。

2003年の時点で、既に時代遅れだったローバー25をベースにしていたというのもマイナス評価の材料だった。ただ、その風変わりさゆえに、妙に気になるモデルでもある。果たして、程度のいいものがあるのか、そもそもこれが程度を語れるようなクルマなのか、という議論は別として。

スコダ・エステル(1976年)


このエステルが英国で発売された1976年、低価格を歓迎する消費者は多かったが、実際に走らせてみれば思い通りにいかないハンドリングを酷評する声が続出した。サスペンションは未成熟で、重いエンジンをリアに積むとなれば、簡単に挙動を乱すし、それを回復させるのがまたひと苦労ときている。

それでも、この東欧で生産されたチープで元気なクルマが嫌いではない。「もし君がこのクルマを気に入らないのであれば、工場へ送って再教育させることもできるぞ」なんてかつての社会主義国家を気取って冗談を言うのも楽しそうだ。しかし、今やほとんど現存する個体はなく、残っていればそれなりに価値がある。

スマート・ロードスター(2003年)

現代版オースティン・ヒーレー・スプライトとでもいった趣の、ミニマルなスポーツカー。698ccエンジンをリアに置き、スタイリングはシャープ。加えて、その造りはメルセデス品質。魅力的なクルマだが、ショックの大きいトランスミッションには興ざめ。しかも信頼性が実は低く、購入費用はそれほどでもないが、維持費が高くつく。それでもなお、魅力的なクルマではある。

スズキ・ジムニー(3代目・1998年)


今買える新車で、オンロードでの走りがジムニーに劣るものを見つけるのは至難の業だろう。1998年の発売時点で、すでにすべてが時代遅れといえるクルマだったが、英国では毎年1000台ほどの買い替え需要がある。なぜならこれは、もっとも安価で手に入る有能なオフローダーだからだ。

かつてレンジローバーと比較試乗したが、クロカンの王者を向こうに回し立派な戦いぶりをみせた。登場から20年を経て、いよいよフルモデルチェンジすると噂されるが、少なくとも悪路走破性で期待を裏切られることはないだろう。

トラバント(1957年)


このスタイリングをどう見るかは好みの問題かもしれないが、トラバントP50はすべてがひどいクルマだ。製造クオリティ、ハンドリング、パフォーマンス、どれをとっても絶望的で、これに比べれば型落ちのダイハツ・ミラをベースにしたマレーシアのプロドゥア・ニッパがSクラスに思えてくる。

しかし、かつての東ドイツなどでは、これしか選択肢がなかったのだ。そんなトラバント、ベルリンの壁が崩壊して流入した西側ではファッションアイテム扱いされるようになるのだから、世の中わからないものだ。

フォード・フュージョン(2002年)


2002年にデビューすると、フュージョンの評価は冴えないものだった。同時期のフィエスタがベースということで期待されたが、快適性は低く、野暮ったく、走りは平凡で、思うより実用性や万能性は高くない、といった具合だ。

それでもユーザーに支持され、10年ほどの販売期間をたった1度の改良で乗り切った。広く、控えめな走りで、実用車としては過不足ないものだったということだ。なお、アメリカでフュージョンというと、英国などではモンデオを名乗ったクルマが出てくる。ややこしいので、買ったり借りたりするときは要注意だ。



リライアント・ロビンはトップギアの影響で日本でも知名度は多少は上がったかな?(スペースシャトルニさせられたりしているのでw)
個人的にリライアントのクルマで好きなのはシミターかなwww
Posted at 2017/12/19 07:06:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2017年12月19日 イイね!

当然コレもオリンピックの弊害を受けますよね

当然コレもオリンピックの弊害を受けますよね東京モーターショー2019は複数個所で開催へ…自工会 西川会長が明かす

日本自動車工業会の西川廣人会長は12月15日の定例会見で2019年の東京モーターショーを東京ビッグサイトのほかに複数の場所で開催する方向で検討していることを明らかにした。

東京モーターショーは従来、東京ビッグサイトの全フロアを使用して開催しているが、次回開催の2019年は東京オリンピックの開催準備で展示会として使えるスペースが4分の3程度になる見通しだが、その対応策を今回示した格好といえる。

西川会長は「19年のビッグサイトは多少、場所が制約されるが、むしろ東京オリンピック・パラリンピックが近づいてくるということで、東京全体の中でむしろうまく企画をして複数の場所で、これは2か所ということではなくて、もっと大きい複数の場所で、東京という街の良さと、その中で先進性をもった自動車の技術をうまくコラボレーションして発信できるような取り組みをしていきたい」と述べた。

さらに「ネガティブに会場の制約を捉えるのではなくて、複数の場所で東京をアピールしながら自動車もアピールするということを是非やっていきたいと考えている」と改めて強調した。

また2017年秋に開催した東京モーターショーに関しては「クルマ離れといわれる中で、できるだけクルマのファンづくり、クルマに興味を持ってもらうという取り組みに力を入れて進めてきた。結果として来場頂いた77万人のうち4人にひとりが女性、それから15歳から39歳までの比較的若い方の来場比率が51.3%と大幅に増加をした」ことを披露。

その上で「クルマ離れといわれる中で若い人、あるいは女性の皆さんに来て頂いたことは、我々が当初、(次回開催の)2019年に向けてのマイルストーンを(今回のショーで)造っていくという意味では、比較的着実な歩みを踏むことができたのではないかと評価をしている」と総括した。

一方で「できれば海外の完成車メーカーからみても新技術をアピールする上では東京モーターショーで出すのが非常に良い、ラスベガスのCES(コンシューマーエレクトロニクスショー)に匹敵するようなテクニカルショーにしていきたい」と次回開催に向けての課題もあげた。

またモーターショー開催の谷間となる2018年のイベントについては「従来も非開催年のイベントをやっているが、内容的により充実したものにしていきたいと考えて、今企画を始めたところ」と述べていた。


国策だなんだと言いながら御上がいい加減過ぎて他の事をな~んにも考えてないからこういうことになるんですよ
少なくとも関東近郊はオリンピックやるのに施設を貸切るかっこになるんだろうからさ
Posted at 2017/12/19 07:01:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2017年12月19日 イイね!

メーカーが3年かけるとこうなるのか…

メーカーが3年かけるとこうなるのか…3年かけてレストア ポルシェミュージアム、最も古い911を公開

ポルシェAGが運営するポルシェミュージアムは12月18日、3年をかけてレストアした最古の「911」をコレクションに加えるとともに、2018年4月8日までの間、「911(901 No.57)- レジェンドのテイクオフ」と題した特別展示で披露すると発表した。

新たにコレクションに加わった「901」は、356の後継モデルとして登場した「901」。ポルシェは当初、911を901としてリリースしたが、発売から数週間で商標権の問題から名称変更を余儀なくされた。その時点まで生産されたモデルは「901」として生産され、販売時には911の名称で売られることになった。

今回レストアされた車両は、モデル名が変更される前の初期の901。豊富なコレクションを誇るポルシェミュージアムもこれまで保有してなく、非常に貴重な車両である。発見されたのは2014年。アンティークやコレクターズアイテムに関する番組を制作していたドイツのテレビクルーが長年車庫に眠っていた物品を評価していた際に、2台の911と出会ったのだという。そこでポルシェミュージアムに問い合わせをしたところ、車体番号などからそのうちの1台がモデル名が変更になる前のモデルだと判明した。ポルシェミュージアムは社外の専門家が査定した価格でこの2台の911を購入し、レストアを実施した。

なおレストア期間が3年にも及んだ理由は、あえて復元作業に手間のかかる方法を採用したため。それは交換よりも修理を優先するというポルシェミュージアムならではのレストアに対する思想の表れによるものだ。レストアでは、錆びついた車両を元の状態に戻すプロセスにおいてパーツ交換を最小限にとどめ、できるだけ元のものを利用する方法を選んだ。エンジンおよびトランスミッションのほか、電装品やインテリアは、どれも同じ原則に基づいて修理が施されているという。

ポルシェは、独フライグルク・アム・ネッカーにポルシェ・クラシック・ワークショップ(レストア工場)を構えており、そこでクラシックモデルのレストアを行なっている。ここでは博物館のコレクションのみならず、顧客向けのレストア事業も行っている。レストアでは、コンポーネントの品質および特性に関して厳しい要件を設定し、作業は正確に文書にて記録を行う。フルレストアに対しては証明書の発行も行っている。

またポルシェ・クラシックは、ヴァイザッハのポルシェ開発センターやオイルメーカーと共同で、クラシックモデル用のモーターオイルの開発・販売なども行っている。356や914、初期の911などにも対応し、コルク製シールや鉛を含有するベアリングといった部品に対して高い保護性能を確保するなど、クラシックモデルのコンディションを保つ配慮がなされている。なおレストアサービスの提供やクラシックモーターオイルの販売はドイツのみならずグローバルに展開され、もちろん日本市場もその対象となっている。



ポルシェ、最古の911である「901」をミュージアムに収蔵 復元に3年要す

もくじ
ー 希少な「901」 もっとも若いナンバー
ー 「No. 57」発見の背景 支払った額は?
ー 交換より修理優先 可能なかぎりオリジナル

希少な「901」 もっとも若いナンバー

ポルシェが運営する「ポルシェ・ミュージアム」は、3年をかけてレストアした最古の911をコレクションに追加し、2017年12月14日から2018年4月8日までの間、「911(901 No. 57) レジェンドのテイクオフ」と題した特別展示で披露する。

この赤いクーペは、1964年に初の量産スポーツモデルとして生産された1台であり、当時は901の名で知られていた。誕生からちょうど50年が経過したタイミングでポルシェ・ミュージアムは偶然にもこのレアなモデルに出会うと、元の状態にレストアすることを視野に入れてその購入を決断した。

ポルシェは当初、356の後継モデルを901というモデル名で開発し、一般に披露。ところが1964年の秋、生産開始からわずか数週間で、このクーペは商標権の問題によって名称変更を余儀なくされ、911というモデル名を名乗ることになった。

そのため、その時点までに生産された車両は全て901とされたものの、販売時には911の名称が用いられた。ポルシェのファクトリーコレクションには、このレアなモデルが50年間にわたって欠如していたのだ。

「No. 57」発見の背景 支払った額は?

2014年、アンティークやコレクターズアイテムなどに関する番組を制作していたドイツのTVクルーが長年車庫に眠っていた物品を評価していた際、1960年代に生産された2台の911に出会った。

そこでポルシェ・ミュージアムに何度か問い合わせてみると、その2台のスポーツカーのうち車台番号が300.057の1台は、モデル名が変更になる前の貴重な車両であることが判明した。

ポルシェ・ミュージアムは、社外の専門家が査定した価格(この赤い個体が10万7000ユーロ、もう1台のドナー用が1万4500ユーロ、「クリストフォーラス誌」2015年3号より)でこの2台の911を購入することにした。

ポルシェが生産した重要なクラシックカーコレクションにはいくつか足りない部分があったが、ポルシェ・ミュージアムはこの2台を購入することによって重要なピースが埋まったのだ。

交換より修理優先 可能なかぎりオリジナル

この車両を購入した決定的要因のひとつは、それまでに1度もレストアを受けた履歴がなかったため、ミュージアムの専門家がオリジナルコンディションに復元する良い素材であると考えたから。

このひどく錆びついたスポーツカーを元の状態に戻すまでには、異なる車両から取った純正のボディパーツを使用するなどしたため、合計で3年もの年月を費やした。

エンジンおよびトランスミッションのほか、電装品やインテリアは、どれも同じ原則に基づいて修理が施されている。パーツ交換を最小限にとどめ、できるだけ元のものを利用するというのがその原則。

「ポルシェ・ミュージアムが歴史的に重要なスポーツカーを蘇らせるためにこれほど長い時間を要したのは、あえて復元作業に手間のかかる方法を採用したためです」とポルシェは説明する。




現存最古の911、ポルシェミュージアムに収蔵…「901」と呼ばれた1964年生産車

ポルシェは12月18日、現存する最古のポルシェ『911』のうちの1台を、ドイツのポルシェミュージアムにファクトリーコレクションとして収蔵した、と発表した。

この赤いクーペは、1964年に初の量産スポーツモデルとして生産された1台。当時はポルシェ『901』と呼ばれていた。ポルシェは当初、『356』の後継モデルを901というモデル名で開発。ところが1964年秋、生産開始からわずか数週間で商標権の問題(プジョーが中央に「0」を持つ3桁のモデル名を商標登録していた)によって、名称変更を余儀なくされ、911を名乗ることになった。そのため、その時点までに生産された車両は全て901として生産されたものの、販売時には911の名称に変更されている。

ポルシェのファクトリーコレクションには、このレアなモデルが50年間にわたって欠如していた。誕生からちょうど50年が経過したタイミングでポルシェミュージアムは偶然にもこのレアなモデルを発見。元の状態にレストアすることを視野に入れて、購入に至ったという。

この車両を購入した決定的要因のひとつは、この車両が過去に一度もレストアを受けた履歴がなかったため。ミュージアムの専門家がオリジナルコンディションに復元する良い素材であると考えたからだという。ひどく錆びついたスポーツカーを元の状態に戻すまでには、異なる車両から取った純正のボディパーツを使用するなどしたため、合計で3年もの年月を費やし、完璧なランニングコンディションに仕上げた、としている。





ポルシェ 最古の911をポルシェミュージアムで特別展示

ポルシェは2017年12月14日~2018年4月8日までの間、ポルシェ ミュージアムで3年をかけてレストアした最古の911を、「911(901 No. 57)- レジェンドのテイクオフ」と題した特別展示で披露する。

今回コレクションに追加されたレッドカラーのクーペは、1964年に初の量産スポーツモデルとして生産され、当時は901の名で知られていた1台。誕生からちょうど50年が経過したタイミングで、ポルシェ ミュージアムは偶然にもこのレアなモデルに出会ったそうで、元の状態にレストアすることを視野に入れ購入が決断されたという。

ポルシェは当初、356の後継モデルを901というモデル名で開発し一般に披露。ところが1964年の秋、生産開始からわずか数週間で、商標権の問題によって名称変更を余儀なくされ、911というモデル名を名乗ることになった。ここまではポルシェファンの間ではよく知られた話だ。

そのため、その時点までに生産された車両は全て901として生産されたものの、販売時には911の名称が用いられるというイレギュラーな状態となっていた。じつはポルシェのファクトリーコレクションには、このレアなモデルが50年間にわたって欠如していたのだ。

2014年、アンティークやコレクターズアイテムなどに関する番組を制作していたドイツのTVクルーが、長年車庫に眠っていた物品を評価していた際、1960年代に生産された2台の911に出会った。そこでポルシェ ミュージアムに何度か問い合わせてみたところ、2台のうち車台番号が300.057の1台は、モデル名が変更になる前の貴重な車両であることが判明したそうだ。

ポルシェ ミュージアムは、社外の専門家が査定した価格でこの2台の911を購入することにした。ポルシェが生産した重要なクラシックカーコレクションにはいくつか足りない部分があったが、ポルシェ ミュージアムはこの2台を購入することによって重要なピースを埋めることになったわけだ。

この車両を購入した決定的要因のひとつは、それまでに一度もレストアを受けた履歴がなく、ミュージアムの専門家がオリジナルコンディションに復元する良い素材であると考えたからだった。ひどく錆びついたスポーツカーを元の状態に戻すまでには、異なる車両から取った純正のボディパーツを使用するなどしたため、合計で3年もの年月を費やしている。

レストアする際に原則とされたのが「パーツ交換を最小限にとどめ、できるだけ元のものを利用する」という点だった。エンジンおよびトランスミッションにとどまらず、電装品やインテリアについても、どれも同じ原則に基づいて修理が施されている。

ポルシェ ミュージアムが、歴史的に重要なスポーツカーを蘇らせるためにこれほど長い時間を要したのは、あえて復元作業に手間のかかる方法を採用しても、極力オリジナルの状態を保とうとしたためだった。

本件に関する問い合わせはポルシェ ホームページまで。
Posted at 2017/12/19 00:19:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | ポルシェ | 日記

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