2022年03月23日
WRCの栄光を市販車に スバル・インプレッサ P1とフォード・エスコート RSコスワース 前編
身近にあったWRCとのつながり
1990年代の世界ラリー選手権(WRC)で華々しい成功を収めた、スバルとフォード。その栄光は、市販車としてわれわれの身近な場所にあった。強力なターボを搭載し、ワイルドなボディで身を固めて。
1970年代から1980年代初頭、フォードはラリー界で暴れまくった。四輪駆動のアウディ・クワトロが戦いを一変させるまで、後輪駆動のエスコートには敵を寄せ付けない勢いがあった。
ラリー自体の人気も高く、フォードはメキシコにRS2000、RS1800といった特別仕様を量産車に展開。強い走りをビジネスに結びつけた。ラリードライバー、ビョルン・ワルデガルド氏を気取った若者が、英国の道路を賑わせたものだ。
1980年代に入るとFRの時代は終わり、エスコートのプラットフォームもFFへ転身。フォードのワークスチームは、シエラRS コスワースと、ミドシップのRS 200を主力マシンへ切り替えた。
しかし1990年代に入り、5代目エスコートが登場。基本性能に優れたコンパクトモデルとして、再びWRCへエスコートで挑んでいる。
同じ頃、デビッド・リチャーズ氏が率いるレーシングカー・コンストラクター、プロドライブ社は事実上のスバル・ワークスチームとして活動をスタート。最初のベース車は、スバル・レガシーだった。
プロドライブ社は着実な成功を収め、数年後にはコンパクトで身軽なインプレッサへスイッチ。1995年以降、3度に渡ってドライバーズ・タイトルと、マニュファクチャラーズ・タイトルの両方を掴み取っている。
高性能モデルへの需要が高かった英国市場
さて今回、英国南東部のブランズハッチ・サーキットへ、2台のネオヒストリックにお越しいただいた。ブラックのクルマはフォード・エスコート RSコスワース、ブルーの方はスバル・インプレッサ P1だ。
どちらも、ワークスチームの経験が落とし込まれたロードカーだ。インプレッサなら数年前は日本でもしばしば目にしたが、近年は見かける回数も少なくなった。英国でも、ノーマル状態のエスコートは貴重だ。
2台とも四輪駆動で、2.0Lの4気筒ターボエンジンがフロントに載っている。トランスミッションは、5速マニュアル。共通する部分も少なくないが、実際はかなり異なる。誕生プロセスも。
「1990年代後半、STiやWRXを冠した高性能なインプレッサが、並行輸入で日本から英国へ持ち込まれていました」。と、プロドライブ社のリチャーズ会長がインタビューで振り返る。
「当時、スバルUKの輸入を請け負っていたインターナショナル・モータースと協力し、われわれはインプレッサ・ターボのアップグレードを手掛けていました。そのなかで、英国市場の高性能モデルへの需要の高さを、強く実感したんです」
「そこで2000年に独自開発したのが、インプレッサ P1。欧州全土での型式認証を取得することで、スバルの欧州ディーラーを通じて、購入することを可能にしました」
「インプレッサ P1最大の強みは、英国の道路へ特化していたという点。並行輸入のクルマとは、基本的に異なります」
ワークスによるホモロゲーション・マシン
「シャシーエンジニアは、英国郊外の一般道を前提とした専用サスペンションを開発。MTのギア比も高められました。その結果、高速道路での長距離ドライブをリラックスして楽しめる、性格付けになっています」
「排出ガスや騒音規制にも準拠させながら、0-97km/h加速は4.6秒を実現。2000年前後では、スーパーカー級の加速力でしたね」
一方のエスコート RSコスワースは、比較すれば正攻法。フォードのワークスチームによって、レース参戦規定のホモロゲーション取得を前提に生み出されている。
WRCのグループAで優勝するという目標を達成するには、2500台以上の公道用モデルの販売が求められた。そこで、1989年に設計へ取り掛かったのが、スペシャル・ビークル・エンジニアリング(SVE)部門のロッド・マンスフィールド氏だ。
1990年に5代目フォード・エスコートが発売されるが、通常モデルとホモロゲーション・モデルで共通していたのはボディライン程度。その内側には、加工されたシエラ・コスワース用のプラットフォームが隠れていた。
当時のSVE部門でプロダクト・マネージャーを努めていたジェフ・フォックス氏の話では、ホイールベースを50mm短縮。シエラより短いものの、標準のエスコートより長かったという。
エスコート RSコスワースは、ボディパネルもほとんどが専用品。同じ部分は、3ドア用のドアとルーフだけだった。製造を請け負ったのは、ドイツのカルマン社だ。
シエラ・コスワースと同じパワートレイン
1992年後半に2500台限定でリリースされたエスコート RSコスワースの英国価格は、2万524ポンド。 多少角が丸められてはいたが、約350馬力のラリーマシンと同じギャレットT34ターボを搭載。最高出力227psを発揮した。
大径ターボのおかげで、インプレッサ P1もエスコート RSコスワースも、ターボラグが大きい。英国ではオール・オア・ナッシングと表現された、スイッチが入ったように切り替わる加速が個性でもあった。高効率化を図れる、水噴射システムも備わっていた。
ホモロゲーション取得以降のRSコスワースでは、最高300馬力ほどを引き出せる小径のギャレットT25ターボへ変更。よりリニアな加速を実現し、乗りやすい性格へ改められている。
生産されたすべてのエスコート RSコスワースには、ビスカスカップリング式の四輪駆動システムと、前後で34:66に駆動力を分配するセンターデフが装備されていた。基本的には、シエラ・コスワースと同じパワートレインだ。
「フィンランドの凍結した湖上で試験を重ね、デフのチューニングを詰めました。結果には満足していましたね」。と、SVE部門で技術者を務めていたレン・アーウィン氏が後に振り返っている。
「インプレッサと比較して、リア側へのトルク割合が大きい。スキルのあるドライバーにとって、オーバーステアでの扱いやすさと、予想のしやすい挙動をRSコスワースは得ていました」
この続きは後編にて。
WRCの栄光を市販車に スバル・インプレッサ P1とフォード・エスコート RSコスワース 後編
3段ウイングも検討されていた
フォード・エスコート RSコスワースのトレードマークといえるのが、「ホエールテール」と呼ばれた巨大なリアウイング。描き出したのは、カーデザイナーのフランク・ステファンソン氏だ。
調整式のフロントスプリッターも組み合わされ、リアタイヤ側で最大19.5kg、フロントタイヤ側で4.5kgのダウンフォースを生成。量産車としては初めてだった。
デザイン初期には、3段ウイングも検討されていた。承認されなかったものの、実際にフランクのスケッチブックには、そのデザイン案が残されている。
一方で、プロドライブ社が独自に開発したインプレッサ P1は、当時の英国では2ドアボディが選べる唯一のスバル。ホモロゲーション・モデルのR22Bと同じボディだ。
エスコート RSコスワースより、インプレッサ P1の登場は8年ほど遅い。技術的にも進歩しており、1994ccの水平対向4気筒エンジンは、より滑らかにパワーを生み出す。最高出力も、53ps高い280psを発揮した。
ベースとなったのは、日本のみで売られていたWRX STi タイプR。ロータス・エスプリやマクラーレン1Fなどを手掛けた巨匠、ピーター・スティーブンス氏によって、前後のスタイリングに手が加えられていた。アルミホイールも専用品だった。
「パッケージングやエンジン、サスペンション、インテリア、スティーブンス氏によるスタイリング、ソニックブルーのボディカラーまで、これ以上はないという仕上がりでした」。と、プロドライブ社のデビッド・リチャーズ氏が振り返る。
生産が追いつかないほど飛ぶように売れた
「インプレッサ P1は、これまでにわたしたちが開発した限定モデルで最高の完成度を備えていました。型式認証を得たことで、1番の成功も残しました」
「英国スバルにとっても、販売面での成果は大きかったと思います。当初は500台の限定でしたが、需要が高く1000台ヘ規模を拡大。生産が追いつかないほど、飛ぶように売れたものです」
ボブ・フラー氏も、そのインプレッサ P1に飛びついた1人。納車までに半年ほど待ち、2000年から大切に乗っているという。製造番号は、548/1000だ。これまで22年の間に、少なくない改良が加えられている。
「プロドライブからP1が発売された時、公式にWR仕様のアップグレードも提供されていました。自分のクルマにも、かなりの数を装備させています。際立たせるためにね」。とフラーが笑顔を見せながら説明する。
ホイールは、標準では17インチだが、18インチへサイズアップ。330mmの大径ブレーキディスクも組まれている。
リアバンパーの下で迫力を効かせている太いマフラーも、プロドライブ社のもの。型式認証をスムーズにするため、生産後に取り付けるパーツとして売られていた。
2眼タイプのHIDヘッドライトは、プロドライブ社のものではない。だが標準より、夜間での視認性が大幅に改善するという。
エンジンは鋭く回転し、加速は線形的
車内には、彫りの深いレカロシートが組まれ、内装トリムもアップグレードされている。赤いステッチがあしらわれたレザー・ステアリングホイールは、現代基準では驚くほど径が大きい。
ダッシュボードは、当時の典型的なスバル車。傷の付きやすそうなプラスティックを、カーボンファイバー風トリムが彩る。上部には、エンジンの状態を監視できる3眼メーターが並ぶ。
レカロシートに座ると、ボンネットからそびえる大きなエアスクープに圧倒される。キーをひねれば、ボクサー・ユニットらしいドロドロとした唸りが響き出す。秘めた爆発力を、隠しきれない。
インプレッサ P1は、ステアリングが軽くクラッチもつなぎやすく、低速域でも運転しやすい。だがやはり、パワーを引き出すほど「らしさ」が高まっていく。ラリードライバー、リチャード・バーンズ氏と自分とを重ねてしまう。
エンジンは鋭く吹け上がり、加速は感心するほど線形的。ストロークの短いシフトノブを操作し、4500rpmからレッドラインの8000rpmまで活かしきると、ターボチャージャーのフルパワーが開放される。
ステアリングホイールが大きいから、操舵感はややスロー。高速で走らせる場合は、悪い設定ではない。タイトなコーナーへ勢いよく侵入しても、フロントもリヤも、路面を掴み続ける。フリクションの小さい正確な反応が、うれしい。
センターデフは、前後で45:55にトルクを分配する。基本的にはアンダーステア傾向だが、どんな路面に対しても支配的な能力を発揮できる。WRCでの連勝にも納得する。
インプレッサ P1より全体の印象はソフト
一方で、ブラックのエスコート RSコスワースのオーナーは、グレッグ・エバンス氏。6年前に入手したそうだが、それ以前の9年間は倉庫で眠っていたそうだ。
生産から30年近くが経過するが、走行距離は約8万kmと短い。エバンスの購入後は、1600kmほどしか走らせていないという。
フラット・ブラックのボディカラーも含めて、完全にオリジナル状態が保たれている。英国で最も早期に登録されたエスコート RSコスワースの1台で、合計7145台製造されたうちの851番目。初期型の、ビッグターボ・ホモロゲーション・モデルだ。
サイドサポートの高いシートに身体を沈めると、この時代のフォード車らしいインテリアが迎えてくれる。インプレッサ P1と同じように、ダッシュボード上部にメーターが並んでいる。
ステアリンホイールはひと回り小さい。ペダルは右側へややオフセットされ、大柄なトランスミッション・トンネルをかわしている。シフトノブの位置は低め。グラフィック・イコライザー付きのカセットデッキが、懐かしい。
一般的なスピードで運転している限り、フィーリングはノーマルのエスコートに通じている。インプレッサ P1より全体の操作感もソフトで、ゴムブッシュのおかげか、サスペンションは細かな凹凸の吸収性にも優れている。
エンジン音も、中回転域までは控え目。だが、その後は様相が異なる。3500rpm前後まではブースト圧が低く、活気も乏しい。4500rpmを超えた辺りからギャレットT34が圧力を高め、本性が現れてくる。
ドラマチックなドッカンターボ
最高出力227psで車重は1275kgだから、現代の高性能モデルと比べれば、目を剥くほど速いわけではない。だが、ドッカンターボ的なパンチ力がドラマチック。オールドスクールな個性として歓迎できる。
それは、今だからいえることかもしれない。1000rpmほど低い回転数からパワーを引き出せた、小径ターボの後期型エスコート RSコスワースの方が、乗りやすいクルマだったことは間違いない。とはいえ、ビッグターボも楽しい。
インプレッサ P1も、エスコート RSコスワースも、現在では考えられないほど、モータースポーツでの活躍に影響を受けたモデルだ。多くのオーナーが林道を攻めることはなかったが、市街地のターマックで秘めたポテンシャルを誇示した。
どちらも、WRCの最前線で活躍するラリーチームによって生み出されている。放たれる栄光のオーラは、2022年でも薄れていないように見えた。
協力:ブランズハッチ・サーキット、ポール・ペインター氏、P1 ウェブ・オーナーズクラブ
エスコート RSコスワースとインプレッサ P1 2台のスペック
フォード・エスコート RSコスワース(1992~1996年/英国仕様)
英国価格:2万524ポンド(1992年時)/8万5000ポンド(約1317万円)以下(現在)
生産台数:7145台
全長:4211mm
全幅:1742mm
全高:1425mm
最高速度:231km/h
0-97km/h加速:5.7秒
燃費:9.9km/L
CO2排出量:−
車両重量:1275kg
パワートレイン:直列4気筒1993ccターボチャージャー
使用燃料:ガソリン
最高出力:227ps/6250rpm
最大トルク:31.0kg-m/3500rpm
ギアボックス:5速マニュアル
スバル・インプレッサ P1(2000~2001年/英国仕様)
英国価格:3万1500ポンド(2000年時)/6万ポンド(約930万円)以下(現在)
生産台数:1000台
全長:4350mm
全幅:1690mm
全高:1400mm
最高速度:241km/h
0-97km/h加速:4.7秒
燃費:8.5km/L
CO2排出量:−
車両重量:1295kg
パワートレイン:水平対向4気筒1994ccターボチャージャー
使用燃料:ガソリン
最高出力:280ps/6500rpm
最大トルク:35.8kg-m/4020rpm
ギアボックス:5速マニュアル
Posted at 2022/03/23 22:41:43 | |
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自動車業界あれこれ | 日記
2022年03月22日
オフロード向けスーパーカー「プロドライブ ハンター」登場 ダカールラリーで活躍した競技車両をベースに開発
ダカールラリーで活躍した競技車両をベースにしたオフロード向けスーパーカー「ハンター」が登場しました。
英国にある自動車メーカー「プロドライブ」は、さまざまなレースに挑戦するレーシングチームで、過去にはF1やツーリングカーなどにも参戦していました。
ハンターのベースになっているのは、2022年のダカールラリーに出場した「ハンター T1+」。パワートレインには3.5リッターのV型6気筒ツインターボエンジンと6速トランスミッションを組み合わせて、最大約600馬力、最大トルク71.3kgf-m(700Nm)という高性能なマシンです。
静止状態から時速100キロまで4秒以内で到達し、最高速度は時速300キロほど。荒れた地形でも難なく走行できるように、ホイールは特注の35インチのタイヤを装着しています。
内装は高級車らしい豪華な仕上がりになっています。ナビゲーションシステムなど、多機能なセンターコンソールに加えて、各種インフォメーションを表示するデジタルディスプレーも備えています。
プロドライブ ハンターは、未舗装の道路が少ない中東市場をターゲットに開発され、納車時期は2022年後半を予定しているそうです。
Posted at 2022/03/22 23:32:07 | |
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自動車業界あれこれ | 日記
2022年03月21日
アルピナ、BMWグループの傘下に…戦略的再編へ
BMWグループは3月10日、アルピナ(ALPINA)の商標権を取得すると発表した。BMWをベースにした高性能モデルを手がけたきたアルピナが、BMWグループの下で新たな戦略的再編に取り組む。
アルピナは1965年1月1日、正式に設立された。BMWのチューニングを行う小さな会社だったが、その実力がBMW本社に認められ、BMW公認チューナーに。そして、1983年には、ドイツ政府から自動車メーカーとしての認証も受けた。アルピナの新車には、BMWのメーカー保証が適用される。
BMWグループは、このアルピナブランドを傘下に収める。アルピナブランドの商標権を取得することにより、自社の高級車のラインナップにさらなる多様性をもたらすのが狙いだ。一方、EVへの転換と世界中での排出ガス規制の強化、ソフトウェアの検証、先進運転支援システム(ADAS)の開発などにかかるコストは、小規模自動車メーカーの存続リスクを高めている。アルピナは事業を長期的に実行していくために、BMWグループの下で戦略的な再編に取り組む。
アルピナは2025年末まで、BMWグループとの既存の契約に基づき、アルピナ車の開発、製造、販売にエンジニアリングの専門知識を投入する。アルピナの車両は、BMWグループの生産ラインで事前に組み立てられてから、アルピナのワークショップで最終組み立てが行われる。
BMW、アルピナをグループの一員に 商標権取得でグループ再編 60年の関係に新たな一歩
アルピナの業務を内製化 新たな協力関係に発展
BMWは、自動車メーカーのアルピナを、高級車ラインナップの一員として加えることにした。
アルピナは、ドイツ・ブッフローエに本社を置くブランド。BMWの市販モデルをベースとした独自モデルやパーツなどを生産している。
両社は、1964年にBMWがアルピナ製コンポーネントを装着した車両に純正保証を適用して以来、密接な関係にあるが、アルピナはこれまで独立した企業として運営されてきた。
アルピナは、BMWに商標権を譲渡することで「高級車ラインナップにさらなる多様性をもたらす」とコメント。アルピナのモデルがいずれBMWのモデルとともにショールームに並ぶ可能性がある。
両社はすでに公式な協力協定を結んでいるが、この協定は2025年12月31日に失効する。それまでは、アルピナがBMWのベースモデルを譲り受け、ブッフローエのワークショップで機械的/デザイン的にモディファイするという、ほぼ現在と同じ業務を継続する。
この買収は、まだ「さまざまな停止条件」があるが、BMWの機械的アップグレードに追いつく投資をする必要がないため、「アルピナの長期的な将来を確保する」ことにもなると言われている。
譲渡の金銭的条件は明らかにされていないが、BMWはアルピナの株式を一切取得しないことを認めている。
BMWは、アルピナの単独事業の廃止が「ブッフローエ工場の雇用に影響を与える」としているが、該当する従業員を2025年末までにBMWグループ内、またはサプライヤーやパートナー企業で雇用することを約束した。
現在、ブッフローエの施設では約300名が働いている。
BMWの販売担当責任者であるピーテル・ノータは、次のように述べている。
「自動車業界は、持続可能なモビリティに向けた大規模な変革の真っ只中にあります。そのため、既存のビジネスモデルは定期的に見直す必要があります。アルピナは50年以上にわたり、細部への細心の注意を払うことで最高品質のクルマを提供してきました」
「BMWグループもまた、想像力をかきたてるクルマに対する情熱によって動かされているのです。だからこそ、わたし達は長年のパートナーシップに新たな一歩を踏み出すことになりました」
「商標権を取得することで、伝統に彩られたこのブランドの長期的な方向性を形作ることができます」
アルピナ・ブルカルト・ボーフェンジーペン有限/合資会社CEOフローリアン・ボーフェンジーペンは、次のように述べている。
「私たちの家族と従業員は、今まで同様に最高水準のエンジニアリングクオリティを提供し続けるでしょう」
「そして、われわれの事業は、やがてエンジニアリングサービスへとシフトしていくでしょう」
「この戦略的な事業再編によって、ブッフローエは、将来にわたり安定するはずです」
また、
「アルピナの持つブランド力と魅力は、皆さんよくご存知のことだと思います。私たちは、BMW以外の自動車メーカーにアルピナを譲渡するつもりは毛頭ありませんでした。なぜなら、何十年にもわたり、私たちはお互いに信頼関係を築き、協力しあってきたからです」
「ですから、今回の戦略的決断により、この先、BMWグループがアルピナブランドを運営していくことはとても自然なことだと捉えています」
ともコメントしている。
アルピナのモデルは、パワーやスピードといった性能の面ではBMWとMの中間に位置している。昨年は、過去最高の販売台数を記録し、日本/欧州/米国/中東向けに2000台を生産した。
アルピナ、BMWグループの一員へ──素晴らしき個性は保たれるのか?
アルピナ・ブランドならでなの魅力は保たれるのか!? 小川フミオが考えた。
驚きのニュース
BMWアルピナといえば、BMW車をベースにすばらしいスポーティモデルを仕立てあげることで、日本でも人気の高いブランドだ。ファンには衝撃的なニュースが、2022年3月10日に発表された。BMWグループ(本社)が、アルピナの商標権を獲得したのだ。
「車両開発と生産は、今まで同様、2025年末までドイツのブッフローエで継続される」と、日本でアルピナの代理店を務めているニコルオートモビルズは、アルピナ本社が発表したニュースを紹介。べつの言い方をすると、2025年をもって、現在のアルピナ車の生産と供給は中止される。
BMW・3シリーズをベースにした「B3」「D3S」、5シリーズの「B5」「D5S」、SUVではX3ベースの「XD3」、X4の「XD4」、また8シリーズをチューンナップした「B8」など、このところ私が乗るチャンスを得たアルピナ車はどれも、まさに目がさめるほど素晴らしいドライビング体験を提供してくれた。
BMW車に輪をかけたようにウルトラ的にスムーズにまわるエンジン、しっかりとしたコーナリング性能をもっているいっぽう空とぶじゅうたんに乗ったらこうかなと思えるぐらい快適な乗り心地。アルピナは、自動車好きにとって高い存在価値を感じられるメーカーなのだ。
アルピナの歴史
アルピナのスタートは、1962年。当時のBMW「1500」というセダンのために、自分たちでチューニングしたウェバー社のカーブレターを開発した。その性能ぶりにすぐに着目したBMWでは、たんなるアウトソーシングのチューナー(市販車に自分たちで開発した部品などを装着するのを生業とする会社)でなく、本社の性能を与えたのだった。
ブルカルト、アンドレアスおよびフロリアン・ボーフェンジーペンの家族所有となるアルピナ・ブルカルト・ボーフェンジーペン有限&合資会社が設立されたのは、ビジネスが軌道に乗るのをみてとった1965年。
当初は、レースをはじめより速いBMWを求めるひとたちのために、チューニングを施したカーブレターとクランクシャフトを販売。それがアルピナ社の社標にいまも描かれている。私は、1970年代、ボンネットとトランクリッドとショルダー部分だけ黒く塗り分けたアルピナチューンのBMW「2002」がレースで走っている写真を雑誌で見ては、なんだかカッコいいなぁと思ったものだ。
そののちは、いまに続く車体側面を飾るサイドストライプがアルピナ車の目印に。派手だと敬遠する向きもあるようだけれど、グリーンとブルーなど、車体色に合わせたストライプは、アルピナ車の高品質ぶりの象徴のようで、私ももし買ったら、オプションのストライプを注文しそうだ。
アルピナらしさは残るのか?
「(アルピナの買収は)ラグジュアリー・セグメントにおける多様性をより拡大します」
BMW本社はホームページで、今回の商標権獲得について言及。EVのiシリーズのラインナップを拡張していくいっぽう、内燃機関搭載で洗練された走りを持つスポーツモデルもまた、当面は同社にとって必要なのだろう。
すぐに思い浮かぶのは、AMGを吸収したメルセデス・ベンツだ。当初はチューナーとしてスタートしたAMGは、1999年にメルセデス・ベンツ傘下に入り、2014年にメルセデスAMGというブランドがスタート。「GT」などの高性能車を手がけている。
ファンとして気になるのは、クルマづくりのポリシーの変更についてだ。AMGをみると、当初は“ワンマン・ワンエンジン”のポリシーを守り、ひとりのクラフツマンが1基のエンジンを組み上げる方針を守ってきた。
そのあと、メルセデスAMGブランドが拡大するにつれ、比較的排気量の小さなエンジンは、手づくりでなく工場のラインで生産されるように。だからよくなくなったというわけではないけれど、アルピナも同様だ。
熟練職人が組み上げていくのをセリングポイントにしてきたアルピナ車が、同様のわだちを踏んだら、その結果、いままでの芸術的ともいえるドライブフィールが薄まったらもったいないなぁと、はやくも危惧してしまう。杞憂に終わることを祈るが。
「内燃機関と電気自動車の両分野において、数十年もの年月で培われたエンジニアリングと開発ノウハウは、BMWグループ以外の自動車メーカーへも提供される予定です」と、アルピナ。
電気自動車の自動車を迎えてからも、アルピナチューンが残るとしたら、どんなクルマが出来るのだろう? それはそれで楽しみである。
現在まで、そしてこのあともしばらく販売されるアルピナ車に関しては、純正交換部品やアクセサリーといったものの提供は保証されているとのことだ。
文・小川フミオ
「アルピナ」BMWグループにブランド売却
ドイツ・バイエルンに所在するBMWのチューニング・コンプリートカー「アルピナ」のオーナー会社である「アルピナ・ブルカルト・ボーフェンジーペン GmbH」は2022年3月10日、BMWグループに「アルピナ」ブランドを売却したと発表した。
アルピナ・オートモビル本社ボーフェンジーペン家が創立した「アルピナ」は、BMWが製造したボディやコンポーネンツをベースに、独自のチューニングや艤装を行ない、よりハイパフォーマンスでラグジュアリーなクルマに仕上げて販売しており、BMWマニアの間では有名なブランドとなっていた。BMW社がボディやコンポーネンツをアルピナ社に供給して生産されるなど、57年間にわたるBMWとの協力関係にあり、BMWの公認コンプリートカーというべき存在だ。
すべて手作業でチューニング、組み立てされており、2021年の年間販売台数は約2000台で、その25%は日本で販売されている。発表によれば2025年までは、現在のアルピナ社が従来通りの生産を継続することになっている。
BMWは、現在のハイパフォーマンスモデルの開発、生産を担当するM社以外に、新たなサブブランドとしてアルピナを位置付けている。
今回のブランド売却に至った背景には、クルマは大きな変革期を迎えており、電気自動車への移行、世界的な排気ガス規制の強化、ソフトウェア・セキュリティや運転支援システムの要件などの高まりなどは、少量生産メーカーにとっては負担が過大になっており、将来を見据えてBMW社にバトンタッチすることが決断されている。
なお、アルピナ純正スペアパーツ、アクセサリー、サービス提供は今後も継続されることになっている。
同族会社の「アルピナ・ブルカルト・ボーフェンジーペン GmbH」は、今後はクルマの製造からクルマのサービス事業へとビジネス形態を移行させ、さらに新たな事業を開拓するとしている。
Posted at 2022/03/21 00:18:55 | |
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BMW | 日記
2022年03月21日
これで公道を走っていいんです! 宇都宮が産んだスーパーカー「イケヤフォーミュラ IF-02RDS」は未来への期待が高まる1台だった
2017年の東京モーターショーでデビューし存在感を放っていた、宇都宮ナンバーのスーパースポーツカー。チューニングパーツ界で有名なイケヤフォーミュラが生み出したオリジナルマシンだ。そんなマシンに公道で試乗する機会を得た。
宇都宮ナンバーを掲げるスーパースポーツの正体は?
栃木県鹿沼市の田舎道。そこをまるでCカーのようなクルマが走り回っていることは、この辺りではちょっとした噂になっていた。近隣住民からは「あんなクルマが公道を走っていていいのか?」と110番通報が飛び、パトカーが現場へと急行! だが、決まってその時に警官が発する言葉は「ああ、やっぱりアナタ達でしたか」と、違反切符を切られることもなくパトカーは退散する。そう、このクルマは正真正銘ナンバー付きの合法車両。それも鹿沼産のスーパーカーなのだ。
IF-02RDSと名付けられたそれは、かつてM/Tミッションにポン付けでIパターンシーケンシャルに変身させてしまうチューニングパーツで名を知らしめた「イケヤフォーミュラ」が、イチから造った一台だ。同社はこれまでに足周りからLSD、そしてFJやF3といったフォーミュラカーまで製作した経験があるが、ナンバー付きのスーパーカーを造ったのはこれが初めてのことである。
一体なぜそんなクルマを製作したのか? それは同社がIST(イケヤ・シームレス・トランスミッション)というトランスミッションを発明・開発したことがきっかけだ。ISTは通常のM/Tをベースに、シンクロの代わりにドグクラッチをギア間に入れることで、駆動の途切れを一切無くしたのがポイント。シフトアップ時に次のギアが結合してミッションがロックする寸前で、今まで繋がっていたギアが自動的に抜け、ミッションブローすることもなくシフトアップを可能にした。シンプルな構造でコストや重量がアップすることなく、シームレスな加速を達成したところが凄いのだ。
このISTの良さを証明するには、それを解りやすく表現できるクルマが必要だと考え、IF-02RDSの開発に着手。イケヤフォーミュラではかつてフォーミュラカーを製作した経験もあるから、クルマ自体を作ることはそれほど難しいことではない。それに公道を走るラジアルタイヤを装着するクルマであれば、パイプフレームで十分! そこでトライが始まった。
だが、ナンバーを取得するとなると、それはかなりのハードル。ガラスやダッシュボードなど、規格に合致するパーツの制作にも苦労したそうだ。国交省とのやり取りも難しかったそうだが、ISTはこれから世界へ羽ばたく可能性があるミッションだという熱意が伝わり、実に協力的だったという。結果としてナンバーが付くまでには3年もの月日が必要だった。
エンジンはホンダのインテグラ・タイプRなどが採用していたK20Aをベースに、HKS製ターボを加えることで約350psとしたものを縦置きで搭載。それにF4用ミッションをベースにしたISTを組み合わせている。これでも十分なパフォーマンスが期待できるが、同社ではすでにオリジナルのV10エンジンを開発すると宣言。今のエンジンは仮の状態と言ってもいい。同社の目指す道はまだ先だ。
ISTとともにスポーツドライブを極める
そんなIF-02RDSにいよいよ試乗。ガルウイングを跳ね上げ、幅広のサイドシルを何とか跨いでコクピットに滑り込む。両足をまずはシートの座面に置き、下半身を入れてから上半身を入れ込むその作業は、まさにグループCカーのよう。ABCペダルが中央にオフセットされていて、右側にチェンジレバーが生えているのは、かなりレーシーな雰囲気だ。
やや寝そべった体勢で座ることも特別な感覚。快適性は正直言って無いのだが、それは独特な空間があれば許せる範囲内。湾曲したフロントガラスから見える田舎道が、まるでル・マンのユノディエールに感じられるほど。この雰囲気はたまらない。
エンジンを始動させてクラッチを踏み、Iパターンのシーケンシャルシフトを手前に弾けば、「ガコン!」という音と若干の振動と共に1速にギアがシフトされる。やや重めのツインプレートクラッチをそっと繋ぎ、いよいよ走り出す。
車重1150kgということもあり、動き出しはかなり軽快! ターボ化されたK20Aも低速トルクが豊かであり、即座にスピードを重ねていく。回すことを許された6000回転あたりで2速へとシフトアップ。その際にクラッチを踏み込む必要はない。するとどうだろう。まるで駆動が途切れることなく、「コン!」と弾かれたように加速が続くのだ。それを3速、4速と続けて行くと、まさにシームレス! 変速ショック自体は大きいが、これはエンジンとの協調制御がまだまだできていないからとのこと。
だが、レーシーに感じられるダイレクトなフィーリングがあるならば、変速ショックはむしろスパイスのようにも思えてくる。まだ粗削りなところが逆に好感触なのだ。これなら一般道をゆっくりと走っても気分は高まる。シフトダウン時にはクラッチを踏み込んでヒール&トゥが必要だが、瞬時にダウンシフトを可能にするシフトも心地よく、リズムに乗って走れることがたまらなく心地いい。
音に関してはナンバー装着を前提にかなり排気音が抑えられていて、さらにターボ化されたことでかなり静か。どちらかといえば重低音を奏でながら、ギアの唸り音などが車室内に響き渡っておりレーシーだ。シャシーはかなりダイレクト感溢れる仕上がりで、まるでフォーミュラカーを走らせている感覚。とはいえ乗り心地は悪くない。ステアリングのギア比はややスローで、交差点などでは3/4回転くらい回すイメージだから、ピーキーで公道を走りにくいということはない。
このようにIF-02RDSは初手からして、かなり完成度が高い。エンジンについてはV10の登場時が本来の狙うところなのだろうが、その時どのように仕上がるのか? 目指すところは超高回転エンジンとISTのシームレスな加速の組み合わせにより、「スポーツドライビングに特化したクルマ」だそうだが、その実現も今の仕上がりを見れば決して夢ではない。
単にカッコを追求したのでもなく、速さを目指しただけでもない。新発明のISTを広めるという崇高な思いを乗せたIF-02RDSが日本から誕生したことを誇りに思う。ニッポンのモノ創りはどう成長するのか? 未来への期待は高まるばかりだ。
イケヤ・シームレス・トランスミッションとは
既存のミッションのシンクロ部分に対して独自に開発したドグクラッチを組み合わせることで、駆動の途切れ、つまりはトルク抜けを一切無くしたシームレスな加速を達成したのが、イケヤフォーミュラの発明したIST(Ikeya Seamless Transmission)だ。変速する前の段にドグクラッチを接続した状態で、次のギアにドグクラッチを接続。変速されたギアにトルクがかかった瞬間、ゴア比の差によるトルク循環を利用して、前の段のギアが自然に外れる機構を採用することで、シームレスな加速を達成している。それをDCTのように重量アップせずに行えたことは素晴らしい。シングルクラッチのミッションとは思えない走りを実現できるのだ。
模型:従来のミッションでは1速から2速へとクラッチスリーブが移動。ISTでは4速にドグクラッチが接続した状態で、5速にもドグが接続。そうすると4速と5速の回転差によって、4速側のギアが自然に外れ、ミッションブローも起こらない。V字に掘られた溝がこの仕組みのポイントだ。
Posted at 2022/03/21 00:12:34 | |
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自動車業界あれこれ | 日記
2022年03月21日
ツインカムとDOHCって何が違う? なぜ高性能エンジンにはカムシャフトが2本あるのか
メーカーによって呼び方が異なるDOHCとツインカムとは
ツインカムとDOHC(ダブル・オーバー・ヘッド・カムシャフト)は、メーカーによって呼び方こそ異なるが、これはほぼ同義である。ちなみにどちらもエンジンの構造を表し、ひとつのエンジンのシリンダー(燃焼室)上に何本のカムシャフトがあるのかを示す用語である。
かつては高性能エンジンの証として、エンブレムの横やボディサイドにステッカーが貼られていたことを覚えている方も多いだろう。それこそ自動車雑誌では「ターボとDOHCのどちらがチューニングに向いているか」や「どちらが高性能なのか」といった記事が人気を集めていた。しかし、現在では高性能なDOHCエンジン+ターボが当たり前の時代となり、話題終了となるのである。
昔は同じような機構でもメーカーによって呼び方が異なる場合が多く、ツインカムとDOHCに限らず、例えば4WD(FOUR WHEEL DRIVE)をAWD(ALL WHEEL DRIVE)と称するぐらいの違いと考えてもらえばいいだろう。
エンジンの進化過程でSV→OHV→OHCへと発展
ここで10秒でわかるカムシャフトやバルブの歴史について少し解説してみよう。昔はエンジンの横や下にあったSV(サイドバルブ)という方式がエンジンの主流だったが、その後、現在でもシボレー・コルベットが搭載するカムシャフトがエンジンブロック側で、バルブが頭の上にあるOHV(オーバー・ヘッド・バルブ)が誕生する。
そしてカムシャフトが一番上にあるOHC(オーバー・ヘッド・カムシャフト)、もしくはSOHC(シングル・オーバー・ヘッド・カムシャフト)が生まれ、さらに発展型のツインカムやDOHCへとつながるワケだ。
DOHCが高性能エンジンとされるのはより高効率を実現するため
そこで現在主流のDOHCエンジンは「何がすごいのか?」であるが、吸気・排気バルブのそれぞれの面積を広げることで、シリンダー内に沢山の空気を取り入れることが可能になり、出力(パワー)を高められるようになるのが大きな特徴だ。いまいちピンときていないようであれば、ひとつのシリンダーにインテーク(吸気)バルブがひとつ、エキゾースト(排気バルブ)がひとつのSOHCと、それがそれぞれふたつのDOHCとでは、どちらがより多くの空気が取り込めて効率がいいかという話になる。もちろんDOHCの方が高効率のためパワーを引き上げることができるようになる。
そのため1気筒(シリンダ−)あたりにバルブを4つ設けたとしたら、吸気に2バルブ、排気に2バルブあった方が当然効率が高く、吸気用と排気用にそれぞれ2本のカムシャフトを備えることで、より緻密な制御ができるようになり高性能化できるワケだ。もちろん吸入空気量を増やす機構としては、効果の違いこそあれターボチャージャーやスーパーチャージャーも同じ効果を狙ったものになる。
V型や水平対向エンジンのDOHCはツインカムとはイコールにならない
ここでツインカムとDOHCの重箱の隅をつついたような違いに触れると、ツインカムはエンジンに何本のカムシャフトがあるかを示している用語なので、直列エンジンであれば8気筒でも12気筒でも2本だからツインカム(以下、DOHCに統一)。
対してV8エンジンであれば片側(片バンク)2本ずつだから、4本必要でフォーカムとなる。かつてはカタログに4カムと表記したV6エンジン搭載車もあったが、実際には1気筒あたりのカムシャフトは2本なので間違いではないのだが、現在は誤解を招くことがないようにDOHCという表記が一般的となっている。
1気筒5バルブのエンジンもあったが現在は1気筒4バルブが主流
かつては直4エンジンのDOHC8バルブやSOHC8バルブ、1気筒あたり5バルブのDOHC20バルブといったエンジンもあった。これらはコストと性能のバランスの追及や差別化が重要視されていたワケだが、現在はほとんど見かけることはなく、1気筒あたり4バルブのDOHCが基本となっている。
これはバルブの開閉面積だけではなくて、開閉タイミングも綿密に制御しないと緻密な燃焼ができず、出力はもちろん排ガス浄化性能や燃費に関わることから、現在は2本のカムシャフトのDOHCが主流となっているのだろう。もちろん量産効果でコストも下がったに違いない。
日本車初のDOHCエンジンはホンダT360に搭載の「AK250E型」
少々昔の変わり種を紹介すると、例えばトヨタのハイメカツインカムは、1本のカムシャフトを従来どおりタイミングベルトで駆動して、もう1本のカムシャフトをカムシャフト間にシザーズギヤ駆動機構を設けることで実現したもの。その結果、最適燃焼室形状、高圧縮比、4バルブ化と開閉タイミングの効率化を図ることができ、低コストかつ高性能を両立。このバランスのいいエンジンは、高性能ではない乗用車のエンジンにもDOHCを採用させることになるなど、DOHCの民主化(?)を果たしたエンジンであった。
ちなみに日本車初のDOHCエンジンはどのモデルに搭載されたのかわかるだろうか? 1967年にデビューしたトヨタの歴史的スーパーカーである2000GTも早々に高性能エンジン(3M型・2L直6DOHC)としてDOHCを採用したが、じつは意外なことに1963年8月発売のホンダ初のトラックであるT360に搭載されたAK250E型・354cc直4DOHCが日本車初のDOHCエンジンとなる。
ホンダ自慢のDOHC VTECは2代目インテグラXSiで初採用
そのホンダと言えば、高性能DOHCのイメージリーダーといっても過言ではないVTEC(Variable valve Timing and lift Electronic Control system/バリアブルバルブ・タイミングアンドリフト・エレクトロニック・コントロールシステム)がある。可変バルブタイミング機構を備えたVTECは、低回転と高回転でバルブ開閉のタイミング(リフト量)を変更。エンジン回転数に応じて適切なバルブ開閉ができることから、エンジンの特性を可変させることで、高性能かつ実用的なエンジンの両立と低燃費化を実現した。2代目インテグラのXSiグレードに搭載のB16A型から始まり、VTECは一世を風靡。その後、三菱のMIVECなど、ライバルたちも負けずと開発競争を繰り広げいち時代を築くこととなる。
これは余談だが、コルベットがいまだOHVを使っているのは、ひとえにエンジンの重心を低くできるからだ。ドライサンプ式にするなどの改良が加えられ、ミッドシップとなった現行型もアメリカを代表するリアルスポーツカーとして人気であることはご存じの通り。かつて北米に存在した「OHV only」というOHVエンジンしか整備できないという整備工場が現在どれだけ残っているのかは不明だが、「OHVこそアメリカのエンジンだ!」という気風もあっていまだOHV一択なのだろう。
いずれにせよ必要な性能が出れば形は何でもよく、現在の1気筒あたり4バルブのDOHCというのは、需要と供給の結果というワケだ。
もう5バルブエンジンが出ることは無いのかな〜
Posted at 2022/03/21 00:08:03 | |
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