• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

元Gureのブログ一覧

2012年04月24日 イイね!

保存版・燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!…ギャランGTOvsセリカ編 (後編)

保存版・燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!…ギャランGTOvsセリカ編 (後編)(2012.4/2UP)

【終息期】
(75/11)
排ガス未対策モデルが販売できるのも75年いっぱい、いよいよトヨタ/三菱も苦心の末75年も押し迫った11月にセリカ/GTOを独自のカラーで規制適合させてゆきます。

まずはGTO、サーマルリアクター方式(後燃焼方式)のMCA-51と名付けたシステムにて50年を飛び越えた51年規制適合モデルがラインナップ、先記のように75年いっぱいは未対策モデルも販売可能な為、これらと併売されますが規制車は減税=優遇税制が適用されまています!

MCA-51モデルは1700と2000シングルキャブのみの設定で排ガス浄化補機装置にパワーを喰われ1700の4G35が105ps→97psへ、2000の4G52が115ps→105psへスペックダウン、それそれ未対策時代の元気は奪われ排気量が300~500cc又は車重が300~500kg重くなったような印象に成下がりGTOの暗黒時代突入を乗ってみると感じざるを得ないモデルでした。。。

↓トランクリッドの左端には排ガス規制車を示す『MCA-51』を示すエンブレムが…(75/11~1700SL-5)


↓クリーンながら残念な出力ダウンは避けられなかったMCAエンジン(75/11~4G52型)


規制モデルは小変更が行われ2分割プロペラシャフトの採用(走行騒音低減)、ミラーをブラックアウト化、旧型では『AstoronN80』のステッカーがあったボンネット先端に『MCA』のエンブレム、追い出された『Astoron80』の文字は グリルにエンブレムとして装着、またトランクリッド左側にも『MCA-51』のエンブレム装着がなされ1700SLは5速化し1700SL-5へ、2000SLはGSR同様のエアダムスカートが標準装備されています!

尚、未対策モデルは75年末をもって廃版、GTOは76/1より上記のMCA-51モデルへ移行、ツインキャブ搭載の2000GS-5と復活するも僅かな生存だったGSRも当然カタログ落ちし涙なくして語れない時期になってしまいました(;_;)
規制モデルは型式が51年規制適合を表すC-とB-が付記され補機装置で1tを超えた200SLが1t超を示すB-A57C、1t以下に納まる1700SL-5がC-A55Cとなっています。

一方のセリカは排ガス規制適合と同時にシリーズ全体を大幅にMC、50年規制達成不可の一部搭載エンジンをカタログ落ちさせながら三菱とは異なる酸化触媒方式の『TTC-C』システムにてこれをパス、この時にバリェーション整理が行われ内外装の意匠も変更、特にインパネは70y以来の旧態化した使い勝手を改善、従来のイメージを継承しつつもワイパーやライトスッチを現代に通じるマルチレバー化しているのが大きな特徴。
また、ボディも主として排ガス対策補機装置を納めるため全長+25mm、全幅+10mm、ホイールベース+70mm、Frトレッド+50mmの拡大がなされています。
エクステリアではLBのテール、バナナを5本→3本に変更、LBの例の給油口がボディサイドにようやく移設(これは追突時の火災の危険性が高いため問題視されており後に保安基準でOUTになっています)、セリカ/LB共にFrターンシグナルをバンパーに埋め込みややFrの印象を変えていますがMCのズレもありセリカのRrは不変でした。

↓75/11~の排ガス対策モデルとなったセリカLB(op装着のLB2000GT)



↓インパネもMCを機会に新設計!(75/11~LB2000GTのインパネ&インテリア)



↓MCされたセリカ(75/11~2000GTV)



↓2000GTのインパネ&インテリア


大柄になったボディと排ガス規制による出力低下でセリカのドライバビリティは目を覆いたくなる有様!
大型化し特に新設op設定された輸出用5マイルバンパー(衝撃吸収バンパー=バンパー内部にショックアブソーバを装備、LBの2000にop設定)装着モデルは迫力を増し従来のLB/未装着とはかなりのイメージ変更がなされていますがトヨタのこの過程(50/51年対策)は他メーカーに較べスペック以上のドライバビリティ低下が著しく三菱が500ccの差ならこちらは10000ccも落ちた感じでしたorz…

カタログ落ちとなったエンジンは1400のT型、1600ツインキャブの2T-BR、同DOHCの2T-GR、2000EFIの18R-E…
Tはあまりの出力低下でセリカには荷が重過ぎて廃止、2T-GRも同様に〝GT”としての走りが失われるという意味で1600DOHCはレビン/トレノに譲り廃止、2T-BRはツインキャブの為排ガス適合不可、18R-Eは販売台数が伸びずにこの機会に廃版とされたものです。

残る適合エンジンは1600の2T(対策記号が付記され2T-U 100→90psへダウン)、2000の18R(18R-U 110ps→100psへ)、2000DOHCの18R-GR(18R-GU 140ps→130psへ)というあれほどにエンジンバリェーションを誇ったセリカも寂しいラインナップになっています…
ただ、最高峰の18R-G(U)がDOHC+ソレックスのまま残ったのはトヨタに拍手したい心境でした!!

当時はセリカに限らず各社のツインキャブモデルが次々に姿を消しRE以外にもう本当の意味のスポーツグレードは存在できないのか?という悲劇的状況、トヨタや日産はエンジンを標準モデル(規制適合エンジン)にしながら装備や外観は以前を継承した〝なんちゃってSRやSSS・GT”をラインナップし続けましたがセリカを始めカリーナ/コロナの2000GTのみが伝統のDOHC+ソレックスツインを持ち続け(いすゞ117のG180Wは早々とECGI化)悲壮な時代の中でもスポ車ファンに希望を与えてくれました!
もちろん10psダウン(感覚的には10psというとスペック以上のダウン)に排ガス対策とソレックスの合性の悪さでそのドライバビリティは2000GTの名を汚す出来栄えではありましたがそれでもGTの名を消さない意地を感じライバル車ながら本気でエールを送っていましたねー!!

↓暗黒時代到来でもギリギリまでDOHC+ソレックスを守った18R-GU型エンジン!


セリカシリーズの排ガス対策型式は50年規制を表すA-が付記(車重別はなし)、この時点でA-TA23(1600)、A-RA23(2000)、A-TA28(LB1600)、A-RA28(LB2000)となっています。

76年も終盤、両車発売6年超となり最大の難関であった排ガス対策にも目途が付きこのために長引いたGTOとセリカのモデルライフも終息期となり三菱/トヨタとも最終モデルの発売及び製廃・FMCを睨む時期に入ります。
ここからは両車の製廃・FMC迄を振り返ります!

(76/2)
75年末からスポ車にとっては暗い話題ばかりの時期、年が開け間もない2月に三菱/GTOファンならずともスポ車/スペシャリティカーファンに嬉しいニュースが訪れました!
それはGTOに再びツインキャブをまとう『GSR』が復活した事…!!
75年中は未対策GSRが販売可能でしたので76年になり2カ月のブランクだったGSR、見事に従来旧型同様ツインキャブ付きで51年規制をパスして復活を果たしました。
もちろんSL系同様のMCA-51システムよりパワーダウン(125ps→115ps)、重量増(1015kg→1040kg)は逃れませんでしたがトヨタほどのパワーダウン感はなくこの時期他車が次々に適合に有利な電子燃料噴射装置に移行する中、従来通りのツインキャブで蘇りファンを喜ばせました。
規制後にツインキャブで復活したのはあれほど多かった同モデル(エンジン)の中でもごく少数、トヨタは18R-GUのソレックスのみ、日産はサニー/チェリーのA型(A12→A14に変更)、そして三菱はこの4G52とランサー/セレステ用の1600の4G32、富士重レオーネRX用のEA71という中、4G52ツインは数少ない蘇りの一つでした!(同じ4G52MCAツインはギャランGSⅡ B-A115型にも搭載、復活GTO GSRの型式はC-A57C)

↓MCA-51となって再度復活の『GSR』(76/2~モデル)


↓MCA-51ながらツインキャブで再登場した4G52型アストロン80ツインキャブ付エンジン


復活GSRはGTO史上最も生産期間が短く同年5月には最終型へとマイナーチェンジされる為僅か3ヶ月の存在でした、意匠等は先に発売されてるSL系と同一の小変更が施されてますが伝統のGSR専用装備は既に2000SLにもエアダム装着がなされていた為カラードグリルと新採用のホイールリングのみになっています、どうでもいい?話しで恐縮ですがワタクシめの1号機がこの時のMCA-GSRで大変レア物に乗っていた訳です(^_^;)

~両車、最終型発売~

(76/5)
発売6年半を経たGTO、いよいよ最終型が発売されます。
今回のMCではボディ新色の追加と若干のエクステリア変更がなされており1700/2000SL-5共にGSR同様にカラードグリル、ホイールリングを装備、1700SL-5もエアダム装着。
一方のGSRは下級グレードとの差別化をウィンドゥサッシュ/サイドシルモール/エアダクトをブラックアウトで示しエアダムスカートに逆文字『GSR』ステッカーを装備しました!

↓76/5~最終型GSR


↓最終型の段階でのグレードは全3種!


他に80年代に向け前後バンパーにコーナーラバーが全種に装着されたのが外観上での新しい部分、細かい新装備は燃料残量警告灯の追加となります。機関面やインテリアは従来型と変更ありませんでした…

(76/5)
セリカも最終型に向けた仕上げに入ります。
76/5にまず1600 2T-Uが50年→51年規制に適合、この時に1600(=51年規制車)はセリカ/LBともにC-TA35型に型式変更。

(76/6)
セリカ、非DOHCの2000 18R-Uが同様に51年規制に適合、型式C-RA35に変更。

(76/12)
50年規制車が販売が可能である76年12月、ギリギリになり2000DOHCがようやく51年規制適合となり翌77/1より販売されます。
ソレックスのままでかなり51年適合は危ぶまれ一時は製廃も検討されながらの滑り込み!トヨタの意地を感じました。
尚、この時点でセリカシリーズも最終型となっており2000DOHCも適合により型式をC-RA35に変更、73年LB追加以来、セリカとLBで分けてきた型式を統一しています。

(77/3)
セリカ、いよいよこちらもモデル末期となりFMC前にセリカファンに贈る特別限定車『BLACK CELICA』が発売されまています。

ブラックセリカは「生産累計100万台突破」記念としてLB2000GTをベ-スに385台、その名の通りブラック専用色にて限定販売されたもの、〝CELCA LIMITED EDITION”のオーナーズプレートには所有者のネームが記入され更に1台ずつの製造シリアルナンバーが刻まれたステッカーがコンソールとRrホイールアーチ前のCELICAエンブレムの下に装着しています。
通常のGTではop設定のAM/FMラジオ、タルボ型電動フェンダーミラー、輸出専用サイドプロテクションモール、衝撃吸収バンパーなどを特別装備!

↓特別限定モデルのセリカ・ファイナルバージョンだった『ブラック・セリカ』
(ホイール・タイヤなど一部社外品装着車)


↓限定車の証、オーナーズプレート


~製廃&FMC~

[GTO]
総生産台数95.720台、7年に渡り三菱のスポーツ部門のTOPを受け持ったギャランGTOは76年暮れの新世代スポーティのギャランΛの発売によりこれの影響が大きく翌77年夏をもって静かに生産中止となりました。

ニャーギャランHT(A11♯系)がΛと入れ替わりに生廃となったのとは違いGTOはΛ発売後も暫く生産、併売されましたがΛ以前の75年に1万4242台、76年は8200台強の販売を記録しながらΛとキャラの被るGTOは77年には一気に1850台迄に激減、商品寿命も切れたと判断され生廃、78年に恐らく在庫整理であろう40台をこの世に送ったのが最後の記録のようです。
Λは搭載エンジン、4G52をGTOから継承(後に1600 4G32も搭載)、一部パーツ流用もありGTOのDNAを継ぐNEWモデルでしたが結果的にGTOはΛにギャランHTと統合吸収=FMCしたカタチとなりました…。

↓GTOはΛにそのDNAを継ぐ!(76yギャランΛ 2000GSR)


”GTO”のネーミングは一旦ここで途絶えその後三菱のスポーツフラッグシップはギャラン/エテルナΛ→スタリオンと進化しながらバブルも終わりかけの1990年、13年の沈黙を破り新星GTO(ギャランは付かない)としてそのネーミングが復活したのは皆様の記憶にも新しいのではないかと。。。

[セリカ]
セリカシリーズ、生産累計100万台と国内登録385000台というパーソナル性の強いスペシャリティカー単独としては類を見ない実績は見事!発売6年を経た76年単年でも35000台強の国内販売を残しており同じくモデル末期のGTOの4倍以上の数字、70~77y累計でもGTOはセリカの1/10ですからこのガチンコ対決は悔しいかな?セリカの完勝・圧勝ででした!!!
セリカも77/8、GTOがひっそりと消える〝一蓮托生”的にFMCが行われ2代目TA/RA40系に移行、GTOはその名を消しながらもセリカは第二章へと発展、その後もトヨタの重要なスペシャリティ、スポーツ部門の中心を担いながら代替わりを重ね2006年まで実に36年間、現役を守り通した日本のスペシャリティカー歴史そのものとなっています!

↓77/8、第2世代にFMCしたセリカ(77y2代目C-RA40型セリカクーペ2000GTV)



~総評~

GTO/セリカとも日本のモータリゼーションに希望が満ち溢れた時代に登場!新ジャンルの“スペシャリティカー”の基礎を造り7年の長きに渡り両翼を担い続けました。
オイルショック、排ガス規制というこのカテゴリーには厳しく立ちはだかる壁も乗り越えながらセリカは常に人気・販売の1、2位を争う位置を守りGTOは三菱という弱小メーカーにいながらもその存在感を示す努力を怠らず最後まで商品価値を維持、この2車は国産車、スポーツ車の歴史を語る上でどうしても外せない歴史的価値があると思います。
GTOとセリカ、製廃から既に35年を経ておりますがその存在は21世紀、2012年の今でも永遠です。。。



“燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!”GTOvsセリカ… 完
Posted at 2017/08/06 20:44:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | ライバル | クルマ
2012年04月23日 イイね!

保存版・燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!…ギャランGTOvsセリカ編 (中編)

保存版・燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!…ギャランGTOvsセリカ編 (中編)(2012.4/21UP)

“燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!”GTOvsセリカの後編となる【繁栄・終息期】をお届け致します!

【繁栄期】

大阪万博の開催をTOPとし新たな時代を告げた1970年の終盤に発売された二つのスペシャリティカー、三菱ギャランGTOとトヨタセリカ、両車とも発売翌年の71年から本格的ガチンコ対決に入りそれぞれモーター競技への参加、新モデル(バリェーション)のラインナップ、よりハイパワーなエンジン搭載など様々な拡販体制が敷かれてゆきます。

↓白/オレンジ2色設定のMR、極初期のみ存在した希少なライトグリーンの70yMR


↓悪名高き50年排ガス規制後も看板の“DOHC+ソレックス"をラインナップし続けたセリカ(76y2000GTV)


一方で華々しい激戦を演じたこの2車に他社も参戦/迎撃の為、東洋工業(現マツダ)から新鋭サバンナといすゞから既存ベレットGTRがライバルとして名乗りを上げました!

《ライバル参戦》
時代は前後しますが69/10に既存ベレットGTのボディに上級117クーペのG161W型DOHC+ソレックスツイン120psを搭載した“最強のベレG"としてこのクラス唯一のライトウェイトスポーツ、唯我独尊のいすゞベレットGTRが真っ先にGTO/セリカの競合車種として名乗りを上げています。
「スペシャリティカー」の意味合いとしてはベレGRは前編でその定義をご紹介した通り外れていますが車格(寸法や性能)は新鋭2車とほぼ互角、ps的にはセリカGTの115psとGTO MRの125psの中間を行く120ps誇るベレGRはトヨタ、三菱製にない荒々しい性格のエンジンといすゞらしく独特な脚廻りを誇り万人向けセリカ、玄人好みのGTOを上まわる乗り手を選ぶ硬派なモデルでした。

↓既存ながらセリカ/GTOの出現で再びクローズアップされた『いすゞベレット1600GTタイプR』


60年代発売の古いシャーシ/ボディに117のDOHCを換装した事で発売時こそ話題になったベレGRですがその後はいすゞマニアを除いて古さが故に相前後して続々デビューする新鋭スポーツモデル(スカイラインGT-R/GT-XやマークⅡGSS/マツダRE軍団)の影に隠れがち、しかしジャンルは違えど近い性格、カテゴリーのセリカとGTOの出現により息を吹き返しセリカ/GTOの普及グレードに対抗する1800GTNを70yに設定したり63yデビューから8年にしてもMCを施すなどがなされ73yまで参戦、古さが故に新鋭2車にはとても歯が立たなかったのが現実ながら皮肉ながら“ジャジャ馬ベレG”はセリカの新グレードで本質の“走り”の部分により性格を振った『GTV』やGTOのMCで追加された『GSR』に影響を与えるなど一定の効果を与えました!

そしてもう一つ、社運を賭けて開発した“夢のエンジン”=ロータリー(RE)を搭載しコスモスポーツ、ファミリアRE、カペラに続く東洋工業RE戦略第4弾となる新鋭『サバンナ』もセリカvsGTOvsベレGRの参戦に加わり四つ巴の様相を呈して参りました!

↓“もう一つのライバル”であった『マツダ・サバンナ』(71yクーペGSⅡ)


サバンナはセリカと似たデビューを果たしファミリーユース向けで同じボディをまといながら大人しい普及版レシプロエンジンを搭載するグランド・ファミリア(以下Gファミリア)と同時発売されたマツダの新カテゴリーモデルで大衆車ファミリアと現在で言うミディアムクラスであるカペラの中間層を取り込む位置に投入、トヨタのカローラ/コロナに対するカリーナや後年のブルーバード/サニーに対するバイオレットの関係と同一です。
サバンナはGファミリア同様に4ドアセダンとワゴン(Gファミリアはバン)ボディを持つワイドバリエーションの為、“スペシャリティカー”としては認定されません、しかし最もスポーツティなクーペモデルはセリカやGTOにも負けないド派手なマッチョスタイリングで当時、REを武器に本格的にアメリカ市場に切り込みを賭けていた東洋工業が自信を持って表現したマッスル的グラマラスなスタイリングが魅力!
またREエンジンはデビュー当初はファミリアRE譲りの小排気量版10A型(491cc×2ローター)105psでスペック的にはセリカGTやGTO MR、ベレGRには見劣りするものの875kgという軽量ボディとモーターのような滑らかなREパワーでこれらに肉薄、72y以降は上級カペラの大排気量版12A型573×2ローター、120ps(後に125psにUP)を換装した『サバンナGT』(RX-3)の設定追加により肉薄どころか当時レース界では無敵と言われた日産スカイラインGT-Rのレース連勝記録をSTOPし名実ともにクラス最速の座を手に入れ伝説的モデルとなっているのはあまりにも有名ですネ。
セリカは国内外レース/ラリー、草レース/ラリーにも参戦しますがこのサバンナ(RX-3)には適わず70年代は正にこのレース界に於いてサバンナ一人勝ちの様相でした!

しかしサバンナはその“速さ”と引き換えにREの最大の欠点であった極悪燃費が当時運悪く起きたオイルショックと重なり東洋工業にはREモデルは返品、キャンセルの山となり経営が悪化するほどの危機を迎えるという事態、メーカーはRE戦略の見直しを行いますがサバンナ自身はそんな逆行の中でも78yまで細々ながらもラインナップがなされオイルショック以降は“時代遅れ”のレッテルを貼られながらも存在、75yからは排ガス規制もあり牙を抜かれたセリカやGTOを遥かに上回る動力性能を排ガス対策に強いREだからこそ維持し続けますが“燃費”が大きなウィークポイントになりその生産/流通はセリカ/GTOの足元にも及ばない数千台規模のモノでした(S50年セリカ5万台強、GTO約15,000台)

《モータースポーツでの活躍》

さて、話をセリカとGTOに戻します。
この2車はその性格を示し拡販の為もありレース/ラリー活動などモーター競技への参加も行われます。

三菱は60年代には『コルト・フォーミラ』にてレース活動も行っていましたが目立った戦績は上げられず70年以降はレースと並行して活動していたラリー活動が軸となり72yのサザンクロスラリーにてギャラン16L GSにて参戦し初の総合優勝を飾っています。
GTOもメーカーのこのような施策の中、レース参戦はなく16L GSが総合優勝したこのサザンクロスに当時のイヤーモデルであった17XⅡにて2台が参戦、XⅡは後述しますがMⅡの発展型NEWモデルで100ccボアアップの1700ccエンジンを搭載しギャラン16L GSやGTO MⅡを凌ぐ戦闘能力がありながらもギャランよりも増えた車重と優勝したギャラン後続のより軽量で戦闘能力を高めるNEWラリーモデル(後のランサーGSR A73)に神経を集中、GTOの公式な競技参加はこの時限りだったようです。

↓72yサザンクロス参戦したGTOのラリーカー


一方のセリカはレース、ラリーを問わず金の有り余る?トヨタらしく積極的に参加、72y~73yのWRCに2T-Gを135psまでチューンしたラリーモデルでの参戦を手始めに73y以降に投入された2000DOHCや新ボディのLB(リフトバック→後述)も加えて内外のサーキットやラリーコースに数多く出没、73yの富士1000km耐久に2T-Gをターボ化し300psのモンスターカーで総合優勝という輝かしい戦績を残し76yにはドイツツーリングカー選手権にRA20(LB2000GT)ベースのセリカLBターボがGr.5=シルエットフォーミュラへ出場、後にトムス(トヨタのレース部門)により輸入され国内レースでも活躍しています。
その後もセリカは代替わりしても競技参加には積極的に行われますが徐々に人気の高まるラリー参戦にシフト、TA63(3代目)以降はこれに特化し4代目以降のGT-four(ST165~)からのWRCなどでの大活躍は承知の事実ですね!

↓レース/ラリーで活躍するセリカのレース&ラリーモデルの一部




70年代は“高性能”=サーキットを走りまわるのが一番の証、そんな時代にレースに参戦しなかったGTOと積極的に参加したセリカの対決は火を見るより明らかにセリカの戦略/イメージ植え付けの意味では大勝!その後のこの両車、特にレース観戦に熱心だった若者にセリカの知名度はより浸透しイメージUP、この分野でのセリカvsGTOは残念ながら実現されておらずGTOを決定的に敗北させ大きな要因がこのイメージ戦略にもあったと思います。
セリカはもちろんサバンナGT、スカイラインGT-Rが熱戦を繰り広げる中、“レースに出ないスポーティカー”のGTOはこの時点である意味それ=スポーツモデル失格だったかもしれませんネ~orz…

《モデル改歴…発展/熟成期》

以上のようにスペシャリティカー、スポーツモデルとしてのイメージ植え付けと拡販を目論む両車の対決はもちろんモータースポーツ参戦だけのみならずこれの話題や注目を生産車にフィートバックし雨後のタケノコのように次々に魅力溢れる新モデルや新グレードの追加やMCが行われてゆきます!
ここからは発展期~熟成される1975年(昭和50年)までを改歴順に振り返ってみます。

(72/2)
まずはGTO、発売から1年4カ月後の72/2に初のMCが施されます。
80年代からは一つのモデルのFMC(フルチェンジ)サイクルは4年、MC(マイナーチェンジ)サイクルは2年が例外を除きほぼ標準化しています、しかしこの時代はMCは1年ごとに行われるケースも多々あり三菱もギャランやミニカにイヤーモデル制を採用、GTOもこのMCで72イヤーモデルとなります。

1600cc、MⅠ/MⅡ/MRのモデル展開を行っていたGTOはライバル・セリカの追撃に対応しMⅠ/MⅡを新たに『17Xシリーズ』に変更、外観には大きな変更はなくテールランプが保安基準改正に合わせてこれまでのレッド角型2灯だったものをレッド/アンバーに変更、ヘッドライトベゼルを黒→グレーの落ち着いた色彩に変更、搭載エンジンを100ccスケールUPしトルクフルに振った新エンジンに換装、1700化により型式はA53C→A55C型に変更されました。
他に安全対策の充実などが施されM時代に較べエンジン特性に合わせて大人っぽさを演出するGTカー的な存在に振られました!
新色のダーク系などの落ち着いたボディカラーの採用や新デザインのストライプテープもラインナップしています。
MRに関しては外観のみ17Xと同様の変更がなされますが装備や4G32サターンAⅢDOHCエンジンを継続、当然1600ccのままで留まります。

↓72イヤーモデルの新星GTO 17Xシリーズ(㊤17XⅠ㊦17XⅡ)



↓72年型MR、70/71モデルとの外観上での大きな識別はFrフェンダーサイドの『MR』オーナメントのデザイン!


XⅠでは旧MⅠがヘッドレスト分割式シートだったものをMⅡ(XⅡ)以上と同様にハイバック式に変更、XⅡにはGTO初のイージードライブが楽しめる3速ATモデルもラインナップされこれまでセリカにありGTOになかった為、GTOファンの女性/年配ユーザーの要望に応えるようにイージードライブ可能なモデルが設定がなされました。

↓イージードライブの要求に応えるGTO 17XⅡ-AT



ATモデルはB/W(米・ボルグワーナー社)製5ポジションの3速AT(P・R・N・D・L)、ただ実際のATモデルの販売台数はセリカ/GTO共やはりこの種のモデルの性格とまだまだ時代はATを異端児扱いする頃でしたので殆ど市場に出回る事はなくワタシも後年、セリカの最終型LB2000ST(C-RA35)で経験した以外、GTO含め乗車経験はないのでフィーリング的な感想は書けません。時代的にも少なくとも国内に於いてはあえて必要なモデルでもなかったのかな?と思います。
B/W3速は信頼性も高く燃費もMTと比較すれば許与できる範疇のモノでしたし売れなかったのは機構とかフィーリングではなくただただ「早すぎた」だけって感じですかね…

尚、17Xの主な概要は下記の通りです。

【バリエーション】
XⅠ/XⅡ
【型式】
三菱A55C型
【搭載エンジン】
サターン4G35型1700cc 直4OHC シングルキャブ110ps(XⅠ)
サターン4G32型1700cc 直4OHC ツインキャブ115ps(XⅡ)
(XⅡツインキャブは有鉛ハイオク仕様、レギャラー仕様は5psダウン)
【ミッション】
4速MT/3速AT
【最高速】
XⅠ;180km
XⅡ:(MT)185km(AT)170km

ツインキャブはMⅡ、SUからトルク重視のストロンバークツインに変更、カムプロフィールや点火系の見直しなどが48年排ガス規制に合わせて変更されました。
1600(4G32)と1700(4G35)、乗り較べると4G35はトルクフルながらも4G32時代の元気さは影を潜め4G35でもギャラン・ノートは健在ながら回転の鋭さや胸のすくフィーリングは若干弱まりパンチ力は感じるも荒っぽさは感じられなくなりました。乗っていてパワフル感、楽しさは排気量の低い4G32が完全に上!トヨタに準じた訳ではないでしょうが4G35は乗り易く万人向けに振られた感じが48年規制の産物として現れた感じです。
つまりは玄人好み→若干素人にも門戸を広げたって感じでしょうか?それでもトヨタT系に較べまだまだパンチ力では上でした…

(72/8)
GTOのMCに呼応するかのようにセリカも72/8、MCが行われます。
この時、最高グレードのGTの装備を簡略化し価格を下げ主にモータースポーツベース向けにした1600GTV (V=勝利→VICTORYの意)を追加しています。
GTVはGTからホイールキャップレス、P/W(パワーウィンドゥ)レス、木目調の豪華部分の内装を簡略しエキサイティングなイメージ、脚廻りもGTより強化されそれまでどちらかと言えば“軟弱GT”イメージ的だったものを一気に硬派な走り重視の漢のマシンでもあり走り屋層に歓迎されました!

MCはセリカの場合、GTOより大きな変更がなされ外観上もFr/Rr及びサイドウィンドゥ後端のエアアウトレットのデザイン、そしてこれまでトランク下の燃料タンクをRrシート後に移設、これまでテールランプ間のガーニッシュ内に隠されていた給油口を安全対策(後述)上、右クォーターに新設など大きな意匠変更が施されます。

初のMCを受けたセリカ72y~モデル(1400外装ST内装カスタム)


↓MCでテールにアンバーを加えた2分割式となり赤目ワンテールの特徴あるRrは廃止に(1600GTV)


インパネも基本は従来型と同一ながらセンターコンソロールを大型化、空調吹き出し口を設け豪華な造りとなっています。

↓大型化されたセンターコンソロールが高級感をUP!(72y1600GTV)


(73/1)
GTO、17Xから1年経たない73/1に今回は大幅なMCが行われました。
これはベースのギャランが当時1.6級セダンが2L級に移行する時期でもあり最大のライバルのコロナやブルーバードも相前後してカテゴリーを相前後してUP、ギャランもこれに倣ったものです。
セダンのカテゴリーUPはスポーツ/スペシャリティにも波及、GTOとセリカもこの時流に乗りこれまで1.6Lライトウェイトモデルとしての性格は後出のギャラン・クーペFTOに任せ2L GTモデルへと飛躍を遂げました!
GTOがまず73/1にMCを施しながら2Lモデルを設定しますがベースのギャラン2L級移行は73/6(A50系→A110系へのFMC)でしたのでこれに先行する形で行われています。

2LモデルのGTO、型式はA57C型を名乗ります。但し旧17XⅠの4G35型シングルキャブも廉価版『GTO1700』として残されますがバリェーションモデル名は『1700SL』に変更、psもややデチューンされ110ps→105psに落とされMAXスピードも5km減です。
メインは2000シリーズとなり1700含め概要は下記の通り。

新型GTO(73/1~)モデル

【バリエーション】
1700SL/2000SL/2000SL-5/2000SL-AT/2000GS-5/2000GSR
【型式】
(1700SL)三菱A55C型/(2000シリーズ)三菱A57C型
【車重】
925kg(1700SL)~1015kg(2000GSR)
【搭載エンジン】
サターン4G35型1700cc 直4OHC シングルキャブ105ps/15kgm(1700SL)
アストロン4G52型2000cc 直4OHC シングルキャブ115ps/17kgm(2000SL、同SL-5、同SL-AT)
アストロン4G52型2000cc 直4OHC ツインキャブ125ps/17.5kgm(2000GS-5、2000GSR)
【ミッション】
4速MT/5速MT/3速AT
【最高速】
1700SL;175km
2000SL:(4MT)180km(5MT)185km(AT)170km
2000GS-5/GSR:190km

この73y~のモデルがGTOとしては最もワイドバリェーション化された時期で年々セリカと販売台数が開いていくのに歯止めをかけたい三菱の肝入り度合いが伺えます。

↓全6種グレードとGTO史上最多バリェーションを誇った73y~モデル




新シリーズに移行したGTOの惜しまれるのはイメージリーダーで最高峰のMRが廃止されてしまった事でしょう。
高コストと高価格が災いし1.6l級最高の性能を誇ったMR、僅か2年強の存在と835台の生産にて幕引きとなりましたがこの希少性から廃版後は所謂“絶版車”として注目され70年代後半から現在に至るまで高額取引がなされる国産車としての名車に数えられています!

このMRに変わってGTOの最高峰に据えられたのが『2000GSR』、新開発2Lエンジンは“サターン”に次ぐ”アストロン”と名付けられた4G52型。
MRとは違い量産、低コストを狙いOHC機構とし17XⅡ同様にストラオンバークツインキャブを装着、125psはMRと同数値でトルクは3kgUP!!

このGSR、ワタクシのGTO歴で2台目の愛車でしたのでインプレは昨日の事のように書けちゃいます(笑)
当時の同じ2Lのスポ車だったトヨタ18R-G軍団やL20ツインキャブと比較して特筆なのは低速トルクのモリモリ感とローギヤード気味に振られた変速比とロングストロークの4G52は出足ではRE以外負けナシって感じでした。
頭打ちは当然ライバルよりは早いので引っ張れば引っ張るほどにキツくはなるものの低速域での加速感は獰猛でパンチ力は1700の4G35を超えている印象、4G32以来のサターン独特の“ギャラン・ノート”は消え失せていましたがエキサイティング=裏を返せばガサツ?さは4G32の味を継承orトルクフルにしていましたねー。
上り坂でも何でも適切なギアさえ選択していればモリモリとしたトルクが湧きでるようなインプレは正にアメリカン的感覚、125psという数値はトヨタやいすゞの2L/1.8Lツインカムに較べ控えめながらもトルクでは大差なくその性格を物語っていました。

脚は相変わらずのRr板バネですが2000になりより固められており2L化により1tオーバーになろうともオーバーウェイト感は露ほど感じられず逆に重量増がM/X時代よりも安定制御させる役割を果たしたかのようでした。

外装はこの頃の流行りだあったビス止め式オーバーフェンダーを装着、ハトメレザーシートには『GSR』の文字が刻まれ他のGTOとは特別な装備も施されオーナーの優越感をくすぐる演出もなされていました!

↓何と言ってもオーバーフェンダーが最大の特徴だった新設『2000GSR』


このMCでは前年のモーターショーで参考出品された『GTO R73-X』のテイストが多く取り入れられたのも注目!
R73-Xは次期型GTO-MRをイメージした試作モデルであり外装、エンジンともにリファイン、外装では彫の深いFrグリルや可変スポイラー、ボディ一体型オーバーフェンダーをあしらった本格GTカーでありエンジンはデボネア用の6気筒、コルトフォーミラのデチューン版DOHC 16バルブ等が検討されながらコスト高と排ガス規制、オイルショックから実現には至らないながらもエクステリアにDNAは確実に伝承されていました。

↓72年のモーターショーに参考出品された『GTO R73-X』


R73-Xから受け継ぐのはFrフェイス。従来の2分割グリルは継続するも大型化されたセンターオーナメントは73そのもでありこれを太い横線を基調にしたグリルで高級感を与えています。Rrにも73X調のテールランプを採用、それまでのシンプルなサイコロテールから所謂“バナナテール”と呼ばれたクの字型5連の縦型に変更、迫力あるRrスタイルになっています。
Rrクォーターピラーのエアアウトレットもボディ同色3連ルーバーからメッキ状の細い縦線ダクトとなりここでも印象を高級にしていました。

好評の“フライトコクピット”には殆ど手を加えずスピード/タコの小変更程度程度ですが1700/2000SLはセンターコンソロールの油温/油圧計を廃止し小物入れに変更しました。
インテリアもM/Xを継承しますがシート地はコストダウンされ部分ファブリックは廃止、先記の専用デザインのGSRを含んで全てがビニールレザーに統一されまています。他にラジオアンテナをポール式からトランク全体をアンテナにしスタイルをスッキリさせるリッドアンテナを装備、Rr熱線を縦配置から効率のよい横配置にしています。

↓専用デザインのGSR(㊤)とGS-5(㊥)、SL-AT(㊦)のインパネ&インテリア


17XⅡ-ATから継承する2000SL-ATですがピーキーな特性のツインキャブXⅡ-ATと較べ2L化によるよりトルクの増大とシングルキャブとなった事からATとの相性は格段に良くなりドライブフィールが向上しより快適なイージードライを実現したとの試乗記を読んだ事があります、スタイル同様のアメリカンらしさが鮮明になったモデルに思われましたが僅か10カ月の73/10でATは廃止、やはりよほど売れなかったんでしょうねー。。。

(73/4)
2L級に移行したGTOを追うようにセリカも73/4に遂に2Lモデルをラインナップ、同時に前年のモーターショーで参考出品され高い注目を集めた『SV-1』の市販モデルとなる『セリカ・リフトバック(LB)』が新たにセリカシリーズに加わりました!

↓シリーズ新モデル”セリカLB"のベースとなるコンセプトカー『トヨタSV-1』


LBは既存セリカをベースのボディをクーペ化、更にテールゲートを設けたHBクーペで3HBや単なるクーペは存在しながらもこれほどファッショナブルでスポーティな形状は国内初のモノ!
「リフトバック」というトヨタの造語で名付けられたその多用途性も注目されRr可倒式シートと合わせ広いラゲッジルームを実現し時には2シーターのプライベート空間を演出したり時には4座+荷物積載も可能で大きいテールゲートから自在な取り出しが可能!が最大の売りでありかつ最大のLB人気でしたねー。

しかしLBのスタイルを最初に見た当時のワタクシ、愕然としました!!
それはもうライバルGTOの生き写しという感じのHip upのダックテールでありさすがに気が引けたのかトヨタはこの部分のセールスは控えていました、しかしGTOファンとしては許せないパクリであり未だワタシはこのLBは好意的な目では見れませんね(-_-)
もっともトヨタの言い分では米・マスタングを参考にしたものであり三菱と見本が同じだから結果が似てしまった! と後に何かで読みましたがこれは詭弁であり明らかにRrスタイルは中国のパクリカー並の手法に感じますが如何でしょうか…
悔しいのはこれはトヨタの商法勝ちを認めますがテールゲート=第三の扉というGTOにない付加価値でGTOはもちろん、既存のセリカや他ライバルを圧倒し73~74年の不動の販売台数を納め当時絶対的立場にいたケンメリスカイライン(GC110)に肉薄する人気を得ていた事ですね(+_+)
これによりダックテールや似過ぎのRrスタイルは不問に付された?感が当時の空気にあったのは事実です。
しかしバナナ・テールといいあまりのパクリは見事でしかも従来型セリカからのボディ一体成型バンパーとの組み合わせはGTOのそれより新しさを演出するのが三菱党としてはまた悔しいところでもありました。ただ実際これはこれで乗ってみるとGTOにはない魅力を感じたのも正直な感想であの時代に遊び心満載で実用的にも便利な4座HBクーペは他に類がなくその後にサニーB210クーペ、S30Z2by2にランサー・セレステなどが次々に模倣してゆく人気のボディスタイルになってゆきました!
尚、従来型セリカをこのLB追加時より『クーペ』と呼ぶようになった!と多くの文献やwikiにも記載がありますがワタシの記憶が確かなら少なくとも現役時に従来型を『クーペ』と表す事はなく事実カタログでも謳われていません!
『クーペ』(ノッチバックモデル)と呼ぶようになったのは次期2代目40系以降でありその頃(つまり後から)初代ノッチバックも『クーペ』と便せん上呼ばれるようになったもので現役時はあくまで〝セリカ”は従来型のノッチバック、リフトバックを〝セリカLB”と呼んでいました。(以下これに拘り従来型をセリカと記します)

↓ねっ、Rrスタイルはどこからどう見てもGTOのパクリでしょ!?(73yLB2000ST)


尚、LBはFrノーズを従来型セリカに較べロングノーズ化、セリカがスモール部をスラント、バンパーを逆スラントのデザインとしていたモノをスモール・バンパーをバーチカルとしその分ノーズを延長し迫力を増しています。

↓LBのFr造形はセリカとは造形を異にする!(73yLB2000GT センターモールはop)


またこのLB登場と同時にコロナやマークⅡに搭載していた2L、18R系エンジン搭載の2000シリーズを追加、一歩先んじたGTOの2000に対抗しています。
2000シリーズは一部セリカにも設定、これまでの1400/1600含めて73年~モデルの概要は下記となります。

73年型セリカ/セリカLBバリェーション

【バリエーション】
(セリカ1400/1600/2000)
外装=ET/LT/ST
内装=ベーシック/同S/デラックス/同S/同SW/カスタム/同S/同SW
(セリカLB1600/2000)
外装=ST
内装=デラックスS/同SW/カスタムS/同SW
以上フルチョイスシステム採用モデル
※セリカ2000に付いては外装ET、内装ベーシック~デラックスは未設定

セリカ1600GT/1600GTV
LB1600GT/2000GT
以上は専用モデル設定
【型式】
セリカ1400=TA20 同1600=TA22 同2000=RA21
LB1600=TA27 LB2000=RA25
【車重】
875kg(セリカ1400外装ET内装ベーシック)~1055kg(LB2000GT)
【搭載エンジン】
T型1400cc 直4OHV シングルキャブ86ps/12kgm(継続=セリカ1400に搭載)
2T型1600cc 直4OHV シングルキャブ100ps/13.7kgm(継続=セリカ1600/LB1600に搭載)
2T-B型1600cc 直4OHV ツインキャブ105ps/14kgm(継続=セリカ1600外装ST/LB1600外装STに搭載)
2T-G型1600cc 直4DOHC ソレックスツイン115ps/14.5kgm (継続=セリカ1600GT/GTV/LB1600GTに搭載)
18R型2000cc 直4OHC シングルキャブ105ps/16.0kgm(新規=セリカ2000/LB2000STに搭載
18R-G型2000cc 直4DOHC ソレックスツイン145ps/18.0kgm(新規=LB2000GTに搭載)
【ミッション】
4速MT/5速MT/3速AT
【最高速】
(一部)
セリカ1400=165km
セリカ/LB1600AT=160km
同1600ツインキャブ=180km
同1600DOHC=190km
同2000AT=165km
同2000DOHC=205km

上記のように基本ET/LT/STをそのままに内装バリェーションをやや縮小してセリカ1400/1600/LB1600に設定、DOHC搭載モデル(セリカ1600GT/GTV/LB1600GT/LB2000GT)は専用となっています。
ATは1600/2000のシングルキャブモデルにラインナップ、現代と変わらないB/W式6ポジション式。

何と言ってもここでの注目点はLBに設定された2LGTモデル!18R-G型DOHCの145psという伝説のトヨタ2000GT並(トヨ2は150ps)のスペックに近い性能で205kmというMAXパワーはSOHCのGTO GSRに決定的に差を付けるカタログ上の性能差とステータスが光り従来のセリカ1600GTをも大幅に凌ぐ人気を誇りました!

↓DOHC145psは当時の2L4気筒最強のスペックだった18R-G型エンジン


2T-Gや伝統のトヨタDOHC同様に黒結晶塗装されたヤマハ・チューンのDOHCヘッドカバーが萌える18R-G、ベースはコロナやマークⅡに積まれる18R型OHC105psでこれもセリカ2000/LB2000STに積まれます。
18R-Gは71yに上級マークⅡGSS(RX22)でデビュー、旧10R→8R-G 1.9LエンジンのスケールUP版でマークⅡに較べ格段に軽く脚廻りも強化されたセリカはそれを上まわる俊足モデル!
ただ、これも友人が所有していたモノやら後の下取りモデルで何度か自分のGTO GSRと乗り較べましたが確かにDOHCソレックスらしく高回転でのフィーリングは明らかに差があるも街中や出足ではSOHCのGTOと差を見つけるのが困難!2T-Gよりはトルク増大で扱い易くもありある意味大人な感触でしたねー。
迫力、伊達じゃない145psのスペック感は充分あるも荒々しさという部分では4G52ツインや2T-Gよりも抑えられた感じでした。
ベースのSOHC 18Rはそれこそ大人しいもので特に目立つ特徴はなくこれも4G52シングルや日産(プリンス製G20)、いすゞG180と較べてもマイルド、決して非力ではないですがパワー感もあまり意識させられずトヨタらしい誰でも難なく扱えるモノでした!

(73/10)
GTO小変更、M/Xシリーズ時代から高級感は増すもその形状から迫力が減りイマイチ評判が著しくなかったFrグリルをGSRのみシルバー一色からシルバー/ブラックの2トーンに変更しイメージを精悍にしています。

(74/1)
セリカ、従来型セリカがMCされLBも小変更が行われます。
デビュー3年を超え3期目に入ったセリカ、FrデザインをLBと共通化しロングノーズとなり内装もLBに準じて高品位にグレードUP!!
ここまで設定のなかった2000DOHCのセリカ2000GTも追加されLB同にも未設定のホワイトインテリア(外装ダーク系)がラインナップ、トヨタお得意の見た目の高級感を醸し出しセリカファンをうっとりさせていましたねー、当時はこの種のモデルは黒が常識で白い内装なんて高級車にしかない時代でしたからかなり新鮮に映りワタシもこの〝ホワイトインテリア”にはかなりやられたクチです…汗

↓LBと共通顔となったセリカ(74y新設2000GT&新型セリカシリーズ)



↓Gureもうっとりのセリカ2000GTのホワイトインテリア


また、GTシリーズのホイールを後年のトヨタDOHCモデルのシンボルとなるトヨタ2000GTのマグネシウムホイールをリスペクトした〝GTマグタイプホイール”に統一、これまでセリカ1600GTがホイールキャップ、GTVとLB1600/2000GTがキャップレススポーツタイプスチールホイールを履いていましたがGT系共通ホイール装着により外観で一瞬でGTを意識させる効果があり同じ13インチを履く兄弟車カリーナGTとレビン/トレノもこれと同一ホイールをこの時と相前後して装着しています!(セリカGTV/37レビン/47トレノはホイールリングレス)

↓”GTマグタイプホイール(通称GTホイール)を装着し一層精悍さを増したGT(74yLB2000GT)


尚この時から2000シリーズに来る排ガス対策を睨んだツンキャブに変わる電子燃料噴射装置=インジェクション(トヨタで言うEFI)モデルも追加、セリカ/LB2000ST-EFIとしてデビューしています!
ベースの18R型にEFIを装着、GTに肉薄する130ps/17.5kgm、MAX190kmを発揮しながらツインキャブのように濃い混合気も必要なく排ガス規制以後~現在に至るまでクリーンエンジンには必要不可欠なものながら当時高額であったコンピューター管理の同システムは価格に跳ね返りGTにプライスでも肉薄、思ったほどの普及は未対策時代では見られませんでしたが次世代を予感させるエンジンとしてホンダのFI(機械式インジェクション)、日産のEGI、いすゞのECGIと並んで注目を集めていました。

↓次世代高性能エンジンのパイロット的存在の18R-E型エンジン


18R-Eも目立たないながら72yからマークⅡGSL-EFI、73yからのコロナのSL/SRで搭載されていたものの移植ですがGT同様にシャシのしっかりした軽量セリカEFIの走りは兄貴分に勝っていたのは言うまでもありません…。

(74/9)
貪欲なトヨタ商法の元、どんどん発展するセリカシリーズとは裏腹にGTOは保安基準改正で市販車オーバーフェンダーの装着が認められなくなりGSRがカタログ落ち、性能は変わらない2000GSが最高峰となりますが迫力あるフラッグシップモデルGSRの消滅はファンとしては誠に残念な出来事で後に形を変えてGSRは復活するもGTOで最大の迫力あるGSRは僅か1年8カ月で終わってしまいました。

オーバーフェンダーの廃止はこの時社会問題化していた暴走族対策が一点と歩行者の安全対策(車幅を超える突起物は危険との観点)から制定されたものでGTOのみならずこれが特徴だったレビン/トレノ、S30 240Z-G、チェリーX-i・R、FTO GSRなどもこぞってこれが取り払われたり廃版になったりFMCしたりで魅力を半減させていましたorz…
暴走族は主にワークス仕様と言われるレース用オーバーフェンダーをセリカやスカイライン(箱スカケンメリ)やサバンナに我が者顔で装着し一般道を爆音立てて走りまわり彼らのこうした行為が2輪でも4輪でも規制という網を強化させ純粋なスポ車ファンを落胆させる事が多く憤りを感じます…

(75/1)
1975年、昭和50年になるとかねてから決定していた排ガス規制の波がGTO、セリカ共にかかります…
圧倒的な自動車先進国第1位の米国と2位の我が国は深刻な大気汚染が問題になり米・マスキー法を倣い、いや国土の狭い我が国ではこれ以上に厳しい排ガス規制がこの年より施行されます(詳細、排ガス規制については こちら を読んでやって下さい。)

まずセリカが2T-B/2T-G/18R-Gをこれまでサブ的存在だったレギュラー仕様をメインにしハイオク版を廃止します(2T-BR/2T-GR/18R-GRで各5psダウン)
これは排ガス対策と言うより73yのオイルショック以降のハイオク値上がりと東京で起きた『有鉛ガソリンの鉛中毒事件』にて社会悪的は目でみられるようになった有鉛ハイオクガソリンの使用に配慮したもの、勿論来る排ガス規制でも有鉛ハイオクは絶望視されておりこれとこの事件が引き金になりセリカから退場となっています。

(75/2)
GTOがMCします。
今回の大きな変更点は2000のエンジン換装で三菱が独自開発したクランクシャフトの2倍の速さで回るバランスシャフト(三菱で言うサイレントシャフト)を4G52エンジンに内臓、2本のサイレントシャフトをクランクシャフトの両側に配置し振動を打ち消し4気筒ながら6気筒、8気筒の静けさとフィーリングを実現する来る80年代の新エンジンとしてアストロン80と命名、74yにミニカで国産初採用したものですがお世辞にもこの謳い文句通りではなくワタシの1号機はこれでしたが振動は確かに抑えられているもののその分パワフル=荒々しさは消えサターン時代からはかなり印象が変わっています。
お世辞にも6/8気筒の静けさはなくサイレントシャフト独特の回転音〝シャリシャリ音”が耳に付き個人的には従来型の方が音質もフィーリングも好みでした。
三菱はこの80エンジンを高級車デボネアや後出のギャランΣ/Λにも搭載、これらは性格的にも大人しい80エンジンでも違和感ありません、しかしGTOには相応しいとは思えませんでしたが時代的に致し方なかったのでしょう…
尚、1700の4G35は従来型を継続し80化はなされていません。

内外装での変更点は少なく好評だった初期(M/Xシリーズ)時代の二分割グリルを再び与えられボンネット左端に『Astoron80』のステッカーが貼られ(1700SLを除く)た程度、内装はシートが旧GSRのハトメレザーに全種統一、但し『GSR』の文字はギャランの『G』に変更されています。また、SL系もGS系同様に8連メーターが与えられスピードメーターは先記の暴走族問題に配慮して220km→200kmメーターとされています。また細かい装備ですがこの時からトランクオープナーが採用、ステアリングデザインが変更されています!

↓ステアリングデザインが変更された75/2~のインパネ


このMCでフラッグシップのGSRが復活!オーバーフェンダーは取り払われましたが代ってプレスラインから新設計されたFrスポイラーとなるエアダムスカートがGSRのみに装着されまた分割グリルも2000GS以下がシルバー塗装だったモノをボディ同色とし精悍さを増していました!!

↓復活の新星『2000GSR』


↓2000GS以下の75y型GTO


尚、2000SLは5速MTのみとし2000SL-5単独となりこの時点で4速は1700SLのみ、スペック的には2000が80エンジンとなっても従来と変わりありません。

(75/10)
GTOとセリカに新ライバルが出現します!
これまでスペシャリティカーというカテゴリーには参入していなかったトヨタに次ぐ横綱(当時)、日産からデビューの『S10型シルビア』がそれでした。
60年代に存在したフェアレディSP310のシャシを流用しオープンの同車に対しハンドメイド的少量生産のクローズドボディで存在した初代CSP311型シルビアは少量生産が災いする高額なパーソナルクーペで言わばスペシャリティカーの原型のような存在でしたが試作に近い550台強の生産台数と僅か3年(65~68y)の生存という今も当時も希少で幻的なモデル、この名前を8年ぶりに背負ってデビューしたS10シルビアはオイルショック前に日産が東洋工業に次いで開発中だったREエンジン搭載を前提にしたモノでした。
しかしその計画は73yのオイルショック→東洋工業の悲惨な状況を見て中止、エンジンはブルーバードU1800のL18型(OHC105ps)を流用、後にEGI仕様のL18Eも追加されるも発売時から最大の売りとなる筈だった日産製REの見送りと平凡なエンジンラインナッブでのデビューは地味で目立たずセリカのようなDOHCもなければGTOのようにツインキャブを持たないためこのカテゴリーを選ぶユーザー・ファンからソッボを向かれ出だしのRE搭載中止が最後までイメージダウンという印象がシルビアにはつきまとい商業的には失敗作のレッテルが貼られてしまいました…。

↓GTOvsセリカに挑みながら撃沈だった『S10型日産シルビア』


尚。S10型シルビアのシャーシはB210型サニーとなり小さいシャシに大衆車然の足廻り、これにREとは比較にならない重さの1.8Lエンジン搭載は何ともバランスの悪いクルマが出来上がりこのアンバランスが災いし1800のエンジンでも全く速くもなく単にFrヘビーの悪印象だけが残っています。ここでもRE撤回が響いた訳ですね。
そしてただでさえ室内の狭いこの種のモデルでもシルビアはGTO/セリカに較べても極端に狭くまたこの時期、日産が凝っていた〝3次曲面”と謳うヘンテコなデザインが災いしこれも泣かず飛ばずの要因になりライバルとしては全く勝負にならずシルビアがライバルとして本領発揮するのは次期型の3代目S110型シルビア(ガゼール)迄持ち越されています!

後編に続く!
Posted at 2017/08/06 20:42:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | ライバル | クルマ
2012年04月22日 イイね!

保存版・燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!…ギャランGTOvsセリカ編 (前編)

保存版・燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!…ギャランGTOvsセリカ編 (前編)
新企画“燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!”
ようやく立ち上げま~す(^^;)

まぁ、このようなライバルvs企画って雑誌等でも時々やってますので“パクリじゃねーか!!”とお嘆きの貴兄!
Gureなりの目線でありきたりの対決もやれば『えっ、コレってライバルなん?』みたいなモノも取り上げていきますんでこれまでの“華麗なる~”や”偉大なる~”のようにどうか気楽なお付き合いをよろしければお願いしますぅ。


さて栄えある?第1弾は…

これはベタですね(汗)→『初代トヨタセリカTA/RA20~23、25~28、35型vs三菱コルトギャランGTO A53/55/57C型』の前篇【誕生期】をUPしたいと思います!

奇しくも発売とFMCを同じ時期に迎えた両車、同じ時代を生き切磋琢磨する正に好敵手であり当時も今も王者であるトヨタが第三勢力以下の三菱により慌てさせられたという滅多ににない事例、70年の自工誕生と共に“新星三菱”として当時の持てる技術と意気込みで勝負した好対決だったと思います!

※1 この2モデルは7年間の存在で生産期間が永い為、今回の前編を【誕生期】・次回の中編を【繁栄期】そして後編を【終息期】に分けてUPします!

※2 このブログはあくまで趣味です、ワタクシ当然ながら開発・設計などに携わった訳ではないので全て記憶と各種文献等の力を借りてUPしてますのでGTOとセリカの全てを網羅している訳ではない点をご承知おき願います。
尚、一部画像流用もございますのでそれら管理者様、不都合あるようでしたらメッセージにてご連絡下さい、ただちに削除/差替え等対応させて頂きますので。

何故このvsを最初に選んだか?から触れておきますネ。
ワタクシは幼少の頃(4,5歳)にカー○オヤジが初代A50型コルトギャランを購入以来の大の三菱ファンになりました。
ギャランの60年代には他に類を見ない洗濯されたスタイリングと前衛的で迫力ある佇まいにすっかりオヤジ以上にホれこんでしまいましたがギャランにはこれのクーペバージョンである『コルトギャランGTO』(以下GTOで記載)が70年に追加されそれを見たGure少年はいつの日かコイツを手に入れ走りまわるのを夢にまで見るほどのファンになってしまい立派なオッサンになった今でもその時の胸の高鳴りは忘れない!
言わばワタクシを熱心な菱党信者にした原点がギャラン、そしてGTOだったのです。

デビュー翌年にはOLDドラマファンには有名な名作「キイハンター」にも劇用車として登場!TVの影響はよりワタクシにGTOの鮮烈で純粋に“カッコイイ”イメージを植え付けました(汗)
そんな幼年期もありGTO、免許取得してすぐに購入、2台乗り継ぎ現在でもチャンスあれば本気で再購入したい位のワタクシにとって永遠の恋人(汗)
また敵方?である初代セリカに関しても見逃せないいいクルマの一つですし昨夏、ひょんな事から軽いレストアに関わり現役当時はGTO一辺倒だったワタシに改めてこのモデルの魅力を再認識させたりと・・・

そんな訳でワタクシの愛して止まないGTOに高い壁の様に立ちはだかった横綱セリカとのvsを振り返ってみたい、第1弾をこれでテンション上げて行きたい!と立上げた次第です。

さて、前置きはこの位にして1970年、昭和45年にまずは三菱から10月に、トヨタからは12月にそれまでにない新ジャンルのクルマ=『スペシャリィティーカー』として登場したのがギャランGTOとセリカです!

所謂“マイカー元年”と言われた65~66年を過ぎ高度成長に伴いそれまで高根の花だった『自動車』を大衆でも手にできるようになった頃、この時にデビューした日産サニー(B10)、トヨタカローラ(KE10)を代表とした“大衆車”が3種の神器の一つとして庶民に浸透、これが行き渡ると国内でもスピードレースが開催(日本GP)されたり海外ラリーへの日本勢の参戦などもあり車好きな日本人も自動車先進国(米、欧州)のようにクルマの持つ最大の魅力=スピードを最優先するスポーツカーの欲求に飢え始めました…。
それに応えるべくトヨタがS800、1600GT、2000GT、日産(プリンス)がスカイラインGT(-A/-B)やフェアレディSP/SR、この種のパイオニア的ないすゞベレットGT、苦心の末実用化し究極のスポーツエンジンであるロータリー(RE)を搭載したコスモスポーツ、二輪の王者としての経験を4輪にフィートバックしたユニークなホンダSシリーズ(S500/600/800)等が次々ににデビュー、正に自動車界は華やかなる時代を迎えました!

しかしこれらの夢あるモデルは高性能と引き換えに専用設計、専用ボディ、ファミリーユースにはなりえない為の少量生産少量販売が災いしどれも高額が基本!! 人気はあれど実用には向かないためが故、ごく一部の恵まれたユーザーの為にだけの存在になっており良心あるメーカー技術陣、開発陣は何とか広くスポーツモデルを一般に普及させたいという思いはアメリカで成功していた“スペシャリィティーカー”に分野に着目!
“スペシャリィティーカー”とは?=実用的な既存セダンのシャーシ(含むドライブトレーン、脚廻り)を使い開発費と生産コストを下げスタイリッシュなボディとオリジナルのエンジンに少し手を加えスポーツカーに負けない性能と楽しさを味わえるリーズナブルな高性能単独モデル という意味合いのモデルであり米・フォードマスタングが代表されるやり方。
これを見本にしまずはGTOとセリカがデビュー、この後も各社、スペシャリティーカーの開発→発売が本格化した訳です。

さて、「新ジャンル」と言いますがこれに近い思想のモデルは既に存在、セダンのベレットのシャーシで流麗なクーペボディっを持つ64年登場の『いすゞベレットGT』、800ccの当時の基準ファミリーカーであったファミリアをベースにやはりクーペ化し1000ccを搭載した65年の『マツダファミリア1000クーペ』がありますがこれらは価格は庶民レベルだったもののベレGはあくまでベレットの、ファミリアクーペはファミリアシリーズのバリェーションモデルであり単独車種ではない為スペシャリティカーには成り得ず、セダンのフローリアンをベースにオリジナルデザインの高級スタイリッシュクーペとして68年にデビューした『いすゞ117クーペ』やSP311フェアレディベースの65年発売の初代シルビア等は少量生産が響く高価格から“スペシャリティーカー”の要件=“リーズナブル=広く普及”が満たせれず『高級パーソナルクーペ』としての認識とされていました。

65年がマイカー元年ならば70年は“スペシャリティー元年”と言いましょうか、とにかく70年に新ジャンルとなる“スペシャリティカー=リズナブルで大量生産ながら専用ボディを持つ高性能車”GTOとセリカが発売され国産車の歴史に大きな1ページを加えたと思います。

GTO、セリカ共発売前年の69年のモーターショーにて試作モデル/コンセプトモデルが公開されておりGTOは『ギャランクーペGTX-1』、セリカは『EX-1』がそれにあたります!

↓市販モデル(GTO)にほぼ近い姿で公開された『ギャランクーペGTX-1』


↓GTX-1に較べまだまだ“未来のスポーツカー”的コンセプトだった『EX-1』


69年のモーターショー、ワタシも行ってます、しかし5才です(笑)当然記憶には殆どありませんがオヤジが熱心に後々まで語っておりこの二つのショーモデルは人々の関心を非常に集めていたようです。
特にEX-1は当時考えられない、宇宙戦隊モノに出てくるような未来形のスタイリングはサイドラインやFrに後のセリカにテイストが表されていますが非常に斬新かつ期待感を醸し出し当時の車好きに夢を与えるに充分以上だったと思います。

一方のGTX-1はスタイリングの一部とまだ当時は珍しいカーブドグラスの採用、インパネ形状に翌70年に提携した米・クライスラー社のアドバイスにより若干の変更はなされましたがそのまま街中に出てきても遜色ないほどの現実的モデルでありEX-1がまだまだ超える壁(法的な事など)がある中、即、手の届くスタイリッシュカーとしてEX-1とはまた違った期待感を抱かせたに違いない!と感じます。

このように人々の話題をさらったGTO(GTX-1)とセリカ(EX-1)、当時の日本市場/ユーザーに充分需要アリと確信した三菱/トヨタ、翌年いよいよ発売致します。

それでは初期モデル(発売時モデル)のvs!!まいりましょー!

まず先発したのはGTO、70年10月、『コルトギャランGTO A53C型』としてを発売されました。

↓70/10、日本初のスペシァリティーカーとして発売されたGTO(70y MⅡ A53C)


GTOはそれまでの“三菱車”=元飛行機屋らしく頑丈だがスタイル的考えはないに等しく壊れないで動けばいいんだろ?的なイメージ を覆す斬新でスタイリッシュなデザインと胸のすくパワフルなエンジンで話題を集めトヨタ/日産に次ぎ翌年の三菱自工(69年までは三菱重工の一自動車部門)独立に備え“第三勢力”に名乗りをあげるべく登場し大人気を得たA50型コルトギャランをベースに開発、ボディ外板(ボンネットやFrドア)の一部と各パーツはギャランと共通させ開発費を抑えた中、ギャランより100ccスケールUPされたエンジンを搭載し当時アメリカで流行したマッスルカー(=マスタング/ダッジ等)的なウェッジシェイブの派手で挑戦的スタイリングなボディで登場!
ショ-モデルのGTX-1に本場クライスラーの意見が入った事とより空力を有利に流すダンブルホームのスタイルを強調、流行のコークボトルラインを工夫した三菱流の“ダイナウェッジライン”をギャランから継承しながら本家より随所を一層鋭いデザインで表現、Frの逆スラントに大柄なメッキ状二分割グリルやマッスルカーに倣いダックテールのヒップアップスタイルも日本初の斬新でより迫力あるスタイリッシュクーペを実現しました。
先に発売されやはり話題を巻いたギャランHT同様にサイドウィンドゥはフルオープン、センターピラーレスのHTスタイルを採用、スポーツモデルとしての当時の条件であった「クーペ」「HT」を同時に満たしていました!
GTOは70年のモーターショー直前デビューしショー開催と同時に三菱のメインブースで展示、話題と人気を博しその後の発売1カ月で3400台弱を受注するという三菱始まって以来の快挙でした!!

↓1970年の三菱メインブースにお目見えしたGTO


↓GTOのベースとなった前年69yデビューの初代コルトギャラン


それではGTO、発売時の主なモデル概要です。

【車名】
(正式名称)=コルトギャランGTO
GTX-1→GTOとなりましたが『GTO』の由来はフェラーリやポンティアックで既に命名されていた
“Grand Tourismo Omologate"→イタリア語、モータースポーツにおけるGTカテゴリとして公認された車
またはGTの中のより本格的なGTという意味をそのまま当てはめています。
因みに『ギャラン』はフランス語の“勇ましい”『コルト』は“仔馬”
【バリエーション】
MⅠ/MⅡ
【型式】
三菱A53C型
【サイズ】
全長4125mm全幅1580mm全高1315mm(MⅡ)1325mm(MⅠ)
【ホイールベース】
2420mm
【車重】
900kg(MⅠ)930kg(MⅡ)
【搭載エンジン】
サターン4G32型1600cc 直4OHC シングルキャブ100ps/14kgm(MⅠ)
サターン4G32型1600cc 直4OHC ツインキャブ110ps/14.2kgm(MⅡ)
(MⅡツインキャブは有鉛ハイオク仕様、レギャラー仕様は5psダウン)
【ミッション】
4速MT
【最高速】
MⅠ;180km
MⅡ:185km
【脚廻り】
Frストラット/Rrリーフリジット(MⅡはハード設定)
【駆動方式】
FR
【価格】
MⅠ;791,000円
MⅡ:848,000円
【当時のキャッチ・フレーズ】
「Oh! Hip up cope」

2種類のグレードからのスタートというそのパーソナル性を伺わせる展開だったGTO、ベーシックグレード「MI」はベースのコルトギャランの上級車種の装備が施され上位グレードの「MⅡ」はMⅠをベースにRrガーニッシュ、ラジアルタイヤ、ハイバックバケットタイプシート、ストライプテープ、ハードサスにデュアルエキゾースト等を装備、メイングレード的な立位置としコルトギャランの人気グレード、最上級スポーツ版のAIIGSとほぼ同じ装備が施されています。

↓GTOのメイン&上級グレード「MⅡ」Rrはデザイン同様の“サイコロテール”の角型テールレンズデザイン!



↓基本&廉価グレード「MⅠ」


搭載エンジンは先のギャランでそのパンチ力と独特なエンジン音(ギャラン・ノート)からマニアには高い人気を誇る“サターン・エンジン”4G30型を100ccスケールUPしよりパワフルにした4G32型OHCを搭載、この4G32は三菱の名機として長きに渡り存在しギャランVR-4やランサーエボリューションシリーズで一躍有名となった2L級のエンジンとては最高峰に数えられる名機4G63型の基礎となったモノ。
ベースのA50ギャランより車重が増えた分、100ccのスケールUPで補われGTOの走りは例えシングルキャブでも元気そのもの!この時代のトヨタや日産にないがさつながらもロングストロークによるトルクフルでパワフルなGTOの走りはさすがギャラン以前から培われたラリーでの経験が随所に生かされ楽しく耐久力に優れる傑作エンジンと高い評価を得ました。
その後この4G32はギャラン16L、ランサーGSR(A73)に搭載され海外ラリーで大活躍したのはご承知の通り!

以上のように当時の若者、カーファンに絶大な歓迎をもって迎えられたGTOですがこれに高い壁の如く立ちはだかる強力ライバルが登場します。
それが当時も今も国産NO1メーカートヨタから送られた強力な刺客である『セリカTA2♯型』です!

↓GTOに遅れる事2カ月の70/12にデビューした初代セリカ(70y 1600GT TA22)


セリカはトヨタ戦略らしくGTOの発売を凝視(業界では“後出しジャンケンとして広く認知)、その人気度と話題、実際の受注状況を見て市場形成がなされたのを確認した70年12月、GTOに遅れるべく事2カ月でデビューしています。
トヨタはカローラ(対サニー)やマークⅡ(対ローレル)のデビューで大成功した戦略をセリカでも採用=ライバルに先発させその市場開拓を見届けてからライバルに付加価値を付けて新モデルをデビューさせ話題、人気を根こそぎ持って行く を再度実践、実際には前年クレイモデルを発表しGTO発売時にはセリカも完成していながらもこの施策は“初のスペシャリティカー”の称号は逃すも非常に功を制する作戦でありカローラ(+100ccの余裕)、マークⅡ(HTボディを持つ)、セリカ(幅広いバリェーションを可能にするフルチョイスシステム)に次いでその後のNEWモデル発売時によくやる戦法でした。

EX-1のスタイリングアイディンティを随所に取り入れ当時の流行だった“コークボトルライン”もセリカ流にアレンジして採用、ボディ一体式バンパー、トヨタ2000GT譲りのグリップ式ドアハンドルが大きな特徴でそのスタイルは女性的な柔らかで流麗なイメージ。
GTOがアメリカンマッスルで鋭角的な男性的佇まいでフルファストバックだったモノに対しセリカは柔和で和風の美をも与える全体の優しいイメージの中にところどころにシャープさをまといながらも2ドアセダンと遜色ない居住空間を得られるノッチバック形式のHTボディを採用し実用性をも持ち合わせ好評を持って迎えられました。
全体に丸味帯びたラインから後に愛称“ダルマ”と誰が言い出したのか表現されるようになり現在でも親しまれています。

↓当時はまだ珍しいボディ一体成型バンパーのデザインが目を惹くセリカのRrビユー、GTOの角張ったデザインとは対照的なオリエンタルアイ風のテールがチャームポイント!
(70y 1600GT)


また、セリカの場合、GTOと違いベースになるセダンが既発売のモデルではなく同時発売された『カリーナ』(TA1♯系)となるのがまたセリカに注目を集めさせる要因でもありました。

↓セリカと同時発売のベースセダン、初代カリーナ


後にカリーナにHTや80年代には派生モデルの『セリカ・カムリ(RA55)』がラインナップされこの時の図式は崩れてゆきますがカリーナ/セリカ発売時、セダン版のカリーナ、そしてこれをベースにしたスポーツモデル=スペシャリティカー、セリカの同時デビューは実用向けセダンの存在が幅広い層にまだ注目される時代でしたのでこの戦略は大成功、カリーナの話題と同時にそのプロト版セリカもより注目される事となり69年のギャラン、70/10のGTOをも一気に霞めさせる威力がありました…

それではセリカ、発売時の主なモデル概要です。

【車名】
(正式名称)=セリカ
『セリカ』の由来はスペイン語で「天の」「天空の」「神の」「天国のような」という意味。
【バリエーション】
フルチョイスシステム(後述)基本ET/LT/ST、GT(専用)
【型式】
トヨタTA20型(1400)同TA22型(1600)
【サイズ】
全長4165mm全幅1600mm全高1310mm
【ホイールベース】
2425mm
【車重】
875kg(1400ET)~985kg(1600GT)
【搭載エンジン】
T型1400cc 直4OHV シングルキャブ86ps/12kgm
2T型1600cc 直4OHV シングルキャブ100ps/13.7kgm
2T-B型1600cc 直4OHV ツインキャブ105ps/14kgm
2T-G型1600cc 直4DOHC ソレックスツイン115ps/14.5kgm
(-B/-Gエンジンps/トルクは全て有鉛ハイオク仕様、レギュラーはエンジン型式に「R」が付加され5psダウン)
【ミッション】
3速AT/4速MT/5速MT
【最高速】
1400;165km
1600シングル:(MT)170km(AT)160km
1600ツイン :180km
1600DOHC;190km
【脚廻り】
Frストラット/Rr4リンクコイルリジット(GTはハード設定)
【価格】
(フルチョイスのため一例)
1400外装LT内装DX;642,000円
1600ツイン外装ST内装カスタムSW:770,000円
1600AT外装ST内装カスタム:772,000円
1600GT:875,000円
【当時のキャッチ・フレーズ】
「未来の国からやってきたセリカ」

さて、如何ですが?上記を見てGTOにないセリカのワイドバリェーションが特筆ですよねー。
本場米国でもこれほどまでワイドバリェーションではなく日本人好みの幅広い選択肢を提供したセリカ、ホントにこの戦略には脱帽です!
GTOが1600cc、2種類の設定だったのに対しセリカは米・フォードマスタングが行った「フルチョイスシステム」方式を採用、これはグループⅠにエンジン&トランスミッションを、グループⅡに外装、グループⅢに内装を幅広く設定しⅠ~Ⅲを自由にユーザーが組み合わせ予算に応じた自分だけのセリカを設定できるというもの。その組み合わせは実に幾何通りにもなり幅広い選択が可能と謳い注目を集めました。
GTのみ専用となりますが基本のグレード、ET(STD)/LT(DX)/ST(カスタム)にそれぞれ内外装、パワートレーンをアレンジできるというそれまでの国産車にはなかった“オーダーメイド”的感覚は当時話題になりました。
もっともデビュー数年後には「解りにくい」というユーザーの声からこの方式は縮小されてゆきますがエポックメーキング的デビューを印象付けるに充分以上の効果がありました!

↓フルチョイスシステムの一例(72y GTV追加後のモノ)


また、GTOが専用エンジンの1600のみの設定に対し20カローラ用のT型1400ccを廉価版としてラインナップしたのも大きな特徴で実際の販売台数は少なかったものの“リーズナブル”なスペシャリティーカーを印象付けるのに一役買っています。

トヨタ開発陣は前年のギャランGTX-1とGTOを徹底研究、その最大の戦法はズバリ“価格”であり三菱と違い大量生産と強大な販売力を生かし廉価版同志で実に150,000円も安く設定、GTOの上級MⅡとほぼ装備は変わらず5速、そして最大の売りであったDOHCエンジンを載せながらも僅か30,000円UPで最上級のGTが買えた点もその後の2車の運命を決定付けた大きな要因です。

フルチョイスシステムの対象とならない専用グレード『GT』はセリカの顔!
トヨタ2000GT、トヨタ1600GT、マークⅡ1900GSSに次いで登場したレシプロエンジンとして当時最高の技術と認知されていたDOHC機構は上記車種に搭載された3M、9R、10R同様にトヨタの既存エンジン(OHC/OHV)にヤマハ発動機の手によりDOHCヘッドを載せたモノで今として見れば2バルブで重量も回転も重々しく騒ぎ立てるエンジンではないですが当時としては絶大なステータス!これを大量に造られるT型をベースに安価で実現し世間にDOHCを普及させたのはセリカの功績でしょう。
上記3車や他社DOHCはいずれも高額でまた高性能な分、気難しい部分もあり手軽に買え手軽に乗れる代物ではなかったのがこのセリカの2T-Gによりある意味DOHCが市民権を得た感がありました。
ベースの大衆車用エンジン、T型そのものが当時は技術水準もあり構成パーツも必要以上に頑強に造られていたのが幸いしDOHC化による過酷な環境にも充分絶えこれも後にレース、ラリー界で大活躍する名機になりました!

↓セリカ(カリーナ)搭載用に開発された1.6LDOHC 2T-G型エンジン、黒結晶塗装のヘッドカバーが高性能の証! 


一方の先発GTOですが発売後約1カ月後の70年12月1日、セリカ発売直前にイメージリーダーとなる最高捧である『MR』が追加されています。

↓約1カ月遅れで加わったGTOの最高捧『MR』


MRはGTX-1の発表時にギャラン用とコルトフォーミラー(レーシングカー)デチューンのDOHCエンジンを搭載した2種があり当然この種の性格のクルマでしたからDOHCに注目は殺到、しかしフォーミラーのデチューンではコストがかかり過ぎ当然レースエンジンですから一般ユースには向かずこれの搭載は断念、しかし何とか当時の最高のステータスであるDOHC版ラインナップ実現を賭けT型同様に既存4G32のブロックを流用しながらDOHCヘッド+ソレックスを載せる手法を取り市販化に成功したものでした。

↓OHCの4G32ベースに内製でDOHC化したMR用4G32型サターンAⅢエンジン(71y 中期MR)


搭載エンジンのサターンAⅢはデビュー時はトヨタ同様の黒結晶塗装ヘッド、中期~後期が画像のように広く有名なゴールドヘッドでした。(中期と後期は主にエアクリーナーの形状が異なる)
MRは内外装や装備をMⅡベースとし5速ミッション、扁平ラジアル、ブラックアウトホイール&ホイールリング、エアスクープ(ダミー)、ブラックアウトミラー、新デザインストライプ(通称鉢巻ストライプ)等を装備した本格GTモデルで性能/仕様は下記の通り。

【型式】
三菱A53CGR型(MR)
【サイズ】
全長4125mm全幅1580mm全高1310mm
【ホイールベース】
2420mm
【車重】
980kg
【搭載エンジン】
サターンAⅢ4G32型1600cc 直4DOHC ソレックスツイン125ps/14.5kgm
【ミッション】
5速MT
【最高速】
200km
【脚廻り】
Frストラット/Rrリーフリジット
【駆動方式】
FR
【価格】
1,145,000円

MRの追加で役者が揃った感じ(笑)
ではこれより《エンジン/ドライバビリティ対決》と行きます!

先記MRの諸元を見て解る通りセリカGTと較べ同じ1.6Lながら10psのUP、MAXスピードはセリカを10km上まわり1.6Lでは最速の200km、また0→400mで当時資料ではセリカGT 16,8sec、GTO-MR 16.4secの記録もあり最高グレード対決ではGTOが上でした!!
ただ、高性能な分、MRは非常に神経質で2T-Gのような気楽なDOHCではなく10分アイドリングしたら燃調が狂ったりプラグ被り、ストール等メンテを怠るとご機嫌斜めが顕著で乗り手を選ぶエンジンだったようです。
ワタシは残念ながらMRの乗車経験はなくどれほどの気難しいエンジンだったかは実体験がないので書けませんが2T-Gや10R(後の18R-G)は経験もありますのでこれと比較した感覚で言いますと当時、比較的管理の楽と言われた2T-Gでさえ現代のような訳にはいかずこれが日産のS20やホンダのSシリーズのDOHC等は調子を維持するには定期的にサービス工場に入れないと難しいという逸話がある程、連装キャブ時代は始動~ドライブ~維持まで儀式があるのが常でありサターンAⅢもこれに当てはまりセリカ2T-Gと違い乗る、維持に苦労をするモデルがMRだったと思います。

GTOとセリカの他搭載エンジンは全て経験があり非DOHCでもトヨタT型より三菱サターンの方がフィーリングもパンチ力も上、1400のT型は論外ですが16002Tもツインキャブの2T-Bならそれなりにパワフルでしたが出足、高回転、トルク感は全てに於いてサターンが上まわっていたと思います。
何もMRでなくともGTOはMⅡでセリカGT並のフィーリングを味わえましたし(実際2T-Gとサターン4G32ツインの性能や搭載モデルのパワーウェイトレシオは大差ない数値)下手なDOHCよりパワフル感モリモリだったサターンツインキャブ、これほど廻して乗って楽しいエンジンも稀に感じます。
ただ、扱い易さと気楽さはさすがトヨタ!って感じでT/2Tに関しては現代の感覚でも遜色ないかもしれません、また、T系はOHV、サターンはOHCでの違いは当然ありますがTのOHVはそれとは思えない軽快感があるエンジンでさすがにセリカに1400ではオーバーウェイト感が常に付きまといましたが1600であれば他と比較しなければ何ら不満のないもの。
サターン以外の1.6L、日産L16やいすゞG160等と較べても大人しいエンジンでしたがこの時代ではセ-ルスポイントとはならないながらも燃費的には一番で騒音、振動に関してもこれらを凌ぐ数字には表れない魅力があったのも事実です!

↓セリカで最も普及したのが2T-B型OHVツインキャブ105psエンジン(外装ST仕様に設定)


↓SUツインで武装し2T-Gと大差ない性能だった4G32型(ツインキャブ付き)エンジン


トヨタと違い量産によるコストダウンや強い販売力にも恵まれないMRは性能では勝ってもセリカGTの27万円高という高プライス、+10ps、+10kmにこの差額を払うユーザーは極稀でその後のこのライバル対決の勝敗を決定付けMRは僅か2年の存在と835台のみの生産で消えセリカGTはシリーズのイメージリーダーとして揺るぎない人気とこの手のモデルとしては驚くべき生産台数を記録してゆきます!
MRは文字通りのイメージリーダーモデルでGTOのメインはMⅡが務めました。
実際乗り較べてもMⅡとセリカGTにそれほどの差は感じないものでしたがやはりこの時代、DOHCは大きなインパクトでありセリカはこれを武器にGTOを駆墜してゆきます・・・

ここからは《シャシ・機構対決》になります!

シャーシは先記の通りGTOは既存コルトギャランを流用、このシャーシは当時の三菱が社運を賭けて開発したもので非常に優秀、1976年のギャランΣ(A12○A系)まで7年に渡り使用されGTOや兄弟車FTO、そしてA73ランサーもベースとするなど広く浸透したものでした。
一方のセリカシャーシはカリーナ共通の新開発、当時のカローラ20系、コロナ80/90系の中間サイズに位置しこのサイズがボディ外寸やホイールベースも含めたまたまギャランとほぼ同一のモノでした。
セリカ(カリーナ)はカローラ、コロナが60年代の古い設計のモノと較べこれもまた様々革新的であり新時代のファミリーカー・スペシャリティカーに相応しいモノでした。
セリカが圧倒的にGTOに勝っていたのは脚廻り!
GTOはギャランの流れから依然、板バネリーフ式を採用したのに対し4リンクコイルを採用、両車リジットであり脚廻りは4独のしなやかさで高評価を得ていた日産勢(スカイライン/ローレル/ブルバード)には適わないまでも低コストの中で先進的なリンク式コイルは板バネ特有の跳ねまわる動態を抑制しコントロールしやすくかつ乗り心地にも配慮されこの時代のリジットとしては秀逸だったと思います。
ただ、カリーナではちょうど良くてもセリカでは堅さにGTであっても物足りなさがあり峠道のロール感と踏ん張りは旧態以前でゴツゴツするGTOの板バネのフィーリングがワタシは個人的に好みでしたが当時の大多数はセリカを支持したと思いますし脚廻りチューンのポテンシャルどう見てもセリカが上!GTOは車重の関係からそれほどコントロールに気を遣う事はないながら弟分のFTOやA73ランサーでは慣れた板バネと舐めると暴れる挙動に手を焼くじゃじゃ馬的要素がありましたねー。
要はハンドリングも含めセリカはトヨタらしく誰でも安心して気楽に乗れGTOは玄人好み と総評でしょうか。

↓Frは両車ともマクファーソンストラットで共通ながらRrはGTOの板バネに対しセリカは先進的
なリンク式を採用(㊤GTOの前後サス㊦セリカのRrサス)



ハンドリングは圧倒的にGTOが上、当時は両車まだボールナット式でしたがGTOは当時の専門家からも絶賛を浴びたもので低速では軽く高速ではシャープなバリアブルレシオ式を採用、後のラック&ピニオンに近いハンドリングは正に玄人好みでありセリカのカローラやコロナよりはスポーティな味付けながらもまだそれらの悪い部分=重々しくゴムをよじるようなもどかしさが残っておりGTOと比較するとハンドリングに楽しさはなかったと感じます。

ミッションの感覚はどちらもFRエンジン縦置きのダイレクトですからカチッと気持ち良く決まるもの、但しセリカは66年発売のKE10系カローラの進化型を採用していたのもありシフトストロークが長く感触はこれの短いGTOによりスポーティさを感じます。
セリカ(トヨタ)は誤操作防止のためバックをリフトして入れるタイプ、GTO(三菱)は真逆のプッシュ(押す)して入れるタイプ、これはそれこそ好みですがこんな儀式をしてバックしていたのも懐かしいですw
尚、GTO MR、セリカGT共に5速はO/Dタイプでバックが右下に入るパターン、4速はセリカが同様にバック右下で三菱は左下、セリカに用意された3速ATはトヨグライドではなくB/Wタイプのトルクコンバータ。

続いて《インテリア対決》です!

気合の入った新鋭スペシャリティの2車ですからこの種のモデルらしく内装の雰囲気も非常に大事にデザインされていました。
当時のスポ車のトレンドは何と言っても連メーター!!
スポモデルのパイオニア、ベレットGTによりこれがお約束となっていた時代でメーターの数が多ければ多い程いい時代であり現代の水温計さえ廃される環境とは大違い、その分機関に信頼性がなかった?という意見もありますがそんな事はなくこれもこの時代特有の重要なステイタスでした。

インパネに関してはGTOの売りである“フライトコクピット”によりエキサイティングさを感じます!
まっ、これも好みですからどちらが・・・という訳でもなく甲乙付けられませんがクライスラーの意見を取り入れ8連メーター(時計含む)がドライバー側に湾曲するインパネは正に飛行機か!?と言えるムーディなデザインでありワタクシもこれにすっかりやられたきらいがあります(笑)
メーターは右から水温、タコ、スピード、電流、燃料、時計、そしてコンソロールに油温、油圧のレイアウトがドライバーを睨み知らずとヤル気になります!
フライトコクピットは69年発売のホンダが1300クーペで既に実用化していましたので新鮮さはなく“日本初”の称号も逃しましたがホンダのそれより迫力があり木目パネルを取り入れる等豪華な演出もなされていました。

↓8連メーターとフライトコクピットが嫌でも“ヤル気”にさせるGTOのインパネ(70y MⅡ)


対するセリカもフライトコクピットこそ採用していませんが時計を含めメーター数は6個 しかし油圧と電流を一つのメーターに収納しており水温、時計、燃料を単独、実際には7連メーターでありGTOより一つ少なくなります(油温が省かれます)
形状は70年代の流行りとなるドライバー部がせり上がり現代のやや目線の下方に位置するものとは異なりほぼ平行にスピード、タコが目線に入る感じ、しかしこの当時の日産はそれこそ衝立てのようにそびえるインパネで前方視界も悪いモノでしたがセリカの場合、そこまでそびえ立ってはおらず前方も見やすくドライブに支障はありませんでした。

↓GTOに較べおとなしめながら充分にスポーツ心を満足させるセリカのインパネ(70y 1600GT クーラーはOP)


インテリアに関してはノッチバックでしっかり4座を、そして後方/側方視界をも確保し明るいイメージのセリカ、後席はあくまでパッセンジャー的で座面が落とし込まれ実用には不向きながらその形状がスポーツ心を満足させるGTO、これも好みとライフスタイルで意見が分かれると思います!
ただ確実に言えるのは・・・セリカの方がバックはしやすかった(爆)
実用を重視する方はどうぞ先発のギャランHTを!!という感じだったのでしょう、GTOはその分セリカより思い切ってましたねー。。。

シートデザインはセリカがオールビニールレザーのヘッドレスト一体式でグレードによりデザインが変わり当然GTが最も豪華でスポーティ、各部にさりげなく木目パネルを使う手法は当時のスポーツモデルの典型でした。
GTOはMⅠにヘッドレスト別体式シートを採用、MⅡ/MRはバケット風ハイバック、シートセンターのみファブリック地としセリカに較べ高級感を持っていました。
両車ともにセンターピラー、ドアサッシュレスのHTボディですがGTOはRrサイドウィンドゥの形状から後席では閉塞感が拭えません、セリカはプレーンなスタイリングのお陰で後席でもHTの解放感を充分に味わえた印象が残っています。

↓両車とも、まだこの時代はビニールレザー当たり前ながらハイバックシートや表皮デザインは
ムーディ!セリカはGTまで含めオールビニール、GTOはMⅡ/MRに関しては部分ファブリック。
(㊤70yセリカGT㊦70yGTO MⅡ)



スポーツ装備はほぼ互角のモノであったと思います、例えばステアリング、GTOはギャランAⅡGSで既採用の革巻き朝顔タイプ(スポークがボスよりOFFセットされる)、セリカは低グレードはプラ(=カローラ/カリーナと共通)上級はウッド風となりこれはもう選ぶユーザーの好みですネ。。。
快適装備ではセリカGTが当時では高級車にしか装備されなかったパワーウィンドゥが標準!より高額なGTO MRでさえOP設定でしたのでこの辺もトヨタの割安感を高める戦略だったと思います。
とにかく当時はこういったパワー装備は庶民の憧れでしたからオーナーステイタスを満足させる重要なアイテム!
今やライトバンでもトラックでも当たり前な装備ですが・・・(汗)
ただセリカにはない装備としてこの時期、三菱がやたら運転姿勢に気を遣っていたのを示すようにこの時代に早くもチルト式ステアリングを採用していたのも見逃せません!
チルト式はギャラン前身のコルト時代に既に採用されていた便利装備であり当時はそれほど注目点ではありませんでしたが後に他メーカーも採用し今では常識的装備になっていますのでこんな所に元飛行機屋らしくドラポジに重要性を見出していた三菱、先見の明アリ!!といった感じです。


以上のように1970年に出揃ったこのライバル両車!次回後編の【繁栄・終息期】ではGTOvsセリカの激しい闘いをモデル改歴と共に振り返りこれに絡んでくる他社勢(いすゞベレットGT-R、マツダサバンナ、日産2代目シルビアS10/11型など)にも触れてゆきたいと思います!

次回をお楽しみにー(^^)v
Posted at 2017/08/06 19:37:39 | コメント(3) | トラックバック(0) | ライバル | クルマ

プロフィール

「今年初のバイク散歩♪ http://cvw.jp/b/2682511/47688885/
何シテル?   04/30 19:26
元GureのHNで活動、新規ネタ&過去ネタをUP中、過去記事はかつてほぼ移住していた山梨や本拠でのクルマ弄り記録や過去シリーズ的に上げていた独自の企画モノを再U...

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2012/4 >>

1234567
891011121314
15161718192021
22 23 2425262728
2930     

リンク・クリップ

あのクルマの系譜・その21~三菱GTO編~  
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2020/04/16 22:31:38
《新企画》あのクルマの系譜・その1~三菱ギャラン編~ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2020/02/12 17:16:21
あのクルマの系譜・その2~三菱ランサー編~ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2020/02/12 17:16:05

愛車一覧

三菱 ランサーエボリューションIV 三菱 ランサーエボリューションIV
2015年導入、当時凝っていた菱旧車集めの1台で一時息子に乗らせながら共同所有、2022 ...
三菱 eKスポーツ 三菱 eKスポーツ
2023年11月より愛用、常に2~3周遅れで三菱軽を愉しむワタクシ、パジェロミニVR-Ⅱ ...
ヤマハ XJR1300 ヤマハ XJR1300
単車らしいオーソドックスな80年代風ネイキッドスタイルはやはりワタシの年代には刺さる!! ...
スズキ ジムニーシエラ スズキ ジムニーシエラ
次男坊が初購入の新車!我が家として平成9年のエボⅣ以来24年ぶりの新車迎い入れで真にめで ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation