全6回に渡りお送りしたコルトギャランGTOのお話、いよいよ最終回、45年前の明日10/25を前にギリながら連載を終えられて安堵です(^_^;)
~激動の昭和50年代に突入!~
75年2月、デビュー4年を過ぎたGTO、都合3度目のMCが施されます。
今回のMCはフェイスリフトに加え車種編成の整理と搭載エンジンの改良が挙げられます!
外観上の大きな変更点はFrマスクを新デザインとしました、従来型の横桟グリルがイマイチ評価が良くなかった事もあり“GTOらしい”M/X時代の2分割グリルを再び採用し先祖還りします。
ただ2分割でもデザインは改められM/X時代の2分割をメッキで彩るモノではなく逆スラントをより際立たせるエッジの効いたデザインが施されこれまでの高級感を表すイメージから再び迫力、スポーツ度を表す精悍な表情が与えられました。
↓新グリルを採用した75年型GTOのカタログ表紙
このMCでオーバーフェンダー騒動?にて一時休止状態だった最高峰であるGSRが復活、GSRらしく専用装備はオーバーフェンダーに代わりFrリップ(エアダム)を装備しこれ以外のGTOとはスタイリングに差を与えかつ高速走行時のFr揚力の抑えを利か高性能車に必需な装備が国産では一早く与えられました。
まだこの時代は空気抵抗云々はそれほど神経質になっていない時期、このGTOもダックテールが示すようにRrの空力には気を廻すもFrはさほど考えられておらずこれは他社スポーツモデルも同じ、ライバルのセリカや日産のフェアレディZやサバンナ等、名だたるスポーティカーもあまり計算されていない部分、特にGTOのエアダムはボディ一体式であり通常モデルのFrフェンダーと形を異にするもので当時アフターパーツとして流通していた後付けリップと違いボディ一体で違和感を与えないデザインが好評でありここまで大型のエアダムは他に類を見ませんでした。
同じ75年度中にはセリカやカリーナのMCで小ぶりなモノが与えられたりマツダのコスモ、サバンナがGTOと同等の大型エアダムを備え浸透しますが新生GSRのそれは流行の先陣をきったモノでした!
↓カタログTOPページには大型エアダムを備えた復活のGSRが登場!!
↓非GSRはエアダムレス、オーバーフェンダーに代わるGSRの大きな売りだった訳です。(㊤GS-5㊦下SL-5)
そしてこのMCの大きな目的であるのが搭載エンジンの変更になります。
~アストロン80エンジンの搭載~
変更と言っても基本は従来のアストロン2000 4G52型、ただこのエンジンに世界的にも例のないバランスシャフト(三菱の云うサイレントシャフト)を組み込み4気筒ながら6気筒並の静けさを実現する“アストロン80(エイティ)”型となりました。
アストロン80、このバランスシャフト付きエンジンは当時の三菱の自信作でポルシェをもパテント使用したと云う逸品!
今でこそバランスシャフトは当たり前に搭載され強いて売りになるモノではないですが当時としては画期的なエンジンでバランスシャフトレスと較べるとエンジン重量は増し構造も複雑化はしますがそれでも6気筒エンジンよりは軽量で低燃費、そして騒音振動はバランスシャフトを内臓する事により6気筒並の静粛さを実現する夢のエンジンと謳われたモノでした。
↓カタログでも大々的にアストロン80はアピール!
実際この80エンジン、シャリシャリと耳障りな音が目立つのとこれが付いたおかげでアストロンのパンチが幾分スポイルされた印象、確かに4気筒としては静かで振動も少ないモノではあったと思いますがカタログに謳われた“6気筒、8気筒並の静粛性、フィーリング”はやや大袈裟過ぎ(-_-;)
この時期6気筒を持たなかった三菱、デボネア、∑やΛの上級グレードには必要だったでしょうがパンチを犠牲にした静粛性、GTOにはあまり必需性はなかったのでは?と個人的には思えます。
サイレントシャフトの原理は簡単に書けばクランクシャフトの両側にそれより2倍の速さで回るバランスシャフトを内蔵、これにより2次振動を打ち消すものというモノです。
~50年排ガス規制適合~
アストロン80となると同時に従来の48年規制の4G52にEGR、サーマルリアクター、自動制御装置により出力低下なしに50年度排ガス規制に適合しています。
MCAシステム、48年規制=未対策モデルと較べても50年規制ではドライバビリティは殆ど変わらないモノでしたがGSR/GS-5に関しては80化の弊害か?高速域ではさほど違いは感じませんが加速で一旦モタつく感じがしたのを憶えています、まぁ、それでも来る51年規制モデルと比較すれば全く問題にならない程度でしたが…
↓80エンジンの解説とMCA50年規制の概要がカタログにも示されます。
尚、1700SLは80化はされず従来通りのサターン4G35を継続、50年規制のみに対応しています。
~シリーズ格差が薄まる!~
外観上の大きな変更点はマスクのみですがGSRはボディ同色マスク、他はシルバーのマスクとなります。
サイドビューやテールは従来型をキャリーオーバー、インパネにも変更はありませんが全種ステアリングデザインの変更並びに8連メーター化、従来ではコンソロールの油温/油圧計が省かれ小物入れとされていたSL系もGS系と同一の迫力ある8眼メーターとなっています!
また、シート柄が73~74年版の旧GSR用のハト目レザーを全種に採用、旧GSRでは≪GS-R≫の文字入りでしたがこれをGSRも含め≪G≫文字に変更して採用されています。
↓シリーズ共通の8連メーター化されグレード差別のなくなったインパネ
↓シート柄も全種旧GSRのハト目レザー化しエキサイティングな印象に!!
新しい装備としては時代の要請から利便性に優れる間欠ワイパー、トランクオープナーを装備、またGSRにより空力に優れ迫力もUPする延長エアダムもop設定されています。
↓新装備、op装備の紹介ページ
バリェーションは復活のGSRを加えGS-5/2000SL-5/1700SLの4種、ATと4速をラインナップしていた2000SLは5速モデルに統一。
↓75年型GTOのバリェーション
このように鳴りモノ入りでデビューした新GTO=アストロン80と言っても過言ではないのですが実はこの50年規制アストロン80、GTOシリーズでは最も搭載(生産)期間の短いエンジンでデビュー7か月後の75/9月には51年規制適合をされていないモデルは75年をもって販売できないという当時の取り決めによりMCA-51、51年度排ガス規制対策型に切り替わっております。
↓75年モデルの背表紙
~51年規制モデル発売~
75/9、昭和51年排出ガス規制に合格させた”MCA-51システム搭載車”を発表、翌10月から発売しますが75年中は50年規制モデルと併売(一部地域)。
51年規制は48~50年までの規制値とは違いNox/Co排出数字が格段に厳しく規制、この数値が発表された昭和47~48年には大メーカーともあろうところが「車が動かなくなる」と大騒ぎとなる程の厳しいモノでした。
動かない~は大袈裟ですが実際、この目標を達成して未対策時のドライバビリティを実現できたのはマツダのREのみ、レシプロは軒並み20~30%の出力ダウンを余儀なくされ体感的にはそれ上回る感覚、酸化触媒、希薄燃焼、サーマルリアクターなど各社の考えと研究により各々適合の方式は異なるもどこも排ガス適合の補器記装置に力を喰われ似たり寄ったりの何とも情けない動力性能に成り下がってしまいました。
三菱は50年同様サーマルリアクターで対応、トヨタが触媒と希薄、日産が触媒で対応しこれの完成度が著しく低かったので2大メーカーの目を覆いたくなる参上までにはいかないながらも三菱=GTOもそれなりの犠牲止む無しでした…。
↓51年規制適合をアピールする対策モデルのカタログ
51年規制により対策エンジンの性能はダウン、数値は下記のようになりました。
・アストロン80 4G52型MCA-51 シングルキャブ105ps
・サターン 4G35型MCA-51 シングルキャブ97ps
このように2000で10ps、1700で8psのダウンでしたが実際、体感的にはそれより酷く排気量で300cc位落ちた印象と言えば分り易いでしょうか?
↓MCA-51(51年規制)システムを解説
↓51年規制モデルは2種、2000SL-5と1700SL-5。
静粛性という観点より排ガス対策で悪化する燃費の向上が主目的で1700も5速化、これによりGTOから4速モデルが消滅しています。
若干の小変更も行われ2000SL-5がGSR同様にエアダムが装着、正しマスクはGSRと異なりシルバーカラーですのでこれが唯一GSRと2000SLの識別点でした。
装備面では静粛性向上を目的に2分割式プロペラシャフトを新採用、スピードメーターは従来220kmまでだったモノを200kmとしエクステリアではミラーをブラックアウト、また、ボンネットフード先端右とトランクフード左端に『MCA』エンブレムが装着されています。
1975年をもって50年規制対策であるGSRと2000GS-5は廃番、SL系はMCA-51モデルのみのラインナップとなりこの時期、どこでもそうでしたがスポーティモデル、スポーティエンジンには正に冬の時代でした。
GTOもこの時期は僅か2種のモデル設定、しかもフラッグであるGSRはまたしても退場、残るSLも排ガス規制で青色吐息でGTOの生涯で一番醜い時期でした。
↓トランクリッド右に輝く『MCA-51』エンブレム、これはオーナーとしては屈辱のエンブレムでした。
~GSRの復活~
悪夢の1975年が終わり翌1976年2月、GTOファンには飛び上らんばかりの朗報がもたらされます、それが“GSR復活”!!
2か月の沈黙を破り還ってきたGSR、この時期は他社でも一時カタログ落ちしながら時間をかけて蘇るツインキャブ等のスポーツエンジン車が多く“帰ってきたツイン”(日産サニーのコピー)などの文字も媒体を賑わせGTO GSRもその一つでした。
2000SL同様にサーマルリアクター方式のMCA-51にて51年規制の適合、エンジンはやはり10psダウンの4G52型MCA-51 ツインキャブ115ps、ドライバビリティは未対策のような訳にはいかないながらすっかり牙を抜かれたシングルキャブモデルに対しては他社も含めツインキャブ装着のインパクトは絶大でした!
GSRもSLに倣いMCAエンブレムの追加、ブラックミラーを装備、マスクは従来型同様にボディ同色とされスチールホイールに新たにホイールリングが標準装備されこの2点がSLとの識別点でした。
何を隠そうこの時期のGSRがワタシの初愛車!
憧れのGTOをギリ買える段階になったのですが予算の関係上、中古ですと未対策は当時かなりの高額でホントはオバフェンの未対策GSRが欲しかったながらMCA-51は走りに悪評もあり当時(34年前)かなりの格安、未対策とは言えSLなる廉価版よりも例え規制モデルでもGSRが欲しかった、しかしそれは手にしてすぐ失敗と思い知りましたね~(+_+)
当時それでも70万位出して買ったMCA-51のGSR、友達が約10年落ち1桁で買った17XⅠに余裕で負ける(汗)しかも燃費も悪い!!
まっ、今になれば「ワシもまだ足軽で考えが浅かったんじゃけん」と笑い話ですが当時はなけなしの高校時代バイトで貯めた70万を吐き出してその体たらくはショックでしたよ18の小僧にはwww
そんな訳ですぐ半年位乗ってMCA-51のGTOは処分、その下取りに+親に借金して念願の48年GSRを2台目に手にしたというありがちなオチですがね(^^ゞ
最終的に3車種になった76年型GTO、デビュー6年を経ていよいよ最後のMCが76/5月に施されこれが最終型となります。
↓最終76/5~のカタログ
最終モデルではエクステリアのみの変更でエンジン、機関は従来型を継承しています。
主な意匠変更は全種前後バンパーにコーナーラバーを装着、高級感とスポーティ感、そして現代的感覚も備える出で立ちとなりました、また、SL系にもカラーグリル、1700SLにもエアダム装着、ホイールリングもSL系に与えGSRとの差がほぼ消滅。
それでもフラッグであるGSRはやはり特別あつらいがなされエアダムの逆文字GSRストライプとサイドウインドモールやサイドダクトをブラックアウトしより精悍な出で立ちとなっています。
↓GSR、2000SL-5、1700SL-5の最後の布陣
ここで最終ですので整理しますと搭載エンジンは上でも述べてきましたが下記のラインナップでした。
GSR:4G52型アストロン80 2000cc直列4気筒OHC ストロンバークツインキャブMCA-51(51年規制適合)115ps/6000rpm、16.5kgm/4000rpm 型式C-A57C
2000SL-5:4G52型アストロン80 2000cc直列4気筒OHC シングルキャブMCA-51(51年規制適合)105ps/6000rpm、16.2kgm/3800rpm 型式C-A57C
1700SL-5:4G35型サターン1700cc 直列4気筒OHC シングルキャブMCA-51(51年規制適合)97ps/6000rpm、14.3kgm/3800rpm 型式B-A55C
これまで述べた通り排ガス対策で2000では未対策時のアストロンのパンチは消え1700ではGTOデビュー時から残る唯一のサターンエンジンですが吹け上がりが身上で♪ギャランノートを奏でるさすがのこのエンジンもかなり性質は変わっていましたが“ギャランGTO”を名乗るにはどれも恥ずべきエンジンではなく(当時レベル)うちのオヤジもいい歳(当時45才)ながら新生ギャラン∑と最後まで迷った最終GTO、ルックス的にはコーナーラバーの付いた外観はそれまでになかった高級なイメージを与え好きなモデルでした。
残念ながらMCA-51のおかげで印象は決していい出来!までは言えないですが今となってはそれも大して気になるモノではないですしね、そして最終型は1年強しか存在せずしかもモデル末期で新型の∑やΛのデビュー以後は販売は大幅に低下していますのでかなりの希少、現存の最終型は恐らく何台も残っていないと推測します。
最後ですのでね、ここで最終型のカタログを一気にUPしておきます!
↓デビュー~7年、大きな変更なく守り通した“フライトコクピット”
↓インテリアも基本は初期からそう変更はナシ!
↓排ガス規制によりそれまで当り前だったスポーティグレードが稀少になった時期、GSR専用ページが!
↓アストロン&サターン紹介
↓このページも一部は初期型から継承
↓最終的には3モデルとなったGTOバリェーション
↓眺める度に全盛期の8~10psダウンした数字が悲しかった…
最終GTOは1977年春頃に生産終了、同年7~8月で在庫販売を終了して完全にカタログ落ち、年数として6年半、モデルライフにして7年弱の生涯を閉じました。
最終型がデビューした1976年5月にはギャランのフルモデルチェンジ版であるギャラン∑がデビュー、これはかなりの人気で三菱始まって以来の販売台数を記録したモノでしたが∑は4ドアセダンだったのでGTOユーザーへの抵触、競合はあまり意識されずGTOもMCした訳ですが同年11月に∑のHTバージョンであるΛが登場、これにより完全に息の根を止められた感があります…。
実際には∑人気もかなり影響、加えてGTOの設計の古さは脚回りや空調、各スイッチ類などに隠しきれない前時代的な部分がありその利便性は∑/Λは勿論、下級スポーティであり設計の新しいランサーセレステにも劣る部分が目立ち77年に入るとGTOの販売は激減、結果的にΛを後継として生廃となった訳ですねー…
まぁ、裏話としては来る53年規制にまたしても開発費がかかり製品寿命が切れかかっているGTOではこれのペイは無理と判断したメーカーさんの諦めでもあったとの事、実際には旧ギャランHTとGTOの統合というカタチになったΛですがギャランHTはかなりの不人気で当時でも見かける事の少ないレア車、∑/Λ(特に∑に顕著でしたが…)はGTOのアイディンティ、イメージをかなり残すデザインでもありましたし個人的にはGTO製廃は非常に悲しかったですが後続も魅力溢れる仕上がりでしたので良しとしましょうか?といった当時の心境でした(^_^)v
資料によればGTOの全生産台数は約96000台、最大のライバルセリカ(初代)は約100万台近くとGTOの10倍以上、当初からのワイドバリェーション、業界TOPだからこそできた低価格戦略に次々と追加される新型モデル(2000やLB、BigMCによる更新モデル等)でGTOは完全にセリカに撃沈された訳ですが似たような両車を比較検討できた世代としてはクルマ好きに訴えかける魅力はGTOが上と断言できます、スタイリングは好き好きあるので対象にはしませんがスペシャリティカー/スポーティカーとしての操縦性、愉しさ、ドライバビリティでセリカに負ける事はなく当時の三菱の気概“解るヒトが選んでくれたたらイイ!”という存在だったGTO、コイツは死ぬまでワタシにとっては最高のクルマである事に変わりないでしょう…
最後に何故にワタクシがこれだけギャランGTOに惚れてるのだけ書いておきますネ。
このクルマ、全てに於いて個人的感性に全てが合致、つまり気に入らない部分が皆無なんですよね、勿論時代考証は大事で当時としては!という条件が付きますが。
前、後、横デザイン、インパネ、インテリアのムード、エンジンやミッションのフィーリング、ドライバビリティ…
勿論全てのGTOって訳ではなく特にMCAになってからのモノはエンジン/ドライブフィールはイマイチながらこの年代のモノとしては及第点、なかなかこれだけパーフェクト、10点満点の点数付けられクルマはそうはない、現在所有しているエボやVR-4も勿論どこか気に喰わない点はある、他に探すと強いて言えばハコスカ位かな?と思います。
モノ心つく頃からクルマに目覚め早40数年でこれほど刺さったクルマはない!これが大きな理由ですね。。。
六夜に渡ってGTO,GTOと唱えさぞかしこのクルマに興味ない方にはオモロクもおかしくもないブログだったと思いますしカタログ羅列や個人的思い出振り返りと大層なタイトルの割には内容は薄いかもしれませんでしたがどちら様も読んで頂いた方には感謝の気持ちを表明し一緒に?【コルトギャランGTO45周年記念】を味わいたい、そんな風に思いながら〆させて頂きます。
御拝読有難うございましたぁ(^^)/~~~