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元Gureのブログ一覧

2015年09月30日 イイね!

保存版・次男、AT限定解除⇒エボデビュー!

保存版・次男、AT限定解除⇒エボデビュー!
うちの次男、本日めでたくAT限定→限定解除となりこれで晴れてエボも乗れる!?

エボ購入半年、ヤツも忙しいので週一位で私有地て軽トラでMTの走りをこの鬼教官?が叩き込み技術は及第点に到達と判断、先々週に初めて試験場一発試験に挑戦させこの時は安全確認の減点があり不合格、本日2回目で無事合格!


彼は昨年の免許取得時、非公認の教習所→試験場一発で免許取ってますが上2人はワタシも景気がよくMTで教習所入れてやれたんですが3番目の次男の時は色々物入りで公認教習所通わせてやらずでして…
その頃は本人もクルマに興味なく『乗れればいい』程度だったのでAT限定で取らせたのですがクルマ乗り出してからメキメキとオヤジのDNAが芽生えたようで今回のMT取得となった訳です。

↓本人、『AT限定』の文字が今まで目障りでしたが…


ナシヤマは私有地でもかなり広い場所もあり練習には事欠かない、限定解除だけでも5~6万位かかるのでね、ヤツに付き合って教えた甲斐あり2回での合格、親子2人の協力で大変リーズナブルに取得できめでたしめでたし!

AT限定での非公認教習→AT限定取得→限定解除とここまで1年半かかってる訳ですがこれを通常通りのMTで教習所で取っていたとしたらそれより半額以下で取得できたのだからかなりお得でした(^_-)

↓念願の『普通車限定解除』の文字を嬉しそうに見つめる次男は輝いていましたw


まぁ、これで晴れてエボも乗れる訳なんすがいくらなんでもまだ早い、当面は鬼教官が同乗でのエボドライブとさせますが1歩前進ですしね、今夜は2人してお祝いのご馳走でも行ってきますわ(^^)/

そして限定解除した当日(昨夜)、早速公道にて次男、エボデビュー!?


いやいや、まだまだ一人では乗せませんがこれも経験です、助手席に鬼教官同乗ながらも街までお祝いの食事に行くのに往復運転させてきました!
限定解除はしたけどまだまだMT車の理解に乏しい彼、エボが気の毒になる場面もありましたがまぁ、MT乗り、一応及第点には到達している感じ…

↓中央道を操る次男、軽トラと較べあまりのパワーに当初は絶句?


普通に走る分には大丈夫ながらコーナーの立ち上がりやアップダウンの連続などでまだMTに戸惑う場面もありここが今後の指導要項ですナ(笑)

長男に初めてVR-4を載せた時同様に暴力的加速に奇声を発する次男でしたがこういうクルマは麻薬、危険ドラックと同じという事を口酸っぱくして公道デビューは無事終了しましたわ(^_^)v

↓在りし日の2号機VR-4を操る長男


長男はハナからMT免許だったので指導もラクでしたが次男も筋は長男よりはイイ感じなので彼のお調子モノの部分を如何に殺して冷静に運転できるかを見極めるまでエボ単独乗りはお預け、これがGoになった時には彼が希望する『VR-4も乗ってみたい!』を叶えてやろうと思ってます!

↓帰路の中央道ではこんな余裕も?w


すぐ調子に乗るのが次男の悪い癖、褒めるところは褒めてやりますがそれで調子乗られても困るしまだまだ腕がないわけですからクルマの性能に奢る事なくMTを学んで欲しい、当然学ぶのは軽トラでエボは一人で乗せれるレベルではないのでね、しっかりキーの管理をしなければです(-_-;)
2015年09月26日 イイね!

保存版・コルトギャランGTOのお話…第二夜

 保存版・コルトギャランGTOのお話…第二夜 コルトギャランGTOのお話、第二夜です(^_^)v

PVやコメ、イイねからの判断ですかご反応はソコソコ?まぁ、これがケンメリとかセリカとかならまた違うのでしょうがそれらに較べたら地味だったGTO、幅広い人気はありませんが固定された頑固なファンが今も昔も多いのかな!?と勝手に自己分析…


さて、一夜からの続き!

~イメージリーダー、フラッグシップ追加発売~

70/10、絶賛をもって迎えられたギャランGTOは2ヵ月後の1970年12月、MI/MⅡの上級となり新星三菱のイメージリーダーとなるGTOシリーズの最高峰『コルトギャランGTO MR』を発売しました!

↓満を持して70/12に発売されたMR!!


MR、“モーター&ラリー”の略…

実際にはこの頃盛んだったレースにも、そして三菱が情熱を傾けていたラリーにもMRがエントリーした形跡はありませんがこのGTO MRから三菱スポーツの歴史が始まり最高峰スポーツグレードとして後にそれを継承したZ16型GTOやランサーエボリューションにもこのグレード名は付けられた伝統的名称です!

~三菱初のDOHC~

MRの最大の売り、それは三菱市販初のDOHCエンジンでした。

この当時、市販車にはまだまだDOHCエンジンなんてものは無縁のレーシングエンジン、一般道を走るのには高回転は無用と考えられる時代ですし市販車メインはOHV、少し高性能を謳うものでもSOHC(OHC)が常識でレーシングエンジンであるDOHCは一部の“特殊マニア”のモノでした。

今でこそ商用車にも、軽自動車にも当たり前に積まれますが当時のカ-マニアには憧れの的、国内メーカーでは70年当時、トヨタ(3M 2L、8R-G 1.9L 2T-G 1.6L)、日産(S20 2L)、いすゞ(G161W 1.6L)がそれぞれトヨタ2000GT/マークⅡGSS/セリカGT、スカイラインGT-R、ベレットGTタイプR/117クーペという名だたるスポーツ/高級モデルだけの存在、そんな中GTO MRは国内5番目(ホンダは60年代に参入済みながら70年当時にはDOHCラインナップなし)にDOHCをリリースし一流スポーツモデルに名乗りを上げた訳です!

搭載されるのは4G32型サターンAⅢ DOHC4気筒2バルブ、ソレックスツインキャブ、125ps/14.5kgm、という内容、スペックは大きく異なりますが先発でOHC搭載のMIやMIIと同一エンジン形式が示すようにOHCのサターン1600エンジンのブロックをベースにヘッド部を新設計しDOHC化した物、後にも先にもこの4G32DOHCはGTO MRのみに搭載された言わば“MR専用エンジン”だった事も付け加えておきます。

↓MRに搭載の4G32DOHCエンジン


↓ベースとなった4G32型OHCエンジン(MⅡ用)


ゴールドヘッドが有名なこのエンジンですが当初は他社同様黒結晶塗装(試作段階)でしたし細かく観察するとエアクリの形状が70/71年と最終72年(後期型)では異なっていました。

尚、GTOの原型であったギャランGTX-1でもショーに展示されたモデルにDOHC搭載車がありこれも当時、かなりの話題になっていましたがこちらに搭載されたのはMRの4G32ではなく当時のレーシングカーであるコルト・フォーミュラの「コルトF2-C型」のブロックの上に新設計のDOHC16バルブヘッド+ソレックスx2を組み合わせた1500cc 120ps、MAXスピード200km というモノでしたが実用には向かずかつ既存のエンジンブロックを使いコストを抑える手法で4G32型DOHCに換装となった訳ですね。

↓コルトファーミラ用1.5L16バルブDOHCエンジン!!


排気量で100ccアップしながら4バルブ→2バルブに落とされはしましたがMRでもMAXスピード200kmを達成、まだ珍しかった5速ミッションもGTX-1同様に与えられておりM1/MⅡが4速ミッションでしたので如何にMRが当時としては高水準でスペシャリティカーの枠を超えたスポーツカーに限りなく近い思想が組み込まれ上述のライバル各車に勝るとも劣らない実力を持っていた事が分かります!

同じ排気量でやはりソレックスツインチョークのトヨタ2T-Gの115ps、いすゞG161Wの120psを上回る出力は当時1psでも高いクルマが偉い!という時代ですのでね、クラス最高、クラス最速を誇るMRの存在感は格別でした。

~何もかも専用設計のMR~


MRは70年代の三菱のイメージリーダーを担う役目もありスポーツ/ラグジュアリーな装備はMI/MⅡにない専用のモノが与えられました。

まずは上述の5速ミッション、ポルシェタイプのクロスレシオは最高速200kmに対応したハイギヤード、このため街乗りは決して扱い易いモノではありませんでしが高速の伸びではセリカGTを上回るワイルドさを示します、ワタシもかつてこれのドライブ経験はありますがセリカの2T-Gに較べると非常に神経質なエンジンでアイドルで数分置いておくだけでプラグ被りを起こしとエンストする、という逸話もありますが廻してギア選択のコツを掴めばセリカやベレG以上に高水準なドライブができました、まぁ、これはエンジン&ミッションだけではなく脚、ハンドリングの味付けも大きく寄与している事は言うまでもないですが…

脚廻りはMⅡをベースによりハード化、トルクロッドを追加し高速での納まりやワインティングでの粘りを上げています。
Rrサスは今から見れば古典的なリーフ(Frはストラット)、ステアリングもボールナットですが当時の水準としては秀逸な味付けでRrをリンク式にしていたセリカと大差ない乗り味、ハンドリングはこの時代の三菱の最も良い部分でボールナットと言えども遊びが少ない非常にシャープな切れ味、トヨタがゴムねじりのような60年代ハンドリングをそのまま持ち越していましたしいすゞのダイアゴナルからなるRrサスも特殊でハンドリングの軽快さを奪う部分がありましたのでね、この部分でセリカやベレGには歴然とした差がありました!

↓脚廻りは古典的ですがこの時代としては秀逸な乗り味を実現!


ハンドリングに負けず劣らず気持ちよかったのはFR時代のこれも三菱の利点だったシフトフィール、GTOに限らずミニカ~ギャランまで適度な力でカチッと決まるフィーリングは他社にはない気持ち良さでハンドリングと併せてドライブが楽しくなる絶妙な味は70年代~80年代の三菱FRスポーツの最大の宝だったと思います!
プッシュバック形式でどの段に入ったかを体感的にしっかり掴めるミッションフィールほど気持ちいいものはない、この点で三菱FRを超える感覚は国産では未だ味わっていないかもしれない…

エクステリアとインテリアも専用の味付けが施され外観上でのMI/MⅡとの識別はボンネット上のエアースクープ(ダミー)とそしてトランクリッド後端、つまりはチャームポイントのダックテール部まで回り込むセンターストライプ(俗に“鉢巻ストライプ”と云われていました…)、そしてホイールリング付きブラックアウトされたスチールホイールでしした!

↓“鉢巻”がMRの証!


鉢巻ストライプはギャランGTX-1で採用されていたモノを再現、MIではストライプなし、MⅡはFr~Rrまでサイドのみの設定でしたのでこの鉢巻が一層Hip Up copeを際立たせGTOのリアスタイルを精悍に見せる演出効果、抜群でした。

MRのカラーバリェーションは2色、ケニアオレンジに黒ストライプとロッキーホワイトにオレンジストライプで発売、極初期にタイトル画像にしたライトグリーン&黒ストライプモデルも存在しましたが試作的要素のモデルでした。

尚、MI/MⅡではホワイト、オレンジ、ダークブルー、シルバー(MⅡのストライプは白、黒、青)の設定でした。

インテリアでは基本MⅡを踏襲しますが違いはハイバックシートの座面がMRは専用の赤/黒ファブリックを使用しスパルタンな印象、MⅡの灰/黒基調の落ち着いた雰囲気とは一線を画していました…。

~渾身の力作MRも普及せず…~

上述の通り専用内外と何よりも宝であるDOHCエンジンと再のMR、一番ネックになったのが価格でありこれが大きな要因で残念ながら広く普及とはなりませんでした。

MⅡに較べて大幅にUP、MⅡの840,000円に305,000円も差がある1,1405000円という価格は甚大であくまでも普及したのはMⅡ、そして最大のライバルであるセリカGTの870.000円と比較しても決定的な大差がありMR、往時でもまず見れないモデルでした。

対セリカはこのためOHCのMⅡが担当する事となりMRはあくまでイメージリーダー的存在、MR対セリカGTではセリカ、MRに対し馬力が10ps低く総合した運動能力、本格スポーツ度では劣るながらも10pと10km(セリカ1600GT TA22型のMAXスピードは190km)に30万近くの差額を払う人間はそうはおらずセリカが爆発的に普及したのに対しMRの総生産台数は70 ~71年714台、72年121台の計835台(登録台数829)という数字、これが要因で当時も後年も孤高の存在となりました。
この事が普及したセリカGTや他スポーティモデルとは異なり比較的早い時期(75年頃)からプレミアムが付き始め現在は勿論、残存は事故廃車でもない限り比較的残るも元が少な過ぎのモデルが故に見かける事もまずなく名車、絶版車を欲しいままにしているのが現状…

尚、上記の通りMRは僅か2年で姿を消しますがこれは高コストによる事の他に73年から順次導入される排ガス規制に適合が難しかった点、そしてOILショックの要因も重なります。

その2年のうち72年2月のGTOシリーズMCにてMRも後期型になりますがベースのMI/MⅡがXI/
XⅡとなり内容も大幅なイメチェンが施される中、MRに関してはオーナメントとテールランプの変更程度という極僅かな変更でした、この点に関しては“コルトギャランGTOのお話…第三夜”にてGTOシリーズ全般としてまた語りたいと思います。

↓フェンダーに付く『MR』エンブレムが大型化した後期MR


以降“コルトギャランGTOのお話…第三夜(UP予定不明…汗)に続く(^.^)/~~~
Posted at 2018/03/04 13:58:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | ギャランGTO | クルマ
2015年09月24日 イイね!

保存版・コルトギャランGTOのお話…第一夜

保存版・コルトギャランGTOのお話…第一夜
前にも似たような事やったんですがね、色々あって一度みんカラ退会したのでその時消滅、再UPもしてませんでしたので来月ワタシがこの世で一番好きなクルマ=『三菱コルトギャランGTO』が発売45周年(1970年10月21日発売)をワタシなりに記念して“コルトギャランGTOのお話”というお題でその日までに今一度、ギャランGTOとはどんなクルマだったか?を振り返ってみたいと思います…。

~Gure的ギャランGTOへの憧れ~

子供の頃、クルマ好きのオヤジのマイカーだった初代コルトギャランであった事から『ギャラン』というクルマには並々ならぬ感心が幼き頃からあった訳ですがオヤジがギャラン購入後、約1年後位だったかな?GTOがデビューしたの…
デビュー直後にオヤジと晴海のモータショーで実物を見て一気に親子して虜に(笑)
また大ファンだったアクションドラマにも颯爽と使われ夢中になり遂にデビュー3年後、我が家にもGTOを迎える日が来ました!
時代からか?年か?オヤジはその後高級志向になり4年でGTOを手放しデビューしたてのギャランΣスーパーサルーンに代替するのですがGure少年のGTOへの思い入れは消えず自身が免許取得と共にGTOを購入、2台乗り継いだという幼少期~青春期、このクルマの事は1日たりとも思わない日はなかったかも(^_^;)

今では価格も高騰してしまったし諸事情もあり恐らくもう手にする事はできませんがつい2年位前までは返り咲きも本気で考えていたGTO、郷愁、懐古趣味タップリの備忘録的なブログですがこのクルマに興味ある方は是非お付き合い頂けたらと思います!

ワタシが維持しているカタログ羅列や自身の思い出話、回想が主になりますので大してオモロクないかもです、特に若い世代では40年超のクルマなのでよく知らない方も多いでしょう、今となっては絶版車、旧車人気も高いですが新車~中古現役が多く残っていた80年代前半でもトヨタ、日産他並み居るライバルに阻まれそう人気車!って程でもなかったのでね、三菱らしく大衆迎合せずヒトクセあるクルマでしたが走り、機構、装備はこの時代の1級品だった事は間違いナイ!

そんな訳で“コルトギャランGTOのお話…第一夜”やってみたいと思います<(_ _)>

~ギャランGTOとは?~

まず、ギャランGTOとは?からスタートしますが初代コルトギャラン(1969年発売)をベースに当時提携関係にあったクライスラーの助言を取り入れながら開発したギャランのスペシャリティカー、クーペモデルとして新設計した車です。

発売は70年10/21、名前の由来はイタリア語でグラン・ツーリスモ・オモロガーレの頭文字3字を略したもので『GTO』としその意味合いは“正式に承認されたGTカー”という事でした。

”GTO”はフェラーリ、ポンティアックなど名だたるクルマが付けていた名称、その名前に恥じないよう本場アメリカで当時人気だったマッスルカーの派手な出で立ちを三菱内製で巧みに日本サイズ(5ナンバーサイズ)に収めたデザインが何よりも肝でした!


~GTO、登場前夜~

実はGTO、発売前年の69年に『ギャランGTX-1』としてショーモデルが東京モーターショーで発表されておりこれの評価が高く市販が望まれデザイン他細かな点を煮詰め市販されたという経緯があります!

↓69yのショーモデル、『ギャランGTX-1』
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GTX-1、これは三菱内製の作品ですが市販されたGTOはクライスラーのアドバイスに従い50Rカーブドグラスの採用、インパネデザインをフライトコクピット化などがなされ全体的なウェッジシェイブとGTOの最大の特徴であるダックテール、そしてコルトギャラン譲りのダンブルフォーム、ダイナウェッジラインで構成するスタイリングは基本同じながら細かな部分を再デザイン、市販に向けて生産性向上を主目的に変更がなされていました。

↓ダックテールにサイコロテールは市販そのままのイメージながら市販型はより選択されたイメージ!
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↓連メーターの意匠は同じながら湾曲度合いが市販ではより深くなり“フライトコクピット”化しました。
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~そして発売へ~

上述の通り三菱とクライスラーがタッグを組んで70.10/21にギャランGTX-1→ギャランGTO(型式A53C型)発売、直後の30日から第17回東京モーターショーにてGTOは展示され大々的なターンテーブルにこの年4月に追加されたギャランHTと共に載せられたGTOは大きな話題となり大人気を博しました!

↓発売時のカタログ
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これ、ワタシが所持している初期型のカタログは簡易版と思われ6ページしかない淋しいモノながらこの僅か6ページにGTOの魅力がぎっしりと詰まっています!

「日本のカーデザインに新しいページが開かれました。エアロダイナミックスの徹底追及から生まれたダックテール、シリ上がりのテールが印象的ないわばヒップアップ・クーペです。高性能に裏付けられたこのシルエットこそこれからのカーデザインの方向を示すものです。三菱はここの日本のカーファッションリーダーを自認しギャランGTOを自信を持って世に贈ります。」

とカタログ冒頭で凄い自信の表れ(笑)
カーファッションリーダーを自認ですからね~、確かにこの後GTOのクリソツな某車も現れましたがwww

しかしこの文章だけで如何に当時の三菱がGTOに期待を賭けていたかが分かります、何せ」この70年という年は三菱重工から自動車部門が分離、新星三菱自動車工業の発足した時でもありますしその第一弾の発売車種はGTO、力が入って当然ですね。

この解説?にもあるようにGTOの全てはダックテール!!

このデザインは米マスタングなどが採用しアメリカの若者に高い支持を得ていたデザインであり日本でこれを採用したのはGTOが初めて、CMコピーも“Hip up cope”と謳われていました。

↓ギャランGTO発売時のCM


鋭く切れ込む逆スラントのFrからダイナウェッジラインという三菱独自のエアロフォルムでRrまで結びファストバックから降りてくるRrウインドウのラインに絡ませ最後にテールを盛り上げてスパッと切るデザインはそれまでの日本車にはない斬新なスタイル、子供心にも非常に眩しく強烈な個性で見た瞬間に虜になる威力充分!鋭くウエッジが効かせながらもダンブルフォームと言われるボディのふくらみとカーブドグラスからなる斜め前、後から眺めるスタイリングも非常に美しさを感じました。

↓カタログ1~2ページもまずは“ヒップアップ”を全面に!


そんなGTO、発売時はコルトギャランでデビューしたOHCの4G31型エンジンをスケールアップし" “サターンエンジン”と名付けられた4G32型OHCエンジンのMIとMIIがラインナップされました。

ベーシックグレード『MI』はベースとなるコルトギャランの上級グレードと同等装備を持ち4G32シングルキャブ100pを搭載、価格は780,000円、一方の上位グレード『MII』はコルトギャランのスポーツ最上級であるAⅡグランドスポーツ(GS)とほぼ同じ装備が与えられラジアルタイヤ、ハードサス、センターストライプテープを装備、4G32エンジンはSUツインキャブで武装、圧縮比を9.5に高めデュアル排気化で110psを発生、Maxスピード185kmで840,000円という価格設定…。

尚、GTOの発売と相前後して生涯強力なライバルとなった『セリカ』(初代)がトヨタ自動車から登場、この好敵手の存在がGTOの発展に大きく影響したのは言うまでもありません(セリカとGTOの関係については→こちら と こちら をご参考まで)

またGTOが強烈に好きな点の一つにインテリアのカッコ良さもありました!

三菱らしくコンセプトを航空機に定めクライスラーからアドバイスされた大きく湾曲したフライトコクピットは今見れば芸術的、当時は連続するメーターパネルは常識になりつつという時期でしたがその中でも時計を含め8個ものメーターが並ぶのはGTO唯一!まぁ、多けりゃいいってモンでもないですがスポ車ファンにはこれもたまらない魅力の一つでした!

↓3~4ページは“フライトコクピット”の解説!
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このインパネ及び内装の意匠は基本、GTO終了まで継続、最後は7年という歳月を経ておりましたが各スイッチ類、空調に古さは隠し切れない印象ではありましたがカッコ良さ、迫力という点では最後まで魅力を落とさずその証拠にこの意匠は後続のギャランΛにも現代的にリファインしながら継承されておりました。

単にスポ-ツマインドをくすぐるだけでなくGTOの内装は当時としては非常に高級感も高い、オーバーヘッドコンソール、ブレーキ故障警告灯やシートベルトワーニング、ドアロック警告灯など当時としてはまだ珍しい装備も奢られメーター下部のスイッチ部には木目(調)をあしらう等さながら高級グランドツーリングの雰囲気を醸し出していました。

↓カタログ、5~6ページはインテリアとエンジン他機関の解説!
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また、ワタシが衝撃を受けたのがRrシートの形状、多分国産では初じゃないかな?これも三菱の良心であったと思いたいですがファストバックにより頭上からなだらかに下るルーフのため座面を抉りヘッドスペースを稼ぐといった工夫がなされ他クーペモデルが大概2+2的にRrシートは臨時的使用と割り切ったデザインや使い勝手だったところ決して広くはないながらもGTOのRrシートは大人2人が充分に座れ窮屈さも感じなかったのは確か、慎重174の標準体型のワタシですら特に頭上で他のクーペモデルのような“頭つっかえ”を味わった経験、皆無でした。

↓裏表紙にはこの時代特有の透視図…ギミックですがトランクのセンターオーナメント『GTO』を斜めにスライドするとキー穴が現れるという仕掛けも好きでしたw
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69年のコルトギャラン発売、新時代の軽自動車として初のHBに7年ぶりにFMCし好評を得たミニカ70、そして三菱自動車工業発足と波に乗る三菱、その真打とも言えるGTO発売に於いては注文が殺到、その後発売1か月で3339台を売上げるというコルトギャランに次ぐ高人気を獲得しますがまだまだ新型車攻勢は終わらず70/12、GTOシリーズの頂点でもありこのモデルを提唱するべくGTOは開発されたと言ってもいい最高峰『MR』が追加発売される事となります!

第一夜の最後に付録?として(笑)

~Gure的ギャランGTOへの憧れ~で語ったアクションドラマですがこれはかつて土曜夜9時のTBS黄金期のTOPを飾った『キイハンター』、この後アイフル大作戦、バーディ大作戦を挟み高視聴率となったGメン75に続く訳ですがこのシリーズ、劇用車はトヨタ提供のイメージが強いと思います。
しかし1971頃、三菱自動車が提供クレジットに入り劇用車にデボネア、コルトギャラン、そしてGTOが活躍していた時期がありましてですね、その劇中でまだカリーナのCMに出る前の若き千葉ちゃん(千葉真一さん)が主にGTOをカッコよく操っておりこれを見た影響もGTOキチガイになった一因でもあるかな?と思っています(^^ゞ

そんな訳で少しですがキイハンターにおけるGTOの活躍を!!
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以降“コルトギャランGTOのお話…第二夜(UP予定不明…汗)に続く(^.^)/~~~
Posted at 2016/11/03 23:01:13 | コメント(1) | トラックバック(0) | ギャランGTO | クルマ
2015年09月23日 イイね!

The80s、80年代車“ザ・ベストテン”

The80s、80年代車“ザ・ベストテン” 来ました来ました80年代v(^^)v

いいですねー80年代、雑誌やイベントの影響もあり“ハチマル・ヒーロー”として旧車ファンには現在最も注目&人気高い年代のクルマ達、個人的にも子供時代の単なる憧れであったクルマに実際に乗れる年代にもなりましたしね、まぁ、現在のハチマルブームはいささか作られ過ぎ?って気もしてリアルを知る世代から見る当時は箸にも棒にも引っ掛からないようなモノまで神格化されていて驚きますが電子技術の惜しみない投入や排ガス規制を忍の一字で乗り越え再びパワーをも取り戻しクリーン&パワフルで魅了、60/70年代とは較べようのない進化を迎えたThe80s、80年代車“ザ・ベストテン” やってみたいと思います(^_^)v

80年代は個人的にも思い入れ深いですしね、気合の順位となりましたがただ、選ぶ苦労しましたわ(~_~;)
どれもこれもランクINさせたい位の魅力的車種が多過ぎ!従って圏外と言えども落とすのに苦労したモデルもありそれぞれ皆さんも異論もあるかとは思いますが優しい目で見てやって下されw

まっ、あまり80年代80年代と懐古趣味を騒いでいると“セン○リかいて80年代で首くくっちょれ言うんか!”なんて怒鳴られそうなので(笑)ほどほどにしておきますが(^_^;)

1980~1989(昭和55~平成元年)ですか、時代が一気に進んだ感じでしたねー。
ワタクシGureも大きく人生が移り変った時期、初頭は高校生でも終盤は子持ちのパパ、いやー、クルマもですが個人でも、そして時代も大きく変革した時期だったと思います。

後半は90年代のバブルに繋がる好景気!物価も高くガソリンも食料も高かったながら個人的には若くもあり収入や職で困る事はなく幸か不幸かヘッドハンティングされまくりという今から振り返れば夢のような時代でした…

クルマ的には何と言っても電子制御技術が大幅に採用され同時に快適装備も70年代では高級車のみに与えられていたモノ(パワステ、パワーウィンドウ、エアコン等)が続々普及モデルにも採用され終盤では軽自動車でもこれら装備が珍しくないって感じになっていましたっけ、併せて電子制御の脚廻り、エンジンが常識となり性能や完成度、耐久性は70年代車とは較べようのない充実がなされました!

この時代、「クルマ、どこまでおもしろくなるんだろう?」的な夢と希望に満ち溢れていたのは間違いない、そんなバラ色の80年代を振り返ってベストテン、やりましょー(^o^)丿

例によって国産車のみのランクとし基本は乗用車のみ(一部商用もあり)、定義としては1980年(昭和55年)~1989年(平成元年年)デビューのモデルである事、例えば後追加のモデルが90年だったとしても基本モデルが80年代であれば含みます、その逆に追加モデルが80年代であれば基本モデルが70年代デビューでも含む事とします。

尚、このコーナーではお約束の単にワタシの好みで順位付けになっていますのでご了承願います。

※尚、全て過去のベストテン企画で取り上げている車種になりますので一部編集の上コピペ(~で仕切っている部分)による記述がメインになっています、画像も使い回しで手抜きしてますが言いたい事は同じですので予めご了承願います。


さぁ、今週の!?第10位!!

【トヨタセリカカムリRA55型(1980~1982)】


“男30GTアゲイン”ってヤツですねー、当時は30歳なんて相当な大人な感じ、何もかも知り尽くした大人のGT!!っていうシブさが妙にカッコ良かった!

内情は前年デビューして小型車人気売り上げNo1をアッと言う間に獲得した日産の910ブルに席巻に慌てたトヨタがカリーナのボディにセリカの味をプラスした急造車でまずスポーツ風味の普及グレードから発売しトリに満を持してトヨタのお得意であるDOHC搭載のGTをデビューさせました。(SE、SX-EFIも同時発売)
セリカを謳う位ですからね、普及グレードなんてどうでもよくトヨ2風のT字グリルやダックテールに処理された美しいRrスタイルにお馴染みではありますが135psの18R-GEU型DOHCエンジンは非常に魅力的、これも個人的にはマイカーにできなくて悔いが残る1台です…

~2代目カリーナセダンをベースにトヨ2風のT字グリルを付けテールをカムテール(ダックテール)にしたたけでこれほどカッコ良くなるんか!と箱好きを夢中にさせた初代カムリ、堂々ランクINです(^^)/

2代目SV10以降は初代とは何も関連性のない新設計となり言わば”大きなカローラ”的になりスポ車好きの興味からは外れるモノとなりましたが初代は名前が示すように『セリカ』の仲間、当時のトヨタNo1の硬派だった走りのセリカ一族かぁ!!なんて思うと速い箱に夢中のド変態にはタマラン魅力がありました。

2L18R-GEU DOHC-EFI135psを積む最高峰2000GTはセリカ、カリーナ、コロナの2000GTよりも若々しくエキサイティングなイメージ、コロナカリーナにはなかったセリカGT同様の4独の脚廻りなど”セリカ4ドア”のコピーが頷けるモノ、ヒトによっては「カリーナのハリボテ」なんて言うヤツもいましたがそこはサイドのダクトやトランクに光る『CERICA』のエンブレムがまるで水戸黄門の印籠のような迫力を感じさせたモノです(爆)

まっ、確かにGTと普及型スポーティモデルのSX-EFI以外のベースモデル(LTやXT)や豪華モデル(XTスーパーエディション、SE)はカリーナのハリボテと言う意見は否めないと思いますがそれでもカッコ良ければイイ!少なくともワタシはこの順位を付ける位ですから数ある4ドアセダンの中でもかなり好きでしたねー。

勿論当時の常識であったFRのセダンとしての機能は充分及第点に達していましたしベースのカリーナがこれで高評価でしたからセリカカムリも同じくセダンとして恥じないクルマでした!~


続いて第9位!!

【初代トヨタソアラ M/GZ10系(1981~1986)】


免許取得とほぼ同時に現れた初代ソアラ、18やそこらのガキには絶対代えない代物である事は分かっていながら憧れましたねー…

何もかもが新しくイチイチ目を奪われるクルマ、170psの5M-GEU DOHC-6エンジンは当時としては破格のハイパフォーマンスでしたし高級パーソナルクーペとしてBMの6やベンツSL等にも劣らない風格と上回る装備に発売と同時に惹き込まれました!

トヨタらしくワイドバリェーションで頂点に2.8GTエクストラを備えその孤高の存在感を示しながら普及型の1Gエンジン搭載の2Lシリーズ、節税しながらもソアラの名に恥じない走りを提供する2Lターボ(M-TEU)の追加などもあり当時としては高額車輌ではありましたが80年代前半の街中には何かしらのソアラが数多く存在、例え廉価版のVⅠにしても買えませんでしたがそのカッコ良さは80年代の象徴の一つですしね、他に魅力ふんだんのモデルの多い年代ですので9位としましたがカッコ良さと存在感、憧れ度だけで順位付ければベスト3で間違いないです…。

~これは御同輩ならだれでも憧れたでしょう、“上級グライダー”の意味に相応しい美しくかつ機能的、斬新でもありかつどこか見慣れた安心感のあるスタイリング、そして当時最高パワーの170psを叩き出す常識外れ(あくまで当時の感覚)のエンジン、全体から溢れる都会的センス、上質感、ハイソ感が憧れの境地でした。~


さぁ、8位行ってみましょー!

【2代目三菱ランサーEXターボA175A型(1981~1987】


過去の三菱を象徴する1台であるランタボ、堂々8位です!
若き三菱が情熱を掛けたラリー参戦でTOPを取るのに燃えていた時代の寵児であるランサー、ファミリーセダン、大衆車として生まれながらもその素性の良さから内外のラリーで常勝マシンとなりましたがFR時代最後のラリーウエポンがランタボ(ランサーEXターボ)であり大人しい見かけと小洒落たデザインからは想像も付かないジャジャ馬ぶりが菱好きのハートを熱くしました!

~やっぱコレでしょう…未だに所有しなかった事が悔やまれる1台でイベントや仲間のランタボ観ては溜め息ばかりで。。。

大人しいファミリーカーの出で立ちでバカっ速い!この手のクルマが得意だった三菱らしい荒々しさが当時麻薬のようで欲しくて欲しくて。
自分の置かれた時期的問題で遂に手にできなかったので何年経っても思いは立ち消せませんねー。

カクカクの80年代らしいスタイリングとターボパワーを見せつけたランタボ、かなり少なくなってきてますがその放つオーラは最高に感じます!

79年にFMCした2代目になるランサーEXに時代の寵児であるターボチャージャー付ハイパフォーマンスエンジンを搭載、一足先に海外でデビューしたのがランサーEX2000ターボ、国内向けは上級にギャランΣΛに2000ターボが設定されていた関係上、1800に落とされますがそれでも135psという高出力を実現、三菱らしいドッカンターボのじゃじゃ馬でしたが伝統のシャープなハンドリングと癖の無いFR機構、どことなく垢抜けなかった先代に較べスタイリングが好評だったΣの流れを含むモダンなデザインは男臭かったランサーのイメージを変えるお洒落さ、しかしターボに関してはしっかり硬派な部分も継承した魅力的なモデル、競技ベースのGT、豪華仕様のGSR、ATによるイージードライブをも楽しめるGSLターボ(後追加)と幅広い選択肢がありました。

83年からはGSR/GTはI/Cを装備、一気に160psのパワーを得て“スーパースポーツセダン”に駆け上がり未だファンの耐えないランタボ伝説をこのモデルが築きました!~


盛り上がってまいりました(汗)第7位!!

【4代目日産フェアレディZ2シーター Z32型(1989~2000)】


32Z、子供の頃から見てきた30Z、130Zから“フェアレディZ”には一種の固定概念がありましたが32になりそれをいい意味で打ち崩し新時代のスポーツカーとして生きる術を表した日産気合のモデルだった強く感じ7位としました。

130の時代でスポーツカー→グランドツーリングカー的になりながらも当時としては誰がどう見ても“スポーツカー”のスタイル、個性で魅了したZでしたが90年代のピュアスポーツを日産が本気になって取り組んだ新星Zも大好きでした!
発売は89年ですので実質90年代のスターではありますが910ブル同様、32の思想がまだ80年代で芽生えたってのが素晴しいですよね!
その後の時代の変革と日産の低迷から11年生産され後半はほぼ放置という状態で置かれた32でしたがバブル時代を象徴するこれもその1台でありこの後の33→34がコストダウンの塊になっていくZの中でふんだんにお金をかけスポーツカーがまだまだ憧れである時代のヒーローであった感じます。

~32Z!! これも出た瞬間に虜でした~

過去のZが名車S30の呪縛から解けずに苦しんで?いた中でそれとキッパリ決別、国内初の280ps、これのためにあるかのような“流麗”という言葉そのままなスタイリング、若い頃なので買えないのは分かっていましたが試乗会行ったり中古で一時探したりと頑張ってたっけなー、まっ、これも大蔵省により撃沈しましたが(涙)~


どんどん行きます、第6位!!

【6代目三菱ギャランVR-4 E39A型(1987~1992)】


グレード限定です!

これも実質的に活躍したのは90年代ですが80年代の終盤にその年代に我が三菱が5ナンバーTOPの性能を取ったという点が貴重、何せ80年代前半は三菱、ジリ貧でしたし…

売れまくったブームの寵児であったマークⅡ系に影響されハイソ、豪華、肥大路線に進んできたきた三菱が反省?した一つの回答がこの6代目ギャラン、ハイソ&トヨタ路線とは決別して三菱らしさを詰め込んだパッケージングは斬新かつ新鮮で当初は時代にそぐわず?な感じながら徐々に市場でも三菱の精神が受け入れられました!

~70年代にギャラン=スポーツセダンを印象付けたのが初代コルトギャランならば80年代でそれを再度印象付けたのがこの代のギャランでしょう。

歴史の古いギャランの中でワタシが言うのもなんですが一番ギャランと云われてこの代が思い浮かぶヒトも多い筈、ギャランの中のギャランとして6位ランクINにしました!

VR-4は当時2L最速、今や名機と呼ばれる4G63型DOHC16V I/Cターボをフルタイム4駆で武装したシャーシに載せWRC史上に歴史的1ページを加えたVR-4、ライバルのレガシィRSやセリカGT-Four、ブルSSS-Rと並ぶ日本が誇るラリーモンスター!

但しこれも速い、スポーツというだけが取り得だけでなくファミリーセダンとしても実に完成度が高く5ナンバーサイズのセダンとしては非の打ち所がない出来栄えは家族持ちの走り好きのワガママな欲求をとことん満たしてくれるモデルでした、好景気の時代の設計なので過剰品質と言われる位の質感は適切な維持をしていれば30年近くになる現在でもヤレも少なくその品質の高さを表してくれています!~


☆☆☆~今週のスポットライト!!~☆☆☆

今一歩、惜しくもベストテンに入らなかったモデルはこちら…

【三菱スタリオンGSR-VR A187A型(1987~1990)】


こちらもグレード限定…

このGSR-VR(2000=限定50台、2600はカタログモデル)が出てなけりゃ多分スタリオンは20位にも入ってないかも…

現在、神的人気のあるスタリオンも現役時代はジリ貧でした。
セリカXXやR30、Z、FCのRX-7などに対抗し三菱が82年に放ったスペシャリティスポーツでしたがこの手のデザインがあまり得意でない三菱、ライバルのような流麗さがなくゴツいイメージが当時の市場では受け入れられずいすゞピアッツアと並んでその本流には乗り切れなかった…

末期の87年以降になるとあちらでは好調だったブリフェンのワイドボディ(コンクエスト)の出で立ちであるGSR-VRをまず限定で発売、以後はこのボディにデボネアの2.6Lにターボを組み合わせるトルクフルな正に大陸的ツアラーの2600GSR-VRモノグレードとなりこれで評価、人気をを最後にきて上げたって感じでした、この最終モデルに限っては今となっては元来のゴツさも相まって非常にカッコ良く映りランク外ながら11位と致しました!

~サバンナRX-7、コスモ、セリカXX、Z31フェアレディZ(セミリトラ)プレリュードとリトラを纏うスーパースポーツ(風?)モデルが続々デビューした70年代後半~80年代初頭、これに乗り遅れまいと三菱の回答がこのクルマでした。

80年に第2世代に移行したA160系ギャラン/エテルナΣ/Λのシャーシ、機構を使ったスタリオンですが三菱初のリトラモデル!
他社のクルマに較べるとせっかくリトラにしながらもそのイメージは三菱らしくただただ“ゴツい”という印象で今でこそその個性的デザインが見直されて旧車人気は非常に高いですが新車時~現役時代は評価の低いものでした。

ある意味三菱の真面目さが災いした思いっきりに欠けたデザインが不評の元でしたが今こんなに評価されるとはねー、リアルでスタリオン現役時を知るオールド菱ヲタとしては嬉しい限りです(笑)

当時は”ゴツい”“鈍重”と陰口を叩かれましたが今は“重厚”“迫力”と一部マニアからは持て囃され
るスタリオン、意外に若いファンが多いらしく彼らにはこのスタイルが新鮮なのでしょうねー。~


さぁ、ベストテンに戻ります!今週の第5位!!

【7代目トヨタコロナHT T140型(1982~1985)】


HT限定の5位です!

このモデル、多分『コロナ』の名前でなかったらそう大騒ぎもしませんが何せワタシの世代ではコロナ=オヤジ車 というイメージが強かったのでこの140はそんな固定概念を崩すインパクトが絶大なモデルでしたので非常に印象が強いんです!

“ザ・スーパースター”ジュリーの910ブルに対抗心剥き出しで007のRムーア氏まで起用した派手なCM、それに見合うウェッジの効いた派手なスタイリングはそれまで若者担当だった兄弟のセリカ、カリーナをも上回るイケイケ度合いは発売時はド肝を抜かれましたね~…

コロナ最後のFR、またこれの次代からはまた元通りの“オヤジ車”に戻ってしまったのも一段と140に思いが残る所以です。

~コロナが入るとは自分でも意外ですがそれ位このFR最後の140HTには惚れてました、ランタボ、XXと共に所有しなくて後悔している1台です。

やはり名前とクルマのギャップがイイ!同じカテゴリー→兄弟なるセリカ/カリーナに較べ常に地味でジジ臭かったコロナが何を思ったかこの140だけは突然これらよりもエキサイティングになってしまいその衝撃はハンパなかったです! ~


いよいよ上位に行きます、第4位!!

【日産スカイライライン R32型(1989~1994)】


R32もZ32同様に実際の活躍は90年代、しかし発売はバブル真っ只中である平成元年ですしね、しかしこの頃の日産車はホント良かった!マーチ~シーマまで外れナシ!!って感じでした…。

R32もZ同様、ハコスカから長年継承するスカイラインのイメージをいい意味で変えた1台、いや、基本は変っていない、まだ縦6健在でしたしスポーツマインドも全開でしたし。

大きな変革はそれまでいい意味でも悪い意味でも直線番長のグランドツーリングであったスカイラインが本気でスポーツできる?って言い方も変ですがパワーにモノ言わせていた歴代と違いシャーシから考え直し運動性能を最大限考慮したと言えばいいでしょか、例えれば歴代の“乗せられている”感を弱め“操っている”感を高めスカイラインにはあまり感じられなかった感覚が新鮮、伝統の2ドアモデル(クーペ)にセダンもピラーレスHT形状になるなどもイメージが良い意味で深まりました。

16年ぶりのGT-Rの復活、4WD&ハイキャス、マルチリンクと新機構も盛りだくさん、スタイリングも年々肥大化するのをストップし振り回しやすく軽快さも味わえる程の卓越したハンドリング性能&脚廻りと魅力溢れるモデルだったと思いますので堂々4位入賞としました!

~スポ車好きにはやはりこのクルマはいつの時代も外せない憧れですよね!(^^)!

R32はもうこのド迫力のスタイルがやはり独特のオーラを放ち後続33/34、そして35以上にシブさも感じます。
幼年期に憧れた最速であるGT-Rに関してはハコ~ケンメリ以来16年ぶりの復活というセンセーショナルなデビューも虜になりましたしね、まっ、これもどの道価格的に縁がないので諦めの境地で眺めていましたが…~


いよいよベスト3に入ります!

【4代目トヨタマークⅡ4HT後期/3代目チェイサー4HT後期X60系(1982~1984)及び初代クレスタX50系前期(1980~1982)】

↑マークⅡ

80年半ばからバブル期にかけて時代を表すかのようにブームとなったハイソカー、その先陣を切っていたのがマークⅡ3兄弟である事は承知の事実ですが爆発的に売れたX70系(84~88)が誰しもイメージが強いと思います。
しかし天邪鬼Gureとしてはいかにもバブル!!って感じの70系よりその下地を造った60系にスポットを当ててやりたい、そんな思いからベスト3入りとしました!

↓チェイサー


X60は先代X30/40で築いたミニクラウン的高級イメージを継承しながら欧州風のクラシックな味付けの高級車的出で立ちをより当時の日本人受けするアメリカン的高級感に変更、エンジンの進歩もあり双子のスポーティ担当のチェイサーも含め標準的な大人しいエンジンバリェーションから新時代の高性能エンジンをラインナップする高性能高級モデルとなり第2時ハイパワー次代にも充分適応するモデルとなった点が非常に魅力的でした。

何せそれまでは高級車=鈍重なクルマ というイメージでしたが新開発1Gエンジン、従来のM型ながら時代の要請からこれをターボ化したM-TEU、2代目RX22 GSS以来の18R-G(EU)搭載やこれに代わるTC24 1G-GEU搭載など飽きさせる暇もない矢次ぎ早の展開はよりこの兄弟を際立たせ憧れの目を向けずにはいられなくこれのイメージ前略があってこそのバカ売れX70系ですのでね、80年代初頭で高級車の概念をまず最初に変えた60系マークⅡ兄弟、あの時の憧れは忘れられません…

↓クレスタ


~ マークⅡとチェイサーについてはX60の後期限定、クレスタは前期X50系限定とさせてもらいました、その根拠は前後と内装意匠だけの好き嫌いです!

新車種クレスタは大成功し遅れてFMCしたマークⅡ/チェイサーをも上回る人気となり慌てたトヨタ、特に有力ディーラーP店からの抗議もあったとかなかったとか?で82年のMCでクレスタよりも本流であるマークⅡを際立たせるかのような変更が加えられクレスタは個性を弱めると同時にX60系へと本流と同列型式化、前期の特徴だった顔やテールの意匠は極一般的なモノに改められてしまい個人的にはクレスタの特徴が消え失せた感じがしこちらは前期50系限定の順位とさせて頂きました。

この3種の身内の争い、基本同じクルマですので甲乙は付けられませんが同じ3位の中でも優劣付けるならばマークⅡ(後期)→クレスタ(前期)→チェイサー(後期)ですかね~… ~


とうとう来ました!第2位!!

【日産スカイライン R30型(1981~1985)】


R30、恐らくハチマル車で一番残ってるんでない?って位イベントに行くとワンサといるモデル、さすがスカイラインですよねー!

当時“ニューマンスカイライン”とか“新・愛のスカイライン”とかコピーされ排ガス規制を挟んで色々と揶揄されたケンメリ末期~ジャパンで溜まっ鬱憤を一気に晴らすかのようなイケイケだったR30は第2次ハイパワー競争の真っ只中であもありその展開は派手さを極めていたと思います!

相変わらず普及版はZ、CAなどの4気筒エンジンを搭載するファミリーや営業向け~高級&スポーティ部門は2L縦6、同ターボのL20エンジン搭載のGT系と分かれていましたがR30からはGT-R以来の4バルブDOHCのRS系も追加、更にコレのターボ、I/Cターボと留まらないスポ根路線はスカイラインファンでなくてもウキウキしたものだったと思います。

ハコスカから継承するGT系の長細いボディは遂に4気筒バージョンもロングノーズになったのも新鮮、やや飽きられた感のあるGT系に代わるRSがメインでスカイライン史上初の4気筒が脚光を浴びる稀なモデルだった訳ですね。

ウェッジの効いたスタイリングはスカイラインらしさ満点でしたがこの時期の日産特有のペキペキ調のインパネ、インテリアはトヨタのセンス、完成度には程遠い印象ながら男臭さ満点のR30、FJ20DOHC 16Vエンジンだけでそんな事は問題にならない魅力がありました!

~若い方々は西部警察でファンになった方も多いと思いますがワタシ的には西部警察の前番組、大都会シリーズが好みなので西部~の影響は皆無、純粋に個人的に好きな4気筒が主役となる珍しいスカイラインである事、無敵の出で立ち、スカイラインに乗っているという満足感からファンでした。~(汗)

これぞ80年代!って感じのR30、2位とさせて頂きます。


さっ、そしてオオトリ!今週のTOPを飾るのは…

【2代目トヨタセリカXX A60系(1981~1986)】


ここで白状しますが今でこそキョーレツな菱ヲタを自他共に!って感じのGureですが実は80年代はトヨタの隠れ?ファンだったのです(^_-)

初社会もトヨタのメシ喰いましたしね、何よりこの当時で既にシュア率No1のトヨタ、まだまだ在野精神も残っていて今のように“金儲け金儲け”的な体質もそう顕著ではなく少なくともシュア1位の名に恥じないようNo1のクルマを造ろう!って意識が充分に感じられる時代でしたしね、スターレット~クラウンまでその精神は活きトヨタ車が一番輝いた年代だと今も思っています。

そんなトヨタ車でこれんはぞっこんになったのが2代目XX、憧れのリトラを纏ったウェッジシェイブは先代の高級パーソナルをソアラに任せてスーパースポーツの出で立ち、ソアラでド肝を抜かれた5M-GEエンジンの2.8GTを頂点に据えターボ、TC24などの幅広い車種展開も魅力的でしたしね、これも本気で買おうと思った1台ですし80年代ベスト1、個人的にはこれに勝るモノはないです…。

仕事でお客さんのモノながら2.8GTを厚木の車輌センターから横浜まで回送した30数年前のセンセーショナルな記憶は未だ褪せません、TC24やターボも今となっては大したモノではないながら当時としては1線級の動力性能と脚廻りでしたしね、ソアラ以上に憧れた若き日、現在でもコイツを見ると懐かしく思い出させてくれたりします!

~トヨタ時代ローンまで組んで買いかけた位当時は夢中になったクルマでした。

直線デザインに目がないGure、非の打ち所のないスタイリング、そして2.8DOHCでデビュー時ですらそのスペックにド肝を抜かれながらもターボ、ツインカム24と矢継ぎ早にハイパワーエンジンを続々搭載、、まぁ、時代がそういう時代でこれはXXに限った事ではなかったのですが当時の国産最高psや流行りのターボ、そして4バルブDOHC×縦6という日産S20以来のレーシングエンジン(イメージ)はこのクルマから片時も目が離せなかった! ~


ランキングは以上となります!

恒例、圏外は下記の通りとなりました。

11位:三菱スタリオンGSR-VR A187A型(1987~1990)
12位:2代目マツダサバンナRX-7 FC3S型(1985~1992)
13位:4代目マツダファミリアXG BD型(1980~1985)
14位:初代日産セドリックシーマ/グロリアシーマ及びシーマ Y31型(1988~1991)
15位:6代目トヨタカローラ E90系(1987~1991)
16位:6代目日産サニー B12型 (1985~1990)
17位:2代目いすゞジェミニ JT系(1985~1990)
18位:初代トヨタMR-2 AW10系(1984~1989)
19位:6代目三菱ミニカ H20系(1989~1993)
20位:6代目日産ローレル C33型(1989~1993)

21位以降は順不同ですが下記の車種をランクさせます。

初代スープラ(A70系)、初代カローラⅡ(AL20系)、5代目カローラレビン/スプリンタートレノ(AE86)、7代目及び8代目クラウン4HT(S120)、マークⅡ/チェイサー/クレスタ(X70)、7代目セドリック/8代目グロリア(Y31)、7代目スカイライン(R31)、3代目ギャランΣΛ/エテルナΣΛ(A160系)、初代ピアッツア(JR120/130系)、2代目/3代目プレリュード(AB/BA系)、3代目インテグラタイプR(DC2型)、初代ミラターボTR-XX(L70)

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如何でしたか?毎回〆では書きますがクドイですがあくまでもこの企画はお遊び、『それは違うだろ?』とか『あれが入ってねーじゃん!!』的な反論もあるでしょうがこれはワタクシの基準、これを読んで皆様も独自なベストテンを楽しんで頂けたらと思います。

思い入れ、思い出多き80年代車、冒頭で書きました通りランク付けするのも非常に難儀でした。

メーカーや個人的思いを抜きにすればThe80年代と言えばBDファミリア、910ブル、Y31シーマが一般的な認識ではないかと思います!

ただ、ワタシ的には確かに多かったしブーム的人気も認めますがBDファミリアは軟弱さが今一つツボではなかったですし910は70年代車、31シーマはやはり縁遠かったですからねー、ベストテン入りは厳しいかと…

60~70年代と較べると格段の進化で後半ともなれば時代の恩恵から現代車よりコストの掛かっているのも珍しくはない80年代車、その気になれば普通に日常使用も現代車同様にできる実力を持っていますしね、旧車の中では手に入れやすく維持しやすい部類(あくまでも旧車としてのレベル)ですので90年代車に次いでまだ生き残りもそこそこある中、エゴカー減税や悪法重課税に負けず動態保存される事を期待してThe80s、80年代車“ザ・ベストテン”を締めたいと思いまーす。

(^o^)/
Posted at 2017/12/17 15:38:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | ザ・ベストテン | クルマ
2015年09月18日 イイね!

The70s、70年代車“ザ・ベストテン”

 The70s、70年代車“ザ・ベストテン” ハイ、続いて行ってみましょう→The70s、70年代車“ザ・ベストテン”

1970年~1979年、ワタシもお付き合い頂いている仲間でも一番多い年代かな!? 36歳~45歳…

この年代がクルマ好き世代のギリギリでしょうか?これ以下ですとクルマに興味ないという方もかなり多くなる気がします、てかこれ以下でも好きな人間は好きで知識もかなりのもんですが良く言えば専門的、悪く言えば偏っている?感じで広く、万遍にクルマが好き!っていうのはあまり感じられなかったり…まぁ、勿論ワタシの周りだけかもしれませんが。

70年代、ワタシは幼少期から青年期になりますので80年代と並びとても印象に残っている年代、60年代のイケイケどんどんはなくなり逆にOILショックやら不況やらと暗い事も多かったながら後の“失われた20年”に較べれば人々はまだまだ希望と夢に溢れていた!

クルマにしてもそう、後半には世界一厳しい50~53年排ガス規制という一大事も訪れ各社、「クルマが動かなくなる!」と大騒ぎ、事実それに近い程?排ガス規制よる軒並みのドライバビリティ低下など一時は目を覆いたくなる惨状にもなりましたがそんな中でも生き残りのため各車魅力の維持に懸命で諦めず排ガス規制対応と共に“その後”の開発にも真摯に取り組み80年代を迎える頃には未対策時代の水準を取り戻しやがてそれをも上回るパワーを取り戻し死にかけた国産車の市場を再び活気付けた訳です。

前回の60年代を誕生期としましたが70年代は青春期、ただ後半は上述の通り排ガス関係に時間を割く事となりますので主に前半が60年代からのモデル、またはそれをベースとしたモデルに“青春”の文字が相応しいと思います。

それでは早速The70s、70年代車“ザ・ベストテン”やってみたいと思います。

例によって国産車のみのランクとし基本は乗用車のみ(一部商用もあり)、定義としては1970年(昭和45年)~1979年(昭和54年)デビューのモデルである事、例えば後追加のモデルが80年だったとしても基本モデルが70年代であれば含みます、その逆に追加モデルが70年代であれば基本モデルが60年代デビューでも含む事とします。

尚、このコーナーではお約束の単にワタシの好みで順位付けになっていますのでご了承願います。

※尚、全て過去のベストテン企画で取り上げている車種になりますので一部編集の上コピペ(~で仕切っている部分)による記述がメインになっています、画像も使い回しで手抜きしてますが言いたい事は同じですので予めご了承願います。

それでは行ってみましょー!


さぁ、今週の!?第10位!!

【2代目スプリンタークーペ E40~60系(1974~1979)】


2代目スプリンターのクーペモデルのみの限定10位です!

ご存知日本を代表するファミリーカーだったカローラの双子モデル、初代カローラのクーペモデルとしてデビューしたスプリンターは2代目カローラE20デビュー時に独立“トヨタスプリンター”となりました。
2代目は単にカローラのFrとテール意匠をオリジナルとした程度でしたが74年にデビューした2代目スプリンターE40系はベースをカローラとしながらもボディは大幅にリファイン、従来のクーペがあくまでファミリー路線を意識した2ドアセダンに毛が生えた?程度だったところ40クーペは本格的なフルファストバックのスタイルとフェアレディZをも彷彿させる抉れたヘッドライトのエキサイティングなFrマスクなどが大衆車の域を超えた本格クーペの存在感を抱かせており非常に好みだったのでこの順位としました!

カローラ同様ベーシックな1200~本格スポーティの1600DOHC(トレノ)までの幅広いバリェーション、そして価格は大衆車としてのリーズナブルさは当時HTに移行したカローラを上回る人気を獲得、子供目線でもカローラHTとは較べモノにならないスタイリッシュ感を持ったものです…。

~このFMCではカローラとスプリンターをボディに関わらずオリジナルティに変更、外板パーツに一部共用はあるもほぼ異なるデザインとなり双子から決別、この時にカローラの派生は2HTに変更されクーペを継承したのはスプリンターとなっています!

本流?であるカローラがスプリンターを下回る結果となるのはメーカー的にも販売店的にもあまり歓迎されるモノではない?それを如実に表すように76年のLB追加時に再び双子化がコレに関して行われたのを序章に77年にはスプリンタークーペの双子であるカローラクーペ、カローラHTの双子であるスプリンターHTをそれぞれ追加設定、セダン以外は全て同じボディ(バン除く)に統一、再び双子政策となります。~


続いて第9位!!

【スズキフロンテクーペ LC10W型(1971~1976)】


50年代に日本固有のクルマ=軽自動車が誕生して現在まで、ワタシ個人の思いとしてはこれほどカッコいい軽はコレの後にも先にもない!間違いない!絶対そう思います(^_^;) 

~出ました!“和製カウンタック”ことフロンテクーペ!

これは素直にカッコイイ!さすが原案が鬼才、Jアローだけあります、この小さなボデイに完璧なスタイリッシュクーペを実現、ロングノーズ&ショートデッキ、地を這う車高と上級スポーツカーにも負けない美しいスタイリングは後年の軽スポーツ、カプチーノやAZ-1/CARAのように思わずギャグか!と突っ込みを入れたくなるようなオチャラケさもなく(あくまで個人的見解)純粋にただただカッケー!と惚れるスタイリングが全てでしょう…

“地を這う”は言葉通り、RrエンジンRrドライブと言ったドライブ形式もありますがこれの運転感覚はまるでゴーカート!
低い目線の運転席から眺める景色は実速以上のスピード感、スリルを味わえましたしRrエンジンによる独特なRrヘビー感からなる後ろから押されるような感覚はFrが軽い分ステアリング感覚もシャープさが増しスタイル同様に挑戦的気持ちになったモノですです。

サブロク時代がフロンテクーペ、新規格改正550cc版がセルボとなりますがセルボは排ガス規制もありエンジン特性はクーペ時代のピーキーさはなくなり至って扱い易い乗り味で乗り手を選ぶクーペと較べるとかなりマイルドになりましたがそれでもクーペ時代同様にスズキの意地で載せた2st3発の味わいは健在でしたし新規格となり他社が続々と軽スポーツの分野から撤退してゆく中、最後までそのスポーツ魂を消さず“軽No1”を自負するスズキの根性に魅せられましたねー。

Rrエンジンによる積載&格納スペースの不足や幼児以外は使い物にならないRrシート等、“クルマ”としての機能はやや欠けるもこの時代の唯一の本格的軽スポーツ、これはセルボだけでなくクーペ時代は元々2シーターで設計されホンダや三菱、ダイハツのようなセダン系にちょっと手を加えるという容易な手法ではなく真面目に名前はフロンテながらそれとは一線を画し“スポーツカー”として設計された経緯があるだけに実用性が低い点もむしろこのクルマには長所だったように感じます。

後年ビートや前述の軽スポーツ、近年のコペン等魅力ある軽自動車は度々出現していますがこれらの元祖的存在のフロンテクーペはまだまだ“ガマン車”“貧乏車”の認識が根強かった70年代の軽自動車の姿に一石を投じた姿は非常にカッコ良くかつスズキというメーカーの軽にかける本気度を見せつけてくれました。~


さぁ、8位行ってみましょー!

【3代目トヨタコロナマークⅡX30/40系(1976~1980)及び初代チェイサーX30/40系(1977~1980)】

↑マークⅡ


↑チェイサー

60年代に日産ローレルと共に“ハイオーナーカー”という新たなジャンルを作った初代マークⅡ(コロナマークⅡ)、60~70年代前半はどちらかと言えば時代に乗ってスポーティ路線だったのですが排ガス規制やOILショックの影響もありこの路線の維持は下級の後発であるセリカに任せクラウンに次ぐ高級車に転換、まだまだこの時代はクラウンにオーナーカーを求めるのは無理もありこの施策が大当たり、マークⅡはこの“ミニ・クラウン”化した3代目X30/40が元祖となり最終X110系まで人気車種となりましたのでね、X110までおよそ30年にも及ぶ第一線の人気を獲得していた点に敬意を表し8位としています。

同時に77年よりその3代目マークⅡをベースにした初代チェイサーもランクIN、チェイサーは年配向けをターゲットにしたマークⅡに対し若年層、ヤングアダルト?を意識し内外を若造り、マークⅡ/チェイサー共にセダンと2HTを用意していましたが性格からして個人的にはマークⅡがセダン、チェイサーはHTのランクINとさせてもらいます!

~ブタ目の愛称で今でもマニアには親しまれる3代目マークⅡ、当時はそんな愛称はなかったですが後年のマークⅡ人気はこれが火付け役でした~。

コロナマークⅡ、67年に初代T60/70系がデビューこの頃はコロナのスポーティモデルとしての位置付けで人気を得ますが2代目のX10/20の時代、前半は初代の立ち位置を継承するもセリカなどのラインナップもあり途中から6気等モデルのLシリーズをメイン化、ここからはスタイルはアメリカン調の派手派手ながら内装などはクラウンに準じる高級化がなされ何かハンパなイメージで人気もなかったのですが3代目になり外観と中身を高級路線に統一、ヨーロッパ調の当時でも古めかしいスタイリングが逆にフォーマルで正当なセダンとして認知され先代とは打って変わった大人気を博します!

X30/40にはHTもラインナップされますがこちらは性格上若々しくリファインされた兄弟双子のチェイサーの方が映えるイメージ(個人的見解)、マークⅡは絶対的にセダンが好きで後年マイカーにした程です。~

~侍チェイサー、草刈チェイサーですね(笑)

77年に3代目マークⅡのヤングバージョンとして双子デビューした初代チェイサー、ベースのマークⅡが当時でもレトロ調のデザインで落ち着きのハイオーナーカーとしての立場を鮮明とし先代までにあったスポーティ度はほぼ払拭されました。
そこでそのスポーティ=若向き版としてこのチェイサーがラインナップした訳ですね!

チェイサーにもマークⅡ同様にセダン/HTが設定されますがスタイリング的にセダンはマークⅡが高級車然とし如何にもって感じがウケましたがHTに関しては個人的にはマークⅡはその落ち着きと2HTというイメージがどうも合わなくて圧倒的に若向き意匠であったチェイサーが好きでしたねー…

77年にデビューしながらもその1年後には76年デビューのため定期?MCのマークⅡに合わせてこちらもMCされ後期型となりますがこの時から後続モデル(X70/X90)でも採用された格子状グリルがチェイサーのシンボルとして初登場、この顔の2HTはかなり惹かれました!

友人がこれ(SGツーリング)のワインレッドを購入、ややシャコタンにしてRrを八の字切らせワークエキィップを履かせ見せに来た時は思わずウットリ!美しいワインにチョイ悪なカスタマイズをされたMX41のHTのカッチョ良さは今も瞼に残っています。~


盛り上がってまいりました(汗)第7位!!

【6代目日産ブルーバード 910型(1979~1983)】


910ブル、80年代の代表のイメージですが発売は79/11、れっきとした70年代車!

と言っても無理がありますねw 実際これが街中に溢れたのは80年代ですからねー、どうしても70年代のブルと言えば510/610/810の印象が強い…

まっ、しかし定義に照らせば910もここで取り上げるべきのモデル、2ヶ月しかなくても70年代です(-_-;)

510がブル最大の傑作だとすれば910はNo.2?と世間的には受け取られるでしょう、しかし天邪鬼Gureとしては910に軍配を上げたい!そんな思いがあります。

510ももちろん名車ですが年代的にやや荒削りの部分も多かった、そこいくと910はFR小型車としては責めどころが非常に少ない完成形だと思えます、まぁ甲乙付けがたいですが両モデルを乗り較べたらおのずと結果は誰でも得られるかな?と感じます。

~当時の“スーパースター”ジュリーを起用「ブルーバード、お前の時代だ!」のCMで一世を風靡した910ブルの4HT、ここで登場です(^_^)v

長いことセダンとHT(またはクーペ)でやってきたブルが初の3車型(セダン/2HT/4HT)でラインナップ(バンやワゴン除く)、次期U11以降は2HTが廃盤となりましたからね、一番のワイドバリェーションを誇ったのもこの910の特徴でさすが稀代の人気車です。

79年に発売された910、圧倒的な販売はセダンでしたが2HTも少数派ながらセダンのクリーンなイメージを崩さずかつスポーティ、そして実用的にも充分使える(当時として)真面目さが好感を持て4HTはそのセダンと2HTのいい部分を折衷したかのような出来栄え!お得意のピラーレスHTはこの頃では既にRrドアのガラスフルオープンと謳いながらもは全開せず1/3程ウィンドゥが残るタイプになっていましたがそれでも充分エレガントでセダンよりは遊び心を感じ2HTよりはフォーマルと非常に後追加が成功したモデルだったと思います!~

空前の人気と空前のワイドレンジを誇る910、全てのボディで7位とさせて頂きます。


どんどん行きます、第6位!!

【初代トヨタセリカ A20~30系(1970~1977)】


THE70年代!と言えばコレを思い浮かべるファンも多いでしょう…

トヨタ初のスペシャリティカー、セリカ、デビューの鮮烈さとトヨタらしい商品展開で陳腐化を避け7年というモデルライフを高人気で君臨、排ガス規制の厳しい時代も他ライバルが次々と牙を失う中、頂点のDOHCエンジン(18R-GU)だけは死守し暗い時代に唯一スポ車ファンに光を与え続けた功績は立派でした!!

尚、後追加のLBを除くダルマ限定の順位、人気はLBが絶大でしたがワタシ的にはLBはもろGTOパクリ感が未だ拭えずに好感持てないのでこうした処置としております、LBファンの方、スミマセン。。。

~ワタシの青春期、絶大な人気があった初代セリカ、コイツはやはりカッコいいですよ!

当時は個性的なボディ一体のアイアンバンパー、彫の深い顔付き、6連メーターからなるソソるインパネに頂点にはトヨタらしく2Lと1.6LのDOHCエンジン(18R-G/2T-G)と来りゃ人気が無い訳はないですよね~…~


☆☆☆~今週のスポットライト!!~☆☆☆

今一歩、惜しくもベストテンに入らなかったモデルはこちら…

【4代目トヨタカローラクーペ E70系(1979~1983)】


カローラとしては4代目、元愛車(TE71レビン)でもありますし思い入れは深いです。

カッコはかなり好み!先代のスプリンター40~60も好きでしたがHBクーペとなりいかにも80年代に立ち向かうクリーンな直線デザインが好み、セダン系、HT、LBとボディバリェーションがありLBを除く全てが好みでしたが11位とさせて頂くのは中でも伝統の“レビン”を名乗るクーペのみとさせて頂きます。
大衆車=リーズナブルでこれだけ先鋭的なクーペデザインはなかなか他に見当たらずこの時期に流行ったシルエットフォーミラーの70カローラを見た瞬間からこれは虜になました(笑)

~ TE71レビン、これもある意味140コロナ同様これの先代、KE/TE30~60系のカロスプにはなかった若々しく戦闘的でペキペキのスタイリングにやられました!

79年、まだ免許取得前でしたが70系カロスプが発表された瞬間、セダン/クーペ/LB/HTのボディが用意さていました(バン除く)がこの中でもクーペのシャッキっとしたスタイルに目が釘付けでした。

排ガス対策で牙は抜かれながらも当時貴重なDOHC、我々世代ではレース/ラリーで大活躍した2T-Gエンジン、そして伝統の“レビン”の名前にソソられました。

え?トレノじゃダメなの?って聴きますかぁ?(聞いてねーって…笑)
ハイハイ、ワタシはスラントより逆スラント派、トレノはスラントで鼻が短く見えるのがあまりツボにははまらなかったので…~


さぁ、ベストテンに戻ります!今週の第5位!!

【2代目日産サニークーペB110型(1970~1973)】


お断りですがB110、クーペのみの限定順位とさせて頂きます…。

いや、セダンも秀作である事は間違いなく“大衆車、ファミリカー”としては高順位ですが60年代というくくりになるとオーソドックス過ぎるセダンは今一インパクト弱し!そこでこちらも中身はオーソドックスながら小型クーペとしては目を見張るクリーンなスタイリングとまとまりからサニークーペのみをライクINとしております!

~B110サニー、個人的には全てのサニーの中でこれがNo1だと思っています。

B110は軽量、癖がなく素直な特性のドライブ特性、オーソドックスなFR機構、名機と言わしめたOHVとは思えないパフォーマンスを持ちつつ低燃費のA12型エンジンなど数えきれない魅力がつまったクルマ、素性がいい事から競技でも大活躍したので現在ではかつての代表的大衆車としてよりスポーティなクルマ、弄り甲斐のあるクルマ!として持て囃されついついそのスポーツ感性にばかり目が行きがちですが大衆車としてもなかなか秀逸でデビュー時“隣のクルマが小さく見えまぁす”とKE10カローラを揶揄したように当時としてはクラス最高の居住空間を提供、2/4ドアセダンに若者向きクーペ、コマーシャルカーとしてバンとトラック、そして高級指向のエクセレント1400(L14型搭載)もラインナップ、我儘なユーザーのライフスタイル、好みに可能な限り応える努力は激戦区での辛さと日産の頑張りを感じ取れたモノです。

どの車型でもどのエンジンでも万人に難なく扱え何らストレスを与えない出来映えは当然ですがライバルのカローラに較べそれだけではなくドライブする楽しさ、悦びを与えておりカローラよりも退屈さを感じさせずかつ経済性も上回り販売では追い付けずともクルマとして、大衆車としては同時期の20カローラを上回っていたと思っています。

販売力で負けより戦闘力Upの為、僅か3年で次期型にバトンタッチされてしまいそのせいかGXなどのスポ-ツグレードを除き比較的早く市場から消えてしまった感もありますが今となっては勿体無い話ですよね~…(+o+)~

カローラ、ファミリアという強敵ライバルも時代ですね、スポーツクーペをラインナップする中、TSレースでの活躍もあり確かに大衆車、ファミリーカーというカテゴリーながらライバルのクーペ陣を一歩上回る本格的スポーツの匂いを放つサニークーペ、もう少しで誕生半世紀を迎えるというのにそのスタイリングは今尚秀逸で数ある日産の名車の中でもTOPランクに数えたい、そんな思いから5位としました!


いよいよ上位に行きます、第4位!!

【初代トヨタカリーナHT A10系(1972~1977)】


新車時及び現役時、キャラの被るダルマセリカの方が圧倒的に人気、注目度は上でしたがワタシは大人しく品を感じかつスポーツ心も満たしてくれるカリーナHTが好きでしたのでダルマ以上の4位とさせて頂いております!

実際操ればダルマとは何の差もない(シャーシ共通ですから当たり前!)、しかしながら居住性はファミリーも意識するカリーナがHTとは言え断然良くしの割にはスタイリッシュも兼ね備えておりセリカのギンギンの派手さがなく控えめな部分が非常に好感持っていました。
HTの個性的なテールランプは今見ても萌えですw

尚、これもHT限定順位、セダンは個人的には不可ですので除外です。

~“足のいいヤツ”の初代ですネ~!

これは当時絶大な人気を誇っていた初代ダルマセリカよりも個人的には萌えました!!

セリカも確かに良かったのですがねー、カリーナに較べグラマラスで丸っこいスタイルが女性的な部分が若干好みには合わずキッチリとボクシーで男性的だったカリーナHTのデザインの方が好みでした。

初代カリーナは70年にセリカと同時デビュー、当初は“セリカのセダン版”との位置付けから2/4セダンのみのラインナップでしたので当時のブラボーコロナや20カローラのデザインのいいとこ取りしたようなセダンにはあまり興味なかったのですがこれを基本としたHTのデザイン、セダンのサンダーウェーブラインと独特な窪んだテールランプが非常にキまっていて惚れました。

セリカ程派手ではないがセダンやコロナHTのような地味さもない、この微妙な立ち位置がGood!!
それでもしっかりと2T-Gや18R-GなどのDOHC高性能モデルも設定されており(これはセダンにもありましたが…)走りでは当時1級品でしたからね、後年友人がHTのSRを買いましたし下取りなどで数種乗ったカリーナ、CMで誇示するほどの足の良さはさほど感じずハンドリングも70年代の乗り味ですのでこれを上回るスポーツモデルは数多くあったと思いますが何故かカリーナHTには独特な存在感を持ってました。~


いよいよベスト3に入ります!

【初代三菱ギャランΣ/ギャランΛ A120/130系(1976~1980)

↑ギャランΣ


↑ギャランΛ

これまでの三菱車最多販売記録(小型乗用車)を持つ初代ギャランΣ、そのHTバージョンであるΛ、堂々ベスト3入り!

Σ、元オヤジの愛車ってのもありますが菱ヲタがどう頑張っても過去2代のギャランで崩す事ができなかった両横綱(コロナ、ブル)を打ち負かし大いに溜飲を下げた事が印象的です!

とにかくコレはカッコ良かった!Σ、4ドアセダンとしてはこの時代、これほどスタイリッシュな出で立ちはなかったですしセダンとしての居住性には難アリでしたが全てはこのスタイルで帳消しにできました、街にもこのΣは溢れかえっていましたしね、70年代のHIT作でもベスト3に入ると思います!

Λも斬新でした、発売6年を経過したギャランGTOの後続でしたがGTOの荒々しさは消えながらも国産初の角目4灯他“初”の文字がカタログを賑わすモデルでして注目度は満点でした。

ただ、この代は何せパワーがない(-_-)

排ガス規制の真っ只中のデビューですから致し方ないですが相応しいパワーユニットを得ていれば少なくとも1.5倍はもっと売れて評価も高かったと思いますネ~…

~菱ヲタ・ギャランヲタのGureらしいでしょ?名前は違えど単にセダンとHTの違いですので1車種とさせて頂きました。

これは亡父の最後のクルマ(Σ)でしたしイケイケの伯父もΛGSR乗ってましたので思い入れ深いです。
正直この時期のクルマですからエンジンは勘弁のレベルですがカッコだけは惚れました、Σの場合これほどカッコいいセダンはこれの前には見当たらなかったですしΛは国産初の角目4灯がアメ車チックで少年の目にはやたらカッコ良く映ったモノでした。 ~


とうとう来ました!第2位!!

【マツダサバンナクーペ S102~124型(1971~1978)】


71年に鮮烈なCMでデビューしたサバンナ、名前もワイルドですしその獰猛な姿にスポ車ファンのクソがきGure、イチコロでした(笑)

同じボディのグランドファミリアというのもありましたがこちらはファミリー向けのレシプロ搭載車、なので70年代のマツダらしいマツダ車であるサバンナ、それもクーペのみの2位とさせて頂きます。

~出ました、歴代マツダ車の中でサバンナは一番の迫力!と今でも疑いません!(^^)!

初代RX-7とは同じサバンナの名前を名乗るも中身やコンセプトは別物、7が国際的に通用する本格的スポーツカーを目指して開発されたのに対しサバンナはレシプロエンジンのファミリーモデルのグランドファミリア(Gファミリア)のRE専用車、同時発売ながらそれはトヨタの初代カリーナ-セリカと同様にセダンベースのスペシャリティモデルだった訳です。

サバンナはマツダREモデルの第4弾、コスモスポーツで始まりファミリア→カペラとこの自信作を搭載してきましたがあまりの大パワーにコスモを除きシャーシやブレーキの煮詰めが甘くせっかくの普及を目論んだマツダもあまりいい評価をコスモ以後は得られていませんでした…
そこで今度こそ!の気合で開発されたのがサバンナです。

サバンナはファミリアやカペラで指摘されたシャーシ、ブレーキを見つめなおし脚廻りも強化、REパワーに充分対応した造りはサーキットで実証、王者スカイラインGT-Rの連勝記録を破り国内最速の称号さえ手にしました。
ガキの頃からスポ車に目がないワタクシ、それまでにない獰猛で大迫力のスタイリングと共に大いに魅せられGTOとサバンナ=”大人になったら乗りたいクルマ”のNo1/2でしたね~…

クーペモデルは既存型がHT形式でない限りセンターピラー付き、Rrのサイドウィンドゥはヒンジ式で申し訳程度に開く程度のモノでしたがサバンナ/Gファミリアのクーペはセンターピラーはあるも巻き上げ式のRrサイドウィンドウでこれも国産クーペでは初の試み、とかくヒンジ式が閉塞感を伴うのに対し巻き上げはHTに近い開放感が得られこれもこのモデルの好きな点でした!~


さっ、そしてオオトリ!今週のTOPを飾るのは…

【三菱コルトギャランGTO A53/55/57C型(1970~1977)】


ハイ、予想通りでしょ?テッパンですって (^^ゞ

もうGTOへの思いはさんざん書いてますからね、今更書く事もないのですがいよいよ来月はギャランGTO発売45周年!Gure的にも特集をやりたいと思ってますのでGTOファンの方、お楽しみに(*^^)v

~「そんだけ好きならハヨさっさと買えや!ゴルァァァ」って感じの方も多いでしょうがかつての愛車、時と共にもう手が出せない高額車輌となってしまいました(泣)

これは思い返せば幼き頃父に連れられた行った69yのモーターショーで一目惚れ、その後TBS土曜の9時(関東地区)でやっていた『キイハンター』で千葉ちゃん(千葉真一氏)がカッコよく劇用車として乗りまわしていた姿に再度惚れとうとう免許取ってからは2台乗ったという、まぁ、ワタシにとっては見て惚れ乗って惚れの初恋の?初体験の?クルマでした!

これよりカッコいいと思うクルマはいくらでもあるんですがね、今の愛車を売っ払らってでも現在欲しいと思うのはコレのみ!! 初めての女性を忘れられないかの如くコイツだけは忘れられんです…~

て訳でGTOは大きく分けると3期、メッキ2分割&サイコロテールの前期、格子状グリル&バナナテールの中期、トンガリ2分割グリル&バナナの後期…勿論細かな仕様変更はこれ以外にも行われていますがザックリ分けるとこんな感じ。
ワタシが愛車にしたのは中期と後期でしたが前期も勿論好き!免許取得の81年頃ですと前期はMR以外は桁で売られていましっけ、中期の未対策オバフェンGSRや後期は当時としてはまだ最終ですと4年落ちでしたのでそれなりにしてましたがね、少なくとも今のプレミアよりはMR以外は安かったです、あの頃に戻りたい。。。~


ランキングは以上となります!

恒例、圏外は下記の通りとなりました。

11位:4代目トヨタカローラクーペ E70系(1979~1983)
12位:3代目及び4代目日産セドリック/グロリア 230型(1971~1975)
13位:3代目及び初代日産シルビア/ガゼールHB S110型(1979~1983)
14位:4代目日産ブルーバードU2000GT 610型(1973~1976)
15位:トヨタパブリカスターレットクーペ KP40/50系 (1973~1977)
16位:三菱ギャランクーペFTO GSR A63型(1973~1974)
17位:三菱ミニカスキッパー A100系(1971~1974)
18位:初代日産バイオレットオースタークーペ前期 A10系(1977~1979)
19位:2代目マツダルーチェ前期 LA系(1972~1974)
20位:4代目及び5代目日産セドリック/グロリア 330型(1975~1979)

21位以降は順不同ですが下記の車種をランクさせます。

セリカLB(A20/40)、初代セリカXX(A40/50)、3代目カローラ(E30~50、70セダンとHT)、2代目カリーナ(A40)、1300スターレット(KP61)、2代目ローレルHT(130)、バイオレットHT(710)、4代目ブルーバードU(610)、4代目スカイラインセダンGT(GC110)、セドグロ(430)、サニー(310)、ギャランΣエテルナ/Λエテルナ(A120/130)、ランサーセレステ(A70)、初代サバンナRX-7(SA22)、コスモクーペ(CD系)、初代ジェミニ(PF)、2代目シビックカントリー及びCX、初代セルボ(SS20)

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如何でしたか?毎回〆では書きますがクドイですがあくまでもこの企画はお遊び、『それは違うだろ?』とか『あれが入ってねーじゃん!!』的な反論もあるでしょうがこれはワタクシの基準、これを読んで皆様も独自なベストテンを楽しんで頂けたらと思います。

冒頭に申し上げた国産車の青春期である70年代モデル、ベスト30圏外でも魅力溢れるモデルは数多かったです。

70年代は正に激動で前半は60年代を継承、各社スポーツモデルの開発に熱心で1psでも上、10kmでもMAXスピードが勝るクルマがエライ!という風潮(第一次ハイパワーブーム)、ところが半ばからOILショックや公害問題が深刻化、それまでの概念は吹き飛び燃費が良く排ガスがクリーンなほどイイ車!という現在に近い市場要求となり10年でガラリと求めるモノ、目指すモノが様変わりした時代、子供ながらこの変革についてゆけない部分もありましたし後半の排ガス規制期には果たして自分が免許取る頃にはスポーツカーなんてのは存在するのか?と本気で思いましたね、まっ、80年代になる頃にはその心配は杞憂で終わりましたが(^^)

60年代同様に軽、大衆車、スポーツ&スポーティカー、高級車、それぞれが一目で“どこそこのメーカー”を訴える姿勢は不変、但し明らかにコストダウンは進んでいましたが新素材、材料も採用され始めデザインなどより自由度を増したのもこの年代、個性、主張という点では各社の訴えがやはりそれぞれで楽しく選択の幅広さは現在とは較べようのないイイ時代でした。

70年代のクルマ、これも60年代と同じくほぼ博物館?比較的人気の高い日産のモデルは残っている気がしますがなかなか見れなくなりました。

60年代車があってこその70年代、そして70年代の青春時代、まだまだ若く野心に満ち溢れていたこの年代のクルマ達、これも60年代に負けず劣らず素敵でした!

(^o^)/
Posted at 2017/12/17 15:26:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | ザ・ベストテン | クルマ

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