
2日連続で後付けフェンダーミラー(というかボンネットミラー)のブログを展開してきました。
そして最終日(多分?)の今日は、一体いつ頃から現在のドアミラーが普及し始めたのか、そしてどうやってフェンダーミラーからドアミラーへ移行したのかという所からブログを進めていこうと思います。
【ドアミラーの歴史】出典・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
自動車が現在のようなボディと一体化したフェンダーの形となったのは第二次世界大戦後でありフェンダーにミラーがつけられる以前に側方を確認するための装備品は付いていなかったが、1950年代の英国での販売戦略のため一部車両にバイク用のミラーが付けられ始めたのが外部ミラーの始まりとなった。当時輸入、ノックダウンされていたオースティン、ヒルマンなどがフェンダーミラーを日本に輸入した事になる。
フェンダーミラーはドアミラーに比べて死角が少なく、前方にあることから運転者の移動角度が少ないとされ、日本国内では運輸省(当時)による法令(道路運送車両法第44条(後写鏡等))で、フェンダーミラーしか装着が認められていなかった。
しかし、ボディの空力化、走行速度の高速化によって、突起物として危険であり、後方の光源を常に視界に取り入れるフェンダーミラーは危険とされ、1983年3月に規制撤廃され、日本国内で販売される国産車へのドアミラーの装着が可能となった。また、余り知られてないが、ドアミラーは運転中に不必要な「像」を視界から排除する事によって前方に集中する機能も有する。
1984年に日産・ローレルで、ドアミラーが電動で格納するタイプ(電動格納式ドアミラー)が登場し、広く普及した。現在では軽自動車や外国車にも装備されることがある。
ドアミラーには、方向指示器が内蔵される(ドアミラーウインカー)ことがある。
ドライバーの視線移動が少ないというメリットがある反面、ボディの空気抵抗や歩行者保護、それに後方の光源が常に視界に入るという点でデメリットではありますねぇ。意外にも前方に運転を集中するというのは知らなかった…。
これらの理由で廃れてしまったフェンダーミラー。しかしクラウンセダンやコンフォート・クルー・Y31セドリックセダンなどのタクシー向け、センチュリー・プレジデントなどのショーファードリブン向けにはフェンダーミラーの設定が根強く残るのも事実。
一方、画像の12#系カローラのような例も。
手持ちのカタログを見るとフェンダーミラーのオプションの有無すら記載されていませんが、フェンダーにしっかり装着されドアミラーが綺麗に撤去されているところを見ると、カタログに書かれていない『裏オプション』があるのかも?
余談ですが、わたしの愛車フーガではフェンダーミラーのオプションがあり(450GTスポーツパッケージ、450GT、350GTスポーツパッケージ、350GT FOUR、350XV FOURは除く)、そのことがカタログにも明記されています。この点は公用車・社用車での使用も想定しているのでしょう。
これらの車種以外フェンダーミラーの設定は殆ど皆無みたいですね…(もしくは裏オプション?)。
最近では教習車もドアミラー車が殆どで(フェンダーミラーが定番のコンフォートでさえ!)、ドアミラーの上にサブミラーが付いている光景を目にしますが、現在ドアミラー車で免許を取得した方にとってフェンダーミラーは運転してて違和感があるのかも?
Posted at 2007/09/12 10:10:28 | |
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