2017年03月30日
全てはココから始まった
スバルの駆動方式の始祖。スバル・1000&ff-1【SUBARU誕生カウントダウン特集・富士重工の名車】
縦置きの水平対向エンジン+前輪駆動方式という、現在のスバルの基本駆動方式。そのルーツとなるスバル・1000は1966年5月に登場しました。
当時からFFの駆動方式は優れた操縦性と走行安定性を実現できることはわかっていましたが、ステアリングが重くなることや左右のバランスが悪くなり転倒しやすいといった技術的な課題が多く、まだ日本の自動車メーカーは量産化に成功していませんでした。
他車が後輪駆動を選択する中で、航空機で定評のあった水平対向エンジンを選択。これを縦置きにすることでスバル独自の理想的な左右対称の前輪駆動方式を完成させ、日本初のFF方式の量産小型自動車の開発に成功しました。
スバル・1000のフロントに縦置きされた977ccの水平対向4気筒エンジンは、最高出力55ps、最大トルク7.8kg-mを発生しました。スバルのFF駆動方式は全長の短い水平対向エンジンを縦置きにフロントオーバーハングに搭載し、その後方にギアボックスとデフを置くという効率の高いレイアウトを採用しました。
その結果、スバル・1000は全長が3930mmというコンパクトなボディながら、広いキャビンスペースを実現。また、低重心な水平対向エンジンをフロントに搭載しているので、滑りやすい雪道などでのトラクションに優れているという特徴がありました。
スバル・1000の後継車として登場したのが、スバル・ff-1です。このff-1にスバルAWDの歴史の始まりといえる記念すべき1台があります。それが1971年に発表されたff-1 1300G 4WDバンです。
このスバル・ff-1 1300G 4WDバンは、昭和40年代初めに東北電力が雪山での保守点検作業に使う目的で、宮城スバルに四輪駆動車の製作を依頼したのがきっかけでした。当時4WDといえば、ジープのようなオフロードタイプが主流で、居住性の高い乗用タイプの4WDは国内にはありませんでした。
これを契機にスバルは4WDプロジェクトチームを発足させ、1971年に開催された第18回東京モーターショーにff-1 1300G 4WDバンを出展します。スバル初だけでなく、国産初となった乗用4WDの登場はショーの目玉として注目を集めました。乗用4WDの可能性に自信を深めたスバルは開発を進めて、レオーネに引き継ぐことになります。
(萩原文博)
高い空力性能が特徴のスペシャリティカー、スバル・アルシオーネ【SUBARU誕生カウントダウン特集・富士重工の名車】
スバル初のスペシャリティカーとして1985年に登場したのが、スバル・アルシオーネです。名前の由来は、スバル星団の中でひときわ明るく輝く星の「アルキオネ」で、スバルのフラッグシップモデルであることを表しています。
リトラクタブルライトを採用し、スーパーカーを彷彿とさせる美しいクーペスタイルのエクステリアデザインは、空気抵抗を追求したもので日本車としてはじめてCd値0.29を達成しています。
搭載されるエンジンは最高出力135ps、最大トルク20kg-mを発生する1.8L水平対向4気筒SOHCターボと、1987年に登場した最高出力150ps、最大トルク21.5kg-mを発生する2.7L水平対向6気筒SOHCの2種類。ミッションは5MTと3AT/4ATが組み合わされます。
駆動方式はFFと4WDで、6気筒エンジン搭載車と1.8VRには前後の駆動力配分を自動的かつ連続的に変化させる電子制御アクティブトルクスプリット4WD(ACT-4)を搭載。これは現在のVTD-AWDにつながるスバルのAWDシステムのコア技術となっています。この4WDシステムをはじめとしたアルシオーネで採用された数々の新技術は、後のレガシィの開発に活かされることになります。
アルシオーネは1991年9月にフルモデルチェンジを行い、アルシオーネSVXへと進化します。キャッチコピーは「遠くへ、美しく、500マイル ア デイ」で、卓越したグランドツーリング性能が特徴のモデルです。
エクステリアデザインはイタルデザインのジウジアーロによるものです。広いガラス面積を誇るキャビンが特徴で、日本で初めてミッドフレームウィンドウを採用しています。
搭載されるエンジンは最高出力240ps、最大トルク31.5kg-mを発生する3.3L水平対向6気筒DOHC。組み合わされるミッションは4ATのみで、駆動方式はVTD機構付不等&可変駆動トルクスプリット4WDシステムを採用しています。
高いグランドツーリング性能は魅力でしたが、日本国内はバブル景気の終了による不景気という逆風が吹き荒れて1996年11月に生産終了となりました。
(萩原文博)
ステーションワゴン人気を巻き起こした、スバル・レガシィ【SUBARU誕生カウントダウン特集・富士重工の名車】
2016年10月に登場したスバル・インプレッサが採用しているのが、次世代スバルの基礎と言えるスバルグローバルプラットフォーム(以下SGP)です。このSGPのひと世代前となるプラットフォームを初めて搭載したのが、1989年に登場し、日本国内にステーションワゴンブームを巻き起こした初代スバル・レガシィです。
スバル・レオーネの後継車として開発中だったレガシィセダンRSにより、アメリカ・アリゾナ州のフェニックスのテストコースで、10万km耐久走行における走行平均速度223.345km/hという当時の国際記録を樹立。その2日後に発表されました。
4ドアセダンとステーションワゴンの2つのボディタイプが用意され、レガシィの登場によって従来のライトバンがステーションワゴンへと進化し、日本に根付いたのは歴史が証明しています。
初代レガシィが搭載するエンジンは、デビュー時は1.8L水平対向4気筒SOHC、2L水平対向4気筒DOHCそして2L水平対向4気筒DOHCターボの3種類。中でもスポーツモデルであるセダンのRSに搭載されていた2Lターボをディチューンして採用したツーリングワゴンGTの登場がレガシィの地位を不動のものとしました。
その結果、トヨタ・カルディナや日産ステージアなどライバル車は存在していましたが、レガシィの牙城を崩すことができず生産終了となりました。
モータースポーツを管轄するSTIがチューンしたモデルをはじめ、モデル末期には輸出仕様の2.2L水平対向4気筒SOHCエンジンを搭載したブライトンが追加されるなど、充実したラインアップを誇っていました。
また、レガシィはデビュー翌年の1990年にセダンRSで世界ラリー選手権(WRC)にプロドライブとパートナーシップを結んで参戦。1993年のニュージーランドラリーでコリン・マクレーがレガシィによる最初で最後の優勝を飾りました。
(萩原文博)
WRCを制覇!スバルの名前を世界に知らしめた、スバル・インプレッサ【SUBARU誕生カウントダウン特集・富士重工の名車】
レガシィに代わって世界ラリー選手権(WRC)に参戦用車両として開発されたのが、1992年11月より販売開始されたスバル・インプレッサです。
当時のWRCはルールでベース車からの改良は限定されてたので、インプレッサは市販車でもボンネットをはじめ、フロントフェンダー、フロントロアアームなどにアルミ素材を採用しています。
プラットフォームは初代レガシィのものを流用していますが、4ドアセダンのボディサイズは全長4350mm×全幅1690mm×全高1405mmと、フットワークを向上させるためコンパクトになっています。
ボディタイプは4ドアセダンのほか、5ドアハッチバックのスポーツワゴン。そして1995年には2ドアクーペのリトナと、最低地上高を高めてクロスオーバーSUVとしたグラベルEXを設定しています。
搭載される水平対向4気筒エンジンは2ターボを筆頭に2L DOHC、2L SOHC、1.8L SOHC、1.6L SOHC、1.5L SOHCの5種類。さらに1998年3月に限定400台では販売された22B- STIバージョンには、輸出用の2.2L DOHCターボエンジンを搭載していました。
スポーツモデルのWRXはレース部門を管轄するSTIがチューンを施したSTIバージョンを設定。1994年に登場したコンプリートカーのWRX STIを皮切りに、バージョン6まで登場。バージョン3からは最高出力が当時の自主規制値280psを達成し、バージョン4からはセダン、5ドアハッチバックに加えて2ドアクーペも用意されました。
インプレッサは1993年の世界ラリー選手権(WRC)・1000湖ラリー(フィンランド)より参戦し、デビュー戦でいきなり2位に入ってそのポテンシャルの高さを実証しました。
1995年にはマニュファクチャラーズ、ドライバーズのダブルチャンピオンを獲得。翌年もスバルはマニュファクチャラーズチャンピオンを2年連続で獲得しました。
初代インプレッサは小型車としては8年という長いモデルライフとなりましたが、22B-STIをはじめ、WRX STIは絶大な人気を誇っていて、現在でも中古車は高値を維持しています。
(萩原文博)
【富士重からSUBARUへ】いまのスバルにつながる1980年代の英断、そして「レガシィ」が生まれた
2016年の世界販売で、ついにスバルは100万台を突破しました。それだけ「SUBARU」というブランドは認知され、支持されているといえます。
とはいえ、スバルのクルマは順調に伸びてきたとは言い切れません。水平対向エンジンや四輪駆動というメカニズムを搭載した乗用車「レオーネ」によって『スバリスト』と呼ばれる熱心なファンを生み出してきましたが、現在のようなプレミアムなブランドイメージはなかったのです。
レガシィ・シリーズをフラッグシップに、レヴォーグ、WRX、インプレッサなどなど……様々なモデルをラインナップする現在のスバルから見ると信じられないかもしれませんが、1980年代以前のスバル車は、国内でも存在感はいまいちだったのです。
当時のラインナップは、レオーネ、ジャスティ、レックス(軽乗用車)といったところ。もちろんSUV的なモデルなどありません、スペシャリティクーペとしてアルシオーネが登場したのは1985年のことでした。
しかし、その頃から現代のスバルにつながるプランは温められていたのです。水平対向エンジンを積むセダンとステーションワゴンである「レオーネ」がカバーしているゾーンを2つに分けることが検討され、エンジンとプラットフォームのいずれも完全新設計とするモデルの開発が進んでいました。
そうして1989年に誕生したのが初代レガシィです。さらに、レガシィが上級シフトしたことにより空いてしまったゾーンには、インプレッサ(1992年)を設定することでカバーしたのです。いずれもセダンとワゴンをラインナップしていたのは、レオーネからの伝統を感じさせるものでした。
初代レガシィのデビュー時に話題を集めたのは、新開発の水平対向2.0リッターDOHCターボエンジンでした。
その型式は「EJ20」、現在もWRX STIの心臓部として熟成を重ねている名機です。そのパフォーマンスをアピールすべく、10万km連続走行の世界速度記録を樹立したことはスバリストにはよく知られています。
それまで走りにおいてライバルに差をつけられているという印象もあったスバルが、ライバルをリードする性能を得たことが初代レガシィでの大いなるインパクトでした。そのハイパフォーマンスは弟分であるインプレッサにも共通していました。
その後、アウトバック、フォレスター、XVといったSUVラインナップによって現在のブランド価値を生み出すことになるわけですが、クルマづくりという自動車メーカーの根幹といえる部分において大きくステップアップする原動力となったのが1989年に誕生したレガシィと、それを支えたメカニズムであることは間違いありません。
だからこそ、レガシィとインプレッサを生み出そうと決定した1980年代の経営判断はスバルの歴史において無視できない重要な出来事だったといえるのです。
(山本晋也)
第二弾でジャスティとドミンゴのを貼る予定
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富士重工 | 日記
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2017/03/30 20:39:50
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