• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+
イイね!
2021年09月22日

日本でのタルボの知名度ってそんなにあるかな…正直現車を見たことすらあるかどうかだよな

日本でのタルボの知名度ってそんなにあるかな…正直現車を見たことすらあるかどうかだよな 【1年違いのラリーチャンプ】タルボ・サンビーム・ロータスとアウディ・クワトロ 前編

二輪駆動の時代は終わったと感じた瞬間

執筆:Ben Barry(ベン・バリー)

撮影:Olgun Kordal(オルガン・コーダル)

翻訳:Kenji Nakajima(中嶋健治)


タルボ・チームのワークスドライバーだったギ・フレクランは、RACラリー、現在のウェールズ・ラリーGBで、初参戦3位入賞を果たした。

彼がドライブしたのが、タルボ・サンビーム・ロータス。1981年、タルボは世界ラリー選手権のマニュファクチャラーズ・タイトルも獲得している。だが彼は、それが最後の活躍になると感じたことを、鮮明に覚えているという。

「グラベルのラリーステージのスタートライン。フランスの女性ドライバー、ミシェル・ムートンが目の前でスタートした時です。その瞬間、二輪駆動の時代は終わったと感じたんです」。1981年のラリー・アルゼンチン勝者が振り返る。

ムートンが発進させたのは、アウディ・クワトロ。強力な5気筒ターボエンジンと、サンビームが滑るような路面も意に介さない、四輪駆動を搭載していた。翌1982年、アウディがマニュファクチャラーズ・タイトルを獲得した伝説のマシンだ。

今回ご紹介するホモロゲーション・マシンは、後輪駆動から四輪駆動へとラリー界が変化した狭間を生きた2台といえる。見た目や走りから、2台の活躍が1年違いだと感じ取ることは、難しいのではないだろうか。

サンビームは小さなラリーチームだからこそ可能だった、小回りの良い決断が強みの1つだった。ベース車となるサンビームの開発は、当時タルボを傘下に収めていたルーツグループの親会社、クライスラー・ヨーロッパの手で1976年に始まっている。

ロータスの協力を仰いだタルボ・サンビーム

競合メーカーが前輪駆動のハッチバックを開発し、好調に販売を伸ばすのをよそ目に、タルボが採用した基礎構造は後輪駆動のヒルマン・アベンジャー。着想から19か月という短期間で、量産へ結びつけた。

狙ったかのように、同時期にマイク・キンバリーがロータス・カーズのディレクターへ就任。サンビームは勢いづく。ロータスによる、技術的な支援が計画されたのだ。

「クライスラーUKでコンペティション部門のマネージャーだった、ウィン・ミッチェルから電話が。彼は大学時代の友人で、ラリーカーへのエンジン提供に興味がないか尋ねる内容でした」。当時をキンバリーが回想する。

クライスラー・ヨーロッパでモータースポーツ部門のディレクターを努めていたデス・オデルも加わり、ロータスとの契約が結ばれた。「オデルは2種類のエンジンを望んでいました。1つは2.0Lの157ps仕様。タイプ907と呼ばれる16バルブです」

「もう1つは、パワーとトルクを高めたラリー仕様。243psを発揮する2.2L タイプ911エンジンの開発は、6週間で終えています。オデルたちが激しくテスト走行を重ね、ホモロゲーション獲得に向けた量産が決定したんです」

70psの1.6L 4気筒を積む多くのサンビームと同じように、サンビーム・ロータスのベースもグラスゴー郊外の工場で製造。そこからロータス本社があるヘセルまで、仮のタイヤで運ばれた。

到着すると、ロータスの技術者がタイプ911エンジンとZF社製の5速MTを結合。13インチのアルミホイールに、専用サスペンションとエグゾーストが組み付けられた。

オリジナル状態の2トーン・ボディ

今回ご紹介するサンビーム・ロータスは、1979年生産された初期の50台の1台。1987年からケビン・マルコムが大切に所有している。それ以前は友人がヒルクライムを楽しんでいたが、購入時はコースアウトし破損した状態だったという。

クライスラーの星型ロゴ、ペンスターがフロントグリルに収まっている。だが1979年夏にタルボはグループPSAへ買収され、タルボ・サンビーム・ロータスとして記憶されることになる。

しばらく通勤で乗った後、1996年にオリジナル状態へ戻すべくエンバシー・ブラックで塗装。シルバーのストライプで仕上げた。以降は場面を限定して乗っているという。おかげで走行距離は12万km程度と、比較的短い。

インテリアも新鮮な状態。サンビーム・ロータス・オーナーズクラブが準備した、新しいファブリックで仕立て直してある。車内は実務的なグレーとクロのモノトーンだ。

サイドウインドウのワインダーとヒーターのスライダー、ラジオなどが簡素に付く。スポンジのように柔らかい、ベロア張りのシートに座ると着座位置が高い。ステアリングホイールは大きく、膝を開かないと当たってしまう。

視界は全方向で良好。ダッシュボードはシンプルで、フロントガラスは緩やかにカーブを描く。

傾斜して搭載された2.2Lツインカムの4気筒エンジンは、アイドリング時は少し不機嫌そう。1速が飛び出したドッグレッグ・パターンのレバーを動かし、クラッチをつなぐ。シフトレバーのストロークは長く、ギア比はショートだ。

高回転がお好みのタイプ911エンジン

ギアは常に1段上を選んでしまう。960kgしかないから、軽快に滑らかに走る。最高出力は152psだが、第一印象でエネルギッシュなクルマだと理解できる。

スピードが増すと、サスペンションの動きもスムーズになる。アシストの付かないステアリングは、低速では重い。直進状態からの切り始めは曖昧ながら、ボディは軽く扱いやすい。ステアリングでのライン修正は難しくない。

サンビーム・ロータスと少し打ち解けたところで、ペースを速める。アクセルペダルの角度へ即座に反応する。

デロルト・キャブレターが2基載り、心地良い吸気ノイズが聞こえてくる。タコメーターの針の回転に合わせて、パワーも上昇。タイプ911エンジンは高回転がお好み。最高出力が発揮される5750rpm付近でも、息苦しさはない。

英国人にとっては、エスコートRSに載るBDAユニットと同じくらい特別なエンジンだ。開発者のキンバリーは試験データを今も保管しているが、サンビーム・ロータスは0-97km/h加速を6.6秒でこなしたという。エスコートより2秒近く速い。

交差点からの加速では、2速でも小ぶりの13インチ・タイヤは滑りたがる。低速や中速コーナーでの喜びはひとしお。フロントタイヤのグリップを追求しつつ、短いホイールベースを活かし、アクセルペダルを戻すとリアタイヤが外へ流れる。

ワークスドライバーを努めたフレクランですら、サンビーム・ロータスには驚かされたという。「かなり運転しやすく感じました。機敏で、エンジンも素晴らしい。シャシーが追い付いていませんでしたね」

交代するように登場したアウディ・クワトロ

「トラクションが明らかに不足していましたよ」。実際、サンビーム・ロータスは世界ラリー選手権のラウンドで2度しか優勝していない。ヘンリ・トイヴォネンによる1980年のラリーGBと、フレクランによる1981年のアルゼンチンだ。

それでも1981年には入賞を重ね、タルボはマニュファクチャラーズ・タイトルを掴んだ。だが翌1982年、親会社のグループPSAはサンビームの引退を決定。グループBの、プジョー205 ターボ16に注力する。

市販のタルボ・サンビーム・ロータスも、1982年に生産が終了。述べ2308台で幕を閉じた。

交代するように姿を表したのが、Urクワトロだ。アウディの技術力を世界中に誇示するべく、技術者のフェルディナント・ピエヒが、ポルシェ917やブガッティ・ベイロンなどに準じるプロジェクトとして推し進めたものだった。

その起源は、ドイツ政府軍からの依頼によるオフローダー、イルティス。アウディの技術者を務めた、ローランド・グンペルトへ以前インタビューした内容を振り返ってみよう。

「スカンジナビアでのテスト走行に、前輪駆動のアウディを30台ほど持ち込んでいました。わたしは屋根のないオフローダーに乗っていましたが、直線では遅いものの、カーブの連続する区間では簡単に追い回せたんです」

「上司のイェルク・ベンシンガーへ、四輪駆動の量産車を作るべきだと提案しました。その間にイルティスの開発が完了し、わたしは量産に向けた準備へ。以降はウォルター・トレーサーがクワトロの開発を引き継いでいます」

この続きは後編にて。



【1年違いのラリーチャンプ】タルボ・サンビーム・ロータスとアウディ・クワトロ 後編

四輪駆動による世界初の高性能モデル

執筆:Ben Barry(ベン・バリー)

撮影:Olgun Kordal(オルガン・コーダル)

翻訳:Kenji Nakajima(中嶋健治)


アウディUrクワトロのプロトタイプは、1977年11月にテストが行われた。フォルクスワーゲンの理事会員は、1978年にオーストリアのアルプス、トゥルラッハー・ヘーエ峠へ挑むクワトロを視察。すぐに開発プロジェクトへゴーサインが出た。

クワトロは当時のサルーン、アウディ80から派生したクーペをベースとしていたが、中身は別物。新設計の独立懸架式サスペンションを前後に備え、5気筒ターボエンジンを搭載。そして、キモの四輪駆動システムが組まれた。

デザイナーのマーティン・スミスは、クワトロと改名されたアウディ・クーペを目にすると、四輪駆動による世界初の高性能モデルとして手を加える。予算をかけずに選ばれた手段が、ブリスターフェンダーだった。

筋肉質に膨らんだホイールアーチで、全幅を41mm拡張。新デザインのバンパーも装着され、全長は55mm伸びている。

今回、サンビーム・ロータスと並んだUrクワトロは、英国アウディのヘリテイジ部門が保管する1981年式。スコットランドで売られたクルマだが、左ハンドルだ。右ハンドル車が登場したのは、1982年10月だった。

サンビームのインテリアは緊縮的な1970年代の英国を映すものだが、Urクワトロには1980年代の華やかさがある。ドアを開くと豪華でモダン。実用性も忘れていない。

当初の英国価格は1万4500ポンド。サンビーム・ロータスの倍だ。シートやドアパネルは、こちらもベロア張り。運転姿勢はサンビームより遥かに快適でスポーティ。座面は低く少し後ろに傾き、サイドサポートは高い。

即時的な身軽さと興奮が薄いクワトロ

ドライバーの前方では、先進的なメカニズムが搭載されている事実を隠さない。レザー巻きのステアリングホイールの中央には、ターボと誇らしげに刻印される。

シフトレバーの前方には、センターデフとリアデフのロック状態を示すインジケーターが付く。ハンドブレーキの下のノブを引っ張ると機能する。

パワーウインドウにカセットラジオ、ヒートシーターも装備。全長はサンビームより約600mm長く、空間も広々だ。

発進すると、より重くサスペンションはしなやか。リラックして運転したいと思える。ステアリングのレシオもゆったりしていて、シフトレバーの動きも重い。

しかし、サンビームと比べると強みも歴然。パワーをより確実に路面へ伝えてくれる。滑りやすい路面でアクセルペダルを踏み込んでも、乱れることはない。乗り心地は落ち着きがあり、ブレーキも強力だ。

アクセルレスポンスは、ターボが介在し少し鈍い。5気筒らしい、ゴロゴロとしたノイズが響く。3000rpmまで回すとブースト圧が上昇し、加速力が一段高まる。高回転域での感触は粒が荒い。

お借りした初期のUrクワトロの排気量は2144ccで、最高出力200psを発揮する。サンビーム・ロータスの152psと比べると高出力だが、1290kgもありる車重で勢いは中和されている。

アウディには即時的な身軽さと、興奮が薄い。四輪駆動に加えて、エンジンはフロントアクスルより前方に載る。サンビーム・ロータスの俊敏なコーナリングの後では、アンダーステア傾向のニュートラルな挙動が印象付けられる。

後輪駆動より30分早くフィニッシュ

とはいえ、5気筒ターボエンジンが縦置きされていることを考えれば、偉業ともいえる。フロントタイヤに、60%の荷重が掛かる。

1983年の世界ラリー選手権チャンピオン、ハンヌ・ミッコラはラリーカーの開発に関わった。1979年にクワトロへ初試乗した感想を、次のように残している。「プロトタイプは、ネガティブな印象でした」

「クワトロはエスコートより大きく、エンジンは4000rpm以下で活気がなく、酷いものでした。コーナーを正確にターンするようになるまで、半年はかかっています」

「フロントにLSDを組むと、ナーバス過ぎました。そこでファーガソン社のオープンデフをトライ。これは滑らかで良く機能しました。そこからは急展開。開発に関わったピエヒは、すぐにアウディ・スポーツから回答が得られると自信を持っていました」

クワトロがラリーシーンを一変させる予兆は、ミッコラが1980年のポルトガル・ラリーにゲスト参戦した時。後輪駆動のマシンに対し、30分も早くフィニッシュしたのだ。

クワトロのチームは、ラリーの専門家ではなくアウディの従業員等で構成され、1981年はトラブルが続出。機械的な不具合も重なった。だが1982年にはマニュファクチャラーズ・タイトルを獲得。1984年にも掴んでいる。

その過程で、ラリーカーはロング・ホイールベースのグループ4マシンから、ショート・ホイールベースのグループBマシンへ進化。ワイルドなフロントスカートとリアウイングを身につけた、モンスターになった。

後輪駆動マシンを葬り去った四輪駆動

公道用のアウディUrクワトロも進化を重ね、後期型では1981年式よりシャープな体験を楽しめるようになっていた。1988年式のステアリングはより正確で、機敏な操縦性を得ていたと記憶している。

エンジンも途中で排気量が増やされ、2226ccに。小径のターボが組まれ、ブースト圧の立ち上がりも速くなっていた。

四輪駆動システムは、マニュアルで操作するセンターデフ・ロックに変わり、トルセン式のデフを獲得。75%のトルクをリアタイヤへ分配することも可能としていた。

筆者は冬のバイエルン地方で、後期型のUrクワトロを2日間運転した経験がある。日常的に乗れるクラシックとして、究極の1台だと感じたのを覚えている。

グリップ力に長け、動的性能も不足ない。見た目も特徴的でサウンドも素晴らしかった。実用性も高く、現代的な装備も付く。1989年から生産終了まで搭載された、20バルブ・ユニットなら完璧だ。

アウディUrクワトロは改良を続けながら、1991年まで製造が続いた。約1万1500台を世界中で販売している。

四輪駆動で一躍ラリー界のスターとなったアウディだが、1986年のグループBの終焉とともにクワトロの活動も終了。続いて華形となったグループAでは、ランチア・デルタ・インテグラーレやトヨタ・セリカGT-FOURなどが台頭した。

フォード・エスコートRS コスワースも含めて、四輪駆動とターボチャージャーの時代の始まりだった。サンビーム・ロータスを含む後輪駆動マシンを、アウディ・クワトロが葬り去ったのが分水嶺。まさに節目の2台といえるだろう。

タルボ・サンビームとアウディUrクワトロ 2台のスペック

タルボ・サンビーム・ロータス(1979~1981年/英国仕様)のスペック

英国価格:7130ポンド(新車時)/2万5000ポンド(375万円)以下(現在)
生産台数:2308台
全長:3830mm
全幅:1603mm
全高:1405mm
最高速度:196km/h
0-97km/h加速:6.6秒
燃費:10.7km/L
CO2排出量:−
車両重量:960kg
パワートレイン:直列4気筒2174cc自然吸気
使用燃料:ガソリン
最高出力:152ps/5750rpm
最大トルク:20.7kg-m/4500rpm
ギアボックス:5速マニュアル

アウディUrクワトロ(1980~1991年/英国仕様)のスペック

英国価格:2万4204ポンド(新車時)/5万ポンド(750万円)以下(現在)
生産台数:1万1452台
全長:4404mm
全幅:1780mm
全高:1346mm
最高速度:222km/h
0-97km/h加速:6.5秒
燃費:7.0km/L
CO2排出量:−
車両重量:1290kg
パワートレイン:直列5気筒2144ccターボチャージャー
使用燃料:ガソリン
最高出力:200ps/5500rpm
最大トルク:28.9kg-m/3500rpm
ギアボックス:5速マニュアル
ブログ一覧 | 自動車業界あれこれ | 日記
Posted at 2021/09/22 10:50:23

イイね!0件



今、あなたにおすすめ

関連記事

S4だけじゃないけど事故も起こらず ...
ウッkeyさん

スカンジナビアンドライバー
Cooたろうさん

2000万って安いんだろうけど…そ ...
ウッkeyさん

みんカラ初心者
mizさん

ゲッコー?
GWさん

その辺にホイホイ売っている訳でもな ...
ウッkeyさん

この記事へのコメント

コメントはありません。

おすすめアイテム

プロフィール

「先日初代インプレッサが29周年迎えたけど、GF6ベースでこんなレーシングカーもあったんですよね〜 http://cvw.jp/b/238718/45562354/
何シテル?   10/23 20:50
初めまして。 インプレッサG4に代替を致しました~ 自分色に染めて行こうと思います 燃費を気にする割にアクセル踏んじゃうんですよ~ バトンに関し...

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2021/10 >>

      1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24252627282930
31      

リンク・クリップ

ポケモンGO攻略まとめ  
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2018/08/12 02:23:37
 
マギレコ攻略Wiki 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2018/08/12 02:22:57
 
Knight's & Magic 
カテゴリ:ナイツ&マジック
2018/01/03 15:06:50
 

愛車一覧

スバル インプレッサ G4 スバル インプレッサ G4
初の新車に代替をいたしました~ ターボからNAになりましたが、インプレッサはインプレッサ ...
スバル インプレッサハードトップセダン スバル インプレッサハードトップセダン
GC6を自らの事故で失った後、次の愛機を探している所コイツが浮上しました。 車重は10 ...
スバル インプレッサハードトップセダン スバル インプレッサハードトップセダン
初のマイカーです。NAという事とコズミックブルーマイカって色なのであまり回りにいない車な ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
©2021 Carview Corporation All Rights Reserved.