【富士重からSUBARUへ】1966年から新宿を見つめる「スバルビル」とは?
富士重工業は、2017年4月1日より「SUBARU」へと社名変更を行ないます。といっても、富士重工業という社名より「スバル」という元々は自動車製品に使われていたブランドで知られている同社ですから、社名変更は自然なものとして受け止められています。
自動車業界では、東洋工業がマツダに社名変更して以来のブランド名=社名化ですから久しぶりですが、2008年 松下電器産業からパナソニックに社名変更したのは記憶に残っていることでしょう。
さて、スバルといえば、新宿のランドマークといえる「スバルビル」。そのブランドを覚えたという方もいるのではないでしょうか。2011年より小田急電鉄の所有となっている新宿スバルビルには、なぜ「スバル」の名前が付いているのでしょうか。
じつは、2014年までは富士重工業の本社が置かれていました(2010年までは自社ビルでした)。まさにスバルの本丸だったのです。その新宿スバルビルが完成したのは1966年1月のこと。1965年秋に富士重工業として初の水平対向エンジン搭載モデルである「スバル1000」をデビューさせたばかりの同社にとって、乗用車メーカーとしてのスタートを象徴したのが、新社屋の完成だったのかもしれません。
その後、「レオーネ」、「レックス」といったモデルを誕生させて、ユーザーを増やしていった富士重工業ですが、新宿のランドマークである「スバルビル」によって、「SUBARU」というブランドと六連星のエンブレムを覚えた人は少なくないかもしれません。
現在は新宿からJR山手線で4駅目の恵比寿駅から徒歩3分の場所にある、その名も「エビススバルビル」に本社を置いています。一階にはショールーム「SUBARU STAR SQUARE」が置かれ、最新ラインナップを見ることができるほか、スバルBRZが活躍するスーパーGTのパブリックビューイングなどのイベント会場として活用されています。
(山本晋也)
【富士重工業→SUBARU 社名変更記念式典】モノをつくる会社から、笑顔をつくる会社へ。あの問題の社歌の歌詞はどうなった?
明日、2017年4月1日から、富士重工業株式会社は社名を変更し、株式会社SUBARUへと生まれ変わります。
そのキャッチフレーズは「モノをつくる会社から、笑顔をつくる会社へ。」です。
それに先駆け、3月最後の31日、社名変更記念式典が行われました。
これは、社員向けに行われた式典で、恵比寿本社に勤続する社員のうち約600名程度が出席していました。
その社員に向けて吉永泰之社長による新社名のネームプレート除幕のあと、次のように述べました。
「私たちは良いモノをつくる努力をしてきました、その中で、モノに加えて価値はなんなんだろう、と考えてきました。スバルとは、富士重工とはなんなんだ、と考えてきました。日本においてはその価値は安心と楽しさであろうということで続けてきました。飛行機を作ってきた会社が安全、安心、クルマと生活する楽しさを届けてきました。
そのおかげで世界での評価も上がり、大きく成長でき、新たな価値を見出す、創造し続けているところであります。
私たちはものづくりの会社なので、モノを通して価値を届ける会社へと変化してきました。
社名変更は、これからは価値を提供するブランドとしていくという決意表明、これからの私たちの決意表明である、と思ってください」
と社員へ向けてメッセージを届けました。
最初にあったキャッチフレーズは、「モノをつくる会社から、価値を届ける会社へ。」となっていたそうです。が、ここから価値とはなんぞや、価値を決めるのは誰だ、お客様にとっての価値はなんだ?ということを忘れてはいけない。そこで何が起きるのか、笑顔になる、ということで「モノをつくる会社から、笑顔をつくる会社へ。」なったのだそうです。
さらに、社員へ向けて、二つの伝達がありました。
ひとつが社歌。これが大問題だったそうで、社歌への思い入れがある人が多く、社歌を変えてくれるなという意見も多くあったのだそうです。しかし、これまでの社歌には「富士重工」を連呼する歌詞が含まれており、変えないわけには行きません。実はこの社歌、あの有名な段伊玖磨さんによる作曲だったのもあり曲は変えずに、歌詞中の「富士重工」が「我がスバル」に変わるだけの変更に落ち着きました。
実はこの作詞をしたのは元社員だそうで、「ちょっとだけ変えさせてほしい」とその方の元へ総務部長がお願いにしていったとのエピソードも披露。
もうひとつが社章を新しくしたこと。これまでは純銀の社章からブルーの社章に変わります。しかし、その色が変わっただけではありません。このブルーの社章は富士重工の社章だけでなく、SUBARUグループ会社のグループ章として使用されるとのこと。ここからも、みんなで力を合わせて作り上げていこう、というスタンスが見て取れます。
最後に、「いま自動車産業は大変大きな変革期、たくさんの課題があり、その困難を全員で乗り越えていく決意をしてほしい」と述べて締めくくりました。
4月3日の全国のほぼすべての新聞に30段で広告が出るそうです。
ここには、今まで、富士重工の先輩や社員たちが努力してきたことが左に書かれています。ぜひ、読んでみてください。
(文・写真:clicccar編集長 小林 和久)
富士重工業、創業100周年の節目に「SUBARU」へ社名変更を実施
富士重工業は、2017年4月1日付で、社名を「株式会社SUBARU」(英文表記:SUBARU CORPORATION)に変更する。
同社は、1917年に創設された飛行機研究所(後の中島飛行機株式会社)を源流とし、1953年に現在の富士重工業株式会社として設立された。その後、1958年発売の軽自動車 スバル360に端を発するスバルブランドの自動車事業を中心に、航空宇宙、産業機器などの各事業へと発展させてきた。
今回、創業100周年の節目に、社名とブランド名の統一を実施することにより、現在取り組んでいる“スバルブランドを磨く”ことをさらに加速させ、スバルを自動車と航空宇宙事業におけるグローバルブランドとして成長させる事が狙いだ。
【スバルの由来】
スバルは別名「六連星(むつらぼし)」とも呼ばれる星団の名前で、純粋な日本語。自動車の名前に和名を使ったのはスバルが最初となり、富士重工業が中島飛行機の流れをくむ5社の資本出資によって設立されたことに因んで名付けられた。
富士重工、4月1日より「株式会社SUBARU」に社名変更…魅力あるグローバルブランドへ
富士重工業株式会社は、4月1日付で社名を「株式会社SUBARU」(英文表記:SUBARU CORPORATION)に変更。3月31日に本社および各事業所・製作所3か所にて、社員向けの記念式典を開催した。
本社の式典会場には、SUBARUを自動車と航空宇宙事業における、魅力あるグローバルブランドとして成長させていく象徴として、新型『インプレッサ』と最新型ヘリコプター「412EPI」発展型機の大型模型を展示。また社員には、記念のリーフレットと新たに制作したグループ章(従来の社章に代わる)が配られた。
吉永泰之社長は、「今回の”株式会社SUBARU”への社名変更は、私たちがこれから価値を提供するブランドとして生きていくという決意表明です。SUBARUが好きだ、そんなお客様にもっともっと増えて欲しい。新しい社名『株式会社SUBARU』と共にみんなで一緒に、さらにいっそう輝いていきましょう!」と決意を述べた。
スバル富士重、世界生産台数7か月連続プラス 2月度新記録
富士重工業(スバル)は3月29日、2月度の生産・国内販売・輸出実績(速報)を発表。世界生産台数は前年同月比10.4%増の9万2421台で、2月単月の過去最高記録で7か月連続プラスとなった。
国内生産は前年同月に対し稼働日数が1日少なかったため、同3.0%減の5万9337台で2か月連続のマイナス。海外生産は旧カムリ製造ラインでのスバル車の生産開始に加え、『インプレッサ』の好調が続き、同47.1%増の3万3084台と大幅増。2月度の新記録で9か月連続のプラスとなった。
国内販売は同10.2%増の1万6289台で、5か月連続のプラス。登録車は同13.4%増の1万3218台で2か月連続のプラス。インプレッサなどが好調だった。軽自動車は新型車『シフォン』が好調だったが、『ステラ』『プレオ』などが前年割れし、同2.0%減の3071台で2か月連続のマイナスとなった。
輸出は同14.5%減の4万4765台で、2か月連続のマイナス。中国向けが減少した。
さぁ~明日はどんな企画を用意しているのかな?もしかして社名変更が実は嘘とかそんなんだったら滑るわ~
Posted at 2017/03/31 22:19:35 | |
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富士重工 | 日記