2020年08月18日
ポルシェ 911 GT3ツーリング が最終テスト…違いはリアスポ!PDKもオプション設定か
ポルシェ『911』(992世代)に設定されるハイエンドモデル『911 GT3ツーリング』の最新プロトタイプをスクープサイト「Spyder7」のカメラが捉えた。
開発テストが終盤に入っているプロトタイプは、カモフラージュも軽く、あちこちに数センチの黒いテープとリアバンパーにフェイクのプラスチックパネルを装着しているのみだ。
「GT3」との最大の違いは、大型の固定リアウィングがなく、代わりに電動アクティブスポイラーを装着している点だろう。また細いスポークを備える新設計のセンターロック式ブラックアロイホイール、赤いブレーキキャリパーなども見てとれる。
最新のプロトタイプには、2人が搭乗していることにも注目だ。テストドライバーに加えて、ラップトップを手にするオペレーターも確認でき、おそらく市販へ向け最終的なデータを集計しているはずだ。
パワートレインは、GT3同様に4.0リットル自然吸気フラット6エンジンの改良バージョンが搭載される見込みだ。最高出力は550psで、現行型の494psから大きくアップデートされる。現行型では6速MTが採用されているが、新型ではPDKがオプション設定される可能性もあるという。
ポルシェは911 GT3新型を9月に発表予定だが、GT3ツーリングも年内に登場すると予想されている。
Posted at 2020/08/18 21:19:23 | |
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ポルシェ | 日記
2020年08月18日
「ランエボ」だけの専売特許じゃない!? 他にもあったエボリューション車5選
■「エボリューション」を名乗るクルマを振り返る
1992年に限定販売された三菱「ランサーエボリューション」によって、「エボリューション」という言葉が日本でも広く浸透したのではないでしょうか。
「Evolution(エボリューション)」は日本語で「進化」を意味し、ランサーエボリューションの場合は、世界ラリー選手権(WRC)に勝つという目的のために、ランサーを進化させたということです。
一方、ランサー以外のモデルでもエボリューションを名乗るモデルが存在。そこで、エボリューションモデルを5車種ピックアップして紹介します。
●三菱「パジェロエボリューション」
1980年代から1990年代の三菱は、モータースポーツへ積極的に参加して、ブランドイメージを高めていました。
WRCに参戦したランサーエボリューションだけでなく、「パリ-ダカール・ラリー」のような長距離を走るラリーレイドでは「パジェロ」が活躍することで、販売にも貢献。さらに、1991年に登場した2代目パジェロはRVブームの火付け役ともいわれたほど、高い人気を誇りました。
ボディは3ドアのショートと5ドアロングの2種類で、ショートには後部座席部分と屋根がキャンバストップの「Jトップ」をラインナップ。
1997年には、ショートボディをベースに、ランサーエボリューションと同様のイメージとした「パジェロエボリューション」を発売します。
搭載されたエンジンは3.5リッターV型6気筒自然吸気で、最高出力280馬力を発揮。トランスミッションは5速ATと5速MTが設定されました。
ボディも空力特性とオフロード性能を両立するように、大型フィン付リアスポイラー、ステップ付サイドエアダムの採用や、車体の剛性アップ、アルミボンネットなどによる軽量化が図られています。
ほかにも専用デザインのバンパーと、大きく張り出した前後フェンダーは「エボリューション」の名にふさわしい迫力を演出。
三菱はこのパジェロエボリューションをベースに1998年のパリ-ダカール・ラリーに参戦し、2位の成績を収めています。
●メルセデス・ベンツ「190E 2.5-16 エボリューションI/II」
現在、メルセデス・ベンツのラインナップで、日本における販売の中核となっているモデルが「Cクラス」と「Aクラス」です。
なかでもCクラスはAクラスの登場まで、同社のエントリーモデルとして不動の人気を獲得。
さらにCクラスの前身となる1982年に発売された「190E」シリーズは、日本の5ナンバー枠に収まるコンパクトなボディサイズで、1985年に日本への正規輸入が開始されると、だれもが憧れた高級車だったメルセデス・ベンツの普及を、一気に加速させたほど大ヒットしました。
この190Eをベースに、1986年にはレースエンジンなどを手掛けるエンジニアリング会社「コスワース」の手により、175馬力を発揮する2.3リッター直列4気筒DOHCエンジンを搭載したスポーティセダン「190E 2.3-16」が登場。
ドイツ・ツーリングカー選手権の出場資格を得るための、ホモロゲーション・モデルとして販売されました。
そして1988年には、DTMのレギュレーション変更に合わせて排気量を2.5リッターとし、最高出力200馬力を誇る「190E 2.5-16」が登場します。
1989年には、さらにチューンナップされた「190E 2.5-16エボリューションI」が開発され、1990年には最高出力を235馬力まで高められた「190E 2.5-16エボリューションII」が、それぞれ500台が生産されました。
とくに190E 2.5-16エボリューションIIは、メルセデス・ベンツのモデルらしからぬ巨大なリアスポイラーや、斬新な形状のオーバーフェンダーが装着され、迫力ある外観を演出。
メルセデス・ベンツの長い歴史のなかでも190E 2.5-16エボリューションIIは、異色のモデルとして君臨しています。
●BMW「M3スポーツエボリューション」
現在もBMWの主力商品となっている3シリーズは、初代が1975年に登場。1982年に2代目にモデルチェンジされると、2ドアクーペと4ドアセダンを基本に、カブリオレ、ステーションワゴンなどのボディバリエーションが設定されました。
エンジンのバリエーションも豊富で、日本仕様には直列4気筒1.8リッターと直列6気筒2/2.5/2.7リッター搭載車がラインナップされ、バブル景気の頃は前出の190Eと並んで大ヒットを記録。
さらに、1985年にはBMWのレース活動などを担当するモータシュポルトGmbH(現在のM社)が、欧州ツーリングカーレースに勝つために設計、開発した初代「M3」が登場します。
M3は2ドアクーペをベースに、最高出力195馬力を発揮する2.3リッター直列4気筒DOHCエンジンを搭載。
外観はフロントスポイラーとリアの大型スポイラー、サイドスカート、太いタイヤを収められるようにワイド化したブリスターフェンダー、Cピラーからトランクリッドも専用形状とされるなど、大胆に手が入れられていました。
また、サスペンションもスタンダードな3シリーズとは別物で、各部がレース用のセッティングに対応するつくりとなっています。
その後、M3は進化を続け、究極のモデルとして1989年に限定600台で「M3スポーツエボリューション」が登場。
最高出力238馬力を誇る2.5リッター直列4気筒DOHCエンジンに換装され、フロントバンパーには調整機構のついたエクステンション・リップスポイラーを装着、フォグランプの代わりにブレーキ冷却用ダクトが開けられ、調整式のリアスポイラーも装着されました。
日本では、日産「スカイラインGT-R」やホンダ「シビック」がトップランナーだった全日本ツーリングカーレースで、2.5リッター以下のクラス2ではM3のワンメイクとなるほど活躍しました。
■日本でも人気があった欧州エボリューションとは!?
●ボルボ「240ターボエボリューション」
現在、日本でも販売が好調なボルボのモデルは、美しいデザインと先進的な機能が特徴です。
一方、かつてのボルボ車というと、質実剛健で、とくに安全性能が高いというイメージでしたが、それを覆すことになったのが「240ターボ」です。
240シリーズは1974年に発売され、ボディタイプは2ドアセダン、4ドアセダン、そしてステーションワゴンをラインナップ。
搭載されたエンジンは2リッターと、2.1リッター直列4気筒が設定され、1981年にはターボチャージャーが装着された「240ターボ」が登場。
155馬力を発揮する2.1リッターエンジンにより0-100km/h加速は9秒、最高速度195km/hを達成するなど、高性能さがクローズアップされていました。
さらに、欧州で開催されていたヨーロッパツーリングカー選手権に240ターボで出場するため、1983年にグループA規定に則った500台限定の「240ターボエボリューション」を発売。
240ターボエボリューションには大径ターボチャージャーが装着され、吸気管内に水を噴射してエンジン内部の冷却と空気密度を高める「ウォーターインジェクション」が装備されていました。
レース用では最高出力300馬力以上を発揮し、空力性能が良いとはいえないフォルムにも関わらず、最高速度は260km/hに達したといいます。
ボルボがETCに本格参戦した1984年は2勝にとどまりましたが、翌1985年には14戦中6勝し、チャンピオンを獲得。1985年の全日本ツーリングカー選手権最終戦にも遠征してきており、圧倒的な速さを見せつけています。
240ターボエボリューションは、BMW「635」やローバー「3500 V8」といった、スタイリッシュで大排気量のエンジンを搭載したマシンを相手に、無骨なスタイルと小排気量エンジンで戦い、その速さを称賛する意味で「空飛ぶレンガ」と呼ばれ、親しまれました。
●ランチア「デルタHF インテグラーレ エボルツィオーネ」
1970年代の終わり頃から、欧州メーカーのコンパクトカーはFF化が進みました。そこで、ランチアが1979年に発売した「デルタ」は、1ランク上の質感が特徴のFF5ドアハッチバックとしてデビュー。
コンパクトなボディに搭載されたエンジンは1.3リッター、1.5リッター、1.6リッターの直列4気筒ガソリンに1.9リッター直列4気筒ターボディーゼルと、シティユースに適したベーシックカーとして開発されました
ところが、1986年にWRCに参戦する目的で、165馬力のハイパワーなエンジンを搭載し、フルタイム4WDを採用した「デルタHF 4WD」を追加ラインナップ。
なお、開発はすべてアバルトの手によるものです。
1988年には、さらに最高出力185馬力まで高められたエンジンを搭載した「デルタHF インテグラーレ」を発売します。
また、サイズアップしたホイールとタイヤを収めるために、前後ブリスターフェンダーとしたワイドボディを採用して迫力ある外観に一新。
サスペンションはベース車と変わらず4輪ストラットですが、スポーツ走行に適したチューニングが施され、大径化された4輪ディスクブレーキも装備するなど、高い走行性能を発揮。
1987年からグループAカテゴリーによって争われることになったWRCに参戦すると、初年からメーカータイトルを奪取するなど、高性能さをアピール。
そして、1992年にはさらにフェンダーを拡幅し、210馬力を誇る「デルタHF インテグラーレ エボルツィオーネ」が登場。
翌1993年には「デルタHF インテグラーレ エボルツィオーネII」を矢継ぎ早に発売。ちょうどランサーエボリューション、スバル「インプレッサWRX」もWRCに参戦した年だったことから、アップデートが急務だったといえます。
最高出力は215馬力までアップし、エンジンの制御系にも大きく手が入れられている一方、エアコンがオプションだった以外は比較的豪華仕様で、後にエボルツィオーネIIをベースにした数多くのプレミアムな限定車も発売されました。
日本でもデルタHF インテグラーレは人気が高く、6年連続でWRCのメーカータイトルを獲得したことも、人気の理由ではないでしょうか。
※ ※ ※
今回、紹介した5台のエボリューションモデルは、すべてモータースポーツに関係しているモデルです。
レースの世界では必ずライバルが存在し、勝つためには進化を続けなければなりません。
近年、国産メーカーは市販車をベースにしたレースへの参戦に消極的になってしまい、また、そうした市販車ベースのレースも減ってしまったこともあり、このようなエボリューションモデルが登場する機会は減ってしまったのは寂しいところです。
Posted at 2020/08/18 21:17:05 | |
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自動車業界あれこれ | 日記
2020年08月18日
ポルシェの自宅で楽しめる趣味講座 第6回「レースゲームの世界でトップを目指せ!」【動画】
Porsche 911 GT3 Cup
ポルシェ911 GT3 カップ
Eスポーツの世界のスーパースター、マックス・ベネケ
ポルシェは、新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大を受けて、自宅で楽しめる趣味講座「#GetCreativeWithPorsche」を展開中。この講座には毎回その道のプロが登場し、自宅にいながら自動車に関するクリエイティブなスキルを身につけられるようになっている。
今回、ポルシェ・シムレースチャンピオンのマックス・ベネケ(Max Benecke)が、バーチャルモータースポーツ(シムレース)でトップになるために必要なスキルを紹介してくれた。
26歳、ドイツ・フランクフルト近郊に住むベネケは、最初からシムレーサー(レース専門のゲーマー)を目指した訳ではなかった。子供の頃からモータースポーツに没頭し、家族とF1観戦に訪れたり、カートを戦っていたこともある。しかし、プロのレーシングドライバーを目指そうとした彼の前に立ちはだかったのが参戦資金だった。その時点で、彼は子供の頃からの夢を諦めたという。
「それでも、家にはいつだってゲーム機があって、当然レースゲームにハマっていました。2000年代初頭は『グランツーリスモ4』に熱中していて、その辺りから競争心が芽生えた気がします。いつだってトップを目指していましたが、ある時点でコンピューターとのレースがつまらなくなってしまいました」
2009年、コードマスター社はF1公式ライセンスソフト「F1」をリリースする。このゲームをきっかけに、ベネケはオンラインレースへの参加を開始。世界中で行われていた様々なデジタルリーグに参戦するようになった。彼は世界各国のライバルとゲームを通して知り合い、その多くは現在でも彼とレースを戦って共にビジネスを行う大切な仲間になっている。
ポルシェの関与と、新型コロナウイルスの流行
ベネケの名声はゲームの世界では轟いていたものの、実際のモータースポーツ界での知名度はほとんどなかった。変化が訪れたのは2018年だった。
「2018年に開催されたポルシェ・シムレーシング・トロフィー(2018 Porsche Sim Racing Trophy)が転換点になりました。当時、ポルシェの担当者が『我々には、もう少しやるべきことがある』と言っていたことを覚えています」
「この後、同じ年にEスポーツ・スーパーカップ(Esports Supercup)、ポルシェ・シムレーシング・サミット(Porsche SimRacing Summit)が相次いで開催されました。2018年、自動車業界のビッグブランドであるポルシェが、シムレースの後ろ盾となった重要な瞬間だったのです」
そして、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大が、シムレースの世界を一気に有名にした。現実のモータースポーツすべてが中止になった一方、ロックダウン下でもオンラインでならばレースが開催できる。そして、シムレースの世界に現実のプロレーサーが数多く参戦するという状況になったのである。ベネケは、F1のトップドライバーであるマックス・フェルスタッペンやランド・ノリスと、定期的にテールトゥノーズのバトルを繰り広げるようになった。
「彼らと実際に対戦できるなんて最高ですよね。彼らはゲームの世界にも素晴らしいインプットを与えてくれます。実際に彼らの走りを見ていると、ライン取りやブレーキングポイント、コーナー時のスピードの乗せ方など、多くのことを学べます。バーチャルレースとリアルレースの間には多くの共通点があるのです」
制限なく走り込むことができるシムレーシング
現実世界のトップレーサーに対し、ベネケのようなシムレーサーは自分のアドバンテージをどこに見出しているのだろうか。
「練習量でしょう。シムレースはとにかく練習が大事です。マシンのセットアップを変更したら、5~6周走って自分のペースを確認。それを何時間も何時間も繰り返します。それに対して、実際のレースではコースを走れる時間は限られていますから、マシンのフィーリングや限界点、セッティングの状況をいかに素早く把握するかが鍵になります」
「競技のレベルや走行時間にもよりますが、Eスポーツ・スーパーカップに向けてはとにかく走り込みました。開幕戦バルセロナに関しては、レースまで1週間しかありませんでしたから、1日8~9時間はゲームで走っていたと思います。5~6時間もやっていたら疲れて限界に達してしまうんですけどね。最後のちょっとした細かいセッティングを見つけなければならないので、イライラすることもあります(笑)。平均して、ひとつのレースに向けて30~40時間は練習をしています」
ベネケは、現在チーム・レッドライン(Team Redline)に所属。このプロチームは、フェルスタッペンをはじめとする9名のドライバーに加えて、マシンのテレメトリーを研究し、セットアップを決める専門スタッフで構成されている。
ゲームといえども、もはや“遊び”ではない。シムレースはビッグビジネスに成長しており、賞金総額は指数関数的に増加している。トッププロシムレーサーは、大金を手にすることができる時代になったのである。今回、今からシムレーサーを目指す人のために、ベネケはシムレースの始め方から、マシンのセットアップまで、トップシムレーサーだからこそのヒントを教えてくれた。
スタート前の準備:ゲームとコントローラーの購入
「プレイするゲームは『コードマスター F1(Codemaster F1)』『グランツーリスモ(Gran Turismo』『アセットコルサ(Asseto Corsa)』など、基本的に一度の支払いでプレイし続けられるタイトルがオススメです。比較的リーズナブルな価格ですしね。そして、安価なものでいいのでステアリングとペダルのセットを購入しましょう。ロジクール(Logitech)やスラストマスター(Thrustmaster)の製品は、200ユーロ前後で販売されています」
「これを揃えれば、とりあえずスタートできます。あとはドライブするだけです。そして、オンラインで様々な人と対戦してみて、自分がどう感じたのか分析してみてください。楽しかったのであれば成長していけるでしょう。本格的にお金をかける前に、自分が没頭できるのか、しっかり自分自身に確認することが必要です」
「シムレースの世界を追求したいと思ったのであれば、『iRacing』があります。『iRacing』は会員登録制のレーシングシミュレータサービス。月単位か年単位のサブスクリプション(定額)を支払う上に、追加でマシンやサーキットへの支払いも必要で、それなりの出費を覚悟する必要があります」
「この『iRacing』はコンペティションという点で最高のプラットフォームだと思います。独自のシステムを展開していて、常にドライブや他のドライバーとのマッチングが可能です。そして今、様々な企業が参入して莫大な金額を投資しているプラットフォームです」
「最後にハードウェアのアップグレードです。私はいつもペダルシステムの変更から勧めています。その次にステアリングホイール、最後にトリプルスクリーンのディスプレイを検討してください。でも、初心者ならできるだけコストをかけず、まずは自分が楽しめるかを試してくださいね」
マシンのセットアップ:コツコツとした地道な作業
「『iRacing』ではタイヤの空気圧、車高、ロール剛性、キャンバー、トー、ウイングの角度など、あなたのクルマのセッティングを変更することが可能です。セットアップに関しては、あらゆる方向に進めることができます。コースごとに何が有効かを把握するのは簡単ではありませんが、一般的な考え方として、高速コーナー中心のコースではコーナーの出口でスライドしてしまうことを防ぐためソフト過ぎるセットアップは避ける。逆に低速コナーが中心のコースではクルマを少しソフト目にセットアップしてみてください」
「ウイングはレベル1~9まで設定できます。レベル1が最もダウンフォースが低いレベルですね。例えばドニントンのようなコーナーの多いサーキットではダウンフォースが必要なので最大値のレベル9に近づけたいところです。一方、ル・マンのサルテ・サーキットのようなダウンフォースの低いトラックでは、レベル9のウイングではストレートで5~7km/hも遅くなってしまいます。つまり、1周約4分間のラップライムでかなりのタイムロスを強いられるでしょうからレベル3くらいが妥当ですね」
「クルマのテレメトリを記録することで、セットアップの参考にすることができます。タイヤ温度とタイヤの摩耗状況をチェックしてみてください。コーナーにおける剛性やダウンフォースが、ブレーキング時やターンイン時の姿勢にどのような影響を与えているかを知ることができます。ひとりでコツコツ行う地道な作業ですが、時間をかけてやる価値はありますよ」
「正しいセットアップを進めるためには、走行中にセットの違いを感じることができるか、そして安定したラップタイム刻めるかが重要です。セッティングを変更したときは、5周走ってからピットインしましょう。その5周のタイムが0.1秒内に揃っていないのであれば、変更する意味はありません。安定して走れない時は、原因を探るためにテレメトリのデータがあたなを助けてくれるはずです」
走行中のテクニック:重要なのはブレーキング
「他のドライバーから学ぶことはたくさんあります。彼らがレース中に何をしているのか、特にブレーキングに注目してください。私が初めて『iRacing』に参戦した当時、大きな問題となったのがブレーキングでした。タイムロスの90%はブレーキにかかっていると言っても過言ではありません。だからこそ、自分がどのようにブレーキングしているのか、しっかり確認しましょう。まずは基本に忠実に『スローイン(進入はゆっくり)、ファーストアウト(素早く脱出)』です」
「ドライビングスタイルに関しては、自分のラインを理解してコースの隅々まで使い切ることを心がけてください。コーナーの進入に縁石があればそれを使うのも手です。可能な限りサーキットのスペースを有効に使って、正確に同じポイントでブレーキを踏むようにしてください」
「シムレースにおいて、予選と決勝は、燃料搭載量を除けばあまり違いはありません。予選では7~8リットル、決勝は50~60リットルを搭載してスタートします。燃料タンクの搭載位置によってクルマのフィーリングが変わってきます。走行することで燃料が減ってフロントかリヤのダウンフォースを失うことになります。満タンでも空に近い状況でもクルマのフィーリングをつかむために、両方のシチュエーションの練習をしておく必要があります」
「レース中は自分のブレーキングポイントだけでなく、バトルしている相手が何をしているかを観察しましょう。できるだけ『クレバーに』が鍵です。自分が追っている状況で、この瞬間に何をすべきかを自問してみてください。オーバテイクとディフェンス、どちらの状況でも多くのことを考えなければなりません。2つ、3つ先のコーナーのことも考えながら、自分がどのラインを取るべきか予想する必要があります。あと、前のドライバーに自分の存在を知らせることも重要です。プレッシャーを掛け続けるのです。とにかく我慢ですよ!」
最後のアドバイス:とにかく練習、練習、練習!
「当たり前のように聞こえるかもしれませんが、ゲームの腕を上げるための鍵は、とにかく練習、練習、練習です! そして、参加するすべてのレースで自分の実力を確認してください。どのマシン、どのコースでもトップに立てることを証明する必要があります。何戦か続けて中団以下の順位でフィニッシュしていると、多くの人が『このレベルに合ってない』と思うようになります。とにかく練習が必要です」
「可能な限りオープンマインドを心がけて、すべてのチャンスをつかむようにしてください。私は同じシーズンに『ポルシェ・シムレーシング・トロフィー』と、『iRacing ワールドチャンピオンシップ』を獲得したことで、今のポジションを手にしました。当たり前ですが、勝つためにはそのレースにまず参加しないとならないのです。自分でチャンスを掴みましょう」
「そして、シムレーシングの世界では、プロの振る舞いも求められます。わざわざ言うことでありませんが、あなたがSNSに投稿した内容、ゲームでの荒い運転などは、誰かが必ず見ています」
「もしあなたがシムレースの世界でトップになりたいと考えているのであれば、最初にも言ったとおり一番重要なことは練習を続けることです。そして、プロとしてのアプローチを心がけること。健康に、前向きに、そして楽しむことを忘れないでください。これをすべて実行すれば、チャンスの扉が目の前に開かれるでしょう」
それまでのはコチラ
最近はスマホのカメラも性能良いから編集しながら出来るので一杯撮ってお気に入りを見つけましょう
第一回
第二回以降はどこかわからなかったから探してみましたよ。そしてどれもこれもすっげぇ大変じゃんか
第二回から第五回まで
Posted at 2020/08/18 21:13:50 | |
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ポルシェ | 日記
2020年08月18日
【ロボットアニメ世代歓喜】ゴミ収集車が無人で作業者についてくる!? 三菱ふそう「eキャンター・センサーコレクト」の衝撃
ゴミ収集車といえば、小型トラックの狭いキャビンに2~3人乗車して、収集スポットに着くたびに収集作業を繰り返す姿をよく目にする。窮屈で大変そうだし、「あれ、なんとかならないかな?」なんて思っていたら、ゴミ収集車の運転と収集作業を一人で行なえる車両の発表イベントが開催された。
7月30日、三菱ふそうの本社川崎製作所で開かれたコンセプトモデルのデモンストレーション・イベント「Fuso Future Solutions Lab」がそれだ。
ここで初公開された「eキャンター・センサーコレクト」」(eCanter SensorCollect)は、三菱ふそうの電気小型トラック「eキャンター」をベースに各種センサーを搭載し、リモートコントロールで車両の一時停止や障害物の回避といった操作を可能にしている。
作業者の負担を軽減する次世代のゴミ収集車である。
文/写真:フルロード編集部
【画像ギャラリー】気分は鉄人! マジンガー! ガンダム! 作業者に自動でついてくるゴミ収集車!? 三菱ふそう「eキャンター・センサーコレクト」
■まるで飼い主についてくる犬のよう! どこか可愛く思えてくる「eキャンター・センサーコレクト」の秘密
初公開された「eキャンター・センサーコレクト」。次世代のフル電動ゴミ収集車だ
「eキャンター・センサーコレクト」は、遠方検知を担当するLIDARモジュールを4個、安全エリアを検知する単距離センサー16個、さらに高精度GPS、4G、WiFiなどの制御モジュールを備えている。
車両の四隅に搭載されるLIDAR。上の青いデバイスが単距離センサーで車両各所に16個備えている
これらセンサーから収集された情報を元にアクチュエーター制御システムがモータートルク、ステアリング、ブレーキなど車両の挙動を制御。ゴミ収集を行なう作業員は、スマートフォン式HMI(ヒューマン・マシン・インターフェース)によって車両を遠隔操作する。
■スマートフォンで車両を遠隔操作! 気分は鉄人28号だ!?
スマートフォン式のワイヤレスHМI こんなふうに腕に巻いて使っている
このHМIによる操作は、まず作業者が車両の前か後ろに立ち、スタートボタンを押して、作業者を設定。次に「follow me」モードで安全な距離を保ち、車両が作業者に追従する。
作業者がゴミ収集ポイント付近の地点を設定することで、車両は設定地点まで移動し、停止する。作業者はゴミの収集作業を行ない、さらに次の収集ポイントに移動するというのが一連の流れになっている。
街中の作業現場を模したカラーコーンを回避して作業者に追従走行。運転席は無人である
この間、車両は無人で走行するので、これまで複数人が車両に搭乗して行なっていたゴミ収集作業が、すべてワンマンでオペレーション可能になる。
また、ベースは「eキャンター」なので、ゴミの荷箱への押し込みなどの作動もすべて電動パワートレインを用いており、これによって低騒音・ゼロエミッションを実現。場所や時間を問わずクリーンなゴミ収集が期待できる。
■収集車のワンオペも可能!? 安全性を確保するにはさらなる研究課題も
収集ポイントに着いたら車両は停止。作業者はゴミを収集して次のポイントに向かう。ゴミ収集車のワンマンオペレーションも可能となる
また、経路上の静止障害物を回避し、一定の安全距離を保ちながら追従するが、道路の横断など一般の人が安全エリア内に入ると、車両は緊急停止。さらに作業者は、HМIとは別に常時「遠隔緊急停止デバイス」を携行しているので、このボタンを押すことでも車両は緊急停止する。
今後の課題としては、高精度GPSが位置と向かう方向を追跡しているが、駐車場なとは別途対応が必要なこと、また、常に変化する交通状況に対応し安全性を確保するにはさらなる改善が求められている。さらに荒天や暗闇などでの対応も今後の研究課題だとしている。
今回の「eキャンター・センサーコレクト」は、作業者の歩く速度程度に追従する低速での無人走行で、いわゆる自動運転とは異なるものだが、今後の開発の進捗により、ゴミ収集車のみならず各種作業車両や宅配車両などへの展開も期待され、コンセプトモデルながら大いに可能性を秘めた車両と言えそうだ。
Posted at 2020/08/18 20:20:51 | |
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自動車業界あれこれ | 日記
2020年08月18日
日本でも話題となった豪州仕様のトヨタ「86」とは!? オーストラリアにまつわる車5選
■オーストラリアは自動車大国だった!?
日本の南、約6000kmの距離にあるオーストラリアといえば、日本の約20倍もの国土を有し、カンガルーやコアラといった野生動物や、雄大な自然をイメージする国ではないでしょうか。
しかしオーストラリアは、かつて自動車製造が盛んにおこなわれ、日本の自動車メーカーも現地に工場を建てて生産をおこなっていました。
そしてオーストラリア独自の自動車文化も育まれています。そこで、オーストラリアにまつわるクルマを、5車種ピックアップして紹介します。
●ホールデン「ユート」
日本ではあまり馴染みはありませんが、オーストラリアで誕生し、100年以上の歴史を持つ「ホールデン」という自動車メーカーがあります。
現在、ホールデンはGMの傘下で、これまで数多くの魅力的なクルマを製造してきましたが、2017年に工場を閉鎖。2021年にはホールデンブランドも廃止されることが発表されており、もはやメーカーとしては風前の灯火です。
このホールデンには、かつてスタイリッシュなピックアップトラック「ユート」がラインナップされており、高性能なエンジンを搭載するなど、スポーツカーにも負けない走行性能を持つトラックでした。
ユートは乗用車の「コモドア」をベースとしたモノコックシャシのピックアップトラックで、2007年に発売されたモデルのトップグレードは、6リッターV型8気筒エンジンを搭載。トランスミッションは6速MTが設定され、ドイツのサーキット「ニュルブルクリンク」でも俊足ぶりを発揮しています。
外観は洗練されたスポーティなフォルムで、派手なカラーリングも用意されるなど、北米の高性能ピックアップトラックとは異なる欧州車のような雰囲気があります。
しかし、ホールデンは徐々にオーストラリアでの生産を縮小していったことから、2017年をもってユートの生産を終了。
現行のラインナップでは、シボレーのOEM車でダブルキャブの「コロラド」を販売しています。
●マツダ「ロードペーサー」
マツダは1975年に高級セダンの「ロードペーサー」を発売しました。
当時、ロータリーエンジンを主力としていたマツダは、小型車から大型車、バスやピックアップトラックまで、すべてのラインナップにロータリーエンジンを設定することを推進。
そのため、ロードペーサーも654cc×2ローターで135馬力を発揮する「13B型」ロータリーエンジンを搭載していました。
しかし、マツダには大型セダンを自社で生産する設備が無かったため、ホールデンにOEM供給を打診。ホールデン「プレミアー」の車体をベースにロードペーサーを生産します。
プレミアーを選んだ理由としては、アメリカ車のようなフルサイズの大型セダンながら、右ハンドルということで、最小限の改良で済んだからというのが濃厚です。
ロードペーサーはパワフルなロータリーエンジンを搭載していましたが、もともとは5リッターを超えるV型8気筒エンジンが搭載されることを想定していたため車体は重く、ロータリーエンジンの燃費の悪さに拍車がかかったといいます。
一方で、騒音や振動が少ないロータリーエンジンならではの静粛性による、上質な室内空間は高く評価されました。
スタイリッシュなボディは日本車と一線を画するものでしたが、日本人には馴染めなかったようで、さらに高額な車両価格が追い打ちをかける形で販売は低迷。
1977年に販売を終了し、いまでは非常にレアなモデルです。
●トヨタ「86 GTS」
2012年にデビューしたトヨタ「86」は、スバルと共同開発された2リッター水平対向4気筒エンジンを搭載した小型FRクーペです。
「超低重心FRパッケージ」を実現したことで、高いコーナーリング性能を持つライトウェイトスポーツカーとして、発売当初から高い人気を誇りました。
トヨタは1960年代にはオーストラリアへの自社モデルの輸出を開始しており、かつては工場を建設して現地生産をおこなっていたこともあるなど、現地でも高いシェアを誇っています。
そして86もオーストラリアで販売され、ワンメイクレースが開催されるなど、若い世代から高い支持を受けています。
なかでもユニークなのが、オーストラリア独自のオプションで、フロントバンパースカート、サイドスカート、リアバンパースカート、大型リアスポイラーで構成されたエアロパッケージが設定されています。
これは、日本にはないエアロパーツで、まだ86が発売される以前に、プロトタイプがニュルブルクリンク4時間レースに出場した際のエアロパーツを再現。
2012年6月に「86 GTS」グレード専用で発売されると、日本でもこのエアロパーツは話題となり、「ニュル羽」や「ニュルウイング」と呼ばれ、オーストラリアから取り寄せたユーザーもいたほどです。
さらに2016年には、トヨタオーストラリアが独自で企画し、1台だけ作られたステーションワゴンタイプの「86 シューティングブレーク」が存在するなど、86はオーストラリアでも特別な存在となっています。
■わずかな期間しか販売されなかった豪州育ちの日産車とは!?
●日産「ブルーバード オーズィー」
日産は1976年にオーストラリアで現地生産を開始。1992年に撤退するまで、日本国内モデルをベースとした、オーストラリア独自の車種も生産していました。
そのなかの1台が、1987年に発売された日産8代目「ブルーバード」の派生車として、1991年にオーストラリアから日本へ輸入された「ブルーバード オーズィー」です。
なお、「オーズィー」という車名は、「オーストラリアの、オーストラリア人」という意味を持つ「Aussie(オージー)」に由来しています。
ブルーバード オーズィーはステーションワゴンタイプボディの5ドアハッチバック車で、外観は8代目ブルーバードと同様のフロントフェイスに、ロングルーフを加えたスタイリッシュなモデルです。
前後にスポイラーを装備し、エンジンは日本仕様専用に2リッター直列4気筒DOHCを搭載するなど、スポーティに仕立てられました。
使い勝手も良いモデルのはずでしたが、当時の日本では5ドアハッチバックは人気が無く、ブルーバード自体のフルモデルチェンジもあって、わずか3か月ほどで販売を終了。
現存数が少ないため、いまではかなり貴重なクルマです。
●トヨタ「ランドクルーザー70」
1984年に発売されたトヨタ「ランドクルーザー70」は、悪路走破性と耐久性が高く評価された「ヘビーデューティー」です。
日本では2004年に販売を終了しましたが、海外ではフルモデルチェンジすることなく、いまも過酷な環境で活躍しています。
2014年には期間限定で、ワゴンタイプのバンとダブルキャブピックアップトラックが、日本で再販されて大いに話題となりました。
現在、ランドクルーザー70の主な輸出先はオーストラリア、中東、アフリカ諸国で、なかでもオーストラリア仕様は数多くのラインナップを展開するほど、優れた道具として人気があります。
エンジンは4.5リッターV型8気筒ターボディーゼルを搭載し、組み合わされるトランスミッションは5速MTのみです。
ボディタイプは5人乗り4ドアのワゴン、2人乗りシングルキャブのピックアップトラック、5人乗りダブルキャブのピックアップトラック、そして、マイクロバスのように多人数乗車も可能な2ドアワゴンであるトゥループキャリアをラインナップ。
さらに、もっとも装備が簡素化された「ワークメイト」と、装備が充実した「GX」、「GXL」グレードが設定されました。
外観は日本で再販されたモデルと大きく変わりませんが、エアダクト付きのボンネットや、渡河性能を向上させるシュノーケルを標準装備し、ピックアップトラックでは荷台の形状が日本仕様と異なります。
また、ランドクルーザー70の特徴として、ワゴンとピックアップトラックの燃料タンクが130リッターと大容量ということが注目されましたが、トゥループキャリアでは180リッターとさらに大容量で、人がほとんど住んでいないオーストラリア内陸部でも活躍できそうです。
ちなみに、国内仕様の「ランドクルーザー200」の燃料タンは93リッター(ガソリン)ですが、オーストラリア仕様では138リッター(ディーゼル)と、やはり大容量となっています。
※ ※ ※
オーストラリアに訪れてみると驚くのが、1970年代から1980年代の日本車が普通に走っていることです。
外装はかなり傷んでいるため、決して趣味ではなく、普段の足として使われている模様。
地域によっては雨が少ないため、サビの進行が遅いことから、生き残っているのでしょう。
かつては、日本で人気のある旧車を、オーストラリアで仕入れて日本で売るビジネスも成り立っていたほどで、いまもお宝が眠っているかもしれません。
Posted at 2020/08/18 20:07:32 | |
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