2020年08月20日
デイトナ24h制した「GT40」がモチーフ フォードGT ヘリテージ エディションが登場
米国の自動車メーカーであるフォードが、スーパーカー「フォード GT ヘリテージ エディション」を発表しました。
フォードGTは、ル・マン24時間レースで優勝するため、巨額の資金を投じて開発したGT40をインスパイアしたスーパーカー。2019年には、そのル・マンをモチーフにした映画「フォードvsフェラーリ」が公開され注目を集めました。
今回のフォードGT ヘリテージ エディションは、1966年のデイトナ24時間レースで優勝したGT40のデザインをモチーフに作られました。
ホワイトとブラック、そしてレッドで塗装しており、側面にはナンバー「98」が描かれています。
ほかには20インチの鍛造アルミニウムホイールや、赤いブレーキキャリパーといった専用パーツも採用。インテリアは、高級素材として知られるアルカンターラを使用したシートなど、見た目だけでなく内装にもこだわっています。
進化は続く! 名車「GT40」の栄光を称える「フォードGTヘリテージ・エディション」が登場
1966年にデイトナ24時間レースを制したフォードGT40 MkIIへのオマージュ
8月16日、フォードのレーシング部門であるフォード・パフォーマンスは、2021年モデルの「フォードGT」をベースとしたスペシャルモデル「フォードGTヘリテージ・エディション」を発表した。
ヘリテージ・エディションは、1966年にデイトナ24時間レースを制した「フォードGT40 MkII」へのオマージュを表現したもので、’66年の制覇から2021年で55年の節目を迎えることを記念して製作。
エクステリアでは、フローズンホワイトのボディにカーボンファイバー製フロントフードや前後ディフューザー、サイドスカートを採用して軽量ボディを強調。フロントやサイド、リヤウイングには左右非対称のレッドペイントが施され、独特のルックスを実現している。ホイールには、ヘリテージゴールドの20インチ鍛造アルミを装着。ブレンボ製のブレーキはキャリパーがレッドにペイントされ、ヘリテージゴールドのホイールとのコントラストも特徴的だ。
インテリアではインスツルメントパネルやヘッドライナー、ステアリングホイールにアルカンターラを張る。アルマイト仕上げのパドルシフターやシートはレッドとされ、コックピットもカラーコントラストを際立たせたレーシーな雰囲気とされている。
さらに大胆なルックスを求めるカスタマー向けとして、20インチホイールやドアパネルがカーボンファイバー製となるアップグレードパッケージをオプション設定する。
VIDEO
「フォードGTスタジオ・コレクション」
ヘリテージ・エディションの発表を機に、フォードGTに設定されているスタジオ・コレクションに限定シリーズが追加されたこともニュースだ。
この限定シリーズは、フォード・パフォーマンスとカナダのマルチマティック社とのコラボレーションによってデザインされたもので、フォードのGTプログラムに長きにわたって取り組んできたマルチマティック社のデザインディレクター、ガレン・ニコゴシアン氏のアイディアが採り入れられている。
2021年モデル、2022年モデルそれぞれで40台が製作される予定で、標準のボディカラーは7色設定され、好みのグラフィックスを組み合わせることが可能。さらに拡張パレットによってパーソナライズでき、ボディカラーとグラフィックスの組み合わせは無限となり、世界に1台のカラーリングを実現することもできるという。
2021年モデルのフォードGTは、2021年初頭よりカスタマーへの納車が始まる。なお、フォードGTは2022年に生産が終了する予定だ。
フォードGTに伝統のカラーをまとった限定車「ヘリテージエディション」
米フォード・モーターは8月16日、スーパーカー「フォードGT」の2021年モデルに限定車「ヘリテージエディション」(写真1-12)を設定するとともに、新たなカスタマイゼーションプログラム「スタジオ・コレクション」(写真13-18)を発表した。
カーボンファイバー製ボディに最高出力660hpの3.5L V6ツインターボユニットを搭載したフォードGTは、現行ラインナップの頂点に君臨するスーパースポーツ。その起源が1960年代に活躍した不世出のレーシングカー「GT40」であることはファンなら誰しもが知るところだろう。
ル・マン・ウィナーとして知られるGT40だが、来年2021年はその栄光への足掛かりとなったデイトナ24時間耐久レースにおける勝利から55年のアニバーサルイヤーにあたる。その記念に発表されたヘリテージエディションは、優勝車両の「GT40 マークIIレースカー」と同じくホワイトを基調にブラックとレッドのアクセントが入るボディカラーを採用。ボンネットやドアの一部はビジブルカーボンとされ、フォードGTの軽量ボディを際立たせるアクセントとなっている。また、20インチ鍛造アルミホイールはゴールドにペイントされ、レッドラッカー仕上げのブレンボ製モノブロックブレーキキャリパーと相まって、足回りを引き締める。さらに、ブラックとレッドのコントラストが美しいインテリアも、アルカンターラがふんだんに奢られるなど、エクスクルーシブな仕立てとなっている。このほか顧客が望めばカーボン製ホイールなど多くのオプションも装着可能とのことだ。
一方のスタジオ・コレクションは、フォードパフォーマンスとフォードGTの生産を担うマルティマティックのコラボによって生まれたプログラムで、オーナーはボディカラーや各部のグラフィックを好みによってカスタマイズできる。7つのスタンダードカラーが用意されるものの、望めばパレットから無数の色味をチョイスできるというから、事実上組み合わせは無限。設定は2021年モデルと2022年モデルの40台に限定されるが、フォードGTの生産自体が2022年で終了となるため人気沸騰は必至だろう。
アメリカンスーパーカー「フォードGT」に限定車ヘリテージエディション登場
■ゼッケン「98」 オリジナルのフォードGTが優勝して55周年
米国フォードの高性能車部門、フォード・パフォーマンスは2020年8月16日、1966年のデイトナ24時間レース優勝車にインスパイアされた40台限定車「フォードGT ヘリテージエディション」を発表した。
フォードGTのプログラムマネージャー、マイク・セバーソンは、「フォード・パフォーマンスチームは、フォードGTの歴史をより深く掘り下げ、最終的にはル・マンでの成功につながるデイトナでの勝利から55周年を記念した限定モデルを製作しました」とコメントする。
1966年、ドライバーのロイド・ルビーとコドライバーのケン・マイルズは、オリジナルの「フォードGT40 MK II」を駆りデイトナ24時間耐久レースで優勝。同時に1位、2位、3位、5位とフォードが表彰台を独占し、さらにセブリング12時間耐久レースとル・マン24時間耐久レースでも1位、2位、3位を獲得した。今回のヘリテージエディションは当時のカラーリングをベースにした初のモデルとなる。
「マイルズとルビーは24時間レースのほぼ全ラップをリードし、30マイルもの差をつけてライバルを上回りました」とセバーソンは語る。「この勝利は、スポーツカーレースにおけるフェラーリの優位性を脅かした初めての人物であり、フォードGTレースプログラムの転換点となりました」とコメントした。この時期の闘いは、2019年に「フォードvsフェラーリ」として映画化もされている。
1966年に優勝したフォードGT40 MK IIの大胆な白/黒/赤のエクステリアにインスパイアされた新しい2021年モデルのフォードGTヘリテージエディションは、フローズンホワイトのエクステリアに、露出したカーボンファイバー製のボンネットを組み合わせたコントラストが特徴。
フロントフェイスとルーフエッジ、運転席側ドア、リアウイング下の非対称なレースレッドのアクセントが個性的なビジュアルを加え、露出したカーボンファイバーがスーパーカーの軽量ボディを表現している。またリアクォーターパネルの下部には、フォード独自のグラフィックが施され、ヘリテージゴールドの20インチ鍛造アルミホイールとレッドラッカー仕上げのブレンボ製モノブロックブレーキキャリパーが組み合わされ、この新しいエクステリアを完成させている。
インテリアでは、ブラックアルカンターラをインパネやヘッドライナー、ステアリングホイールリムに採用。レッドアルカンターラのパフォーマンスシートがコントラストを与える。
さらにオプションの「ヘリテージアップグレードパッケージ」も用意される。このパッケージにはグロスレッド塗装のインナーアクセントを備えた20インチのカーボンホイールが含まれる。インテリアではカーボンファイバー製ドアパネルにゴースト加工された98ラウンドテールが刻まれる。
※ ※ ※
フォードGTは、660psを発生する3.5リッターV型6気筒「エコブースト」ツインターボエンジンを搭載するモデルで、カーボンファイバー製ボディを持つ超軽量+ハイパワー2座スーパーカー。2021年型フォードGTは2021年初旬から2022年まで生産される。車両価格はまだ発表されていない。
Posted at 2020/08/20 23:36:54 | |
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自動車業界あれこれ | 日記
2020年08月20日
輝いていた頃の歴代レガシィセダンを振り返る! シブさが光る高性能レガシィ5選
■30年超の歴史に幕を閉じる「レガシィ セダン/B4」を振り返る
日本がバブル景気に沸いていた1989年、スバルはすべてが新しいセダン/ステーションワゴンの初代「レガシィ」を発売。
トップグレードには新開発の「EJ20型」水平対向4気筒ターボエンジンを搭載。最高出力200馬力を誇り、駆動方式はフルタイム4WDを採用することで、道を選ばないオールラウンダーとして高い人気を獲得します。
その後も基本的なコンセプトは初代から変わらず代を重ねていきましたが、2014年に「ツーリングワゴン」の国内販売を終えました。2020年6月にはセダンの「レガシィB4」も国内向けの生産を終了し、現在は在庫車を販売していますが、もうすぐ販売が終了され、「レガシィ アウトバック」のみとなります。
30年以上も続いたレガシィ/レガシィ ツーリングワゴンの歴史はついえてしまいますが、数々の記憶に残るモデルが存在。
そこで、歴代レガシィ セダン/B4のなかから、代表的な高性能モデルを5車種ピックアップして紹介します。
●初代「RS type RA」
初代レガシィは「レオーネ」シリーズの後継車として登場。発売直前にFIA公認10万km世界速度新記録を樹立し、その高性能さを世界中に知らしめました。
また、開発時点からラリーをはじめモータースポーツへの参戦を想定しており、レースベース車の「レガシィ RS type RA」をラインナップ。
エンジンは「STI(スバルテクニカインターナショナル)」がチューニングした最高出力220馬力を発揮する2リッター水平対向4気筒DOHCターボを搭載。エンジン内部にも手が入れられた高バランスエンジンとなっており、後のSTIコンプリートカーを先取りしていました。
また、足まわりの強化に加え、ギア比が変化するバリアブルクリック・パワーステアリングを装備するなど、戦うマシンとして仕立てられています。
1990年に世界ラリー選手権(WRC)に参戦を果たすと1993年にはスバル初の優勝を勝ち取り、後の「インプレッサWRX」開発への道を開拓します。
●2代目「RS」
1993年に2代目レガシィが登場。初代に比べて全長が70mm-85mm、全幅で5mm大きくなったことで居住性が高められました。
また、ドアビーム、エアバックなどの安全装備の充実や、ターボモデルでは、低回転ではシングル、高回転ではツインターボとなる「2ステージツインターボ」を採用。
トップグレードには初代から引き続きEJ20型ターボが搭載され、水冷式から空冷式にあらためられたインタークーラーを装着し、最高出力は250馬力まで向上しました。
さらに1996年のマイナーチェンジでは、セダンの「RS」グレード5速MT車が、2リッターエンジンで初となる280馬力に到達。
ほかにもビルシュタイン製倒立式ダンパー、17インチタイヤなどが装着されるなど、280馬力を受け止めるにふさわしいシャシ性能にアップデートされています。
●3代目「B4 RSK Sエディション」
1998年に発売された3代目レガシィは、引き続き5ナンバーサイズのスリムなボディで登場。初代、2代目の薄型ヘッドライトから上下2灯式の大型ヘッドライトとしたことで、フロントフェイスのイメージが一新されています。
全車4WDとなると同時に、セダンはこの3代目から車名が「レガシィB4」に変更され、さらにグレード構成をツーリングワゴンとは異なり、自然吸気エンジンの「RS」とターボエンジンの「RSK」と、ともにスポーティモデルのみとされました。
RSKには2代目から継承された2ステージツインターボのEJ20型で、最高出力は280馬力のままとなっています。
1999年には、RSKをベースに「ポルシェデザイン」が開発したエアロパーツなどが装着された「ブリッツェン」が登場。2002年にはSTIが開発したコンプリートカーで、293馬力を発揮するエンジンに6速MTが組み合わされた「S401 STiバージョン」が400台限定で発売されました。
これらの高性能モデルとは異なるアプローチだったのが、2002年に発売された特別仕様車「B4 RSK Sエディション」です。
エンジンはRSKのままで、赤く塗装されたフロント対向4ポットブレーキキャリパー、クイックステアリングギヤレシオ、フロント・ヘリカルLSD(5速MT車)を採用し、走行性能を強化。
さらに内装にはアルミパッド付スポーツペダル、チタン調パネル、チタン調リングのMOMO製ステアリングホイールなどを装備し、スポーティに演出されています。
「通好み」なチューニングが施された「B4 RSK Sエディション」は、わずか半年間しか販売されず、いまでは希少な存在です。
■伝統のEJ型エンジンを搭載した、最後の高性能レガシィとは!?
●4代目「B4 3.0R」
2003年に登場した4代目レガシィは、ボディサイズが拡大され、シリーズ初の3ナンバーサイズ化されたことや、等長エキゾーストマニホールドの採用により、スバルの水平対向エンジン独特の「ボクサーサウンド」が消えた新世代のレガシィとして話題となりました。
4代目では先代から引き続きターボ車がメインでしたが、エンジンの改良により上質さは大きく進化。その上質さをさらに高めたのが、2003年に追加ラインナップされた「3.0R」です。
最高出力250馬力を発揮する3リッター水平対向6気筒エンジンを搭載し、2リッターターボ車とは異なる6気筒ならではのエレガントかつパワフルなフィーリングが特徴。
さらに2004年には、専用チューニングのビルシュタイン製ダンパーや、専用の外装パーツ、18インチホイールを装備する「3.0R Spec B」が登場しました。
トランスミッションは当初、走りを重視したことで6速MTのみとなっていましたが、後に5速ATを追加し、大排気量の自然吸気エンジンのフィーリングを幅広いユーザー層にアピール。
なお、国内のレガシィB4ではこの3リッターが最大排気量ですが、北米仕様には3.6リッターエンジンを搭載した「3.6R」が設定されていました。
●5代目「B4 2.5GT Sパッケージ」
2009年に登場した5代目レガシィでは、北米市場を意識して全長4730mm×全幅1780mm×全高1505mm(B4)と大型化したことで、スポーティさよりも高級感のあるモデルへと変化。
しかし、レガシィの伝統である高性能グレードは忘れられておらず、「レガシィB4 2.5GT Sパッケージ」がラインナップされました。
搭載されたエンジンは最高出力285馬力を発揮する「EJ25型」2.5リッター水平対向4気筒ターボで、トランスミッションは6速MTと5速ATが設定され、上質なハイパフォーマンスセダンに仕立てられています。
駆動方式はAWDで、ドライビングスタイルに応じて走行モードが選択可能な「SI-DRIVE」を標準装備。2代目から継続して採用されているビルシュタイン製ダンパーと相まって、さまざまな路面状況でも安定した走りを実現。
なお、2014年に発売された6代目では、全車2.5リッター自然吸気エンジンを搭載し、よりコンフォートな仕様となったため、初代から続いた伝統の「EJ型」エンジンを搭載した高性能なレガシィは、この5代目が最後のモデルです。
※ ※ ※
初代レガシィの登場によってスバルのブランドイメージが一気に高まり、現在も続く「シンメトリカルAWD」を広く浸透させたといえます。
また、スバルが1980年代から研究開発を続けてきた先進安全技術「アイサイト」の元祖は、1999年に「レガシィ ランカスター」に搭載された「ADA(アクティブ・ドライビング・アシスト)」です。
このようにスバル車のなかでもエポックメイキングなモデルだったレガシィは、近年のセダン、ステーションワゴン人気の低迷によって消えてしまいますが、記録にも記憶にも残る1台として後世に語り継がれることでしょう。
スバルが誇る和製スポーツセダン!!! レガシィB4の栄光と凋落【偉大な生産終了車】
毎年、さまざまな新車が華々しくデビューを飾るその影で、ひっそりと姿を消す車もある。
時代の先を行き過ぎた車、当初は好調だったものの、市場の変化でユーザーの支持を失った車など、消えゆく車の事情はさまざま。
しかし、こうした生産終了車の果敢なチャレンジのうえに、現在の成功したモデルの数々があるといっても過言ではありません。
訳あって生産終了したモデルの数々を振り返る本企画、今回はスバル レガシイB4(1989-2020)をご紹介します。
【画像ギャラリー】1つの時代の終焉。歴代レガシィB4全モデルをギャラリーでチェック!!!
文:伊達軍曹/写真:SUBARU
■長きに渡りスバルを牽引した旗艦セダン
ジャパニーズ・スポーツセダンの最右翼として長年にわたり支持されてきたものの、「日本市場自体の重要度低下」と「セダン人気の凋落」「企業平均燃費規制の強化」というトリプルパンチにはさすがに勝てず、日本市場からは消えることとなった名作セダン。それが、スバル レガシイB4です。
1989年に登場した初代レガシィ セダンは、当時の他メーカーの一般的なセダンとは一線を画す本格派の4WDスポーツセダンとして人気に。
初代レガシィセダン
そして1993年登場の2代目は、同時期の他社製セダンがこぞって3ナンバー化と大排気量化をしていくなか、かたくなに「5ナンバーサイズと2L以下のエンジン」という姿勢を守り、そして2ステージ・ツインターボを採用した水平対向4気筒DOHCターボエンジンの魅力、さらにはデザイン自体の良さも相まって、スマッシュヒットを記録しました。
2代目レガシィセダン
続いて1998年12月に発売された3代目から、レガシィセダンは「レガシィB4」と車名を改め、スポーティグレードであるRSKとRSのみという強気な姿勢で攻勢を開始。
3代目レガシィB4
そしてこれまた、2ステージ・ツインターボの魅力やマルチリンク化されたリアサスペンション等々により大人気となり、「日本におけるスポーツセダンといえばレガシィB4」という図式を確固たるものとしました。
2003年から2009年まで販売された4代目は衝突安全性向上のため全幅を35mm拡大したことで3ナンバーサイズとなり、2ステージ・ツインターボに代わってシングルタービンのツインスクロールターボとなりましたが、基本的には好評を維持。
4代目レガシィB4
しかし、排気干渉を防ぐと同時に燃焼効率の向上を目指して「等長等爆エキゾーストマニホールド」を採用し、それによっていわゆるボクサーサウンドが失われた点については、コアなスバルファンは不満に思ったようです。
続いて2009年に発売された5代目では、北米市場を意識したやや大柄なサイズとなり、2Lエンジンは廃止。ターボチャージャー付きのエンジンは2.5Lのみとなりました。
5代目レガシィB4
そして2014年登場の6代目ではさらに大柄な「完全アメリカンサイズ(全長4795mm×全幅1840mm×全高1500m)」となり、ターボエンジンも全廃。
6代目レガシィB4。2020年6月、30年余にわたる国内での系譜に終止符が打たれた(海外での販売は継続)
5代目前期型の一部には残されていたマニュアルトランスミッションも廃され、変速機はすべてCVTに。
このあたりからレガシィB4は、初期の「硬派なスポーツセダン」とは完全に異なるポジショニングの車になったと言えるでしょう。
2019年2月にはシカゴ・オートショーで7代目レガシィが発表されました。しかし製造はすべて米国スバルのインディアナ工場で行われ、日本への輸入と販売について正式にアナウンスされないまま、日本市場では6代目がそのまま継続販売されていました。
そして2020年6月22日、スバルはついに31年以上の長きにわたって販売されてきた「レガシィ B4」の国内受注受付を終了すると発表したのです。
■なぜ「変わってしまった」のか? B4の顛末にみる「スバルの未来」
硬派なスポーツセダンとしては確固たる存在であったはずのスバル レガシィB4がなぜ、北米寄りのおっさんくさい(?)CVTセダンに変貌し、そして結局は日本市場から消えていくことになったのか?
その理由は本稿の冒頭で申し上げたとおり、「日本市場自体の重要度低下」と「セダン人気の凋落」「企業平均燃費規制の強化」というトリプルパンチにほかなりません。
「強力なターボエンジンを搭載したMTのスポーツセダン」というのは日本(の一部)ではウケますが、北米市場ではまったくウケません。彼の国の多くのドライバーにとっては、MTなどというめんどくさい変速機はもってのほかですから。
そしてスバルは今や、日本の、そのなかでも一部の「ディープなカーマニア」だけを相手に車作りをすることなど許されない構造になっています。
「スバルは今や、売上の多くを北米市場に依存している」というフレーズ自体は多くの人がご存じでしょうが、実際の国別販売台数まで把握している人は少ないかもしれません。
2019年3月期の「SUBARUアニュアルレポート」によれば、スバルの全世界連結販売台数は100万台で、そのうち日本での販売台数は13万5000台。日本市場は、わずか13.5%でしかないのです。
そして突出して多いのはアメリカ合衆国で、その数は66万台。スバル車の販売台数の実に7割近くが、今やアメリカでのものなのです。
この数字は文字で書かれたものを見るより、円グラフで見るほうがインパクトがデカいというか、一目瞭然かもしれませんね。
スバルの地域別販売台数の割合グラフ(2019年3月期)
そしてそういう状況になれば、シェアわずか13.5%でしかない国の、そのなかでもさらに少数のマニアの意見を取り入れて「MTでターボのスポーツセダン」なんてものを作っても、採算が合わないのは火を見るより明らかです。
そもそもセダンというカテゴリー自体の人気が凋落しているなか、そんな冒険(?)をしてしまっては、下手をすれば会社がつぶれかねません。であるならば、「北米で売れそうな感じのセダン」を作るしか、会社としては手がないのです。
「とはいえ、スバルのような中規模メーカーは、トヨタのようにすべてのジャンルに手を広げるのではなく、“独自の個性”を追求するほうが得策なはず。ならば、あえて濃い口の本格スポーツセダンを作り、それをイメージリーダーにしても良いのではないか?」
そんな意見もあるでしょうし、筆者も、できることならそんなスバル製スポーツセダンを見たいと思っています。
しかしCAFE規制(企業平均燃費規制)の締め付けがどんどん厳しくなっている昨今、独自の純ハイブリッドシステムやEVを持たないスバルは、強力な2Lや2.5Lガソリンターボエンジンをガンガン燃焼させるというわけにも、なかなかいかないのです。
このような理由で、レガシィセダンから始まったB4の歴史は、ここ日本では終わることになりました。しかし将来、復活の目がまったくないわけでもないでしょう。
「スバル製本格スポーツセダン」の復活を、あまり期待はしないまま、心静かに待ちたいと思います。
■スバル レガシイB4(3代目※B4としては初代)主要諸元
・全長×全幅×全高:4605mm×1695mm×1410mm
・ホイールベース:2650mm
・車重:1440kg
・エンジン:水平対向4気筒DOHCターボ、1994cc
・最高出力:280ps/6500rpm
・最大トルク:35.0kgm/5000rpm
・燃費:10.8km/L(10・15モード)
・価格:258万8000円(1998年式 RSK 5MT)
Posted at 2020/08/20 23:16:03 | |
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富士重工 | 日記
2020年08月20日
「アルシオーネVRターボを2台所有する変態オーナーの愛機」1.8L+3速ATにゾッコン!【ManiaxCars】
80年代のゲーム画面みたいなデジタルメーターが斬新すぎる!
1.8Lターボと3速ATの組み合わせが非常に良い!
AA型レオーネベースの2ドアスペシャリティクーペとして誕生したAX型アルシオーネ。1985年6月に発売され、当初1.8Lフラット4SOHCターボのEA82型エンジンを載せる4WDモデルVRターボ(AX7)と、FFモデルVSターボ(AX4)の2グレードで展開した。
いずれもミッションは5速MTと3速ATが用意され、4WDはパートタイム式。3速AT仕様のトランスファーには油圧多板クラッチ式(MP-T)が採用され、FF/4WDの容易な切り替えや4WD走行時のタイトコーナーブレーキング現象の緩和を実現していた。
1987年7月、新開発となる2.7Lフラット6SOHC搭載の2.7VXが追加され、VRターボはVRに、VSターボはVSにグレード名を変更。ATの4速化も図られ、トランスファーが油圧多板クラッチ式からアクティブトルクスプリット式(ACT-4)に進化した。
そんなアルシオーネでまず注目したいのは外装デザイン。エアロダイナミクスに拘り、当時世界最高レベルのCd値0.29(VSターボ)を実現した直線基調のスタイリングは、今見ても斬新だ。
取材車両は前期型VRターボで、心臓部に搭載するのは、ボア径92.0φに対して、ストローク量67.0mmと極端なショートストローク型となるEA82型。その特性は意外にも低中速型で、最大トルク20.0kgmを2800rpmで発生する。また、油圧ラッシュアジャスターを採用するなど、メンテナンスフリー化も図られている。
L字型2本スポークのステアリングホイールや、ステアリングコラム一体型のサテライトスイッチが独特なインパネ周り。サテライトスイッチはステアリングチルト&テレスコに、メーターパネルはチルトに連動して移動する。中央のエアコン吹き出し口の下には、走行時の時間と距離に関する6項目の情報を切り替え表示するトリップコンピュータを装備。
VRターボのAT車のみにオプション設定されていたエレクトロニック・インストルメントパネル。上段右にスピード、左にエンジン回転数がデジタル表示される。下段のバーグラフは右がブースト圧、左がエンジン回転数で、奥から手前に向かって伸びてくるのが違和感ありまくり。真ん中のイラストは車高や4WDモードを表す。
サイドブレーキ脇のスライドレバーはエアコンの温度調整&風量切り替え用だ。
その後方には、エアコンのメインスイッチや外気導入/内気循環切り替えスイッチなどが並ぶ。また“4WD AUTO”スイッチを入れておくと、FF走行時でも急加速&減速時、降雨時(ワイパースイッチオン状態)に自動的に4WDに切り替わる。
前席はスポーティタイプのセミバケットシートを装備。表皮には最高級モケットが使われ、運転席にはランバーサポートとシートリフター機能も備わる。
後席は2人がけ(乗車定員4名)で大人が乗るにはちょっと窮屈な感じ。背もたれを前に倒すとトランクスルーになる。
足回りは、エレクトロ・ニューマチック・サスペンション(EP-S)が採用され、前ストラット式、後セミトレ式サスペンションと合わせて常にフラットな姿勢と乗り心地をキープしてくれる。ノーマルの最低地上高は165mmだが、スイッチ操作で30mm上げることも可能。しかも、80km/h以上で自動的にノーマル車高に戻り、50km/h以下になると再び車高が上がるという制御も行われる。
スタイリングも装備も先進的かつ変態なアルシオーネVRターボ。しかし、本当に変態なのはオーナーで、実はもう1台VRターボの3速AT車を所有してるのだ。筋金入りの“アルシオネリスト(?)”である。
■SPECIFICATIONS
車両型式:AX7
全長×全幅×全高:4450×1690×1335mm
ホイールベース:2465mm トレッド:FR1425mm
車両重量:1140kg
エンジン型式:EA82
エンジン形式:フラット4SOHC+ターボ
ボア×ストローク:φ92.0×67.0mm
排気量:1781cc 圧縮比:7.7:1
最高出力:135ps/5600rpm
最大トルク:20.0kgm/2800rpm
トランスミッション:3速AT
サスペンション形式(F/R):ストラット/セミトレーリングアーム
ブレーキ(F/R):ベンチレーテッドディスク/ディスク
タイヤサイズ:FR185/70R13
TEXT&PHOTO:廣嶋健太郎(Kentaro HIROSHIMA)
6年でわずか6000台! 「売れなかった」悲運の名車「アルシオーネSVX」の高すぎる完成度
スバルのアルシオーネは幻のフラッグシップか
スバル(旧・富士重工)が、プレミアムクラスのラグジャリークーペをラインアップしていたことをご存じだろうか。1991年から1997年までの6年間販売された、3318ccの水平対向6気筒エンジンを積むアルシオーネSVXである。もちろんスバルならではのAWD、スタイリングもまたスペシャルなウインドウに取り囲まれ優麗なものだった。恐らく 二度とは現れないであろう歴史的なクルマを振り返ってみたい。
ブランド一新にすべてが注がれたクーペ
アルシオーネSVXは、その車名からも分かるように、1985年に発売されたスバル初のスペシャリティクーペ、アルシオーネ(AX7/AX9、AX4)の後継モデルで、当時の新世代スバルの技術を結集して作られ1991年に放たれた車両だった。
ちなみに初代のアルシオーネは、基本的には3代目のレオーネ(AA/AL/AG型)をベースにしたモデルで、レオーネのアンダーフロアに2ドアクーペボディを架装する手法で作られていたが、当時のスバルは技術革新が遅いと評価され、その分だけ、車両デザインも含め、シャシー性能、エンジン性能とも当時の水準に達していたとは言い難いモデルだった、という酷評もある。
しかし1980年代後半のレオーネに見られるように、実直だがハードウェア、ソフトウェアともに時代に遅れをとっていたとも評されるスバルは大きく変貌する。それは1989年に初代レガシィ(BC/BF系)を登場させたときだった。動力性能、運動性能、ハンドリング性能などを根本から見直し、エンジン、シャシーの全面刷新が行われたのだ。
当然ながら、この時代の車両だったアルシオーネも全面的に見直され、車名にSVXを加え、アルシオーネSVX(CXD系)として1991年に登場する運びとなってゆく。
折しも、時代はバブル経済の真っ盛り。世の中にはより上級なものを目指す志向が蔓延し、アルシオーネSVXにも最新、最良のメカニズムが盛り込まれた。これはどのメーカーの車両にも共通して言えることだが、バブル期に商品企画が行われた車両は、量産車とは言いながらも非常に高級、上級な内容で作られる例がほとんどで、アルシオーネSVXもそうした車両の1台だった。
内外ともに斬新な熟成ユニットの集大成
すべてが見直されたモデルでは、まず、そのボディフォルムの流麗な変化が目についた。3次元ガラスを多用し、ピラーを内側に収める処理によって、グラスエリアの広さを特徴とするボディデザインが新鮮だった。ジョルジェット・ジウジアーロ(イタル・デザイン)のデザインで、曲面を多用した流麗なフォルムはいすゞ・ピアッツァでも実証済みのものだった。
エンジンは新開発の水平対向6気筒EG33型を搭載。初代アルシオーネも2.7L(ER27型)の水平対向6気筒を採用したが、こちらは1.8LのEA82型を6気筒化したもので、EA82型自体がOHVベースの古い設計だったため、ER27型も排気量に見合う性能とは言い難いものだった。
しかし、EG33型は新世代4バルブDOHCのEJ型と同一思想による設計のエンジンで、その滑らかな回り方、出力/トルク値(240 ps/31.5kg-m)は、上質なスペシャリティクーペにふさわしいものだった。
トランスミッションは4速ATのみ設定だったが、構造的な特徴を生かし4WD車ではVTD(可変トルク配分)方式を採用。通常、前後35対65で配分される駆動力を、VTDでは走行状態に応じて自動的(電子制御)に配分比を変化させるスバル独自の4WD制御方式である。
サスペンションも前後ストラット(前マクファーソン式/後デュアルリンク式)とレオーネ時代から改められていたが、スバルの美点は、こうしたメカニズムの基本形式にあるのではなく、走り込みの結果、納得がいくまで熟成された仕上げのよさに尽きた。このことはスバルの転換点となったレガシィ、そして1991年発表のインプレッサにも共通することで、アルシオーネSVXもこうした熟成度の高い仕上がりの良さが身上となるモデルとして作られていた。
アルシオーネSVXは、6年間の販売期間を通じて累計6000台弱が市販されたが、販売成績という意味では不発に近かった。ひとつには、スバルのブランド力が高級車市場で弱かったこと。また、実際に乗ってみなければ車両の出来のよさが理解できない、という点も商品力に対してマイナスに働いた。
モデル末期には、廉価版の特別仕様車もいくつか登場したが、それでも販売成績の手助けにはならなかった。しかし、興味深いのは、実際に販売を中止したら人気となり、中古車市場で高値を呼ぶ不思議な現象が起きていたことだ。
自動車としての出来は、文句なく第一級の仕上がりだったが、車両そのものの良し悪しではなく、その他の要素によって販売が左右される悲運の名車だった。
Posted at 2020/08/20 23:10:47 | |
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富士重工 | 日記
2020年08月20日
STIの幻のコンプリートカー「S209」が東京三鷹で展示中。間近に見る最初で最後のチャンス
三鷹のSTIギャラリーに幻のコンプリートカー「S209」が展示中
スバルのモータースポーツ統括会社であり、カスタマイズパーツやコンプリートカーも展開しているSTI(スバルテクニカインターナショナル)をご存知でしょうか。STI Sportなどグレード名にも使われているので、チェリーピンクのロゴを目にしたことがあるクルマ好きは少なくないはず。
STIの本拠は東京・三鷹にあるのですが、そこにはSTIギャラリーと呼ばれる、小さなしかし中身の濃い展示スペースがあり、2020年7月からは企画展「TRY & ERROR 創造の軌跡」を開催中。その目玉は、2019年に北米市場で209台限定販売されたコンプリートカー「S209」です。
2.5Lターボエンジンを積む北米仕様の「WRX STI」をベースに、むき出しエアクリーナーと専用エアクリーナーボックス、HKSと共同開発した大型ターボチャージャーなどによりエンジンの最高出力は341hp(英馬力)まで向上。これはSI単位にすると254kWに相当しますが、STIコンプリートカーとしては史上最強パワーであり、究極のWRX STIという印象を受けます。
フットワーク系では、ビルシュタインをベースにした専用サスペンションを装着するほか265/35R19サイズのハイグリップタイヤを履き、ホイールはBBS製。ボディはSTIの十八番であるフレキシブルタワーバーやドロースティフナーによる体幹チューニングを受けているという仕様です。
エクステリアでは、ワイドなタイヤを収めるためのオーバーフェンダーや、ダウンフォースを生み出すフロントアンダースポイラー、フロントバンパーサイドカナード、そしてカーボン製のリアウイングといったところが特徴。重心高を下げるためカーボンルーフになっているのもコンプリートカーならではの装備といえます。
専用アイテムの単品展示や本物の図面も展示
これだけ全身くまなく手を入れているのですから、たしかに「TRY & ERROR 創造の軌跡」という企画展のタイトルも納得ですが、苦労があったのはこのS209がWRX STIのバリエーションという扱いではなく、STIというマニュファクチャ(製造者)が北米で販売する初めてのモデルだったことにあります。スバルではなく、STIというメーカーの生み出した初めてのハイパフォーマンスモデル、それが「S209」というわけです。
すでに北米市場では完売しているモデルですから、日本で見かける機会はまずないといえる貴重なS209ですが、今回の企画展では実際に手に触れて、その凄味を体感できる最初で最後のチャンスかもしれません。
オーバーフェンダーやエアクリーナー、ターボチャージャー、サスペンション、フレキシブルタワーバーといった専用アイテムは単品で展示され、ディテールまでじっくりと見ることが可能。本物の図面なども確認できます。出血大サービスといえるほどの公開ぶりには驚かされるばかり。
STIギャラリーの営業日は土日のみで、営業時間は10時~17時。夏季休館期間は~2020年8月16日となっています。
■STI Gallery
住所:東京都三鷹市大沢3-9-6
ホームページ:https://www.sti.jp/gallery/
文:山本晋也(自動車コミュニケータ・コラムニスト)
<写真解説>
※画像1枚目:北米市場に投入されたSTI「S209」は、SUBARU名義ではなくSTIがマニュファクチャラー(製造者)となった。専用開発されたアウトレット付のフロントワイドフェンダーはド迫力。
※画像2枚目:企画展のテーマ「TRY & ERROR 創造の軌跡」に合わせて、S209の開発で使用したスクラップパーツなどを再現して展示している。
※画像3、4枚目:「S209」のエンジンは2.5LのEJ25ターボでSTIによりパワーアップ。341hp(約254kW)というSTIコンプリートとして史上最強のパワートレインを与えられた。
※画像5枚目:リアシートを格納すると、ボディのしなりをコントロールして、ハンドリングのリニアリティを高めるというSTI独自にアイテム「ドロースティフナー」が確認できた。
※画像6枚目:カーボン製リアウイング、アウトレット付リアバンパー、低背圧スポーツマフラーなど後ろ姿からもS209の特別感は伝わってくる。幅広タイヤに合わせたオーバーフェンダーも迫力だ。
北米専用車のS209に日本で全開試乗! 新井敏弘×石田貴臣【動画】
曲がるし安定感もあるし乗り心地もいい!?
STIの限定車であるSシリーズ。そのもっとも新しいモデルはS209ですが、じつはこれ、北米の専売車で日本では買えません。日本のファンを悲しみのどん底に追い込んだこのモデルに、なんと日本で試乗することができました! 世界のトシアライことトップラリードライバーの新井敏弘さんとWEB CARTOP編集長の石田貴臣が、衝撃の走りを動画でお届けします!
VIDEO
【スバルSTI、なぜ今アメリカ重視?】S209は北米専用 商品価値観の違いが背景 日本への影響は?
北米専用「S209」を直接感じながら
text:Kenji Momota(桃田健史)
なぜ、日本では発売しないのか?
STIファンが注目する、最新コンプリートカー「S209」は北米専用モデルである。
東京都三鷹市のSTI(スバルテクニカインターナショナル)本社に隣接する、STIギャラリーでは今年(2020年)7月から、S209開発の舞台裏に関する企画展示がおこなわれている。
筆者が取材で現地を訪れた際、STIの平岡泰雄社長からS209の特長を詳しく聞いた。
その中で、平岡社長が強調したのが、フレキシブルドロースティフナーだ。
車体の前後に装着されているが、リアシートの後方位置にある状態を指さしながら「これがあるのとないのでは、明らかにクルマの挙動が変わる」と平岡社長は自信満々の表情をみせた。
フレキシブルドロースティフナー単体での展示もあった。これはSTIの走りのチューニングの統括者であり、ニュルブルクリンク24時間レース参加チームの総監督でもある辰巳英治が自ら溶接をして作り上げた試作品だ。
その他、S209にはSTIがこれまで築き上げてきたスバル車に対するノウハウが詰め込まれている。
となれば、日本のユーザーもS209が欲しくなるかもしれない。
だが、エンジンは米国使用WRX STI専用のEJ25をベースとするなど、あくまでもアメリカ向けとして開発された。
なぜ、STIはこのタイミングでアメリカ市場にこだわるのか?
ブランドイメージを築くため
アメリカでは、STIのブランド力がまだ弱いから。
それが、STIがアメリカ市場強化に動く理由である。
平岡社長の言葉を借りるならば「STIは(モデル)グレードとしての認知に留まっている」のだ。
日本でも、モデルのグレードとして、STIスポーツは人気が高い。なかでもレヴォーグは新車販売の約3割にまで及ぶ。
そうなっているのは、STIというブランド自体の認知度が高いからこそ、またSシリーズというコンプリートカーの存在感が大きいからこそ、実現できているのだ。
一方のアメリカでは、いわゆるエンスージァスト(熱狂的ファン)のみがSTIを理解している状況だ。
日本のスバルファンのように、STIがどのようなバックグランドがあるのかを、ネットの情報等を通じて知っている。
だが、一般のクルマユーザー、またはスバルのユーザーにとって、STIをよく知らない人が多く、仮に知っていても、前述にようにグレード名称という認識しかないのが現実だ。
原因は、STIが現在進めているブランド戦略が、日本国内スーパーGTや、アメリカ人にとって馴染みの薄い独ニュルブルクリンク24時レースに起因しているためかもしれない。
もちろん、北米でもこれまで、STIの名前を掲げたモータースポーツ活動はおこなってきたが、三鷹のSTI本社の直接的なオペレーションでない場合が多い。
きっかけは「ワイルドスピード」?
STIとアメリカとの関係を、もう少し詳しく知るために、時計の針を少し戻してみよう。
アメリカ人の中でSTIが話題に上ることが増えたのは、90年代末だ。
米西海岸を震源として、日系チューニングカーブームが始まったのだ。その模様をドキュメンタリー的なタッチで描いたのが、映画「The Fast and the Furious(邦題:ワイルドスピード)」である。
当時、筆者はロサンゼルス近郊に居住し、スバル「WRX」を所有していた。また、仕事の関係でスバルの北米事業会社であるSOA(スバル・オブ・アメリカ)の幹部らとの接点もあった。
SOAは「WRX STI」の北米導入を検討していた。ライバルである三菱「ランサー・エボリューション」がひと足早く、アメリカでの販売を始めたからだ。
だが、WRX STIがアメリカで売れるのかについて、SOAは半信半疑だった。
なぜならば、日系チューニングカーや、日系ハイパフォーマンスカーに興味があるアメリカ人の多くは、STIの存在をソニープレイステーションのグランツーリスモを通じてしか知らなかったからだ。
アメリカでラリーはマイナー競技であり、STIの本質がユーザーに伝わりにくい環境にあった。
さらに、当時のスバルは弱小日系メーカーであり、スバルブランド自体の認知度も低かった……。
販売数が急増も STIまだ浸透せず
その後、2000年代半ばには、アメリカでの日系チューニングカーブームは冷めきってしまい、STIファンも一定数で留まっていた印象がある。
ところが、2000年代後半から2010年代にかけて、スバル全体の販売が急激に伸びていく。
北米市場を強く意識した商品作りと、「ラブキャンペーン」と名付けたマーケティング戦略が奏功した。
それまで、降雪地帯の生活四駆車としてのイメージが主流で、そこにハイパフォーマンス系のイメージが少し加わった程度だったスバルが、トヨタ、ホンダ、日産に次ぐ、第4のメジャー日系ブランドへと成長していったのだ。
そうした中で、STIについても北米仕様などを盛り込んできたのだが、前述のように2020年時点では、ユーザーからはモデルグレードという認識が強い。
そこで、スバル本社の戦略として、スバル車の販売台数が世界で最も多い北米市場において、スバルブランド全体をけん引するシンボルとして、北米専用S209を位置付ける。
その上で、北米でSTIブランドを確立することを狙う。
こうした海外戦略で得られた成果は当然、日本市場にもフィードバックされる。
「WRX STIF J20ファイナルエディション」のさらに先へと、STIを導くことになるだろう。
Posted at 2020/08/20 22:49:25 | |
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富士重工 | 日記
2020年08月20日
【9770万円!】BMW M1プロカー 海外オークションで落札 アル・アンサーJr.が駆ったマシン
BMW初のスーパーカー、M1
text:Kazuhide Ueno(上野和秀)
photo:photo:Tim Scott/RM Sotheby’s
1970年代に入って、BMWは2002でツーリングカー・レースにおいて成功を収め、その後3.0CSLにスイッチし確固たる地位を築く。
こうしたBMWモータースポーツの集大成として企画されたのがBMW M1だった。
BMWが初めて手掛けるミドシップ・スーパースポーツとあって、開発はランボルギーニに託され、数多くのスーパーカーを手掛けてきたジャン・パオロ・ダラーラが担当した。
しかし計画通りに進行しないことから1978年にランボルギーニとの契約は解消。
1930年代からBMWが提携していたシュツットガルトのコーチビルダーのバウアー社に製作が依頼され、ようやく発売にこぎつける。
プロカー・シリーズとは
生産工程が複雑で思うように生産できないM1は、レース参戦に必要な公認生産台数(グループ4の400台)をクリアできないでいた。
そこで企画されたのがF1グランプリの前座レースでF1ドライバーを始めとするプロドライバーがイコール・コンディションのBMW M1で競う「プロカー・シリーズ」である。
「プロカー・シリーズ」は1979年5月のベルギーGPから9月のイタリアGPまでのヨーロッパ・ラウンドの8戦で行われた。
参加したのは、当時ブラバムに乗るニキ・ラウダ、ネルソン・ピケを始め、クレイ・レガツォーニ、マリオ・アンドレッティ、アラン・ジョーンズ、エリオ・ディ・アンジェリスなどの錚々たるF1パイロットたち。
使用されるM1プロカーはグループ4規定に合わせてモディファイし、ミドに搭載されるM88/1型ストレート6は、3453ccから470hp/9000rpmを発揮。これにZF製5速ギアボックスが組み合わせられた。
ボディ回りでは大型のフロント・スポイラーに変更され、ホイールがワイド化されたことに対応してオーバーフェンダーが前後輪に備わり、リアデッキにはウイングが取り付けられた。
もちろん安全対策も行われ、キャビン内にはロールケージが張り巡らされ、バケットシートと4点式ハーネスが組み込まれていた。
IMSA GTOを闘ったM1プロカー
RMサザビーズの頂点に位置するのが8月のモントレー・オークションだが、今年は新型コロナウイルス感染症が収束しないことから、「シフト/モントレー」と題してオンラインで行われた。
ここに姿を見せたのが1980年に製作されたM1プロカー、シャシーナンバーWBS59910004301195である。
このM1プロカーはアメリカのプライベート・レーサーのジョー・クレヴィエがオーダーしたマシンで、56台が作られたプロカーの36台目となる。1981年4月からIMSAシリーズのGTOクラスに挑んだ。
注目したいのは、ジョー・クレヴィエが選んだパートナーだ。
インディ500マイルで2度の勝利を挙げるとともに、CARTシリーズで2回のチャンピオンを勝ち取り、1984年のカンナム・シリーズで王者となるアル・アンサーJr.(ジュニア)と組んで闘ったのである。
デビュー戦となったリバーサイドでのトヨタGPはクラス3位に終わるが、続くラグナセカ100マイルではクラス2位を勝ち取る。
1981年は11戦に参戦し、5回の表彰台を得た。
1982年シーズンは3回の表彰台を記録したが、この年をもってM1プロカーでのレース活動を終了し売却される。
その後何人かのオーナーを経て、2009年にスイスのエンスージアストが入手。彼はル・マン・クラシック、スパ・クラシック、モンツァ・クラシックなどのヒストリックカー・レースへ積極的に参加していたので、目にされた方も多いことだろう。
最低落札額なしでモントレーに
シフト/モントレー・オークションに姿を現したBMW M1プロカーは、メカニカル的にもボディ・コンディション的にも素晴らしく、すぐさまレースやコンクール・デレガンスに参加できる状態を保っていた。
主催者が発表した予想落札額は、60~80万ドル(6420~8560万円)。なおかつ最低落札額なしという破格の提示だった。
コロナ以前であればロード・バージョンで5000万円以上していたことを考えれば、なかなか出てこないプロカー仕様だけに1億円台半ばを記録していたはずだ。
オンライン・オークションの常でスタート当初は低調だったが、締切1日前で65万ドルまで上昇し、最後の競り合いを経て91.3万ドル(9770万円)で決着。
本オークションでの入札数はほとんどが10数件だったが、このM1プロカーは33件もの入札を記録したことからも注目の高さが分かろう。
今年のモントレーで高額車は今ひとつだったが、そのなかにあってM1プロカーは健闘したといえる。
プロカー・シリーズに参戦していない個体ながら、アル・アンサーJr.というレジェンドが乗ったヒストリーの良さが評価された結果といえよう。
【試乗】BMW M1は40年を超えてなお現代に通用するスーパーカーのカリスマだ
レーシングスペックが奢られたメカニズム、500台に満たない生産台数など、希少モデルとしての価値は、数多の名車たちを凌ぐと言っていい。そしてなによりも、BMWスーパースポーツ「M」の哲学の源が、そこにある。Motor Magazine誌の連載企画「スーパーカーFile」から「BMW M1」を紹介しよう。(Motor Magazine 2020年9月号より)
80年代当時のレーシングカーそのもののメカニズム
現在のBMW M社、BMW AG の100 % 子会社として1972年に設立された「BMWモータースポーツ社」によって最初にプロデュースされたクルマがM1。初めてのMモデルである。
そもそもはグループ4、あるいはシルエットフォーミュラと呼ばれたグループ5のレース車両にするべく計画された。サーキット用のマシンを一般公道でも乗れるものに設えたのだ。エクステリアは、当時新進気鋭のジウジアーロが率いるイタルデザインに依頼。エンブレムを後ろに2個付けるという、奇抜なアイデアも盛り込まれた。
直列6気筒を、リアアクスルの前に縦置きするというMR方式の少量生産のスポーツカーの製造は難しい。そのため、BMWは後に多くのレーシングマシン、フォーミュラカーを製造することになるダラーラに委託。当時のフォーミュラカーなどと同じ手法で、鋼管スペースフレームを採用した。
角形の鋼管で骨格を作り、そこで走りによって起こる応力をすべて受け止めるというものだ。そのため、アウターパネルは軽量なFRPで作ることができた。もちろんエアロダイナミクスにも配慮、アンダーボディには平らなパネルが貼られ、空気抵抗を減らすだけでなくダウンフォースも確保できるようになっている。
サスペンションは前後ダブルウイッシュボーンで、フレームの最適な位置に接続。ウイッシュボーンのA型アームの底辺のスパンが長く、コーナリング時に強い力を受けてもアライメントの変化が起こりにくい設計が特徴だ。
エンジンはM88型3.5L直列6気筒で、DOHCに6連スロットル、機械式インジェクターが組み合わされる。そのメカニズムはまさに、当時のレーシングマシンそのもので、最高出力は277ps/6500rpmを発生した。
生産台数わずか477台。希少車としても価値あり
本格的な製造が始まるとシャシはドイツ国内のバウア社に委託された。その後イタルデザインでFRPボディの組み立てとペイントが施され、最後はミュンヘンで走行系のパーツがアッセンブリーされる。ドイツとイタリアを行ったり来たりの製造では効率は良くない。そのため連続する24カ月間に400台生産するというグループ4の規則を満たすことは、かなり難しかった。
実際に1976年から開発がスタートし、77年に試作車が走り出し、78年のパリサロンでお披露目するところまでは早かった。しかし400台目のラインオフは80年になった。81年に生産が終了するまでの台数はわずか477台(※編集部注:諸説あり)でしかない。それが希少車として、M1の価値を上げている。中古の事故車なのに7000万円という価格を見たこともある。もちろん売値と買値の違いがあるし、相場なので一概には決め付けられないが、投機の対にもなり得るモデルなのだ。
さらに希少なのは「M1プロカー」という追加仕様である。79年から80年にかけてF1の前座レースとして「プロカーレース」というワンメイクレースが行われたが、そこに出場するために造られた。太いタイヤを履くために前後に大きなオーバーフェンダーを備え、ロールケージが入り、エンジンもパワーアップされた。当時、F1レースで走っていたトップドライバーも参戦したため、注目を集めた。
今回のモデルは市販タイプだが、乗り込んでみればヒップポイントとアイポイントの低さに、しっかりレーシングカーの匂いを感じる。なにしろ全高は1140 mmしかないのだ。ミッドシップに直列6気筒エンジンを縦置きで搭載しているので、ドライバーの位置はフロントアクスルに寄っている。
コクピット内にホイールハウスが大きく張り出して来ているため、それを実感できる。両足は、ホイールハウスの右側に押し込むようにしてペダルを踏み込む感覚。それでもペダルスペースの一番左にはフットレストがあるので、コーナリングでも踏ん張りが効く。
ギアは5速(もちろんMT)だが、1速が左手前のレーシングパターンだ。ニュートラルで軽くレバーが動く範囲からさらに左に強く引き(左ハンドルだから)、後方に動かすことにより1速に入る。リバースは1速の位置より左に引いてから前方に押し出す。
クラッチペダルを踏み込み、キーをひねってセルモーターを回すと、掛かるか掛からないか心配する前にエンジンが目覚めた。かなり調子の良いエンジンだ。40年前のクルマとは思えないほど、アイドリングも安定している。
ギアを1速に入れてクラッチをミートさせる。多板クラッチは唐突に繋がって発進がなかなか難しいはずだが、M1の場合はなかなか扱いやすい。アクセルペダルを踏み込まなくても、クラッチペダルを戻してきて半クラッチにできればスルスルと動き始める。さすがに3.5Lのトルクは、低回転域でもゆとりがある。
BMW NAエンジンの原点。パワーの盛り上がりが快感!
走り始めれば、シフトするのが実に楽しい。ゲートがはっきりしている上に、シフトリンケージの剛性が非常に高いからだ。エンジンは、さすが直列6気筒。回転が上がるほどに芯が出て微振動もなくなっていく感触と、回転上昇に合わせてパワーが盛り上がる感じが気持ち良い。エキゾーストノートも楽しめる。久しぶりに乗ったNAのBMWエンジンは、原点の良さが感じられた。
アイドリング時にはそれなりの振動がシートに伝わってくるが、エンジンマウントが薄いか、リジットに近いためだろう。これもレーシングカーっぽいところだ。ブレーキはペダル剛性は高いが、踏力は現代の乗用車と比べると重い。それでも踏み込んだ分だけ効いてくれるし、コントロール性もあるのでなかなか良い。
ハンドルは重い。とくにパーキングスピードでの重さはフロントにエンジンが載っていて、パワーアシストがないモデルのようだった。ただ、走り始めれば剛性感もしっかりしているし、ニュートラルに小さな遊び感はあるものの、基本的には操舵角に従ってヨーが出てくれるので扱いやすかった。
サーキットを走るとやはりMRらしく、重心位置が後ろ寄りという基本ポテンシャルが感じられる。それでも前が軽くてフラフラする感じにはならず、落ち着きがあるので気持ちがいい。
ガソリンタンクはふたつ。給油口も左右にある。左右のタンクは連結していないので、同量のガソリンを入れなくてはならない。合計でなんと116L入るらしい。M1は20世紀の傑作の1台だが、21世紀の今でも、満タン分を使い切るくらいじっくり乗ってみたい、と思わせるクルマだ。(文:こもだきよし)
■BMW M1(1981年型)主要諸元
●全長×全幅×全高=4360×1824×1140mm
●ホイールベース=2560mm
●車両重量=1300kg
●エンジン= 直6DOHC
●総排気量=3453cc
●最高出力=277ps/6500rpm
●最大トルク=330Nm/5000rpm
●駆動方式=MR
●トランスミッション=5速MT
Posted at 2020/08/20 22:40:45 | |
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